世界樹の迷宮X
カヤとクレナイが交際を始めてから一週間が経ちました。
若い二人の初々しい交際……やりたいことやしてみたいことが溢れ出てくるような毎日、過去の悲しい記憶を塗り替えるような楽しい日々。
その中で、思うことがありまして。
「クレナイさんのことだから、そろそろ性行為がどうとか言ってくるんだろうな……交際前は怪しいぐらい何もしてこなかったというか意外なほど誠実だったけど、そういう話題は好きそうな感じだったからいつ誘ってきてもおかしくない……もう私から誘った方が……? いや、こっちがガツガツしてそうで嫌だなあ……」
そう考えるカヤ。
「カヤちゃんと……したい……! しかし、カヤちゃんは性的交渉にトラウマを持っている子。本当なら今すぐにでも押し倒したいものですがご法度、迂闊に事に及んでしまってはフラッシュバック等を発症してしまう恐れがありますわ。事は慎重に進めなければなりません。カヤちゃんから誘ってくれれば話は早いものですが…」
なんて思考を巡らすクレナイ。
思いは交わることもなく自己完結、その結果膠着状態となりまともな解決策が出てくることもなく……最終的に、互いが何も言ってこない状態が半月ほど続いたのでした。
マギニア某所に存在する冒険者専用の宿。普通の宿と異なる点は女性しか利用できないということ。男を連れ込むと問答無用で契約解消されます。
受付カウンター横の談話スペースでのんびり過ごしていたコキとワカバの二人に、占いの仕事から帰ってきたスオウが手を振りながら合流しまして。
「占いの料金として酒を貰ったんだけど、アンタたち飲みなさいよ」
そう言いながらテーブルの上にお酒のボトルを置いたのでした。
突拍子のない行動にはすっかり慣れっ子のコキは椅子に腰掛けたまま怪訝な顔でボトルを見て、
「随分とまた唐突ね……スオウって酒が飲めないんじゃなかったの?」
「飲めないわよ。でも依頼人がしつこくって無理矢理押し付けてきたわ。チップの代わりだって」
「ふーむ」
ボトルを手に取りアルコール度数や銘柄などをしっかり確認。その間に隣の席にいたワカバがコキの肩にアゴを乗せ、興味深そうに覗き込んで来ます
「おさけ?」
「そうお酒。見た所普通の果実酒って感じだし有り難く貰っておくわ。最近ご無沙汰だったしたまにはいいかもね」
「コキ、よかったね」
頷くワカバを横目で見るスオウは問いかけます。
「アンタは酒は飲まないの?」
「おさけはたいへんだから、イヤ」
「あら同感。アンタとの共通点がこんなところで見つかるなんてねえ」
ほんの少しだけ嬉しそうに言っておくのでした。
「しかし、私だけでこの量をちびちび飲むのもなあ……他に晩酌できそうな子は」
コキがぼやいた時、奥の階段から一階に降りてくるカヤとクレナイが目に留まりました。
「それでそれで、師はワタクシのために基礎教養をイチから教えてくれたんですの! 無論、男をいかに惨たらしく殺すという方法も!」
「なんとマメなお方で。余計なことまで吹き込んで……」
「カヤ、クレナイ」
世間話をしている二人を呼び止めると、階段を降り切った彼女たちはすぐに足を止めてコキを見るので間髪入れずに続けます。
「二人ともお酒は飲める?」
酒瓶を持ち上げながら問いかけると、二人は一旦顔を見合わせて、
「人並みには飲めますけど」
「ワタクシもですわ〜浴びるほど飲めるかと言われたらそんなことはありませんが」
「ならよかった。スオウが貰ってきたんだけどこの中だと私しか飲める人がいなくて、ちょっと晩酌に付き合ってくれる?」
軽い気持ちで誘ってみれば二人はほぼ同時に頷きまして、
「構いませんよ」
「ワタクシも問題ありませんわ〜お酒だなんて久しぶりですの!」
元気よく答えたクレナイはカヤの隣からひょいっと移動し談話スペースのテーブル前へ。
そして、コキが持っている酒のボトルを上から下までじっくり見て、
「ほうほうこれは……なるほど、ではこれに合いそうなお酒のアテも一緒に買ってきますわ」
「ん? ありがたい提案だけど一緒に……って?」
「これから研ぎに出していた刀を引き取りに行くところでしたの。帰り道にお惣菜屋さんがありますし、良いものを見繕ってきますわよ」
「ああ、今日の探索が終わってすぐに出してやつね。じゃあよろしく」
コキの許可が出たところでクレナイは頷いてから宿の玄関まで足取り軽く進んで行きました。
「あれっ!? クレナイさん? 一緒に行くんじゃ」
とっさにカヤから制止の声が飛び出しましたが、クレナイは玄関を開けて振り返ると、
「お使いぐらいワタクシひとりでも大丈夫ですわ! カヤちゃんは先にお酒を楽しんでいてください。でも、ワタクシの飲む分は残しておいてくださいまし」
そう言ってから外に出てしまいました。
「あら、フラれたわね」
どこか楽しそうにニヤニヤと眺めるスオウの嫌味のような言葉が出て、カヤは肩を落とします。
「…………最近、妙に余所余所しいような気がするんですよ……」
「マリッジブルーってやつ? 気が早いわねえ」
「ま、まだ交際を始めて一ヶ月も経ってないのにこ、こここここここここ婚約なんてそんな!?」
「本当に気が早いわね」
淡々と言い、スオウはカヤの横を通り過ぎようとして……足を止めます。
「にしても、カヤが酒を飲めるなんて意外ねえ」
「そうですかね?」
「そうよそうよ、それに……」
「何ですか」
警戒したカヤは少しだけ身を引きます。スオウが言葉を濁したり話を途中で切ったりする時は決まって、彼女が「面白い」と判断する未来を見た時だからです。
「……やっぱり何でもないわ〜」
カヤの予想通り悪巧みをしていそうなニヤついた顔で今にも笑い出しそうなスオウ。つまり今夜、カヤにとってそれなりに不運な出来事が訪れるということ。未来が見える占い師が見てしまったのですから確定事項と称しても過言ではないでしょう。
「…………」
「何よその顔は」
「……今夜、私の身に何が起こるんですか」
「心配しなくてもいいわ、痛みも苦痛もない話よ、アタシが面白いってだけ」
雑にかわしたスオウは軽い足取りで階段を上がって行きます。これ以上は何も言わず状況をかき回すこともなく静かに去ってしまったのでした。
「慣れなさい、アイツはそういう占い師だから」
黙って立ち尽くすしかないカヤに、コキはそう語りかけるのでした。
クレナイが戻って来るまで待つこともできなかったため、晩酌はコキの部屋で行われることになりました。
「あれ、コキさんの部屋って一人部屋のはずでは」
「ワカバは一人の部屋が嫌でいつも私の部屋に来るから、管理人さんに頼んで二人部屋に変えてもらったの。だから他の子の部屋よりはちょっとだけ広いわ」
「おへや広いよ、おかしあるよ、おいしい」
「……ワカバ、アナタまたベッドの下にお菓子を隠したわね」
ワカバは黙りました。沈黙は肯定の意なのでデコピンを喰らいました。
テーブルの上にワカバが保管していたお菓子とコップに入れた酒が並べられ、ちょっとした晩酌が始まったのでした。
「始めてお酒を飲んだ時は自分の限界の量が分からなくて苦労した覚えがあります」
別室から持ってきた椅子に腰掛けたカヤは照れ臭そうに言うと、ベッドサイドに座るコキは頷き返します。
「あーわかるわかる、私もやらかしたなあ」
「二日酔いになって始めて自分の規定量を学びました」
「きてーりょ」
お酒が飲めないワカバですが何食わぬ顔で立ったままテーブル上のお菓子を食べています。止める者もいないので手は止まりません。
「ワカバさんはどうしてお酒が飲めないんですか? 味が苦手とか?」
「おさけをのむと、たくさんたべるから」
「過去の失敗から学んだということですか」
「う」
ワカバが頷き、コキが額を抑えます。
「アーモロードにいた時にやらかされたことがあったんだけど本当に大変だった……食べ物も食べ物じゃないモノも口に入れるわ人のモノを奪うわ私の腕も足もかじりまくるわ……」
「大惨事……」
自制心を失ったワカバの恐ろしさを想像したカヤは青ざめつつも深くは考えないことにします。思考すればするほど同情しか抱けなくなり、虚しくなるからです。
過去の思い出や愚痴、世間話などを続けていく中で口にする酒の量も比例して増えていきます。普段は酒の力を借りて腹を割って話す機会が滅多いないためか、会話はどんどん弾んで飲酒量も増えて……。
瓶の中にある酒の量が半分を切った頃、
「…………」
カヤは空になったコップを掴んだまま、顔を真っ赤にしてフラフラになっていました。
「カヤ、赤いね」
お菓子を平らげたワカバがベッドに寝転がりながら言えば、コキは顔を引きつらせて、
「の、飲ませすぎちゃったかしら……? え、カヤってアルコールに弱かったの? そこまでアルコール度数が強くない酒なのに」
「カヤおかしたべてないよ、ぜんぶわたしにくれたよ」
「言われてみれば食べてないわねあの子?! まさかそれで酔いが回って……」
蒼白した時、カヤは首の座ってない赤子のように頭をフラフラさせながらも、コップをテーブルの上に置きました。
そして、目が据わってない状態でコキを見ます。
「……コキさん……」
「どうしたの? 気分が悪くなったのなら無理せずトイレに」
「大丈夫……れす、そりょり聞きたいこと、あり、ましゅ」
「呂律が回ってない状態を見て大丈夫だと判断できないんだけど」
心配そうに声をかけてもカヤはお構いなしに言葉を続けます。
「コキさんって恋人、いたんでふよね?」
「忌まわしい過去だけど」
コキは即答で答えました。吐き捨てるように。
変化に気付いた隣のワカバが心配そうな表情でコキを見つめている中、カヤは問います。
「性行為っていつぐらいからしてまひた?」
刹那、コキはベッドサイドからずり落ちました。床に尻餅をつきました。
「コキ、大丈夫?」
ベッド上からワカバの心配そうな声が届き、
「だ、大丈夫よ大丈夫……カヤの口からこんな話題が出るなんて思ってなかったから驚いただけ」
お尻を労りつつ立ち上がった次の瞬間、カヤはテーブルを強く叩きます。
「私らって成人してるんへふからそりぇぐりゃい言いましゅ!」
なんて講義、勢い余った頭がフラフラと前後に揺れていて、完全に泥酔していると物語ってくれました。
「ああもうフラフラじゃない……今日はもう部屋に戻って寝た方がいいわよ?」
「ふりゃふりゃして……ましぇんし、クレナイさんはありぇで……」
もはや会話が成り立ちません。これにより、コキは苦い顔を浮かべつ額を抑え、
「やっちまったわね……クレナイが戻ってくる前にカヤを部屋に戻すか……」
「カヤはクレナイとせーこーい、してないの?」
「ちょっとワカバ?」
唐突に話に割り込みとんでもないことを口走ったワカバをコキは二度見。心配そうに見つめていることから、若いカップルの夜の事情に踏み込むという下世話な感情は一切ないと分かります。
