第五章
Name Change
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あれは小学生の冬。中学から東京の方の学校に通うことになった俺は、中学受験をすることになった。名門校の氷帝学園。テニス部も強いときいており、ここにしようとなった。
そんな2月の寒い日、氷帝学園に受験という戦争をしに来た俺は、表面上は無表情を装いながら内心はやる気にみちて校門をくぐった。
時間はまだ余裕だ。そんな中、荷物を整理し筆箱の中身をチェックした。しかし、そこで俺は絶望した。
「あかん、消しゴム忘れてしもた」
俺は焦りに焦った。まずいこのままでは間違えられない。間違えても消せない。名前の書き間違えとかしたらもうアウトだ。
中学生となった今では、普通に先生に相談すれば貸してもらえただろう。しかし、関西から関東という完全アウェーの場での戦い。焦った俺は親でもなくなぜか従弟の謙也に思わず電話した。
「謙也。あかん。消しゴム、忘れた」
ーなんや侑士。そないな報告いらんわ!しかも何やその言い方!
「アホ。今日は氷帝の試験日や!」
ーほんなら四天宝寺一緒に通おうや。
「絶対いやや」
ーなんでや!
「謙也、消しゴム持ってきて」
ー絶対無理っちゅー話や。
「まあ頑張りや」なんて言いながら電話を切られた気がする。
今思えば、謙也も誰かから貸してもらえとアドバイスしないあたり、ほんま使えんやっちゃ。そんなやりとりをして絶望していると「あの」と声をかけられた。
そこには、女の子が立ってこちらに腕を伸ばしていた。その伸ばした手の中には消しゴムがあった。
「これ、よかったら使って」
「え。ええんか?」
「今日はたまたま来ただけだから。さっきの話聞こえちゃって。使わないからあげるよ」
そう笑いながら貸してくれる彼女に、天使や天使がおると当時の俺は内心はしゃいだ。
親御さんかだれかに「うめ行くわよ」と呼ばれ、彼女は返事をして走り去っていった。固まっていた俺は彼女にお礼を言えないままだった。
その日の試験は無事に終了し、俺は晴れて氷帝学園に入学することになった。あの日借りた消しゴムはお守りのように大切に持っていた。あの子は氷帝の子だろうか。けれど、試験はない様子だったから内部生か。たまたま来ていただけの可能性もある。
合格の連絡を謙也にいれたとき「消しゴムなしでようやったわ」なんて言ってくるから天使の話をしておいた。「きもいわ」と言われ電話を切られた。相変わらずせっかちな奴だ。
クラス発表の日、貼りだされたクラス表に多くの生徒が詰めよる。もっといい発表方法ないんかいと突っ込みをいれていると、隣にいた子が躓いた。それを支える。こんな状況じゃこんなのも多そうやな、なんて思った。支えた彼女をクラス表の前に連れていく。お礼を言われたその顔には笑顔があった。あ、この笑顔なんか似とる。なんとなく俺はその時そう思ったけれど、あまり話をしないままその場は分かれてしまった。
それからテニス部に入り、跡部を中心としておもろいメンバーに囲まれながら日々を過ごしていた。
告白されることも多くあった。けれど今はテニスに集中したかった。何より、あの消しゴムを貸してくれた天使がずっと気になっていた。
「すまんな。気持ちは嬉しいんやけど、気になっとる人がもうおるんや」
そう伝える俺に告白してくれる女の子たちは諦めていく。中には、誰ですかと聞いてくる子もいた。俺も知りたいんやと伝えると意味が分からないといった顔をされた。
それからも200人を超える部員を抱えながらテニス部の日々は続く。その人数を回すためにマネージャーを取ったりもしたが、どれもむしろ仕事が増えるだけだった。
挙句、私物を取られたりし、マネージャーをとらないといった方針を固めた跡部。なんとかテニス部内で回していた。しかし俺たちが3年になり、部員は減るところか増え続け、そろそろ大会が始まると言った頃、いい加減マネージャー欲しいと岳人あたりが話す。
