〜アラバスタまで

 冷えた風が砂を舞い上げ、遠くに見える都市の輪郭がぼんやりと星空を切り取っている。砂漠の夜は冷えるが、しかし一行はその寒さなど気にも留まらない様子である。
 レインベースでの救出は無事に果たされた。だがそれで終わりではない。クロコダイルの足止めをかって出たルフィが、仲間たちとは別行動を選んだ。残された一行は、急ぎ川を越え、カルガモの背にまたがってアルバーナを目指すことになったのだった。
 
「きっと向こうも待ち構えてるよね」
「あァ、あとこっちができることは?」
 
 アマヤは小さく笑い、背にくくりつけた荷をおろした。そして引きずるように大量の布を広げる。
 
「レインベースでいっぱいマントを追い剥ぎしておいたよ」
 
 それは全て、似たようなデザインのマントだった。敵の撹乱にはうってつけの、混乱を引き起こすための小道具である。
 
「追い剥ぎってお前」
「久々に騎乗できて楽しかったな。僕の故郷ではみんな馬に乗るから。……君たちの方がよほど小回りがきくね」
 
 アマヤは自分を乗せてくれたカルガモを労い、足回りの筋肉を軽くほぐしてやる。アマヤとしては四つ足の生き物の方が得意だけれども、こうやって軽やかに方向転換することが可能な騎乗経験も歓迎していた。きっと街中などの複雑な地形であったとしても、彼らにかかれば縦横無尽だろう。
 
 メンバーをいくつかに分散し、アルバーナの街の陽動作戦を練り上げる。囮部隊として先に突入をすることになった一行を前に、しかしアマヤは辞退していた。この後ひどく傷つく人間の側に居たいと考えたのだ。
 
「さて、僕はそっちじゃなくて、ビビさんの護衛をしたいな」
「うん、ありがとう。心強いわ」
 
 当然女性至上主義のコックからは猛反対があったが、隠密行動が得意なのはどちらかを説くと、渋々ながら引き下がった。
 ビビはここまで控えめに行動してきたアマヤが名乗りを上げたことに驚きつつ、さっぱりと笑うのだった。
 
 さて、この三人は反乱軍の進行ルートを見据え、並んで立ち尽くすことになる。背後に聳えるアルバーナが、まるで幻のように不穏な存在感を放っていた。空は明るんできているのに、なぜか街の輪郭は重く、静かだった。
 
「いいのよ? カルー、ここにいなくても……、踏みつけられても知らないから……!」
 
 その横顔には、もう迷いがなかった。震えもなかった。目に映るすべてを背負って、何かを賭けに行こうとする人の顔だった。地上に控えるアマヤはその横顔をまっすぐ見つめ、そして、自分の心に彼女の苦痛を可能な限り取り除こうと静かに誓った。
 
「止まりなさい!! 反乱軍!! この戦いは仕組まれてるの!!!」
 
 ビビの声が、砂混じりの風の中を切り裂いて響く。しかしそれは、狡猾な邪魔が入ったために、望む人までは届かなかった。叫びの先にいるのは怒りと正義に駆られた軍勢だ。思考を止めた騎馬の塊は、まるで壁のように押し寄せてくる。
 無数の蹄が、地を割るような音を立てる。何もかもを踏み潰して突き進むその勢いの中で、アマヤとビビ、そしてカルーの姿はあまりに小さかった。
 
 アマヤはすぐに動いた。押し寄せる騎馬の流れを正面から止めるのは不可能だと、一瞬で判断した。その瞬間にはもう、ビビとカルーの腕をつかみ、進行ルートから外れようと砂埃の中を引っ張って進む。舞い上がる砂の中で、視界はほとんどない。どこへ逃げれば安全かもわからない。それでも、ここに立ち尽くすよりは遥かにましだった。
 けれど、彼らの軍勢は逃げきれるほどの些細なものではない。避けたつもりでも、振り下ろされるような蹄がかすめていく。脇腹に、肩に、いくつかの打撃が当たった。ぐらりと体が揺れる。それでもアマヤは、倒れなかった。足を止めることも、腕を緩めることもしなかった。
 