頭をフラフラさせ続けているカヤは、
「してないでひゅ……キスしかしてないでひゅ……」
シラフであれば絶対に言わないようなことを淡々と答えてくれたのでコキは目を丸くしまして。
「意外と奥手なのねアイツ……恋仲になったら速攻で喰うのだとばかり」
「カヤ、よっきゅうふまん、コキといっしょだね」
「だからワカバ!?」
「そーなんですよぉ!」
コキの悲鳴に近い絶叫は無視され、カヤの訴えが続きます。
「付き合って半月経つのに抱いてくれないんですよあの人ぉ! なんでなんしゅかねぇ! 私はあの人に何を求められていりゅんでしゅかあ!」
そして、テーブルに伏せてしまいました。その勢いでテーブルをバシバシ叩き始めてしまい、振動が生まれる度に空のコップが軽く浮きました。
嘆くカヤを心配そうに眺めるワカバは、ベッドから降りるとそっと歩み寄り、
「よしよし」
そう言いながら頭を撫でてあげました。自分がいつもコキにされているように優しく労わってあげました。
優しさに触れたカヤはテーブルを叩かなくなりましたが相変わらず顔を伏せたままで、
「わかんないんですよぉ……体がダメなんでしょぉか……? 私らコキさんやワカバさんみたいに体型や肉付きが良くないし……胸もないですし……生傷とか多いし多少筋肉付いてるし胸ないし……」
「よしよし」
湯水のように不満が溢れ出ていますが、心優しいワカバは彼女を労り続けるのでした。
「胸のこと二回も言った……相当気にしてる……」
顔を引きつらせるコキのぼやきは聞かれなかったとか。
カヤを慰め続けるワカバは優しく語りかけます。
「わたしは体、ダメじゃないとおもうよ、カヤはかわいいよ、それだけでいいよ」
「ワカバしゃん……」
ようやく顔を上げたカヤ。自己嫌悪に陥ったためかすっかり涙目になっていて、もう少し気を緩めてしまえば今にも号泣しそうな様子でした。
するとコキは小さく息を吐き、
「アナタの不満はよく分かったから……とにかく今日は休みましょ? その件については私たちがクレナイに言っておくから、ね?」
「コキさん優ひい……でふね、じゃあやしゅみましゅ……」
イスから立ち上がったカヤですが泥酔状態のためうまく立つこともままならず、一度体を後に逸らしてから前に倒れ、そのままコキに抱きつきました。
「おっと危ない」
床に倒れてしまわないようしっかり受け止めると、胸元にカヤの顔が当たりました。
「……」
「カヤ?」
「抑えていても“胸”と分かるぐらいあるなんて……」
「カヤぁ?」
勝手に自己嫌悪に陥ってしまい、動かなくなってしまいました。
「ちょ、ちょっと……その体制で動かなくなるのは困る……」
「ただいま戻りましたわ〜! シエナちゃんと会って話し込んでしまいまして!」
まるで狙ったようなタイミングでクレナイ帰還。腰に刀を下げ、片手には惣菜屋で買った揚げ物が入った袋を持ち、コキに抱きついているカヤを見て、
「なんて羨ましい!!」
絶叫。声の大きさに驚いたワカバが少しだけ震えました。
「帰ってきたわね身元引受人。この子を預かって頂戴」
一切動じないコキはカヤを抱き止めたままクレナイを見据えていました。
「ってコキ、ワタクシにカヤちゃんとの仲良しスキンシップを見せつけて何が目的なんですの?」
「アナタが想い描いているアレコレは一切ないから! 泥酔している子を支えているだけだから!」
「泥酔?」
首を傾げるクレナイに伝えるように、ワカバは黙ってカヤを指します。
「カヤちゃんが!? どうして!?」
「完全にカヤの自己管理の甘さというかなんというか……まあとにかく、恋人として介抱よろしく」
抱きついたままのカヤの肩を掴んで剥がしますが、支えを失い立つ力も僅かしか残っていないカヤは傾れ込むようにクレナイに正面から抱きついたのでした。
「おっとっと」
クレナイは片手だけでしっかり受け止めると、自身の肩に頭を乗せたカヤに困惑しつつも声をかけます。
「カヤちゃんどうしたんですの? そんなにお酒に弱かったんですの?」
「弱くないレフ」
「れふ?」
呂律の回っていない言葉にきょとんとするしかありませんでした。
すると、ワカバが歩き出してクレナイの前へ来て、
「お手伝いするね、お部屋あける」
「まあまあワカバちゃん! とっても助かりますわ〜」
「うん、だから」
「分かってますわよ、食べてくださいまし」
そう言われてお惣菜が入った袋を受け取ったワカバは満足そうに頷いた後、クレナイの横を通り過ぎて先に部屋から出て行ったのでした。
どこか軽い歩調で去っていく少女を笑顔で見届けた後、
「それにしても、カヤちゃんをこんなに酔わせてしまうだなんて……何を考えていますの?」
と、コキを見据えて言いました。言葉に不満を滲ませながら。
当然の言い分でしたがコキは首を振りつつため息を吐き、
「半分ぐらいはカヤの自己責任だから……飲ませてしまった私に原因があるのは認めるけど、たぶん半分ぐらいはアナタのせいよ」
「ワタクシ?」
「二人きりになって話を聞けば嫌でもわかるから覚悟しておきなさい。アナタの真意は知らないけど、カヤの気持ちも考えてあげて」
「なんの話をしてますの?」
思い当たる節が全くないと言わんばかりの動揺にコキは呆れ顔を浮かべるだけ。
「うーえー」
そして、特に意味のないカヤの呻き声がしたのでクレナイは我に帰ります。
「あらあらよしよしカヤちゃん、私の部屋で休みましょうそうしましょう」
「やしゅみましゅー」
そう言い残し、二人一緒に部屋から出て行ってしまいました。
一人取り残されたコキ、ベッドサイドに再び腰を落とすと大きなため息を溢したのでした。
自室にカヤを連れ帰ったクレナイは大人二人ではやや狭いベッドにカヤを降ろしました。
きちんと手入れされた白いシーツの上に顔を赤らめたままのカヤがころりと転がり、ベッドの真ん中で力なく仰向けに倒れました。
「ふぅえ」
運び始めてから度々、意味のない呻き声のような声が出ていますがクレナイにとっては可愛いカヤの可愛い一面として受け取っているので問題がありません。
ベッドサイドに立ち微笑ましく見守るクレナイは。
「泥酔していてもカヤちゃんは可愛らしいですわ〜でも、こんなに酔っ払ってしまうなんてカヤちゃんらしくありませんわよ?」
「みゅ」
「可愛いお返事ですこと。お水を持ってきますから待っててくださいまし。それを飲んだらすぐに寝ましょうね」
そう言い残し一度立ち去ろうと背を向けますが、
「クレナイしゃん」
「しゃん!?」
呂律の回っていない声で呼ばれ、即座に立ち止まり即座に振り向きました。
「呂律が回っていないカヤちゃんのなんと可愛らしいことか……! って何ですの? 気持ち悪いのですか?」
でしたらすぐにトイレへ……と言いかけたクレナイの言葉と思考を全て止めるセリフがカヤから飛び出ます。
「私のこと、抱かないんですかぁ?」
絶句。
思考も止まってしまい、まるでコカトリスに睨まれ石化した時のように動けなくなってしまいました。
固まってしまった恋人に気遣うこともなく、カヤは目を開けます。据わっていない目を。
「恋人になったのに、キスよりもすごいことをなーんにもしてないじゃないでひゅかあ、クレナイさんってぇ、本番になると怖気付くタイプなんれふかあ?」
カヤが体を起こせば支えを失った頭が振り子のように横に揺れます。
「しょれともぉ、ベタベタしゅるのが好きに見せかけてぇ、苦手だっひゃりしますぅ?」
思考する余裕は取り戻したクレナイ、首を振ります。
「しょーでしゅかあ? あるいは、私はしょんにゃに魅力的じゃにゃい?」
クレナイ、首を何度も横に振ります。強く否定する意志です。
「んー? じゃあなんで? どうしてしないんでふかぁ?」
何度も首を傾げるカヤは、潤んだ瞳を向けて。
「私、ずっとずっと待ってるんですよぉ? クレナイさんとしてみたいなーって思ってりゅんでうしょぉ? 毎日まっていゅのにぃ……」
今にも泣きそうな瞳と普段のカヤからは考えられないぐらい甘えた声。
もはや「可愛い」という簡単な単語では表現できません。自分だけに向けられている優越感充実感感動激動感激諸々……大量の感情の波に飲まれたクレナイの意識はここで完全に覚醒を遂げて、
「うんむ!!」
とりあえず壁に頭をぶつけることで理性を取り戻しました。
「ふぇ?」
目の前で起こった奇行の意味がわからずカヤは間抜けな声を出すのでした。
自傷ダメージを負うことで我に返ったクレナイは床の上に崩れ落ち、床を見つめたまま喋ります。
「あっっっっっっぶなかったですわ……! あのままだったら勢いと欲に飲まれてしまうところでしたもの!? というか今のはなんですの!? ワタクシが見ている都合の良い夢ですの!?」
「ふよよ」
「あ、頭が痛いから夢ではなさそうですわね……し、しかしカヤちゃんがいかがわしいことを口にするなんて、するなんて……どうして……」
痛む体を労る余裕もないまま立ち上がりって再び側に立つと、キョトンとしたまま見上げてくるカヤを見ます。
泥酔状態で顔は赤く目は据わり頭はフラフラさせていて……普段のしっかり真面目なカヤとは思えない意外な側面という様子が非常に可愛らしく見えてクレナイは目眩を覚えました。
「なんてレアなカヤちゃん……ではなくて、あのカヤちゃん? いつもそんなことを思っていたんですの?!」
「うゆ」
「だ、誰かの影響を受けたとかではなく、ご自分で考えて……」
「そうだりょ」
「コキが言っていたのは……そういう……」
「カヤの気持ちも考えてあげて」という言葉が強烈に脳裏を暴れ回ります。小さな疑問が目の前で明確な答えになってしまったのですから。
天井を仰いでいる最中にもカヤはクレナイの袴を引っ張ります。
「ねえねえクレナイしゃん、早くしてくださいよぉ、私、女の子同士のやり方なんてわからないんですよぉ、だから教えてくだしゃいよ〜」
まるでお菓子をねだる子供のように無邪気に、悪意なくねだってくるカヤ。
普段であれば優しく手ほどきをしているところですが、クレナイは奥歯を食いしばりながらカヤの手をそっと離します。
「ありぇ?」
まるで拒絶されているように見えたカヤは大きく首を傾け、再度クレナイを見上げました。
上目遣いがあまりにもあまりにも可愛らしく頭がクラクラし始めたクレナイですが、今の光景を脳裏に焼き付けたい気持ちを抑えて目を逸らし、本能を理性で押さえつけつつ言葉を口にします。
「カヤちゃんそれは、えっと、まずは、ちょっと待って……くださいまし」
「んー? してくれるの?」
「そ、それはワタクシだってカヤちゃんとえっちなことはしたいですけど……その前に教えてください、どうしてワタクシとすることを急かしますの? だって、カヤちゃんは」
