テニスの王子様
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人が多く行き交う通天閣。今日は日曜日でもあり、かなりのにぎわいを見せている。
にぎやかな通天閣の地下ショップで、真剣な眼差しで商品棚を眺めている人物がいた。その眼差しだけを見た人は、何か深刻な悩みを抱えているのか、はたまた何か決闘でもしかけようとでもいうのかと思ってもおかしくない。
そんな人物が、困ったというようにため息を溢した。
「アカン。悩ましいわ。この食パンのもごっつええやん」
ブツブツと小さく呟いている彼の手には、食品を模した消しゴムたちがあった。手にしているものと、棚に並ぶお菓子のパッケージを模した消しゴムたちを見比べている。
こっちがいいか、いや、これがいいか。けれど、こっちはどこか転がって行方不明になりそうだ、など頭を悩ませている。大人の様な見た目である人物が、可愛らしい消しゴムを手にどれを買おうかと真剣に悩んでいるとは、行き交う人の誰もが思いはしないだろう。
そう。彼こと、忍足謙也は、新たな可愛い消しゴムを求め、ここに訪れていた。
スピードスターを自称するせっかちな謙也であるが、こう好きな物などに対しては慎重になる面がある。なかなか決定打を放てないでいるため、一旦の気分のリセットもかけて棚を眺めつつ店内をまわる。
人が増えたと思ったが、どうやら通天閣につい数年前にできたタワースライダーに列ができているようだ。謙也はその列に並んでいる人々の様子をぼんやりと眺める。
3階から地下1階まで10秒くらいで行けるこれが開業した年だったか。あの人が大阪を去ったのは。こちらが誘うよりも先に、スピードスターにぴったりのができたから一緒に行こうと連れて行かれた思い出に、懐かしさと共に僅かばかりに寂しさを覚え、謙也は思わず目を細める。
そんな謙也に一つの声が耳に届いた。
「もしかして、謙也君?」
この声は。
謙也はその声に聞き覚えがあった。いや、ありすぎた。
四天宝寺ではきっと多くの人が忘れもしないだろう。特に同じ委員会で多く顔を合わせ、かつて共に仕事をしてきた謙也にとっては。
けれど、なぜここに。幻聴かと思ったが、改めて声をかけられる。声の方を向くと、そこにいた人物に、謙也は目を見開いた。
「やっぱり!久しぶりやね!謙也君。私のこと、覚えとる?」
「なまえ先輩、」
覚えているも何も、そこにいたのは、ついついさっきまで謙也が思い浮かべていた人物だった。噂をすれば影がさすとは言うが、本当に登場するとは思わなかった。いや、別に噂をするとか言っても自分の心の中で思っていただけだから違うかと、まさかの状況を上手く飲み込めず変なツッコミを自分にいれていた。
そのため、返答が名前だけポツリと呟くという極めて塩対応になってしまったと内心焦った。しかし、そんな自分の焦りとは裏腹に、名前を呼ばれたなまえは満面の笑みを浮かべピースサインを掲げた。
「ピンポーン!当ったりー!さっすが謙也君!そない君には、私からの関東土産を贈呈しましょう」
「え。あ、ありが……って何やねんこれ?!」
「ふふ。さっきカフェに入った時に使わんかったガムシロップ」
「なんでやねん!さっき入ったんなら、関東土産でもあらへんっちゅー話や!」
「おおーやっぱり本場のツッコミは勢いがあってええな」
感心感心と笑うなまえに、相変わらずな先輩だなと謙也は懐かしさも覚えながら笑みをこぼした。
謙也にとって先輩にあたるみょうじなまえ。四天宝寺中の放送委員であったなまえは、体育祭などの学校行事での実況や放送委員が行う定時の放送などで、その話術や一氏も認める声域で多くの笑いを生徒たちに提供してきた。
人当たりが良く明るい性格やちょっと天然ボケなところも相まって、四天宝寺ではみょうじチャンネルという名前でなまえの放送は親しまれていた。
そんななまえが四天宝寺を去る時は、多くの惜しむ声が上がったものだ。謙也もその一人だった。いや、謙也としては四天宝寺の中で一番強くなまえを思っていただろうと自負していた。
自身の従兄弟並みに引っ越し経験があるなまえは、大阪に来る前は東北にいたらしく、はじめて白石と会った時は、その呼び方を見事に間違えたりしていた。誰ともすぐに仲良くなってしまうコミュニケーション能力も、きっとその経験があるからなのだろうと謙也は思っていた。
同じ放送委員で知り合い、はじめは変わった先輩だと思った。だが、落ち込んでいる人や悲しんでいる人を放っておけない先輩、損得勘定抜きに困っている人がいたらすぐに手を差し伸べる先輩、悪戯をして無邪気に笑う先輩。それらの姿を見るうちに、どんどん惹かれていった。
