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樹海で犯罪者と遭遇した際の対処法

 世界樹の麓に抱かれた数々の迷宮を探索する際、細心の注意を払わなければならない点がいくつか存在します。
 樹海に蔓延る魔物はもちろん、変化しやすい天候、迷宮によって変わる気温、複雑な地形が原因になって起こる転倒、自然の物を誤った工程で口にしてしまった際に起こる中毒症状、未知の感染症……等々。
 このように、魔物だけでなく自然の脅威に注意を払わなければあっという間に全滅、樹海の土に還ることになるでしょう。
 そして、もうひとつ、悪意を持った人間にも注意しなければなりません。
 樹海を探索する冒険者の全てが世界樹の迷宮踏破に情熱を注いでいることは断じてありませんから。
 社会からかけ離れた未知の土地、生きている人間よりも死んでいる人間が多いと称しても過言ではないこの地で同族を見つければ、安心してしまうのは人の性。
 その油断を突き、悪事を働く人間は数多く存在しているもの。金品を奪う山賊行為だけならまだしも、時には人身売買のために拉致したりと、その悪行は数知れず。
 うっかり殺してしまっても、魔物のせいにしてしまえば足はつきません。
 だから皆さんも気をつけましょう。
 樹海で恐ろしいものは魔物だけではないのですから……。





 レムリアの世界樹、第七迷宮某所にて。
 最近、噂になりつつある海の一族について調査を続けていたクアドラ第一パーティが遭遇したのは海の一族のスパイ……ではなく、冒険者でした。
 訳あって単身で樹海に乗り込んだ命知らずな青年……ではありません。
 クアドラ一行が迷宮に入った時点から尾行を続けていたらしく、荷物から睡眠薬やら縄やらナイフやら獣避けの鈴が大量……怪しげな物品が溢れる勢いで出てきたので、その目的は人質を取ってからの強盗と見て間違いないでしょう。
 樹海に入ってから約三時間あまり、誰にもその存在を悟られることなく隙を窺っていたのですから相当な「やり手」です。その手の事情に詳しいヒイロが熱弁してくれたので確実でしょう。
 その青年は今、縄で両手を後ろで縛られた状態で草の上に座っており、更にその縄は木の幹に繋がれているという囚われの身です。
「…………」
 無言で睨む青年がこうなってしまったきっかけは、太陽が空の頂点に登り切りそうな頃にギンがぽつりと溢した台詞。
「針ネズミの針は下味のみを着け、素揚げにすれば美味になることがわかった」
「へ〜! ギンちゃんすげー!」
 間違えました。衝撃的な台詞はこちらの、
「ところで、そろそろ休憩時間だが一緒について来ている奴の分の食料は用意していないぞ」
 でした。
 次の瞬間には強盗含め全員が石化したように固まってしまったのは言うまでもありませんが、素早く行動したアオの瘴気とヒイロの俊敏さに敗北してしまい、このようになってしまったというワケです。
「で? 相手の力量を見誤った感想はなんだ? ん?」
 青年の前で仁王立ちするアオ、青色と赤色の瞳で冷たく見下していました。
「……違う。俺は脅されたんだ。これ以上しくじったら後はないが名誉挽回のチャンスをやる。冒険者を何人か襲って成果を得たら、仲間に戻してやっても構わないってな」
 絶体絶命の状況下に置かれても青年は取り乱さず淡々と語ってくれましたが、
「どうする? 被害者ヅラし始めたよ」
 ルノワールが促すと同時にアオは、
「加害者側が何言ってんだ」
「ギャンッ!」
 手を出さず横腹に蹴りを入れました。彼の辞書に「容赦」と「手加減」の文字はないのですから。
 相手が縛られていてもお構い無しに蹴りを入れたりヒールの角で太腿を踏みつけたりと暴力三昧。どっちが加害者でしょうか。
「わ〜かわいそ〜」
 微塵もそう思ってないルノワールがニヤニヤしながら見ている後ろで、声を上げたのはシエナとヒイロ。
「リーダーやめろよ。そんなにいじめたら可哀想だぞ」
「シエナの言う通りだよ。拷問して吐かせるにも最初から痛めつけるのは良くない、ソフトな痛みから始めて徐々に徐々に痛みのボルテージを上げていくのが鉄則。反抗したり情報を吐かなかったら今よりもっともっと強烈な痛みと苦しみが待っているって体でわからせないと……」
