氷帝怪事件
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跡部さんが「今日は負けておいてやるよ」と告げ、神尾君と桃城さん側の勝利となった。去り際に桃城さんの名前を聞いている。神尾君も名乗ったが、切り捨てられるように返され悔しそうにしていた。
氷帝学園3年跡部景吾と名乗った彼は、一緒にいた大きな人を連れストリートテニス場を出ていった。中学生であったことも驚きを隠せなかったが、それよりもどのような形であれ助けてくれたことに対してのお礼を言えていないこと、大きな人――樺地さんに付いている雲が気になって仕方なかった。
「杏、やっぱりお礼は言っておく。ちょっと行ってくるね」
そう言って二人を追いかけた。
二人は背が高く、何よりオーラがあるのですぐに見つけることができた。どうやらお迎えを待っている様子だ。氷帝に通っているくらいだ、きっといいところの令息なのだろう。怖いしあまり関わりたくはないが気になるものは仕方がない。
「あの。跡部さん、先ほどはありがとうございました」
近寄りがたい雰囲気であったが、勇気を出して声をかけた。跡部さんはこちらを一瞥したが、すぐに前を向く。
「別に礼を言われることはしていない。気にする必要はない」
「貴方も、ありがとうございました」
そう言い、跡部さんの後ろにいる樺地さんにも頭を下げる。
「何かまだ用があるのか?」
大きな人を見ながら何かを言いたそうにしていると、跡部さんが声をかけてきた。冷たく言われ、一瞬ひるむが、自身を叱咤激励し後ろの樺地さんに声をかける。
「その……。腕、重かったり痛かったりしないですか?」
私が尋ねた樺地さん以上に、驚いた顔をしたのは跡部さんだった。
「あーん? お前なぜ樺地が腕を負傷していると?」
「何となく、気になりまして。樺地さん、ですね。もし、よかったら、少し腕を見せてはいただけませんか?」
そう言い、訝しげにこちらをみていた樺地さんは跡部さんの方を少し見る。跡部さんはそんな彼に、いいだろうといった合図をする。
失礼しますと告げて、そっと出された腕に少し触れる。――やはり杏の時と一緒だ。彼も何か強い思いを持つ幽霊に触れられたのだろうか。そう思いながら、指先で黒い雲を弾く。
雲は、空気に溶けるように消えていった。
消えたと同時に、あまり表情を変えなかった樺地さんが驚いた表情をした。
「軽く、なりました」
樺地さんの呟きにうまくいったのだと安心した。よかったと息をつくと、静観していた跡部さんが、一瞬だけ目を見開いた。
「おい、お前。名前は?」
「え? 不動峰子です」
「そうか。不動。何をしたか知らねぇが、礼を言う。実は樺地は、先週あたりから腕が重いと言っていてな。原因が分からず困っていたんだ」
「やはり、そうだったんですね。これは今日助けていただいたお礼です。気になさらないでください。あ!あと、神尾君のことも覚えていてあげてくださいね」
ちょうど跡部さんのお迎えらしき車も来たようだ。「それでは」と私も踵をかえし、私は杏たちのもとへと戻った。
その後、杏と神尾君たちにテニスを叩き込まれ、桃城君と仲良くなったものの次の日の筋肉痛に悩まされたのはまた別の話だ。
車の中にて。跡部は流れる景色を眺めながていた。向かいに座る樺地が軽くなった腕をじっと眺め、言葉を溢した。その言葉に耳を傾けるように、跡部は視線を送った。
「お礼を、言えませんでした」
「……あーん? 俺が言ったろう」
「いえ。自分から、直接」
そういえばそうだったな、と跡部は思い返した。不動峰子との出会いを思い返しながら窓の外へ視線を流す。樺地が誰かに対して、ここまで自分の言葉を求めることは珍しい。そんな樺地が、自分から伝えたいと思った。
妙な奴だった。
「――不動峰子、か。覚えておくぜ」
跡部景吾がそう決めた相手は、そう多くはない。
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