テニスの王子様
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「俺じゃ、アカンの」
スピードスターと呼ばれる彼からゆっくりと囁くように紡がれた言葉。いつもの溌剌さはなく、それこそ、彼の従兄の様だった。
そんな発言を貰ったのは数日前。いつもの会話の中での言葉であれば、恐らく微かには動揺はしつつも、冷静に何を言っているのかと笑い飛ばしていただろう。
だが、その日のなまえはいつもとは違っていた。心ここにあらずの状態であった。その発言以上に、なまえに衝撃を与えたものがあったからだった。
「私も、無人島に漂流してさ、一つのボールを採ろうとしてたまたま手が触れ合っちゃったり、黒服の人から一緒に逃げたりすればよかったのかな」
「なんやえらくとんでもない話やな」
「まあ、一番は性格か……」
「なまえー。おーい、生きとるかー?」
教室で窓の外の景色を眺めながら今もなお心ここにあらずといった形で呟いているなまえ。そんななまえに心配するような眼差しを向けてクラスメイトが声をかけるも、魂が抜けたように空を見ている。
「アカンこれは重症や」「何があったん?」「分からん」なんて言葉がなまえの頭上で飛び交う。
そんな会話をどこか遠くのように聞くなまえの耳に、ふとある人物の名前が入る。
「忍足君やんけ」
忍足。その苗字にピクリとわずかに体を動かすなまえ。クラスメイトの声と共にやって来た人物は、なまえの周囲の人にやあと挨拶を交わしている。
「なまえ。新しいペン回し術を会得したんや!どや見たいやろ?」
しれっとなまえの前の席に腰をかけ、眩しいばかりの笑顔を向ける。なまえは困ったように微かに笑う。
「謙也君。最近よくなまえのとこに来るなあ」
「やっぱ幼馴染みってエモいわなー」
ねーっと同意を述べる言葉の後に、ほな私たちは退散しまひょかと去っていった。クラスメイトの気遣いに謙也は心の中でお礼を述べ、さり気なくその人物たちに手を合わせて感謝の念を伝えた。それから謙也は、新しい面白い消しゴムを見つけたと言って机に並べていたり、テニスの話題をしたり、ありきたりの話題を紡いでいる。
「謙也。明日も来るん?」
「おう!言ったやろ?なまえが元気百倍になるまでや」
「……。気、遣わんでええよ。無理せんとって。もう元気やし」
「なに言うとるん!んな訳あらへん!って、これじゃあ無神経男やな。それに、無理なんてしとらん。俺がしたいからしとる!決めたんや」
そう何か信念があるような眼差しで告げる謙也に、なまえは何を決めたのかと尋ねるも曖昧に返されるのみだった。
ほなまたな、と告げられ、今度お出かけしに行こうといった言葉と共に笑顔で去っていく謙也。
今日は用事があるのか、いつも以上にダッシュで去っていく謙也の背中を見つめながら、感謝の言葉を告げる。きっと、謙也の手を取れたら幸せなんだろうと心の隅で考える。
謙也の優しさ、男らしさをなまえは十分知っている。
だが、まだ心に好きな人が居座っている状態のまま、その優しさに甘えて付き合ってしまうのは逆に謙也に失礼なのではないかと思いブレーキがかかっていた。
なまえの幼馴染みの謙也。彼は、なまえの初恋の人であったもう一人の幼馴染みの従弟だった。
家の都合で大阪から引っ越しをし、東京に行ったもう一人の幼馴染みである忍足侑士。
