〜アラバスタまで
翌日。
太陽は既に高く、けれども砂を照らす光はどこか控えめで、戦火に焼かれた王都をそっと撫でるように注いでいた。崩れた瓦礫のあいだから立ち上る土の匂いも、どこか晴れやかで、街に満ちる喧騒は、再生へ向かう鼓動のように響いている。
「むかーし、子どもの頃、夜通し街から街へ歩かされたことがあるんだ。馬も使わず、足だけで」
彼の声はひとりごとのように軽い。疲労の名残を宿す瞼をゆるゆると上げ、砂の匂いの混じった空を窓越しに見上げる。昨晩のビビとの語らいを経て、ついでにこのぐるぐるへの鬱憤も薄まってきているアマヤである。兄弟との喧嘩などそのようなものだ。
「広い土地もあったもんだ」
「……言われてみれば結構広かったなあ、僕の島」
そのまま、ひとつ呼吸を吸い込むようにして両腕を大きく掲げた。背筋が滑らかに波打ち、肩甲骨のあたりが音もなくしなる。柔らかく反らされた腰やら股関節やらの動きは体操選手並みの可動域である。疲れは残るが、不具合はない。
「その次の日の朝って感じ」
近くでは、ルフィが布団の上ですやすやと寝息を立てている。いつもなら食事か食事をねだるかで忙しいその口は呼吸にのみ使われている。その様子を、サンジがゆっくりと煙草をくわえたまま見下ろしていた。窓の隙間から吹き込む乾いた風がゆるやかな軌道を描いて煙をさらっていく。
「どうだうちの船長は」
「明日には目を覚ますんじゃないかな。これは船医の見立てであり、僕の占の結果でもある」
「んじゃそうなんだろ」
船長の静かな眠りが続く今、仲間たちはいずれもそれぞれの時間を持て余していた。
衣食住の面倒を見てもらっている以上、サンジもまた、することを見出せないまま、窓の向こうにちらちらと動く市場の喧噪を眺める。
「今日は香辛料でも見繕いにいくか」
「あ、僕も僕も」
二人は立ち上がり、肩を並べて扉を出た。バラティエにいた頃にも時折こうやって出かけていた。店先で品定めをし、味見をし、ついでに必要もない小物に目を奪われるような、ささやかな時間である。大立ち回りの後の平和な時間には相応しすぎるほどだった。
戦火の後にしては早すぎるほどの活気が街を彩っていた。立ち並ぶ天幕のあいだを抜ける風が、香辛料と果物と焼き立てのパンの香りを連れていく。砂漠の都アルバーナは、焼け焦げた記憶と瓦礫を抱えたまま、それでも日常へと歩み出していた。修復中の建物を避けて迂回する客足も多く、行商人たちの呼び声は、その喧騒を追い越す勢いで響いている。
サンジは露店のひとつに足を止め、籠の上に山と積まれた粒をひとつつまみ上げた。指先で軽く砕き、鼻先に近づける。風に揺れる金髪が影を落とし、その下で瞳が愉快そうに細められる。
「へェ、こりゃ見たことないな」
「……ちょっと甘い感じの匂いなんだね。デザートに使う?」
「いや、肉料理の香りづけにもいいかもな」
アマヤは紙袋を抱え直しつつ、サンジの手元に注目した。二人で買い出しに出かける時は必ずアマヤが荷物持ちだった。コックの手は食材選びに忙しいのだ。
「お、クミンだな。まだ挽いてねェのか。種皮付きだと長持ちするから、多めに仕入れても良さそうだ」
「へーっ、ここではジーラって呼ばれてるんだって! きっとよく使うんだよ。山盛り。確かにスパイシーな料理、多いもんね」
「レシピが厚くなるな、こりゃ」
「あはは、サンジくんのレシピ、読むの好きだよ。作るのは、まあアレだけど」
「頼むからキッチンに立つなお前は。特殊な才能を発揮するのはやめろ。……あれだな、あのクソ剣士の方向音痴といい勝負だ」
「あ、僕は自覚あるんで」
やりとりの間にもアマヤは、店主へ愛想よく挨拶を返し、香辛料の産地について尋ね、笑顔で感想を添えた。彼の愛嬌は当然の如く砂漠の町にも受け入れられ、店主たちはは包みの隙間に少しずつおまけをねじ込んでくれている。
サンジはそれを横目で見つつ、にやりと笑う。これは吝嗇家の航海士が喜ぶことだろう。是非とも自分の手柄にして褒めてもらおう、とまで考えていたかもしれない。
