〜アラバスタまで
船の上という、逃げ場のない小さな世界で、気を張らずに言葉を交わせる相手というのは思いのほか貴重だ。ナミにとって、喧しくも頼れる船員たちは皆、どうにも落ち着いて言葉を交わすような性格をしていないか、気を抜くとお祭り騒ぎを始めるかで、夜のひとときを静かに過ごすにはいささか不向きなのだ。だからこそ、船を大海原の真ん中に停めてしまう夜は決まってナミとアマヤの座談会が繰り広げられるのだった。
船に居候している2人すら寝静まる夜更けに、アマヤはひっそりとナミの居室を訪れていた。
船室の小さなテーブルには、湯気の立つカップが二つ。ミルク多めのココアは夜風に冷えた体をじんわりとほぐし、その甘い香りは話の続きを急がせるでもなく、やわらかな沈黙を許してくれていた。
「そういえば、アマヤ、いくら稼いだの?」
「稼ぐ?」
「ローグタウンで露天をするって言ってたでしょ。あれよ、あれ。船番してるときの」
その言葉に、アマヤの表情がふっと緩んだ。この拝金主義者ときたら、1ベリーの動きも見逃さない。
「あの時だね。……もう、ひどい目にあったんだから」
思いつきで開いた露天にしては噂が噂を呼び、盛況に終わったあの商売の締めくくりは望まぬ刺客の訪れだった。もちろんアマヤはそれを既知の上で船番ついでにあそこに残ったのだ。魚人には効果がなかった麻酔薬があの獣には有効だったのは幸いだった。
それに追い打ちをかけるような形であの大嵐である。あちらの方がアマヤを手こずらせた。すぐに優秀な航海士が帰ってきてくれて事なきを得たのだが。
「──あはは! 悪かったわね、一人で任せちゃって」
「いいよ〜。幸い、僕一人でもなんとかなったし」
「……アーロンのときも思ったけど、あんた、結構強いわよね」
「そうかな? バラティエで鍛えられたからかも」
アマヤは実家での英才教育に関しては口をつぐみ、曖昧に微笑む。だが、ナミの方はそれ以上追及する様子も見せず、むしろサンジの姿を重ねたのか、なるほど、と小さくうなずき、納得したようにココアを一口すすった。どこに由来していようが、自分を守る戦闘要員は多ければ多いほどよい。彼女の現実主義な部分はそれで十分だと判断したのだった。
それに、とナミは目の前の青年を見つめる。彼ほど小柄で、しかも顔立ちも声も少女のように柔らかければ、敵はたいてい油断する。そしてそれすらも彼の実力のうちなのだろう、と。
ともあれ、金への執着尽きぬナミは、逃してなるものか、とばかりに身を乗り出した。
「それで? どれくらいなのよ。はぐらかしちゃって!」
「え〜……? これくらい?」
とぼけた調子で、アマヤは片手を挙げ、指を五本、ひらっと掲げて見せた。その仕草がどこか可愛らしく、つい警戒を忘れさせるのが、また彼の巧みなところでもある。
「5万?」
「ふふ、もう一桁」
「50万ベリーっ!?」
カップがかすかに揺れるほどの勢いで、ナミは椅子から半ば跳ねるようにして身を浮かせる。驚愕というより、金銭の匂いに反応した人間の本能のようなものだったが、それもまた、彼女らしい素直な反応だった。
「たった半日以下の時間、あんな港の端っこで、なんの予告もなく!? その商売の仕方で50万は、あんた、……もともとあの町でよく商売してたとか?」
「ううん。はじめて。世の中には自分の人生に不安を抱えた人がたくさんいるんだよ」
ナミは、思わず額に手をあてて天を仰ぎ、それから音を立てて椅子に腰を落とす。
そしてゆっくりと視線を戻すと、再びカップ越しにアマヤの顔を矯めつ眇めつする。飾り気のないその眼差しは、まるで美術品の真贋を見極める鑑定士のようである。力強くも魅力的な大きな瞳に射竦められ、アマヤはどぎまぎしてしまって体を縮める。
「顔かしら」
