禍祓いの影札
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実験場の先に進む。空間把握を行ったとき、この場所だけが輪郭を結ばなかった。ぽかりと切り取られたような空間を、みことは結界だろうと考えていた。
みことの足音だけが響く中、結界の核となる場所を見つけ、躊躇なく破壊する。
「お邪魔しますよー」
黒ずんだ重い液体のような、重苦しく淀んだ空間を取り払うように、殊更明るく告げて足を踏み入れる。
そこには、研究施設そのものといえる環境が整っていた。整然と並べられた机、怪しげな水槽、何かを観測しているのか波形が表れている機械。
殺気を探るも、それらしい気配はない。
あたりを探りながら見回したみことは、あるものが目に留まった。大量の研究資料が残されている。内容もさることながら、みことの視線を釘付けにしたのは、とある文字だった。
そこに記されていた組織名。
――神奈備。
これが意味するものに、背中に嫌な汗がにじんだ。資料をひったくるように手に取り、ざっと内容に目を走らせる。眩暈がした。手にした資料が、くしゃりと音を立てる。
「神奈備が、関わっていたのか」
今回の任務そのものが、別の意味をもっていたのではと、みことは考えを巡らせた。表向きは、違法取引の摘発と捕縛。神奈備自身がこの研究に関与していたとしたら。
確証はないが、今回の作戦の本当の目的は――。
「隠蔽……?」
みことは、どこか諦念も交えたため息をこぼした。だが、それだけではない何か大きな違和感が胸につかえていた。
この研究は、雫天石や妖刀の研究資料との共通点が多すぎる。だが、先ほどの首飾りに施されていたどこか不自然に高度な技術は、この家の技術とこの資料だけで生み出せる代物には思えなかった。神奈備とまた違う何かがいるのではという疑念が、頭によぎる。
突如、ガタリという音がした。みことはとっさに反応し、音のした方に綾紐を伸ばす。
「ま、待ってくれ!違うんだ!」
「貴方は」
綾紐が捉えた人物は、両手を挙げたまま怯えの表情を浮かべている。白衣を纏うその人物は、今回の捕縛対象だった。
みことは、震える声で話す彼から全く敵意を感じず、綾紐を僅かに緩めた。白衣の男はうなだれるようにして、座り込んだ。何かを、念仏のように唱えていた。
「私は、また娘に会いたかったんだ。ただ、それだけだった。奴らが、」
「……奴ら? 神奈備、ですか?」
「確かに神奈備も関わってはいた。だが、神奈備だけじゃない。た、たしか手の甲に――」
男の言葉が止まり、彼の身体が小さくよろめいた。うっと、思わず呻いて、手で腹のあたりを押さえている。
どうしたのか手を伸ばそうとした途端、彼の体の内側から書き換えられていくかのように、玄力が歪に渦巻いている。
彼の内から身を裂くように松が生えた。みことはとっさに身を引きながら結界術を施す。
「妖術?!」
何かを契機に発動する妖術か。その規模の大きさに、目を見開いた。
突如発動した妖術に気を取られていたからか、とん、と誰かにぶつかった。みことは瞬時に懐刀を抜き、切りかかる。ガキンと刀と刀が交わる音が響く。
「落ち着け、梶。俺だ」
そこにいたのは、刀を構えた隊長だった。
刃が噛み合ったまま、みことは一瞬だけ呼吸を止めた。金属同士が擦れる乾いた音の余韻だけが、異様に長く残る。
「巳坂さんは?」
「負傷者を連れている。引き渡してから来るだろう」
隊長はゆっくりと刀を下げ、納刀をした。
「状況は」
「捕縛対象から、妖術が」
みことは視線を外さないまま答えた。先ほどの白衣の男が倒れたまま動かない。体内から生えた松は、すでに彼の体が異物であるかのように沈黙していた。
隊長は一瞥して、短く息を吐いた。
「まだ、数名の研究員がいるな」
その言葉に、みことの眉がわずかに動く。
神奈備だと隊長が高らかに告げると、奥にいた研究員が三名、怯えるようにして出てきた。
隊長がこれで全員かと尋ねると、研究員たちは頷いた。彼らは、やっと外に出られる、そう安堵したような表情を浮かべている。
隊長は研究員たちを見つめたまま、「梶」と静かに呼びかけてきた。
「――捕縛はやめだ」
みことの喉が一瞬だけ、乾いた音を立てた。
「……任務は、捕縛のはずですが」
隊長は視線を外さないまま、低く言う。静かに刀の柄に手をかけた。
「全員処断する」
隊長の言葉は、説明ではなく確定事項だった。疑問の余地を残さない、現場の最終判断。奥から出てきた三人の研究員は、その言葉の意味を理解するまでに数拍遅れた。安堵の表情が崩れ、代わりに色のない恐怖がじわじわと顔面に広がっていく。
「そ、そもそも神奈備が、これを始めたんじゃないか!」
「雫天石の研究を、妖刀の代わりになるものを作ると」
「雫天石に耐える器をと!」
各々が叫んだその瞬間、隊長の視線がわずかに動いた。隊長が即座に切り伏せた。
「待ってください!まだ聞き出すことや条件も、」
みことが止めるも、遅かった。彼らが斬られると同時に、ふいに、左腕を殴りつけられたような衝撃が走る。みことの身体が、小さくよろめいた。先ほどの男と同様に、彼らの体から迸るように松の木が生じたのだ。そう気が付いたと同時に、更に伸びた枝が頬をかすめた。
みことは、己と隊長を守るように、結界を展開する。結界を維持したまま左腕に触れる。袖が裂け、血が流れている。深い傷ではないが、術の凶悪さに息を呑む。
みことは、発動条件は何かを口にすることと、絶命が契機かと理解したが、今更どうにもならなかった。
松の木の衝撃はおさまったが、目の前で事切れ、変わり果てた研究者たちの姿に、唇を噛む。
隊長が、血振りをして刀を納めた。そして、変わらずみことの方に視線を動かさないまま、静かに、諭すように言葉を落とす。
「……これでいいんだ、梶。――いや、鎺」
