ガレ魔女

 不可と呼ばれる脅威的な自然現象を封じた降霊灯と人形兵たちは再びアルムーンへにあるガレリア宮へと戻り、そこを拠点としながら「彼女」の大切な人を探す旅を初めていました。
 かつての屋敷の主も、探索に助力してくれた老婆も、その孫もいなくなってしまった屋敷は哀しいほど静か……でもありません。迷宮を探索する人形兵たちは今日も賑やかを遥かに飛び越え騒がしく生活しているのですから……。



「ルミィルミィ! 聞いて聞いて!」
「おー」
 ガレリア宮の地下迷宮に続くワードローブの足元で呼び止められたカルミアは、気だるそうな声で返します。
 不可を封じ本来の役目を終えた屋敷には魔力もマナもほとんどありません。本当の本当に、ただの奇怪な屋敷になってしまっていました。
 しかし、相変わらず人形兵たちは地上で活動を行うことができ、全長約三十センチほどの人形の姿ではあることを除けば、それなりに人間らしい生活を続けていました。
 ワンダーコルセアの少年カルミアとアステルクロウの青年ルテューアも、そういった人形兵のひとりです。
 なお、地上で人形兵たちが活動できる理由や原理は不明とのこと。
「あのねあのね!」
「おーおー」
 淡々と返すカルミアとは正反対にルテューアは興奮冷めやまぬ様子、例えるならラストアタックが発動した破砕砲から弾丸が連続で発射されるような勢いで喋ります。
「今日もあーたんがすっごくカッコよかったんだ!」
 彼が世界で一番好きな人、アルスティとの鍛錬のひと時を。
 ルテューアとアルスティのファセットはアステルクロウ、愛用している武器は古塔槍。さらに、ルテューアがアルスティに強い憧れと好意を抱いていることもあり、暇を見つけては一緒に鍛錬を行い、互いの強さを高めあっています。
 彼女の鍛錬の効果により、昔は戦う力のない一般人だったルテューアも今となっては片手で魔獣を潰せるほど立派な戦士に成長。結果、皆に「アステルゴリラ」と称されるほどの腕力を得たのは旅団の人形兵たちにとっては当たり前のような話です。
 そんな経緯と歴史のある鍛錬の中で、大好きなあーたんことアルスティがどれだけすごくてカッコよかったか……という話をほぼ毎日されているカルミア、いい加減飽きてきたので「へー」とか「ふーん」とか「そっかー」とか「よかったなー」と、適当に返答していますが、
「うん! 今日もあーたんはすごくてカッコよかったなあ〜!」
 当の本人は適当にあしらわれていると気付かずに笑顔を浮かべていました。幸せそうでした。
 外見は大人でも、内蔵されている魂はカルミアより三つ年下の十四歳。言動が大人びてくる年頃のハズですが、いつまで経っても幼児のような純粋さと無邪気は抜ける気配を見せず、想いが実ってアルスティと恋仲になっても変化の兆しは一向に現れません。
 そこが面白くて付き合っているところがありますが、本筋とは関係なので置いておきましょう。
「つーかさ、気になったことがあるんだけど」
「どうしたの?」
 話の流れを切られてもルテューアは嫌な顔をひとつせず首を傾げました。
「お前いっつもアルスティがカッコイイとかすごいとか言ってんじゃん」
「そうだね」
「彼女に対する褒め言葉が“カッコイイ”だけっつーのはアリなのか?」
 それは、些細な疑問でした。
 子供が「どうしてお花は咲くの?」とか「どうしてお空は青いの?」と尋ねるのと同じぐらい些細で、当たり前のように尋ねられる、人生においてはさほど重要視されない疑問。
 「はい」か「いいえ」で返答できる簡単な質問でしたが、ルテューアは、
「…………?」
 ご覧の通り、目を丸くさせて黙ってしまいました。
「いや……女ってカッコイイとか強いとか言われるより、カワイイって褒められた方が喜ぶもんなんじゃねえの?」
「そうなの!?」
「よく交際まで持ち込めたなお前」
 吐き捨てるように言った後、カルミアはため息を吐きつつ額を抑えてしまいました。
 ルテューアは人形兵に生まれ変わる前……つまり生前は明日食べる物にも困るほどの貧乏だった少年。今日明日を生きるのに必死で色恋沙汰にうつつを抜かしている暇などなかったのでしょう。
