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世界樹の迷宮X

 マギニアの上に浮かぶ太陽は街の真上で人々を見下していました。
 夏日と称しても過言ではないほど力強く地上を照らす日光で汗ばむ人も見られる中、それを物ともしない少女の怒声が広場に響きます。
「だから何度も言ってるじゃないですか! モラルを守ってくださいと! 拉致は立派な犯罪なんですよ!」
 人々が思わず足を止めて振り向きそうなほど大声を出しているのは少女の名はカヤ。女性しかいないギルド「キャンバス」に所属するパラディンです。
 茶色の髪は短いショートにしており着用している聖騎士の鎧は何故か男性の物。顔以外素肌を晒さない姿は真面目を絵に描いたような印象を相手に与えていました。
「…………」
 怒鳴り散らす彼女の前で正座し、手を膝の上に乗せている女性の名はクレナイ。
 カヤと同じく「キャンバス」に所属しているショーグンです。名前通りの真紅の長髪は1つに結われ、毛先が石畳の上にちょこんと乗っかっています。
 年齢はカヤよりも年上ですが年上の威厳等は無いに等しく、頬を膨らませて不満げにしている表情はまるで親にイタズラを叱られた子供のよう。桃色の綺麗な瞳が恨めしそうにカヤを睨んでいましたが迫力は全くありません。
「だってー……シエナちゃんがあまりにも可愛くて可愛くて……男の人口密度が高いあんなギルドに置いておきたくないんですもの」
「完全にクレナイさんの私情じゃないですか! あのギルドにいるのはあの子の意志でしょう! 無理矢理引き離すのはよくありません!」
「無理矢理でなければ良いのですわね? でしたら……ふむ、ウフフフ……」
「その邪悪な微笑みはなんですか! もう!」
 男性恐怖症故に孤立していたところをこのギルドに拾ってもらい、似たような理由で拾われていたクレナイと出会ってから数週間、生活を共にし出してから何度怒声を浴びせたか、カヤは数えるのも疲れました。
 クレナイは男が大嫌いな反面女の子が大好き。好きというのはライクではなくラブの方、生粋のレズビアンなのです。
 人の性癖はそれぞれですしギルドメンバーたちも受け入れています。カヤ自身も当然彼女の性質を理解しているので嫌悪したりはしません。
 問題なのは女好きで男嫌いという性格により次々とトラブルを起こすということ。
 今日も精鋭ギルド「クアドラ」に所属しているメディックの少女を無理矢理お持ち帰りしようとしていたのです。
「私が早く帰ってこなかったら今頃どうなっていたことか……」
「もう、カヤちゃんってばヤキモチですの? 可愛らしいですわ〜」
 目の前の人間が怒っているというのに反省する気が微塵にも感じられない態度に、ぷちん、と何かが切れる音がカヤの頭に響きまして、

 どすん

「…………」
 鼻先で風を切る感覚がして、クレナイは笑顔を浮かべたまま硬直。恐る恐る視線だけを下にすれば、膝スレスレの場所に槍が突き刺さっている光景が映りました。
「………………」
「……反省しましたか?」
 槍の柄を握ったままのカヤがひどく落ち着いたトーンで問いかければ、クレナイは無言で何度も首を縦に振ったのでした。
 余談ですが、槍先で貫いた石畳の修理費はちゃんと支払ったそうです。