今ここで再び顔を合わせ、謙也のかつて秘めていた思いが再び強く心に灯った。
何を隠そう、なまえは、謙也の想い人だったのだ。
何故ここに、という顔をして驚きを隠せない謙也に対し、なまえは大阪に遊びに来ていると告げた。そして、いま住んでいるところの友人達へのお土産を選びにここに訪れていた。そんな中で、店内にいた懐かしい顔に思わず声をかけたとのことだ。
成る程と頷く謙也に、なまえはずいっと近寄る。
その近さに一瞬謙也の心臓が跳ねた。
「で、真剣な顔しとったけど、なにに悩んどったん?」
悪戯気に笑いながら尋ねてくるその近さにドギマギしながらも、謙也は新しい消しゴムを探していることを告げた。
謙也が今も変わらずへんてこな消しゴムを使っていると分かったなまえは更に頬を緩ませた。
「けど、どうしてまた?新作でも出たん?」
「まあそれもあるんですけど、」
それは本当に何気ない、いつもの会話の中だった。消しゴムの話になり、白石から確かに可愛いけれど消しにくい上に、消しカスがアホみたいに出るから無駄が多くて日常使いに向かないと呆れながらに言われたことがきっかけだった。
「そないなことあれへん!って浪速のスピードスターのスピードイレイサー見せたるわ!と力んでごっつ速く消したら……」
「ちぎれたんだね」
「さいですわ」
ガクリと肩を落とし告げる謙也。消しゴムがちぎれた時の謙也の顔は相当なものだったらしく、しばらく四天宝寺の皆には話のネタされたらしい。
そんな謙也に元気だしと告げながら、何故ここにいるのか納得したなまえは一緒に消しゴムを選んだ。
なまえと一緒に選んだことで、先ほどまではあれほどまでに苦心していたものがすんなりと決めることができた。
謙也はほくほく気分で購入したものを鞄にしまう。ふと、なまえが先ほどお土産を選びに来たと言っていたことを思い出した。
「お土産、もう買うたんですか?」
「まだまだ!必死に探しとるとこ。なかなか決まらんくてなぁ」
「じゃあお礼も兼ねて、一緒に選んでもええですか?」
「ええの?!助かるわー!」
謙也君、センス良さそうだもんねと嬉しそうに告げられ、謙也の心臓がまた煩くなった。
この人は変わらない。先ほどの何をしているのかと尋ねてきた時もそうだ。唐突に爆弾を投げ落としてくるのだ。なまえが四天宝寺にいた頃も、さり気ないボディタッチや、特に用もないのに学校で見かけられたら声をかけられたりしたものだ。
二人で並んでお土産を選ぶ。こうしていると、傍から見たらカップルに見えるんだろうかなんて考えが謙也の頭に過る。アカンアカンと脳内で必死に己の頭を振った。
謙也のアドバイスを参考に、なまえはお土産を決めていく。無事にそれなりのものを見繕えたようだ。
お礼を言いながら、なまえが何か考えるようにじっと謙也を見つめた。その視線に、何事かと戸惑う謙也に対し、やっぱりとなまえが言葉を紡いだ。
「選ぶとき横にいて思ったんやけど、謙也君また背伸びた?それとも私が縮んだんやろか」
「縮むのはまだ早いんちゃいます先輩」
「じゃあやっぱり謙也君が伸びたんやねー。それになんか更にかっこよくなっとるし!」
なまえから笑顔で告げられた言葉に、謙也は思わず咽そうになった。咽なかった自分をほめて欲しいと思いながら、なまえの方をちらりと見る。
動揺する自分をよそに、彼女はあっけらかんとして、ほなそろそろかなと暢気に時間を確認している。
こういうところも相変わらずなようだ。
なまえの言動、自分に気があるのではないかと勘違いしてしまいそうになる。だが、みょうじ なまえという人物を知っているからこそ、これは別に彼女にとっては何も特別なことではないと頭で分かる。博愛主義とでもいうのだろうか。
だが、たとえなまえには恋心がなくとも、そのように関わる日々は楽しいのもまた事実だった。当時、悶々とする謙也に、周囲の人たちはいっそストレートに聞けと言い続けたが、自分の勘違いだったときが恥ずかしい、楽しいと思っている日々が暗転しそうで嫌だ、など切なさや悔しさといった様々な感情入り混じってやりきれなくなるのは目に見えていたため、結局今日までずっと心に秘めたままだ。
なまえはどうやら帰る時刻が近付いているらしい。
謙也は特に予定もないため見送ってもいいかとなまえに尋ねたら、驚いた顔をされた後にもちろんと明るい返事とともに喜びの表情を浮かべた。そんな何気ない表情一つひとつが謙也の心を満たしていく。
共に歩く道すがらなまえの携帯に連絡が入った。連絡を見て少しごめんねと謙也に告げ電話に出ている。なまえの口からは、なまりのない言葉が紡がれており、どうやら、いま住んでいるところの友人からのようだ。
