無声の声
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「いつまで残っとるんやー!もうすぐ最終下校時刻やねんから、コケシさんにコケシにされてまうでー」
「コケシさんって何やねん!初めて聞いたわ」
「はあ?お前知らんのかー有名やんけ。なんでも、四天宝寺は夜な夜なコケシが爆速で廊下走っとるらしいでー」
「マジか。全っ然知らんかったわ。あいつの話、ホンマなん先生?!」
「何やそれ知らん怖っ」
「――って、先生が始めた物語やのに梯子はずさんといてや!」
クラスメイトが口々に「何や嘘か」と言葉を落としていく。担任にツッコミを入れながら、各々が鞄を持って外に出ていく。
「おつー撫子、帰ろー」
「うん。……あ、けど、これだけは明日までにやっておきたいから、それだけやってく」
「手伝おうか?」
「実行委員のやつだし大丈夫!ありがとう。先に帰ってて」
また明日と挨拶を交わし、撫子は今日の進捗を確認した。教室が徐々に静寂に包まれていく中、明日に備えて物品を片付けていた。そんな撫子のもとに、担任が近づいた。
「おー大和。どや調子は?……って言っても、本格的に始まったのは今日からやけど」
「飲食物が届くのは前日ですし、装飾や衣装を今進めています。何とかなりそうです」
「おう。昨年テニス部の方で、女装喫茶やっとたんやっけ?」
「はい。それもあって、クラスの実行委員をやっている感じです」
「あれやりたいこれやりたい言う割には、ホンマだーれも実行委員に手ぇ挙げへんかったからなぁ。おおきにな大和。何か困ったことあったら言うんやでー」
「はい」
「ほな、日直の先生が来る前に教室出といてなー」
よろしくとばかりに、担任がひらりと手を振りながら教室から出ていく。「はーい」と背中に向かって返事をした撫子は、区切りがいいところまで進めた。
続きは明日やるか、と思いながら身体を伸ばした。それと同時に、最終下校時刻のチャイムが鳴り響く。しまったと思い焦る撫子は、背後から何か視線を感じた。――まさかコケシさん?!と思いながら、おっかなびっくり振り返った。
ひょこりと教室の扉のから覗いた顔に、あっと声を上げた。
「蔵」
視線の正体は、白石だった。内緒、静かにとばかりに口の前に人差し指を立てている。そのまま、親指を外に向かいクイっとさせ、一緒に帰ろうとジェスチャーをしてきた。
「うん、ちょうど帰ろうとしていたの。一緒に帰ろう」
撫子は鞄を手に取り、廊下で待つ白石の元に駆け寄った。
「こらー!お前たち、下校時刻過ぎてんでー!何やってんねん学校に泊まるかぁ?!」
「すみませーん!今帰りまーす!」
日直の先生がちょうど見回りに来たタイミングであり、消灯した薄暗い廊下に大きな声が響いた。
すかさず謝罪した撫子の手を、白石が取った。「行くで」と口パクで伝え、少し早歩きで廊下を進み、階段を下りていく。トントントンとリズムを合わせて降りていくと、なんだか一緒にダンスしているみたいだ。――そんな暢気なことも片隅で思いながら、撫子は階段を踏み外さないように意識しながら足を進めた。
不意に、繋いだ手が少しだけ強く握り返された。
足元ばかりに気を取られていた撫子は、自身の手がまだ白石と繋がっていることに気がついた。
ドキリと、大きく脈打った気がした。
「く、蔵。降りにくかったら、その、手」
遠慮がちに言葉を紡ぎ、手を放そうとする撫子を引き留めるように、白石は更にぎゅっと手を握ってきた。少し前を歩く白石の表情は、撫子からは見えない。
己の心臓の音と、トントンと階段を下りる二つの足音が、不協和音を奏でている気がした。
――どうかこの心臓の音が、手を通じてバレませんように。
そう願い撫子は戸惑いながらも足を進めた。
校門の前までやってきた二人は、足どりがゆっくりになった。白石がそっと手を放し、手を翳して校舎の方を振り返った。
「もう大丈夫だね」
撫子が言うと、白石が撫子の方を見て、口元を緩ませながらこくりと頷いた。いつも通り爽やかな白石の表情と、まだうるさい自分の心臓に、撫子はどこか落ち着かない気分になった。気を紛らわせるように、白石の視線から逃れるように視線を移した。