 異性に対する付き合い方や女の子と接する際に気をつけるべき言動やマナーなど知るよしもなくて、褒め言葉は「カッコイイ」の一種類のみときました。
 恋人がいた経験などないカルミアでもこの状況はよろしくない、非常によろしくないとわかります。一般論として。
「オレは彼女とかいたことなかったっつーか、いることを許される立場じゃなかったから憶測でしか言えねえけど……それ、怒られたりしねえの?」
「怒られるって? 誰に?」
「アルスティに」
「あーたんに!?」
 驚愕するルテューア。女の子に対して「カッコイイ」と褒めることになんら疑問を抱いてない、抱くなんて夢にも思わない、そんな顔でした。
「……」
 次に何を言えばいいか、カルミアが存分に悩んでいる最中、
「コラァ! お前らだけで遊んでんじゃねー! 俺も混ぜろ!!」
 チンピラみたいな口調で幼児のようなワガママを飛ばしながら駆け足で近づいてくる青年が見えてしまい、再びため息をつきました。
「……めんどくせえ時にめんどくせえ奴が来た……」
「あぁ?! 誰がめんどくせーヤツだってぇ!?」
 怒鳴り散らしつつも、カルミアたちの前で足を止めた男の名前はヨゼ。シノブシの青年、目元に包帯を巻いていますが盲目というわけではなく、本人曰く包帯の隙間からちゃんと見えているとのこと。本当かどうかは定かではありません。
 この彼、カルミアとは相性が悪く、度々衝突して口論するのはもはや恒例でして。
「……あれ?」
 争いの原因は、二人の間できょとんとしているルテューア。
 二人はどちらが彼の兄貴分として相応しいかと対立し、互いに譲る気は一切合切ないのです。だからこそのライバルで犬猿の仲。
 元凶になっているとは知りもせず、ルテューアはヨゼに声をかけます。
「ヨーゼフ、シュシュたちのお手伝いは終わったの?」
 歪み合う二人の仲裁に入るという意図はゼロの何気ない質問でしたが、ヨゼは堂々と答えます。
「終わったぞ! たぶん!」
「たぶんかよ」
 すかさずカルミアがぼそっと皮肉のようにぼやけば、包帯下の眼が彼をギロリと睨みますが、
「そうだ! ヨーゼフに聞きたいことがあるんだけど」
 弟分からの純粋な要求に応じるべく、一旦は敵から目を背けます。
「どうした? あのちんちくりんに変なことでも言われたか? じゃあ俺が今すぐに五千倍にして返してやるよ」
「そうじゃなくて、女の子……ていうかあーたんに“カッコイイ”って言ったら怒られるのかな?」
「怒られる? なんで?」
 首を傾げてしまったヨゼ。彼もルテューアと同様に悲惨かつ貧しい人生を送った後に人形兵になっているので、色恋沙汰や女の子への接し方など考えたことすらなかったことしょう。
「お前もかよ……だろうな、そうだろうな」
 カルミア、呆れた次の瞬間には納得してしまいましたが続けます。
「オレの勝手な偏見だけど、カッコイイよりカワイイだろ女って。でもコイツは彼女を褒める時のボキャブラリーが“カッコイイ”しかねえの、それが問題なんだよ」
「ボキャ……って何だ、新しい敵か」
「辞書引け」
 頭の出来は赤子並、ヨゼは一瞬不服そうに頬を膨らましますが、今回はすぐに切り替えます。
「他の女はどうか知らねえけど、ルテューアとアルスティは好き同士なんだから、カワイイでもカッコイイでも何でもいいと思うけどなー」
「うぐ」
 呆れるというよりも一般的な理論のように返すヨゼに、カルミアは言葉に詰まってしまいました。
「あーたんは僕が“カッコイイ”って言ったらすごく満足そうにしてくれるよ?」
「そこは誇らしげにしてんのかよ」
 己の色気を捨てて腕力に極振りしている女は違います。それに惹かれるルテューアの女の趣味もどうかと思いますが、あの二人は相思相愛な関係ですし、否定するのも可哀想だったので言及するのをやめることにしました。
「じゃあカッコイイって言うのは気にしなくてもいいってことだな! コイツが血迷ってたって話で」
「おい待てい! まだ本当にそうと決まったワケじゃ……」