「ひーちゃんなんでそんなえげつねーこと知ってんの?」
 うっかり本職が出そうになったヒイロは慌てて口を押さえ言葉を止めました。
「ひーちゃん?」
 純粋な瞳を向けているシエナの顔はしばらく見れそうにありません。
 反対派の勢いが弱まったところで、すかさずルノワールは尋ねます。
「それでそれでアオ? この人どうするの? 衛兵に突き出すの?」
「当然。悪行ギルドの詳細を吐かせて一度にお縄にしてしまえば、俺たちは情報提供者として幾らかの謝礼が貰えるかもしれないからな」
「またそれかぁ」
 今日も今日とてこのギルドマスターはお金のことしか考えていませんね。大所帯ギルドで家計は常に火の車なので、一エンでも多く収入が得られるなら手段は問わないが彼の生き様です。
 そんな会話をしているものですから、青年は顔を真っ青に染めまして、
「ままっ! 待ってくれ! 衛兵に突き出すのだけは勘弁してくれ! 牢屋は嫌だ! 殺されるよりも嫌だ!」
「嫌って言うならやらなかったらよかったのにねぇ?」
「馬鹿だな」
 返答は驚くほど冷たく視線は呆れ果てていました。最もな言い分なのでヒイロの仲裁も入りません。
「そ、そもそもだな!? 俺は何もしてないじゃないか! 確かに危害を加えようとしたが結局何もできなかった! お前たちには迷惑もかけていない! 見逃す道理はあるだろう!?」
 最初の落ち着きはどこへやら青年は必死です。額に汗がにじみ始め、みるみる余裕が失われていくことがわかります。
 しかし、クアドラのギルドマスターは無情なので。
「確かにお前は俺たちに危害は加えてないが誰かに命令されて俺たちを襲おうとした。それは紛れもない事実だ。違うか」
「ち、違わない……が」
「殺人は依頼した人間も実行した人間も罪に問われるのが人間社会の道理……つまり、お前を犯罪者として衛兵に突き出すのも当然、社会の在り方としては自然な流れになると言える」
「ひっ」
 身震いする青年。このままアオの迫力とどこからともなく流れてくる赤黒い瘴気に圧倒されて言葉を止めてしまえば最期、抵抗できないままお縄にされることでしょうね。
「なっ、にも! されてないならいいだろ!? ちゃんと謝る! 謝って反省して二度とお前たちを襲わないと誓うから!」
「されたされてない謝罪云々は問題じゃない。実行しようとした時点で紛れもなく悪なんだよテメーは。つーか俺の邪魔した時点でアウトだアウト、探索の予定を狂わせやがって。マギニアに戻り次第衛兵に突き出すからな、腹括っとけよ」
 一切許されない展開に青年は愕然とするしかありません、退路は完全に絶たれました。
 青年の処置が決まったところでルノワールは頷いて、
「急ぎの冒険ってことでもないんだけど、予定を狂わされることが嫌いなんだよこの悪の大魔王は」
「誰が悪の大魔王だ」
「じゃあ魔女」
「そのあだ名はやめろって言ってるだろうが!! なんで女じゃねーのに魔女って言われなきゃいけないんだよ!」
 下手をすれば魔物が寄ってきそうなほどのシャウトでした。
 すると、青年は目を丸くして、
「…………女?」
「ここでうっかりお前を殺したとしても魔物にやられたと偽装することだってできるんだぞ」
「ヒイィッ」
 深い海の底よりもドス黒い声色の脅しに青年真っ青。
「アオってヤバいことを無言で実行するんじゃなくてちゃーんと教えてあげてるっていうか脅しに止めることがほとんどだよねぇ、優しいよねぇ〜たまに」
「うるせえ」
 ルノワールの皮肉に吐き捨てるように返す後ろでは、ヒイロがシエナの耳を塞いでいる光景がありました。そろそろ子供に聞かせられない発言が飛び出してきそうなので。
 強盗青年を縛ってから黙っていたギン。レンジャーらしく魔物の襲来を警戒していましたが、
「……ふむ」
 ここで物音を立てず、静かにアオとルノワールの間に入ります。
「待ってほしい」
「どしたのどしたの? 僕の可愛さに関する質問かい?」