黄昏時の四天宝寺の校門は、夕日の赤に彩られていた。朝は鉛色一色の曇り空だったが、今は散らばっている雲が、赤に白と紫を交えて幻想的に映っていた。
そんな夕暮れの空に、撫子はほっと息をついた。
「おー、白石。ちょうどええところに!」
校門をくぐったところで、落ち着いているが声量のある声が響いた。小石川だ。少し先にいた小石川が撫子たちに気が付き、来た道を戻る形で駆け寄ってきた。
「撫子と帰るところ悪いなぁ。明日いつ話しに行こ思とってん。文化祭のテニス部のこと、今伝えてもええか?」
遠慮がちに撫子と白石に向けて告げる小石川に、二人は同時に大丈夫と頷いた。
「あっ、喋らんでええよ。白石、耳だけ貸しとくれや」
昨日受け取ったのか、財前が書いたであろうものを見せながら、テニス部関連のことの白石に告げていく。提案というよりも、報告のようなものだった。撫子は、空をぼんやりと眺めながら、テニス部の出し物について、耳を傾けていた。
ふと、腕にちょんちょんと何かが当たった。
何だろうと思い、撫子が見ると、横に立っている白石の指だった。白石は腕を軽く組んで、小石川の話に耳を傾けている。相槌を打つように、リズムよく指を肘にトントンとしていた。その指が、隣に立つ撫子の腕にも、当たっていたのだ。
何かの合図だろうかと白石を見つめるも、白石は小石川の方を見ているため、その視線は交わらない。真剣な面持ちで、小石川の話に時折頷いている。
――あっ。これは、メモか?! もしやメモを取りたいのでは?!
そう閃いた撫子は、慌てて鞄を探り始めた。
鞄をゴソゴソ探している間にも、小石川の話は進んでいく。待ってくれと思いながらも、話は止まらない。
「――ほな、以上や」
ようやく紙とペンを取り出せたのとほぼ同時に、話が終わった。やっちゃったーっと撫子は内心、頭を抱えた。
「お大事にな、白石。撫子も、また」
「ま、またね、健二郎君」
小石川が、涼やかな笑顔と共に去っていく。撫子は戸惑いながらも手を振って見送った。
「――蔵ごめん、遅くなった!はい、これ」
小石川の姿が見えなくなり、撫子は手にしてた紙とペンを隣にいる白石に差し出した。白石はそれを見て、次に撫子の顔を見て、もう一度紙を見た。
白石はきょとんとした顔で、首を傾げた。おや、と撫子も首を傾げた。
「?あれ?メモが必要かなって思ったんだけど、いらない?」
白石は目を丸くすると、ふっと目尻を和らげた。くすり、と笑ったように肩が揺れ、首を横へ振った。
「えっ、違った?!」
そして、自分の組んだ腕を軽く持ち上げ、人差し指で肘を一定のリズムでトントンと叩いてみせた。そこでようやく撫子は気づいた。
「もしかして、特に意味もなく、癖みたいなものだった?」
白石は少し考えるような様子を見せた後、悪戯気にこくりと頷いた。
「ご、ごめん!てっきり『メモ!メモ!』って合図しているのかと思って」
思わず手にしていたノートで顔を覆う撫子に対して、白石は肩を震わせながら笑った。それから白石は、トンと手の平で自身を叩き、手で何かを書くような動作をして、指で丸を作った。自分でメモできるよ、とばかりに。
「確かに!今の蔵は喋れないだけで、手は普通に動くものね!しかも蔵だって鞄あるし。私、アホすぎる……!」
うわああと頭を抱える撫子に、白石はさらに笑みを深めた。それから「気にせんでええ」と言うように手をひらひら振ると、流れるように紙とペンを受け取った。さらさらと何かを書き、撫子に差し出した。
『ありがとう』
慎ましく書かれたその一言と、小さく笑った顔が撫子の視界にとまる。
それは、メモを貸してくれたことに対してなのか、自分を気遣ってくれたことに対してなのか、撫子は分からなかった。
だが、その笑顔を見た瞬間、昼に見た白石の重たい表情が少しだけ和らいだ気がした。――いつもの蔵だ。そう感じた撫子は、ほっと胸をなで下ろした。
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