番外編
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朝の爽やかな風が校門を潜った俺を包む。
夏の暑さもとうに終わりを迎え、寒さが身に染みる季節になった。暑いときは汗が垂れてきて集中力が乱されるし、かといって寒いなら寒いでそれは苦手だ。我ながら我儘だとは思うが、そういう性分だ。丁度いい季節も過ぎ去った。
部室に向かう道すがら、ふと、見慣れた人物の後ろ姿が見えた。
その姿に微かに鼓動が早くなるのを感じた。ずいぶんと己も変わったものだ。
俺は早足でその人の元に行って声をかけた。
「まつさん」
「お。日吉じゃん。相変わらず朝早いね」
振り向いたまつさんは、立ち止まり久しぶりと笑顔でひらひらと手を振ってくる。変わらずに飄々としているその姿に俺も微かに口元が緩む。
「まつさんも。何かあったんですか」
「委員会の仕事でね。来年度に向けて仕事に力を入れているとこ。ちょいと早めにきて仕事しようかなって」
「相変わらず真面目ですね」
「ははっ。跡部が来年度、私を生徒会に入れようと画策しているっぽいから、それから逃れるためにやってるだけだから」
「なんですかそれ」
跡部さんも変わらないな。付き合っているだけでもどこか気に食わないのに、委員会まで一緒にしようというのか。意外と束縛するタイプなのか。
まつさんは今の委員会の仕事を命一杯して、来年度その委員会にいるのが当たり前という事実を作る作戦にでたらしい。なにをやっているんだ、この馬鹿なのか優秀なのか分からんカップルは。
「なんか懐かしいね。初めて日吉と確り会話したのもこんな朝だったね。あれももう半年以上前か」
お互いに同じ方面に行くことが分かり、話ながら並んで歩いていたらまつさんが笑いながら言葉を溢す。
「日吉はあの時と雰囲気ずいぶん変わったね」
「あの時は、その。すみませんでした」
「あーごめんごめん。謝らないで。そんなつもりで言ったんじゃないの。ただ普通に懐かしいなって」
俺の雰囲気がずいぶん変わった。確かにそうだ。自分でもそう思っている。
まつさんと初めて対面で話したあの時は、俺が早く来て準備を終え、朝練をはじめようとしていた時だった。
まつさんたちに対する印象は、はじめは正直に言って良くはなかった。
跡部部長がマネージャーを取ると言った時、どうせまたすぐやめるだろうと思っていた。先輩たちは楽しみにしていそうだったが、俺は全く興味もなかったし、また今までと同じだろうと思っていた。跡部部長たちが目当てで、仕事も碌にしないだろうと。冷めた目で跡部部長たち先輩を眺めていた。
それから話はどんどん進み、やって来た3人がマネージャーになることが決定した。練習の傍らで宍戸さんとやって来たうちの一人が試合をしているのを見た。タイブレーク式であったが、普通に試合をしていて少しばかり驚いたものだ。
三人は帰ったようだが、どうせ一週間後には、下手したら明日からいないだろうと思い、どうでもいいという感想しか湧かなかった。
次の日、昨年と同様に朝練に向かった。着替えた俺がコートに向かおうとしたら、その人物がやって来た。
「あれ?部活開始時刻までまだあるけど。早いね君」
俺に気が付いたその人物は、驚いたような表情を浮かべていた。その人以上に俺は驚いていたと思う。なんでいるんだ。
「あ。えーっと、確か日吉、だっけ?昨日は名前間違えてごめんね」
「別に覚えなくてもいいですよ。何しているんですか」
「いやもう覚えたから。何って、昨日マネージャーにされたから約束通り来ただけだけど」
「そうですか」
どうせすぐやめるんでしょうという言葉を飲み込んで、関わるなという雰囲気を纏い俺はその人の横を通り過ぎた。今思えば、本当に失礼なことをしたと思う。
俺の予想に反して、それからもまつさんたちはマネージャーとしてやって来て仕事をしていた。俺たちに必要以上に踏み込んでこないし、今まで以上にテニスに向き合う時間が増えたのは事実だった。