「し、失礼だなーっ、ちゃんと僕の占いとトークに対価を払ってもらったんだから!」
「だって1日で50万だなんて、……そんなの、1年もしないうちに──ううん、なんでもない」
「運が良かったのと物珍しさがあるからね。ローグタウンで毎日露天をしたとして、コンスタントに50稼げるとは限らないよ。誰にでも必要なものじゃないし、毎日必要なものでもない。たまたまだって」
言い訳を重ねれば重ねるほど、かえって怪しく聞こえてしまうのは世の常で、アマヤの口調が丁寧で真面目であればあるほど、ナミの視線は細くなり、まるで口から出た言葉の真贋を測りかねているかのようだった。アマヤもそれを感じ取ってか、気まずそうに首をすくめる。しかし次の瞬間、示し合わせたように、二人はそろって手元のカップを取り上げ、湯気の向こうで目を合わせもせずに、そっと一口を含んだ。
「じゃあさ、私のことも占ってみてよ」
「有償?」
「……」
「う、うそうそ、もちろん、無償で!」
金にがめついのは自分だけで十分だ。ナミが白けた表情を作ると、アマヤは慌てて言葉を翻した。これまで数年間分のバラティエの給料、時折買い出しついでに露天を開いて稼いだお金、それらで彼の懐はまあまああたたかい。紙幣では嵩張ると判断して貴金属類に換えてあるほどだ。
「うーん、出身地、誕生日、とかわかる?」
そう尋ねながら、アマヤは膝に置かれた鞄の中をごそごそと掻き回す。
「私、拾われっ子だからなあ。ココヤシ村でもいい? 誕生日は7月3日、18歳。多分ね」
「もちろん。ココヤシ村のナミさんが今のナミさんだもんね」
そのやりとりに、どちらともなく口元がほころんだ。
本来なら、生まれた時刻や空の配置まで厳密に問うべきところなのだが、人の身の上にああだこうだいう権利はない。それに、彼女のアイデンティティは間違いなくあの村で育まれたのだから。それに、あまりそこを掘り返しては彼女に辛い思いをさせるだろう。アマヤは頷き、小さなため息を胸に仕舞うと、持ち出した道具のひとつをそっと机に置いた。手のひらにすっぽり収まるほどの、小さくて丸いその道具は、アマヤの指先でくるりくるりと軽やかに回転し、中心の盤面が細かく動くたびに、星を象った紋様が浮かび上がっては消えていった。ナミはそれを興味深そうに眺め、思わず身を乗り出していた。
「今までじっくり見てなかったけど、なんなの? それ」
「出生図を作るための道具だよ。これでその人の人となりを読み解くんだ」
回転が止まり、盤面の針がある一点に留まったのを確認してから、アマヤはそれを指先でなぞるように確かめ、顔を上げると、どこか嬉しそうに微笑んで、ナミへと視線を向けた。
本当は、もっと前から彼女のことを知っていた。星ではなく、前世からの記憶を通じて。けれど、今こうして占った結果が、ナミという人間の芯の強さとしなやかさを裏打ちするようなものだったことが、アマヤには不思議と嬉しかった。彼女は自分の記憶通りに格好いい。
「ナミさんの人生には辛いことがいっぱいあったね」
「んー、まあ?」
「でも、楽しいことが好き。人生って辛いことがいっぱいあるものだから、楽しみを見出したい」
ナミはココアを抱えたまま、ぼんやりとした返事をしながらも、その瞳はどこか思い当たる節でもあるのか、じわりと揺れる。そこにはさっきまでとは違う静けさで、アマヤの言葉に耳を傾ける姿があった。
「社交的。人の輪の中心にあると力を発揮できる。会話上手で相手の心を掴むのが上手い。……でも、」
まるで気持ちの良い風が吹き抜けるように、アマヤの口からは次々とポジティブな言葉が紡がれていく。それは占いというより、今見たばかりの長所を述べているようで、ナミはやがて、軽く片肘をテーブルにつき、アマヤの顔をじっと見た。表情はどこか半信半疑で、困ったような笑みが口元に浮かんでいた。
