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となりの花屋さん

薄暗い中、月明かりが鋭く浮かび上がらせたのはサボテンの刺。緑色のそれは隣の花屋から買ったもので、枯れないように大事にしてきた。何時だったか、隣人にサボテンに似てると言ったことを思い出した。
高尾の胸は、サボテンの刺に苛まれているかのようだ。


となりに花屋さん


「高尾」
緑間は高尾との夕飯も半ば、箸を置いた。
「なに?」
高尾は箸を進めながら、緑間に視線を移す。サラダのような料理に白米はあわなかったかな、と心配していたが、意外とご飯が進んでいるようで安堵していた。
「その……恋人はどうなのだよ?」
「コイビト?あー、今はいないよ。真ちゃんは?」
緑間が他人の私情に興味を持つなんて、と高尾はちょっとした動揺を悟られないよう再び食卓に目をやる。残り少ない魚を取り、ドレッシングを絡めて口へ運ぶ。スダチの酸っぱさに片目を瞑った。
「……いないのだよ」
「ふーん、なんか珍しいね。どったの?」
珍しいが故にもしかして、と淡い期待を高尾は胸に抱いた。しかしうつむいた緑間から言葉は返ってこなかった。それを見て高尾は小さく息を吐き、やっぱ肉食べたくね?と言って立ち上がろうとした。
「……あさ」
緑間の口から小さな音が聞こえた。高尾は立ち上がるのを止め、緑間に向き直った。
「朝、の人は……」
「あー、アレね。アレは」
高尾の妹だ。昨日の夜、久しぶりに妹と夕飯を兼ねて飲んだのだ。兄妹の仲が特別いいというわけではないが、たまに二人で外食する。高尾はそう伝えようとしたが、思いもよらない緑間の言葉で遮られた。
「恋人じゃない異性と、一晩過ごすのはよくないのだよ」
「……は?」
高尾は唖然とした。そもそも昨晩一緒にいたのは妹である。そう説明しようにも堰を切ったように緑間の口から言葉が出てきた。
「けじめがないというか、ふしだら極まりないのだよ。」
くい、と中指で眼鏡のブリッジを押し上げ、緑間は続ける。
「一晩だけとか、お前はよくても、よくない人もいるのだよ」
高尾は緑間を見て、これ聞くの、二回目だ、と思った。勿論、緑間の口から聞くのは初めてで、前に言っていたのは誰だったかははっきりと思い出せなかった。ただ、淡々と続く否定の言葉に腹が立った。でもそれがデタラメかと言えば違った。高尾は言われて初めて、人と真剣に向き合ってなかった事を知った。そして、その言葉は高尾にとってぐさりと、重く、胸に刺さった。
「だから、人付き合いはもっと誠実にしろと言っているのだよ」
だからこそ、高尾は同じ言葉を聞くことは怠かった。
しかもこの言葉は緑間の勘違いからである。高尾自身、そのことは頭でわかっている。だけど今更になってやっと出来上がった瘡蓋を剥がされたような気持ちになった。
「大きなお世話だよ」
今までに聴いたことない高尾の低い声に驚いた。高尾はこれまでの高尾を緑間に否定された気がしていた。同時に、緑間は本当に言いたいことと主旨が違った事に気付いた。

束の間の、時計の秒針が聞こえる程の静寂を終わらせたのは高尾だった。
「すっげー気分悪いから帰る。片付けやっといて」
まだ残っている茶碗に箸を乗せた高尾は、今度こそ立ち上がり、そのまま足速に暗い店内へと出た。
「高尾」
機嫌が悪いことが伺える足音を、バタバタと忙しない足音が追って、音の主が高尾を呼ぶ。緑間は高尾を怒らせてしまった事を謝ろうとした。
「ついて来んな」
冷たく言い放つ高尾に、伝えたい事が違ったことを言おうとした。
「待て、高尾。違うのだよ」
緑間はやっと高尾の左手首を掴んだ。ピクリと肩が動いた高尾は、意外にも従順に足を止める。その背を緑間はじっと見つめた。
「何が違うんだよ!!」
突然の大きな声に、一瞬、緑間の身体が強張る。高尾は肩で大きく息を吐いた。
「違わないだろ?少なくとも、根っこではそう思ってんだよ」
絞りだすような、息と変わらないくらいの声で高尾は言った。声は少し、震えていた。

「俺は真ちゃんと誠実に向き合ってたよ。お前はそんな風に思ってないみたいだけど。俺のこと頭ごなしに否定すんな」
緑間は何も言えなかった。何を言っていいのか、わからなかった。高尾の背中がいつもより小さく見えた。

「離せよ」
「俺が言いたいのは……」
「離せって言ってんだろ」
左手を思い切り振り払った拍子に、緑間に高尾の顔が見えた。暗い中に、外から射し込む月の光で浮かび上がる表情に緑間は思わず手を伸ばす。高尾の頬に触れた手をそのままに、緑間はそっと唇を重ねた。

「真ちゃんさ、言ってることとやってること、矛盾してるよ」
離れた高尾に言われて、解っていたはずの誠実に向き合うということが解らなくなった。
それから1週間、緑間は高尾に会っていない。

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