「魔物にむやみやたらと食べ物を与える行為は良くないな。人の血の味を覚えてしまえば、それは栄養価のある美味な食物だと学習してしまい、人間を好んで狩るようになる。悲惨なことになりかねないぞ」
「なぁっ……!?」
 真面目に懸念しているように聞こえますが、青年を魔物に食べさせるという前提で話をしているようにしか聞こえません。殺されるよりもむごいことをされてしまう、肉体は土に還らず魔物の血肉となってしまう。
「いっ、ま、待って……」
 怯えつつもなんとか反論しようとしますが、
「その魔物を僕たちで倒してしまえばなかったことになるから問題ないよ」
「なるほど。そうか」
 あっさり解決。絶句している青年はもう気を失いたくて仕方ありません。意識を手放してこの地獄のような現状から解放されたい、今だけでいいから助けてほしい。
「決まってもない物騒な話を着々と進めるんじゃありません!」
 ここで拷問の話をした一番物騒なナイトシーカーがぴしゃりと叱りつけますが当然の如く無視され、悲痛な叫びは森の中に溶けていくのでした。
「リーダーたちが何を言ってるのかはわかんねーけど、俺に聞かせられないようなヤベーことを言ってるのはわかるぞ!」
「ほら! こういうことばっかりしてるからシエナが学習しちゃったじゃん!」
「マギニアに足を踏み入れてから第七迷宮まで苦楽を共にすれば誰だって学習するっつーの」
 吐き捨てるようにアオは言いました。
 それらを眺める青年はこのギルドの力関係が段々と理解できてきました。喩えるなら亭主関白になりたいけど慣れないカカア天下。このギルドマスターは男みたいですが、言わなきゃバレないと思うも、
「あ?」
 ギロリと睨まれ萎縮。きっとこのギルドマスターは地獄耳の持ち主なのでしょう。迂闊な思考すらできなくなってしまった青年は項垂れてしまうのでした。それしかできないから。
「それはともかく食事にしたい」
 青年など心底どうでもいいのか、それとも単にお腹が空いているだけか、ギンが控えめに挙手しつつ提案すれば。
「そうだね。コイツをどうこうするか考える前に腹ごしらえしようよ、食べながらでも考えられるワケだし」
「……それもそうか」
 何をするにもまずはお腹を満たさなければ始まらないというのは彼らの共通認識、青年のことはひとまず後回しにすることにしました。
「…………」
 「強盗未遂を起こした人間の前で飯食うか……?」と、青年は疑問たっぷりの眼差しでクアドラ一行を凝視。
 言葉になっていない疑問の答えは返ってきません。なのでこちらで簡潔に説明すると「食べれるしこのまま青年を放置して帰ることもできる」です。
 もちろん青年は残酷な事実に気づかないままクアドラ一行を眺めるしかできません。今、ヒイロがシエナの耳から手を離しました。
「自由!」
「シエナ、弁当」
「ほいほーい」
 ギンに指示されシエナは荷物から大きな箱を取り出します。ギンが早起きし丹精込めて作ったおにぎり弁当、ちょっと塩が多め。
 そのお弁当箱をギンに渡せば、彼は静かに頷きました。
「よし」
「僕もうお腹ペコペコだよ〜ギン〜今日のおにぎりの中身はなにー?」
「俺も早くギンちゃんのおにぎりが食べたい!」
「…………」
「あれ?」
「ギンちゃん?」
 この中の誰よりも昼食をとることを渇望していた本人がピタリと動きを止め、太陽と同じ方角を睨んでいるではありませんか。
「…………マズいな」
「君のご飯はいつも美味しいよ?」
「そういう意味ではない」
 淡々と言い放った直後、ガサガサガサと勢いよく草木を掻き分ける音とドスドスドスと地響きの音が同時に発生し、全員がギンの言葉の意味を理解した刹那、
 草木の向こうから、魔物が雄叫びを上げながら姿を現したのです。
「いぎゃあああああああああああああああああああ!?!」
 情けない絶叫を発するヒイロは無視し、アオとルノワールは取り乱さず休憩モードのスイッチを切り戦闘思考へ切り替えますが、
「なるほど、外見だけでは判断しにくかったがお前はビーストキングだな? だから魔物が主人の窮地を察知して救出に赴いたというワケか。よくもあんな巨大な魔物を使役できるものだ」
「違う!!」
 ギンだけが勝手に誤解を始めたので青年は全身全霊を持って否定するのでした。