「ずいぶん褒めるのね」
「当たってるでしょ? でも、……寂しがり」
ふとした調子で告げられたその一言の後に、アマヤは口角をほんの少しだけ吊り上げて、いたずらが成功した子どものように笑った。だがその笑みには、それまでの彼の雰囲気にそぐわぬ色香がふわりと漂い、ナミは思わず目を見張ったまま動けなくなる。頬杖をついた手の力がほんのわずか緩んだのは、自分でも気づかぬ反応だった。
「なるほどね」
合点がいった、というような声音だった。占いの腕も、語彙の選び方も、話すときの柔らかい目線も。そして、この『間』の使い方も、全てが揃って初めて、この占い師は人の懐にするりと入り込んでいたのだと、ナミはようやく体感をもって理解した。タイミングと声の温度、そして本心を見透かしているような一言。それだけで人の心は揺らぐのだ。
「これで50万稼いだと」
「ふふ、一つ言い当てられると神秘的な感じがして、次に言う言葉も信じちゃうってことかな」
そして、直前までまとっていたしっとりとした雰囲気を、アマヤは自分で躊躇なく吹き飛ばした。ぱあっと花が開いたように無邪気な笑みを浮かべてみせる。年相応どころか、もはや少年にすら戻ったような笑い方だった。
「僕はお金が貰えて、お客さんは将来の不安が消えて、これがWin-Winってことだよね!」
「やっぱり顔ね」
「え!? 関係なくなかった? 僕の顔は!」
その騒がしい抗議の声すらどこか柔らかく、ナミはただ目を細めて見つめた。ここまであけすけで、けれど警戒心を抱かせない。心の芯にすっと入ってくる声色と表情、そして思わず信じてしまう言葉運び。それをもって自らの不安を受け止めてもらえたら、きっと誰だってコロッと落ちる。まったく、そういうことだったのかと、ナミは深く納得していた。
少なくともお互いに損はない。なるほど、そういう意味では、彼の言う『Win-Win』は、意外と真っ当な話なのかもしれないのだった。
***
話題は占いから派生し、旅先でのあれこれや、次に立ち寄る島の噂話などへと移り変わり、二人の言葉はとめどなく流れ続けていた。ココアはすっかり冷めたが、それすら気にならないほどには、夜の時間は穏やかに、けれど賑やかに過ぎていた。 アマヤにとって、こうして他愛ない話を交わし続けるのは、得意中の得意だ。姉たちに囲まれて育った彼にとって、おしゃべりとは日常であり、呼吸と同じようなものだったのだ。相手が楽しくなるならなおのこと、彼はその言葉のやりとりを、心から好んでもいた。
そんな穏やかな空間に、こんこん、と小気味よく鳴ったノックの音が軽やかに響く。
「んナミさん♡ ココアのお代わりはいかが?」
すでに日付が変わろうかという時間帯だというのに、現れたサンジは尻尾を振る大型犬よろしく溌剌としている。手には丁寧に泡立てられたココアのカップを載せたトレイを携え、尚且つ軽やかに、恭しく一礼を決めて見せた。
「あらありがとう──、って、やだ、もうこんな時間! 昨日夜更かししちゃったから今日は早く寝ようと思ってたのに!」
「! ごめん僕盛り上がっちゃって」
「違うわよ、時計見るの忘れるくらい楽しかったってこと」
ナミの声にアマヤはびくりと肩を揺らし、慌てて椅子を引くと、広げていた小道具や羊皮紙の束をぱたぱたとまとめはじめた。見かねたナミが「そんな急がなくていいのに」と笑う頃には、彼はもうほとんどの荷物を鞄に詰め終えていた。
「じゃあ僕もお風呂して寝支度しようかな。長い時間ありがとう、お暇します」
「おー、寝ろ寝ろ、背ェ伸ばせ」
「……もう成長期終わってます〜。……あの二人はいないよね?」
「多分裏の甲板で毛布に包まってる。……レディに野宿みたいなことさせるのは嫌なんだがな」
「いいのよ、居候なんだから」
