旅団バレンタイン

「ハッピーバースーテーつーゆーハッピーバーステーつーゆー」
「……えっと、俺の誕生日は今日じゃないです……マサーファさん……?」
「知ってる」
 昼間の晴れた空の色は青色であると、当たり前のことを答えるような口ぶりで答えたマサーファはテーブルの上に箱を置きました。ケーキ屋さんでホールケーキを持ち帰る際に使われる箱のようでした。
「というわけで、今年もバレンタインチョコを作ってきたわ」
「今年も同情してくれてありがとうございます……」
「同情じゃないって言ったらどうする?」
「え」
 ベイラン硬直。
 三年ぐらい前、女の子にモテた試しのないと己の冴えない人生を話したことがあったのですが、それ以来、マサーファは可哀想な半生を送った彼を慰めるために、二月十四日にチョコレートを作ってくれていると、ベイランは思っていたのです。
 それが実は、同情ではなく別の感情が働いてチョコレートだった。
 別の感情……考えられるとするならそれは……。
「…………」
 顔を真っ青にさせて小刻みに震え始めたベイランを見て、マサーファは満足気に頷き、
「そのリアクションが見たかったチョコよ」
「毎度毎度俺の精神を抉り出すぐらいめちゃくちゃにいじり回しながら贈り物するのやめてくれよ!?」
「だってフェイバリットなんですもの」
 反省の色を全く見せない彼女のフェイバリットは「ベイランいじめ」自他共に認める趣味です。
「そんなどうでもいいことはともかくよ」
「どうでもいいかあ……?」
「ボックスオープン」
 苦情は無視するスタンスを貫き通し、マサーファは箱を勢いをつけて開けました。上に開くスタイルでした。
 箱に収められていたチョコレートを見た刹那、
「わあっ!?」
 ベイラン、お手本のような驚きリアクションを取って目を丸くさせてしまい、硬直。
 現れたのはホールケーキほどの大きさを持つ……茶色の丸い物体。
 他に飾りっけは一切なく、茶色で丸くて少し弾力がありそうな物体があるのです。これを何かに例えようと一生懸命考えて出てきたイメージは「茶色く塗装されたマナウーズ」もはや食べ物ではありません。
「マサーファ特製、バレンタイン手作りチョコレートよ」
 作った本人は表情を一切変えず得意気に言っていますが、受け取った側は不気味な物を見る目になっています。
「いや、いやいやいやいやいやいやいや」
「なに?」
「これは、その……なに?」
「チョコレート」
「いやいやいやいやいやいやいや?」
 淡々と答えますがにわかには信じられません。またいつもの冗談か、いじめるために口実にしか聞こえなくて何度も首を振る始末。
 作ってくれた物を拒絶するというのは気が引ける行為ですが、やっぱり自分の命が大切、一度失っているモノなので余計に。
「そう」
 表情筋は一切動かさずにぼやいたマサーファは、ポケットからスプーンを取り出します。銀の匙でした。
「嫌がっているのなら無理矢理にでも食べさせるだけよ」
 恐ろしい台詞を吐き、ベイランが蒼白すると同時に彼の足を踏みつけます。
「ギャアァッ!?」
 悲鳴が飛び出しますがすぐに逃げない彼が悪い。マサーファは更にそのまましっかり押さえ込み逃亡阻止。
 痛みのあまり、背筋を逸らしたまま痙攣を始めてしまうベイランを無視し、マサーファは鼻歌混じりにスプーンで茶色い塊を一口サイズほどすくうとそのまま彼の口に突っ込みました。
「んぐぅ」
 問答無用、突っ込んだままチョコらしき物体を舌の上に乗せてから素早くスプーンを引っこ抜きました。早すぎて少し唾が飛び出します。
 吐き出すわけにもいかず、ベイランは内心泣き叫びながらチョコらしき物体を下の上で味わい……。
「……あっ、チョコレートの味だ!?」
 予想に反してとても美味しく、表情が一気に柔らかくなりましました。
「当たり前でしょ、チョコレートだもの」
 淡々と答え、マサーファはようやく足を離すのでした。
「このぷるぷるとした感触……もしかしてゼリー? チョコレート味の?」
「ええ、いつもケーキやクッキーだったからそろそろマンネリ化するような気がしたの、だから今年は路線を変えてゼリーにしてみたわ」
「マンネリ化してもよかったから普通のお菓子がよかったなあ……」
 と、苦情を漏らしつつ、マサーファからスプーンを受け取るとゼリーをもう一口。
「うん、やっぱり美味しい」
「どやあ」
「口で“どやあ”って言うの、なんていうか……やめた方がいいと思う」
「なんで?」
「いやなんとなく……」
 彼女の視線が自分を責めているような気がして堪らなかったので、すぐに目を逸らしました。
 マサーファは怖いですがゼリーは大変美味です。ミーアかヴィルソン辺りに教わったりしたのでしょう。
 作ってもらえる料理が美味しいことは大変喜ばしいことですが、いじめのレパートリーが増えてしまうのではという不安がないとも言い切れず。
「……俺をいじめるには構わないけど、食べ物を粗末にするのはやめような……」
「私がルテューアが悲しむようなことをするわけがないでしょう? 思考がどう働いたらその着地点に至るのかしら?」
「日頃の…………あっやっぱりなんでもないですごめんなさい破砕砲をしれっと出すのやめてください本当に」
 ベイランの顔が青くなったのを見たマサーファは、破砕砲を後ろにそっと置きました。
 自分の寿命が伸びる音がして、彼は安堵の息を吐き、
「よかった……って、そうだ、俺からもあるんだった」
