東の海
彼から明かされない限り、アマヤに相対した人はまず間違いなく彼の性別を誤解する。
それは中性的で整った面立ちや、肩を軽く隠すほどの艶めく巻き毛だけでなく、彼の立ち居振る舞いと喋り口調がおっとりとした淑女然としているからだ。アマヤの姉三人は大事な弟が年頃になって粗野な物言いをするのを憂いたし、アマヤの方も姉たちが悲しむのにわざわざそのように振る舞うつもりもなかった。大体がそのようなアイデンティティ確立期は前世で終えてきているのだから。そして、数年間バラティエに揉まれてなお、それが崩れることはなかったのだった。
だからこそ当然、アマヤを仲間と受け入れた麦わらの一味もまた、彼が男部屋に居場所を作ろうとしているのを見て目を剥いた。
「おおオイオイオイ! アマヤ! この船は女部屋があるんだ女部屋が。いくらナミが鬼とはいえ、そっちに寝泊まりするのを拒否ったりはしねェよお」
ウソップは心からの親切心でアマヤを引き止めようとするが、その背後では、すでにナミが拳を静かに構えていた。じわりとした殺気を受け、ウソップはひくりと肩を震わせる。
「それは不味いんじゃ」
「……と、言うと?」
「ナミさん、聞こえてるみたいだよ」
「そいつァやべえ!」
ナミからの天誅を避けるため、第一にアマヤを止めたウソップは後方甲板へと避難を始める。残った男性陣のうち、もう二人もその論には賛成らしい。眉間に皺を寄せて何事か言いたげだ。唯一事情を知っているサンジくんはタバコを弄るふりをしてニヤつく口元を隠している始末である。
その勘違いはアマヤにとって至極いつも通りのものだ。けれども自分で自分が男だと紹介しなくてはいけないのがどうにも恥ずかしく、なんでもないかのように男部屋の中央に降り立った。
「ちょっと雑然としてるね」
「ま、男所帯ならこんなもんだろ」
男部屋に足を踏み入れたアマヤは、まず鼻をくすぐる男臭さに小さく肩をすくめた。
広くはない船室の中央にはソファと低いテーブルが無造作に置かれ、そこを中心に寝台が壁沿いに並んでいる。床には脱ぎ捨てられたシャツや靴下、誰のものとも知れぬ下着などが散乱し、旅の疲れと無頓着さをありありと物語っていた。
ソファに層をなしている衣服の山を、アマヤは摘んで持ち上げ、眉をひそめる。
「だってほら洗濯物溜まってる。……ああ、僕まとめてしておこうかな。そういうの得意で。しかも乞うて置いてもらう身分だし」
「いいやここはきっちりしようぜ。手前の服は手前で始末だ」
「サンジくん自分の服こだわってるもんね」
新参者二人で室内を見聞していると、やや慌てた様子でゾロがその後を追いかけ、そしてはたと気付いて動きを止める。
「ウエイター、お前」
ゾロの声には、意外だという色と、それまで胸の奥に引っかかっていた小骨がようやく取れたような、わずかな解放感が滲んでいた。
一方のサンジは、最初に気づいたのはこいつか、とほんの少しだけ感心している。
「お」
「えっ」
きっとこの女好きのぞんざいな態度が大きなヒントになったのだろう。珍しく相手から指摘される気配にアマヤは表情を明るくした。
「男か!!」
「へへ、実は」
小さく頬を掻きつつはにかむ様子は、やっぱり百人が百人、美少女だと答えるだろうけれど、それでも彼は生物学的には男性なのだった。
看破したゾロはそれでも信じられなかったのか、あんぐりと口を開けたまま目前の男を眺め回す。上から下までじろじろと見られた方のアマヤはたまったものではない。彼は元来人見知りの恥ずかしがり屋である。数秒と耐えきれず、勝手知ったる金髪の後ろに隠れ込んだ。サンジは受け入れつつも呆れ顔だ。
「な。こんなツラだから、寄ってくるやつはみーんな男とくるもんだ。いやおれとしては競合にならなくて好都合だったが」
「正直僕からしたら女だと勘違いされていた方がメリットが大きくって。……あ! 違うよ! 男の人に言い寄られるのはデメリットの方だからね!」
アマヤは誤解があってはならない、とばかりに顔の前でぱたぱたと手を振る。
「割と嬉しそうにしてんじゃねェか」
「毎回はっきりお断りしてしまうと角が立つだけです~。客商売なんだよっ」
アマヤはバラティエでの日々を思い出して苦々しくなる。歳の変わらない初心な少年から油ぎったおじさままで、彼に声をかけてくる相手は枚挙に遑がない。それでも、中性的な見た目を維持しているのは、これが果たしてどんな相手でも警戒を解ける必殺技だと知っているからだった。情報戦はもちろん、実際に暴力に及んでしまった場合だって、相手が油断していることは大きなアドバンテージである。