荷物を抱えて、軽く背を丸めながら、アマヤは夜闇に溶けるようにナミの部屋をあとにした。
ナミは改めて優しい湯気を立てるカップを見下ろし、せっかく用意してもらったのだから、と一口だけ唇をつける。ほっとするような甘さが口いっぱいに広がり、それと同時に、さきほどまでの余韻が緩やかに胸に戻ってきた。ふと思い立って、退室しようとしていた来訪人に声をかける。彼ならアマヤのこれまでを知っているはずだ。
「アマヤってモテるでしょ」
ナミの問いかけが届いた響いた瞬間、出ていこうとしていたサンジの背がぴたりと止まった。足は外に向いたまま、けれど肩がほんのわずか引きつり、手に持ったトレイがかたりと小さな音を立てる。すぐに返事をすることもできず、彼はただ、その場で固まったまま、ナミの方を振り向こうかどうか迷っているようだった。
「そ、そりゃあまあガキからジジイまで……?」
サンジが思い浮かべるアマヤの姿は、物腰柔らかで、おっとりとした美少女、にしか見えない中性的な青年であり、実際、バラティエにいても、買い出しに出ても、彼に近づいてくるのは男ばかりだった。特に勘違いした中年男性に言い寄られているときなどは面白いやら哀れやらで、散々虚仮にしたのを思い出す。
それにしても、どうしてこんなことを問われるのか、とサンジは辿りつきたくない想像を必死に押し留める。
「ナミさん……?」
「……そうよねえ」
ナミの返答は曖昧だった。はぐらかすようでもあり、思わせぶりなようでもあり。
「いいわよねえ、彼」
「ここへきて! あいつと袂を分かつことになるとはな……!」
サンジは激怒した。必ず、かの花顔玉容の男を除かねばならぬと決意した。
この部屋で一体どんな会話が行われていたというのか。アマヤに対して抱いていた兄弟的な情が、一瞬にして修羅の焔に焼き変わるのを、彼は確かに感じた。その夜、アマヤは身に覚えのない罪で詰問され、「別に口説いてなどいない」と言葉を尽くして弁解する羽目になり、ようやく事態が収束するまでに小一時間を要することとなったのだった。
もちろん、ベリー至上主義の彼女は、アマヤの人心把握術が大層金になることを指して、憧れていたのだが。
船に居候している2人すら寝静まる夜更けに、アマヤはひっそりとナミの居室を訪れていた。
船室の小さなテーブルには、湯気の立つカップが二つ。ミルク多めのココアは夜風に冷えた体をじんわりとほぐし、その甘い香りは話の続きを急がせるでもなく、やわらかな沈黙を許してくれていた。
「そういえば、アマヤ、いくら稼いだの?」
「稼ぐ?」
「ローグタウンで露天をするって言ってたでしょ。あれよ、あれ。船番してるときの」
その言葉に、アマヤの表情がふっと緩んだ。この拝金主義者ときたら、1ベリーの動きも見逃さない。
「あの時だね。……もう、ひどい目にあったんだから」
思いつきで開いた露天にしては噂が噂を呼び、盛況に終わったあの商売の締めくくりは望まぬ刺客の訪れだった。もちろんアマヤはそれを既知の上で船番ついでにあそこに残ったのだ。魚人には効果がなかった麻酔薬があの獣には有効だったのは幸いだった。
それに追い打ちをかけるような形であの大嵐である。あちらの方がアマヤを手こずらせた。すぐに優秀な航海士が帰ってきてくれて事なきを得たのだが。
「──あはは! 悪かったわね、一人で任せちゃって」
「いいよ〜。幸い、僕一人でもなんとかなったし」
「……アーロンのときも思ったけど、あんた、結構強いわよね」
「そうかな? バラティエで鍛えられたからかも」
アマヤは実家での英才教育に関しては口をつぐみ、曖昧に微笑む。だが、ナミの方はそれ以上追及する様子も見せず、むしろサンジの姿を重ねたのか、なるほど、と小さくうなずき、納得したようにココアを一口すすった。どこに由来していようが、自分を守る戦闘要員は多ければ多いほどよい。彼女の現実主義な部分はそれで十分だと判断したのだった。