「クレナイさんに愛されている実感が欲しいんです」
「え」
間髪入れず答えた言葉に驚き、逸らしていた目を彼女に向けました。
顔は赤く泥酔したままではあるものの、潤む瞳は真剣に恋人の姿を捉えていました。
「家族以外で私のことを愛してくれる人はクレナイさんだけなんでしゅ、女らしくもなくてえ、可愛げもなくって、騎士になってもにゃにもできなかったつまらない女のことを、真剣に愛してくれたのはクレナイしゃんだけなんでひゅ」
呂律の回っていない言葉遣いのまま、カヤは続けます。
「今までいっぱい、いーっぱい愛してもらいまひた……でも、やっぱりまだ足りないんでふ、もっと愛してもらいたいんでしゅ、だから、抱いてもらいたいんでしゅ、アナタのことをもっと感じたい……ぬくもりが、ほしい……」
全てを。
泥酔して心の枷が無くなった今だから、心の奥底にある思いを全て吐露してくれました。
愛を渇望している彼女の嘘偽りのない言葉を、全て。
「クレナイ、さん……」
見上げたまま答えを待つカヤ。泥酔しても真面目な性格なのは崩してないらしく、クレナイの言葉を待ち続けていました。
しかし、クレナイは何も言いません。
「…………」
無言のままカヤの足元にあるシーツに頭からダイブし、上半身だけをベッドに預けた状態になります。
「あれ?」
カヤが首を傾げる最中、
「ああああああああ!! もう何も言わずに抱いてしまいたいぃいぃぃぃぃぃいい!!」
絶叫。
ただし内容はシーツに吸収されてしまったため、カヤの耳には聞き取りにくいふごふごとした声しか届いていません。
「神が! 男を滅ぼすタイプの女神様が仰っていますわ! ここで抱けと! 愛と欲に溢れた淫らな世界にと進んでしまえと! 色々なことを忘れてこの子をムチャクチャに愛して愛に溺れさせて気持ちよくさせて果てろと! ダイレクトに啓示してくださっている! ありがとうございます女神様! アナタのお膳立ては最高ですわ!!」
続けてこうも言っていますがカヤには内容が伝わっておらず、首を傾げるばかり。
「クレナイしゃん? どうかしたんでひゅか?」
「でも!」
「も?」
顔を上げたクレナイはまずベッドから降り、カヤの側のベッドサイドに腰をかけて彼女と同じ目線になります。
そして、
「あのですねカヤちゃん。本当はワタクシだってアナタのことを抱きたいって毎日のように思ってますのよ」
「じゃあ抱いて……」
「でも、ダメです」
「どうして?」
目を丸くさせるカヤを見据え、クレナイは真剣に答えます。
「アナタはかつて、複数の男共から乱暴された過去がある、行為に恐怖を抱いているはずです。心と体に染みついたトラウマは簡単に拭えません。死ぬまで克服できないまま、永遠に恐怖で怯えてしまうという話は珍しくありませんの」
「……」
「そんな状況下でもし、ワタクシとの行為に及んだとしても……ふとしたことでアナタが当時の恐怖を思い出すかもしれません。私はそれが何よりも嫌なんですの」
泥酔している状況でも自身を想ってくれるクレナイの苦悩が、カヤの過去に誰よりも心を痛めている彼女の心情が理解できてしまうからか、カヤは目を伏せました。
「……クレナイさん、私」
「でもね、カヤちゃん」
シーツの上にあるカヤの手に、クレナイの手がそっと重なります。
「ワタクシは抑えて抑えて我慢してきました、全てはカヤちゃんのために……急かしてはいけない、カヤちゃんのペースで行こうと……でも、杞憂だったのですね。カヤちゃんはとっくの昔にワタクシと夜を共にする覚悟ができていたんですもの、とっても、とっても嬉しいですわ……」
顔を上げたカヤは、自分にだけ微笑んでくれるクレナイを見ました。
「クレナイさん……じゃあ、私は、アナタに……」
ゆっくりと顔を近づけて、
「お断りしますわ」
クレナイはすっと立ち上がりキスを回避しました。
「えっ!?」
「酔っ払った人の体を好き勝手したくありません。それに、カヤちゃんがこんな状態なら今日の出来事は明日には綺麗さっぱり忘れているでしょう? それでは意味がありませんわ」
「覚えてましゅ」
「いいえ、絶対に覚えていません。女の子同士のやり方も教わりたいのでしょう? なら、お酒が抜けて記憶が残る時にした方が良いに決まっていますわ」
「むむ……」
不満しかない声が漏れますがクレナイはすでに限界でした。理性が崩壊寸前まで追い詰められているので。
明日、カヤちゃんが二日酔いになってなければ行為に誘おうそうしようと決意を固め、涙を堪え一歩踏み出します。
「ではお水を汲んできますので、それを飲んで寝ましょうねカヤちゃん」
「クレナイさん、あの、ちょっと……」
「はいなんでしょうクレナイですわよ」
早口で言いつつ振り向き様に飛び込んできたのは、ワイシャツのボタンを外し始めたカヤでして、
「はへっ?」
奇声を上げるクレナイなど気にせずワイシャツのボタンを全て外したカヤがさっさとそれを脱ぎ捨てれば、あっという間に平らな山を隠すサラシだけの姿に。
更にこのままズボンにも手をかけようとするではありませんか。
これ以上はいけない。
理性と本能の狭間で揺らぐ精神の中でその判断を下すことができ、即座にカヤの元に戻って、
「カヤちゃんストップ!!」
彼女にとっては大変刺激的な姿になっているカヤの腕を掴み、これ以上の脱衣を阻止しました。
「何を考えていますの何を考えていますの何を考えていますの何を! 考えていますの!?」
絶叫に近い声量で訴えますがカヤはどこ吹く風、
「抱いてもらいたいから脱いでまひゅ」
「だから! 今日はしませんって!」
「イヤです、今日したいでふ」
「嫌とかではなくって……」
カヤが真面目で頑固者で自分の意見を貫き通したいタイプの人間なのは知っていました。そういうところも好きだから。
空気を読んで意見を引っ込めることもあるけれど今回の意地は大変よろしくありません、理性と倫理に。
「今すぐに手を離して、そして脱衣をやめてください! 明日しますから! 絶対に誘いますから!」
クレナイ必死、理性の灯火が消える寸前だというのにカヤから目を離すこともできません。消えかけの理性を更に弱めていくとわかっているのに。
「明日になったら私はわひゅれているので約束したって意味ないでひゅ」
淡々答えたカヤ。酔っ払いと自覚している立派な台詞ですが今までの言葉を考えると見事に矛盾していました。
「先程は覚えていると言ってたでしょう……とにかくシャツを着てくださいまし」
「シャツを着たらしてくれまふか?」
「したいけどしません」
「むう」
クレナイが手を離し、カヤは頬を膨らませつつも脱ぎ捨てたワイシャツを掴みました。
「ふう、ようやく分かってくれましたか……やはり対話とは偉大ですわ。適切な会話をすれば大抵の問題は解決しますし誰も傷つきませんから」
ホッと息を吐いたのも束の間、
カヤはこの隙にとサラシを緩めて全て外し、ベッドの下に捨てました。
「ぼ」
驚愕している間にワイシャツを着ました。ただしボタンはかけません。
「ち、ちょ、ってと、カヤちゃん……?」
「さらひ着けたまま寝ひゃら寝苦しいじゃないふぇすか」
「そ、それは確かにそうですわね……眠る時はリラックスできる服装が一番なのはそうですし……あれ、でもカヤちゃんって寝る時は」
頭の中を整理している最中にもカヤはズボンを下着ごと素早く脱ぎ、またベッドの下に投げ捨てました。
「み゛」
驚くほど濁音が出ました。
几帳面なカヤがそんな乱雑な脱ぎ方をするよりも、あっという間にストリップになってしまったことの方が遥かに衝撃が大きい。
一応、何度か一緒にお風呂に入ったことはあるため互いの裸体を見たことはありますが、風呂場で見る裸体よりも魅力的に映ってしまうのは、ここが自室かつベッドの上だからでしょうか。
「邪魔なので脱ぎましたあぁ」
身に纏っている物がボタンが全て外れているワイシャツだけ姿になったカヤは、へらへらと笑っていました。
抱いてもらいたいから大胆な真似をしているという計算なのか、寝るために衣服を脱いで半裸になっている素の行為なのか……。
酔っ払いの真意は不明ですがもしかすると、カヤは天性の小悪魔なのかもしれません。
「えっ…………と……」
制止する勢いも熱も失ってしまったクレナイ。カヤから目が離せません。
下着は全てベッドの下でワイシャツだけ、ボタン全開のシャツの間から見える素肌、慎ましい胸、シャツの丈が長いですが下は見
「できました〜抱いてくださいよぉ」
甘い声が目の前から響いたお陰で意識が戻り、顔が上がります。
「ね、寝るんじゃなかったんですの……? やはり天性の……いえ、だから、ダメですって」
「なんでですかぁ? 何が足りないんでしゅかぁ?」
「だからその、足りないとかそういうのではなく倫理と理性が」
酔っ払いに説得なんて不可能だと分かっていますが言葉をかけずにはいられません。
この場から逃げるという選択肢はあるのですが、このようなカヤの淫らな姿、二度と見れないかもしれないと思うと背を向けることもできず。
「じゃあ……」
硬直している最中にカヤはクレナイの右手首を掴みます。
そして、自身のワイシャツ越しの胸に押し当てたではありませんか。
「ピぃッ!?」
クレナイから高い悲鳴が発生。
「えへ、へ……どうですか、クレナイさん……」
恋人が色々と大変なことになっていると思っているのかいないのか、カヤは微笑んでいます。もっともっと触れても良いと語りかけるように。
「直接、触って……みますかぁ?」
色気のある甘い声。
泥酔していないいつものカヤの口からは出たことはなく、出るとも考えてなかったような声が耳の中でとろけていきました。
「ちょ、か、カヤちゃん……!?」
膨らみはほとんどない本当に慎ましい胸でも、クレナイにとってはこれ以上に魅力的で、なけなしの理性を粉微塵にする起爆剤はありません。
「これ以上は、これ、以上……は……」
頭がクラクラして背中がぞくりと震えます。
考えてはいけない、今ここで彼女の感触に浸ってはいけない、もっともっと知りたくなってしまうから、直接触れたことはあまりないから、どこまでも知りたくなって触れてみたくなって……怖いもの知らずの子供のように好奇心が抑えられなくなってしまう。
外も中も上も下も全てを知って、見て、聞いて、感じてしまいたい欲求が抑えられなくなってしまうから。
「あー……やっぱり揉みごたえがないとつまらないでしゅよね……」
ぴくりとも動かなかった手を見てそう解釈したのか、カヤはつまらなさそうに視線を落としました。
「つ、慎ましい胸もそれはそれで魅力的、で、してよ……」
ギリギリの理性を保ちつつも慰めますが本当に限界です、魔物を斬ってないのに目は血走り息は荒く言葉を出すのもやっとといった状況。口を閉じている間は奥歯を噛み締めることで理性を保っていました。