なまえは彼らと家族のような感覚でいた。小学生の頃は単純で、中学も高校もそのまた先もずっと一緒だろうと勝手に考えていた。
だが、突然に決まった引っ越し。しかも東京。当時、大阪以外を知らなかったなまえは、東京がどこか異世界に感じてもう一生会えなくなるのでないかと思った。家族がどこか遠くに行ってしまうことに寂しくて悲しくてひたすらに泣いていた。
いざ別れの日も、ヤダと駄々をこねて泣いていたのをなまえは今でも覚えている。そして同時に、ここで忍足との思い出が途切れれば、今のこの感情はなかっただろうと思えてならなった。
東京に行き中学生になってからも、忍足はなまえに連絡をくれた。しかも、なまえが落ち込んでいるときや辛いとき、必ずと言っていいほど見事なタイミングで連絡がきて、寄り添い立ち上がらせてくれたのだ。誕生日プレゼントも、欲しいと思っていたものを贈ってくれた。
離れているのに、想ってくれているということが嬉しくて、支えてくれる幼馴染みを、なまえが異性として意識するにはそう時間はかからなかった。
いつ自分の思いを告げようか、そう思いをくすぶらせているうちに、突然に届いた連絡という名の処刑宣告。
忍足に彼女ができた。
それも、合同合宿に向かう際に船が嵐に襲われ、漂着した先の無人島でサバイバル生活をしながら恋をはぐくんだという。はじめにその話をされたときは、いつもの冗談だろうとなまえは思っていた。だが、実際に彼女として連れて来た女の子を交えて会った時に、事実なのだと知りとんでもない内容にたまげたものだった。
「俺の妹みたいな感じや」
「妹いうても同い年やん」
「なまえさん、侑士さんからお話は伺っています。よろしくお願いします」
妹みたいと紹介された時、なまえの心には冷たい風が吹き抜けた。何とか取り繕い笑顔でツッコミを入れた。ポーカーフェイスはどこにというくらい彼女さんを大切にしていることが見て取れ、二人の仲睦まじさになまえは微かに嫉妬を覚えた。
なまえは彼女さんの性格が悪ければどれほどよかっただろうかと思った。けれど普通にいい子なのだ。可愛くて気立てもよくて、逞しくて、忍足が惚れ込むのも納得だと、哀しいが思わざるを得なかった。
数年の思いはたったの5日間の前に敗れた。
「って、告白すらできひんかった私が言えた義理やないわな。そもそも同じ舞台に立っとらんし」
以前のやり取りを思い返しながらそう独り言ちて空を見上げる。
完敗ですわとため息を溢す。うだるような暑さと共に、自分の中に僅かに渦巻いているどろどろの感情に嫌気がさした。
ふと、道端に咲いているヒマワリが目に留まった。黄色く立派に咲き、見ているだけで元気をおすそ分けしてくれるヒマワリ。眺めていると、笑っている謙也の顔が脳裏によぎった。
謙也も忍足に彼女ができたことは衝撃だったらしい。なまえがずっと忍足に片想いをしていることを知っていた謙也は、泣きじゃくるなまえの側に落ち着くまでずっといた。憔悴するなまえを元気づけようと、今日まで欠かさず支えていた。
謙也は、ヒマワリみたいだねなんて思っていると、携帯に連絡が来た。何だろうかと思い画面をみてなまえは携帯を落としそうになった。
そこには、忍足侑士と書かれていた。なまえは急いで通話ボタンを押し、耳に押し当てる。
「もしもし」
ーなまえ。今時間、ええか?
