〜アラバスタまで

 季節外れ──いや、ことこの“偉大なる航路”においては季節外れという言葉すら不適切かもしれない──の風が、船の舷側をなぞるように吹き抜けた。ドラムの雪を振り返る間も惜しむように、麦わらの一味は医者という心強い仲間を得て、アラバスタへの航路を滑っていた。
 
「とにかくしっかり締めとけ。今回の相手は謎が多すぎる」
「これを確認すれば仲間を疑わずに済むわね」
 
 危険な能力への対策はシンプルだが効果的なものだった。アマヤは自分の処置を器用に済ませると、隣のサンジの分へと手を伸ばす。完全に善意で手伝ってやろうとしただけだったのだが、その手は面倒くさそうに跳ね除けられた。しぶしぶ、その後ろで順番待ちをしていたカルガモの手伝いへと移ることにする。落ち着かない気分で、何かをしていないと不安に飲まれそうだったのだ。
 
「そんなに似ちまうのか? その……マネマネの実で変身されちまうと」
「そりゃもう”似る”なんて問題じゃねェ。”同じ”なんだ。おしいなー、お前、見るべきだったぜ」
「おれァオカマにゃ興味ねェんだ」
「そりゃ心ゆくまで知ってるけどよ」
「なんで僕を見るのっ、僕は男! オカマじゃないよ~」
 
 握りしめた両手を肩の高さで小さく振る。とり立てて女性の心をもっているつもりもないアマヤにしてみれば、同一視されるのは心外である。
 
「しかし、船員全員を知られた訳じゃないってのも幸運だ」
 
 ゾロの笑みには鋭さが宿り、疑いを手放さない彼らしさが滲み出ていた。
 
「僕らが厨房に引きこもってたから?」
「ああ、ありゃ持ち帰って内部で情報共有されると見ていい」
 
 それは予測というより、確信のようだった。とはいえ、敵はまだ自分たちのすべてを把握しておらず、Mr.2がこの船で過ごしたひとときを、どのように解釈したかも定かではない。
 
「ウィスキーピークとリトルガーデンでもお前らのツラは割れてねェからな。潜入するにはもってこいってことだ」
「……うん、僕、そういうの得意」
 
 アマヤは頷きながら、自分にできることを静かに思い浮かべていた。気配を消す、足音を立てない、違和感なく紛れ込む。風のように動き、誰にも見咎められずに任務を終える。そういう技術なら、幼い頃から身体に叩き込まれている。
 もちろん、憧れの対象であるこの物語を壊すようなことはしたくないが、それはそれとして今この場に存在している大切な人々を苦しませるのも耐えられない。
 
「いざという時は、僕が」
 
 静かにそう呟くと、アマヤは服の内側に手を添えた。生地の下に仕込んだ細い暗器の感触が、指先に伝わる。争いは好まないけれど、必要なら迷わない。
 
「なあ、おれは何をすればいいんだ!?」
「できることをやればいい。それ以上はやる必要ねェ」
 
 チョッパーの声は焦りで揺れていたが、それを受け止めたウソップの言葉には、不思議と落ち着きがあった。自分に言い聞かせているのだと、アマヤにはすぐにわかった。けれどその言葉は、思いがけず、まっすぐ自分の胸に飛び込んでくる。彼の言葉はいつだって等身大で心によく浸透するのだ。
 
「僕にできること。……ちょっとしかないけど、力を尽くすよ」
「まーたアマヤお前自分を過小評価しやがって。そうだな、おれが援護するから前線に出てってもいいんだぞ!」
「分かった。ウソップくんと組むことになったらそうするね」
「……もしかしておれの絵面が酷いことにならねェか?」
 
 可憐な少女(男)に前線を張らせる自分を想像し、ウソップが少し顔を引き攣らせる。その構図は、ウソップの誇りに少しだけ悲鳴を上げさせる。アマヤは何も言わず、ただ目を細めて笑った。
 
「よし! とにかくこれから何が起こっても、左腕のこれが仲間の印だ」
 
 アマヤも視線を落とし、自分の左腕に巻かれた包帯を見つめる。 それはただの包帯だった。色も形も特別ではない。けれど、知っていた。この先、あの戦いとその後の物語のなかで、この布がどれほどの意味を持って語り継がれるのかを。
 画面と涙ごしに見たあれが、自分の腕に巻かれているという事実が、信じられないほど重かった。
 
***
 
 最初は遠慮と警戒ばかりだった船上の生活にも、やっと馴染めてきた気がしていた。笑い声の輪の中に自然といることができて、名前を呼ばれることにも、肩を叩かれることにも、驚かなくなってきた。そんな矢先だった。
 
「とにかく強ェんだ、エースは!!」
 
 その名が放たれた瞬間、胸の奥がきゅっと縮まる。アマヤは呼吸を止めた。いや、止めたのではない。止まってしまった。喉に張りつくような冷たい空気の中で、声も出せずに目を伏せた。
 
