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ガレ魔女

「キセイジジツってなに?」
「ぶは」
 唐突に繰り出された衝撃的な質問は、口に含み飲み込む直前だった牛乳を逆流させて吐き出させるほどの破壊力がありました。
 中身が半分ほどに減った牛乳瓶を握り締め、信じられないものを見るような顔でルテューアを凝視するカルミア。吹き出した牛乳が顎を伝って雫になり床を汚していますが、お構いなしで絶句継続。
 純真無垢という文字を絵に描いたような少年の名はルテューア。彼の性格というか大人達に存分に可愛がられている扱いを思えば十四歳にもなって既成事実の四文字を知らないことに関しては納得がいくのでそこに驚きはしません。
 重要なのは、アルスティという恋人ができて数ヶ月経ったこのタイミングで尋ねて来たということで。
「ルミィ大丈夫? 口の周りがすごいことになってるけど」
「……………………ヤッたのか?」
「何を?」
 きょとんとして首を傾げいている様子からして、カルミアが想定する「その時」はまだ来ていないと判断。わざとらしく咳をしつつ、口の周りを袖で拭き、
「無いならいいんだ、うん。お前が既成事実とか言い出すなんて思ってもなかったからな……」
「言ったことないもんね」
「そうだな……で? 何で突然既成事実なんだよ」
 床に落ちた牛乳を今は見ないことにして、事のきっかけを聞き出しました。
「昨日の夜って大人たちが地下で宴会大会してたでしょ? だから日課のお散歩が終わったらすぐに寝ようと思って、廊下を歩いてたら……」
「帰路に着いてたら」
「あーたんが来た」
「二日酔い女が来た」
「酔っ払ってたみたいでお酒の臭いとかすごかったんだ。だから早く部屋に戻って休んだ方がいいよって言ったのに聞いてくれなくて……そうしたら、突然僕の横の壁をバンっ! って叩いたんだ」
「カツアゲ?」
「違うみたい。怒らせちゃったかなって思ったんだけどそれも違うくて“ちょっと既成事実のひとつやふたつ、あーたんの顔に免じて作って”とか何とか言われた」
「……」
「キセイジジツって何だろうって聞こうとしたらあーたん寝ちゃって……起きそうにもないからあーたんの部屋まで戻って寝かせたんだ」
「……で、何も起きず起こさずにお前も自分の部屋に戻って寝たってことか……?」
「そうだよ?」
 なんという健全な話でしょうか。
 純粋故に一夜の過ちからの危機回避が起こった美談ですが、とても惜しいとも言える話ですね。何がとは言いませんが。
「あーたんがキセイジジツをして欲しいならしてあげたい……けど、キセイジジツがよく分からなくて困ってるんだ。あーたんに聞きたくても二日酔いが酷くてみーさんに看病されているみたいだから聞けなくて……ルミィだったらキセイジジツを知ってそうだから、教えてもらいたいんだ」
「……なるほど」
 大きく頷きつつもニヤリとほくそ笑んだカルミア。今すぐ大声を上げて笑ってやりたいところですが、今はそれをグッと堪えます。
 堪えた先にもっと面白いモノが待っていると確信しているからですね。
「キセイジジツを知りたいっつーなら教えてやるけど、言葉で聞くよりそれがどういうモノなのか知る方が覚えやすいだろ? ま、オレに任せとけ!」
「やった! ありがとう!」
「仕込みしてくるから床拭いといてくれ」
「それは自分でやろうよ」