黒服の後ろからその花のかんばせだけを覗かせている様子を、ゾロは顎に指を当てて矯めつ眇めつするのだった。
「こりゃ詐欺のレベルだな」
その後はゾロが男衆をまとめてこいつは男だと言い放ち、この部屋割り問題は解決したかのように見えた。
「へェーー。全ッ然気付かんかった!」
「でも確かに最初からウエイターっつってたか。女だとウエイトレスだもんな」
アマヤ鑑賞会にルフィとウソップも参戦し、いよいよこの恥ずかしがりは耳を真っ赤に染め上げた。きっと推しのアイドルに認知された娘さんなんかも同じような具合になるだろう。何せ前世からのファンなのだ。
「とっ、ということで僕もこっちのお部屋で寝泊まりさせてもらうね」
「ああ、アマヤ?」
一連の騒動を一歩引いて眺めていた紅一点は、含みのある笑顔でウインクした。
「ここ、扉繋がってるから。何かあったら逃げてきていいわよ」
「……僕、そんなに弱そうに見えるかな」
最後に落とされた爆弾の意味を正しく理解したのは、きっとその場の半分未満の人間だったろう。もちろん、悪戯好きの航海士は、彼が貧弱ゆえにいじめられるとは微塵も思っていない。
***
陽光を柔らかく受けた船尾のデッキ、その端に軽く腰掛けたアマヤは、すぐそばで黙々と続けられているウソップの手元をしげしげと見入っていた。
海上は、いたずらに暑くもなく寒くもない、どこか肩肘の抜けるような穏やかさに満ちている。そよそよと迷いながら吹き寄せる海風が、アマヤの淡い紫の巻き毛をふわりふわりと持ち上げ、無邪気な生き物のように彼の周囲に遊ばせていた。
「……へえ」
思わず漏れた感嘆は、決して大仰なものではなかったが、目の前の光景に対する率直な尊敬を滲ませていた。
「器用なんだねえ、ウソップくん」
「まーな。細かい作業やらせておれの右に出るものはいねェ。特にこの船にはな」
「……僕、話しかけてて邪魔じゃないかな」
「んなことで手元が狂いやしねェよ」
小さな簡易装置の上では、加熱されたフラスコの中身がぐつぐつと赤黒く泡立ち、螺旋管を伝ってゆっくりと別の容器へと滴り落ちている。アマヤにはその作業の何がどうなっているかは分からなかったが、確かな意図と技術に裏付けられたものであることは分かった。
「すごいなあ、科学者みたい」
「褒めてもなんもでねーぞー」
「ふふ、感想言ってるだけだよ」
飾り気のない賞賛に、ウソップは気の抜けた声で軽く応じた。けれどもその口元には確かに誇らしげな笑みが滲み出しており、それがまたアマヤにとっては、何とも微笑ましく思えた。
アマヤは子供が初めて目にする魔法でも眺めるかのような熱心さで視線を注ぎ続け、片時も興味を失った様子を見せない。
「んで? お前は何が得意なんだ?」
「僕?」
問いかけられたアマヤは、やや間を置いてから、ほっそりとした指先を顎に添え、何かを思い出そうとするように小首をかしげる。相変わらず海賊と銘打つには似つかわしくない風貌である。同じ船の航海士が太陽を思わせる健康的な美しさであれば、この美少女然とした男は朝露に濡れる小さな花のような、繊細な愛らしさだ。
「占いかなあ、やっぱり。小さい頃からずっとやってることだし。星を詠むんだ」
「はー、なんかスピリチュアルな感じな」
「まあ、参考程度にね」
ウソップが蒸留器の向こうからちらりとこちらを見やったのに気づいたアマヤは、どこかきまりの悪さを感じたのか、少しだけ肩をすぼめるような動きで照れたように笑う。しかし否定するわけでも、誇張するわけでもなく、静かに自分の言葉を肯定していた。
「おれもあのバケモノたちと肩並べて切った張ったするわけだからな。日頃の研鑽は絶やさねェのよ」
「ばけものって」
「見たろ? ルフィたちの戦闘力」
「うん、かっこよかったね」
「その一味に、お前も入ったんだからな」
ウソップはどこかしら胸を張るような調子だ。念願叶って麦わらの一味に入れたのだという実感が広がり、アマヤもまた、むず痒くなるほどの喜びを噛み締める。
「ウソップくんも、かっこいいねえ」
けれどもウソップは、そんなアマヤの言葉に真正面から向き合うことを良しとしなかったのか、それともただ照れくさかっただけなのか、手元をいじりながら手のひらを軽く振る仕草で応えた。自らを尊大に称えることは多くとも、正面からの賛辞にはくすぐったくなってしまうのかもしれない。