 思わず、あの展開を頭の中で再生する。どんな流れだったか、このあと、何が起きるのか。どこに彼がいて、どこに向かうのか。全部知っていた。それこそあの悲しいも美しい結末まで。
 今ここで、何か手を打てば、救える命があるのかもしれない。けれど、失敗すれば、もっと取り返しのつかない未来を呼び込むかもしれない。知っているということは、選ばなければならないということだ。アマヤはどんよりとした気分に包まれる。
 
「お前が、誰に勝てるって?」
 
 低く、けれどよく通る声がした。空気が変わった。一味はその声の主へと一斉に振り向き、次の瞬間には、視線と笑いが彼へと集まっていく。
 アマヤは、息をひそめた。直感が働くより早く、身体が静かに後ずさる。仲間たちが和やかに彼、エースを囲む中で、アマヤだけは輪からそっと離れた。誰にも気づかれぬよう、目立たぬように。そして、その花のかんばせに悲哀を浮かべざるを得ないのだった。
 たとえ彼の優しさに触れたとしても、たとえ助けられる手段があったとしても。そこに手を伸ばすことは、自分の持っている未来を乱すことに繋がる。救いたい。でも、その一手が引き起こす連鎖が、誰をどう変えてしまうか、アマヤには想像がつかない。
 口には出さず、何十回も、何百回も謝罪する。その決断をすること自体が、何よりも苦しかった。ほんの少しでも何かを変えられるなら、といつも願っていたのに。願いだけでは、何もできない。
 
「できの悪い弟を持つと……、兄貴は心配なんだ」
 
 エースは笑っていた。強くて、朗らかで、少しだけ頼りない弟を心の底から大事に思っているのが、言葉の端々に滲んでいた。しかし、同時に 自分がどうなってもいい、という諦めが、その奥に確かにあった。
 
「おめェらもコイツにゃ手ェ焼くだろうが、よろしく頼むよ……」
 
 背を向ける直前、彼は仲間に託すようにそう言って笑った。残された船員たちは口々に騒ぐ。
 
「ウソよ、ウソ……! あんな常識ある人が、ルフィのお兄さんな訳ないわ!!」
「おれはてっきりルフィにワをかけた身勝手野郎かと」
「わからねェもんだな……、海って不思議だ」
 
 ルフィはというと、それらのセリフに全く動じていないようだった。むしろ嬉しそうに、無邪気にエースの背に向けて手を振っている。
 アマヤはそっと目を閉じた。浮かんだのは、ウソップができることをやればいい、と宣言していたことだった。今の自分にできること。それは、誰かの運命を根こそぎ変えるような真似ではなく、せめて物語が大きく狂わないように、ただ少しだけ、誰かの痛みを引き受けることだ。
 それが自分にできる、たった一つの役割だと思った。望みすぎず、踏み込みすぎず、けれど背を向けないように。
 
***
 
 ユバの砂を越え、ついにたどり着いたレインベースは不愉快なほどに富が集まっている。敵地を目前にした仲間たちは、自然と散り散りになっていた。はぐれたのではなく、それぞれが、それぞれの判断で動いていたのだ。それが転じて、現在は一方の仲間が虜囚に、アマヤを含むもう一方が彼らの救出を目論む結果になっていた。
 
 アマヤとサンジは、カジノ周辺の哨戒兵、ミリオンズを次々に制圧していた。迷いはなかった。むしろ、アマヤの動きにはすでに余裕すら感じられた。多対一の戦いに、身体が慣れてきていたのだ。力でねじ伏せるのではなく、動きを封じ、戦意を削ぐ。砂塵のなかで影がすり抜けるように、アマヤは静かに戦うことができた。
 
 冷静さを欠いていたのはむしろ相方の方である。一通りの制圧を済ませた後、サンジはアマヤの説明に激昂していた。
 
「じゃあお前ビビちゃんを一人で行かせたってのか!!」
 
 アマヤは思わず両手で耳をふさいだ。
 
「もう、大きい声出さないでよ。顔バレしてないアドバンテージっていうカードをあっさり切るのはどうかと思ったの」
「だってそこにいンだろうが! クロコダイル!!」
「ルフィくんたちだっているんだよ。……捕まってるけど」
「な! ん! で! それを把握しておいてお前はのこのことここに戻ってきてんだ!!」
 
 言葉のたたみかけに、アマヤはまっすぐ視線を返した。どこか冷たくさえ見えるその目は、口を開かずとも「怒鳴らないで」と言っていた。サンジの手が、反射的にアマヤの服を掴む。咄嗟の行動だった。感情が先に動いていた。隣に控えているチョッパーがおろおろと両手を彷徨わせる。
 けれどアマヤもまた、彼自身の言動ほど落ち着いている訳でもない。ルフィもゾロも、ナミも、ウソップも、みんな捕まっている。ビビは孤軍奮闘状態だ。できるだけ早く助けに行きたい。今すぐにでも駆け出したい。指先が震えるほど焦っていた。
 