 ヨゼを鋭く睨みつけると同時に、
「暇ねー、探索ないと本当に暇!」
「暇ってことは平和な証拠だぜ? あーたん」
 聞き覚えのある声に反応し、とっさに振り向いた彼の視界に映ったのはアルスティとレグの姿。探索が再開されるまでまだ時間があって暇なので、地下に降りてきたのでしょう。
「あ、あーた」
「バカっ! 隠れるぞ!」
 すぐさま声をかけようとしたルテューアの腕を掴んで引っ張っると、ワードローブの下にうつ伏せになって入るよう小声で指示、ワケが分からないという顔をするルテューアでしたが素直に従いました。
 なお、ヨゼも勝手に着いて来ていますが、今は無視です。
「どうして隠れるの?」
「そーだそーだ」
 さて、ルテューアは不思議そうに首を傾けて当然の疑問をぶつけました。隣にいるヨゼも同様に頷いていますね。
「本音っつーのは当事者がいないところで曝け出すもんだろ。アルスティが本当に“カッコイイ”で満足してるか決まったんじゃねえんだし、しっかりとした調査をする必要があんだよ」
 そうなのかなぁ……とルテューアがぼやきますが、カルミアは彼の口を塞ぐとアルスティとレグの話し声に耳を傾けます。ヨゼはやっぱり無視。
「あーたんってば最近、特にルテューアのことを可愛がってるじゃん?」
「それがどうかしたのよ」
「おじさん寂しい」
「いい気味」
「ひどい。いいよなーいいよなぁ〜ルテューアはあーたんにずーっと可愛がってもらっててさあ〜?」
「当たり前でしょ? あの子はカワイイ癒し系弟子兼彼氏なんだから」
「え、あの子ってカワイイ系なの?」
「カワイイ系でしょ」
「中身はともかく外見は生前のおじさんとタメ張れそうなぐらい良い顔してると思ってたから、愛玩動物みたいにカワイイカワイイヨシヨシする感じじゃないかなーって思ってた」
「私はそうは思わないけど? カッコイイよりカワイイ系でしょあの子は」
「そう……あーたんがそう言うならいいけどね。あーでもマジで羨ましい。おじさんだってあーたんのイイヒトになってイイコトしたい。具体的には卑猥な……」
 刹那。
 アルスティはレグの顔面を右手でガッシリと掴み、視界を封じました。
「おごっ!?」
 次の瞬間には頭部が粉砕されるのはもはやお決まりのパターン。自身の死を悟り、覚悟を決めたレグでしたがその時は訪れません。
「ありっ?」
「さあさあさあ! 夕食の余興におっさんの顔面粉砕ショーを披露するわよ! 最前列VIP席でご覧になりたい方はお手持ちの銀貨をいくつかお納めくださいませぇ〜!」
 陽気に残虐非道な仕打ちをすると公言し、地下室から出て行こうと足を進めていきます。
「ギャー!? あーたんがおじさんの頭を潰すという単純かつ残酷な制裁を娯楽目的のエンターテイメントにしようとしてるぅ!? おじさんは見せ物じゃないのに!?」
「知らんわ」
 悲鳴が響き渡る中、遠くから「一枚くださ〜い」という声が響きます、需要があったようですね。





 さて、カルミアたちはアルスティたちが立ち去ってからしばらく経った後に地下から抜けて、赤のトリブーナまで戻ってきました。
 人形作業台や赤色の大きなワードローブが安置されているここの場所、かつてはガレリアの地下迷宮探索の要でもあり、人形兵たちを作った魔女だけでなく屋敷の住人や来訪者たちといった人の出入りも多くあったとか。
 今はその面影はなく、迷宮を探索していない人形たちが賑やかに暮らす場と化していますが……現在のトリブーナは珍しく、カルミア、ヨゼ、ルテューア以外の人形兵は不在でした。
 各々がガレリア宮の別の部屋で過ごしたりして次の探索までの時間を潰しているのでしょうが、憶測しかできないのでさておき。
「……まあ、そう、落ち込むなよ……」
「今のはショックだったよな、俺でもわかる。わかるから」
「…………」
 ルテューアはトリブーナの隅で壁に向かって頭を向け、膝を抱えて座りこんでしまっていました。
 落ち込みのあまり、必死に慰めようとしてくれているカルミアやヨゼの言葉に応えてもくれません。