「え、ええけど。どないしたん?」
なまえは電話越しに聞く声を嬉しく思ってしまう自分に気が付き、心でダメだと叱咤する。
時間があるというから電話の時間ことかと思ったが、どうやらこれから会えないかという意味だったようだ。驚くなまえに、大阪に来ているらしく、少し会って話がしたいと忍足は告げた。
何かあるのだろうかと思いながらも了承し、なまえは約束の場所に向かった。
「なまえ。こっちや」
「侑士。久しぶり。一人?」
約束の場所に着くと、忍足は先にいた。一人優雅に立っている。どうやら一人で来ているらしい。
いつにもまして真剣な様子に、何かあったのだろうかとなまえは僅かに緊張する。
簡単な世間話の後、何かを決めたように、忍足はまどろっこしいのは無しや、単刀直入に聞くでと告げてきた。
「俺のこと、好きやったん?」
「……え?」
突然告げられた言葉に絶句する。
目を見開き驚くなまえを見つめた後、深呼吸をするように息をつき忍足は空を見上げた。
「どうして、今更そないなこと」
そうなまえが呟くも、忍足は空を見上げ黙っている。その横顔には、どこか罪悪感のようなものが見える。どういうつもりなのか。幼馴染みの意図が読めず、戸惑うなまえ。
小さく、そうだったことを告げる。彼女さんに迷惑をかけないように、なるべく過去形で告げた。
忍足は勇気をもって伝えたなまえに礼を述べながら向き直った。
「なまえは俺の、どこが好きになったん?」
「……なんで」
「ええから。聞かせてくれへん?」
なんでそんなことを聞きたいのかという思いを拭えないままも、なまえは今までも思い出を振り返るように静かに紡ぐ。はじめは家族と思っていた。だが、やり取りを重ねていく内に、寄り添ってくれる忍足が好きになっていたこと、一つを告げると堰を切ったように今までの思いをぶつけるように告げた。
「さよか」
告げた後、忍足は困ったように眉を下げ、なまえに言葉を落とす。その様子に、なまえは胸がチクリと痛んだ。
「堪忍な、迷惑やんな。分かっとる」
けど、もういいの。そうぎこちなく笑うなまえ。
「ちゃうんや」
「え?」
泣きそうになりながら笑っているなまえを見て、忍足も顔をゆがめる。小さく告げられた言葉になまえが問うと、再び違うと声を上げた。
何が違うのか全く分からないなまえは、どこか焦燥感のある忍足の様子に疑問を浮かべる。
「……実はな、なまえ。それ、全部ケンヤやねん」
「え?」
謙也?なんで今、謙也の名前が出てくるのかとなまえは更に疑問を浮かべる。
忍足が静かに今までのことを告げる。
「ケンヤとはしょっちゅう電話でやりとりするんやけど、その中でな、なまえの話は絶対しててん。落ち込んどる時や辛そうなんにいち早う気付いて、なまえが落ち込んどるからユーシから慰めたってと言われることもあったわ。誕生日プレゼントどないするか話をしてとき、どこからともなくリサーチして、プレゼントの品を決めてユーシから渡したってくれと言われたりもした」
忍足が告げる一つひとつの内容に、なまえは衝撃を受けた。
「それって、つまり」
肯定するように忍足が笑う。なんてことだ。忍足がしていたと思っていたことは、実は全て謙也が後ろで気を回していたからであった。まさかの事実に、なまえは開いた口が塞がらなかった。
「私が恋をしたんは、謙也やったってこと……?」
「お人よしもあそこまでいくとアホやな。いつも、他人のお膳立てばかりしよって」
ホンマに激ダサやと呟く忍足。
「せやけど。なんで謙也は、そないなことを」
「それは、本人に直接聞くとええ」
ちなみに今ケンヤはここにおると思うと、忍足が謙也の居場所を伝える。困惑する表情を浮かべているなまえの背中を行って来いとばかりに押して見送る。
「そないなお人よしアホやからこそ、心から幸せになって欲しいと思うんや。それも、俺の大切な人同士、こないに目出度いことは無いわ」
なまえの背中を見送りながら、忍足は独り言ちる。
自身に彼女ができたと告げたとき、謙也が見たことのないほど凄まじい勢いで己に掴みかかって来た。なまえの思いを無下にするのかと言うように。己の思いを抑え込み、好きな人の幸せを願って応援していた謙也にとって忍足の行いは裏切りのように映ったのだろう。