「そうですかぁ? よかったあ、ほらクレナイさん、今がチャンスですよぉ? 押し倒したりしないでふかぁ?」
「だ、だから抱きません……って……」
手を払い除けようにもすごい力で掴まれているせいかぴくりとも動きません。鍛錬を詰んだショーグンであっても騎士の腕力には敵わないということなのか、それとも本気で振りほどくこともできなくなるほど追い詰められているのか。
「抱かないんですかぁ?」
「抱きま、せ、ん……」
「私がこぉんなにサービしゅしゅるおって、これっきりかもひれなんでひゅよぉ?」
「ぐっ……み、魅力的、ですが……一度、決めたことを……覆したく、ありませんわ……」
「そぉなんですかぁ……」
と、カヤは胸に押し付けていた手を離してくれました。
これで解放されると安渡したのも束の間、
クレナイの手首を掴んだまま、それを自身の太ももへ触れさせたではありませんか。
「ピえッ!?」
驚きすぎて高い声が裏返りました。
「こっちの方が良いってことでしゅねぇ?」
普段は重鎧を着ているカヤの体は女性らしい柔らかさはなく逞しいというのに、すべすべとして手触りは良い、肌はしっかり手入れしているのでしょう。
触れるだけならダメージは少なかったものの、クレナイの手首を掴んだカヤの手はすいすいと太ももを進んでいき、彼女の足の付け根に行きそうで。
つまりは、
「ままままままままま待ってくださいましカヤちゃんそれは本当に」
手がワイシャツの下に入る直前で力を入れることで進行の阻止に成功。
“そこ”に触れてしまったらもう、本当に後戻りができなくなってしまうと、今にも暴れ出しそうな本能が告げたので。
途端にカヤは悲しい表情を浮かべて、
「クレナイさんに触って欲しいんですぅ……私の、女性として一番大事な場所を……」
上目遣いかつ甘えた声で言ってくるものだからクレナイは下唇を噛み締めるしかありません。血が出てきてもお構いなく。
「ねえ、クレナイさん……」
今すぐ理性なんて投げ捨てて、この可愛い可愛い恋人を抱いてしまいたい、愛に飢えたこの子を愛したい、愛してあげたい、彼女の気持ちに応えてあげたい。
でも、
「カヤ……ちゃん、本当に、ダメ、ですから……お願いですから、離してくださいまし……」
「でもぉ」
「ワタクシだって、今すぐにカヤちゃんを愛したい……ですわ、でも……だからって、無防備すぎる貴女の体を好き勝手にしたくありませんの……そんな暴力的なこと、したく、ありませんの……互いに身体を許す行為というものは互いを愛し、尊重し合うことに意味がありますわ……そこに暴力など、一方的な快楽など、あっては、いけません……」
泥酔したカヤと行為に及んだとしても、それは“相手が弱い立場であることを良いことに身体を穢した”ことと同義。
かつて、彼女を陵辱した男たちがしたことと同じ行為に手を染めてしまうのです。
いつか「絶対に自分の手で殺す」と決めた男たちと同類になってしまうこと。
クレナイにとってそれ以上に屈辱的なことなどありません。
「それは、カヤちゃんが一番……分かっているのでは、なくって……?」
「…………」
目を伏せたカヤ。
「カヤちゃん……」
諦めて欲しいと祈るクレナイ。
限界が近い。
このままだと本当に押し倒して欲望をぶつけ、一方的な行為に及ぶ最悪な結末を迎えてしまいます。
アルコールと共にカヤがそれを忘れてしまったとしても、背徳感に苛まれたクレナイは二度と彼女に微笑みかけることができなくなってしまうかもしれません。
そんな未来を迎えたくありません。
「お願い……今日は、諦めて……」
か細い声で訴えかけると、カヤはとうとうクレナイから手を離しました。
「本当に私のことを大切にしてくれてたんですね」
「そっそれはもちろん!」
「ありがとうございます、クレナイさん」
にっこりと微笑んだカヤはそのまま背中からベッドの上に倒れて、
「おやすみなさい」
寝ました。次の瞬間には小さな寝息が聞こえ始めます、早いですね。
「…………」
恐ろしいスピードで寝入ってしまった彼女を眺め、クレナイはしばし呆然とするしかありませんでした。
まるで白昼夢を見てしまったような気分に陥りながら……。
翌朝。
天気は良く小鳥が鳴き冒険者の街らしい賑やかな音が聞こえ始めた頃。
「ふえ、む……」
毛布も被らず眠っていたカヤは目を覚ましました。
「私……いつの間に眠って……?」
身体を起こしつつ昨日までの出来事を振り返ります。コキとお酒を飲みながらクレナイの帰りを待ち、世間話とか愚痴とかの話が弾んでお酒が止まらなくなって……。
「……あれ?」
それ以上遡ろうとしても何も思い出せず、腕を動かそうとして、
「ん……?」
ふと違和感を覚え、視線をもう少しだけ下げてみます。
今、現在、進行形で、ボタンが全て外れているワイシャツしか着ていないではありませんか。
「はっ!?」
その上、見るまでもなくサラシも下着も全てなく半裸のような状態、脱いだ記憶など一切なく眠気は吹き飛び、軽いパニックに陥ってしまうのも当然。
「なんで!? なん、で……!? なんでぇ!?」
状況を確認しようと周囲を見れば、部屋に置いてある小物や窓から見える外の景色から自室でないことに気がつきます。
「こ、ここ、クレナイさんの部屋……? え、なんで、どうして私……いや、クレナイさんは!? というか服は!?」
着替えを探そうとしてベッド周りに視線を向けると、見えたのはかつて自分が着ていた服や下着たちが散乱しているだらしない情景と。
「………………」
床の上にうつ伏せになって倒れているクレナイを見てしまったではありませんか。
「……はぁ?」
意味がわからずぽかん。
「ふわ」
クレナイの体がぴくりと動き、のそのそと鈍い動きで身体を起こし始めます。
カヤが慌ててワイシャツのボタンをいくつか閉めて簡易的に前を隠していると、立ち上がったクレナイが非常に疲れ切った顔を向けて、
「あら……カヤちゃん、起きましたの……?」
「え、あ、はい……おはよう、ございます……ええと、この状況はどういう」
足を閉じつつ青ざめながら尋ねると、クレナイはカヤから視線を外して遠くを見ます。
「カヤちゃん、昨夜は酔っ払ってしまったので介抱していただけですわ……ご心配していることは一切起こってないのでご安心くださいまし……」
必要な情報だけを教えてくれたのは良いものの、いつもの高いテンションや女の子を愛でる姿勢はどこにもありません。相当疲弊しているのだと分かります。
「それはまあ、クレナイさんのことは信頼しているのでそういうのは無いって分かりますけど……ええと、かなりご迷惑をかけてしまったようで……すみません……」
「良いのですよ。カヤちゃんがかけてくれる迷惑など私にとっては迷惑でも何でもありません。全ては悦びに変換されますから」
「よかったいつものクレナイさんだ……」
安心するのも束の間、クレナイはカヤに背を向けてドアへと足を進めます。
「朝ご飯を買ってきますわ……カヤちゃんはそこで待っていてくださいまし……ところで、体調の方は大丈夫ですの?」
「ええ、記憶が無くなるほど飲んだのだとは思いますが、そうとは思えないぐらい頭が冴えています」
「よかったですわ……では、着替えて待っていてくださいね」
「あの、私の介抱をして疲れているのでしたら外に出ずに休んだ方が」
「外の空気を吸っておきたいのでお気遣いなく……」
そう言ってドアノブに手を触れて。
「そういえば、ひとつ、確認したいことがありますの……」
「な、なんですか?」
普段とは違う声色と雰囲気を少しだけ怖く感じてしまい、カヤが少しだけ身を引きましたがクレナイは構わず、
「カヤちゃんは……ワタクシとセックスしたいなって思ってますの?」
と、言われてしまい。
「……」
カヤは絶句して。
「……」
今の言葉を頭の中で何度か繰り返して飲み込んで。
「……」
理解と同時に自身の言葉を失って。
「……ふぁいぃ?!」
顔を真っ赤にして悲鳴にも似た声しか出せませんでした。
「あ、あっ、ああ、朝から貴女はなに、何を何を何を何を何を何を何を」
本日二度目のパニック到来。悲鳴以外の言葉を出そうにも同じことを繰り返すことしか頭が動きません。彼女の質問には答える余裕はありませんでした。
すると、
「カヤちゃん」
静かに名を呼んだクレナイは振り返り。
「……教えて」
真剣さの中に悲しさも含んだ顔で訴えました。
欲望しか感じ取れない下心はなく、カヤの心の内を伝えて欲しいと訴えかける眼差し。普段のクレナイとは異なる真剣な表情。
「…………」
今の彼女には真摯に向き合わなければならないと気持ちを改めたカヤは一度、大きく息を吐きます。
「思ってますよ……クレナイさんとせっ……“そういうこと”したいって、気持ちは確かにあります」
「……どうして今まで黙ってましたの?」
カヤの肩が少しだけ震え、クレナイから目を逸らしてしまい、
「自分から言い出すのが少し、恥ずかしくて……そもそもこういうのって私から言い出していいのか分からないというか、いつかクレナイさんから言ってくるんだろうなって甘えてたのも、あって……ええと……」
途中から口篭ってしまいましたが言いたいことは伝わったのでしょう、クレナイは納得したように大きく頷きます。
「なるほど……分かりましたわ。ワタクシもカヤちゃんのことを考えてそういう話題はしないように気遣っていたのですが……不要だったということですね。理解、しましたわ。ごめんなさいカヤちゃん」
「そんな、クレナイさんは私の過去のことも踏まえて気遣ってくれていただけなのに……」
「お互いがお互いを大切に想っているが故のすれ違いですしこれ以上の謝罪は不要でしょう。お互いの意見は一致しているのですから、ワタクシたちは」
カヤが顔を上げ、クレナイは疲れが残った顔で微笑みます。
「では今夜……今夜にしましょうか。私たちの初夜を、今日、ここで」
「…………」
一旦、カヤは絶句して。
「ふえっ!? は、はいっ!」
即座に背筋を伸ばし、よく通る返事をしました。
「ふふ、では今日の夜を楽しみに待っていてくだいねカヤちゃん……ワタクシは準備と休息を万全に済ませて臨みますので……貴女は身を清めて、爪をキレイに切り揃えてからワタクシの部屋に来てくださいね」
そう言って、部屋を出ました。
嫌になるほどの静けさが部屋を包み込みますが、それは、いつものマギニアの朝と何ら変わりません。
「……」
カヤは、まるで世界に完全に置いてけぼりにされたような気分に陥りました。
そして、全身の力が抜けたように再びベッドの上に倒れ込むと、顔を覆います。
「昨日の私……何をしたの……」
答えてくれる人はここにはいません。
2024.3.21
