第八章
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
胸が痛い。心が痛い。
母が亡くなったとき、これ以上の悲しみがあるのだろうかと思っていた。心は強い方だと思っていた。全くそんなことはなかった。私はあれから何も変わっていない。
昨日、ねずに声をかけられ、二人で話をした。久しぶりに会ったため、はじめは近況報告など当たり障りのない話題ばかりだった。今回、たまたま顧問のオサムちゃんと言う人と白石が私が合宿に来ることを話しているのを聞いて、合宿に参加しようと思ったらしいことも話してくれた。
そんな中で突然、ねずがたけと不二、うめと忍足が付き合っているのかどうか聞いてきた。
「よく分かったね」
「まつの友達だからどんな子たちかなって見てたら、すぐわかったよ」
ねずは相手のことをよく見ている。
そして、二人の幸せを邪魔しちゃいけないんじゃない?と突然聞いてきた。何のことかと私は驚いた。
「ほら、私今日さまつに付きまとってたけど、まつもちょっと困ったでしょう?」
「……まあ。正直ちょっと思った」
「私もわざと意識してやってたから気にしないで。まつに気付いて欲しかったの。誰かと話したいけど、別の人がいたら話ができない。あの二人もさ、まつが友達だからってずっといたら気まずいんじゃない?」
そう言われ、少し胸が痛んだ。
「今日、氷帝にまつは行こうとしてたけど。ためらったよね?」
そりゃそうだ。あの二人を見て、引き離すの躊躇った。
「まつ。しばらく二人から離れたら?」
「なんで?」
「あの二人、やっぱり不二君や忍足君と話しているときが幸せそうだもん」
ねずは邪魔しちゃ可哀そうだよ、と念を押す。邪魔しているつもりはなかった。けれど、確かにねずの言っていることも納得した。私は恋愛をしたことないから分からないけれど、恋人との時間はきっと大切だろう。
私は二人にとって邪魔なんだろうか。あの二人は過去に折り合いをつけて、幸せをやっと手にした。そう思うと、何だか申し訳ない気がする。
悩んでいる私に対してねずはダメ押しのように言葉を紡ぐ。
「それに、まつさ。氷帝の皆の前で、他校の皆とあんな風に仲良くしてたら、よく思われないんじゃない?」
その言葉に心当たりがありすぎた。この前の跡部のことが重なる。お前はどこのマネージャーだと言われた。けれどあれは和解したはずだ。
そんなことをねずは囁き、今ならまだ引き返せると思うよまつ。そう言いまた明日と別れた。
なんだか釈然としないまま、ロビーに向かうと幸村から声をかけられた。いつものように会話をするが、先ほどのねずの言葉が引っ掛かっていた。そして、たけと不二、うめと忍足が一緒にいるのが見えた。幸せそうに話している。私に気が付き、声をかけてきた。
どうしたものかと思いながらも、部屋に戻った。二人は今やはり幸せなんだろうかと思い聞くと、恋人といられることは幸せ、嬉しいといった返事があった。二人の幸せを邪魔しちゃだめだよ、そうまた囁かれた気がした。
三人で仲良くしていた。これからも三人で仲良くしていくだろうと思っていたが、いつからか二人には別の居場所があった。
昨日の夜はベッドに横になりながら、ずっとモヤモヤしていた。
最悪だ。父が再び現れたあの日から、1年のあの冬を思い出す機会が多すぎる。ここ1か月でなんでこんなに色々と重なるのか。
白石と会ってしまったのも大きい。彼との記憶は忘れ去りたかった。
思えば、あれから私は誰か信頼しただろうか。周囲は私を優しいという。誰にでも平等に接していると。もともと母がくだらない身分違いであのような苦労をしていたことから、肩書きで人を見ることや差別は嫌いではあったが。