 ちゃんと床の掃除を行い、カルミアが立ち去って数十分経った頃。
 彼に「オレが部屋から出て五分ぐらいしたらガレリア宮で一番人気がない場所……伯爵人形があった部屋にいろ」と言われたので律儀にそれを守り、納戸で待機していました。
 ガレリア宮が魔力装置として稼働していた時代は滅多に人の手が入らなかったこともあり埃だらけの部屋でしたが、今は定期的にユリィカや人形兵たちが掃除に入っているため、物が多いことに目をつぶればそれなりに快適に過ごせる場所です。
「ここで待ってたらキセイジジツが分かるのかなあ……?」
 到底信じられるモノではありませんが、カルミアが嘘をつくワケがないとすぐに考えを改め、テーブルの上に座って待ち続けることにします。
 行儀の悪い行為に見えますが、迷宮外では全長三十から四十センチの人形サイズになってしまう人形兵たち。こうなってしまうと、身の回りのモノ全てが大きな家具となってしまうため、人間が使うテーブルの上に座ることぐらいは許されるのです。
 足をぷらぷらさせつつ暇を潰していると、遠くからドタバタと走り回る音が、
「シュシュとⅦ世が追いかけっこしてるのかな……」
 この呟きから彼らの普段の様子が手に取るように分かりますがさておき、
「ルテューア!!」
「うわぁ!?」
 ドアを蹴破り上側の蝶番を吹っ飛ばすと同時にアルスティ登場……ですが、二日酔いのためか顔色は悪く、今にも倒れてしまいそうなほどフラフラです。
「あわわあーたん!? 二日酔いなのに無理しちゃダメだよ!?」
「二日酔いなんてどーでもいいわよ! 私はアナタに気を遣われる価値もないって言うのに!」
「なんで!?」
 様子がおかしい。テーブルから降りて駆け寄りますが、一歩手前でアルスティはそれを制します。
「ダメ、待て、ハウス」
「ここが家みたいなモノだよ……?」
「いや違うそうじゃなくて……ああもうなんで……なんでよぉ……」
「え、え、えぇっ?」
 さっきまで感情的になっていたかと思えば、今度は今にも泣きそうな声。明らかな情緒不安定にどんな言葉をかけていいのかサッパリわからず、戸惑うことしかできません。
「アナタは優しいから……私が何をしても傷付いてないって振る舞うのでしょうね……だからまだいつもみたいに接してくれるんでしょ……?」
「なにが?」
「いいのよ、言いたくても言えないんでしょうから……事が起こった後で慰めても戒めても、復讐にすらならないかもしれない、傷口が塞がることなんてないかもしれない……私のエゴみたいなものだけど……それでも、お願い」
「お願い?」
「私の首をへし折って殺して……」
「なんで!?」
 訳が分からず大パニック。
 頭部の切断はアルスティの死因。レグの首を幾度も飛ばしている彼女ですが、自分がされるのは苦手……というよりも、最初の「死」の瞬間や直前に起こった出来事等が過ぎってしまうためちょっとしたトラウマに近いのです。
 彼女が物理的にも精神的にも確実に傷付く行為を、よりにもよって世界で一番彼女を愛しているルテューアに頼むなんて異常にも程があります。
「どうしちゃったのあーたん!? 首をゴアして欲しいなんて言っちゃダメだよ!? そもそも力を完璧にコントロールできるようになるまでは絶対に人に対してゴリラみたいな腕力を使っちゃダメだって言ったのはあーたんでしょ!?」
「今日だけ許す」
「絶対にダメ!」
 今日の彼女はいつもよりおかしい……まるでいつもおかしいような言い方ですがさておき、ちゃんと向き合って話あうためにも、肩を掴んでから大声で訴えます。
「自分が傷付いてもいいとか、自分を傷付けて欲しいとか言っちゃダメだよ! どんなことがあったとしても僕はあーたんが傷付いちゃうところなんて見たくないし、そんなことしたくない!」
 本心からの訴えと真っ直ぐな瞳は、青白い顔色をしながら泣きそうな声を堪え、目を伏せるアルスティを映していました。 
「で、も……私は、殺されたって文句は言えないぐらい酷いことを、アナタに……」
「されてないよそんなこと!」
「したわよ! 私が酔ってる時に! 覚えてないからって無かったことにしようとしないで! 余計に傷付くから!」
「だからそんなことされてないってば!」
「だからしたって言ってるでしょ! 未成年を連れ込んで無理矢理なんて、恋人だとしても許されない行為なのよ! 歳の差だってあるし最初は慎重にしようって決めてたのに! なんで……!」
「何のこと……?」
 身に覚えのない言葉の数々にルテューアの勢いは消え失せ、疑問が次々と浮かび上がって止まりません。
 勢いの変わりように違和感を覚えたアルスティも顔を上げ、同様に感情を抑え、目をぱちくり。
「へ、え……あれ、昨日私、酔った勢いでアナタを無理矢理部屋に連れ込んで…………」
「確かにあーたんは昨日すごく酔っ払っていたけど、廊下で寝ちゃって朝までぐっすりだったでしょ?」
「んん……? 私は、ルテューアに……えっと、セクハラ的な、こと、してない……の?」
「セクハラ? おじさんがあーたんにいつもしてるやつ?」
「他にも勝手に服を脱がして全裸にするとか」
「んんっ!? してない! してないしてないされてないよ! されたこともない!」
「……………………」
 アルスティ、絶句。しばらく黙った後、肩を掴んでいるルテューアの手を静かに退け踵を返すと、てくてくと早足で壁まで歩き、