それに、とナミは目の前の青年を見つめる。彼ほど小柄で、しかも顔立ちも声も少女のように柔らかければ、敵はたいてい油断する。そしてそれすらも彼の実力のうちなのだろう、と。
ともあれ、金への執着尽きぬナミは、逃してなるものか、とばかりに身を乗り出した。
「それで? どれくらいなのよ。はぐらかしちゃって!」
「え〜……? これくらい?」
とぼけた調子で、アマヤは片手を挙げ、指を五本、ひらっと掲げて見せた。その仕草がどこか可愛らしく、つい警戒を忘れさせるのが、また彼の巧みなところでもある。
「5万?」
「ふふ、もう一桁」
「50万ベリーっ!?」
カップがかすかに揺れるほどの勢いで、ナミは椅子から半ば跳ねるようにして身を浮かせる。驚愕というより、金銭の匂いに反応した人間の本能のようなものだったが、それもまた、彼女らしい素直な反応だった。
「たった半日以下の時間、あんな港の端っこで、なんの予告もなく!? その商売の仕方で50万は、あんた、……もともとあの町でよく商売してたとか?」
「ううん。はじめて。世の中には自分の人生に不安を抱えた人がたくさんいるんだよ」
ナミは、思わず額に手をあてて天を仰ぎ、それから音を立てて椅子に腰を落とす。
そしてゆっくりと視線を戻すと、再びカップ越しにアマヤの顔を矯めつ眇めつする。飾り気のないその眼差しは、まるで美術品の真贋を見極める鑑定士のようである。力強くも魅力的な大きな瞳に射竦められ、アマヤはどぎまぎしてしまって体を縮める。
「顔かしら」
「し、失礼だなーっ、ちゃんと僕の占いとトークに対価を払ってもらったんだから!」
「だって1日で50万だなんて、……そんなの、1年もしないうちに──ううん、なんでもない」
「運が良かったのと物珍しさがあるからね。ローグタウンで毎日露天をしたとして、コンスタントに50稼げるとは限らないよ。誰にでも必要なものじゃないし、毎日必要なものでもない。たまたまだって」
言い訳を重ねれば重ねるほど、かえって怪しく聞こえてしまうのは世の常で、アマヤの口調が丁寧で真面目であればあるほど、ナミの視線は細くなり、まるで口から出た言葉の真贋を測りかねているかのようだった。アマヤもそれを感じ取ってか、気まずそうに首をすくめる。しかし次の瞬間、示し合わせたように、二人はそろって手元のカップを取り上げ、湯気の向こうで目を合わせもせずに、そっと一口を含んだ。
「じゃあさ、私のことも占ってみてよ」
「有償?」
「……」
「う、うそうそ、もちろん、無償で!」
金にがめついのは自分だけで十分だ。ナミが白けた表情を作ると、アマヤは慌てて言葉を翻した。これまで数年間分のバラティエの給料、時折買い出しついでに露天を開いて稼いだお金、それらで彼の懐はまあまああたたかい。紙幣では嵩張ると判断して貴金属類に換えてあるほどだ。
「うーん、出身地、誕生日、とかわかる?」
そう尋ねながら、アマヤは膝に置かれた鞄の中をごそごそと掻き回す。
「私、拾われっ子だからなあ。ココヤシ村でもいい? 誕生日は7月3日、18歳。多分ね」
「もちろん。ココヤシ村のナミさんが今のナミさんだもんね」
そのやりとりに、どちらともなく口元がほころんだ。
本来なら、生まれた時刻や空の配置まで厳密に問うべきところなのだが、人の身の上にああだこうだいう権利はない。それに、彼女のアイデンティティは間違いなくあの村で育まれたのだから。それに、あまりそこを掘り返しては彼女に辛い思いをさせるだろう。アマヤは頷き、小さなため息を胸に仕舞うと、持ち出した道具のひとつをそっと机に置いた。手のひらにすっぽり収まるほどの、小さくて丸いその道具は、アマヤの指先でくるりくるりと軽やかに回転し、中心の盤面が細かく動くたびに、星を象った紋様が浮かび上がっては消えていった。ナミはそれを興味深そうに眺め、思わず身を乗り出していた。
