合縁鬼縁
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「おー。やっと来よった。お疲れさん。ここはナマエで終わりかもしれへんなぁ。まあほな、よろしゅう頼むわ」
「はいはーい」
前任にがんばれなんて意味深な感じで肩を叩かれ、場所を交代する。前回は東北の方の社だった。こじんまりしていたが、地元に愛される場でそれなりに人が来ていた。
今回は……。
そんなことを思いながら、目の前に広がる光景にため息を溢す。
林のような場所で開けた空間。緑が広がる中、小さな祠がポツンとある。久しぶりの関東だ。しばらく北や南にいたが、関東に来たのはいつ以来だろうか。
今回はここか。前回はなんやかんや30年近くだったな。今回はどうだろうか。だいたいは年号が変わるような機会に、私たちは移動する。
いつからこれをしているのか分からない。気が付けば存在していたし、自分の役目も何となく把握していた。何年も何年も、悠久の時を生きて人々を見守ってきていた。きっと終わりも気が付けばやってくるのだろう。いつの間にか消えていく。何となく分かる。
北の地で、誰かが「夏草や兵つわものどもが夢の跡」とポツリと呟いていた記憶を思い出しながら新しい社に、よろしくと誰ともなく呟く。
私たちの役目は、いわば神と呼ばれる存在の耳目だ。それぞれの社に属して訪れる人々の声を聴く。
それに私たちの役目は本当にただ聴くだけ。先輩は私たちを通じて神が人々の願いを聴いているんだよとか言っていたが、神をみたことはない。本当にいるのかどうかも分からない。けれど、私たちみたいな存在がいるのだからきっとどこかにいるのだろう。
声を聴き、しばらくして人によっては願いが叶いましたと笑顔で報告してくる。それは本当に神がやったんだろうかと思うことばかりだ。
ぽつんと立つ社、というより祠。今までいた中で一番小さいな。新しい自分の居場所に、あたりを見渡しながらぼんやりする。人っ子一人いない。前回がそれなりに人がいたこともあり、どことなく寂しさを覚える。前任が私で終わりかもな、と言ったことに納得する。人が訪れない社は自然と私たちの配属がなくなり、存在が霞の如く消えるらしい。ここは私が最後かもしれない。
それからも人が訪れない日々が続いた。関東の神奈川。人がそれなりにいる地域だと思っていたが。近くに大きな神社があるからか、そちらに人は主に赴いているのだろう。
そんなことを思っていると、ふと、人影が現れた。銀の明るい髪をしている。少しばかり猫背の少年、いや青年かな。制服のようなものを着ている。
ふらりとやってきた彼は軽く祠に頭を下げ、座り込んだ。派手な髪をしている割に礼儀正しいななんて思いながら、彼を見つめる。特に願いもないのか、大きな黒い鞄を隣に置き、手を団扇のようにパタパタさせている。確かに今日は暑い。前の地域との違いを少し実感する。
それから少しして、彼は立ち上がり去っていった。
何だったんだ。そう思いながらも、久しぶりに人を見た私は少し嬉しかった。このような場所にもまだ人は来るんだな。まあ願いを彼はかけてはいかなかったが。
それからもちょこちょこ彼はやって来た。相変わらず願いは口にしないが。どうやら暑がりらしく、ここで涼んでいるようだ。
「全く。願いはないのかな」
そんなことを彼に向かいポツリと呟く。どうせ彼に私の姿、声は聞こえていない。彼は相変わらず何も言わず、去っていく。
それからしばらくして、彼と同じ服を着たまた別の青年がやって来た。ふわふわの癖のある髪をしている。何か訝し気な表情をしているが、祠を見つけた途端ぱっと顔を明るくした。
「おお!ほんとにあった!」
そんなことを叫ぶように呟き、一心不乱に祠に向かってくる。元気な声に驚く。彼は祠に向かい手を合わせ必死に何か言っている。
「次のテスト、赤点回避お願いします!テニスの試合がかかってるんスよー!」
なにやらそんなことを呟いている。勉強のことか。頑張れ。