確かになとはなっても、いざ誰をとなると話は一向に進まなかった。
そんな中、滝を呼びに3年B組に行くと女子3人と話していた。俺達と話すようなフランクな感じで接していた。珍しいこともあるものだと思っていた。テニス部の皆が思ったようで、ミーティングまでの時間は先ほどの女子3人組の話題で持ち切りになっていた。
紆余曲折があり、テニス部のマネージャーになった3人。跡部が勝手に決めたものの、皆はどこか疑心暗鬼だった。けれど、日々の仕事をこなしていく彼女たちに皆が受け入れていった。
「はじめまして」と挨拶をしたとき、うめは悲しそうな顔をして微かに震えていた。それを庇うようにまつたちが俺たちの間に入ってきた。あの時、思いっきり睨まれとったな。その時は普通に怖がらせただけと思った。
その日の夜、横になりながら、あの時の消しゴムをぼんやりと眺めていた。「うめ行くよ」と言っていなかったか。
うめ。今日のあの子はたしか梅木うめといった。もしかして……。そんなことをうっすら思っていた。そして、あの時の挨拶した時のうめの反応。消しゴムを眺めていると、そういえばあの子と似ていると思った笑顔を、1年の時にみたことも思い出した。
クラス発表の日に出会ったあの笑顔、あれはたしかにうめだったと思いだした。あかん、アホや俺。
それから暫くして、裏庭でうめが親衛隊に囲まれていると言われた時、なぜ、とはじめは思った。しかし、少し考えて納得した。俺たちは今まで何を見ていたんやと後悔した。そんな中でも笑っているうめに惹かれていった。あの笑顔と重なる。俺はこの時、うめがあの時の子だと確信に近いものを持った。
その数日後、跡部は彼女たちに疑いの目を持っていたことを謝ったと伝えてきた。もう彼女たちが部室にいても誰かしら部員がいる必要はないとも言っていた。あの跡部が謝るというのに驚いた。
思えばあの頃くらいからうめたちとの距離感が縮まった。
鳳や芥川、向日あたりがうめを特に気にかけている。鳳などは気が付けばうめの隣のポジションをとっているからその積極性に意外だと思った。
関東大会で敗退し、テニスが一旦区切りとなったことで、今までのことを振り返ることが多くなった。
朝に眺めていてそのままポケットに入れてきた消しゴムを掴みながら、今までを思い返していた。
何となくうめに会いたくなった。クラスに行くと、まつがいた。
「まつ。うめは?」
そう声をかけると、まつは少しこちらを品定めするような顔をした。
「……うめはきっと美術部の部室にいるわ」
礼を言い、部室に向かおうとするとまつが俺を呼び止める。
「忍足。うめのこと、よろしくね」
「?」
そう言うまつは笑っていた。
「なんでもない。けど、うめは集中しているだろうから邪魔しちゃだめだよ」
いってらっしゃいと送り出してくれる。あの勉強会のときに見た集中力を思い返し、何か飲み物でも持っていてあげようと思った。
美術部の部室に行き、そっと扉をあける。あの背中は探している人物だった。俺が入ってきてことに気が付かないくらい集中してカンバスを眺めている。
その姿がきれいで思わず見とれていた。俺は、入り口付近の椅子に座りうめを眺めていた。
それから伸びをして立ち上がったうめは俺をみて固まった。その様子に愛しさがこみあげる。飲み物を渡し、戸惑いながらも笑顔でお礼を言われる。
他愛もない話をして、再びうめはカンバスに向かいあう。出ていけと言われなかったため、俺はそのままそこに居座ることにした。
しかし、一向に手を動かさないうめ。何か物思いにふけっている様子だった。俺はどうしたのかと声をかけた。
するとびっくりしたうめは持っていた鉛筆で紙にいらん線を描いてしまったようだ。焦って消そうとするが、なんでも消しゴムがない様子だ。
俺はポケットに入った消しゴムをうめに差し出す。その消しゴムに見覚えがあるようでうめは驚く。
ああ、やっぱりうめやったんやな。
初恋は実らないとどこかで聞いた。そんなことないと、俺は証明してみせる。