魔王を滅ぼした人魚のお話
「……オさん、マオさん?」
「あ、ごめん、何?」
「いえ、心ここに在らずといった感じでしたから」
労るようなルフレの声色に、微笑んでみせる。
「ごめん、何でもない」
何十年、何百年経っても癒えない傷。
ずっと心の底に蔓延り続ける記憶に蓋をするように立ち上がる。
「朝だ。彼らのところへ行かなくちゃ」
と。
何百年経っても、傷が癒えなくても、傷つけられても。やっぱり彼は人間を憎むことなんて出来ないでいる。
結局のところは、魔王の名を冠しながらも、人間のことが大好きなのである。
「彼らって……」
「あぁ、ルフレにも紹介するから。一緒に行こう」
さりげなく彼女の手を取った彼は、人魚が故の彼女の手の冷たさに、泣きそうな顔で笑った。
*
「おはよう、起きたかい?」
やはり誰一人として、マオの声に応える者はいなかった。
「マオさん、これは……」
「あぁ、彼らは今だけ僕の友だち。六十人くらいはいるんだよ?すごいだろう」
ふざけたようにふんぞり返ってみせながらも、その顔は哀愁を隠し切れてはいなかった。
「でも彼らの服って」
「……僕の友だち、だよ。今だけね」
何か訝しむように口を開いたルフレを、マオが遮る。それでも尚、ルフレは言葉を続けた。
「だって彼らが起きたらどうするのです。マオさんは”殺されてしまう”でしょう?」
横たわる人々が身につける、白い鎧を見ながらマオはため息を吐き出した。
「大丈夫、まだ起きられないよ……彼らが”聖教会”のトップであれど、”封印魔術”の反射には勝てないだろ」
彼女がハッと息を呑む。
「……封印魔術!?それの反射だなんて、彼らはもう……」
「だから言っただろ、起きないって」
軽口を叩くように言ったマオに被せるように、窓がカンっと鳴った。リリスだ。
「あぁ、おはようリリス。いい朝だね」
不意にほったらかしにされたことに不満だったのか、二人……正確には一人と一羽……の間に入るように、ルフレがマオに問いかける。
「リリスちゃんって、私を助けて頂いた時に来ていたって子ですよね」
ありがとう、と呟きながら、リリスの首元を撫でた。
それを見て、マオが信じられないというふうに目を見開く。
「君……すごいね。普通の人や魔物相手だと、鴉は自分のこと触らせないはずなんだけど」
さすが僕を怖がらないだけの何かはある、と呟く声は、ルフレには届いていなかった。
「それで、なぜリリスさんはここに?」
「あぁ、彼女は毎朝僕にご飯をよこせって言いにきてね。早いところ上げないと機嫌を損ねてしまうから」
マオが腕を一振りすれば、忽ちそこには白い皿いっぱいのきのみや穀物が現れる。しかし、いつもなら喜んで食べ始めるはずのリリスが、ルフレの肩に飛び移り、皿には目をくれもしない。
「どうしたんだい、リリス?」
マオが皿を差し出しても食べ始める気配はない。すると、ルフレの肩の上で胸を膨らませ、たった一声、「カァ」と鳴いた。
リリスは本来気が強いので、気に食わないことは暴れ回って伝えるタイプ。それが静かなまま主張しているとなると……
「リリスのことじゃない、ってこと?」
また肯定するように一声。リリスは、羽を広げたり顔を見上げたりと、マオとルフレを交互に見つめていた。
「どういうことなんでしょうか?」
「……う、ん……あっ」
はた、と思い当たったかのようにマオが声を上げた。ルフレが首を傾げる。
「もしかして……人魚の涙、のこと?」
リリスが、一際大きく鳴いた。
「人魚の涙……と言いますと?」
「いやぁ、ね……彼らを起こしてあげたくて」
マオの言葉に、ルフレが目を見開く。その願いの意味するところを知る彼女にとって、それは信じ難いことも同然。
「だって、そんなことすれば貴方は……」
続く言葉に迷ったのか、幾度か唇を震わせた後に彼女は口を閉じてしまった。