「今までじっくり見てなかったけど、なんなの? それ」
「出生図を作るための道具だよ。これでその人の人となりを読み解くんだ」
回転が止まり、盤面の針がある一点に留まったのを確認してから、アマヤはそれを指先でなぞるように確かめ、顔を上げると、どこか嬉しそうに微笑んで、ナミへと視線を向けた。
本当は、もっと前から彼女のことを知っていた。星ではなく、前世からの記憶を通じて。けれど、今こうして占った結果が、ナミという人間の芯の強さとしなやかさを裏打ちするようなものだったことが、アマヤには不思議と嬉しかった。彼女は自分の記憶通りに格好いい。
「ナミさんの人生には辛いことがいっぱいあったね」
「んー、まあ?」
「でも、楽しいことが好き。人生って辛いことがいっぱいあるものだから、楽しみを見出したい」
ナミはココアを抱えたまま、ぼんやりとした返事をしながらも、その瞳はどこか思い当たる節でもあるのか、じわりと揺れる。そこにはさっきまでとは違う静けさで、アマヤの言葉に耳を傾ける姿があった。
「社交的。人の輪の中心にあると力を発揮できる。会話上手で相手の心を掴むのが上手い。……でも、」
まるで気持ちの良い風が吹き抜けるように、アマヤの口からは次々とポジティブな言葉が紡がれていく。それは占いというより、今見たばかりの長所を述べているようで、ナミはやがて、軽く片肘をテーブルにつき、アマヤの顔をじっと見た。表情はどこか半信半疑で、困ったような笑みが口元に浮かんでいた。
「ずいぶん褒めるのね」
「当たってるでしょ? でも、……寂しがり」
ふとした調子で告げられたその一言の後に、アマヤは口角をほんの少しだけ吊り上げて、いたずらが成功した子どものように笑った。だがその笑みには、それまでの彼の雰囲気にそぐわぬ色香がふわりと漂い、ナミは思わず目を見張ったまま動けなくなる。頬杖をついた手の力がほんのわずか緩んだのは、自分でも気づかぬ反応だった。
「なるほどね」
合点がいった、というような声音だった。占いの腕も、語彙の選び方も、話すときの柔らかい目線も。そして、この『間』の使い方も、全てが揃って初めて、この占い師は人の懐にするりと入り込んでいたのだと、ナミはようやく体感をもって理解した。タイミングと声の温度、そして本心を見透かしているような一言。それだけで人の心は揺らぐのだ。
「これで50万稼いだと」
「ふふ、一つ言い当てられると神秘的な感じがして、次に言う言葉も信じちゃうってことかな」
そして、直前までまとっていたしっとりとした雰囲気を、アマヤは自分で躊躇なく吹き飛ばした。ぱあっと花が開いたように無邪気な笑みを浮かべてみせる。年相応どころか、もはや少年にすら戻ったような笑い方だった。
「僕はお金が貰えて、お客さんは将来の不安が消えて、これがWin-Winってことだよね!」
「やっぱり顔ね」
「え!? 関係なくなかった? 僕の顔は!」
その騒がしい抗議の声すらどこか柔らかく、ナミはただ目を細めて見つめた。ここまであけすけで、けれど警戒心を抱かせない。心の芯にすっと入ってくる声色と表情、そして思わず信じてしまう言葉運び。それをもって自らの不安を受け止めてもらえたら、きっと誰だってコロッと落ちる。まったく、そういうことだったのかと、ナミは深く納得していた。
少なくともお互いに損はない。なるほど、そういう意味では、彼の言う『Win-Win』は、意外と真っ当な話なのかもしれないのだった。
