第五章
Name Change
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あの関東大会からそんなに経っていないのにずいぶんと昔のように感じる。
たけは青学と不動峰の合同練習の手伝いに行ってくると行って、放課後足早に氷帝を後にした。私としても、氷帝を負かした青学には是非とも優勝を飾ってもらいたい。
そんなことを思いながら、私は美術部のコンクールへの出展作品の構想を練るためカンバスに向かいあう。できれば夏休み中に書いて完成させてしまいたい。
美術部は今日は私しか来ていない。それぞれ夏休みに活動するつもりなのだろう。私は集中したくて、この日なら人もいないだろうと踏んだが、その通りだった。
しかし、短縮授業で学校がある日で午後が休みの日は、何か普段より遊ぶのが楽しいのも事実。よし、絶対に今日中にしっかり構想練って明日からは遊ぼうと決意し再びカンバスと睨めっこをする。あれでもない、これでもないと考える。
カンバスを眺めながら、手に持ったまっさらなペラ紙に構想をあれこれ書き込んでいく。一区切りついたところで、背中を伸ばし固まった体をほぐす。
気が付けば時間もたっていた。何か飲み物でも買いに行こうかと、立ち上がり出口の方に振り向く。出入り口付近に座ってこちらを見ていた人物がいた。その人物に私の心臓が高鳴る。
「……忍足くん」
「うめ。休憩するん?」
そう言い、忍足くんも立ち上がる。いつから、と呟くと。ずっと前からと微笑みかけられる。
「百面相しているうめを見とるのは楽しかったわ。にしても、相変わらずドえらい集中力やな」
「声かけてくれてもよかったのに」
「見惚れてたんや」
そう言い、私に飲み物を差し入れしてくれる。
「なんで」
「ずっと飲まずに睨めっこしとったやん。あないに集中しておったらのども乾くやろ」
「ありがとう」
そう言い私たちは美術部の部室の椅子に座る。
忍足くんはズルい。そうやってまた私の心をかき乱す。胸の奥にしまい込んでいた感情があふれそうになる。
少し話して、私はカンバスにまた向き直る。思い返されるのは今までの日々だ。
まつに居場所を聞いたという忍足くん。以前のまつならきっと私の居場所を教えなかっただろう。けれど、まつは私の心の変化に気が付いていた。静かに背中を押ししてくれる友人に感謝の思いを告げる。
私は幼稚舎から氷帝だったが、内気な性格からなかなか自分から話しかけたりするのは苦手でそんなに友達も多くなかった。簡単な会話はできても、親友と呼べるような友人関係はあまり築けないでいた。
次こそはと意気込んでもなかなか性格はかわらないまま、あっという間に中等部に進学した。クラス発表のあの日。
私は背がそんなに高くなかったので、貼りだされたクラス表をなかなか見れないでいた。中等部にもなり、クラス数が増えたためまず自分のクラスにたどり着くまでも至難の業だった。そんな中、人にぶつかり躓いてしまった。それを「おっと」と言い誰かかが支えてくれた。
その人こそ、忍足くんだった。私はびっくりしたがお礼を言い、クラスを聞かれたため自分のクラスを伝える。そのまま彼は、私をうまくクラス表のところまで案内してくれたのだ。
それから彼が忍足侑士という中等部から入学した人だと知った。彼と廊下ですれ違うと嬉しかった。彼の話題を聞くと胸が高鳴った。それくらい、惹かれていた。
しかし、それから事件が起きた。
好きな人の話題になったとき、それなりに仲良くなった人に、私はポツリと忍足くんが好きと言ってしまったのだ。彼女こそ、前に裏庭で私の腕を踏みつけた人物である。彼女は中等部からの入学で、テニス部の親衛隊だった。彼女はクラスの女子の内でよくあるヒエラルキーの上位にいる人で、彼女が黒と言えば黒となってしまう雰囲気があった。彼女の好きな人も忍足くんだった。それが気に食わなかったのだろう、その日から嫌がらせが続いた。今までそれなりに話をしていたクラスの女子から無視されるようになった。無視に参加しないまでも、あまり関わりない子だったしあの子に逆らうと怖いしといって他の子からは見て見ぬふりをされた。私はクラスで存在を隠すようにいつも身を縮こまらせていた。