だが、謙也とて誤解をしているところがある。なまえと忍足の間には本来、兄や妹のような思いしかなかった。だが、謙也のお人よしさが、なまえにそれを恋と錯覚させたにすぎない。
さて、と言わんばかりに忍足は携帯を取り出し、ここに向かうようにと連絡を入れる。
「お膳立て、しといたで。ケンヤ」
祈るように呟いた忍足の言葉は、大阪の夜の街に消えていった。
なまえは先ほど見かけたヒマワリが咲いているところまで戻って来た。忍足に告げられた居場所はこの近くだ。
「なまえ?」
あたりを見回していると、後ろから驚きを交えた声音で自分の名前が呼ばれた。この声は、と思い振り向くとヒマワリを背景に彼が立っていた。
謙也となまえは彼の名前を呼び、向き合う。
「偶然やな。そないに焦って、どないしたん?」
「……。謙也、やったのね」
「?なまえ?」
「ずっと、見守っとってくれた。支えてくれとったのは」
「な、なんやいきなり」
なまえは何と告げたらいいのか戸惑った。ありがとうと感謝を伝えたかった。自分を思ってくれている人、自分が恋した人はすぐそばにいた。なまえの言葉や様子に謙也が目を見開く。
「なっ……ユーシ、まさかあいつゲロったん?!」
「ちょっと汚いんやけど」
「あ、ああ。堪忍な。……けど、え。あいつなんでバラしとんねん」
頬に手を当て、下を見ながら微かに顔を掻く謙也の様子に、なまえは全てが事実なのだと改めて感じた。
「ありがと謙也」
気が付かなくてごめんね、となまえが告げると謙也が照れたように笑った。だが、ふと何かを思いついたようになまえの方を見る。
「その。ええんか。ユーシのこと」
「侑士はもちろん好き。せやかて兄妹みたいな感じや。私が侑士を異性として好きやと思ったのは、辛いときに支えてくれたりしたから。やけど、それは実は謙也がやってくれとったって知った」
本当になんで気が付かんかったんだろうねとなまえが困ったように笑う。そんななまえの様子に反して、謙也は驚きの表情を浮かべていた。
「え。ちょお待ち。ってことは、ユーシが好きって思うようになったんって、中学入ってからなん?」
「?せやけど」
「はあ?!てっきり、もうちっこい頃からユーシが好きなんやと思っとったわ」
「ええ?!小学生の頃は異性としてなんて想っとらんわ!」
「ユーシが引っ越しのとき、アホみたいにぴーぴー泣とったやんけ!」
「アホって何や!あれは、家族がどこか遠く行くんやったら寂しいと思うやろ普通。それに小学生にとって東京なんて宇宙みたいなもんやん!」
「はああ?!じゃ、じゃあ。俺が今までしてきとったことって……」
なんやったんや、なんて呟く謙也に、なまえは忍足が謙也に直接聞くといいと言った意味が分かった気がした。
別れの日に泣くなまえを見て、自分ではなく忍足が好きなんだと思った謙也。それからはなまえの幸せを願い、なまえが落ち込んだ時は好きな忍足からの連絡なら喜ぶだろうと、プレゼントも好きな人から貰える方が嬉しいだろうと思い良かれとやった行動。それらが逆に拗らせることになるとは思いもしなかった。
「……なんや、えらく遠回りしたな」
「ホンマ。謙也がお人よしなのは知っとったけれど、まさかここまでとは思わんかったわ」
けど、となまえは謙也の方を見て笑いかける。
「そないお人よしなアホな謙也に私は何度も支えられとる」
今だってそうだ。息を吸って、数日前に謙也から貰った言葉を思い返す。
「ありがとう。こんな私じゃ、アカンですか?」
悪戯気に尋ねてくるなまえ。
何年越しの思いだろうか。無理だとどこか諦めていた。やっと、やっと正面切って告げられることに謙也は溢れんばかりの笑みをこぼした。
「何を今更言うとんねん。めっちゃめっちゃ好きや!」
幸せだと言わんばかりに、謙也がなまえを掻き抱く。
二人の後ろに咲くヒマワリが祝福するように揺れていた。
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