プラネタリウムにはきっとできない
「どうしたんだよそれ」
「……大したことはない、少しぶつけただけだ」
年末年始の休暇明け。帰省から戻ってきた腐れ縁の手首には、赤黒く痛々しい痣が浮かんでいた。
「ちょっとそこらにぶつけたくらいじゃそんな腫れ方はしないだろ。しょうもない嘘ついてんじゃねえよ」
「もし私が嘘をついていたとしても、お前には何の関係もないだろう」
「誰にやられたんだよ」
「だから三宙には何の関係も、」
「朔」
今までよりも一段階強い口調で名前を呼べば、朔は諦めたようにため息を吐いてからようやくこちらへ向き直る。『面倒なことになった』とでも言いたげな瞳を、いいから早く話せと睨み返した。
「……実家にいるときに、父と少し口論になってしまって。その時に」
「何だよそれ、娘に手ェ上げたってこと?」
「違う、軽く掴まれただけだ」
「違わないだろ。こんな痣になるまで握ってたんだから」
「違うんだ三宙、これは私の落ち度でもある」
言いながら、朔は自らの頬へそっと指先を這わせる。真っ白なガーゼが貼られたそこにあるのは少し前の侵食防衛の際、逃げ遅れた子供を崩壊する建物から救い出してできた傷だったはずだ。
「父に言われたんだ、『未婚の娘が顔に傷を付けるなんてどういうつもりだ』と」
「……は?」
「自分では名誉の負傷だと思っていたんだが、父は――父上はそうは思わなかったらしい。とてつもなく腹が立っていたはずなのに、私は何も言い返せなかった」
手のひらに爪が食い込むほどきつく拳を握りしめて、何もない天井をじっと見つめる。長い付き合いの中で幾度となく見てきたそれは、朔が泣くのを必死に堪えているときの仕草だった。
「――源の家を存続させることは私の使命で、義務で、夢だ。叶えるためにはいつか私は結婚しなければならないだろうし、父の言い分に間違いはなかったはずなんだ」
どこか遠くを見据えたままの彼女が言っていることは、何一つ間違っていない。なのに。
自らの信念を傷つけられるような言葉をかけられても腹を立てることすらできず、矛盾を抱えたままどこまでも正しくあろうとする彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「何でそこまでして良い子でいようとするんだよ」
「……分からない」
自分も朔も、いつまでもこのままではいられない。終わりの見えないデッドマターとの戦いで明日命を落とすかもしれないし、因子を持つ子を産むために本当にいつか誰かと結ばれることがあるかもしれない。多分それは既に約束された未来で、名家の娘として生まれ志献官として生きることを望んだ自分たちが絶対に負わねばならない業なのかもしれない。でも。
源朔がここに至るために決めた覚悟を、積み重ねてきた気の遠くなるほどの努力を。あの男はただ親だというだけで、そうも簡単に踏み躙ることができるのか。今目の前にいるひとりの少女の人生は、所詮は源の血を繋ぐための道具でしかなかったのか。
「本ッ当ムカつくわ。お前と、お前んちのそういうとこ」
「三宙……?」
目の前にいる彼女は、いずれ知らない誰かのものになってしまう。星空が好きで兄想いで、馬鹿正直で融通が効かなくて、一番星そのもののような真っ直ぐさを持つ少女の源朔はいなくなってしまう。幼馴染の自分だけが知っている彼女の輝きは、いつか見知らぬ誰かが攫っていってしまうのだ。プラネタリウムのように閉じ込めて、自分だけのものにすることはきっとできない。
「どうしたんだ三宙、さっきから様子がおかしいぞ」
「――こんなことしたって、なんの解決にもならないのにな」
どうせ失われることが決まっている輝きだと言うのなら、最初に奪うのはせめて自分がいい。心配そうな目でこちらを見つめる彼女のネクタイを引っ掴んで、その唇を強引に奪った。
「……大したことはない、少しぶつけただけだ」
年末年始の休暇明け。帰省から戻ってきた腐れ縁の手首には、赤黒く痛々しい痣が浮かんでいた。
「ちょっとそこらにぶつけたくらいじゃそんな腫れ方はしないだろ。しょうもない嘘ついてんじゃねえよ」
「もし私が嘘をついていたとしても、お前には何の関係もないだろう」
「誰にやられたんだよ」
「だから三宙には何の関係も、」
「朔」
今までよりも一段階強い口調で名前を呼べば、朔は諦めたようにため息を吐いてからようやくこちらへ向き直る。『面倒なことになった』とでも言いたげな瞳を、いいから早く話せと睨み返した。
「……実家にいるときに、父と少し口論になってしまって。その時に」
「何だよそれ、娘に手ェ上げたってこと?」
「違う、軽く掴まれただけだ」
「違わないだろ。こんな痣になるまで握ってたんだから」
「違うんだ三宙、これは私の落ち度でもある」
言いながら、朔は自らの頬へそっと指先を這わせる。真っ白なガーゼが貼られたそこにあるのは少し前の侵食防衛の際、逃げ遅れた子供を崩壊する建物から救い出してできた傷だったはずだ。
「父に言われたんだ、『未婚の娘が顔に傷を付けるなんてどういうつもりだ』と」
「……は?」
「自分では名誉の負傷だと思っていたんだが、父は――父上はそうは思わなかったらしい。とてつもなく腹が立っていたはずなのに、私は何も言い返せなかった」
手のひらに爪が食い込むほどきつく拳を握りしめて、何もない天井をじっと見つめる。長い付き合いの中で幾度となく見てきたそれは、朔が泣くのを必死に堪えているときの仕草だった。
「――源の家を存続させることは私の使命で、義務で、夢だ。叶えるためにはいつか私は結婚しなければならないだろうし、父の言い分に間違いはなかったはずなんだ」
どこか遠くを見据えたままの彼女が言っていることは、何一つ間違っていない。なのに。
自らの信念を傷つけられるような言葉をかけられても腹を立てることすらできず、矛盾を抱えたままどこまでも正しくあろうとする彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「何でそこまでして良い子でいようとするんだよ」
「……分からない」
自分も朔も、いつまでもこのままではいられない。終わりの見えないデッドマターとの戦いで明日命を落とすかもしれないし、因子を持つ子を産むために本当にいつか誰かと結ばれることがあるかもしれない。多分それは既に約束された未来で、名家の娘として生まれ志献官として生きることを望んだ自分たちが絶対に負わねばならない業なのかもしれない。でも。
源朔がここに至るために決めた覚悟を、積み重ねてきた気の遠くなるほどの努力を。あの男はただ親だというだけで、そうも簡単に踏み躙ることができるのか。今目の前にいるひとりの少女の人生は、所詮は源の血を繋ぐための道具でしかなかったのか。
「本ッ当ムカつくわ。お前と、お前んちのそういうとこ」
「三宙……?」
目の前にいる彼女は、いずれ知らない誰かのものになってしまう。星空が好きで兄想いで、馬鹿正直で融通が効かなくて、一番星そのもののような真っ直ぐさを持つ少女の源朔はいなくなってしまう。幼馴染の自分だけが知っている彼女の輝きは、いつか見知らぬ誰かが攫っていってしまうのだ。プラネタリウムのように閉じ込めて、自分だけのものにすることはきっとできない。
「どうしたんだ三宙、さっきから様子がおかしいぞ」
「――こんなことしたって、なんの解決にもならないのにな」
どうせ失われることが決まっている輝きだと言うのなら、最初に奪うのはせめて自分がいい。心配そうな目でこちらを見つめる彼女のネクタイを引っ掴んで、その唇を強引に奪った。
1/1ページ