それから彼は何か思い出したように、お供えしなきゃと言いながらポケットをさぐる。だが、顔色がみるみる青くなる。あれない、とか言っている。どうやらお賽銭もないようだ。ごめんなさいと必死に謝る彼。先ほどの願いといいその必死さ、おっちょこちょいで一人で焦っている彼に思わず笑みが零れた。
彼はどうかよろしくお願いしますと元気に言い、頭を下げて去っていった。銀髪の彼と同じく大きな黒い鞄を持っている。先ほどテニスと言っていたが、彼らはそれをしているんだろうか。
そしてそれからまた少しした頃、相変わらず銀髪の彼はふらりと現れしばらく休んで去っていく。そんな日々を繰り返いしている中、またあの癖毛の彼が来た。非常に嬉しそうな顔をしている。
「ありがとうございました!赤点回避!しかも今まで一番いい成績で先輩たちにも褒められましたよ!」
お賽銭を入れ、開口一番大きな明るい声でお礼を告げてきた。嬉しそうな彼に、こちらもよかったねと思わず声をかける。それから銀髪の彼がやってきて彼に赤也と声をかけていた。どうやら彼らは知り合いだったようだ。
「いやー仁王先輩にまた騙されたと思ったんスけど、本当でした!」
「なんじゃ疑っちょったんか」
「はじめはッスよ!今は信じてますって。ここに祈ってからなんか勉強もやる気が出たんすよ!」
「そうか。ま、引き続き頑張りんしゃい。レギュラー入りももうすぐじゃろな」
「絶対に先輩たちより強くなるッス!」
どうやら彼らは先輩後輩の関係みたいだ。銀髪の彼は仁王というらしい。
「よかったね赤也君。けど赤点回避は普通に君が勉強を頑張ったからだよ」
やり取りをしている彼らを眺めながら、私は思ったことを素直に呟く。
それから不思議と、彼らと同じ服をきた人々がよく訪れるようになった。様々な人物が様々な願いを呟いていく。はじめの頃とは打って変わって人がそれなりに訪れるようになった。
「どうか新体操部のあの子と付き合えますように」
そうか。恋多き時期だもんな。頑張れ。
「オヤジの職が見つかりますように!」
それはなんとまた。苦労人なんだろうか。若くして髪がなくなるほど大変な思いをしているんだな。見つかることを私も祈るよ。
「新たなデータを得たい」
知らんがな。なんのこっちゃ。
そんな若人の願いを聴く日々。あの子とあの子、お互いに思い合っているじゃないかなんて思ったりすることもあった。勉強や恋愛、日常生活のこと。悩みを溢していく人もいる。
けれど、どれも自分で何か答えを見つけて納得している。彼らは自分の力でそういった問題を解決していっている。人間という存在の不思議さを彼らを見ていて改めて感じていた。
そんな日々を過ごす中、今まではそれなりに来ていた仁王君が来なくなった。どうしたのだろうか、と思ったが暑さもおさまり今は冬の厳しい寒さの日々だから涼む必要もなくなったのだろうか。少しばかり寂しさも覚えつつ、訪れる若人の願いに耳を傾けていた。
そんなとある冬の日。心痛な表情をした帽子をかぶった人物がやって来た。初めて見る顔だ。ずいぶんと大人っぽいが、彼らと同じ服を着ていることから学生なのだろう。それに、赤也君と仁王君と同じく黒い鞄を持っている。恐らく彼もテニスをしているのだろう。彼は、祠の前に立ち帽子をとり頭を下げてきた。
「神仏にすがるなんぞあまり俺らしくはないが。だが、今は耳を傾けて欲しい」
静かに響く彼の声音に必死さを感じられる。思わず背筋が伸びるような威厳があった。
「幸村の病をどうか。アイツが再びテニスをできるように」
病。今までも確かに病やケガ、それらがよくなるようにという願いを乗せた人々がいた。必死な思いを彼の様子からひしひしと感じる。だが、私にできるのはいつも聴くだけ。快方に向かったという報告もあれば、最期まで頑張っていたという報告もあった。私にどうこうできるものではない。久しぶりに聞いた人の命に関する願いに、戸惑った。私に本当にそんな力があればいいのだが。神という存在を実際に見て、その奇跡を目の当たりにしていれば自信をもって、分かりました大丈夫ですよと言えるのだが。