若い二人の初々しい交際……やりたいことやしてみたいことが溢れ出てくるような毎日、過去の悲しい記憶を塗り替えるような楽しい日々。
その中で、思うことがありまして。
「クレナイさんのことだから、そろそろ性行為がどうとか言ってくるんだろうな……交際前は怪しいぐらい何もしてこなかったというか意外なほど誠実だったけど、そういう話題は好きそうな感じだったからいつ誘ってきてもおかしくない……もう私から誘った方が……? いや、こっちがガツガツしてそうで嫌だなあ……」
そう考えるカヤ。
「カヤちゃんと……したい……! しかし、カヤちゃんは性的交渉にトラウマを持っている子。本当なら今すぐにでも押し倒したいものですがご法度、迂闊に事に及んでしまってはフラッシュバック等を発症してしまう恐れがありますわ。事は慎重に進めなければなりません。カヤちゃんから誘ってくれれば話は早いものですが…」
なんて思考を巡らすクレナイ。
思いは交わることもなく自己完結、その結果膠着状態となりまともな解決策が出てくることもなく……最終的に、互いが何も言ってこない状態が半月ほど続いたのでした。
マギニア某所に存在する冒険者専用の宿。普通の宿と異なる点は女性しか利用できないということ。男を連れ込むと問答無用で契約解消されます。
受付カウンター横の談話スペースでのんびり過ごしていたコキとワカバの二人に、占いの仕事から帰ってきたスオウが手を振りながら合流しまして。
「占いの料金として酒を貰ったんだけど、アンタたち飲みなさいよ」
そう言いながらテーブルの上にお酒のボトルを置いたのでした。
突拍子のない行動にはすっかり慣れっ子のコキは椅子に腰掛けたまま怪訝な顔でボトルを見て、
「随分とまた唐突ね……スオウって酒が飲めないんじゃなかったの?」
「飲めないわよ。でも依頼人がしつこくって無理矢理押し付けてきたわ。チップの代わりだって」
「ふーむ」
ボトルを手に取りアルコール度数や銘柄などをしっかり確認。その間に隣の席にいたワカバがコキの肩にアゴを乗せ、興味深そうに覗き込んで来ます
「おさけ?」
「そうお酒。見た所普通の果実酒って感じだし有り難く貰っておくわ。最近ご無沙汰だったしたまにはいいかもね」
「コキ、よかったね」
頷くワカバを横目で見るスオウは問いかけます。
「アンタは酒は飲まないの?」
「おさけはたいへんだから、イヤ」
「あら同感。アンタとの共通点がこんなところで見つかるなんてねえ」
ほんの少しだけ嬉しそうに言っておくのでした。
「しかし、私だけでこの量をちびちび飲むのもなあ……他に晩酌できそうな子は」
コキがぼやいた時、奥の階段から一階に降りてくるカヤとクレナイが目に留まりました。
「それでそれで、師はワタクシのために基礎教養をイチから教えてくれたんですの! 無論、男をいかに惨たらしく殺すという方法も!」
「なんとマメなお方で。余計なことまで吹き込んで……」
「カヤ、クレナイ」
世間話をしている二人を呼び止めると、階段を降り切った彼女たちはすぐに足を止めてコキを見るので間髪入れずに続けます。
「二人ともお酒は飲める?」
酒瓶を持ち上げながら問いかけると、二人は一旦顔を見合わせて、
「人並みには飲めますけど」
「ワタクシもですわ〜浴びるほど飲めるかと言われたらそんなことはありませんが」
「ならよかった。スオウが貰ってきたんだけどこの中だと私しか飲める人がいなくて、ちょっと晩酌に付き合ってくれる?」
軽い気持ちで誘ってみれば二人はほぼ同時に頷きまして、
「構いませんよ」
「ワタクシも問題ありませんわ〜お酒だなんて久しぶりですの!」
元気よく答えたクレナイはカヤの隣からひょいっと移動し談話スペースのテーブル前へ。
そして、コキが持っている酒のボトルを上から下までじっくり見て、
「ほうほうこれは……なるほど、ではこれに合いそうなお酒のアテも一緒に買ってきますわ」
「ん? ありがたい提案だけど一緒に……って?」
「これから研ぎに出していた刀を引き取りに行くところでしたの。帰り道にお惣菜屋さんがありますし、良いものを見繕ってきますわよ」
「ああ、今日の探索が終わってすぐに出してやつね。じゃあよろしく」
コキの許可が出たところでクレナイは頷いてから宿の玄関まで足取り軽く進んで行きました。
「あれっ!? クレナイさん? 一緒に行くんじゃ」
とっさにカヤから制止の声が飛び出しましたが、クレナイは玄関を開けて振り返ると、
「お使いぐらいワタクシひとりでも大丈夫ですわ! カヤちゃんは先にお酒を楽しんでいてください。でも、ワタクシの飲む分は残しておいてくださいまし」
そう言ってから外に出てしまいました。
「あら、フラれたわね」
どこか楽しそうにニヤニヤと眺めるスオウの嫌味のような言葉が出て、カヤは肩を落とします。
「…………最近、妙に余所余所しいような気がするんですよ……」
「マリッジブルーってやつ? 気が早いわねえ」
「ま、まだ交際を始めて一ヶ月も経ってないのにこ、こここここここここ婚約なんてそんな!?」
「本当に気が早いわね」
淡々と言い、スオウはカヤの横を通り過ぎようとして……足を止めます。
「にしても、カヤが酒を飲めるなんて意外ねえ」
「そうですかね?」
「そうよそうよ、それに……」
「何ですか」
警戒したカヤは少しだけ身を引きます。スオウが言葉を濁したり話を途中で切ったりする時は決まって、彼女が「面白い」と判断する未来を見た時だからです。
「……やっぱり何でもないわ〜」
カヤの予想通り悪巧みをしていそうなニヤついた顔で今にも笑い出しそうなスオウ。つまり今夜、カヤにとってそれなりに不運な出来事が訪れるということ。未来が見える占い師が見てしまったのですから確定事項と称しても過言ではないでしょう。
「…………」
「何よその顔は」
「……今夜、私の身に何が起こるんですか」
「心配しなくてもいいわ、痛みも苦痛もない話よ、アタシが面白いってだけ」
雑にかわしたスオウは軽い足取りで階段を上がって行きます。これ以上は何も言わず状況をかき回すこともなく静かに去ってしまったのでした。
「慣れなさい、アイツはそういう占い師だから」
黙って立ち尽くすしかないカヤに、コキはそう語りかけるのでした。
クレナイが戻って来るまで待つこともできなかったため、晩酌はコキの部屋で行われることになりました。
「あれ、コキさんの部屋って一人部屋のはずでは」
「ワカバは一人の部屋が嫌でいつも私の部屋に来るから、管理人さんに頼んで二人部屋に変えてもらったの。だから他の子の部屋よりはちょっとだけ広いわ」
「おへや広いよ、おかしあるよ、おいしい」
「……ワカバ、アナタまたベッドの下にお菓子を隠したわね」
ワカバは黙りました。沈黙は肯定の意なのでデコピンを喰らいました。
テーブルの上にワカバが保管していたお菓子とコップに入れた酒が並べられ、ちょっとした晩酌が始まったのでした。
「始めてお酒を飲んだ時は自分の限界の量が分からなくて苦労した覚えがあります」
別室から持ってきた椅子に腰掛けたカヤは照れ臭そうに言うと、ベッドサイドに座るコキは頷き返します。
「あーわかるわかる、私もやらかしたなあ」
「二日酔いになって始めて自分の規定量を学びました」
「きてーりょ」
お酒が飲めないワカバですが何食わぬ顔で立ったままテーブル上のお菓子を食べています。止める者もいないので手は止まりません。
「ワカバさんはどうしてお酒が飲めないんですか? 味が苦手とか?」
「おさけをのむと、たくさんたべるから」
「過去の失敗から学んだということですか」
「う」
ワカバが頷き、コキが額を抑えます。
「アーモロードにいた時にやらかされたことがあったんだけど本当に大変だった……食べ物も食べ物じゃないモノも口に入れるわ人のモノを奪うわ私の腕も足もかじりまくるわ……」
「大惨事……」
自制心を失ったワカバの恐ろしさを想像したカヤは青ざめつつも深くは考えないことにします。思考すればするほど同情しか抱けなくなり、虚しくなるからです。
過去の思い出や愚痴、世間話などを続けていく中で口にする酒の量も比例して増えていきます。普段は酒の力を借りて腹を割って話す機会が滅多いないためか、会話はどんどん弾んで飲酒量も増えて……。
瓶の中にある酒の量が半分を切った頃、
「…………」
カヤは空になったコップを掴んだまま、顔を真っ赤にしてフラフラになっていました。
「カヤ、赤いね」
お菓子を平らげたワカバがベッドに寝転がりながら言えば、コキは顔を引きつらせて、
「の、飲ませすぎちゃったかしら……? え、カヤってアルコールに弱かったの? そこまでアルコール度数が強くない酒なのに」
「カヤおかしたべてないよ、ぜんぶわたしにくれたよ」
「言われてみれば食べてないわねあの子?! まさかそれで酔いが回って……」
蒼白した時、カヤは首の座ってない赤子のように頭をフラフラさせながらも、コップをテーブルの上に置きました。
そして、目が据わってない状態でコキを見ます。
「……コキさん……」
「どうしたの? 気分が悪くなったのなら無理せずトイレに」
「大丈夫……れす、そりょり聞きたいこと、あり、ましゅ」
「呂律が回ってない状態を見て大丈夫だと判断できないんだけど」
心配そうに声をかけてもカヤはお構いなしに言葉を続けます。
「コキさんって恋人、いたんでふよね?」
「忌まわしい過去だけど」
コキは即答で答えました。吐き捨てるように。
変化に気付いた隣のワカバが心配そうな表情でコキを見つめている中、カヤは問います。
「性行為っていつぐらいからしてまひた?」
刹那、コキはベッドサイドからずり落ちました。床に尻餅をつきました。
「コキ、大丈夫?」
ベッド上からワカバの心配そうな声が届き、
「だ、大丈夫よ大丈夫……カヤの口からこんな話題が出るなんて思ってなかったから驚いただけ」
お尻を労りつつ立ち上がった次の瞬間、カヤはテーブルを強く叩きます。
「私らって成人してるんへふからそりぇぐりゃい言いましゅ!」
なんて講義、勢い余った頭がフラフラと前後に揺れていて、完全に泥酔していると物語ってくれました。
「ああもうフラフラじゃない……今日はもう部屋に戻って寝た方がいいわよ?」
「ふりゃふりゃして……ましぇんし、クレナイさんはありぇで……」
もはや会話が成り立ちません。これにより、コキは苦い顔を浮かべつ額を抑え、
「やっちまったわね……クレナイが戻ってくる前にカヤを部屋に戻すか……」
「カヤはクレナイとせーこーい、してないの?」
「ちょっとワカバ?」
唐突に話に割り込みとんでもないことを口走ったワカバをコキは二度見。心配そうに見つめていることから、若いカップルの夜の事情に踏み込むという下世話な感情は一切ないと分かります。
頭をフラフラさせ続けているカヤは、