 人間の倍以上の高さを持ったその魔物、今まで見た生物の中で一番近いのは蜥蜴のような爬虫類でしょうか。大きな口には鋭く尖った牙が何十本も生えており、ひと噛みされれば骨ごと粉々に噛み砕かれてしまいそうな印象を嫌でも持たせてくれます。
 手は短く目も小さいですが、巨体のバランスを取るために発達したであろう尻尾は長く、魔物の機嫌を表すように地面に何度も打ち付けられていました。
「駆け寄る襲撃者! FOEだよ!?」
 驚きつつもルノワール、素早く剣を抜いて盾を構え迎撃準備。隣にいるアオに目配せして指示を待つ姿勢。
 アオはすぐに返事をせず木に繋がれたままの青年を見ます。まるで極寒の地に全裸で投げ出されたように震え、歯をガチガチ鳴らしながら魔物を凝視している様を。
「逃げるにもコイツを置いて行けないから迎撃する方針でいくぞ」
 このまますぐに踵を返して逃げてしまえば被害は最小限に済みますが、この魔物が明らかに人間に敵意を持っている以上、青年を放置して去ればそのまま殺されてしまうことでしょう
 FOEに発見され目前まで近づかれた今、青年を解放してやる余裕もなさそうと判断。鎌の柄を握り直し、瘴気の兵装を身に纏います。黒い片翼が背中から生えました。
「このまま見捨てたらマギニアの衛兵共から情報料が得られなくなるからな」
「目の前で死なれたら後味悪いもんねぇ、素直じゃないなぁ」
「うっせ」
 アオの悪態を聞き届けた後、ルノワールは魔物に向かって駆け出します。
 魔物は一直線に向かってきた人間を尻尾でなぎ払おうと、その場でぐるりと回転しますが、
「知ってた!」
 駆け寄る襲撃者の動きは過去の経験からある程度把握できているため、ルノワールはタイミングよくジャンプして回避。
 剣を青色に輝かせ氷の力が集まったのと同時に必殺の凍砕斬を頭頂部に御見舞いしますが、
「硬い!!」
 頭蓋骨は思いの外強硬だったようで、硬い物同士がぶつかる音を響かせてから一旦退きます。
 剣の刃は届かなかったものの、苦手としている氷属性……なおかつ頭部ダメージは魔物を怯ませるには十分だったらしく、魔物は呻き声を上げながら数歩後退。
 周囲に瘴気を撒きつつ様子を見ているアオの目つきは鋭くなるばかり。
「あれはすぐに立て直されるな……シエナは後方に回ってしばらく待機、必要に応じて治療をしろ。魔物になるべく見つからないように気を付けろよ。俺たちだけじゃ守りきれないかもしれないんだからな」
「おっけー」
「ギンは弁当を置いて援護に回れ」
「了解した」
 シエナは肩掛け鞄を抱え直して後ろに下がりギンは弁当箱を持ったまま青年に近づくと、
「これはお前に預ける。命に代えても守ってくれ、頼んだぞ」
 それを横に置いて返事は聞かないまま立ち去ってしまいます。FOEを倒すために、そして美味しいお弁当を食べるために。
「…………」
 無茶振りをされてしまった青年は黙ったままでした。
 そして、
「で、ヒイロ」
「ヒッ!」
 魔物に怯え震え瞳に涙を溜めたヒイロがビクリと震え、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまいます。更に、
「お前はあのFOEに盲目を入れろ。いいか、一発だ、一発で確実に奴の視界を奪え。俺の瘴気の支援がある以上できないとは言わせない、できなかったら……わかるな?」
 一応現メンバー最年長のヒイロ、自分よりも背の低い年下の男に凄まれてしまい、悲鳴も忘れて何度も何度も頷くことしかできません。足元から発生してる瘴気も相まって魔物よりも恐ろしい存在になりつつあります。
「ひい……はい……うん……やる、やる、やりましゅ……」
「よし」
 情けない声色でしたがやる気は出させたので問題ありません。
「うぅう……今すぐ気絶したい気分……」
「気絶するならそれでも構わないが、その瞬間に生き餌作戦にシフトするからな」
「イヤァ!! 美味しく食べられたくないぃぃ!!」
 甲高い悲鳴を上げつつも己の仕事を遂行するためまずは素早く草むらに身を隠したので、アオはさっさと踵を返し、ルノワールの元へ急ぎました。
