第十章
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決勝戦当日、コートにいない彼に気が付きたけに聞いたが、たけも知らなかった。それから青学のベンチに赴き帰ってきた跡部の口から聞かされてたのは、越前くんが軽井沢にいるということだった。
なぜ。そう思わざるを得なかった。越前くんはシングルス1の予定と聞いている。青学の柱。手塚は以前、彼のことをそう言った。そんな彼が、いない。もちろんシングルス1のため、越前くんにまで出番が回らない場合だって十分にある。
けれど、この決勝戦。立海との決勝戦に、彼がいないなどあってはならない。そう強く思っていた。
テニスを楽しいと言った彼。彼があの立海と当たることは、立海にとっても大切なことなのではないかとずっと思っていた。今日の試合前、立海の皆に声をかけられ、心を鬼にして戦うと彼らは言った。立海のエンブレムを背負う彼らの背中を見送りながら、常勝、掟、王者という言葉はどこか呪いのように感じてならなかった。
日吉を、跡部を負かした越前くん。氷帝を二度も敗退へと導いた越前くん。以前、勝者は敗者の思いも背負って進んでいかねばならないと彼に伝えた。氷帝に勝利した彼が、戦いの場に立つことができないまま、不戦敗で終わるなんて結末は絶対に認めたくなかった。
跡部と目が合う。その目が語る。跡部もきっと、同じことを考えている。お前はどうだと語り掛けている。
それに、越前くんへの借り、返すって言ったもの。そう心で告げ、頷く。跡部も微かに頷き、共に向かった。
今日ばかりは跡部のヘリコプターがありがたかった。
跡部、桃城、忍足と共に乗り込む。以前、越前くんを桃城と共に家に送り届けたときに聞いた連絡先に電話を入れる。それから、越前くんのお父さんにつながった。
どうやら越前くんはお父さんと共に電車に乗って移動していたようだ。越前くんを降ろすから拾って欲しいと駅名を言われた。越前くんのお父さんは電車旅でのんびり会場に向かうとか何とかで、電話を切ってしまった。
道すがら、決勝戦の様子を会場にいるたけたちから電話で聞く。
手塚が手塚ゾーンの逆で打球をすべてアウトにすることをしていると聞き、跡部と共に驚きを隠せなかった。全国大会の抽選日、共に帰った時に電車の中で手塚ゾーンの逆の話をした記憶が思い出される。手塚ゾーンを超える6割増しの回転。その時は、不可能なのではないかと話していた。しかし、確かに手塚は何か含みのある顔をしていた。そして、それを可能にしてみせた手塚。彼もまた、青学の柱だった。
真田に信条である真向勝負を捨てさせた幸村。今、真田はどんな思いで試合をしているのだろうか。
示された駅につくと、越前くんがぽつんと立っていた。青と白、赤のラインが入った眩しいユニフォーム。白い帽子をかぶり立つ越前くん。桃城が大きく声をあげ呼びかけるが、なんだか様子が変だ。
近くに行き、声をかけるもいつもと雰囲気がまるで違う。この感じ、と跡部が訝し気に呟く。
「わーヘリコプターなんて初めてです!華やかですね。お兄さんや、お姉さんは、誰ですか?」
越前くんは、記憶を失っていた。テニスに関することも、全て。
跡部や忍足から記憶喪失のことについて質問される。桃城は私が数日前まで記憶喪失になっていたと知らなかったようで驚かれた。自分の記憶が戻るのにかかったのは3日だった。けれど、正直言って最後の日が一気に思い出したに等しい。
「んじゃあとりあえず、ベンチに戻って試合を見ていれば、思い出すかもしれないんスね」
「きっと。今までの思い出に多く触れていれば、一つ何か切っ掛けがあれば、そこから思い出せるんじゃないかなと思う」
「ほな。もしやで、シングルス1までもつれこんだ場合、その時まで越前が思い出さなかったらどないするん?」
そんなことをやりとりをしながら、身体の記憶についても話をして会場に戻ってきた。