 砂塵が晴れる頃には、そこかしこに擦過傷と打撲痕が出来上がっている。それでも、きっと、あそこでずっと声を張り上げるよりはマシだったろう。
 ビビが顔を歪めて叫ぶ。
 
「ごめんね、こうまでしても……! 反乱は始まっちゃった……!!」
 
 彼女の声は、砂塵にまぎれて霞んでいた。視界も、空気も、すべてがざらつく。
 
「……だけど、止めるわ!!」
「ビビさん、僕」
 
 アマヤが何かを言い募ろうとした瞬間、馬の足音と聞き慣れた声音が降ってくる。
 
「ビビ!! こっちに乗れ!!」
「ウソップさん!!」
 
 ビビが声を上げ、思わず前へ出ようとしたその瞬間、アマヤは彼女の腕をそっと引いた。
 この男が偽物であると、アマヤは知識上も分かっていたが、実際目にするとその差は歴然である。そっくりなのは表面の皮一枚だけ。これでいくつもの海を超えてきた仲間相手に謀ろうというならば、それは無謀というものだった。
 
「だめ、ビビさん」
 
 静かな声だったが、固い意志はしっかりと背後のビビへ伝わった。アマヤがウソップらしきものと、傷ついたビビとカルーとの間に立つ。小柄な体で、けれどもビビにはそれが堅固な壁に見えた。
 ビビは一瞬、戸惑い、そして自身の腕に巻いた包帯に気づく。彼が本物の狙撃手相手にこんなに緊張感のある態度をとるわけがないし、ウソップは陽動の役目を放り出してここへくるとも思えない。アマヤの意図するところを理解し、ビビは唇を結び直した。 

 カルーが短く鳴く。その声を合図に二人はついに走り出した。アマヤは振り向かない。ただ、走っていく二人の気配を確かに背中で感じながら、次に来るべき攻撃に備えて姿勢を整えた。
 
「あらあんた……知らない顔ねぃ」
 
 その声に、アマヤは黙って睨むように視線を返す。警戒はすでに最大限で遊びの余地などない。この大男(?)の戦闘力はなかなかのものなのである。
 
「……」
「結構可愛いけど、今は構ってる暇はナ~~ッシング!!」
「ううん、ちょっと時間稼ぎさせてもらうよ」
 
 アマヤは冷静に、短く言い返す。
 常識的に考えれば、馬に乗っている相手に対して、地上の人間が勝てるわけがない。だが、Mr.2はなぜかあっさりと馬から飛び降り、自分の足で地面に降り立った。
 舐めた態度は自信の表れだろう。その瞬間、自分を鼓舞する意味も込めてアマヤが叫ぶ。
 
「ビビさん! カルーくん! 急いで!!」
「ふゥん、そっち側にまだ人員がいたなんて……ま、じゃ~~順番に行こうかしらん!!」
 
 次の瞬間、Mr.2の腕が伸びてくる。目標はアマヤの顔。コピー能力を発動するための、例の接触だ。
 アマヤは即座に動いた。わずかな体重移動で、指先を回避する。読み切ったような動きに、Mr.2が舌打ちを漏らす。何度も顔面を狙われ、フェイントのように蹴りも飛んでくる。数発は体に受けざるを得なかったが、その厄介な能力の発動条件である平手だけは、絶対に触れさせなかった。
 距離の取り方、重心の移し方、反応速度。そのすべてを総動員して、相手の意図を読み続ける。
 
 徐々にMr.2の表情が変わっていくのが分かる。
 
「あんた、なァ~んであちしの能力知ってんの!? ……って、そりゃ麦わらの一味に教えたのはあちしか! 冗談じゃなーーいわよう!!」
「……う」
 
 返せない。Mr.2を完全に『嫌い』になりきれない理由が、アマヤの中にあったからだ。この先の彼を知っている。だから、今のこの彼に、ほんの少しだけ情が湧いてしまう。それが、瞬きにも満たない時間の迷いを生んだ。
 
「隙ありっっ!!」
「あっ、ダメ!! ──うそ、速すぎる、どうなってるの身体能力」
 
 感嘆が漏れた。予想を超える俊敏さである。ふざけた言動に隠れているが、Mr.2は確かに強敵だ。
 彼の走りはもはや人間のものではなかった。Mr.2の脚は、まるで風のように地面を蹴っていた。筋肉のしなり、瞬発力、そして持続力――どれをとっても尋常ではない。信じられない速さだった。あのカルガモ部隊に、陸路で追いつこうとしている。
 
