第八章
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四天宝寺も交えての合同合宿。私はそのことを告げられてから気持ちが重かった。
たけたちに心配をかけないようにと思い普通に振舞っているつもりだったが、どこかでやはり心配をかけていたようだ。バスの中など、跡部あたりからの視線が居たたまれなかった。
私は中学1年の冬まで大阪で暮らし、短い間ではあったが、四天宝寺中学校に通っていた。
母が亡くなり、父に引き取られるときに父方の姓を名乗るようになった。そして、家柄から私が家元を離れ大阪の公立の学校に通っていたといった記録を消したかったらしく、前の中学のことは他言しないように、連絡も取らないようになどと意味の分からないことを祖母に口を酸っぱくして言われた。本当に祖母は苦手だ。
四天宝寺に通っていたということがばれるのは別になんて事はなかったが、私が気がかりだったのは白石のことだった。この前、跡部からクビ発言をされた時、思い出したのは白石のことだった。そう、かつて彼も、私にクビ発言をした。
バスから降りてくる四天宝寺の皆と視線を合わせないようにしていたが、かつてのクラスメイトであった謙也にすぐに見つかりあろうことが大声で名前を呼ばれる。バスから降りてくる白石と目が合った。白石も一瞬驚いた表情をするが気まずそうに目を逸らされる。その何気ない仕草に胸が痛む。だから、会いたくなかったのに。
練習に向かう際に、そんな白石から声をかけられた。
「成り行きで氷帝のマネージャーしているけど、白石には関わらないから安心して」
何か言われる前に、私は白石に告げその場を去った。「まつ。マネージャーを、辞めて欲しいんや」かつて、彼は私にそう言った。
忘れもしない、あの冬の日々が思い起こされる。
校門でギャグをかまさないといけない謎風習の四天宝寺。入学式の時、どうしようか悩みながらも小さくオヤジギャグを言ったら銀さんが隣で般若心経を唱えてきたので驚いたのを今でも覚えている。
1年の時、同じクラスだったのは、銀さん、小春ちゃん、タケジローこと健二郎、謙也だった。今振り返るとテニス部のレギュラーが多く集まっていたんだなと思う。クラスで決めたルールで、下の名前で呼ぶといったものがあったため、自然と彼らとは下の名前で呼び合うことになった。
小春ちゃんとは女の子同士の会話がよくでき、仲良くなるのも早かった。私は家が大好きなことや、母の家事の手伝いをするため、よく家までダッシュしていたので足は速かった。ある日、体育の時にタイム取りで足が速いことに目を付けられ謙也とは仲良くなった。それから、何かと勝負を持ちかけられるようになり、ばったり遭遇したら短距離走を競うなどよく分からない風習が二人の間でできていた。勝負ならなんでもいいのか、高速ペン回し対決などといったものもあった。ペン回しがうまくできなくてペンを吹っ飛ばし二人で怒られたりしたこともある。もともと長距離派だったが、謙也のおかげで短距離もそれなりに速くなったと思う。それのせいで氷帝でダサい異名が生まれてしまったが。
四天宝寺は運動部も文化部もどちらも所属するというこれまた謎の風習があり、どの部活にするか悩んでいた。家の事情もあり、あまり無理のない部活に入りたかった。文化部は銀さんから仏閣同好会をすすめられ、一緒に入部した。運動部をどうするか悩んでいると、謙也からテニス部のマネージャーにならないかと熱く勧誘された。
ものは試しということでテニス部のマネージャーになり、そこで白石や一氏と知り合った。
はじめは慣れない仕事に、それにルールすら知らなかったため苦労した。けれど、何よりテニスをしている皆が楽しそうで私も元気を貰えていた。おちゃらけた雰囲気もありながら、真剣に貪欲に勝ちを取ろうとする皆。
しかし、その頃の四天宝寺は、正直言って強くはなかった。先輩たちは勝ちより笑いばかり重視し、公式戦でも勝ちに拘っていなかった。それに不満があった私たちだったが、1年が何か言っても、取り入ってもらえなかった。マネージャーの仕事をしていても、先輩たちはテニスと関係ないことでちょっかいをかけてきたりして困ったりもした。
「アホやな。その先輩たち全員退部でええんちゃうか?」
「言うね光。なかなかうまくいかないもんなのよ」
ご近所で母同士が仲が良かったため、光とは姉弟のように育っていた。そんな光に学校のことを相談することも多かった。
正確に言えば、問題なのは顧問だった。何とかできないかと考えてもいたが、うまくいかないまま地区予選が始まった。年功序列とのことで、1年はレギュラーに選ばれず、練習もまともにしていない先輩たちが出場し、当然予選は敗退だった。