私はただ黙って彼を見つめることしかできなかった。心痛な表情で目を閉じ、手を合わせていた彼が目を開け頭を下げて帽子をかぶる。
そして、静かにその場を去っていった。
冷たい冬の風が祠の周りを包んだ。私は、その幸村という人物の病がよくなるように祈りを込めて空を仰いだ。
それからも大きく変わらぬ日々が過ぎていった。そして、また仁王君がやってきた。相変わらず軽く頭を下げた後、ふう、と息をつき腰かけた。春の穏やかな陽気が祠を照らしている。彼の持つ鞄をみて、帽子の彼のことを思い出した。幸村という人はどうなったのだろうか、彼を眺めながら考える。
「幸村のこと、聞いてるか」
ふと彼が呟いた。突然のことに、一瞬自分に言われたのかと思い驚く。だが、彼は変わらず地面を眺めている。
「……帽子の人から聞いた。よくなることを祈っているよ」
私が呟くと彼は、徐に立ち上がり去っていった。彼にとっても幸村という人は、大切な人のようだ。
それからも、癖毛の彼たち、今までここに来ていた何人かが定期的にやってきて幸村という人の快方を願っていった。真剣に願う彼らに、自分の無力さを痛感する日々を私は送っていた。
夏が再び本格的にやって来た。人は相変わらずポツポツとやって来る。制服姿の彼ら。彼らの通う学校は、立海大附属という名前だというのも把握した。何回か来たことのある人もいる。ここ1年で、多くの立海大附属生をみてきた。仁王君も時折やって来る。しかし、彼が願いを口にするところはまだ見ていない。
そして癖毛の彼が再び試験の赤点回避を祈願し、無事に通過したことを告げてきた日から少しした頃。
帽子の彼が来た。隣に、前にデータが云々と言ってた人がいる。二人だけかと思ったが、後から何人かがやって来た。彼らは、定期的に幸村の快方を祈りに来ていた人たちだ。その中には、もちろん仁王君もいた。
そして、彼らは頭を下げ礼を何度も告げてきた。どうやら、幸村という人の手術が成功し、テニスを再びできるようになったらしい。今は必死にリハビリをしているとか。
その報告に胸がいっぱいになった。あんなに必死に皆が願っていたのだ。
「そうですか。よかった。皆さんのおかげですね!」
思わず声を上げ喜んだ。では練習だ、と帽子の彼が声をかけ、彼らが続く。彼らの表情が明るい。私も思わず口元が緩む。
ふと、仁王君と目があった気がした。
「ありがとな」
彼が声もなく、口の動きだけで呟く。え?
いや、勘違いでしょう。たまたま、だよね。
それからも、立海大附属生らは訪れてくる。何か噂を耳にしてなどと言って学生以外の人も訪れるようになってきた。
不思議なものだと思っている中、またテニスをしている彼らがやって来た。その中に見たことのない人物がいた。中世的な顔立ちをしている。
「ここかい?」
「そうだ幸村」
「成程ね。この祠か。いくら感謝してもしきれないね」
そう言い目を瞑り手を合わせ祈っている。静かにお礼を告げてくる。そうか、彼が幸村という人か。初めて見る彼に、その元気そうな姿に安堵する。私は祠に寄りかかりながら彼らを見る。
「それじゃあ次は立海の全国優勝を願おうか」
「高校で三連覇を目指そう」
「そうだな」
「先輩たち、まずは来年の俺の全国制覇を願ってくださいよー!」
「ふふ、仕方ないね」
「なら赤也。願いを聞いて貰わんとな。ほれそこに立ちんしゃい」
「どこっすか?」
「ほれ、ここじゃここ」
「は?ちょっと。え?」
仁王君が赤也君を私の前に立たせる。その近さに驚き、私は思わず逃げるように距離を取る。しかし、仁王君は変わらず赤也君を私の方に寄せる。
「え、仁王先輩祠そっちッスよ」
「ちょ、ちょっと!近い、って。うわあ!」
後ろにあった石に躓き、思わず私は尻餅をついた。仁王君は、あと声を上げた。周囲にあった草花が思わず揺れ、彼らが驚く。
「何だ?今変な風が吹いたか?」
「まあ、そんなとこじゃろうな。大丈夫か?」
一見彼らに声をかけているようだが、彼は確実にこちらを見ている。え?何?見えているの?