「思ってもなかったよなあ、アルスティがルテューアのことをカッコイイとかじゃなくてカワイイって言ってんの」
 両手を後頭部で組んでぼやくヨゼでしたがカルミアの視線は床を見つめたままで、
「いや……予想はできるぞ、わりと」
「は!? なんだよテメェなんでわかるんだよ予知能力者かテメェ! 俺もやりたいから俺にも教えろコラァ!」
「バカだろお前」
「あ?」
 一方的にキレ散らかすヨゼを一瞥し、カルミアは落ち込むルテューアの肩をそっと叩きます。
「彼女に“カッコイイ”って褒めてもらいたい……それは、男だったら必然的に誰でも願うような当たり前の願望だ。喉が渇いたら水を飲みたい、歩き疲れたからどこかで休みたい、腹が痛いからトイレに行きたい……みたいな、極めて自然な形で生まれる欲求なんだよ」
「……」
「あの女はそれを理解してないんだ。人間だった頃は男臭い騎士団の団長様してて、しかも騎士の中でも最強の名に相応しいっつーバケモノだったこともあるから、異性を舐めてかかる傾向にはあったとは思う。今だって草むしりと同じ感覚でおっさんの首をへし折ってるしさぁ?」
「……」
 蛇足ですがこの後の夕食時に、本当に余興で首をへし折られます。
「老若男女を自分の庇護の元に加えるほどの勢いはある女だからな。お前はアイツの一回り以上年下、今は外見が同年代だけど中身は全く違う、見た目で誤魔化せるのなんて最初だけ、ずーっと一緒にいれば中身の年齢の違いぐらい嫌でも分かっちまうから、必然的に年下を可愛がる傾向になるんだよ。男心をミリも理解してない鈍い女だからなアイツ……」
「ルミィ……あーたんのことキライ?」
「別に」
 即答とまでは言いませんがかなり早い返しでした。
 ルテューアはゆっくりと立ち上がります。しかし表情は暗く、いつ泣いてしまってもおかしくないほど落胆しているのは火を見るよりも明らかで、
「あーたんは男心がわかってないから、僕にも“カワイイ”って言うってこと……?」
「そうそう」
「ルテューアだってアルスティにカッコイイって言ってるし、アルスティはルテューアのことをカワイイって言ってるんだからさ、おあいこなんじゃね?」
 などと余計なことを言い出すヨゼの口を素早く塞ぎ、いち早く二人だけの対話の場を作ります。この時に暴力等の実力行使に出ないのは、人間を凌駕する圧倒的な力がなければ人間を支配できないと知っているからです。つまり力に頼っても最終的に無駄になるということ。
「あーたんが男心をわかれば僕に“カッコイイ”って言ってくれるようになる……?」
 都合よく聞こえていなかったので、カルミアは説得を続行。
「そうだ。お前だって心も体も一応立派な男なんだから、アイツにそれを分からせてやれば二度と“カワイイ”なんて抜かすことはなくなるはずだぜ? 手段を問わない場合もあるけど、お前だってそろそろ……」
「わかった! じゃあ次の探索でカッコよく魔獣を倒すね!」
「ああ、お前もわかって……………………あん?」
 想定外の台詞が返ってきてしまいカルミア、弟分を二度見。
「僕があーたんのことをカッコイイなあ〜って思うところはどこだろうって考えたんだけど、やっぱり戦っている時のあーたんが一番だって思ったんだ! だから僕もそうすればあーたんが僕のことをカッコイイって言ってくれるかも!」
 さっきまでの落胆っぷりはどこへやら、どこからか沸き上がってきているであろう自信たっぷりの様子。捻りのない純粋でまっすぐな持論を披露してくれました。
「え、え? ええ? なんで……?」
 これにはカルミアも困惑の色を隠せませんが、ルテューアはそのままのテンションで続けます。
「僕が前の迷宮で人形兵になった時にね、強い魔獣の攻撃で腕が飛んでいった時があったんだ。人形兵に生まれ変わって初めてのゴアだったんだけど……あーたんは怪我した僕を怒らないで、一緒に戦いましょうって言ってくれたんだ」
「う、ん?」
「その言葉も嬉しかったんだけど、強い魔獣にも怖がらわずに立ち向かっていくあーたんの背中がカッコイイなあ、すごいなあって思ったんだ。それが僕の初恋の始まりなんだけど」