「な~~んか知んないけど結構やるじゃなーい!? でも、あちしのミッションはビビ王女! これ以上かまってられないてーーの!!」
 
 Mr.2は方向を変え、まっすぐビビの後を追い始める。アマヤは息を整えながら、乱戦の名残で道の端に取り残されていた一頭の馬に近づいた。手綱は垂れ下がり、乗り手を失って所在なさげに砂を踏んでいた。
 軽く目を合わせ、アマヤは馬の横腹に手をかけて軽やかに飛び乗った。彼には鞍も鐙もいらない。結局裸馬が一番馴染み深いのだ。
 
「足、借りるね」
 
 彼の一族は、草原の民だった。自然と共に暮らし、馬を駆り、星を読んでその夜の営みを決める。家は空と地を行き来するものであり、定まることのない風の中に在るものだった。馬は、家族であり、道であり、誇りだった。彼の身のこなしには、長い歴史が染み込んでいる。静かに馬体を傾け、拍車もかけずに速度を上げる。
 Mr.2が壁を垂直に駆け上がるのが視界の端に映った。だがアマヤは別の道を選ぶ。蹄の音を響かせながら、馬とともに階段を駆け上がる。段差を跳ねるたびに身体が揺れるが、バランスは崩れない。
 あっという間にビビを追うMr.2、Mr.2を追うアマヤの構図が仕上がる。入り組んだ街中を駆けているので、アマヤと騎馬は十全な能力を発揮できなかった。付かず離れず、決着のつかない追いかけっこが繰り広げられた。
 
「僕と戦ってよ!」
「やーーよ!! なんかあちしたちキャラ被ってるじゃない!? ケリつかない! 冗談じゃなーーいわよう!!」
「それは! 絶対に! ない!!」
 
 事態が逼迫した、そのときだった。通路の先、ちょうどMr.2が駆け抜けようとした角の向こうから、すっと影が差した。ひとりの男が、煙草をくわえて現れた。脚を地に構え、片手はポケット、もう片方の足を、静かに前へと踏み出す。ビビを追う大男(?)はさらに邪魔が現れたことに苛立ちを隠さない様子だ。
 
「またなのう!? ジャマすんじゃないわよーーう!! 誰!? あんた誰!?」
 
 アマヤは思わず、安堵の息を漏らした。
 一対一で向かい合うならともかく、逃げるビビを守りながら、その後を追う敵と応戦し続けるのは、さすがに限界が近かった。なにより、Mr.2の独特なテンションとコミュニケーションに、すっかり気力を削がれていた。
 
「よかった……! もう僕じゃテンションについていけないとこだった!」
「お前と似たようなもんじゃねェか」
「本当絶対一生許さないからね」
 
 ここが戦場でなければ、過去一番の大喧嘩が始まっていたところだ。しかし、アマヤは大人なので、そこはぐっと堪えた。深呼吸ひとつ、感情を流すように。
 
「僕は引き続きビビさんの護衛するから、サンジくんはせいぜいオカマと戯れてれば!」
 
 カルーは壁を乗り越えた大立ち回りでもはや虫の息である。勇敢を振り絞った彼はひとまず仲間に任せることにして、ビビは単身、宮殿へ向かう。その彼女に並走し、アマヤは彼女の体を軽々と引き上げ、馬の後部に乗せた。馬の腹を蹴って、すぐさま走り出す。
 
 王都が目前に迫る。宮殿は見えている。だが、街全体に漂う空気は、もう引き返せない何かに満ちていた。
 
「ありがとう、アマヤくん、ここでいいわ」
「……どうしよう、ついて行ったほうがいい? それとも、既に始まってる戦いを少しでも沈めてきたほうがいい?」
「じゃあ、二つ目の方を頼もうかしら。宮殿の方は私に任せて」
「分かった。……無理しちゃダメだよ」
 
 クロコダイルを見たら、ロビンを見たら、磔にされている彼女の父親を見たら、何かせずにはいられなくなるだろう。だから、この辺が引き際だとアマヤは直感していた。あとは目立たず、騒がず、自分のできることを成せばいいのだ。例えば、いきりたった双方の兵を気付かれないように昏倒させるとか。それぞれの戦闘で傷ついた仲間の応急手当てをするとか。
 
