硝子越しの世界
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朝日を取り入れようと、カーテンを開けた。目の前にアホ面の男がいた。逆さまになっているから、特徴的な前髪がピンっと地面に向かって伸びている。
黙ってカーテンを閉めた。
ため息をつく。背後で僅かに吹いた風に、振り返りながら拳を向けた。
「っと、暴力はアカンて」
「不法侵入者が言うな」
すまんすまんと軽く告げる柴に、全く反省する気配は感じられない。みことは相変わらずな様子に、再度ため息をついた。
「妖術局は、玄関から入るという常識はないの?」
「常識どっか行った」
「自分から捨てているのに、ナチュラルに責任転嫁するんじゃない」
みことの言葉に笑いながら、柴はドカリとそこにあった椅子に腰をおろした。背もたれに身を預けながら、みことの方に振り返る。
「で、どや? そろそろ妖術局に来へん?」
「……」
みことはまたか、とばかりに肩をすくめた。先ほど開け損ねたカーテンを静かに開けた。眩しい朝日に、みことは目を細めた。
「――公務員は、身辺調査される」
振り返りながら、言外に無理だと伝える。視線を下に向けたみことに、柴は口を横に結んだ。
「あれは、みことのせいやない。それこそ、調べたらすぐ分かるわ」
朝の清々しい空気が、一瞬でどこかどんよりしたものに変わった。
柴の言葉は、慰めというよりただの事実を口にしているだけのように淡々としていた。だからこそ、余計にみことの胸の奥に重くのしかかった。
――『お前など、いなければよかったんだ』みことの脳裏に、一瞬だけ響いた別の声。指先がピクリと僅かに震えた。それを悟られないようにと、手に力を込める。
「調べたら分かる、か」
みことは自嘲気味に微笑み、窓枠に背を預けた。逆光になって柴からは自分の顔がよく見えないだろう。それで都合がよかった。
「それが問題なんだよ、柴。調べれば分かってしまう。あの事件の真相も。このままにしておけば、何か不慮の事故があって家が壊滅した――それだけで済む。それに、わざわざ妖術局が爆弾を抱えに行くとも思えない」
「頭の固いジジババのことなら、どうとでもできる」
椅子をガタつかせ、柴が身を乗り出した。その瞳には、冗談の欠片もない真っ直ぐな光が宿っていた。普段の飄々とした態度からは想像もつかないほど、真剣な眼差しだった。
「お前の力が必要なんや、みこと。過去に縛られてくすぶってるようなタマやないやろ、お前は」
「……買い被りすぎ」
みことはふいと視線を逸らし、部屋の隅にある淹れようとしていたお茶に目をやった。
差し込む朝日は容赦なく部屋を照らし、みことの柴に対する線引きを浮き彫りにしているようだった。みことが一瞬目を伏せ、柴に視線を送った。
「……お茶でも飲む? 玄関から入り直すなら、淹れたげる」
話を逸らされた柴は、一瞬だけ悔しそうに眉をひそめた。すぐにいつもの食えない笑みに戻った。
「ほな、ピンポン押してくるわ」
印を結んで消えたと同時に、ピーンポーンと間抜けに響いた。「ごめんくださーい」と馬鹿でかい声が聞こえたかと思えば、ガラリと部屋の扉を開けて柴が登場した。
「玄関、開いてたで。動物たちが入り込んで悪さするから、鍵かけ言うとるやろ」
「どこぞの電気保安協会だ」
お茶を運びながら突っ込むみことに、柴がからからと笑った。
「ほんまに入り直してきたで。律儀やろ」
「いらっしゃい」
「おー、何かこれも悪ないな」
柴はどこか嬉しそうに挨拶を交わしながら、お茶が置かれている前に座った。そして、みことも座ったのを見計らい、徐にポケットからカメラを取り出した。
「ほい、これ」
「……?」
差し出された物体を、みことは湯呑みを片手に眉をひそめて見つめる。柴の大きな手に包まれていたのは、カメラだった。巻いて押すことで写真が撮れる簡易的な。
「やるわ」
「断る。私はカメラマンに転職した覚えはない」
「ちゃうねん。ほら前に調査員になりたい言うてなかった?」
「言ってない」
柴は鼻を鳴らし、みことの机の上に勝手にカメラをトンと置いて、みことの方へ押し出した。
「実はな、最近巷で噂の呪われた自撮りスポットがあってな? そこに行って、バシャバシャ証拠写真を撮って来い言われてん。代わりに頼むわ。名付けて「いざみこと、映えの境地へ」!」
「ネーミングセンスが絶望的だし、そもそも仕事押し付けるんじゃない」
「……あ、ちなみにこれ、撮る度に玄力が弾ける仕様になっとるから、顔の近くでボタン押したらアカンで」
「そんな危険なものを渡すな!」
「まあ全ー部嘘なんやけど」
「……」
「あ。カメラやるんは嘘やない」
お茶の湯気がのんびり立ち上る部屋の中で、先ほどまでの重苦しい空気はどこへやら、二人の間で不毛な押し問答が始まる。
コホンと柴が、わざとらしく咳払いした。
「まあ、要するにや。お前に、新しい趣味をプレゼントしに来た」
柴はニカッと、本当に悪巧みが成功した子どものような顔で笑った。プレゼントという言葉に、みことは首を傾げた。
「世界は広いで、みこと。もっといろんなモン、自分の目で見や」
柴が、外を指さしながら告げる。それから、満足げに目の前のお茶を手に取った。
「そのお茶、熱いよ」
「――ほんま、アチチやないか!」
思いっきりお茶をあおった柴が顔をしかめた。だから言っただろうと、みことは息をついた。
「本当に、人の話を聞かない奴」
ふっと笑った。雲が切れたのか、外の光が、ふと机に差し込んできた。陽に照らされたカメラ。みことは目を細め、静かにそれを手に取った。その軽さに、どこか温かさを覚えた。