 人類の頭上にあった太陽が地平線の裏側へと姿を隠し、夜がやってきました。
 キャンバスのメンバーたちが泊まっているのは湖の貴婦人亭……ではなく別の宿、最近増えつつある女冒険者のために増設された女性専用の宿です。管理人も女性なので男嫌いのクレナイにとってはこれほど安心できる宿はありません。
 部屋は個室しかなくトイレは各階に一箇所ずつで風呂は一階にあるそこそこ広い浴室のみ。洗濯は一階にある洗濯場を各自で利用するセルフサービス式を起用しています。
 そんなクレナイは一人、部屋に篭って明日の探索の準備をしていました。
 準備と言っもすぐに片付くものでして、刀の手入れ、非常食の準備、野郎を一発で死に追いやる毒薬を小窓にそっと置けば完了です。後はベッドに体を預け、眠って夜を過ごせばいつも通り朝がやってくることでしょう。
 しかし、クレナイは大人しく眠りにつくことはできませんでした。
「もう、カヤちゃんってば、あれほど怒ることないじゃありませんの」
 公共の場でガッツリ叱られた後からずっと、彼女は頬を膨らませて不機嫌のまま。その後、カヤに一切口を聞いてもらえなくてストレス六割り増しの状況が続いたのです。
 怒りながらもふと、彼女は疑問を抱きます。
「そういえば……どうして私はカヤちゃんのことばかり気になるのかしら?」
 クレナイは女の子は誰でも大好き、だって柔らかくて可愛くていい香りがするから、どんな子でも大歓迎というスタンスでこれまで生きてきました。
 けれどカヤは? 彼女だけは普通の女の子とはどこか違う、どこか特別という感じがします。
 どうしてそう感じてしまうのかは分かりません。
「ちょっとボーイッシュな感じだから? いいえ、そういう子は村でも沢山いました……じゃあ、ちょっと真面目すぎるところ? そういう子もいましたわね……」
 クレナイの故郷は「華ノ里」と呼ばれる女性しか入れない男子禁制の村。生まれ故郷ではないですが、幼少期から大人になるまで過ごした大切な場所です。
 そこで出会った女の子たちと違うタイプだから惹かれているのではないかと真っ先に考えたものの、思い浮かべるどのパータンも故郷で交流を深めた友人知人たちに当てはまってしまいます。
 何故、カヤが特別だと思ってしまうのか、他の女の子たちよりも愛しい気持ちを抱いてしまうのか……クレナイの中で答えは出ず、グルグルと同じ思考が頭の中で回転を続けるばかりでした。
「あーもうラチがあきませんわ!」
 絶叫しておもむろに立ち上がると自室の扉をあけて廊下に飛び出しました。
 そろそろ日付が変わる時間帯、天井にぶら下がったランプのオレンジ色の光がぼんやり照らす廊下には誰もいません。
 どすどす大きな足音を立てながら歩いてすぐにカヤの部屋の前に到着します。隣の部屋なので徒歩十歩以下で済むのです。
 ノックした所でカヤが部屋から出てくるとは思えないため、まずはドアノブに手をかけて、
「……あら?」
 ガチャガチャと鳴らしてやろうかと思っていましたがふと止めて、ドアノブをゆっくり回して軽く押してみるとそれは静かに開いていきました。
「あら、あらららら?」
 几帳面で真面目で神経質なカヤが鍵をかけていないハズがありません。例えこの宿に女性しかいないと分かっていても、しっかり鍵をかけるのが彼女です。
 そんな彼女が自室に鍵をかけていないということは、
「カヤちゃん‼︎」
「どっひゃあ!」
 興奮を抑えきれないクレナイがノックもせずにドアを開けてカヤの部屋に飛び込めば当然、部屋主が悲鳴を上げました。突然クレナイが自室に突撃してくるなんて夢にも思ってなかったのですから。
 いつもの鎧を脱いで着替えている途中だった彼女は恐る恐る振り向き、サラシを途中まで巻いてある胸元を抑えながら口をパクパクさせています。
「あらまあカヤちゃん……年齢の割にはとても可愛らしい下着を穿いていますのね」
「ギャアアア! 見ないでください見ないでくださいぃ! どうして部屋に入って来てるんですかぁ!」
「鍵、かけ忘れてましたわよ?」
「え……」
 カヤが愕然として言葉を失っている最中にもクレナイは口元を緩ませてドアを閉め、ついでにしっかり鍵もかけました。
「って、居座るつもりですか⁉︎」
「当然ですわよ、私はカヤちゃんのことをもっと知る必要がありますもの」
「私は全然知りたくないんですけど」
「まあまあそう固いことを仰らずに」
 まるで友達をお茶に誘うような軽い口調で言いながら、ベッドに腰をかけてしまいました。
 腕力で勝てる自信はあってもサラシがズレないように片手で抑えたままの状況では、この自分勝手すぎる人を力づくで追い出すことも叶わないでしょう。カヤは深いため息をつきました。
「私はずっと疑問なんですの、どうしてカヤちゃんのことをとても愛おしく思ってしまうのかを」
「クレナイさんが女の子にしか興味がないからだと思います」
「無論、最初はそう思いましたわ……でも、カヤちゃんだけは特別。今まで色々な女の子と交流を深めてきましたがその子たちとはどこか違う何かを感じてしまいますの」