私たちは悔しかった。けれど、それ以上に白石が悔しそうだった。冷静に見える彼は、誰よりも四天宝寺が勝つことに拘っていた。
「俺たちが、テニス部を変えていくしかあらへん」
「せやな。このままじゃアカン」
「お笑いもテニスも勝ち取らな意味ないわ」
「俺らの代で絶対全国行くで!」
そう言葉を交わし、私たちはお揃いのリストバンドを買ったんだっけ。
それから、ねずが突然、自分もテニス部のマネージャーになりたいと言ってきた。ねずとは以前に些細なことがきっかけで仲良くなった友人だった。彼女は中学校進学のタイミングで大阪に越してきたようで、標準語仲間だった。テニス部の仲間が増えるのは嬉しかったし、私は白石に相談してた。白石もええんやないか、とすぐに承諾しねずもマネージャーとなった。白石としても同じクラスであったためねずの人となりは分かっていたのだろう。
そして季節は冬。母が倒れ、私は部活を休むことが多くなった。このままテニス部のマネージャーを続けるか悩んだ。皆には、家庭の事情として休みを伝えていた。片親であることや、母が入院しているといったことを知られていらない心配をかけたくなかったため、あまり深く聞かれないように心がけた。けれど、回復の兆しもなく日に日に病状が悪化していく母に、どうしたらいいか分からなくなった。
「光。どうしたらいいかな」
「まつがやりたいようにやったらええ。そんでも悩むなら、テニス部で一番信頼しとるヤツにでも相談したらええんやないか?」
自分の思いを考えていた。マネージャーとして皆を支えながら、私も皆に支えられていた。テニス部で一番信頼していた白石に、家のことも含め相談しようと思った。白石に話したいことがあると伝えたら、白石の方も何か伝えたいことがあったらしく放課後に話すことになった。
そして白石から告げられたのは、まさかのマネージャーを辞めるようにとのことだった。
「しばらく関わらんで欲しい」
そう言われ、私は頭が真っ白になった。なんで。そう思っても、聞く勇気が起きなかった。頼りにしていた。母が倒れ、これからのことに不安で押しつぶされそうになる中、彼なら話を聞いてくれると思った。けれど、深く踏み込ませなかったのは私だった。私は、悲しみもさることながら、ただただ自分の愚かさを、紛らわすように笑うしかなった。
「……そっか。丁度よかった。実は私もね、辞めようと思ってたんだ」
そう返事をし、私はテニス部のマネージャーを辞めた。それから、光にはテニス部やめることにしたと伝え、せっかくだし光もテニスしたらなんて言ってリストバンドを託した。託すというより押し付けたに近いが。
それからすぐ母が亡くなり、父がやって来て、四天宝寺を私は去った。
「おーい!まつ!まつってば!」
「たけ。ごめん考え事してた。どうしたの?」
「いくら話しかけても返事しないから、立ったまま寝てるのかと思ったぜ」
「まつ!ドリンク零してるよ!」
「ああ!ごめんごめん」
二人に少し離れたところから声をかけられ、そうだ今は合宿中だと思い起こす。思い出にひたっていないで、しっかりしなくては。全国大会だってもうすぐなんだから。
そう思い、零したドリンクを拭く。拭いていると、誰かの手も一緒になって拭いてくれていた。誰だと思い見ると、ねずがいた。
「久しぶり。またまつと会えてうれしい」
「ねず。突然やめちゃってごめんね。私もねずにまた会えてうれしいよ」
気にしないでと笑うねず。話を聞くと、ねずは私が転校した後、テニス部のマネージャーを辞めていたが、今回の合宿の話を聞き、再びマネージャーとして参加することにしたらしい。
「四天宝寺が全国ベスト4になってるなんて驚いたよ」
「昨年に来たオサムちゃんっていう新しい顧問が白石くんを部長にしたの。それから四天宝寺は生まれ変わった感じかな」
「そうだったんだね」
俺らの代で全国へ、その目標通りに努力し実現している彼ら。その支えになれなかったのは残念だが、こうして全国に向けて共に練習していることはやはり少し嬉しかった。
「まつは、氷帝や立海の人たちと仲が良いの?」
「それなりかな」
「あのたけさんたちは?」
「あの二人は大切な親友だよ。ねずも話しした?ちょっと変わってるところもあるけどね」
「そう」
ねずにたけやうめのことや、氷帝や立海や青学の皆のことを話した。友人と友人が仲良くなってくれたら嬉しいと思い、各々の話をしたが、ねずはどこか生返事だった。
「まつは、本当に変わらないね」
「?」
そう呟くねずにどういう意味だろうと考えていたが、立海に呼ばれ私はそちらのコートに向かった。