「やっと来たね。コイツはどう料理してくの?」
「目を潰してから集中攻撃する」
「おっけ〜それじゃあ僕よりも適任者に任せなきゃねぇ」
 呑気に作戦会議をしていますが魔物が雄叫びを上げながら突っ込んできていますよ。
「お〜来た来た、威勢がいいねぇ」
「俺たちが逃げようともせずに堂々としていることに警戒心を持たないものか……」
「ないんじゃない? 魔物だし」
 軽口を叩き合い、魔物との間合いが残り五メートル以下になった刹那、木の上から矢が降ってきました。
 空を裂き、まっすぐ向かって行った矢は魔物の右目命中、悲鳴のような短い鳴き声が上がります。
 突如降ってきた矢に誰も驚きません。なにせ、このギルドには身を隠しつつ矢を射り奇襲することに長けるレンジャーがいますから、天然なのがたまにキズの。
「……ふむ」
 木の上から様子を伺うレンジャーのギンは、すぐに地上のアオとルノワールへ顔を向けた魔物を見て、
「あれでは完全に視界を封じるに足りないな」
 悔しいのか悔しくないのか、感情のこもっていない口調でぼやきました。
 魔物は痛みも気にせず突進を続けようと足を動かし、今度こそアオたちに強襲しようとしますが……今度はその右足にナイフが一本だけ刺さりました。
 小さな痛みに怯んだ魔物はその場に立ち止まり、首を何度も振り続けるではありませんか。
「よし。視界を奪ったな」
「ヒイロがちゃんと仕事をしたねぇ」
 ナイフに塗った特殊な毒により一時的に魔物の視界を奪うことができるナイトシーカーの技術のひとつ。魔物相手に怯えまくり涙目を浮かべながらも的確にナイフを投げた結果、ヒイロは見事に任務を遂行したのです。
「殺さないでください……殺さないでください……殺さないでくださいぃぃ……」
 草むらの向こうで鼻水をすすりながら泣く声で何度も命乞いをしていますが、
「ちゃんと働いて仕事を果たせば死なずに済むから最後までやれ、黙らないと最前線に放り投げるぞ」
「すみませんごめんなさいちゃんとやるから生贄だけは勘弁してぇ!」
「それじゃあ畳みかけますか〜れっつらごー!」
 ルノワールの気の抜いた号令を合図に盲目になった魔物に総攻撃が仕掛けられ、そして。
「がんばれー」
 怪我人が出ない限り暇なシエナは木陰からそっと見守り、手を振って応援し続けるのでした。





 空は赤色に染まり、小鳥ではなくカラスが鳴いて帰宅を促す時間帯。要するに夕方。
 あの巨大な魔物は一行が想定していたよりも非常にタフかつ凶暴で、マギニアではベテランギルドと称されるクアドラでも簡単に仕留めることができませんでした。
 一時的に視界を奪って総攻撃を仕掛け体力を奪ったまではよかったものの、それから毒の通りが悪くなってしまい、状態異常に頼った戦法を主軸にしているアオたちは苦戦を強いられる始末。
 逃げて体勢を立て直そうにも例の青年は放置できませんし、魔物も粘着質な性格なのかどこまでも追いかけてくる執拗さがあった結果、超長期戦を余儀なくされてしまいました。
 仕留めた後も魔物の死体から売れそうな部位を吟味したりといった作業を行い、気がついたら日が暮れていたというワケです。
「あー………………疲れた」
 全てが終わってようやく一息つける余裕ができた時、アオは赤く染まった空を見上げて大きなため息を吐きました。
「今日のは手強かったねぇ」
 いつも通りのトーンで武器を収めるルノワールですが、鎧と盾はボロボロでお気に入りの剣も所々刃こぼれしており、この状態では魔物とまともに戦えることすらできないでしょう。
「死ぬかと思ったよぉ……」
 その横のヒイロ、魔物に殺されるかもしれないという緊張から解放された途端に感情が抑え切れなくなったのか、その場に座り込んでぐしゃぐしゃに泣き始めました。いい年下大人が情けないと思うかもしれませんが、FOE戦の後はいつもこうなので誰も気に留めなくなってしまっています。
 そして、ギンとシエナはテンション高く。
「牙が取れた」
「爪が取れたぞ!」
 魔物から得た素材を抱き抱え満足げに踏ん反り返っていました。
 しかしこれでも激戦の後、二人とも武器も防具もボロボロで気を抜いたら倒れてしまいそうな出立ち。ギンにいたっては髪を縛っているリボンが無く、銀色の長い髪が腰まで垂れていました。
