禍祓いの影札
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妖術師が壁へ叩きつけられ、遅れて瓦礫の崩れる音が響いた。
見えない刃が空気を切り裂いて通り過ぎ、その余韻だけが肌に残っている。皮膚の表面に細かな針先が触れるような感覚と、産毛が逆立つような緊張感に、みことは息をついた。砂煙の立ち込めるなか、束の間の静寂とともに、自身に結界術を再び施す。
梶の姿となったみことは、瓦礫の中に倒れこんでいる妖術師のもとに向かった。
妖術師の胸は、かすかに上下していた。――まだ、息がある。
みことは先ほど辿った玄力の先で、気になった物を妖術師から取り上げた。この妖術師とはまた違った気配を纏った、だが確実に人形とつながっていた物。みことの隣に来た巳坂が、その手の中にあるものを見つめた。
「首飾り?」
「はい。おそらくこれが、」
そう告げた途端、意識を戻した妖術師が身を起こし、刀を手に取った。だがその太刀筋はおぼつかず、巳坂は、軽々と相手の刀を弾き飛ばした。
妖術師は苦悶の表情のまま、まだだと告げた。どこかまだ勝利を確信しているような余裕を滲ませていた。
「まだまだ人形はいるんですよ」
告げるや否や、ゆらりと影が立ち上がる。
「貴方たちも、すぐにお仲間にして差し上げます。最高の人形ができるでしょうね」
愉快愉快とばかりに、両手を広げた妖術師は「奴らをやれ!」とみことと巳坂を指さし、高らかに宣言した。
人形の視線が、妖術師ではなくみことの持つ首飾りへと、一瞬だけ揺れた。その一瞬の気配を、みことは見落とさなかった。
巳坂が舌打ちをして身構える。だが、人形は動かない。刀を構えたまま、何が起こっているのか疑問を浮かべた。不意打ちを狙っているのかと、巳坂が敵に視線を送る。だが、当の妖術師も、動かない人形たちに、何故だと困惑の表情で人形たちを見渡していた。
みことは静かな顔をして、掌中にある首飾りを握りしめた。
「やはり、これが鍵でしたね」
みことが首飾りを掲げるように見せると、妖術師はさっと探るように自身の胸元に手をあてた。あるべきはずのものがないことに気がつき、妖術師は顔を青くする。
「おかしいと思ったんです。玄力を探っているとき、貴方のものとは異なる気配が混じっていた。もともとの貴方の妖術に、上書きする形で、あの人形たちを操っていましたね」
「貴様……!」
妖術師は驚きを浮かべ、みことの手の中にあるものに手を伸ばそうとした。
妖術の上書きといった芸当は聞いたことがない。みことは違和感を覚えながらも告げたが、妖術師の反応で正解なのだと分かった。
みことは首飾りを見つめたまま、一瞬だけ呼吸を止めた。玄力を込めてその首飾りを握りこむ。これを壊せば、本当に終わるのか――そんな確信の薄さが、指先に残っている。止まる保証はない。むしろ悪化する可能性もある。それでも、他に選びようがない気がした。
何をするのか察した妖術師は、制止するように声を荒げた。その声音に、みことは握り込む指先の力を強める。
「これで、止まるはずです」
玄力を込めた瞬間、首飾りは砕け散った。顔を歪ませている妖術師に向け、みことは告げる。
「大人しく投降してください」
「投降だと?するわけがないでしょう」
「貴方の行為は、許されるものではありません」
「売られた者、借金にまみれた者、どこにも生きるすべなどない社会のゴミ屑を活かしているんですよ。自分ではどうにもならない連中に、形を与えたんです」
妖術師は笑った。乾いた、割れた音が響き渡る。
みことは一瞬、言葉を選ぶように目を細めた。巳坂がごちゃごちゃとうるせえとばかりに眉を寄せた。妖術師の、人をものとしてみている歪な理屈に、二人の心の内には、静かな炎が揺らめていていた。
「あくまでそれは、あの方の力を拝借しただけ。私の妖術はまだ生きている」
そう告げ、妖術師は一体の人形に触れる。
「あの妖術師たちを殺せ!ここから――」
妖術師の言葉が途切れた。
人形たちが、一斉に妖術師へ顔を向けていた。すべての音が消えた。
そこに命令はない。統制もない。ただ、空白だけがある。そして、その空白を埋めたのは、術ではなく、元となった者の記憶だった。
人形たちの動きが、どこかぎこちなく止まっている。みことはその違和感を追いかけるように、首飾りだったものを見た。
「鍵じゃない」
首飾りを見たまま、わずかに眉を動かした。
「これは、楔……?」
小さく息を吐く。巳坂が横目で睨みながら「楔?」と繰り返した。
「人形たちの主を固定するためのものです。おそらく、遠隔使役の類。これを失った今、」
言い切る前に、最初の人形が一歩踏み出した。ぎし、と床が鳴る。その先にいるのは、かつて主だった者。
「なっ……何故だ?!違う。私ではない!」
刃がゆっくりと持ち上がる。次の瞬間、空気が裂けた。
命令なき刃が、命令なきままゆらりと構える。妖術師はその光景を見て、ようやく理解したように声を震わせた。
「私はお前たちを、救ったはずだ……!」
妖術師の顔が初めて崩れた。余裕ではない、純粋な焦りが浮かんだ。妖術師は後ずさる。初めて、逃げ道を探す目をしていた。
「来るな……!来るな!」
みことは舌打ちをして襲われている妖術師のもとに行こうとしたが、それを止めるように、巳坂がみことの腕を掴んだ。
「よせ!アイツはもう助からない」
「巳坂さん」
「――それに、自業自得だ」
どこかやるせない思いを滲ませながら、吐き捨てるように巳坂が呟いた。
救いを求めやって来た人を利用した者の末路。彼を囲い、黄泉へと運ぶのは、人形となった彼らの、その身に宿る恨みか復讐か。
断末魔が響く空間に、みことは、刹那に目を閉じた。
その場から離れ、若い二人のもとに向かう。掌の傷に術を施して止血しているみことを見つめながら、気を逸らすように、巳坂はひっかかっていた疑問を告げる。
「アイツがやられた後の人形は、どうなる。誰かを襲ったりしないのか」
「上書きされていたとはいえ、根源はあの人の妖術です。術師が事切れれば術も解ける」
「……なるほどな」
そんじゃあ行くかと、巳坂は意識を失っている若い妖術師を担いだ。
「巳坂さんは彼らを連れて、隊長と合流を」
「ああ?お前はどうすんだ」
「私は、この先へ進みます。時間も限られていますから」
先ほど懐にしまった地図を取り出して、みことが告げる。
「恐らくここは実験場。研究の場所はこの先で、捕縛対象もそこにいるはずです」
一人で大丈夫かという言葉を、巳坂は、飲み込んだ。先ほどの戦闘といい、みことは戦い慣れている。
「妙な結界もありそうなので、とりあえずはそれを解除しなくては」
地図に落としていた視線を、巳坂に向けたみことは微笑んだ。
「大丈夫、無理はしません」
安心させるように告げていたが、どこか疲れを滲ませていた。巳坂は一瞬、目を細めた。それからトンとみことの肩を叩き、任せたとばかりに、背中を向けた。