「惚気話か?」
「だから僕もそうやって魔獣を倒していったら、あの時の僕と同じようにあーたんも僕を“カッコイイ!”って言ってくれるようになるかなって! そしたらカッコイイって言って欲しい僕の男心もわかってくれるよね! だから次の探索でいっぱいすっごい活躍ができるように頑張るよ!」
 こうして彼は、曇りひとつもない晴天のような笑顔を浮かべたのでした。
 勝手に落ち込んで勝手に立ち直ったという状況にカルミアはひどい脱力感を覚えるのと同時に、ヨゼの口を塞いでいた手を離すと、それを怒ることもなく、ただただ落胆するのでした。
「…………」
「へっ、テメェもやるじゃねーか。あんなに落ち込んでいたルテューアをあっという間に笑顔に戻しちまうなんてよ……ちょっとは見直したぜ」
 ヨゼ、カルミアの肩を叩くついでに珍しく褒めたのですが、
「うーわっ、全然嬉しくねえ」
「は?」





 馬のような巨大な魔獣の咆哮は動物の鳴き声ではなく、例えようのない不気味な轟音を奏で、足元にいた小さな魔獣を吹き飛ばしました。
 吹き飛ばされた魔獣は近くの谷に頭から落っこちてしまい、誰にも気付かれることなく短い生涯を終えました。
 魔獣は動物的本能で生きているモノが大半を締めるため、この魔獣も例に及ばず自分の視界にすら入らない小さな魔獣など石ころ同然に扱い。気に留める素振りもなく吹き飛ばしたのです。
 その魔獣と現在敵対しているのは魔女のシモベである人形兵。
 数えきれないほどの死闘を乗り越えてきた彼らが魔獣の嘶き程度で吹き飛ばされることはありませんが、怯ませるには十分な威力はありました。
「ぐ……」
 陣形の前列に立っていたルテューア、かなり近い距離で咆哮を受け止めますが、左手に装備した戦術甲で防ぐことに精一杯。
 踏ん張っている足の力を少しでも緩めてしまえばあの魔獣のように吹き飛ばされてしまうと本能で分かるようになったのは特訓の成果でしょう。
 成長を感じる一瞬ですが、戦場ではその一瞬でも気を抜いえてしまえば、簡単に命が砕け散るもの。
 防ぐことばかりに気を取られてしまい、目前にまで迫ってきた巨大な蹄にすぐ気づけませんでした。
「あ」
 影ができて見上げた刹那、視界いっぱいに飛び込んできた蹄。ルテューアは「これが馬の足の裏かー」と、新たな発見を心の中で口にして、
 同時に、身の丈以上ありそうな巨大な蹄が地面を踏みつけました。
「ルテューアァァァァァ?!」
 誰かが叫び、皆が馬のような魔獣に潰されてしまったと直感、一部が青ざめましたが。
「飛んでるね〜」
 ニケロの緊張感のない一言により、皆が天井近くを見上げます。
 いました。土煙を突き破り、上へ上へと飛び出していく青年の姿。人間離れした跳躍力を披露するルテューアを。
 視線を集めることなど気に留めず、右手に握った古塔槍の柄をしっかりと握り直し、
 獲物を仕留め損ねたと気付いて首を上げた魔獣に狙いを定め、投げました。
 弾丸のようなスピードで飛び出した古塔槍は魔獣の眉間に命中……したように見えた次の瞬間には一直線にそこから胴体を貫き、勢いを付けたまま地面に刺さりました。
 傷口から滝のような血を吹き出し、断末魔を上げないまま横に倒れる魔獣。現実離れした戦い方に人形兵たちが唖然とする中、アルスティだけは誇らしげに頷いていました。
「よしよし、ちゃんと教わった通りにできているじゃない。さすが私の愛弟子」
「あーたん……あの圧倒的なパワーを使って君たちは何をしようとしているの? 世界征服?」
「世界を征服したって失うものが増えるだけでしょ?」
 ドン引きするニケロにキョトンとしつつ返す中、上空のルテューアは上機嫌。
「すごい! いつも魔獣を倒す時みたいに力の腕じゃなくて、足に込めて飛んだらたかーく飛べたよ! バッタみたい!」
「すごくねえよ馬鹿! 着地はどうすんだよ!」
「あ」
 カルミアの罵声で気付きます、何も考えていなかったと。
 そして、次の瞬間には落下が始まってしまいました。
「あああああああ!?」