「……お前と店回ると金の節約になるよ。──っと、ちょっとここで待ってろ」
目線の先には、昨日すれ違った女性の姿がある。香油の香りをまとう裾が翻るのを見つけ、彼は嬉々として足を向けた。疲労の陰などない、軽やかなステップである。
こうやって女性に声をかけ、会話のきっかけを織り出すのはお手のもの──だったはずなのだが、ふとした拍子に、ふたりの視線がアマヤのほうをちらりと向いた瞬間から、空気の色が微かに翳った。
「うわあ……、やな予感」
アマヤがそっと呟いた頃には、サンジはしょげきった顔で戻ってきていた。眉間に皺、肩は沈み、目には光もない。
「お前が可哀想だから戻ってあげての一点張りだ……」
「僕のせいじゃないからね」
「うるせ」
懲りないこの男は、一つ首を回して気持ちを切り替えると、次の標的を視界に入れる。足取りは相変わらず軽やかで、日差しを浴びて揺れる前髪の向こう、その顔には晴れやかな笑顔。市場の喧騒に溶けるような自然さで近づき、手を胸にあてて一礼し、口上を述べ始める。
「こんにちは、マドモアゼル。あなたの香りに誘われて、つい迷い込んでしまったようだ……」
出だしは滑らかだった。商人の娘と思しき女性は最初こそ驚いたように目を瞬かせていたが、サンジの朗らかな語り口に応じて、笑みを返した。小さな花を添えた髪飾りが、彼女の頬の横で揺れている。
しかし。
女性の視線がふいにアマヤの方へ流れ、その眉がうっすらと下がる。サンジに向けられていた関心が、少しずつ遠ざかっていくのが、会話の温度でわかる。女性はついに困ったように首を振り、レディファーストの男はそれ以上深追いすることはできなくなったのだった。
サンジは数秒その場に立ち尽くし、目を閉じ、そっと煙草を噛んだ。無言のまま踵を返し、アマヤのもとへ戻ってくる。
「──はあ~……」
「えーっと、話、聞いてあげた方がいいの?」
「懐に入れたら紳士じゃなくなるタイプ? だってよ。お前が男だって言っても聞いちゃくれねェ」
「あー……」
そういえば、こうなるのはこれまでにも何度かあった、と、アマヤは思い返していた。
「他所から見たら華奢な少女に荷物持ちさせてる紳士とはかけ離れた存在だからね」
「しかも『あんなに可愛い子を放っておいたらダメよ』だとよ。く──、なんて心が美しいレディなんだ……♡」
「可愛くてごめんね?」
その一言に、サンジは黙って足を上げ、アマヤの腰のあたりを軽く蹴飛ばした。
「蹴るぞお前」
「ちょっと! 既に出てたよ! 足!」
じゃれあいのような口喧嘩を交えつつ、ふたりは荷物をひとまとめにして、宮殿へと戻っていく。
陽は傾きかけていたが、砂の都の空はまだ白く、どこか穏やかで、戦の影は少しずつ遠ざかっていくようだった。
***
その夜、宮殿の片隅に設けられた一室には、火照りを冷ますような夜風が、石造りの窓から静かに流れ込んでいた。食事を済ませた後の時間は、日中の喧騒が嘘のように静まり返り、それぞれが好きなことをして過ごしている。
サンジは椅子に逆向きに腰を下ろし、背もたれに両腕を投げかけるようにしてくつろいでいる。肘を枕にするように顎を乗せ、煙草も持たず、ただぼんやりと天井を見上げているその姿には、緊張のほどけた気怠さが漂っていた。
「ウソップ、明日一緒に市行こうぜ」
呼ばれたウソップは、壁際で旅支度の整理をしていた。積み上げた道具袋から伸びた手を止めずに、ちらりと横目を向ける。その視線の先には、荷物の中身を興味津々に覗き込んでいるアマヤの姿がある。
「いいけどよ、アマヤじゃなくていいのか?」
「そいつとはもういかねェ」
言葉の端ににじむのは、明らかに今日の市場での敗北の記憶だった。下唇を突き出し、眉をしかめる様子は、いっそ子どもじみている。
アマヤは薄く笑いつつ、からかい半分、抗議半分の合いの手を挟む。
「ちょっとー、僕の印象が悪くなる言い方やめてよー」
「穀類の補充が追いついてねェから、人手は欲しい。ただしアマヤ、お前はダメだ」