「お土産?もちろん!センス抜群の男前に選んでもらったから大丈夫よ!期待してて」
ぼんやりとやりとりを聞き流していたが、相好を崩し自慢げに告げたなまえに、え、男前って俺のこと?!と謙也の内心は穏やかではなかった。深呼吸をして空を見上げる。
俺も先輩と電話したいなあ、なんて思っていたら、電話が終わったようだ。
「せや!せっかくやし謙也君、連絡先交換せえへん?」
「え、ええ、ええんですか?!」
電話を終えたなまえが思いついたように告げる。思いがけない光明に謙也の声は上擦った。
「え、そないにビビる?あ。悪用せんから安心し。怪しい奴に連絡先教えろや言われたら伝えるくらい」
「それもうアウトやんけ!」
冗談だよと笑うなまえに、自分がビビったのはそういう意味じゃなくて、と思いながら謙也は携帯を取り出した。携帯を取り出した謙也に、どこか安心した様子をなまえは浮かべた。
無事に連絡先を交換し、意味もなくスタンプを送ったりしてお互いが笑い合った。
楽しい時間はあっという間で、気が付けば見送りの場所まで来ていた。
「今日は一緒に消しゴム選んでくれておおきに。久々になまえ先輩と会えて、めっちゃ楽しかったです」
「こっちこそおおきにな謙也君!色々つき合わせて堪忍な。ほれ、お礼にガムシロップでも、」
「まだ持っとったんですか」
「冗談よ」
私も楽しかったと告げるなまえに、謙也も笑顔でこたえる。謙也のその穏やかな表情に、なまえが更に目を細めた。
「謙也君と付き合える人は、幸せやろな」
「え、」
ぽつりと告げた言葉は、どこかいつもと雰囲気が違っていた。まるで、心の底から湧き出たような感情の声音だった。そんななまえの様子に謙也は戸惑いを覚えた。
「ほな、またね!」
ふわりとなまえは踵を返す。先ほどの雰囲気を打ち消すように、いつものような明るさで手を振り去っていくなまえ。
先ほどのはいったい何だったんだと、茫然と立ち尽くした謙也は、また頭を悩ますのだった。
あ。しっかり挨拶しないままだったと思いながら、帰りの道中で謙也は徐に携帯を取り出す。今日のお礼を自分の思ったことを添えてメッセージにのせた。
「って、即行既読ついとる……!」
送ると同時についた既読。
その凄まじい速さに、なまえもスピードスターになれるんじゃないか、それに、もしかしてごっつ気にかけてくれている?なんてと変な期待が脳裏に過る。
だが返事がない。
それからちょっとして、ピコンと返事が来た。
『ごめん、ずっと開いてたみたい。ありがとう!今度また大阪に来た時は連絡するね。謙也君もこっち来た時は連絡ちょうだい。次会う時は、ちゃんとしたお土産渡すから!またねー』
なんだそういうことかと納得する。まあそうだよなと、未だに早鐘をうっている自分の心臓に苦笑を浮かべる。
なまえが絡むと本当に心がかき乱される。嵐のような日だった。だが謙也は、またや次、という言葉がこれほど嬉しい言葉だとは思わず、何度も何度もやり取りを見返しては笑顔を浮かべていた。
一度はその想いに蓋をしようと思っていた。
「やっぱりめっちゃ好きっちゅー話やなぁ」
空を見上げ独り言ちた謙也は、先ほど届いたメッセージに、己もまた会うのを楽しみしていると返した。
そうだ、アイコンか背景を今日一緒に選んだ消しゴムにするのもありだなと考えながら、鼻歌を歌うような足取りで帰路へと就いた。
一方、時は少し遡り、謙也がメッセージを送る少し前のこと。
なまえはメッセージを見返し、笑みをこぼしていた。
相変わらずな気遣い上手だった。どこまでも優しくて明るい彼にとっては、あれが普通なのだろう。期待してはいけないと思いつつも、やっぱりどこか気持ちに気が付いて欲しくて少し意地悪をしてしまった。
意味もなくやりとりして敷き詰められたスタンプを見返している中で、唐突に届いたメッセージ。打つと同時に既読がついたことに気味悪がられてはいないだろうか。慌てて誤魔化したが、大丈夫だろうかとなまえは気が気じゃなかった。
焦るなまえの元に、謙也から新たにメッセージが届いた。相変わらず早いなと思いながら、その内容に再び顔が綻んだ。
「ほんと。謙也君が彼氏だったら、素敵だろうな」
そう小さく呟いたなまえは、届いたメッセージに返事をした。
その顔には自然と笑みが浮かんでいた。
何を隠そう、なまえにとってもまた、謙也は想い人。
どこまでも二人は平行線なやりとりを重ねている。
そんな二人が、痺れを切らした周囲からの猛烈な後押しで心を通い合わし、この日のやりとりを振り返って笑い合うのは、もう少し先の話。
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