 後先考えずに飛んでしまった自分の責任を痛感。ちらりと見えましたが落下地点は谷底ではなさそうなので、地面と直撃しても痛いだけで済みそうです。
 谷底に落ちて永遠の別れをしない引き換えにどこかしらの部位がゴアしそうですが、当然の報いと諦めました。
 これから全身に広がる痛みに耐えるため、覚悟を決めて、目を閉じました。
 ギュッと、閉じました。
 ……が。
「…………あれ」
 いつまで経っても痛みは訪れず、間抜けな音が口から漏れました。
 何かにぶつかった感触はありましたが、痛みを伴わない衝撃のそれは、硬い地面ではないと分かります。
 自身に起こった出来事をいち早く確認するため、恐る恐る目を開けると……、
「大丈夫?」
 視界のほとんどを埋め尽くしていたのは、大好きな大好きなアルスティのどこかホッとした顔。
 「なんで?」と口に出す前に気付きました。純粋すぎて「お前はクッソ鈍い」としょっちゅう言われてしまう彼でもすぐに判断することができました。
 アルスティに抱えられていると。
「ほわッ!?」
 これが俗に言う「お姫様抱っこ」だと気付いてしまい驚きと恥ずかしさが急速上昇、だから声も少し裏返ってしまいましたが。
「怪我はなさそうね、よかったよかった」
 彼の気恥ずかしさなど知る由もない、心の底から安堵した笑みを浮かべていました。
「あ、あのあのあのあのあーたん……!?」
「力の流れを変えて高く跳躍することは確かに教えたけど、飛んだ後のことをちゃんと考えてから使わないとダメでしょ? いつもこうやって受け止めてもらえるとは限らないんだから」
「わ、わかって、わかってるけど! それはわかってるからもうしないんデスケド!?」
「ですけど?」
「こ、こうやって抱っこされるのはちょっと、ちょ、ちょっと! 恥ずかしいんだけどなぁ!?」
「…………」
 改めて言われたことで、この状況が男の子にとって辱めになると気がついてしまったアルスティ。一回、二回、三回と瞬きしてから、
「……へえ」
 ニヤリと笑い、ルテューアの背筋に冷たいモノが走りました。
「そっかーそっかー恥ずかしいのかーじゃあ後先考えずに行動したお仕置きも兼ねてこのまま帰りましょう! もちろん徒歩で、魔獣に見つからないように霧のヴェールを使って」
「ま、待って!? いや! いやだ! 降ろして! 降ろしてくださいぃぃぃ!」
「断る。ヘイ、コーレイトウ! 霧のヴェール使って!」
 アルスティの言葉に応えるように降霊灯は霧のヴェールを発動、これで魔獣は人形兵一行を認知できなくなりました。
 つまり、降霊灯もアルスティの意見に賛同し、協力してしまったということで……抱っこされたまま徒歩で帰宅コースは避けられない現実となったわけで。
「ヤダー!!」
 絶叫と抵抗を同時進行で行い暴れますがアルスティの腕力は全く緩みません。むしろ暴れるほど強くなっていってる気がします。
 ほんの少し暴れたものの抱っこされた状況から抜け出せず、誰も助けてもらえず、絶望の淵に瀕したルテューアは両手で顔を覆ってしまいまして、
「あーたんにカワイイじゃなくて、カッコイイって言ってもらいたかったのに……これじゃあ全然カッコよくないよぉ……」
 今にも泣きそうな声で訴えますが、アルスティは平然と返します。
「カッコよくなりたいって頑張っている姿がもう十分にカワイイけど?」
「え」
 ルテューア、愕然。
「私のことずっとカッコイイとかすごいとか言ってるから、自分もカッコよくなりたいなって思ってたってこと? そうやって努力する人が一番カワイイって思っちゃうけどなあ」
「……」
「私は今のままのルテューアでも好きだから無理してカッコよさを極ようとしなくてもいいし、それのために無茶をされる方が困るし心配だってするわ」
「…………」
「だから変に着飾ったりしなくてもいいのよ。アナタは素敵な人だから」
「……………………」
 絶句し、言葉を失ってしまったルテューア。
 恥ずかしさを享受し、一生「カワイイ」と言われ続ける宿命を受け入れるしかないのでしょうか?