「何かって……なんですかそれ」
「分からないから困っているのではありませんの」
 そう言ったクレナイの視界にベッドに置いたままの着替えに手を伸ばすカヤが映ります、
 クレナイは素早く着替えをひったくり、自分の膝の上に置いてしまいました。
「ちょっと!」
「理由が分からないのであればそれが分かるまでカヤちゃんのことを知るしかないという結論が出ましたの。貴女のことを知れば自ずと答えが出てくるという確信が持てたのでこうしてお喋りしに来ましたわ」
「私はお喋りというより脅迫されているような気分ですけどね!」
 嫌味だけ込めて絶叫しましたがクレナイの恍惚した表情を見てまたため息を漏らしました。
「カヤちゃん可愛いですわ〜」
「またそれですか……褒めたところで何もしませんし何も出ませんよ」
「分かっていますわよ。私は正直者なので思ったことをすぐに口にしてしまいますの、言葉だけでなく行動にだって出ちゃいますわ」
「それをもう少し抑えてくれれば私はもっと楽になるのですが」
「とても難しい問題ですわね、私は難しいことが苦手なので避けて通ることにしますわ」
「ああ言えばこう言う……」
 カヤの頭痛が止まりません。文句をぶつけたところで直すどころか反省する素振りすら見せてくれないのですから。
「なんで私はこんな人に……あっ」
「どうかしましたの?」
 ふと、カヤは気付きます。
 出会ってそれなりに長い時間が経ちますが彼女に対して否定的な台詞を使ったことがありません。カヤ自身が相手を傷つけるような言葉を発することを好ましくないと思っているので自然と出て来なかったのです。
 自分に好意を抱いている彼女でも一言拒絶してしまえば多少は距離を置いてくれるかもしれない。
 心が傷まないことはありませんが、カヤは口を開きます。
「あのですね……私はこんな自分勝手でワガママで自己中心的な人間に好かれても全然嬉しくないどころが迷惑なんですよ」
「あら?」
「だから! 相手の気持ちを考えずに勝手な行動ばかりしてるクレナイさんが嫌い……というか、全然好きじゃないんです!」
 嫌いとストレートに伝えるのは良心が痛むので途中で訂正は加えましたが、クレナイを否定する言葉に代わりはありません。
 大好きなカヤにそこまで言われてしまったクレナイは、
「まあまあ、あまり私のことを好ましく思ってないと……今が最低値に近いということはこれから伸び代があるということですわね! 頑張りますわ!」
 恐ろしく前向きな笑顔と言葉で、手を叩きながら宣言するのでした。
「あー‼︎ もぉー‼︎」
 崩れ落ちたカヤ。そこそこの決意を持って放った拒絶はあっさり受け入れられてしまい、改めてクレナイは女性に対しては何もかも肯定的なのだと実感しました。
「カヤちゃん? どうかしましたの?」
「もういいです……クレナイさん、いい加減に出て行ってくださいよぉ……」
「それは無理ですわ。私が満足するまで帰りませんわよ、着替えも返しません」
「そんな……私はもう就寝したいんですよ……」
 明日も探索ですし……と、付け足せばクレナイは顎に右手人差し指をトンと当てて、
「そうでしたわね……でも、こんな私に良い状況をホイそれと手放してしまうのも勿体無いですし」
 目を閉じて考え始めたクレナイの口から次は何が出てくるのか、カヤは警戒しながら言葉を待ちます。この隙に着替えを奪い取れば良いのですが、律儀かつ真面目な彼女は不意打ちにような真似はしません。
「はっ! そうですわ!」
 カヤにとっては数十分経ったような時間が過ぎてクレナイが手を叩きました。そして、次に出て来たのは、
「カヤちゃんが私にキスをしてくれたら今日は大人しく引き上げますわ!」
「…………」
 カヤ、絶句。
「あら? あまり驚きませんの?」
「……いえ、クレナイさんのことですからてっきり性的行為を持ち出してくるのだと……」
「カヤちゃんってば酷いですわね。いくら私がカヤちゃんのことが大好きだと言っても、恋人でもない女の子にえっちなことを強要したりしませんわ。向こうから誘って来たら別ですけど……」
「そんな目で見ても私は誘ったりしません! そもそも私はノーマルですからね!」
「まあ残念」
 クレナイが本当に残念そうにため息を吐いた後、カヤは立ち上がりました。
「だったらもうすぐに済ませますよ。こっちは早く寝たいので」
「カヤちゃんてば積極的ですわ〜ガツガツ来る女の子もとても好みですわよ!」
「クレナイさんはどんな女の子でもそう言うでしょう……?」
「そうかもしれませんわね」
 本日何度目かのため息をついてから、カヤは右手でクレナイの頬に触れ、少しだけ顔を上げさせます。
 期待に染まったうっとりとした表情で見つめてくる彼女に目を閉じるように促してから、静かに唇を落としました。
「んんっ……」
 唇の隙間から漏れ出した声が妙に色っぽく、静かすぎる部屋の中で響いて背中が少しだけゾクリとします。
 同性とキスするなんて普通だったら考えられない背徳感な行為を快感だと感じてしまったのか、頭がクラクラしてきます。

