禍祓いの影札
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神奈備所轄の訓練場。いつもは賑わいのあるそこも、今日は閑散としている。太陽が燦々と照り付ける中、一つの影がぽつんと落ちていた。
その影を見つけ、また別の影が近づく。
「鎺」
呼びかけうけて、みことは座ったまま振り返った。
「区堂さん」
以前と同様に、区堂はみことの隣にひょこりとやってきて、労いの言葉を告げた。区堂の声は、訓練場の静けさにやけに響く。その声音と遠く風が木々を揺らす音が、みことの耳を擽った。
「今日は、人が少ないですね」
みことは視線を前に戻し、淡々とそう言った。
「今日は点検、という名目の休養日だ」
「休養日」
ぽつりと繰り返したみことの言葉には、どこか引っかかる響きがあった。休む、という概念がこの場所に本当に存在するのかを確かめるようだった。
区堂は少しだけ横目でみことを見た。
「……怪我を負った二人と、囚われていた人々は全員無事だ。君のおかげでな」
「よかったです。けれど、私のおかげ、ではないですね」
隊長や巳坂たちがいたからだとみことは告げる。区堂はおかしそうに笑った。巳坂は逆に、みことがいたから助けられたのだと言っていたらしい。
「君も、負傷したと聞いたが」
「治しました」
この通り問題ないですとばかりに、みことは手をひらひらとさせた。
若い二人が助かったこと、人が救われたことに、みことは安堵のような息をついた。確かに救えた命はあったと。
「あの家の違法売買のルートも潰せた。これは間違いなく鎺のお陰だよ」
地面を見つめ、押し黙ったみこと。区堂がその意図を測ろうとしたとき、どこからか雷鳴のような怒鳴り声が響いた。
「見つけたぞ。おい、鎺!」
「おや、亥猿さん。このような場所でお目にかかるとは、珍しいですね。お健やかそうで何よりです」
よっこらせと立ち上がり、みことは恭しく頭を下げた。その慇懃無礼な態度に、亥猿は、ねめつけるような視線とともに舌打ちをした。
「お前、アイツに何か言ったか? 現場で何したんだ?!」
「さあ? 何のことでしょう」
「とぼけるな!」
亥猿の怒声が、先ほどまでの静寂を一瞬で打ち消した。木々の葉が風に揺れる音すら遠のいたように感じる。
アイツが誰を指すのか、みことは一瞬悩んだ。亥猿の様子から隊長のことだろうと勘づいたが、なぜ今その話が出るのか、みことには分からなかった。
「アイツが任務後、急に引退すると言い出しやがった」
「あの隊長が、ですか?」
区堂に尋ねるようにみことが顔を向けると、区堂は静かにうなずいた。
「訳を問いただしても、はぐらかされたぞ。影札という言葉にだけ僅かに反応した。お前、何かしただろ」
「退職の人に根掘り葉掘り訳を問いただすのは、パワハラですよ」
「うるせえ!お前、ほんと舐めてやがる。だいたい昔からお前は――」
ぐちぐちと告げる亥猿の言葉を聞き流しているみことに、区堂が告げた。
「何、もともと隊が再編成されるタイミングでもあったんだ。鎺が気にする必要はないよ。……ああ、そういえば。同行した彼も、十河隊の隊長になることが決まったそうだ」
「……そうなんですね」
みことが目を細めた。風が吹き抜け、みことたちの髪を揺らした。
風で踊る上着を振り払いながら、亥猿が地団駄を踏むような勢いで告げる。
「だから、お前を派遣するのは反対だったんだ」
「まあ落ち着いて。ほら、君は隊の会議があるだろう」
青筋を立てている亥猿を区堂がたしなめた。
その様子を見つつみことは、おやっ、と思った。みことのその様子を感じ取ったのか、何だといった雰囲気で亥猿がみことを睨んだ。
「てっきり亥猿さんが、私が行くようにと最初に意見したかと思っていました」
「はあ? 俺の訳がないだろう」
おそらく嘘はない。全くとみことへの文句を垂れながら、亥猿は去っていた。
亥猿の背中を見送りながら、みことは小さく首を傾げた。
亥猿ではないなら、一体誰が自分をこの任務へ送ることを決めたのか。
今回の秘密裏に行われていた実験、隠蔽工作と不可思議な松の妖術。あの実験を行うには、相応の権限が必要だ。末端の暴走では説明がつかない。自分が派遣されたことすら、亥猿より上の、誰かの意図によるものだったのなら。みことはふと思い浮かんだ最悪の結論に、度しがたい思いを抱いた。
「区堂さん、」
――神奈備の内部に、裏切り者、あるいは別組織の手が伸びているのではないか。
みことは区堂の横顔を見た。彼は知っているのか。それとも知らずに渦中にいるのか。杞憂かもしれない。だが、拭えない違和感が残っていた。
「神奈備は、本当に一つですか?」
「?」
「――貴方も、お気を付けて」
それは祈りか、警告か、みことにも分からなかった。
一陣の風が、二人の間を吹き抜けた。