「俺からもって?」
「バレンタインの贈り物だよ」
 やっぱり表情は変えずに、それでも不思議そうに首を傾げるマサーファ。
 ベイランはスプーンをテーブルに置くとポケットから小さな袋を取り出します。
 可愛らしくラッピングされ、赤色のリボンで口を縛っているプレゼント用の袋を。
「君が贈ってくれたモノと比べると些細かもしれないけど、毎年チョコレートをくれるお礼ってことで……」
「誰かを想って贈った物に大も小もないわ、比べるだけ愚かよ」
「はい……」
 軽く叱られ項垂れるベイランの手から袋をひょいっと取り上げると、躊躇なくリボンを解いて中の物を取り出します。
 出てきたのは一口サイズの丸型クッキー、バター風味の生地には細かく砕かれたチョコレートが練り込まれていました。
「あら、可愛らしい」
「うん、初心者でも割と簡単にできますからってミーアに教えてもらったんだ」
「なるほど」
 マサーファはつまみ上げたクッキーをそのまま口に運びました。
「えっ」
 ぽかんとしているベイランを尻目に、クッキーをゆっくりと咀嚼します。
「…………」
 ただ咀嚼しているだけだというのに、ベイランはまるで叱られる寸前の子供のように怯えてしまいまして、
「あ、あのっ……マサーファ……さん?」
「…………」
「何か言ってくれないと、すごく不安なんデスケド……?」
「……………………」
「あっ! 味が気に食わなかったのなら捨ててくれて全然いいから! 特に気にしないし!? 俺の落ち度だったってことで!」
「おいしい」
 淡々と答え、緊張感から解放されたベイランはひっくり返りました。
「初心者にしてはうまくできていると思うわ。ミーアの教え方がいいのね」
「お……お気に召したんだったら、最初からそう言って欲しかったんだけど……」
「口に食べ物を入れたまま喋るのはお行儀が悪いでしょ」
「仰る通りで……」
 何もかも反論できないベイラン、泣きそうな気持ちをぐっと堪え、テーブルの縁を掴みながらヨロヨロと立ち上がります。踏まれた足が悲鳴を上げていますが我慢。
 クッキーがマサーファの口に合うかどうかという不安は解消されたものの、ベイランは深いため息を吐いて。
「本来だったらもっと早い段階でこうやって贈った方がよかったんだろうな……いつも感謝していると言っておきながら行動で示してないんだから、口先ばっかりの男だよ……俺……」
 テーブルに手をついたまま、悪い思考に支配されて俯いてしまいました。視界の端に食べかけのチョコレートゼリーが見えて、自尊心がまた勝手に傷つきます。
 ネガティブも度が過ぎれば鬱陶しく感じてしまうものですが、マサーファは嫌な顔ひとつしません。
 それどころか表情筋ひとつ動かさず、
「本当に口先ばかりならそうやって落ち込んだりしないし、いつもバレンタインで貰っているからバレンタインでお返ししたいって考えに至らない人は一生かかっても思い付かないわ。気付いて、実行するだけでも十分に立派よ」
 感情があるのかわかりにくい声色で慰め、クッキーをもう一口食べました。
 その言葉で彼は心から安堵したのか、弱々しく笑いかけて、
「あ、ありがとう……」
 心からのお礼を述べた彼の目尻には、いつの間にか涙が溜まっていました
 言葉の中の感情があるのもないのもベイランは気にしません、だってそれがマサーファという人形兵ですから。
 いつも虐められているものの、彼女のことを嫌いになれないのは、ベイランの人の良さがあるからこそでしょう。
「これは後でゆっくりいただくことにするわ」
 と、マサーファは袋の口をリボンで結ぶと、後ろに置いてあった破砕砲を片手でひょいっと担ぎまして、
「それじゃあ私は行くわね。そろそろルテューアがアルスティのゲテモノを食べて倒れている頃だから、様子を見てくる」
「き、気を付けて……」
「ええ、今年は襲ってこない形態だといいのだけど」
 料理の話をしていますのでお間違いのないように。
「あっ、そうだわ」
 踵を返そうとしたマサーファはぴたりと足を止め、ベイランを見据えます。
「え、なに……?」
 思わず身構えてしまった彼に、彼女は、
「そのチョコゼリーだけど、原材料にチョコレートは入っていないの」
「…………えっ?」
「チョコ無しでチョコの味に近づけるのに苦労したから味わって食べて」
 それだけを言い残すと早足で部屋から出て行ってしまいました。ゴシックグラトニアにあるまじきスピードでした。
「あっ、ちょ、マサーファ!?」
 慌てて呼び止めますが時すでに遅し。マサーファはドアの外の世界に飛び出した後ですから。
「待ってマサーファ! マサーファ!?」
 追いかけようとしますがさっき踏まれた足に痛みが走り、盛大に前方からすっ転んでしまいます。
「ぎゃっ」
 手から滑り落ちたスプーンは床の上に転がり、静かな金属音を奏でてますが、ベイランにはすでにそれを拾いに行く力は残っていません。
 床に倒れたままの彼はしくしく泣きながら、
「どうして最後に一抹の不安を残して去るんだよぉ……」
 哀れな嘆きは誰にも届かず、チョコレートのように溶けてしまったのでした。




 あのチョコレートゼリーの材料は砕いたチョコレートと牛乳とゼラチンだったりするのですが、ベイランがそれを知ることになるのはバレンタインから三日経った夜のことです。


2021.2.14
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