***
話題は占いから派生し、旅先でのあれこれや、次に立ち寄る島の噂話などへと移り変わり、二人の言葉はとめどなく流れ続けていた。ココアはすっかり冷めたが、それすら気にならないほどには、夜の時間は穏やかに、けれど賑やかに過ぎていた。 アマヤにとって、こうして他愛ない話を交わし続けるのは、得意中の得意だ。姉たちに囲まれて育った彼にとって、おしゃべりとは日常であり、呼吸と同じようなものだったのだ。相手が楽しくなるならなおのこと、彼はその言葉のやりとりを、心から好んでもいた。
そんな穏やかな空間に、こんこん、と小気味よく鳴ったノックの音が軽やかに響く。
「んナミさん♡ ココアのお代わりはいかが?」
すでに日付が変わろうかという時間帯だというのに、現れたサンジは尻尾を振る大型犬よろしく溌剌としている。手には丁寧に泡立てられたココアのカップを載せたトレイを携え、尚且つ軽やかに、恭しく一礼を決めて見せた。
「あらありがとう──、って、やだ、もうこんな時間! 昨日夜更かししちゃったから今日は早く寝ようと思ってたのに!」
「! ごめん僕盛り上がっちゃって」
「違うわよ、時計見るの忘れるくらい楽しかったってこと」
ナミの声にアマヤはびくりと肩を揺らし、慌てて椅子を引くと、広げていた小道具や羊皮紙の束をぱたぱたとまとめはじめた。見かねたナミが「そんな急がなくていいのに」と笑う頃には、彼はもうほとんどの荷物を鞄に詰め終えていた。
「じゃあ僕もお風呂して寝支度しようかな。長い時間ありがとう、お暇します」
「おー、寝ろ寝ろ、背ェ伸ばせ」
「……もう成長期終わってます〜。……あの二人はいないよね?」
「多分裏の甲板で毛布に包まってる。……レディに野宿みたいなことさせるのは嫌なんだがな」
「いいのよ、居候なんだから」
荷物を抱えて、軽く背を丸めながら、アマヤは夜闇に溶けるようにナミの部屋をあとにした。
ナミは改めて優しい湯気を立てるカップを見下ろし、せっかく用意してもらったのだから、と一口だけ唇をつける。ほっとするような甘さが口いっぱいに広がり、それと同時に、さきほどまでの余韻が緩やかに胸に戻ってきた。ふと思い立って、退室しようとしていた来訪人に声をかける。彼ならアマヤのこれまでを知っているはずだ。
「アマヤってモテるでしょ」
ナミの問いかけが届いた響いた瞬間、出ていこうとしていたサンジの背がぴたりと止まった。足は外に向いたまま、けれど肩がほんのわずか引きつり、手に持ったトレイがかたりと小さな音を立てる。すぐに返事をすることもできず、彼はただ、その場で固まったまま、ナミの方を振り向こうかどうか迷っているようだった。
「そ、そりゃあまあガキからジジイまで……?」
サンジが思い浮かべるアマヤの姿は、物腰柔らかで、おっとりとした美少女、にしか見えない中性的な青年であり、実際、バラティエにいても、買い出しに出ても、彼に近づいてくるのは男ばかりだった。特に勘違いした中年男性に言い寄られているときなどは面白いやら哀れやらで、散々虚仮にしたのを思い出す。
それにしても、どうしてこんなことを問われるのか、とサンジは辿りつきたくない想像を必死に押し留める。
「ナミさん……?」
「……そうよねえ」
ナミの返答は曖昧だった。はぐらかすようでもあり、思わせぶりなようでもあり。
「いいわよねえ、彼」
「ここへきて! あいつと袂を分かつことになるとはな……!」
サンジは激怒した。必ず、かの花顔玉容の男を除かねばならぬと決意した。
この部屋で一体どんな会話が行われていたというのか。アマヤに対して抱いていた兄弟的な情が、一瞬にして修羅の焔に焼き変わるのを、彼は確かに感じた。その夜、アマヤは身に覚えのない罪で詰問され、「別に口説いてなどいない」と言葉を尽くして弁解する羽目になり、ようやく事態が収束するまでに小一時間を要することとなったのだった。
もちろん、ベリー至上主義の彼女は、アマヤの人心把握術が大層金になることを指して、憧れていたのだが。