その断言に、ウソップが首をかしげる。アマヤはまるで深窓の令嬢のようななりだが、男性的な膂力を備えていることは周知である。実際、荷物運びを任せても音もなくこなしてしまうし、踊るような身のこなしには軽業めいたものさえ感じられるのだ。
アマヤはくすくすと笑い、両手を胸の前でひらひらとさせた。
「あのねえ、僕といるとカップルだと思われてナンパが成功しないんだ。しかもはたから見たらレディに荷物持ちさせてる男になる、ってこと」
なるほどと得心がいったウソップは、やや憐れむような、というより面倒を被ったような顔でサンジをじとりと見やった。
それはつまり、買い出しは名目で、目的は別にあるということだ。
「納得。……めんどくせー男だよお前は」
「なんかあっちで拗ねてるけど、僕の方もサンジくんと恋仲だって思われてダメージ入ってるからね。ウソップくん、同情してくれてもいいんだよ」
「かわいそうになあ! アマヤ!! ──髪切ったら?」
アマヤの言葉に、ウソップは息を吸い込んで、演技がかった大げさな調子で言った。そして、次の瞬間にはけろっと声音を変えて、間髪入れずに畳みかける。肩を覆う紫の巻毛がなくなれば、あるいは少しは、との思いだ。
その緩急にアマヤは吹き出し、肩をすくめてケラケラと笑った。
「だめー、長いほうが好きなんだもん。……可愛いでしょ?」
言いながら、今日も丁寧に手入れされた巻き毛をふわりと揺らし、からかうようにウソップへ微笑みかける。その仕草には無邪気と計算が混ざり合っていて、ウソップは思わず天井を仰いだ。確かにこれと一緒にいる男に話しかけられても、町の女たちは困るだろうなあ、という第三者たちへの同情すら生まれる。
「じゃあもう自業自得じゃねーか」
「可愛いとねえ、相手を油断させられるから」
「……ほう?」
「それで、油断したところを、こう、グサリ」
「お前ェこえーよ!!」
ウソップの派手なツッコミに、アマヤはまた大きく笑い声を弾ませる。澄んだ夜気にまぎれた彼らの賑やかな声は、宮殿をまたひとつ、明るく彩ったのだった。
太陽は既に高く、けれども砂を照らす光はどこか控えめで、戦火に焼かれた王都をそっと撫でるように注いでいた。崩れた瓦礫のあいだから立ち上る土の匂いも、どこか晴れやかで、街に満ちる喧騒は、再生へ向かう鼓動のように響いている。
「むかーし、子どもの頃、夜通し街から街へ歩かされたことがあるんだ。馬も使わず、足だけで」
彼の声はひとりごとのように軽い。疲労の名残を宿す瞼をゆるゆると上げ、砂の匂いの混じった空を窓越しに見上げる。昨晩のビビとの語らいを経て、ついでにこのぐるぐるへの鬱憤も薄まってきているアマヤである。兄弟との喧嘩などそのようなものだ。
「広い土地もあったもんだ」
「……言われてみれば結構広かったなあ、僕の島」
そのまま、ひとつ呼吸を吸い込むようにして両腕を大きく掲げた。背筋が滑らかに波打ち、肩甲骨のあたりが音もなくしなる。柔らかく反らされた腰やら股関節やらの動きは体操選手並みの可動域である。疲れは残るが、不具合はない。
「その次の日の朝って感じ」
近くでは、ルフィが布団の上ですやすやと寝息を立てている。いつもなら食事か食事をねだるかで忙しいその口は呼吸にのみ使われている。その様子を、サンジがゆっくりと煙草をくわえたまま見下ろしていた。窓の隙間から吹き込む乾いた風がゆるやかな軌道を描いて煙をさらっていく。
「どうだうちの船長は」
「明日には目を覚ますんじゃないかな。これは船医の見立てであり、僕の占の結果でもある」
「んじゃそうなんだろ」
船長の静かな眠りが続く今、仲間たちはいずれもそれぞれの時間を持て余していた。
衣食住の面倒を見てもらっている以上、サンジもまた、することを見出せないまま、窓の向こうにちらちらと動く市場の喧噪を眺める。
「今日は香辛料でも見繕いにいくか」
「あ、僕も僕も」
二人は立ち上がり、肩を並べて扉を出た。バラティエにいた頃にも時折こうやって出かけていた。店先で品定めをし、味見をし、ついでに必要もない小物に目を奪われるような、ささやかな時間である。大立ち回りの後の平和な時間には相応しすぎるほどだった。