「してないでひゅ……キスしかしてないでひゅ……」
シラフであれば絶対に言わないようなことを淡々と答えてくれたのでコキは目を丸くしまして。
「意外と奥手なのねアイツ……恋仲になったら速攻で喰うのだとばかり」
「カヤ、よっきゅうふまん、コキといっしょだね」
「だからワカバ!?」
「そーなんですよぉ!」
コキの悲鳴に近い絶叫は無視され、カヤの訴えが続きます。
「付き合って半月経つのに抱いてくれないんですよあの人ぉ! なんでなんしゅかねぇ! 私はあの人に何を求められていりゅんでしゅかあ!」
そして、テーブルに伏せてしまいました。その勢いでテーブルをバシバシ叩き始めてしまい、振動が生まれる度に空のコップが軽く浮きました。
嘆くカヤを心配そうに眺めるワカバは、ベッドから降りるとそっと歩み寄り、
「よしよし」
そう言いながら頭を撫でてあげました。自分がいつもコキにされているように優しく労わってあげました。
優しさに触れたカヤはテーブルを叩かなくなりましたが相変わらず顔を伏せたままで、
「わかんないんですよぉ……体がダメなんでしょぉか……? 私らコキさんやワカバさんみたいに体型や肉付きが良くないし……胸もないですし……生傷とか多いし多少筋肉付いてるし胸ないし……」
「よしよし」
湯水のように不満が溢れ出ていますが、心優しいワカバは彼女を労り続けるのでした。
「胸のこと二回も言った……相当気にしてる……」
顔を引きつらせるコキのぼやきは聞かれなかったとか。
カヤを慰め続けるワカバは優しく語りかけます。
「わたしは体、ダメじゃないとおもうよ、カヤはかわいいよ、それだけでいいよ」
「ワカバしゃん……」
ようやく顔を上げたカヤ。自己嫌悪に陥ったためかすっかり涙目になっていて、もう少し気を緩めてしまえば今にも号泣しそうな様子でした。
するとコキは小さく息を吐き、
「アナタの不満はよく分かったから……とにかく今日は休みましょ? その件については私たちがクレナイに言っておくから、ね?」
「コキさん優ひい……でふね、じゃあやしゅみましゅ……」
イスから立ち上がったカヤですが泥酔状態のためうまく立つこともままならず、一度体を後に逸らしてから前に倒れ、そのままコキに抱きつきました。
「おっと危ない」
床に倒れてしまわないようしっかり受け止めると、胸元にカヤの顔が当たりました。
「……」
「カヤ?」
「抑えていても“胸”と分かるぐらいあるなんて……」
「カヤぁ?」
勝手に自己嫌悪に陥ってしまい、動かなくなってしまいました。
「ちょ、ちょっと……その体制で動かなくなるのは困る……」
「ただいま戻りましたわ〜! シエナちゃんと会って話し込んでしまいまして!」
まるで狙ったようなタイミングでクレナイ帰還。腰に刀を下げ、片手には惣菜屋で買った揚げ物が入った袋を持ち、コキに抱きついているカヤを見て、
「なんて羨ましい!!」
絶叫。声の大きさに驚いたワカバが少しだけ震えました。
「帰ってきたわね身元引受人。この子を預かって頂戴」
一切動じないコキはカヤを抱き止めたままクレナイを見据えていました。
「ってコキ、ワタクシにカヤちゃんとの仲良しスキンシップを見せつけて何が目的なんですの?」
「アナタが想い描いているアレコレは一切ないから! 泥酔している子を支えているだけだから!」
「泥酔?」
首を傾げるクレナイに伝えるように、ワカバは黙ってカヤを指します。
「カヤちゃんが!? どうして!?」
「完全にカヤの自己管理の甘さというかなんというか……まあとにかく、恋人として介抱よろしく」
抱きついたままのカヤの肩を掴んで剥がしますが、支えを失い立つ力も僅かしか残っていないカヤは傾れ込むようにクレナイに正面から抱きついたのでした。
「おっとっと」
クレナイは片手だけでしっかり受け止めると、自身の肩に頭を乗せたカヤに困惑しつつも声をかけます。
「カヤちゃんどうしたんですの? そんなにお酒に弱かったんですの?」
「弱くないレフ」
「れふ?」
呂律の回っていない言葉にきょとんとするしかありませんでした。
すると、ワカバが歩き出してクレナイの前へ来て、
「お手伝いするね、お部屋あける」
「まあまあワカバちゃん! とっても助かりますわ〜」
「うん、だから」
「分かってますわよ、食べてくださいまし」
そう言われてお惣菜が入った袋を受け取ったワカバは満足そうに頷いた後、クレナイの横を通り過ぎて先に部屋から出て行ったのでした。
どこか軽い歩調で去っていく少女を笑顔で見届けた後、
「それにしても、カヤちゃんをこんなに酔わせてしまうだなんて……何を考えていますの?」
と、コキを見据えて言いました。言葉に不満を滲ませながら。
当然の言い分でしたがコキは首を振りつつため息を吐き、
「半分ぐらいはカヤの自己責任だから……飲ませてしまった私に原因があるのは認めるけど、たぶん半分ぐらいはアナタのせいよ」
「ワタクシ?」
「二人きりになって話を聞けば嫌でもわかるから覚悟しておきなさい。アナタの真意は知らないけど、カヤの気持ちも考えてあげて」
「なんの話をしてますの?」
思い当たる節が全くないと言わんばかりの動揺にコキは呆れ顔を浮かべるだけ。
「うーえー」
そして、特に意味のないカヤの呻き声がしたのでクレナイは我に帰ります。
「あらあらよしよしカヤちゃん、私の部屋で休みましょうそうしましょう」
「やしゅみましゅー」
そう言い残し、二人一緒に部屋から出て行ってしまいました。
一人取り残されたコキ、ベッドサイドに再び腰を落とすと大きなため息を溢したのでした。
自室にカヤを連れ帰ったクレナイは大人二人ではやや狭いベッドにカヤを降ろしました。
きちんと手入れされた白いシーツの上に顔を赤らめたままのカヤがころりと転がり、ベッドの真ん中で力なく仰向けに倒れました。
「ふぅえ」
運び始めてから度々、意味のない呻き声のような声が出ていますがクレナイにとっては可愛いカヤの可愛い一面として受け取っているので問題がありません。
ベッドサイドに立ち微笑ましく見守るクレナイは。
「泥酔していてもカヤちゃんは可愛らしいですわ〜でも、こんなに酔っ払ってしまうなんてカヤちゃんらしくありませんわよ?」
「みゅ」
「可愛いお返事ですこと。お水を持ってきますから待っててくださいまし。それを飲んだらすぐに寝ましょうね」
そう言い残し一度立ち去ろうと背を向けますが、
「クレナイしゃん」
「しゃん!?」
呂律の回っていない声で呼ばれ、即座に立ち止まり即座に振り向きました。
「呂律が回っていないカヤちゃんのなんと可愛らしいことか……! って何ですの? 気持ち悪いのですか?」
でしたらすぐにトイレへ……と言いかけたクレナイの言葉と思考を全て止めるセリフがカヤから飛び出ます。
「私のこと、抱かないんですかぁ?」
絶句。
思考も止まってしまい、まるでコカトリスに睨まれ石化した時のように動けなくなってしまいました。
固まってしまった恋人に気遣うこともなく、カヤは目を開けます。据わっていない目を。
「恋人になったのに、キスよりもすごいことをなーんにもしてないじゃないでひゅかあ、クレナイさんってぇ、本番になると怖気付くタイプなんれふかあ?」
カヤが体を起こせば支えを失った頭が振り子のように横に揺れます。
「しょれともぉ、ベタベタしゅるのが好きに見せかけてぇ、苦手だっひゃりしますぅ?」
思考する余裕は取り戻したクレナイ、首を振ります。
「しょーでしゅかあ? あるいは、私はしょんにゃに魅力的じゃにゃい?」
クレナイ、首を何度も横に振ります。強く否定する意志です。
「んー? じゃあなんで? どうしてしないんでふかぁ?」
何度も首を傾げるカヤは、潤んだ瞳を向けて。
「私、ずっとずっと待ってるんですよぉ? クレナイさんとしてみたいなーって思ってりゅんでうしょぉ? 毎日まっていゅのにぃ……」
今にも泣きそうな瞳と普段のカヤからは考えられないぐらい甘えた声。
もはや「可愛い」という簡単な単語では表現できません。自分だけに向けられている優越感充実感感動激動感激諸々……大量の感情の波に飲まれたクレナイの意識はここで完全に覚醒を遂げて、
「うんむ!!」
とりあえず壁に頭をぶつけることで理性を取り戻しました。
「ふぇ?」
目の前で起こった奇行の意味がわからずカヤは間抜けな声を出すのでした。
自傷ダメージを負うことで我に返ったクレナイは床の上に崩れ落ち、床を見つめたまま喋ります。
「あっっっっっっぶなかったですわ……! あのままだったら勢いと欲に飲まれてしまうところでしたもの!? というか今のはなんですの!? ワタクシが見ている都合の良い夢ですの!?」
「ふよよ」
「あ、頭が痛いから夢ではなさそうですわね……し、しかしカヤちゃんがいかがわしいことを口にするなんて、するなんて……どうして……」
痛む体を労る余裕もないまま立ち上がりって再び側に立つと、キョトンとしたまま見上げてくるカヤを見ます。
泥酔状態で顔は赤く目は据わり頭はフラフラさせていて……普段のしっかり真面目なカヤとは思えない意外な側面という様子が非常に可愛らしく見えてクレナイは目眩を覚えました。
「なんてレアなカヤちゃん……ではなくて、あのカヤちゃん? いつもそんなことを思っていたんですの?!」
「うゆ」
「だ、誰かの影響を受けたとかではなく、ご自分で考えて……」
「そうだりょ」
「コキが言っていたのは……そういう……」
「カヤの気持ちも考えてあげて」という言葉が強烈に脳裏を暴れ回ります。小さな疑問が目の前で明確な答えになってしまったのですから。
天井を仰いでいる最中にもカヤはクレナイの袴を引っ張ります。
「ねえねえクレナイしゃん、早くしてくださいよぉ、私、女の子同士のやり方なんてわからないんですよぉ、だから教えてくだしゃいよ〜」
まるでお菓子をねだる子供のように無邪気に、悪意なくねだってくるカヤ。
普段であれば優しく手ほどきをしているところですが、クレナイは奥歯を食いしばりながらカヤの手をそっと離します。
「ありぇ?」
まるで拒絶されているように見えたカヤは大きく首を傾け、再度クレナイを見上げました。
上目遣いがあまりにもあまりにも可愛らしく頭がクラクラし始めたクレナイですが、今の光景を脳裏に焼き付けたい気持ちを抑えて目を逸らし、本能を理性で押さえつけつつ言葉を口にします。
「カヤちゃんそれは、えっと、まずは、ちょっと待って……くださいまし」
「んー? してくれるの?」
「そ、それはワタクシだってカヤちゃんとえっちなことはしたいですけど……その前に教えてください、どうしてワタクシとすることを急かしますの? だって、カヤちゃんは」
「クレナイさんに愛されている実感が欲しいんです」
「え」