 市街地の騒ぎをすり抜けながら、アマヤは目を凝らした。どこかに、自分にしかできることがあるはずだ。いくつかの角を曲がったあと、見慣れた、そして見たことがないほどに傷ついたナミを見つける。思わずアマヤは悲鳴じみた呼び声をあげた。
 
「ナミさん!!」
「アマヤ! ……いいもの乗ってるわね」
「ああ、こんなに」
「うん、でも、一人仕留めたわ」
 
 満身創痍ながらすっきりとした笑顔の彼女は美しかったけれど、それでも流れた血がなかったことにはならない。とはいえ、本人が無言の否定をしてくるので、アマヤはその無茶には言及しないことにした。
 
 ナミが目をつけた彼の馬は、ひどく息を荒げていた。走り通しの疲労が全身に出ている。それでも、アマヤの合図ひとつで、ぴたりと足を止めて待っているところが忠実だった。
 
 馬と心を通わせ、信頼させ、手足のように扱う技術は健在である。遊牧の民として育った日々の名残が、確かに今でも生きていることに、アマヤは小さく安堵した。
 静かに馬から降りると、アマヤはナミの側へ寄り、その体をそっと抱えて馬上へと持ち上げる。そして、傷ついた足に目を留めると、丁寧にその足首を持ち上げ、恭しくいただくような仕草で包帯を手に取った。
 
「はい、もちろん使って。足、怪我してるんでしょ。包帯巻かないと」
 
 声色は穏やかで、飾り気のない優しさだった。ナミはその紳士な態度に、ふっと肩の力を抜いた。
 
「……この辺にゾロもいるはずなの」
 
 最初はナミとゾロのペアだった。ナミの視線があたりを彷徨い、相方の姿を探す。
 
「探すよ。ナミさんは馬に乗っててくれる? ……きっとゾロくんも酷い怪我だろうね」
「大丈夫よ、殺しても死なないんだから」
「……ふふ」
「それでも、見てるだけで痛いんだったわね」
 
 ナミの声色には、どこか不安が滲んでいた。相手が強敵だったことを理解している。つまり、あのゾロですら無傷というわけにはいかないだろう。アマヤにその姿を見せてしまうことへのためらいがあった。
 
「……いた」
 
 崩れかけた壁の陰に、大の字になって倒れ込んでいる男の姿。予想通りのひどい形だ。覚悟はしていたものの、それでも、実際に見るとアマヤは息を詰まらせた。慌ててそこへ駆け寄り、彼の身体中の点検をする。
 
「見事に傷だらけ。縫うのは本業に任せたほうがいいだろうけど、止血はしておこうか」
「……あァ?」
 
 低く唸るような声だった。ゾロの視線がこちらを向いた瞬間、アマヤは内心でびくりと震えた。まだ戦いの気配が抜けていない。静かに、しかし確かに、剣士の殺気がその場に残っていた。
 アマヤは慌てて手を上げる。左腕の包帯を示し、そっと上から例の印をなぞるように撫でてみせる。
 
「っ、ほ、本物です。ビビさんの護衛の任を解かれたので、えっと」
 
 ゾロはそこにいるのが自分の船の占い師だということを認知すると、ようやく殺気だった気配を収める。
 
「悪いが血が足りねェ」
「見たらわかるよ。あっちに馬を繋いでるから、とりあえず合流しよう」
 
 手早く包帯を取り出し、傷口を締めた。余計な言葉は要らない。今は止血が最優先だ。アマヤの指は震えていなかったけれど、包帯を締める力は自然と強くなる。
 
「……戦況は」
 
 ゾロがぽつりと問う。その声に、アマヤは少しだけ顔を上げる。
 
「よくないね。幹部一同はみんなのおかげで沈黙したけど、兵たちが収まらない」
 
 それでも、アマヤの声には悲観の色がなかった。何しろ彼はこの国の夜明けを何度も何度も反芻している。最後には自分の船長が全てを解決してくれると知っているのだ。
 
「大丈夫。ルフィくんがきっとなんとかしてくれる。僕らは僕らでできることをしよう」
「お前のそのルフィ信仰……いや、なんでもねェ」
 
 ゾロは少し口を歪めた。盲目的な信頼に突っ込みかけて、やめる。それがどこから来るのか、さっぱりわからないが、否定することもできない確かに、自分もルフィのことは信じているからだ。しかし、この少年の信じ方は、自分のものとは少し違う気がした。
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