戦火の後にしては早すぎるほどの活気が街を彩っていた。立ち並ぶ天幕のあいだを抜ける風が、香辛料と果物と焼き立てのパンの香りを連れていく。砂漠の都アルバーナは、焼け焦げた記憶と瓦礫を抱えたまま、それでも日常へと歩み出していた。修復中の建物を避けて迂回する客足も多く、行商人たちの呼び声は、その喧騒を追い越す勢いで響いている。
サンジは露店のひとつに足を止め、籠の上に山と積まれた粒をひとつつまみ上げた。指先で軽く砕き、鼻先に近づける。風に揺れる金髪が影を落とし、その下で瞳が愉快そうに細められる。
「へェ、こりゃ見たことないな」
「……ちょっと甘い感じの匂いなんだね。デザートに使う?」
「いや、肉料理の香りづけにもいいかもな」
アマヤは紙袋を抱え直しつつ、サンジの手元に注目した。二人で買い出しに出かける時は必ずアマヤが荷物持ちだった。コックの手は食材選びに忙しいのだ。
「お、クミンだな。まだ挽いてねェのか。種皮付きだと長持ちするから、多めに仕入れても良さそうだ」
「へーっ、ここではジーラって呼ばれてるんだって! きっとよく使うんだよ。山盛り。確かにスパイシーな料理、多いもんね」
「レシピが厚くなるな、こりゃ」
「あはは、サンジくんのレシピ、読むの好きだよ。作るのは、まあアレだけど」
「頼むからキッチンに立つなお前は。特殊な才能を発揮するのはやめろ。……あれだな、あのクソ剣士の方向音痴といい勝負だ」
「あ、僕は自覚あるんで」
やりとりの間にもアマヤは、店主へ愛想よく挨拶を返し、香辛料の産地について尋ね、笑顔で感想を添えた。彼の愛嬌は当然の如く砂漠の町にも受け入れられ、店主たちはは包みの隙間に少しずつおまけをねじ込んでくれている。
サンジはそれを横目で見つつ、にやりと笑う。これは吝嗇家の航海士が喜ぶことだろう。是非とも自分の手柄にして褒めてもらおう、とまで考えていたかもしれない。
「……お前と店回ると金の節約になるよ。──っと、ちょっとここで待ってろ」
目線の先には、昨日すれ違った女性の姿がある。香油の香りをまとう裾が翻るのを見つけ、彼は嬉々として足を向けた。疲労の陰などない、軽やかなステップである。
こうやって女性に声をかけ、会話のきっかけを織り出すのはお手のもの──だったはずなのだが、ふとした拍子に、ふたりの視線がアマヤのほうをちらりと向いた瞬間から、空気の色が微かに翳った。
「うわあ……、やな予感」
アマヤがそっと呟いた頃には、サンジはしょげきった顔で戻ってきていた。眉間に皺、肩は沈み、目には光もない。
「お前が可哀想だから戻ってあげての一点張りだ……」
「僕のせいじゃないからね」
「うるせ」
懲りないこの男は、一つ首を回して気持ちを切り替えると、次の標的を視界に入れる。足取りは相変わらず軽やかで、日差しを浴びて揺れる前髪の向こう、その顔には晴れやかな笑顔。市場の喧騒に溶けるような自然さで近づき、手を胸にあてて一礼し、口上を述べ始める。
「こんにちは、マドモアゼル。あなたの香りに誘われて、つい迷い込んでしまったようだ……」
出だしは滑らかだった。商人の娘と思しき女性は最初こそ驚いたように目を瞬かせていたが、サンジの朗らかな語り口に応じて、笑みを返した。小さな花を添えた髪飾りが、彼女の頬の横で揺れている。
しかし。
女性の視線がふいにアマヤの方へ流れ、その眉がうっすらと下がる。サンジに向けられていた関心が、少しずつ遠ざかっていくのが、会話の温度でわかる。女性はついに困ったように首を振り、レディファーストの男はそれ以上深追いすることはできなくなったのだった。
サンジは数秒その場に立ち尽くし、目を閉じ、そっと煙草を噛んだ。無言のまま踵を返し、アマヤのもとへ戻ってくる。
「──はあ~……」
「えーっと、話、聞いてあげた方がいいの?」
「懐に入れたら紳士じゃなくなるタイプ? だってよ。お前が男だって言っても聞いちゃくれねェ」
「あー……」
