〜アラバスタまで


 その街に近づくにつれ、潮風に乗って騒がしさが増していく。甲高い歓声と、幾つもの足音、鉄器が擦れる音のざわめきが混ざり合って波のように押し寄せては、船体を震わせ、薄皮一枚隔てた倉庫の壁にも微かに響いていた。
 
 けれどアマヤは、相変わらず船内の影にひっそりと身を潜めていた。甲板に姿を見せることもなく、遠くのざわめきをまるで他人事のように聞いている。ナミはどうしてもその引きこもりを放置できなかったらしく、倉庫の隅に潜むアマヤを再び追い詰めていた。暗がりに馴染んだ倉庫の奥、積まれた麻袋の影で、二人は声を潜める。
 
「じゃあ、やっぱり出てこないってこと? 怪しいは怪しいけど、歓迎してくれてんのよ?」
「……船を空にするのは良くないんじゃないかな。この街の全員が善良とは限らない場合は、特に」
「んー、……まあそうね。それを否定はしない」
「僕が残るよ。……ね、僕がいることも伏せておいて、うまく言っといてね」
 
 両手を合わせて小首を傾げてみせるこの男は、どうしてだか船に乗ってからこちら引っ込み思案だ。一度会っただけの自分のために対魚人への助力を申し出た豪胆さはどこへ行ってしまったのか、とナミは腰に手を当てる。
 
「アマヤ、あんた──」
 
 何かを問いかけかけた彼女は、しかし、次の瞬間には肩をすくめ、言葉を飲み込む。
 思うところがないわけではなかったのだろう。だが、彼女はこの倉庫の物資が気にならないわけでもない。タダではないのだから。それの見張りのためにわざわざ船に残ると言い出した者を追い立てる必要があるかどうか、冷静に天秤にかけた結果だった。
 
「ま、いっか。あんたなら多少のごろつきがなんかしにきても返り討ちでしょ」
 
 さらりと、しかし信頼をにじませた言葉である。どうやらローグタウンでの立ち回りが、ひとつの実績として認められたらしい。

 そうして、アマヤはめでたく『船番』に任命された。もちろん名目上は自主的な申し出という形で。だが本当のところを言えば、それはアマヤが物語への関与について迷いに迷った末の落とし所のようなものなのだった。
 実際に旅に同行するまではウィスキーピークでは誰々をサポートして、リトルガーデンでは誰々と行動を共にして、と計画・夢想に余念がなかったアマヤは、しかしこの現実に直面して迷ってばかりだ。アーロンパークではウソップの援護射撃という出番を一つ奪ってしまった。この先自分が彼らへ与えるものより、奪うものが多かったらどうしよう、とぐるぐる思考を吐息と共に周囲へ漂わせるのだった。

***
 
 ウイスキーピークでは、嵐のように駆け抜けていった事件のすぐそばにいながら、アマヤはそのほとんどに関与せず、ただ静かに、成り行きを見守るのみだった。けれど、そうした立ち位置にも終わりは訪れる。
 いくつかの物音がした後、一味の帰還で軽く船が揺れる。おや、と思った次の瞬間には出航準備を手伝うように声がかけられた。アマヤは小さく瞬き、次いで、あたかも最初からそれを待っていたかのようにいそいそと身を起こし、指定された帆綱を指示通りに運ぶのだった。肉体労働は少なくともその瞬間、役に立てている気がして悪くない。
 
「何であんたがこんな所にいるの!? ミス・オールサンデー!」
 
 悲鳴のような叫びが、船内を揺るがすほどに響いた。空気が裂けたように感じたのは、アマヤだけではないだろう。倉庫の扉の奥にいた彼は、その声を聞いて思わず固まった。末が希望だとしても、現在傷ついている人を見るのは、やはり辛いものがある。
 
「私達はこいつを尾行することで、社長の正体を知った……!」
 
 怒気を孕んだビビの声が船に響く。対する黒髪の美女は余裕綽々の様子である。
 
「正確に言えば、私が尾行させてあげたの」
「何だ、いい奴じゃん」
 
 呑気なルフィに対して、ビビは剣呑な態度を崩さない。あまりの剣幕に結局船中の人間が全員甲板に集うことになった。
 
「あんたの目的は一体何なの!?」
「さァね……、あなた達が真剣だったから、つい協力しちゃったのよ」
 
 現状、彼女は誰の味方でも、完全な敵でもない。それでいて、確かに誰よりも深く、この世界を見つめているような目をしている。
 アマヤは、そんな彼女を見上げて、そんな場面ではないと重々承知していながら、ほんの少しだけ、唇の端を吊り上げてしまった。その笑みは意図したものではなく、どちらかといえば咄嗟にこぼれたものだった。だが、自分の中の「知っている彼女」が、その場にいてくれることが嬉しくて緩んだ口元を慌てて引き締める。なにしろ懸命に生きる彼女の姿は、前世のアマヤにも大きな勇気を与えてくれたものだった。端的にいえば、彼女はアマヤのお気に入りの一人だということだ。とはいえ今ここでそれを出すことは悪手でしかない。
 