そして決勝戦は、シングルス1にまでもつれ込むことになりそうだった。たけやうめたちと、越前くんの今までの試合相手を探し、桃城と越前くんの元に向かった。髪様を通じて命の恩人である田仁志にも連絡をいれた。亜久津にも連絡をいれ、モンブランの話をしたら二つ返事で了承してくれた。それに、越前くんとの試合は彼にとっても大切なものだったようだ。
跡部はきっと、真田と共に来るだろう。
屋外テニスコートには、海堂とミイラ男のようになっている乾もいた。越前くんは桃城に「もっと教えてください」と声をかけている。
予想を上回る数の人が、集まった。少しして、真田と共に跡部が現れた。真田が来たということは、シングルス1が行われるということだろう。
越前くん。皆と過去の試合を再演するようにテニスをする彼。不思議な子だ。君の試合は、どこか人を奮い立たせる、人の琴線に触れる何かがある。そんな彼が、幸村とこれからぶつかる。
幸村。常勝無敗の王者。立海三連覇。勝つためのテニス。勝ち続ける宿命。それらは、幸村が自分自身にかけたある意味で呪いだ。きっと私がどうこうできるものじゃない。幸村自身にしか解けないものだ。そんな彼が、越前くんと試合をすれば、きっと……。
「まつさん。俺、絶対勝つから」
「越前くん」
声がかかる。見ると、越前くんが不敵に笑っている。ああ、いつもの彼だ。生意気だけど可愛げがある。どこか光に似ていて弟のように思っている。戻って来たんだ。おかえりと口が零す。
「いってらっしゃい。楽しんでおいで」
「ッス」
そう言い、彼は走り去っていった。その背中に投げつけるように、時代を変えちまえと空に笑う跡部。
「真田も、ありがとう」
「真っ向勝負で奴を叩き潰す。それが立海のやり方だ」
そう真田はまっすぐに返す。そんな真田を見つめる。
「この前の時といい、何か言いたげだな」
真田は意外と鋭い。真田の名前を呼び、私はゆっくりと言葉を選んで紡ぐ。自分の考えはまとまっているとは言い難い。それに、選手でもない私がとやかく言うべきではないことも分かっている。けど、耳を傾けようとしている真田に、立海の真田に伝えたかった。
「立海の皆に、こんなこと言うのもだけどさ。勝ち負けだけが全てじゃないと思う」
「……綺麗事だな」
「うん。もちろん勝負で勝つのは大事なことだよ。けど、一番大事なのかなって」
「何が言いたい?」
「氷帝ってさ、意外と負けているのよ。都大会も、関東大会も、全国大会も。関東大会では初戦で負けて全国大会出場を一度は逃がした。けど、毎回その度に立ち上がってきた」
都大会では宍戸が、関東大会では皆が立ち上がってきた。立ち上がるたびに強くなってきた。
「負けて学ぶことも多い。いや、学ぶのことが多かったのは、いつだって負けた時と言った方がいいかな。そう思ったの。次への勝利のために、雪辱を果たすために。だから、いつだってまた、立ち上がって頑張れる」
真田は静かにこちらを見ている。真田も関東大会で越前くんに負けている。彼がこれをどういう思いで聞いているかは分からない。けれど、表情は穏やかだ。
「勝ち負けにこだわるのは大事。勝つことを目的として、強くあれるのも事実だから。けれど、それだけが大事というのは違和感がある」
それに、と続け私は空を見る。眩しいほど青い空。全国大会決勝のシングルス1の試合開始を告げるアナウンスが聞こえた。
「大好きなテニスを、楽しいって思う気持ちを立海の皆には、否定しないで欲しい」
私の大切な人が、大切にしているものを、自分が好きなものを楽しむなんて不要とその感情を切り捨ててしまうのは悲しい。ずっと、そう思っていた。立海の試合を見ていて、立海の皆と会話をしていて覚えた胸の違和感。きっと、それはこの思いだろう。
ふと、隣に立つ真田から微かな笑い声が聞こえた。
「お前には、いつも気付かされる。その思い、幸村にも届くと良いな」