 どごぉ

 壁を殴り、拳の半分以上を石壁にめり込ませると。
「………………………………殺す」
 静かに誓った言葉はルテューアの耳に届き、少年を真っ青にさせました。
「ヒィッ」
「よしっ! 宣言も済んだことだし、ちょっと話を整理しましょうか!」
「あ、えっと、はい…………殺さないでください……」
「ルテューアは殺さないわよ。殺すのはカルミア」
「ルミィ逃げて!!」
「逃がさないから問題ナッシング」
 命まで軽い会話はともかく、二人はお互いの事情を改めて話し、状況を整理します。
 昨夜、アルスティが酔った勢いで「既成事実を作って」という旨をルテューアに告げてしまったこと、既成事実が分からないルテューアがカルミアに相談したこと、事態を面白く見たカルミアが「酔った勢いでルテューアに×××したってマジ?」と二日酔いで倒れているアルスティに吹き込んだこと、昨夜の記憶がないアルスティがそれを完全に信じてしまったこと……そして現在に至る……。
「ルミィ……どうして……」
 これにはアルスティの殺害宣言にも納得してしまったルテューア。静かに天を仰ぎます。
「恐らく、ルテューアに既成事実の重みを分かってもらうためにわざと引っ掻き回したと考えるのが妥当ね。やりすぎだけど」
 お人好しのアホはエグめの悪戯を真面目に受け取ってしまっていました。
「うん……ルミィがそこまでして僕に教えたかったキセイジジツって何なの? あーたんがあそこまでおかしくなっちゃうモノなの?」
「…………」
 普段なら純粋な彼を汚したくない一心で適当に誤魔化していた場面でしょう。
 しかし、今現在の二人の関係は恋人同士。もう大人の事情を子供に知られたくないから……といったエゴで誤魔化し、流していくことはできません。
 相手を子供ではなく、ひとりの異性として見ている今は。
「そうね……またカルミアに変なことを吹き込まれてしまう前に、ちゃんとした知識を覚えてもらいましょうか」
「わかった!」
 元気なお返事ですが、後に大変な事になると思ってない無邪気な表情です。
「既成事実って言うのは、すでに起こってしまった承認すべき事柄を指します」
「うん……うん? じゃあどうしてあーたんはキセイジジツを作ってって僕に言ったの?」
「私が昨日ルテューアに言った既成事実っていうのは男女関係特有のソレね。意味は変わらないんだけど受け取り方が違うのよ」
「?」
「ルテューアって子作りの意味、知ってるわよね」
「どえっ!? し、知ってまスガ……?」
「その行為をすると子供を授かることがあります。子供ができてしまったらその男女は親になります。親には子供を育てる義務と責任が発生します。起こってしまった事柄というのは子供を作る行為であり、承認すべき事柄はそれに対する責任と義務……ということ」
「……えっと……」
「その責任と義務を果たすためにすることは色々あるけど……一般的な行為が結婚して夫婦になるってことで……つまり、既成事実を作れって意味をわかりやすーく噛み砕いて翻訳すると“結婚する理由が欲しいから子作りしようぜ”」
「どわぁあ!?」
 驚愕。純真な少年には受け止めきれない情報量と衝撃により顔を真っ赤にして悲鳴を上げて、硬直するしかできませんが、
「酔った勢いで寸前のところまで迫ってたっていう自分を今すぐくびり殺したい……」
 アルスティは両手で顔を覆って震えていました。
「じ、自殺はダメだよ……」
「そうね……今回はギリギリセーフだったけど次も都合よく行くとは限らないんだし、私がガチで迫ると間違いなくルテューアは勝てないし……」
「あーたんに勝てる気はしません」
「……しばらくお酒は控える……あるいは節度を守って飲む……」
「そうしてね……」
 色々な安全と平穏な恋人ライフのための誓いを立てました。これからのためにも。
「とりあえず、既成事実のことは分かってもらえたし私も反省したから……ちょっとカルミアをシメてくるわ」
「お手柔らかにしてあげてね」
「向こうの態度次第ね」
 くるりと踵を返しルテューアに背中を向けると同時に、ぽつりとこぼし始めます。
「……ねえ、ルテューア」
「なに?」
「昨日は酔った勢いであんなこと言っちゃったけど……大人が未成年を“そいうこと”に誘うのって世間一般的ってダメっていうか、国によっては罪に問われることもあるのよ」
「え」
「世の中のことを理解しきれていない、物事に対する責任の取り方が分からない、あるいは責任を取る能力が無い子供を守るための法律。とは言っても法に縛られるのは人間だけ、私たちは人形兵で法に縛られることはない……と、思う」
「……えっと?」
「私は正直ね、いつでもいいって思ってる。だからあんなこと言ったんだと思う。でも、アナタの準備がいつできるか分からないし、未成年にそういうのを強要したくもない……っていうのもある。だからまあ、アナタのタイミングに全部任せるわ」
「…………」
「じゃ、そういうことだから」
 立ち尽くすルテューアを置いてアルスティは納戸から出て行きました。いつも通りの足取り、二日酔いのことを完全に忘れた、堂々とした後ろ姿で。
「……………………」
 今度は言葉の意味を全て理解したルテューアは動くことができず、二時間ぐらい固まり続けていたそうです。





「みぃぃぃぃぃあぁぁぁぁぁ!! どうしよどうしよどうしよう!! どうして私はあんなこと言っちゃったのよぉぉぉぉぉぉ!!」
「若さ故の勢いと過ちですね。私にも覚えがありますよ」
「啖呵切っちゃった以上は来たら迎え入れるっていうか胸を張って受け止めるしかないんだけどぉ…………」
「経験もないのに無理しすぎです」
「だから本当にどうしようぉぉぉ……」
「仕方ありませんね。私が夫を虜にしたテクニックでも教えましょうか? 元々医者だった知識と経験を活かし、男性を骨抜きにして悦ばせる方法が幾つもあるのですが」
「教えて」
「若かったので色々と無茶はしまして……それが原因で夫は早死にしたのではと組織の人間に囁かれた時期もあったぐらいですが、それでも聞きたいですか?」
「教えて」
「はい」



 なお翌日、ガレリア宮の中庭に腹に風穴が空いた人形が一日中放置されていたそうです。


2021.7.19
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