そういえば、こうなるのはこれまでにも何度かあった、と、アマヤは思い返していた。
「他所から見たら華奢な少女に荷物持ちさせてる紳士とはかけ離れた存在だからね」
「しかも『あんなに可愛い子を放っておいたらダメよ』だとよ。く──、なんて心が美しいレディなんだ……♡」
「可愛くてごめんね?」
その一言に、サンジは黙って足を上げ、アマヤの腰のあたりを軽く蹴飛ばした。
「蹴るぞお前」
「ちょっと! 既に出てたよ! 足!」
じゃれあいのような口喧嘩を交えつつ、ふたりは荷物をひとまとめにして、宮殿へと戻っていく。
陽は傾きかけていたが、砂の都の空はまだ白く、どこか穏やかで、戦の影は少しずつ遠ざかっていくようだった。
***
その夜、宮殿の片隅に設けられた一室には、火照りを冷ますような夜風が、石造りの窓から静かに流れ込んでいた。食事を済ませた後の時間は、日中の喧騒が嘘のように静まり返り、それぞれが好きなことをして過ごしている。
サンジは椅子に逆向きに腰を下ろし、背もたれに両腕を投げかけるようにしてくつろいでいる。肘を枕にするように顎を乗せ、煙草も持たず、ただぼんやりと天井を見上げているその姿には、緊張のほどけた気怠さが漂っていた。
「ウソップ、明日一緒に市行こうぜ」
呼ばれたウソップは、壁際で旅支度の整理をしていた。積み上げた道具袋から伸びた手を止めずに、ちらりと横目を向ける。その視線の先には、荷物の中身を興味津々に覗き込んでいるアマヤの姿がある。
「いいけどよ、アマヤじゃなくていいのか?」
「そいつとはもういかねェ」
言葉の端ににじむのは、明らかに今日の市場での敗北の記憶だった。下唇を突き出し、眉をしかめる様子は、いっそ子どもじみている。
アマヤは薄く笑いつつ、からかい半分、抗議半分の合いの手を挟む。
「ちょっとー、僕の印象が悪くなる言い方やめてよー」
「穀類の補充が追いついてねェから、人手は欲しい。ただしアマヤ、お前はダメだ」
その断言に、ウソップが首をかしげる。アマヤはまるで深窓の令嬢のようななりだが、男性的な膂力を備えていることは周知である。実際、荷物運びを任せても音もなくこなしてしまうし、踊るような身のこなしには軽業めいたものさえ感じられるのだ。
アマヤはくすくすと笑い、両手を胸の前でひらひらとさせた。
「あのねえ、僕といるとカップルだと思われてナンパが成功しないんだ。しかもはたから見たらレディに荷物持ちさせてる男になる、ってこと」
なるほどと得心がいったウソップは、やや憐れむような、というより面倒を被ったような顔でサンジをじとりと見やった。
それはつまり、買い出しは名目で、目的は別にあるということだ。
「納得。……めんどくせー男だよお前は」
「なんかあっちで拗ねてるけど、僕の方もサンジくんと恋仲だって思われてダメージ入ってるからね。ウソップくん、同情してくれてもいいんだよ」
「かわいそうになあ! アマヤ!! ──髪切ったら?」
アマヤの言葉に、ウソップは息を吸い込んで、演技がかった大げさな調子で言った。そして、次の瞬間にはけろっと声音を変えて、間髪入れずに畳みかける。肩を覆う紫の巻毛がなくなれば、あるいは少しは、との思いだ。
その緩急にアマヤは吹き出し、肩をすくめてケラケラと笑った。
「だめー、長いほうが好きなんだもん。……可愛いでしょ?」
言いながら、今日も丁寧に手入れされた巻き毛をふわりと揺らし、からかうようにウソップへ微笑みかける。その仕草には無邪気と計算が混ざり合っていて、ウソップは思わず天井を仰いだ。確かにこれと一緒にいる男に話しかけられても、町の女たちは困るだろうなあ、という第三者たちへの同情すら生まれる。
「じゃあもう自業自得じゃねーか」
「可愛いとねえ、相手を油断させられるから」
「……ほう?」
「それで、油断したところを、こう、グサリ」
「お前ェこえーよ!!」
ウソップの派手なツッコミに、アマヤはまた大きく笑い声を弾ませる。澄んだ夜気にまぎれた彼らの賑やかな声は、宮殿をまたひとつ、明るく彩ったのだった。