 次にロビンは永久指針を示して船員たちを混乱させる。理由のわからない親切を受け取るのは危険だと学んだばかりなのだ。
 途端に、呑気をしていたルフィが顔を顰める。
 
「この船の進路を、お前が決めるなよ!!」
「そう、残念……」
「もうっ!!」
「あいつはちくわのおっさんを爆破したからおれはきらいだ!」
 
 謎に満ちた来訪者が立ち去り、船上には一旦の静寂が落ちた。
 
「あの女……! いったい何考えてるのかさっぱりわからない!」
 
 ビビが、吐き出すように声を上げた。混乱と警戒、そしてわずかな敗北感が滲む口調だった。真っ直ぐすぎる彼女にとって、ああいう“つかみどころのない者”は、最も手強いのだろう。
 
「だったら考えるだけムダね!」
「そういう奴ならこの船にも何人かいるからな」
 
 ぼそりと、ゾロが呟いた。誰にともなく投げられたその言葉とともに その視線がちらりと脇に向けられた。彼が指しているうちの一人はつい先ほど永久指針を粉々にしてみせた船長、それに視線の先にいるアマヤである。かなり強引に船旅に同行したかと思えば、その実船に引きこもってばかりで主体性がない。一貫しないその態度は不審に映っているのだろう。
 
 とはいえ、この一味の中でシリアスな雰囲気は長続きしない。サンジが言葉は荒くも楽しそうに給仕を始め、男性陣はすっかりリラックスモードである。
 
「いいの!? こんなんで!!」
「いいんじゃない? シケでも来たらちゃんと働くわよあいつらだって……、死にたくはないもんね」
 
 そう言って、手にしたグラスを一つ、軽やかにビビへと差し出す。中にはほんのりと冷えた果汁が注がれており、波の音の中に、わずかな氷の音がかすかに響いた。
 
「はい、あんたの」
「それはそうだろうけど、なんか……気が抜けちゃうわ……」
「悩む気も失せるでしょ、こんな船じゃ」
「……ええ、ずいぶん楽……」
「それに、お悩み相談窓口ならうってつけのがいるわよ。あんまり顔出してないけど」
「……?」
 
 にぎやかに盛り上がる男たちの輪から、アマヤはそっと身を引いていた。ああいった勢いのある空気に自ら飛び込めるほどには、まだこの船に慣れきっていない。それよりは女性陣とお喋りに興じている方が彼の性格に合っているのだ。
 
「ずっと船室に引きこもってたやつよ。慣れたらよく喋るから、気が向いたら構ってやって」
 
 あまりに投げやりな紹介に、アマヤはぴくりと眉を動かした。無言のまま、ふっと頬をふくらませ、唇を小さく尖らせる。その反応を見て、ナミは悪びれもせずに肩をすくめるばかりだった。
 そんなやりとりを見ていたビビは、目を見開いた。すぐ傍に立つその人物は、風にふわりとそよぐ巻き毛、紺の瞳、ちっとも陽にやけぬ白磁の肌と、海賊らしからぬ風体である。確かにビビが認知している一味とは別に、船内には人の気配はあった。けれども、それまでが異様に目立たなかったため、これほどに人の目を引く容姿だとは思っていなかったのだ。
 
「……僕のことでしょ、それ」
 
 アマヤは小さく呟きながら、そっとビビの顔を見る。ようやく本来の名前で呼んでも良い環境になり、少し緊張がほぐれたというものだ。
 
「お悩み相談窓口って、どういうことなの?」
 
 素直な疑問に、アマヤはわずかに姿勢を正し、口の端に柔らかな笑みを浮かべた。
 
「僕はねえ、占い師としてこの船に乗ってるんだよ。為すべきことを為して、人事を尽くしても、それでも不安って消えないからね。それを拭うためのお仕事」
「急に喋るわねアンタ。よくわかんないやつ」
「な、仲良くしてね……?」
 
 その言葉に応じるように、ビビがそっと手を差し出してくれる。遠慮がちだが、しっかりとした意志が感じられる手だった。
 アマヤを正面から見たビビが目を瞬かせているのを見て、ナミは重要な情報を付け足しておくことにした。
 
「あと、せっかくだから確認しておくけど、そいつの寝床は男部屋よ」
「それって──!」
 
 一拍ののち、彼女の思考が高速で回転を始めたのが見てとれた。受け取った情報を咀嚼し、整理し、そして、目の前の可憐な生き物に重ね合わせていく。エージェントとして振る舞っていた時はともかく、ビビ王女は基本的に肯定的で親切な人物である。世話になる船の一員の属性に対しても、精一杯のフォローをしようとして両の手を握りしめるのだった。
 
「そうよね! 生まれもった性別が全てじゃないわ! B・Wにも大柄のオカマがいるって聞いているし……!」
「僕は心も体も男なのでそれには当てはまらないかと……」

 とはいえ、無理に捻り出した援護射撃は的外れのことが多いのだった。
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