血染めの彼女

 血染めの朱槍という技をご存知でしょうか。
 血を浴びれば浴びるほど強い興奮状態に陥り己の能力を向上させる。ショーグンたちに代々伝わる自己強化の術です。
 敵を多く倒せば強くなれる……便利な技だと思いがちですが、当然デメリットもあります。
 精神面が安定していない未熟者であれば、興奮状態による精神の変化と肉体の変化に追いついていけなくなり、自我を制御することができずに暴走してしまうのです。
 暴走の内容は人それぞれだと言われています。興奮が冷めるまで暴れる者や、パニックを起こして自傷行為を起こす者もいるとか。
 使い方を誤れば自身も周りも傷付けることもある非常に危険な技。
 心も体も研ぎ澄まされている者がだけが使いこなせる諸刃の剣。
 それが、血染めの朱槍と呼ばれる血塗られた秘術です。





 マギニアを拠点とし、レムリアの世界樹を囲む数々の迷宮に挑むギルド“キャンバス”の女たちは、主にワカバのご飯代を稼ぐため、ついでにレムリアの秘宝も見つけるために今日も樹海に挑んでいました。司令部の意図と喰い違っているように見えますが気にしてはいけません。
 キャンバスが足を踏み入れているのは司令部で“御神ガ原”と名付けられた小迷宮です。
 垂水ノ樹海や碧照ノ樹海よりも階層が浅く、その奥地に迷宮の主に分類される凶暴な魔物が生息している地は、小迷宮として分類されています。
 彼女たちがここを訪れた理由は、胡散臭いおっさんマスターがいる酒場で狼の魔物の毛皮でコートを作りたいという依頼を受けていたから。
 魔物を倒して素材を売ったお金だけでは暴飲暴食が常のワカバを満足するまで食わせてあげることができないため、お金が発生するクエストを頻繁に引き受けているのです。
 なお、つい数週間前までこの樹海を縄張りとしてた巨大な狼の魔物が率いる群れが幽寂ノ孤島だけでなくマギニア周辺にまで出没し人々を襲っていましたが、酒場で依頼を受けたとあるギルドが狼のボスを討伐。島やマギニアの街に平和が戻り万々歳だったとか。





「大したことありませんでしたわね」
 刀を鞘に戻しながら、クレナイは吐き捨てるように言いました。
 彼女の目前で倒れているのはこの小迷宮を根城にしている狼の魔物たち。白い毛皮の小柄な狼も、青い毛皮大柄の狼もいましたが、その全てが血の中で事切れていました。
「ひいふうみいよう……うん、クエストに必要な毛皮は確保できそうね。ちょっと多いぐらいだけど」
 顔色を変えずに死骸を数えているのはシノビのコキ。キャンバスのギルドマスターを務める女性です。
 無駄一つないすらりとした長身に流れるような美しい髪を結い、真っ赤なマフラーをいつも身に着けています。最近の悩みは二の腕がたくましくなりつつあることだとか。
 彼女の足元では、緑色の長い髪を三つ編みにして結っている女の子が剣を地面に突き刺し、あぐらをかいて四角い携帯食料を頬張っていました。
「おいしい」
 淡々と感想だけ述べると再び携帯食料にがっつきます。栄養価は高く長持ちするのが魅力的ではあるものの、味はイマイチのため決して評価が高いとはいえない携帯食料。安価であることとワカバが食いしん坊であることから、コキは多く買い込んでいるのです。
 味は良くなくても燃費が激しすぎるせいで常にお腹を空かせているワカバにとっては自分の腹を満たす食べ物は何でも美味しいらしく。現においしいと何度も言いながら束の間の休憩タイムを謳歌していました。
「ワカバさん、オヤツの時間はまだ早いですよ? というか戦闘が終わるごとに食べる癖、そろそろ治しませんか?」
「無理でしょ」
 心配の意味を込めて諭したカヤの台詞を真っ先に否定したのはスオウでした。
「無理ね」
 ついでにコキも。
「おいしい」
 ワカバ本人は聞いてもいません。
「ええぇ……」
 カヤが顔を引きつらせていますが、コキとスオウは涼しい顔。
「ワカバが食欲を制御できていたら今頃ギルドは晩年金欠で悩んでいないから」
「ホラ、そんなどうでもいいことで悩んでないでとっとと狼の毛皮を剥ぎなさいよ」
「どうでもいいって……いつも思ってるんですけど、食べてる間に他の魔物に襲われたらどうするんですか?」