どうして。中学から生まれ変わりたいと思っていたのに、前より最悪な状況となってしまった。私は絶望し落ち込む日々だった。忍足くんとなんであの日あってしまったのだろう。そして、なぜあの時思いを口にしてしまったのだろう。後悔してもしたりなかった。
それに、親衛隊の彼女から「忍足様はもう好きな人いるみたいよ」なんて言われた。私は忍足くんを好きにならなければよかったと思った。もうやめよう。この思いは捨てよう、好きなんてなかったと心にしまい込んだ。
そんなある日、裏庭に筆箱を捨てられ、拾っていると「探し物?」と声をかけてくれたのがまつだった。
「氷帝って広すぎて職員室に行きたいのに何か全然違う方来ちゃった」
いやそれでなんで外なんて内心突っ込みを入れた。私に普通に話しかけてくれる彼女に戸惑いながら、職員室の場所を伝えた。
「ありがとう。いやー今月から氷帝に通うってなったけど、前の学校と雰囲気違いすぎてびっくりだわ」
そう言いペンを探している私を訝しげにまつは見ていた。
「さっきからペンとか消しゴムとか拾ってるけど、何、氷帝って裏庭に文房具生えてるの?」
そんなことを言う彼女になんて発想なんだと思わず噴き出したのを覚えている。そして話していくうちに、いじめにあっていることを知られた。一緒に文房具を探してくれている転校生である彼女にいきなり話す内容でないことは分かっていた。けれど、今まで誰もこのように話を静かに聞いてくれなかったため、私は自然と今までのことなどすべてまつに話していた。
それから、クラスは別であったがそれなりに声をかけてくれ、たけという友人も紹介してくれた。
まつとたけ。この二人との出会いが私を変えてくれた。1年の終わりの頃、私がいじめられている現場をおさえて、中心となる人物に私たちに関わるなと言い放った。ならテニス部に関わるなと彼女たちは一方的に言い去っていった。
彼女たちが去ったあと、「うめ。忍足のこと、いいの」とまつが心配そうに聞いてきた。「うん。もういいの。辛いだけだから」そう言う私を2人は苦笑いしながら見ていた。
それから直接的ないじめはやんだ。細々した嫌がらせは続いていたけれど、クラス替えもありまつと同じクラスになったことで、多少のそんなものはさして気にしなくなっていった。
まつたちに感謝してもしきれない。色々あったけど、変わりたいと思っていた私を変えてくれた。変わる勇気をくれた大切な友人たち。このまま3人で毎日笑いの絶えない日々ですごせると思っていた。
けれど、運命とは残酷なもので。一度断ち切ったと思った縁は、巡り巡ってまた繋がってしまった。
氷帝テニス部マネージャーまさか私がそれをやるなんて思いもしなかった。はじめは戸惑っていた。「はじめまして」と忍足くんに言われた時、ああそうだよね、と今までの思いをより強く蓋をした。
しかし、裏庭で再び彼女たちに囲まれた日の保健室ではずっと寄り添っていてくれた。それに、立海との合同練習のときのあの言葉。
好きになってはいけない、辛いだけと思っていた。好きになることは悪いことじゃない、そうまつは言っていた。
「うめ?何かあったん?」
カンバスを見たままずっと固まっている私に忍足くんが私に近づき声をかける。しまった、そうだ今日中に構想を練ろうと思ってたんだったと、焦る私は手に持っていた紙に思いっきり鉛筆で変なところに線を入れてしまった。
「ああ!やっちゃった……消しゴム」
消しゴムと思い探すも、しまった持ってきていなかった。美術部の備品にあったかな、なんて思った私は立ち上がろうとする。そんな私を「待ちや」と止める忍足くん。彼は、制服のポケットから徐に消しゴムを差し出す。なんでそんなところに消しゴム入ってるの。
ありがとうと言って受け取る消しゴム。その消しゴムは見覚えがあった。それもずいぶん前な気がする。たしか、小学生の頃につかっていたようなそうじゃないような、そんな風に思いながらそれを見つめる。
「この消しゴム……」
「やっぱり、うめやったんやな」
「え?」
そう言う忍足くんの顔は今までに見たことがないほどやさしい顔をしていた。