「あのね、よく知ってると思うけど、僕は絶対の安全策が好みなんだ」
 
 アマヤの声は穏やかだったが、そこに迷いはなかった。確かに今の状況は緊迫している。けれど、ビビが“ここで死ぬ”ことはない。そこだけは、原作の記憶に照らして確信があった。むしろ、本当に危ないのはこのあとだ。命がけで国を守ろうとするビビの姿を、アマヤは知っていた。だからこそ、今ここで慌てて飛び込んで、計画を狂わせるわけにはいかなかった。
 
「サンジくんとチョッパーくんと合流して、この周りの露を払って、それで囚われチームごとビビさんを助けるのが僕の作戦。異論は?」
「……ねェな」
 
 サンジはしばし黙っていたが、素直に頷いた。彼なりに感情は納めたらしい。
 
「じゃ、これが子電伝虫。……何するか、わかるよね?」
 
 アマヤが差し出したそれを、サンジは眉をしかめつつ受け取った。サンジは何度か指先でもたつきながらも、強引に呼び出しをかける。ひとまず敵方一番の戦力をその場から引き離さなくてはならない。
 
「え~~、こちら、クソレストラン」
 
 間の抜けた呼び出し文句とは裏腹に、声のトーンはしっかり煽っていた。通信先がクロコダイル本人だと知っていながら、殊更その感情を逆撫でるように言葉を繋いでいく。
 
「はは……、そばにいるみてェだな、ウチの船員達は……」
 
 サンジが口元を緩めながら、ちらとアマヤに目をやる。確認でもあり、合図でもあるような視線だった。アマヤはにっこり笑って、応えた。少しだけ楽しんでいるような、そんな笑みだった。
 
「──じゃあこれからおれは」
 
 アマヤはひとつ深く息を吸い込むと、近くに倒れていたミリオンズの銃を拾い上げ、ためらいなく空へ向けて引き金を引いた。乾いた銃声がレインベースの通りに響き渡る。遠くまでよく通る音だった。
 チョッパーが跳ねるように驚く。思わず頭を抱えるその様子に、アマヤは小さく肩をすくめた。タイミングを見計らって、サンジが無言で子電伝虫を差し出す。アマヤは頷いてそれを受け取り、口元を手で軽く押さえ、咳払いをする。声を切り替えるためだった。
 
「ハァ……ハァ……、てこずらせやがって……」
 
 アマヤはチョッパーにウインクする。これは演技だから安心するように、と指示を込めてある。
 掠れた低音が紡がれる。普段のアマヤとはまるで違う声だった。声変わりは終わっていても、高音域が得意で、無理に低く出そうとすれば自然と掠れる。けれど今は、それが逆に都合よかった。
 
「もしもし!? 捕らえました……、この妙な男をどうしましょう」
『……そこはどこだ? 場所を言え……』
「ええ、レインベースにある”レイン・ディナーズ”というカジノの正面門です……」
 
 数秒の間があって、通信はぷつりと切れた。電伝虫のまぶたが閉じ、沈黙が戻る。
 
「大した演技力だよ」
「へへ、任せて」
 
 チョッパーはまだぽかんとしていた。大人しくて、控えめで、おっとりした人だとばかり思っていたアマヤが、まさかあんな大胆な手を使うとは思っていなかったらしい。その小さな体が微かに揺れている。サンジはそんな様子を横目に、ニヤッと口角を上げた。こちらに驚いたようすはまったくない。むしろ面白がっているようだった。
 
「さて、チョッパーくん、どっちがいい?」
「え……どっちって」
 
 アマヤは問いかけながら、チョッパーの目線に合わせてしゃがみ込んだ。背を丸め、小さな彼の視界にすっと入り込む。その顔は穏やかで、けれどどこまでも真剣だった。彼に危険を押し付けたくはないが、それでも彼がこのあと無事に逃げ切れることも、アマヤは知っている。
 
「この後、おれがMr.プリンスだよーって叫びながら撹乱する役。僕とチョッパーくんのどっちかでやろうね。おすすめはチョッパーくんかなあ」
「なんで!?」
「今から乗り込むところは地下になってて、大きな水槽に囲まれてる。あそこで暴れるとなると水中戦も覚悟しないといけないかなって。チョッパーくんは能力者でしょ」
 
 ごく当たり前のことのように言った。けれど、その説明は簡潔で的確だった。チョッパーの表情がぱっと明るくなる。目が大きく開き、そこに尊敬の色が浮かんだ。
 
「……アマヤ、すごいな! 分かった! おれ、走り回ってくるよ! 追い詰められたらトナカイになればいいしさ!」
「うん、頼もしいっ」
 
 アマヤはその返事に満足そうに頷いた。作戦は整った。すべきことも、それぞれの役割もはっきりした。
 
「じゃあプリンセスたちを助けに行こっか」
「おい待てそこに野郎も含まれてないか?」
 
 自分が為す「プリンセス」とは違うメンツも含まれていることを敏感に察知し、サンジが下唇を突き出す。けれどアマヤはきょとんとした顔を返した。彼にとっては、性別なんてあまり意味を持たない。あの場所に捕らえられているのは、どの人も大切な存在で、守るべき“姫君”なのだった。人数的には男の方が多かったとしても。
8/9ページ
スキ