 血の匂いに釣られて襲ってくる魔物も少なくありません。今はまだ魔物が出現する気配はありませんが、何が起こってもおかしくない樹海でカヤはいつも以上に警戒心を強めています。樹海では突如空から鳥や熊が降ってきても不思議ではないのですから。
 心配性なカヤとは違い、コキはワカバの頭をぽんぽんと優しく撫でながら、
「この子はそういう気配には敏感だから心配しなくてもいいの。ごはんの邪魔をするヤツには本当に容赦しないから」
「おいしい」
 我が子を自慢するように言っていますが、目を輝かせながら携帯食料を頬張る少女が果たして本当に気配に敏感なのでしょうか。
 不安ではあるカヤですが、今はワカバと付き合いの長いコキの言葉を信じることにしました。
「わかりましたよ、コキさんに従います。じゃあ、皮を剥ぎ取ってマギニアに帰りましょうか」
「そうね。この報酬で三日は持つだろうし」
 さらりと放ったコキの言葉で、カヤはナイフを取り出そうとしていた手を止めてしまいます。
「……三日しか、持たないんですか……?」
「そう」
 断言した彼女は遠くを見ていました。遠くにある何かを見ていたワケではなく、ただ目的もなく景色を眺めているだけです。
 まるで全てを諦めたような様子のコキにカヤ、愕然。
「相場よりもかなり高い報酬でしたよね……? 持って帰った毛皮の数によっては色もつけてくれるって……」
「知ってる、それも考慮しての三日よ。薬代だってバカにならないし、いい加減に装備も新調しなきゃいけないし、ツケだってまだ残ってるところあるし……」
「まだツケが残っていたんですか!?」
「大丈夫、これさえ払い終わればもうツケはなくなるから……」
 まるで病床の婦人のような弱々しい声で言ったコキはふらりと狼の死体まで近寄り、白い毛皮の狼の元でしゃがむと、戦闘で使うナイフを取り出して皮を剥ぎ始めました。
 黙々と、熟練の職人のような手際の良さで。血に染まった箇所はしっかり避けて。
 その背中からは哀愁のようなモノが漂っているようにも見えてしまい、カヤはうっかり他人事のように思えて静かにぼやきます。
「苦労してるんだなぁ……」
「ホラホラ、貴女も早く手伝いなさいよ。ぼんやりしてたら他の狼が集まって来るでしょ?」
 杖を振りながら命令する元ゾディアックの現ミスティック……スオウ。一応コキとワカバと同じくアーモロードから来ており、そこそこの付き合いもある……ハズです。
 とはいえ、まるで故郷の近くにあった山脈を彷彿させる大きな態度にカヤは呆れてしまい、
「あの、スオウさん……命令するだけじゃなくて手伝ってくれませんか?」
 答えはなんとなく分かってはいますが言わずにはいられなかったので尋ねます。
 案の定、スオウは桃色のウェーブがかかった長い髪を揺らして、
「やあよ、血で汚れるもの。血生臭い仕事をするのは無駄に体力のある貴女たちの仕事でしょ?」
 なんて返答。そのまま食事中のワカバの横に腰を下ろしてしいました。
「はぁ……」
 ため息すら隠せないカヤでしたが全てを諦めた方が早そうです。“心配しなくても魔物が来ないか見張っといてあげるわよ”とは言ってくれたので文句を垂れる作業はやめて、ナイフを持ち出すと青い狼の皮を剥ぐため手を動かすことにしました。
「しっかし、今月はマジのガチでヤバいみたいね。こんな時期のこんな依頼に手を出すなんて……さすがにちょっとは助言してあげた方がいいかしら」
「と、言うと?」
「この時期って狼の繁殖期よ? 前のボスが倒されて、ただでさえ統率が狂ってるのにデリケートな時期に突入しちゃってまあまあ荒れて当然よねぇ? 本来なら御神ガ原の立ち入りすら禁止されるべきだって言うのに依頼主がワガママを言って報酬も上げに上げて強行したみたいね。クレナイとワカバのお陰でなんとかなったみたいだけどー」
「…………え」
 カヤ硬直。スオウを凝視。
 まるで始末書だけでは済まされないミスを犯した時のようなカヤの様子にスオウは目を丸くさせて、
「もしかして、知らなかったの?」
「全然知りませんよ!? だから高かったんですか!?」
「そりゃあそうでしょう? 高い依頼にはそれ相応の理由があるのよ。ホラ、とっとと手を動かす」
 まるで相手を小馬鹿にするような言い方でしたがカヤはもう慣れました。諦めた、とも言えます。
 マギニアには多くの冒険者が集まり、それぞれ別のベクトルで個性的な人物が大半を占めます。そんな冒険者たちの言動一つ一つに反応していてはキリがありませんからね。
