禍祓いの影札
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「梶。――いや、鎺、と呼ぶべきか」
隊長の言葉に、みことは息をのんだ。誤魔化すか否かを、一瞬逡巡した。
「……私を、ご存知でしたか」
みことは先ほど負った傷の止血をしながら、どこかで会ったことがあったかと、記憶をたどった。だが、やはり覚えがなかった。
今の神奈備において、みことが面識のある人間は、上層部と一部の若手くらいだ。若手の妖術師ですら顔を合わせたのは数回程度。そのことを考えると、神奈備でみことの存在と顔を知る者は、かなり限られている。
「直接の面識はない。噂くらいさ」
「そうでしたか」
「上からは強力な助っ人が来ると聞かされていたが、同時にこうも言われていた。影札をおくる、とな」
「……」
影札。その言葉の意味を知るのは、神奈備の上層部と一部の隊長たち。隊長は探るような視線を、みことに向けた。
「影札である鎺みことは、女と聞いた気がしたが、まさか男だったとはな」
隊長の言葉に、みことは周囲を一瞥した。そして、無言で術を解いた。ゆらりと揺らめく影の中で姿が変転し、本来の女の姿が浮かび上がる。
隊長は一瞬だけ目を大きく見開いたが、すぐに「そういうことか」と納得したように呟いた。みことが再び術をかけ直し、梶の姿に戻るまで、そこには静寂が支配していた。
国である神奈備と、有力家の表立った衝突を避けるため、投入される存在。事が終われば、外部からは、その者が勝手に処理したことと見られる。相手の面子を潰さず、無駄な争いを起こさない。それが神奈備の影札――鎺みこと、だった。
だが、この隊長が、そのみことが梶だと気が付くとは思わなかった。みことは、疑念と共に、隊長に視線を投げかけた。
「いつから気づいたと言いたげだな」
まっすぐに見つめ、目を細めた。
「同行している梶だとは驚いたさ。だが、お前の繊細な玄力操作、妙な冷静さ。巳坂の兄と知り合い。それから、その懐刀――」
隊長の視線が懐刀に落ちる。そこには懐かしさと、わずかな羨望が滲んでいた。
「六平国重が打ったものだろう」
みことは無意識に刀を持つ手に力がこもった。懐刀を撫でるように指をすべらせて告げる。
「……奪った可能性もありますよ」
そんなわけないだろう、と呆れたように返されて終わった。
「まあいい。駆けつけるまでに終わらせると告げた時、お前だけはその裏の意味を知っていそうな感じもした」
みことは合点がいった。このいかにも神奈備な隊長が、救出も作戦に入れたことを。
「私だと分かったから、作戦に救出も入れたのですか?」
「救える命は救う、あれに嘘はない」
真っ直ぐに告げる隊長の瞳を、みことも静かに見返した。
「貴方は、妖刀の契約者を所詮は人殺しとおっしゃっていましたね」
「……口に出ていたか」
「微かでしたがね」
隊長は視線を外し、どこか遠くを見つめるように眉をひそめた。
「英雄が消えて困るのは、残された俺たちだ。あいつらが振りかざした力のつけを、なぜ俺たちが泥を啜って払わなければならない」
「妖刀――あんなものに、頼ってはいけない」
「力なき者は、暴力を享受するしかないと?」
「そうではありません。けれど……。けれど、それ以外に、道はあるはずです」
「それは、鎺。お前が力を持つから、言えることだ」
「そのためならば、結果のための悪は容認すると?」
「平和のためには仕方ないことだ。犠牲がなくては得られない。それはお前も分かっているはずだ」
犠牲が避けられないことは知っている。でも、だからといって最初から切り捨てる側には立ちたくなかった。みことは静かに拳を握った。
「そのための過程で、踏みにじられる人々は? それに力による、恐怖による支配は混乱を招きます」
「今、最小の犠牲を払うことで、将来、大勢を救う。そのためには仕方ない」
「ですが……!」
ほんのわずかに隊長の視線が泳いだのを、みことは見逃さなかった。組織がどれだけ大きくても、目の前で殺される一人を救えないなら組織に価値はない。その言葉をみことは飲み込んだ。それはつい先ほど神奈備として研究者たちを手に掛けた彼にとっても、それを止められなかった己も蝕む言葉だった。
「――もういい。鎺。お前の気持ちも分かる。だが、神奈備は国の権威を背負う組織だ。感情ではなく、構造で動く。組織を守ることが、結果として無辜の民をこれ以上の争いから守る」
言い聞かせるように隊長は言葉を紡ぐ。みことは、その様子を黙って見つめていた。
「貴方の心は、どうなるんです?」
みことの言葉に、はっとしたような顔をした。
「……それを、お前が言うか」
「失礼しました」
一瞬の沈黙がおりる。静寂が耳鳴りを起こしそうだった。
「華々しく英雄などと語られているが、所詮人殺しだ。同じ穴の貉。今更どう汚れようが、俺は構わない。鎺、お前もそうだろう」
隊長がどこまで英雄たちの真実を把握しているか、みことは分からなかった。だが、ただの人殺しと断じるのは、彼が戦後の混乱を最前線で、神奈備として尽力してきた自負と苦しみがあるからこそだろう。みことはそれがどれほど茨の道であったか、想像した。誠意と勇気だけでは、どうにもならない世界に生きる者の葛藤に、静かに視線を落とした。
これ以上の問答は不要だとばかりに、隊長は背を向ける。それと同時に、空気を裂く様な音と共に足音が響いた。
「隊長!梶!」
「巳坂さん」
駆け込んだ巳坂は、二人の顔を一瞥し、お互いに無事であることにひとまず安堵のような表情を浮かべた。
だが、その安堵も束の間。視線を下に巡らせた巳坂は、みことの血染めの左袖に眉を上げた。
「おい梶。その傷、」
「大丈夫ですよ。かすり傷です」
安心させるように告げたみことの背後には、事切れている標的たち、場違いな松の木があった。巳坂はその松の木についている血痕が目にとまり、僅かばかりに事を察した。
「対象は抵抗したため、処断した。撤退するぞ」
間も無く時間だと隊長は告げ、振り切るように巳坂の横を通り過ぎた。
足早に出ていった隊長の背中を、巳坂とみことは見つめる。
「……俺たちも行くぞ、梶」
どこか納得いかないような表情を浮かべている巳坂が、みことに声をかける。一歩踏み出すが、そこから動く気配のないみことに振り返り、疑問を浮かべた。
「梶?」