「素材が取れて嬉しいのはよかったけど、いつものチャームポイントはどうしたの?」
「どこかに行ってしまった」
「ほら」
 ルノワールとギンに割り込むように手を出したのはアオでして、差し出した左手にしっかり握ってあったのはボロボロになった藍色リボン……だったらしい布。
「その辺に落ちてたぞ、後は自分で直せよ」
「裁縫は得意だから任せておけ」
「はいはい」
 淡々と行われた受け渡しでしたが、側で見ているだけのシエナには、表情が一切変わっていないギンがどこか心底ホッとしているように見え、ニッコリ笑顔を浮かべたのでした。
「それよりもさあ……」
 良い雰囲気に水を刺すように発言しつつも言葉尻を濁したルノワール。
 彼女の視線の先にあるのは……例の青年でした。
 縛られたままがっくり項垂れ、口から泡を吐いて気を失っている、哀れで少し可哀想な強盗未遂犯。
「この人どうしよ」
「生きてるんだったら持って帰って衛兵に渡す」
 淡々と答えるアオですが目は遠くを見つめています、限界が近い様子。
「おお。弁当は無事だったか。約束通り命に代えても守ってくれたか」
「約束って言うか一方的な命令に聞こえたけどな……俺は」
「でもこれじゃあ仲間の情報とか吐かせられないよ? 現在進行形で泡しか吐いてない」
「もう疲れたから起こさず持って帰る……」
 普段なら青年を叩き起こして情報収集するところですが、ご覧の通りパーティは疲弊しており次に魔物に襲われてしまえば壊滅は必須。樹海に長居できない状態です。
 加えて瘴気の使い過ぎか、長い間神経を尖らせすぎたせいかアオは疲労マックス状態、気を抜いたら倒れそうなほどフラついています。
「なんで君は瘴気の使いすぎてふらふらしてるのさ、人より何倍も強いの持ってるのに」
「周囲に危害が出ない程度に調整するのが難しいんだよ馬鹿……」
「うーん、罵倒のボキャブラリーが一般レベルにまで下がってるねぇ。こりゃあ早く帰った方が良さそうだ」
 疲労困憊のギルドマスターとは真逆でまだまだ表情に疲れが見えないルノワールは軽口を叩きつつ、シエナにアリアドネの糸を出すように指示してから、青年と木を繋いでいる縄を剣で切りました。
「るーちゃんすげーテキパキしてる! リーダーみたい!」
 シエナが羨望の眼差しを送ると、ルノワールはちょっとだけ得意げに鼻を鳴らし、
「コイツだっていつでもどこでも悪魔百パーセントの極悪非道マシーンって感じで振る舞えるワケじゃないんだからさ。こうやって電池切れした時のために僕がいるし、むしろ宇宙一可愛い僕じゃないと代わりはできないよ」
「ほへー」
「それはアオとの付き合いが長いから為せる技か?」
「そうそう。無駄に腐れ縁なんだよ無駄に……アイテッ」
 癪に触ったのかアオが無言で蹴りを入れてくるので会話は一旦中断。しゃがんだままのヒイロに「そろそろ泣き止まないと置いて帰るよ」と静かに脅して立ち上がらせ、
「ほい、るーちゃん」
 シエナがアリアドネの糸を手渡し、気絶したままの青年はギンが抱えて持ち帰ることにしました。
「それじゃあ帰るよ〜忘れ物はない?」
「ねーぞ!」
「ない」
「……眠い」
「めそめそ……」
「はい帰還!」
 本日の探索は終了。誰一人として死なず、大怪我を負うこともなく、無事に生きて帰ることができました。
 収穫はほとんどなかったものの、FOEに襲撃され重傷者や死傷者が出なかっただけでも不幸中の幸い。
 アリアドネの糸を使い街に帰る……それは当たり前のように見えるかもしれませんが、いつ命を落としてもおかしくない樹海ではその当たり前のことが何事にも変えられない幸運です。
 決して、忘れてはならない幸せなことなのです……。

 なお、予定していた探索の半分も進められなかったことで激怒したギルドマスターが後日、投獄された青年の元に怒鳴り込んできたのは言うまでもありません。


2020.11.2
(2022.1.10加筆修正)
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