〜アラバスタまで

 昼下がりの甲板には、柔らかな陽が差していた。風は穏やかで、帆の布もときおりほのかな音を立てるだけである。後方甲板には、簡素な丸テーブルと折りたたみ椅子が持ち出され、そこにナミとビビ、そしてアマヤが腰掛けていた。
 
 アマヤは、話し上手であると同時に、聞き上手でもあった。自らの話題で笑わせるというより、相手の言葉を引き出し、そこにさらりと興味と共感を添えることで、場を自然と明るくしてしまう。そうしているうちに、話はいつしか尽きることなく転がり、軽快な笑いが絶えず生まれていた。
 
 ナミが珍しい香りの紅茶について語り、ビビがアラバスタの朝市の果物事情を語る。アマヤはそれを受けながら、時に少し大袈裟なまでの相槌を打ち、ふわりと微笑みを浮かべる。
 
 そんな中、不意に背後から衝撃が走った。
 
「てめえ麗しき花園に堂々と座してんじゃねェぞオラ」
「あいた」
 
 痛み、というより驚きの方が強かったものの、自分にこんな狼藉を働く人間は一人だけである。肩が跳ね、アマヤは前方へつんのめるようにしてテーブルに手をついた。予想通りそこには盆を片手に持ったサンジが立っており、少し眉を寄せたまま、苛立たしげな視線を向けている。まるで『本来その席に座っていたいのはこっちだ』とでも言いたげだった。
 せっかくの穏やかな時間を、しかも暴力で邪魔されたという事実に、アマヤは腹立たしさを覚えた。思わず立ち上がって下手人を非難する。
 
「野蛮人っ」
 
 立ち上がるや否や、怒りに任せてサンジへ襲いかかる。当然、サンジはさっと上体を傾けて、それをひょいとかわすのだった。
 一方、ナミはというと、胡乱げな表情でサンジを見ていた。
 
「ちょっとサンジくん、私たちアマヤと話してたんだから」
「はァいナミさんご無礼をお許しください♡♡」
 
 くるりと一回転して、片膝をつくような勢いでテーブルに皿を置く。その上には、薄くスライスされた林檎が薔薇のように巻かれ、つややかな蜜の光を纏っていた。
 
「さ、おれからのル・グテの差し入れです……、本日はコンポット・ドゥ・ポムをお二人のような美しい薔薇に見立てて飾り切りにしてみました……♡」
「わ、可愛い」
「器用ね、サンジさん」
 
 ナミとビビは声を揃えて微笑み合い、花のようなデザートに目を細める。
 
 その様子を見ながら、アマヤは片手を頬に添えて、くすりと笑った。わざと小難しい言い回しをするところも、仰々しい仕草も、見慣れたを通り越して見飽きたものだ。
 
「光栄ですプリンセス方♡ 請われるならばありとあらゆる食材を造花にして見せましょう……! もちろん、お二人よりも美しい花はこの世には存在しませんが──」
 
 カトラリーと紅茶が品よく添えられ、そしてデザートの舞台は完璧に整ったのだった。
 
 次いで木の器が宙を舞い、アマヤの方へ投げられる。飛んできたそれを、アマヤは両手で器用に受け取った。
 
「おめーのはただのコンポートだ」
 
 中には、ざっくりと大きめに煮込まれたリンゴが、照りのあるシロップにひたって鎮座していた。飾りはないが、その分だけ量も厚みもたっぷりだった。アマヤは、ぱっと顔を輝かせる。
 
「わーい、これがっつり食べれて好き」
「おらよ」
「シナモンまみれ! 分かってるね~!」
 
 にこにこしながら受け取るアマヤの器に、サンジが仕上げとばかりに粉シナモンをバサバサとふりかけた。たちまち香ばしい甘みの香りが立ちのぼり、アマヤは幸せそうに息を吸い込む。
 
「サンジくんはもう食べたの?」
 
 器を手に、立ったまま、アマヤはさっそくフォークを手に取り、くたりと煮崩れたリンゴをひと口大に切り分けた。蜜の照りがきらりと光る。口に運ぶと、ほんのり温かく、ほどよく残った果肉の食感と、シナモンの香りが広がっていく。
 
「いや、煮込んだのはそれで終わりだ。おれは戻ってそのまま齧るかな。ちっとボケはじめてんだ、消費しねェと」
 
 既に次の仕込みへと向かうつもりだったのか、背中を向けかけていたサンジがそう答える。
 
「え! じゃあ甘いの食べれないってこと! 半分こしようよ」
 
 当然、味見くらいはしているだろう。けれど、ここでこうして、船の上で海風に吹かれながら食べることにも意味がある。アマヤはそう思っていた。美味しさというものは、隣に誰がいるか、どんな景色の中で味わうかも重要なのだ。それが、舌の記憶に残るある種の香辛料になる。
 アマヤは後方甲板から立ち去ろうとしていたサンジを追いかけ、二人で柵に寄りかかりながらおやつを消費し始める。用意されていたフォークはアマヤの分だけだったため、時折彼は隣の料理人に本人の作品を食べさせた。
 
 後方甲板の柵に寄りかかりながら、器を手にして過ごす二人は大層仲睦まじく見えた。とりとめないやりとりの合間に、器を差し出す仕草や、ふいに小突き合う様子は、第三者の目にはずいぶんと親しげに映るのだ。
 
