第六章
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氷帝の敗退が決定し、全国への道は閉ざされた。
次の日の学校では誰一人としてテニス部を責めるような姿はなかった。
だが、どのような内容であれ、負けは負けだ。今以上の努力をするだけだ。そう思う俺は、関東大会明けもいつも通りの練習をしていた。場所は変えたが。
テニスは高校になっても続けるつもりだ。しかし、氷帝学園中等部のテニス部はこれで引退となるだろう。次の代へバトンを渡すタイミングだった。いつまでも前部長がのさばるわけにはいかないと、あえて部活には顔を出さず樺地も部活の方に行かせた。ある意味、この期間は次期部長である日吉への挑戦状だった。お前の氷帝テニス部をつくれという。
部活が終わった後の部室には毎日行くようにした。そこで日誌を見る。記入者の欄に松山まつと書かれていた。まつがまだマネージャーとして来ていた。そのことに驚いた。確かに全国大会はまだ終わっていないな。
次の日に萩之介にまつの様子を聞くと、なんでも昨日まで少し心配になるくらい落ち込んでいたとのことだ。マネージャーについては、まつとしても終えるつもりだったようだが日吉が待ったをかけたという。なるほどな。
「というより、俺に聞かないで直接まつと話せばいいのに」
そう萩之介はいったものの、俺としても直接会う機会がないためこうしてまつと同じクラスの萩之介に聞いている。
思い返せば、今まで顔を合わせて話をしていたのは部活だった。殆ど毎日顔を合わせていたが、2日ほど全く会っていないだけでこんなにも気になるものなのか。
「景吾君ってさ、思った以上に鈍感というか。意外と奥手なんだね」
「あーん?」
「いや、てっきりそういうの気にせず行くタイプだと思ってたから」
そう言えば萩之介に前もよくわからないことを言われたことを思い出した。
それからもまつに会わない日々が続いた。まつが戻ったことで、たけとうめもマネージャーとして戻って来たらしい。
夏休みになったら、少しだけテニス部には顔を出そうとは思っていた。なので夏休みに入れば自ずととまたまつと顔を合わすだろう。そう思うと、柄にもなく夏休みというものが楽しみだった。
今日は1学期の最終登校日であり、修了式。生徒会長として代表挨拶をいつも通り行う。壇上に上がったとき、思わずまつを探した。まつはたけから耳打ちされ何か面白いことを言われたのか笑っていた。その笑顔に胸が温かくなる。しかし同時に、その笑顔の先が俺でないのに一抹の寂しさを感じた。まつと話がしたい。
朝から雨が降りそうな天気ではあったが、放課後になりついに雨が降り出した。俺はトレーニングルームに行った後、部室へと向かう。
テニス部がいる様子もなく、雨に加え明日から夏休みだということを考慮すれば練習を行っていないか、と思い引き返そうとした。
しかし、テニスコート横に人影が見えた。
「こんな雨の中、つったてんのは誰だ」
そう一人呟き、テニスコートに向かう。その人物は氷帝のユニフォームを着ており、傘もささず立っていた。
その人物を見て驚きを隠せなかった。
「まつ?」
そこにはずぶ濡れのまつがいた。走っていたのか少し息をきらしている。まつは「跡部」と俺をみて呟く。
「お前、どうしてここに」
「跡部こそ」
「まあいい。それよりなんで傘をさしていない?」
「あー忘れた」
そう言うまつに修了式で見た笑顔はどこにもなかった。もう行くね、といって俺の横を通り抜けようとするが、それを阻みタオルをかける。一瞬抵抗するも、腕に力を籠めたら大人しくなった。
「そんな状態で帰せるか」
「家すぐそこだから大丈夫だって」
「なら送る」
全く宍戸たちといい心配しすぎ、と苦笑いするまつは雨に濡れているから分からないが、泣いているようだった。
着替えないでこのまま家に戻ると言ったまつは部室の前に置き去りにしていた荷物を持った。俺が「貸せ」と言うと何のことと首を傾げるまつから、荷物を奪う。
「ちょっと。いいって」
「そんな濡れている奴が持ったら鞄が痛む。お前はタオルで自分を拭いていろ」
そう言うと大人しくタオルで水を拭うまつ。小さく感謝の言葉を口にされる。はじめは遠慮していたまつを半ば強引に引き寄せ、二人で1つの傘にはいった。
珍しくしおらしいまつに何かあったのかと尋ねる。
「ないけど」
「何もなくてこんな雨の中を走っていたのか。とんだ変人だな」
「跡部に言われたくないんだけど」
こんな状況でも憎まれ口のようなものを叩くまつ。俺も言えたことじゃないが。
話がしたかった。けれど、実際会って話すのは大体こんな感じだ。俺が揶揄うようなことを言い、まつがそれに突っかかって何か返す。本当はもっと、萩之介から落ち込んでいることを聞き心配したことなどを伝えたい。そんなことを思っていると、まつが静かに口を開いた。
「……跡部。前に進むにはどうしたらいいんだろう」
「まつ?」
「氷帝が負けて、悔しかった。あれから、振り返るほどマネージャーとして至らない点が多すぎて後悔した。そんな私を、まだマネージャーとしていて欲しいって日吉たちが言ってくれて嬉しかったんだ。何かできることないかなって、ずっと考えてた。たけとうめは過去に向き合って、確実に前に進んでいる。なのに私はまだ過去のことを引きずって、どんどんネガティブになる自分がいて」
話まとまらないね、なんて言いながら笑うまつ。俺が見たい笑顔はそんなんじゃない。今話したこと以外にも何かありそうな様子だ。こいつは、いったい何を背負っている?だが今はそれを聞くタイミングでない気もする。
「一つ言えるのは、お前は無理をしすぎだ。自分のキャパを考えろ。真面目なのもいいが、氷帝の負けを自分のせいだと考えるのは驕りもいいところだぜ。あれは誰のせいでもない。誰か一人の責任でもない。強いて誰か一人をあげるとすれば部長である俺様だろう」
お前がそこまで思いつめる必要はないことを伝える俺に、まつが顔を向ける。
まつはきっと、他の人より目指すところが高いのだろう。周りから見て十分なところでも、まだ足りないと努力をする性格。他人の評価でなく、自分の中の基準で動いている。なんとなく自分と似ている。だが、時にそれは周りを置き去りしていることもある。
「それに、マネージャーとしてお前は優秀だ。俺様や部員の思いを無下にするな。お前が何を背負っているか分からねえが、俺にもそれを背負わせろ」
俺の名前を呟くまつ。感謝を口にする様子は少し明るさが戻っている。「家、あそこだから」といってマンションを指さす。氷帝から近いな。部屋まで送ることを一度は断られたが、有無を言わさない俺の態度にまつも諦めたのか一緒にエントランスをくぐる。
部屋の前に立ち、インターフォンを押そうとする俺を止め、まつは慣れた手つきで鍵を出して開ける。
「ありがとう跡部。明日から部活ちょっとでも来るんでしょう?」
「ああ。日吉の成長っぷりをみてやるぜ」
「頑張ってたよ日吉。じゃあ、また明日」
タオルは明日返すと言い、まつは部屋に入っていく。「また明日」その言葉が嬉しかった。