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残滓

「じゃあ……たまたま母さんに会って入れてもらった……ていうこと、なんだね」
機嫌良さそうにふんふんと鼻歌をしながら頷く君は、本当に僕の話を聞いているのだろうか。
「普通は……女子が男子の部屋に入るなんて軽々しくしちゃダメなんだ。母さんも何やってるんだ、全く……」
頭痛のタネは増えるばかり。はあ、とため息をついて君を見れば、怒られたのは分かっているのか、ほんの少しだけしょげた様な顔をしている。……犬のようだ、なんて思ったことは黙っておこう。きっと怒られてしまうから。
「起こしに、来たのに……」
まあ確かに……夏休みとはいえ、怠惰に睡眠を貪っていた僕にも非がない訳ではないが……。
「いや、僕も悪かった、から……」
そんなにしゅんとされてしまったら、僕が謝らずにいられるわけがない。
と、先程までのしおらしさはどこへやら、キュッと僕のパジャマの袖を君の指先が捕らえる。
「えっ、ちょ、なに……?」
不意に縮まった鼻先の距離に、ふとあの夏祭りを思い出した。____あぁ、あの時の君は本当に美しかったな……なんて。
じっと水晶のような黒い瞳に見つめられ、ふと我にかえる。
「話が、あるの」
「……え?」
そんなふうに真剣に見つめられたことが、かつてあっただろうか。
君は話を切り出したきり、黙ってこちらを見つめている。その瞳を見つめ返しながら、ふと思った。チワワの様な愛らしい瞳、鹿の様にしなやかな脚。それなのに何処か背筋をスッとさせる様な眼差し。そうまるで……蛇の様な。
きっと見つめあっていたのは3秒にも満たないはずで、それでも僕にはそれが10分にも20分にも感じられた。
「……んーん、やっぱりいいや」
へら、と笑って顔を逸らした君の頬を伝ったそれは、僕の見間違いだったのかのしれない。さらりと流れた黒髪の毛先が描く軌道に、目が惹きつけられる。
それきり、僕らは夏が過ぎるまで一度も会わなかった。
きっとその夏は、一生に一度きりの、鮮やかな嵐の様な夏だったんだ。
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