「僕は戦闘、苦手だからなあ。なんとか貢献する方法、考えないと」
「できることしてりゃいいんじゃねェの」
「それだとみんなに申し訳が立たない、……って、思わない?」
アマヤの控えめながらも真剣な呟きに、ウソップは一拍だけ間を置き、どこか押し込めたような低い声で「まーな」と返す。複雑なプライドを、しかしこれ以上この場で話題にするつもりはなかった。
ウソップはすぐに大げさな身振りで胸を張り直し、ぐっと背筋を伸ばすと、まるでこの一瞬の気まずさなど最初から存在しなかったかのように調子を取り戻してみせた。
「じゃーあアマヤ! お前にはおれ様の冒険譚を聞かせてやろう! 戦闘に限らず、示唆に満ちているから一言一句聞き逃すんじゃねェぞ!!」
「わあい! 僕ウソップくんの大活躍大好きっ!」
気を良くしたウソップは、まるで堰を切ったように自らの輝かしい武勇伝を語り始め、その勢いは小舟の帆に風を孕んだときのようにどんどん加速した。アマヤはと言えば、適度に驚き、絶妙に感嘆し、時に笑みを含ませた相槌を挟みながら、そのウソップ劇場を楽しむ。紙面上でも、テレビの液晶越しでもない、まさに目の前で繰り広げられるそれに、アマヤのファンとしての心は大変に満たされるのだった。
そんな賑やかなやりとりがひとしきり続いたころ、船体を揺らす波の音に混じって、どこか重たく気だるげな足取りが近づいてくる。後部甲板に現れたのは大欠伸を隠そうともしない豪胆な男だった。
「ん? 先客か」
「わ」
その無造作な一言に、アマヤはぴくりと肩を震わせた。見られてはいけないものを隠すかのように、そわそわと落ち着かない。一対一ならまだしも、こうやって麦わらの一味が複数集まる場になると、どう振る舞ったら良いか分からず、挙動不審になってしまうのだ。一般人がアイドルに囲まれたならば、きっとそうなるだろう、というふうに。
「おうゾロ、お前も聞くか? ウソップ様の華麗な活躍の話をな!」
「いらねェ」
「だってよアマヤ。せっかく新入りに冒険と戦闘のなんたるかを教えてやってたってのによ」
「ああ?」
ゾロは、ほとんど気にするふうもなくその場に腰を下ろし、剣を傍らに置いてまさに目を閉じかけたところだったが、ウソップの一言が耳に入るや、わずかに片眉を上げ、怪訝そうに顔をしかめた。
「そいつにか?」
「どう見ても荒事に向いてないだろ? こいつ。ちょっとはおれ様の話を聞いて心積もりさせといてやろうと──」
言われてみれば、とゾロは一拍だけ視線を泳がせた後、ウソップがアマヤに向けて箱入り娘のような印象を抱いていることを察する。
そういえば、アーロンパークの騒ぎの際、ウソップはルフィの復活を見届けた後で再び姿を現したのだったな、と、かすかな記憶がゾロの脳裏をよぎった。となると、この優男、というよりも華奢な少女にしか見えない新入りが、あの魚人相手に時間稼ぎをしていたところは目撃していないのだろう。
ゾロは親切心と悪戯心が混ざったような心地で一言、告げる。
「アーロンと一対一でやりあってたぞ、そいつ」
ごく簡潔に、そして最も説得力のある一言が投げられると、ウソップはその顎を床につくのではないかというほどに落として絶句する。
「あ、アマヤくん……?」
「一対一ならねっ! 一対一ならまあなんとかっていうか!」
もともと、目の前の一人にだけ意識を集中すればよい、という状況であれば、アマヤは故郷でも、バラティエでも、周囲を驚かせる程度には実戦経験を積んでいる。決して「非力」などという一言で括れる存在ではなかったのだが、彼自身がそのことを殊更に誇る性分ではないため、今もややおろおろと両手を宙に彷徨わせながら、必死に言葉を探していた。その様子ときたら、魚人相手に大きな怪我もなく立ち回れるような猛者には見えないので、殊更に混乱する。
「き、聞かせてほしいなあっ、続き!」
「……いや、今日は……店じまいだ……」
ウソップは、これまでアマヤを『か弱き花』よろしく扱ってきた己を内心で振り返りながら、目の前の人物に潜んでいるかもしれない『底知れぬ何か』に直感的な警戒を覚える。ぐい、とごくわずかに、しかし確実に、身体を後ろへ引いた。
「ほんとにっ、ほんとに苦手なんだよ! できればしたくないって! その、喧嘩とか!」
「でもやろうと思ったら人間くらい一捻りだと……プチッといくと……」
アマヤが一生懸命弁解しているのを他所に、元凶となった男は高らかに寝息を立て始めるのだった。