 所々が赤く染まっている芝生の上、汚れてない場所に膝をついて青い狼の毛皮を剥ぐ作業を始めます。
「冒険者って……こんな人ばっかりなのかなぁ……」
 冒険者を始めて三ヶ月近く、カヤは今日もため息混じりにぼやくばかり。
 故郷を離れてマギニアに来てから騎士をしていた時代に考えたこともないような出来事ばかりが続きます。身の丈以上のダチョウと対峙したり、動く石像を粉微塵に破壊したり、雨水を飲み水代わりにして飲んだり、暴走気質なビアンに好かれたり……。
「って、クレナイさんは?」
 ようやく思い出しました。例の厄介者の存在を。
 皮剥ぎの途中でしたが顔を上げてクレナイを探そうと周りを見渡せば、すぐに見つかりました。
「…………」
 いつも自分を可愛いと囁きながら溺愛してくる赤毛の彼女は、狼の死骸の群れの中心で立ち尽くしたまま、赤く染まった地面を眺めていました。
 桃色の瞳を爛々と輝かせたまま一言も喋らず石像のように動きを止める様子が、なんだが自分の知っているクレナイとは別人のように見えて、
「クレナイさん!」
「はっ!?」
 得体の知れない不安が込み上がってくると同時に名前を呼んでいました。
 我に返ったクレナイは金縛りが解けたように体を震わせて反応すると、すぐに振り向きます。
「あらあら、どうしましたのカヤちゃん?」
「どうしたのじゃないですよ……解体作業を手伝ってください」
「まあ、そうでしたわ!」
 何事もなかったように近づいて、子供のような無邪気な笑顔を浮かべているのは紛れもなくいつものクレナイです。
「どこから手伝いましょうか?」
 さっきまでの不気味な様子は幻覚だったのかと錯覚するほど、カヤの知っているクレナイです。
「えっと……じゃあ、あそこにいる小さな狼たちをお願いします。外傷が大きいので取れる毛皮は少ないと思いますけど」
「わかりましたわ、皮剥ぎは得意ですからお任せくださいな」
「いつか男性を皮剥ぎの刑にかける為に練習でもしてたんですか?」
「さっすがカヤちゃん! よく分かりましたわね!」
「え」
 冗談のつもりでしたが想定外の反応をされてしまったカヤ、本日二度目の硬直。クレナイはそれも気にせず指摘された狼たちの元へ足を運んでしまいました。
「…………」
 この世の何よりも男性が憎いクレナイが本当に男を殺めたことがないのか、カヤはその真偽が知りたくてたまりませんが……まだ少し怖いので、疑問は心の中に押し留めておきました。 
「さすがラブラブカップル、以心伝心はお手の物ってコトね」
 絶句していたカヤの耳にスオウが茶化しが届いたので、すごい勢いで弁解します。
「カップル違います! だから私はノーマルですってば!」
「男性恐怖症のクセに何を言ってるんだか」
「こ、これから治していくんです……」
「ふーん、せいぜい頑張ることね。あ、そうそう」
「今度は何ですか……?」
「今夜はクレナイに気をつけなさいよ」
「……はい?」
 突拍子のない一言の意味が全くわかりません。何をどう気をつけるのか、何があるから気をつけるのか、本当に気をつけるべきなのか……。
 絶句した後にどういう意味だと問い詰めようにも、発言した本人がワカバから携帯食料を取り上げ始めたためにそれも叶わず。
「ごはん、返して」
「アンタこれ何本目だと思ってるの! 戦闘終了後のオヤツは一本だけって約束だったでしょ! 我慢しなさい!」
「ごはん……」
 ションボリと肩を落とすワカバはまるで餌を目の前で取り上げられた子犬のよう。犬の耳が生えていたら垂れる下がっていたかもしれませんね。
「気をつけるって、何を……」
 中途半端に放置されてしまったカヤが言葉に出したものの、それを拾い上げてくれる存在はなく、虚しく空中分解されるだけでした。
 言うだけ言っておいて放置です。どれだけ自分勝手な人なのだと内心呆れた時でした。
 視界の端に、木の根元に生えた紫色の花たちが映ったのです。
「……あ」
 茎に丸っこいハート形の葉を付け、5枚ある紫色の花弁は丸っこくて下部の一枚が大きく、他4枚は左右対称。全体的に見るとラッパのような形をしていました。
「……かわいい」
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