 ――好意ばかり向けてくる彼女の気持ちを受け入れてしまってもいいかな。
 ――だって、クレナイさんは私を。

「はっ」
 すぐに我に返ったカヤはとっさに唇を離すと一歩下がって距離を取りました。
 目を細めたクレナイはほんの少しだけ残念そうに唇を指で拭って、
「あら、まあ、早かったですわね……カヤちゃんってば初心なんですから」
「悪かったですね初めてで!」
「そこまでは言ってませんわよ⁉︎」
 とっても嬉しそうなクレナイが目を見開いて歓喜の声を上げるものですからカヤは全身が真っ赤に染まってしまい、肩を震わせるばかり。
「もう帰ってくれませんか! ちゃんとキスしたでしょう!」
「それよりカヤちゃん初めてって何ですの初めてって」
「帰れ‼︎」
 人生で初めて暴言を吐いた気分です。本当に彼女には調子を狂わされてばかりで。
「……帰るのはいいんですけど、カヤちゃん」
「もう何ですか!」
「いいえ、カヤちゃんは上から下まで慎ましくて素敵だと思っただけですわ」
「はぁ……?」
 口を開けてポカンと立ち尽くしたカヤは、ようやく気付きます。
 さっきまで胸元を半分ぐらい覆っていたサラシの布が、全て足元に落ちていることを。
 いつの間にか、クレナイ曰く慎ましい胸元を隠していたモノがなくなってしまっていたことを。
「―――――――‼︎」
 カヤの声の無い悲鳴が宿中に木霊する中、クレナイは我が子を見守るような愛おしそうな表情を浮かべて、
「ああ……やっぱりカヤちゃんは可愛い、可愛いですわ……この世で一番……」
「帰れぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎」




 その翌日から3日間、カヤはクレナイとは一切会話しなかったといいます。
「怒ってだんまりになったカヤちゃんも可愛いですわ〜」
「懲りろ」
 コキに短刀の柄で後頭部を殴られても、クレナイは全く反省しなかったとか。



2019.1.4
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