信頼するのが怖くなっていた。相手に期待してはいけないと、あれから自分に言い聞かせていた。勝手に信頼して、その信頼に応えてもらえなかったら裏切りだと思ってしまう。そんな自分も嫌だったし、何より傷つくのが怖かった。なのに、こんな自分のことは信頼して欲しいなんて思っている自分もいる。こちから信頼をしなけらば向こうだって信頼してくれるわけがないのに。結局自分が可愛いだけなんだ。
こんな醜くて弱い自分に嫌気がさした。
今日、気にかけてくれるうめと、どう接したらいいのか分からなくなった。いつもどう話していたか、意識すればするほど何と声をかけたらいいのか戸惑った。
午前は雨が降っていたため、室内で皆はトレーニングをしていた。私は気持ちを整理しようと、一人になれるようにマネージャーの控室のような場所で仕事をしていた。ふと、いつも持ち歩いている皆の特徴が書かれたノートを見る。大分草臥れてきている。他校の欄も作り、それなりに埋まってきている。関東大会を経たこと、この前の立海に行った時にかなり書き込みをした。何度も見返したこのノート。正直言って、もう見返さなくてもどこに何が書かれているか内容も頭に入っていた。けれど、どこかお守りのように持っている。テニス部との絆がここにあるような気がする。
突然声をかけられ、見るとうめがいた。
「まつが心配で。どうしたの?私に何かできることがあったら……」
そう言ううめ。純粋に心配してくれているのが分かった。冷たく突き放しても、寄り添おうとする友人。けれど、今の私にとって、逆にそれが自分の醜さを強調するようで苦しかった。
何かあったか話してほしいと言ううめ。けれど何を話せばいいのか戸惑った。私は邪魔?そう口がこぼしそうになった。そんな質問をしたら困惑するのは容易に想像できた。私自身もどうしたいのか分からない。なんでこんなに苦しんだろう。つい先日までは全国大会に出場できると皆で喜んでいた。そもそも、私は皆でと思ってるが、その皆の中には私はいるのだろうか。どんどんネガティブな思いばかり溢れてくる。
なんでこうなのだろう。二人が過去と向き合い、前に進んでいるのはテニス部に関わったからだった。そう思うと、私は結局何もしていない。
自分はいったい何がしたいのか。こんな苦しいのなら、テニス部との絆なんていらない。そう自棄になった私はノートを破こうとした。そして、必死にそれを止めるうめの手を反射的に叩いてしまった。
うめは驚愕の表情をしている。私は、友人に手をあげた。
うめの声を聞きやってきた皆。その表情に、私は逃げ出したかった。いけないことをしてしまった。そう思うが、逆にここまで来たのならもう二人には関わらない方がいいのかもしれない。妙に冷静な口調に自分でも驚く。完全な自暴自棄だ。分かってる。けど、どうしようもなかった。ぐちゃぐちゃの心を吐き捨てるようにノートを叩きつけた。
そして私は、その場から逃げるように離れた。
つい先ほどのことなのに、ずいぶん昔に感じる。午後からまた練習がある。何となくテニスコートに来てしまった。ほぼ無意識で足が赴いていたが、我ながら未練がましい。
「探したぜまつ」
そう声をかけられ、見ると跡部が入り口に寄りかかっていた。
どうしてここにいるんだ。てっきり先ほどのことを非難しに来たのかと思ったが、その表情から違うようだと読み取れた。
「何しに来たの?」
「自分のマネージャーのメンタルケアをするのは当然だろ」
相変わらずよく分からないことを言う跡部に、練習は午後からでしょ今は休んでなよと言い、私は跡部から逃げるようにテニスコートを出ようとする。
黙ってこちらを見ている跡部の横を通りすぎ、ホッとしたのも束の間。
身体が後ろに引かれ、背中に温もりを感じる。鍛えている両腕が私の肩口に回されている。
「前に言ったはずだ。お前の背負っているものを俺にも背負わせろと」
耳元で跡部の声がした。