 ビビは紅茶の湯気越しにその光景をじっと見つめ、それからそっと身を寄せるようにしてナミに囁いた。
 
「えっと、ナミさん、あまり俗っぽい勘繰りはしたくないんだけど、一応確認させてね」
 
 その一言を聞いたナミは、ビビの思考の行く先をすぐに察したようだった。視線を後方へ流しながら、言葉を遮るように短く言い切る。
 
「違うわよ」
「あの二人って──ああ、そう」
「ま、人の心なんて直接見れるもんじゃないんだから? あいつらは基本的に否定するけど、実際どうなのかは分かんないわよ」
「……まあ!」
 
 けれど否定しきる様子ではなく、ナミの声には含みが残っていた。紅茶のカップを指先でゆっくりと回しながら、ナミはわずかに唇の端を持ち上げる。それはイタズラを仕掛けるときの顔だった。
 ビビは反射的に両手を口元に当てた。目を丸くし、顔に血液が集まっているのが見てとれる。
 
 そのやりとりは風に乗って、しっかりと後方に届いていた。
 
「ちょっとー、聞こえてるよー! やめてくださいホントそれは」
「──!! ──!!!」
 
 二人の噂話はアマヤの笑顔を引き攣らせ、サンジはまるで見えない矢を胸に食らったかのように震え、肩を落とす。言葉にならない反応に、彼の内心の激震が透けて見えるようだった。冗談の一種だとはわかっていても、ビビがそれを真に受けているところがダメージが大きい要因だ。
 ふたりは互いに、自分がこの残念な男の『兄』であるとばかりに接しているだけなのだ。だからこそ、親切や気遣いも、好意ではなく施しとして行われる。困っていれば手を貸し、寒ければ何かを着せ、食べていなければ皿を差し出す。そういう種類の関係だった。ところが、それを知らないものからすればそこに特別な感情があるように見えるのは仕方がない。哀れなことに。
 
「……アマヤくんって、明らかにサンジさんにだけ態度が違うから」
「そうかな?」
「なんて言ったらいいのかしら、サンジさんと喋ってる時は──」
 
 アマヤは器を手にしたまま軽く首を傾げると、煮リンゴの残りをサンジに押しつけるようにして返す。そして、そのまま軽い足取りでテーブルへと戻ってくる。席に着く頃には、ビビがしばらくの沈黙を経て、ふと何かに気づいたように顔を明るくした。人差し指をぴんと立て、視線をナミに戻す。
 
「うん、そう、男の子に見えるのよ!」
「……あらら?」
 
 その言葉に、アマヤはほんのわずか眉を動かした。口元は微笑んでいるものの、それ以外には疑問符が浮かんでいる。
 アマヤは、自分が美少女のように見えることを理解しているし、それを時に利用することもある。見知らぬ人間にそう認識されるのは、ある意味計画通りだ。
 けれど、身近な相手、特に信頼している人たちには、できれば、もう少し違った印象を持っていてほしいと思っていた。守るべき対象としてではなく、時には頼れる仲間として。それが、ごく限られた場面においてのみ男の子らしいと評されるのは、そこはかとなく複雑なのだった。
 
 ナミは一瞬目を丸くして、まるで盲点を突かれたかのように口を丸くする。どちらかといえば“可愛い”や“華奢”といった形容で括ってきたアマヤの、別の側面を言語化されたような感覚に、不意を突かれた様子だった。
 
「確かに、言われてみればそうね。やんちゃな雰囲気が出るからかしら」
「きっとアマヤさん、優しいから、私たち相手には紳士に振る舞ってくれているのよね。……それがとっても可愛らしく見えるのだけど、サンジさんといると素が出てるんだわ、きっと」
「ね、仲良すぎて妬けちゃうわ」
 
 その言葉に、サンジは体をくねらせながら、風を切るようにしてテーブルに駆け寄る。
 
「んな! な! ナミさん!♡ ど、どっちに?」
「サンジくんに♡」
 
 その一言で、サンジの表情はがくりと崩れた。どうにもこのいたずら好きのレディはアマヤに好印象を抱いているようなのだ。
 一瞬天にも昇りかけた心が一気に冷や水をかけられたかのような、まさに地獄への転落だった。サンジは言葉もなくその場にうずくまりかけ、アマヤは肩をすくめながら小さく呟く。
 
「ナミさん……、あんまり揶揄わないで……」
「ふうん? 深掘りされたくないわけでも?」
「あのねえ、ナミさんだって本当はノジコさんと──つまりお姉さんとただならぬ仲じゃないかって邪推されたら困るでしょ」
「──あ~……」
 
 この話題を引きずるのは危険だと判断したアマヤは、ナミへ向かって小さく手をあげる。彼の論理的な嗜めに、ナミは返す言葉もなくいくつか頷いた。
 
「あら、ナミさん、お姉さんがいるの?」
 
 ビビが、空気を和らげるように口を開いた。ナミは体を揺らして姿勢を正すと、どこか照れたように笑みを浮かべる。
 
「そおよ~、世話焼きでお節介で、……大好きな家族がね」
 
 話題は一旦ナミの家族へ向くかと思われた。四方山話は話題が飛躍することすら楽しむのがコツだ。しかし。
 
「ふふ! 今のナミさん、サンジさんといるときのアマヤくんにそっくりの顔してたわ!」
 
 そう口にしたビビの目には、からかいよりも、どこか温かな理解がにじんでいた。
 
 ビビには血のつながった兄弟はいない。けれど同じように気を使わなくっても良い相手、皮肉や軽口を交わせたり、感情をぶつけ合ったり、時に戯れあったり、それらを安心してできる相手の存在が尊いことは十分わかっている、この船の人々は互いにそうしているように見えたし、おっとりとして控えめなアマヤもサンジにはそのように振る舞う。
 それに加えてナミには遠く離れた故郷にだってそういう相手がいるということ。それらは、ビビにとってとても素敵なことのように思えた。
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