真田が含み笑いを向け、会場へ踵を返していった。去り際に跡部と何か話している。思えば、跡部と真田、関東大会と全国大会でそれぞれ手塚と越前くんとあたっている。勝敗も同じだ。何か通ずるものがあるのだろう。二人とも不敵な笑みを浮かべていた。
少しでも、私の願いは真田に伝わっただろうか。
それから越前くんのために集まった人たちと言葉を交わし、たけ、日吉、跡部と共に氷帝の元に戻る。
「くっそー越前のヤツ、記憶なければ勝てっかななんて思ったのに。なんだよ嘘かよってくらいだったな」
「ほんとに。生意気な奴です」
「ぷぷ。日吉に言われてらー」
「なんですたけさん。文句あるんですか」
そんな会話をしながら会場に着く。どのような試合が繰り広げられているのか。真田や跡部の時のような激戦が繰り広げられているのだろうか。
しかし、私の予想とは全く異なった世界が広がっていた。
ゲームカウント3-0。圧倒的。まさにその言葉がぴったりなほど、幸村は強かった。
才気煥発の極みを遣う越前くんが宣言した5球目。それは観客席の方へと消えていった。
「どうしたんだ越前。あんな打球」
「越前くんらしくないアウトだね」
「なんか、距離感が掴めていないような」
私たちが呟くと、越前くんはコートに倒れこんだ。鼻血が出ていることにも気が付いていない様子だ。
「ついに幸村のテニスが始まった」といった声がする。四天宝寺のところで、遠山くんが何かを語っている。うめが越前くんが来るまで繰り広げられていたという一球勝負について私たちに伝えてきた。
相手の五感を奪うテニス。それは例えでもなんでもなかったのだ。本当に、彼は対戦相手をイップスに陥らせてしまう。ついたあだ名が神の子。
自分自身が体が思うように動かなくなるのを経験した幸村。誰よりもその苦しみを知っている彼が、相手を同じような状況に追い込んでいる。どこか幸村という人となりの恐ろしささえ感じる。
五感を奪われ、絶望的な状況の中でも必死にテニスを続けようとする越前くん。幸村もそんな越前くんに驚きを隠せないでいる。
「越前、どうしてそこまで」
「見てられないよ……」
たけとうめも苦し気に顔をゆがめる。忍足がそんなうめを支えるように肩をそっと抱いていた。
越前くん。私は必死に心で呼びかけた。彼があのように苦しそうに、悲しそうにテニスをしている姿は見たことがなかった。
「……越前くん」
私が彼の名前を呟くと同時に、越前くんが顔をあげた。その目には光があった。まるで何かを思い出したかのような、何か答えにたどり着いたかのような表情だ。
「テニスって、楽しいじゃん」
そう笑いながら言う越前くんと、目が合う。改めて笑顔を向けられる。そして、突如越前くんの体が光に包まれたようになった。
「な、なに?!」
「あれは……天衣無縫の極み?!」
会場には動揺が広がっていた。たけも信じられないといった顔をして越前くんを見つめている。いやたけだけじゃない、皆が驚きの眼差しを向けている。対戦する幸村さえも。
輝くばかりの笑顔でテニスをしている越前くん。体中でテニスをしている喜びを表現している。
「なんだよあれ、眩しすぎだろ」
「えっ、たけ泣いているの?!」
テニスを楽しむ、そうだよなと呟きながら静かに涙を流しているたけ。一度はテニスから離れてしまった彼女だからこそ、より心にくるものがあるのだろう。青学ベンチに、越前くんのお父さんが来て何かを語っている。
天衣無縫の極みに達した越前くんは、幸村を圧倒していた。越前くんの言葉を否定するように、拒絶するように応戦している。常勝無敗、その誇りにかけて、勝利へと必死にくらいつく幸村。闘病生活を経て、今ここに再びコートに立っている幸村。
幸村に、立海に勝って欲しい、けれど、テニスを楽しんでいる越前くんに勝って欲しい。自分の中に二律背反の思いがある。
越前くんが自身の技で半分にしたボールを返した幸村のコートへと、渾身の力で叩き込む。
ゲームセットウォンバイ……越前リョーマ6-4!!
会場に響いたのは、青春学園優勝を告げるアナウンスだった。