「い、いつから?」
思わず出た言葉はそんな言葉だった。驚く私に微笑みかける彼。内緒というように人差し指を唇に当てている。
驚く私をよそに、彼らは願いを告げ、そろそろ行こうとその場を後にしようとしていた。
「またの」
そう言い仁王君も去っていった。何なの?え?
驚きを隠せない私はただ困惑するしかなかった。
次の日、ひっそりと仁王君がまたやって来た。いつものように頭を下げる。しかし、彼はいつものように腰を掛けず私を見つめている。私もまた彼を見つめていた。ばっちり目が合っている。
「こうして話すのは初めてじゃの。昨日はすまんかった」
「いつから、見えていたの?」
「はじめからじゃ」
私は驚愕した。どうやら暑がりが彼にとって涼しい場所を探すのは日課のようなものだったらしい。そして見つけたこの場所。私が前に東北の方にいたのもあるからか、僅かばかりにここは気温が低いらしい。
ふらりとやってきて、思わず誰かがいたことに驚いたらしい。やって来るうちに、彼は私が人でないと勘づいた。そして、赤也君にあの祠には神様がいるとか何とか伝えたとか。
「それで、赤也君が……。立海大附属生が来るのはなぜなのかと思っていたけど、そういうことだったのね」
「皆が皆誰もいなかったと言ってな。それに、赤也と二人で来たあの日。まあそこで確信した感じぜよ」
「全くそんな気配悟らせませんでしたね」
「ま。伊達に詐欺師とは言われちょらんからの」
そう悪戯気に笑う彼。普通に話しているが、よくよく考えたら、いやよくよく考えなくても不思議なものだ。私が人間と話している。時折、こういう存在がいるというのは聞いていたが、そんなものは迷信だと思っていた。まさか本当にいるとは。
「もう知ってそうだが、俺は仁王雅治じゃき。お前さんは、名前あるんか?」
「私?一応あるけど」
「タブーでなければ、教えてくれんか」
「ナマエよ」
「そうかナマエか。いい名じゃな」
そう告げる彼に、驚く。不思議な気持ちだ。自分の名前をあまり今まで意識したことがなかった。気がつけばその名前だったし、誰がつけたのかも分からない。自分という存在を認識した時から自分はナマエだった。いい名。なんだか嬉しくて少しこそばゆかった。
「正直、神様ならもっと難しいような何とかのみこととかそういった名前かと思ったが」
「私は神じゃないよ」
呟く彼に、静かに告げる。そうなのかと疑問を浮かべる彼に、私は自分の存在のことをそれとなく告げる。
「なるほどな」
「神じゃなくてごめんね。私には皆の願いを叶える力はないよ」
しかし、てっきり残念がられるかと思ったが、彼はあっけらかんとしていた。
「誰かがどこかで、自分の想いを知ってくれている。見守ってくれている。それだけで、人はがんばれるんじゃ」
「そんなもん?」
「ああ」
「なんか君の方がこの役目向いてる気がしてきたよ」
そんなことを告げると、彼は声をあげて笑った。
今まで神の存在を見たことがないから、本当にいるのかなんて思ったこともあった。しかし、迷信だと思っていた私たちが見える人間が、実際にいた。神もきっとどこかにいるのだろう。今はそう思えてならなかった。
これが、私と雅治くんの出会い。
あ。そうそう。あの祠。プロテニスプレイヤーたちが願ったという噂が噂を重ね、参拝者は絶えることなく幾年も大切にされ、今もひっそりと神奈川の地にあるらしいですよ。