「あ、ごめん、何?」
「いえ、心ここに在らずといった感じでしたから」
労るようなルフレの声色に、微笑んでみせる。
「ごめん、何でもない」
何十年、何百年経っても癒えない傷。
ずっと心の底に蔓延り続ける記憶に蓋をするように立ち上がる。
「朝だ。彼らのところへ行かなくちゃ」
と。
何百年経っても、傷が癒えなくても、傷つけられても。やっぱり彼は人間を憎むことなんて出来ないでいる。
結局のところは、魔王の名を冠しながらも、人間のことが大好きなのである。
「彼らって……」
「あぁ、ルフレにも紹介するから。一緒に行こう」
さりげなく彼女の手を取った彼は、人魚が故の彼女の手の冷たさに、泣きそうな顔で笑った。
*
「おはよう、起きたかい?」
やはり誰一人として、マオの声に応える者はいなかった。
「マオさん、これは……」
「あぁ、彼らは今だけ僕の友だち。六十人くらいはいるんだよ?すごいだろう」
ふざけたようにふんぞり返ってみせながらも、その顔は哀愁を隠し切れてはいなかった。
「でも彼らの服って」
「……僕の友だち、だよ。今だけね」
何か訝しむように口を開いたルフレを、マオが遮る。それでも尚、ルフレは言葉を続けた。
「だって彼らが起きたらどうするのです。マオさんは”殺されてしまう”でしょう?」
横たわる人々が身につける、白い鎧を見ながらマオはため息を吐き出した。
「大丈夫、まだ起きられないよ……彼らが”聖教会”のトップであれど、”封印魔術”の反射には勝てないだろ」
彼女がハッと息を呑む。
「……封印魔術!?それの反射だなんて、彼らはもう……」
「だから言っただろ、起きないって」
軽口を叩くように言ったマオに被せるように、窓がカンっと鳴った。リリスだ。
「あぁ、おはようリリス。いい朝だね」
不意にほったらかしにされたことに不満だったのか、二人……正確には一人と一羽……の間に入るように、ルフレがマオに問いかける。
「リリスちゃんって、私を助けて頂いた時に来ていたって子ですよね」
ありがとう、と呟きながら、リリスの首元を撫でた。
それを見て、マオが信じられないというふうに目を見開く。
「君……すごいね。普通の人や魔物相手だと、鴉は自分のこと触らせないはずなんだけど」
さすが僕を怖がらないだけの何かはある、と呟く声は、ルフレには届いていなかった。
「それで、なぜリリスさんはここに?」
「あぁ、彼女は毎朝僕にご飯をよこせって言いにきてね。早いところ上げないと機嫌を損ねてしまうから」
マオが腕を一振りすれば、忽ちそこには白い皿いっぱいのきのみや穀物が現れる。しかし、いつもなら喜んで食べ始めるはずのリリスが、ルフレの肩に飛び移り、皿には目をくれもしない。
「どうしたんだい、リリス?」
マオが皿を差し出しても食べ始める気配はない。すると、ルフレの肩の上で胸を膨らませ、たった一声、「カァ」と鳴いた。
リリスは本来気が強いので、気に食わないことは暴れ回って伝えるタイプ。それが静かなまま主張しているとなると……
「リリスのことじゃない、ってこと?」
また肯定するように一声。リリスは、羽を広げたり顔を見上げたりと、マオとルフレを交互に見つめていた。
「どういうことなんでしょうか?」
「……う、ん……あっ」
はた、と思い当たったかのようにマオが声を上げた。ルフレが首を傾げる。
「もしかして……人魚の涙、のこと?」
リリスが、一際大きく鳴いた。
「人魚の涙……と言いますと?」
「いやぁ、ね……彼らを起こしてあげたくて」
マオの言葉に、ルフレが目を見開く。その願いの意味するところを知る彼女にとって、それは信じ難いことも同然。
「だって、そんなことすれば貴方は……」
続く言葉に迷ったのか、幾度か唇を震わせた後に彼女は口を閉じてしまった。