 何をしても、どんな努力をしても全て「カワイイ」と片付けられてしまう。
 ならばいっそのこと「カワイイ」を極め「カワイイ」を誇りに生き「カワイイ」と名乗って生きていく方が楽かもしれない。
 近くのような遠い場所でアルスティが言葉を続けていますが、ルテューアにそれが届くことはなく……。

「カワイイって言われて喜ぶ男はこの世のどこにもいないんだぜ? あーたん」

 その言葉で、我に返りました。
 アルスティに向けられた言葉なのは確かですが、それはルテューアの胸から失われかけた大切な気持ちをじわじわと復活させてくれまして、
「えっ? そうなの?」
「まっ、カワイイって褒めてもらえることを目的にしている野郎もいるとは思うが、それはかなり特殊で限定的な奴だ。ルテューアはそいつらとは違う。そうだろ?」
「あ、え、うん……はい……うん……そうだよおじさん」
 レグの問いかけに遠慮がちに答えると、彼はニヤリと笑って続けます。
「男は“カッコイイ”女の子は“カワイイ”って褒めることが当たり前だっつー固定概念はよくないけど、本人がカッコイイって言われたいって望んでいるなら努力している様を茶化さずに、肯定的に捉えてやってもいいんじゃないかっておじさんは思うぜ?」
「…………」
 軽い口調で言うレグ。いつものアルスティなら深く考えずに適当に返すところですが、今回は違いました。
 じっくり思案し、頭の中で答えを出してから言葉にします。
「……そうね。本人が嫌がっているのに、ずっとカワイイって呼んじゃうのはよくない……か」
「あーたん……!」
「それでもちょっと困るのよね、私の中でのルテューアは七割以上を“カワイイ”で締めているから、いきなりカワイイって呼ぶなって制限されるのはちょっと……」
「あーたん!?」
 一呼吸置かずに意見がころっと変わってしまい、ルテューアの表情に驚愕の二文字が浮かび上がります。絶望もプラスされていますね。
 レグだけでなく他のメンバーも絶句していますがアルスティは周囲の視線を気にしない女性なので、己の意思を貫きます。
「でも……カワイイって呼ばれるのが嫌だって分かったんだから、これ以上言っちゃうと意地悪しているみたいになっちゃうし、これからは心の中に留めておくだけにするわ」
「あ……っ、うん! そうして! すごくそうしてほしい! 言わないだけでも違うから!」
 心境は複雑ですがカワイイ呼ばわりされる屈辱と恥ずかしさを感じないだけマシだと自己解決。大きな安堵の息が漏れました。
「今日はちょっと失敗しちゃったけど、あーたんにもっとカッコイイって思ってもらえるように頑張るよ!」
「それじゃあ、私がルテューアのことを“カッコイイ”って、思わず口から自然に飛び出しちゃうようになる日を楽しみに待っているわね」
「わかった! 絶対にカッコイイって言ってもらうよ!」
「でもそれはそれ、これはこれの問題だから抱っこの刑は続行よ」
「うわーん!!」
 結局、抱っこされている状況だけは全く変わらず、屈辱の帰路につくのでした。





「ルミィ助けてー!」
「悪い……めっちゃくっちゃ面白え状況だからもうちょっと見守ることにするわ……ぷぷぷ」
「酷いよぉ! ヨーゼフ……は、今日は探索メンバーじゃないんだった! どうしよう!」
「カルミアにも見捨てられたことだし、諦めて恥辱を受け入れることね。あ、宝箱を回収するの忘れてたから取りに行きましょ」
「寄り道しないでください!!」


2021.5.27
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