そしてそれから少しした頃、いつものように朝練に向かおうとした俺は部室の前でうろうろしている人物を見つけた。一瞬、何か盗みをしているのかと疑ったが、どうしよう、困ったなどど呟いて困り顔をしているその姿にすぐに違うと気が付いた。いつものキリッと仕事をこなしているのと異なる姿が、少しばかり微笑ましく見えた。
「アンタ、何してるんですか」
「あ!おはよう日吉。丁度よかった。早く来たは良いけど、開け方分からんくて」
「なんでこの時間にいるんです」
「たまたま?何となく早く来たし。あと、日吉いつも早いから試しに今日は日吉より早めに来てみようかなと」
そう悪戯気に笑ったまつさん。何を言っているんだとその時は思った。この人の笑った顔、初めて見たかもと気が付き、わずかに鼓動が早まる自分に驚いた。
マネージャーとして十分、いや十二分にやってくれている先輩。媚びてもこないし、部員を平等に見て接してくれている。
昨年までの経験から跡部部長はマネージャーだけで部室にいないようにしろ、などと話をされていた。だが、俺はこの人は今までの人達とは違う、そんな人じゃないだろうとその時思えてならなかった。俺は躊躇いなくまつさんに、部室の開け方を教えた。
「分かりましたか?」
「ふむふむ。ありがとう日吉。助かったよ。じゃあ私コートの準備してくるから、日吉は部室で」
「おい、アンタは着替えないんですか?」
「着替えるよ。けど、選手優先に決まってるでしょ」
メモを終えたまつさんは荷物を置き、部室の出口に手をかけた。ふと何かを思い出したかのようにこちらに振り向いてきた。
「それから。私はアンタじゃなくてまつって名前がちゃんとあるんだけど。私たちが嫌いなのは別にいいけど、一応マネージャーっていう部員の一人なんだから名前は覚えてくれると嬉しいな」
困り顔のような感じでまつさんは告げ、出ていった。嫌い。その言葉が俺の脳に響いた。確かに今までのまつさんへの態度を考えるとそう捉えられてもおかしくはない。失礼なことをしていたとこの時思った。
「まつ、さん」
ふと名前を溢すと、微かに胸が温かくなった。なんだこの感情とその時思ったものだ。
それからまつさんとの距離は縮まった気がする。今までの失礼を拭うように、まつさんに声をかけるようにした。俺が空を見ているとどうしたのかと聞いてきたり、雑談もするようになった。
そして、それから少しして跡部部長からマネージャーを見張る必要はもうないと全員に告げていた。俺はもうずっと前から気が付いてましたけどね、と変に跡部部長たちにマウントを心でとった。今までのことを棚に上げていると突っ込まれたらそれまでだが。
そんな過去のことを思い返していると、見慣れた部室が見えてきた。
「お。懐かしの部室。じゃあ朝練頑張ってね日吉」
「またマネージャーをしていってくださってもいいんですよ」
「高校からする予定ではあるよ。今は委員会を頑張らせて」
「俺が行くときも続けていてくださいね。あと、委員会、報道委員会でもいいんですよ」
「ふふ。確かにあの編集長たちと一緒の委員会も悪くないかも」
委員長と副委員長を思い浮かべたのか、まつさんは微かに空をみて笑った。
「日吉たちが高校に来るとき、全国優勝のお土産期待しているからね」
「もちろんです」
まつさんがまたねと手を振り去っていく。それを見送っていると、跡部さんがどこからともなく現れ、まつさんに声をかけていた。嫌よなんて声が聞こえた。何か言い合いながら歩いている。きっと来年の委員会の話をしているのだろう。言い合いながらも、どこか二人とも楽し気だ。
二人の並んで歩く姿に、微かに胸が痛む。跡部さんは俺の望むものをいつも持っている。互いが互いを想い合って支えあっている。そんな存在を見つけて隣にいる二人。
「下剋上だ」
俺もいつかそんな風に誰かと。そう決意しラケットバックを握りしめ、先を歩む跡部さんの背中に向かって呟いた。
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