間髪入れず答えた言葉に驚き、逸らしていた目を彼女に向けました。
顔は赤く泥酔したままではあるものの、潤む瞳は真剣に恋人の姿を捉えていました。
「家族以外で私のことを愛してくれる人はクレナイさんだけなんでしゅ、女らしくもなくてえ、可愛げもなくって、騎士になってもにゃにもできなかったつまらない女のことを、真剣に愛してくれたのはクレナイしゃんだけなんでひゅ」
呂律の回っていない言葉遣いのまま、カヤは続けます。
「今までいっぱい、いーっぱい愛してもらいまひた……でも、やっぱりまだ足りないんでふ、もっと愛してもらいたいんでしゅ、だから、抱いてもらいたいんでしゅ、アナタのことをもっと感じたい……ぬくもりが、ほしい……」
全てを。
泥酔して心の枷が無くなった今だから、心の奥底にある思いを全て吐露してくれました。
愛を渇望している彼女の嘘偽りのない言葉を、全て。
「クレナイ、さん……」
見上げたまま答えを待つカヤ。泥酔しても真面目な性格なのは崩してないらしく、クレナイの言葉を待ち続けていました。
しかし、クレナイは何も言いません。
「…………」
無言のままカヤの足元にあるシーツに頭からダイブし、上半身だけをベッドに預けた状態になります。
「あれ?」
カヤが首を傾げる最中、
「ああああああああ!! もう何も言わずに抱いてしまいたいぃいぃぃぃぃぃいい!!」
絶叫。
ただし内容はシーツに吸収されてしまったため、カヤの耳には聞き取りにくいふごふごとした声しか届いていません。
「神が! 男を滅ぼすタイプの女神様が仰っていますわ! ここで抱けと! 愛と欲に溢れた淫らな世界にと進んでしまえと! 色々なことを忘れてこの子をムチャクチャに愛して愛に溺れさせて気持ちよくさせて果てろと! ダイレクトに啓示してくださっている! ありがとうございます女神様! アナタのお膳立ては最高ですわ!!」
続けてこうも言っていますがカヤには内容が伝わっておらず、首を傾げるばかり。
「クレナイしゃん? どうかしたんでひゅか?」
「でも!」
「も?」
顔を上げたクレナイはまずベッドから降り、カヤの側のベッドサイドに腰をかけて彼女と同じ目線になります。
そして、
「あのですねカヤちゃん。本当はワタクシだってアナタのことを抱きたいって毎日のように思ってますのよ」
「じゃあ抱いて……」
「でも、ダメです」
「どうして?」
目を丸くさせるカヤを見据え、クレナイは真剣に答えます。
「アナタはかつて、複数の男共から乱暴された過去がある、行為に恐怖を抱いているはずです。心と体に染みついたトラウマは簡単に拭えません。死ぬまで克服できないまま、永遠に恐怖で怯えてしまうという話は珍しくありませんの」
「……」
「そんな状況下でもし、ワタクシとの行為に及んだとしても……ふとしたことでアナタが当時の恐怖を思い出すかもしれません。私はそれが何よりも嫌なんですの」
泥酔している状況でも自身を想ってくれるクレナイの苦悩が、カヤの過去に誰よりも心を痛めている彼女の心情が理解できてしまうからか、カヤは目を伏せました。
「……クレナイさん、私」
「でもね、カヤちゃん」
シーツの上にあるカヤの手に、クレナイの手がそっと重なります。
「ワタクシは抑えて抑えて我慢してきました、全てはカヤちゃんのために……急かしてはいけない、カヤちゃんのペースで行こうと……でも、杞憂だったのですね。カヤちゃんはとっくの昔にワタクシと夜を共にする覚悟ができていたんですもの、とっても、とっても嬉しいですわ……」
顔を上げたカヤは、自分にだけ微笑んでくれるクレナイを見ました。
「クレナイさん……じゃあ、私は、アナタに……」
ゆっくりと顔を近づけて、
「お断りしますわ」
クレナイはすっと立ち上がりキスを回避しました。
「えっ!?」
「酔っ払った人の体を好き勝手したくありません。それに、カヤちゃんがこんな状態なら今日の出来事は明日には綺麗さっぱり忘れているでしょう? それでは意味がありませんわ」
「覚えてましゅ」
「いいえ、絶対に覚えていません。女の子同士のやり方も教わりたいのでしょう? なら、お酒が抜けて記憶が残る時にした方が良いに決まっていますわ」
「むむ……」
不満しかない声が漏れますがクレナイはすでに限界でした。理性が崩壊寸前まで追い詰められているので。
明日、カヤちゃんが二日酔いになってなければ行為に誘おうそうしようと決意を固め、涙を堪え一歩踏み出します。
「ではお水を汲んできますので、それを飲んで寝ましょうねカヤちゃん」
「クレナイさん、あの、ちょっと……」
「はいなんでしょうクレナイですわよ」
早口で言いつつ振り向き様に飛び込んできたのは、ワイシャツのボタンを外し始めたカヤでして、
「はへっ?」
奇声を上げるクレナイなど気にせずワイシャツのボタンを全て外したカヤがさっさとそれを脱ぎ捨てれば、あっという間に平らな山を隠すサラシだけの姿に。
更にこのままズボンにも手をかけようとするではありませんか。
これ以上はいけない。
理性と本能の狭間で揺らぐ精神の中でその判断を下すことができ、即座にカヤの元に戻って、
「カヤちゃんストップ!!」
彼女にとっては大変刺激的な姿になっているカヤの腕を掴み、これ以上の脱衣を阻止しました。
「何を考えていますの何を考えていますの何を考えていますの何を! 考えていますの!?」
絶叫に近い声量で訴えますがカヤはどこ吹く風、
「抱いてもらいたいから脱いでまひゅ」
「だから! 今日はしませんって!」
「イヤです、今日したいでふ」
「嫌とかではなくって……」
カヤが真面目で頑固者で自分の意見を貫き通したいタイプの人間なのは知っていました。そういうところも好きだから。
空気を読んで意見を引っ込めることもあるけれど今回の意地は大変よろしくありません、理性と倫理に。
「今すぐに手を離して、そして脱衣をやめてください! 明日しますから! 絶対に誘いますから!」
クレナイ必死、理性の灯火が消える寸前だというのにカヤから目を離すこともできません。消えかけの理性を更に弱めていくとわかっているのに。
「明日になったら私はわひゅれているので約束したって意味ないでひゅ」
淡々答えたカヤ。酔っ払いと自覚している立派な台詞ですが今までの言葉を考えると見事に矛盾していました。
「先程は覚えていると言ってたでしょう……とにかくシャツを着てくださいまし」
「シャツを着たらしてくれまふか?」
「したいけどしません」
「むう」
クレナイが手を離し、カヤは頬を膨らませつつも脱ぎ捨てたワイシャツを掴みました。
「ふう、ようやく分かってくれましたか……やはり対話とは偉大ですわ。適切な会話をすれば大抵の問題は解決しますし誰も傷つきませんから」
ホッと息を吐いたのも束の間、
カヤはこの隙にとサラシを緩めて全て外し、ベッドの下に捨てました。
「ぼ」
驚愕している間にワイシャツを着ました。ただしボタンはかけません。
「ち、ちょ、ってと、カヤちゃん……?」
「さらひ着けたまま寝ひゃら寝苦しいじゃないふぇすか」
「そ、それは確かにそうですわね……眠る時はリラックスできる服装が一番なのはそうですし……あれ、でもカヤちゃんって寝る時は」
頭の中を整理している最中にもカヤはズボンを下着ごと素早く脱ぎ、またベッドの下に投げ捨てました。
「み゛」
驚くほど濁音が出ました。
几帳面なカヤがそんな乱雑な脱ぎ方をするよりも、あっという間にストリップになってしまったことの方が遥かに衝撃が大きい。
一応、何度か一緒にお風呂に入ったことはあるため互いの裸体を見たことはありますが、風呂場で見る裸体よりも魅力的に映ってしまうのは、ここが自室かつベッドの上だからでしょうか。
「邪魔なので脱ぎましたあぁ」
身に纏っている物がボタンが全て外れているワイシャツだけ姿になったカヤは、へらへらと笑っていました。
抱いてもらいたいから大胆な真似をしているという計算なのか、寝るために衣服を脱いで半裸になっている素の行為なのか……。
酔っ払いの真意は不明ですがもしかすると、カヤは天性の小悪魔なのかもしれません。
「えっ…………と……」
制止する勢いも熱も失ってしまったクレナイ。カヤから目が離せません。
下着は全てベッドの下でワイシャツだけ、ボタン全開のシャツの間から見える素肌、慎ましい胸、シャツの丈が長いですが下は見
「できました〜抱いてくださいよぉ」
甘い声が目の前から響いたお陰で意識が戻り、顔が上がります。
「ね、寝るんじゃなかったんですの……? やはり天性の……いえ、だから、ダメですって」
「なんでですかぁ? 何が足りないんでしゅかぁ?」
「だからその、足りないとかそういうのではなく倫理と理性が」
酔っ払いに説得なんて不可能だと分かっていますが言葉をかけずにはいられません。
この場から逃げるという選択肢はあるのですが、このようなカヤの淫らな姿、二度と見れないかもしれないと思うと背を向けることもできず。
「じゃあ……」
硬直している最中にカヤはクレナイの右手首を掴みます。
そして、自身のワイシャツ越しの胸に押し当てたではありませんか。
「ピぃッ!?」
クレナイから高い悲鳴が発生。
「えへ、へ……どうですか、クレナイさん……」
恋人が色々と大変なことになっていると思っているのかいないのか、カヤは微笑んでいます。もっともっと触れても良いと語りかけるように。
「直接、触って……みますかぁ?」
色気のある甘い声。
泥酔していないいつものカヤの口からは出たことはなく、出るとも考えてなかったような声が耳の中でとろけていきました。
「ちょ、か、カヤちゃん……!?」
膨らみはほとんどない本当に慎ましい胸でも、クレナイにとってはこれ以上に魅力的で、なけなしの理性を粉微塵にする起爆剤はありません。
「これ以上は、これ、以上……は……」
頭がクラクラして背中がぞくりと震えます。
考えてはいけない、今ここで彼女の感触に浸ってはいけない、もっともっと知りたくなってしまうから、直接触れたことはあまりないから、どこまでも知りたくなって触れてみたくなって……怖いもの知らずの子供のように好奇心が抑えられなくなってしまう。
外も中も上も下も全てを知って、見て、聞いて、感じてしまいたい欲求が抑えられなくなってしまうから。
「あー……やっぱり揉みごたえがないとつまらないでしゅよね……」
ぴくりとも動かなかった手を見てそう解釈したのか、カヤはつまらなさそうに視線を落としました。
「つ、慎ましい胸もそれはそれで魅力的、で、してよ……」
ギリギリの理性を保ちつつも慰めますが本当に限界です、魔物を斬ってないのに目は血走り息は荒く言葉を出すのもやっとといった状況。口を閉じている間は奥歯を噛み締めることで理性を保っていました。
「そうですかぁ? よかったあ、ほらクレナイさん、今がチャンスですよぉ? 押し倒したりしないでふかぁ?」
「だ、だから抱きません……って……」
手を払い除けようにもすごい力で掴まれているせいかぴくりとも動きません。鍛錬を詰んだショーグンであっても騎士の腕力には敵わないということなのか、それとも本気で振りほどくこともできなくなるほど追い詰められているのか。
「抱かないんですかぁ?」
「抱きま、せ、ん……」
「私がこぉんなにサービしゅしゅるおって、これっきりかもひれなんでひゅよぉ?」
「ぐっ……み、魅力的、ですが……一度、決めたことを……覆したく、ありませんわ……」
「そぉなんですかぁ……」
と、カヤは胸に押し付けていた手を離してくれました。
これで解放されると安渡したのも束の間、
クレナイの手首を掴んだまま、それを自身の太ももへ触れさせたではありませんか。
「ピえッ!?」
驚きすぎて高い声が裏返りました。
「こっちの方が良いってことでしゅねぇ?」
普段は重鎧を着ているカヤの体は女性らしい柔らかさはなく逞しいというのに、すべすべとして手触りは良い、肌はしっかり手入れしているのでしょう。
触れるだけならダメージは少なかったものの、クレナイの手首を掴んだカヤの手はすいすいと太ももを進んでいき、彼女の足の付け根に行きそうで。
つまりは、
「ままままままままま待ってくださいましカヤちゃんそれは本当に」
手がワイシャツの下に入る直前で力を入れることで進行の阻止に成功。
“そこ”に触れてしまったらもう、本当に後戻りができなくなってしまうと、今にも暴れ出しそうな本能が告げたので。
途端にカヤは悲しい表情を浮かべて、
「クレナイさんに触って欲しいんですぅ……私の、女性として一番大事な場所を……」
上目遣いかつ甘えた声で言ってくるものだからクレナイは下唇を噛み締めるしかありません。血が出てきてもお構いなく。
「ねえ、クレナイさん……」
今すぐ理性なんて投げ捨てて、この可愛い可愛い恋人を抱いてしまいたい、愛に飢えたこの子を愛したい、愛してあげたい、彼女の気持ちに応えてあげたい。
でも、
「カヤ……ちゃん、本当に、ダメ、ですから……お願いですから、離してくださいまし……」
「でもぉ」
「ワタクシだって、今すぐにカヤちゃんを愛したい……ですわ、でも……だからって、無防備すぎる貴女の体を好き勝手にしたくありませんの……そんな暴力的なこと、したく、ありませんの……互いに身体を許す行為というものは互いを愛し、尊重し合うことに意味がありますわ……そこに暴力など、一方的な快楽など、あっては、いけません……」
泥酔したカヤと行為に及んだとしても、それは“相手が弱い立場であることを良いことに身体を穢した”ことと同義。
かつて、彼女を陵辱した男たちがしたことと同じ行為に手を染めてしまうのです。
いつか「絶対に自分の手で殺す」と決めた男たちと同類になってしまうこと。
クレナイにとってそれ以上に屈辱的なことなどありません。
「それは、カヤちゃんが一番……分かっているのでは、なくって……?」
「…………」
目を伏せたカヤ。
「カヤちゃん……」
諦めて欲しいと祈るクレナイ。
限界が近い。
このままだと本当に押し倒して欲望をぶつけ、一方的な行為に及ぶ最悪な結末を迎えてしまいます。
アルコールと共にカヤがそれを忘れてしまったとしても、背徳感に苛まれたクレナイは二度と彼女に微笑みかけることができなくなってしまうかもしれません。
そんな未来を迎えたくありません。
「お願い……今日は、諦めて……」
か細い声で訴えかけると、カヤはとうとうクレナイから手を離しました。
「本当に私のことを大切にしてくれてたんですね」
「そっそれはもちろん!」
「ありがとうございます、クレナイさん」
にっこりと微笑んだカヤはそのまま背中からベッドの上に倒れて、
「おやすみなさい」
寝ました。次の瞬間には小さな寝息が聞こえ始めます、早いですね。
「…………」
恐ろしいスピードで寝入ってしまった彼女を眺め、クレナイはしばし呆然とするしかありませんでした。
まるで白昼夢を見てしまったような気分に陥りながら……。
翌朝。
天気は良く小鳥が鳴き冒険者の街らしい賑やかな音が聞こえ始めた頃。
「ふえ、む……」
毛布も被らず眠っていたカヤは目を覚ましました。
「私……いつの間に眠って……?」
身体を起こしつつ昨日までの出来事を振り返ります。コキとお酒を飲みながらクレナイの帰りを待ち、世間話とか愚痴とかの話が弾んでお酒が止まらなくなって……。
「……あれ?」
それ以上遡ろうとしても何も思い出せず、腕を動かそうとして、
「ん……?」
ふと違和感を覚え、視線をもう少しだけ下げてみます。
今、現在、進行形で、ボタンが全て外れているワイシャツしか着ていないではありませんか。
「はっ!?」
その上、見るまでもなくサラシも下着も全てなく半裸のような状態、脱いだ記憶など一切なく眠気は吹き飛び、軽いパニックに陥ってしまうのも当然。
「なんで!? なん、で……!? なんでぇ!?」
状況を確認しようと周囲を見れば、部屋に置いてある小物や窓から見える外の景色から自室でないことに気がつきます。
「こ、ここ、クレナイさんの部屋……? え、なんで、どうして私……いや、クレナイさんは!? というか服は!?」
着替えを探そうとしてベッド周りに視線を向けると、見えたのはかつて自分が着ていた服や下着たちが散乱しているだらしない情景と。
「………………」
床の上にうつ伏せになって倒れているクレナイを見てしまったではありませんか。
「……はぁ?」
意味がわからずぽかん。
「ふわ」
クレナイの体がぴくりと動き、のそのそと鈍い動きで身体を起こし始めます。
カヤが慌ててワイシャツのボタンをいくつか閉めて簡易的に前を隠していると、立ち上がったクレナイが非常に疲れ切った顔を向けて、
「あら……カヤちゃん、起きましたの……?」
「え、あ、はい……おはよう、ございます……ええと、この状況はどういう」
足を閉じつつ青ざめながら尋ねると、クレナイはカヤから視線を外して遠くを見ます。
「カヤちゃん、昨夜は酔っ払ってしまったので介抱していただけですわ……ご心配していることは一切起こってないのでご安心くださいまし……」
必要な情報だけを教えてくれたのは良いものの、いつもの高いテンションや女の子を愛でる姿勢はどこにもありません。相当疲弊しているのだと分かります。
「それはまあ、クレナイさんのことは信頼しているのでそういうのは無いって分かりますけど……ええと、かなりご迷惑をかけてしまったようで……すみません……」
「良いのですよ。カヤちゃんがかけてくれる迷惑など私にとっては迷惑でも何でもありません。全ては悦びに変換されますから」
「よかったいつものクレナイさんだ……」
安心するのも束の間、クレナイはカヤに背を向けてドアへと足を進めます。
「朝ご飯を買ってきますわ……カヤちゃんはそこで待っていてくださいまし……ところで、体調の方は大丈夫ですの?」
「ええ、記憶が無くなるほど飲んだのだとは思いますが、そうとは思えないぐらい頭が冴えています」
「よかったですわ……では、着替えて待っていてくださいね」
「あの、私の介抱をして疲れているのでしたら外に出ずに休んだ方が」
「外の空気を吸っておきたいのでお気遣いなく……」
そう言ってドアノブに手を触れて。
「そういえば、ひとつ、確認したいことがありますの……」
「な、なんですか?」
普段とは違う声色と雰囲気を少しだけ怖く感じてしまい、カヤが少しだけ身を引きましたがクレナイは構わず、
「カヤちゃんは……ワタクシとセックスしたいなって思ってますの?」
と、言われてしまい。
「……」
カヤは絶句して。
「……」
今の言葉を頭の中で何度か繰り返して飲み込んで。
「……」
理解と同時に自身の言葉を失って。
「……ふぁいぃ?!」
顔を真っ赤にして悲鳴にも似た声しか出せませんでした。
「あ、あっ、ああ、朝から貴女はなに、何を何を何を何を何を何を何を」
本日二度目のパニック到来。悲鳴以外の言葉を出そうにも同じことを繰り返すことしか頭が動きません。彼女の質問には答える余裕はありませんでした。
すると、
「カヤちゃん」
静かに名を呼んだクレナイは振り返り。
「……教えて」
真剣さの中に悲しさも含んだ顔で訴えました。
欲望しか感じ取れない下心はなく、カヤの心の内を伝えて欲しいと訴えかける眼差し。普段のクレナイとは異なる真剣な表情。
「…………」
今の彼女には真摯に向き合わなければならないと気持ちを改めたカヤは一度、大きく息を吐きます。
「思ってますよ……クレナイさんとせっ……“そういうこと”したいって、気持ちは確かにあります」
「……どうして今まで黙ってましたの?」
カヤの肩が少しだけ震え、クレナイから目を逸らしてしまい、
「自分から言い出すのが少し、恥ずかしくて……そもそもこういうのって私から言い出していいのか分からないというか、いつかクレナイさんから言ってくるんだろうなって甘えてたのも、あって……ええと……」
途中から口篭ってしまいましたが言いたいことは伝わったのでしょう、クレナイは納得したように大きく頷きます。
「なるほど……分かりましたわ。ワタクシもカヤちゃんのことを考えてそういう話題はしないように気遣っていたのですが……不要だったということですね。理解、しましたわ。ごめんなさいカヤちゃん」
「そんな、クレナイさんは私の過去のことも踏まえて気遣ってくれていただけなのに……」
「お互いがお互いを大切に想っているが故のすれ違いですしこれ以上の謝罪は不要でしょう。お互いの意見は一致しているのですから、ワタクシたちは」
カヤが顔を上げ、クレナイは疲れが残った顔で微笑みます。
「では今夜……今夜にしましょうか。私たちの初夜を、今日、ここで」
「…………」
一旦、カヤは絶句して。
「ふえっ!? は、はいっ!」
即座に背筋を伸ばし、よく通る返事をしました。
「ふふ、では今日の夜を楽しみに待っていてくだいねカヤちゃん……ワタクシは準備と休息を万全に済ませて臨みますので……貴女は身を清めて、爪をキレイに切り揃えてからワタクシの部屋に来てくださいね」
そう言って、部屋を出ました。
嫌になるほどの静けさが部屋を包み込みますが、それは、いつものマギニアの朝と何ら変わりません。
「……」
カヤは、まるで世界に完全に置いてけぼりにされたような気分に陥りました。
そして、全身の力が抜けたように再びベッドの上に倒れ込むと、顔を覆います。
「昨日の私……何をしたの……」
答えてくれる人はここにはいません。
2024.3.21
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