後悔と懺悔の先

 絶句するカヤの次の言葉を待たずに、クレナイは続けます。
「かつての私は、ある集落で両親と兄と共に暮らす普通の女の子でした。少し変わっていることと言えば男の人がちょっぴり怖いという点だけ……まあ、それは苦手というよりも、異性ではなく同性に恋愛感情を抱いてしまう精神的な疾患から来るものでした。子供の頃は、心も体も女の子なのに女の子しか好きになれない自分があまり好きではなかった、異性を好きになろうと努力しましたが、どうしても嫌悪感が勝ってしまい触れるどころか会話もできませんでしたわ」
「ずっと、ひとりで抱えていたんですか?」
「いいえ。ある時どうしても我慢できなくなって、母にそれを告白しましたの。自分はどこかおかしい、間違って生まれてきてしまったんだって泣きながら、胸の内にあった汚い物を全て吐き出してしまいましたが……母は拒絶することなく受け入れてくれました。そういう人がいたっていい、それは貴女の個性だから否定してはいけないと」
「素敵なお母様ですね」
「ええ……本当に良き母でした。もういませんが」
「……」
「その頃から父の仕事が軌道に乗らず、そのストレスから家族に当たり散らすことが増えました。私や母に暴力を振るい、己の愚かさを露見させる行為を毎日のように繰り返していました。兄は理不尽な暴力に晒されないようにするため父に味方し、奴と同じように私たちを陥れたり時に暴力に加担していました」
「誰も……助けてはくれなかったんですか? 頼れる人はいなかったんですか? 親戚の方とか……」
「両親は駆け落ちして結婚したので親族はおろか、父の日頃の行いのせいでご近所からも腫れ物扱いされていたのでどこにも頼れません。だけどこのまま奴らの横暴を許してしまえばいつか殺されてしまう……そう懸念した母は、私を連れて集落の外に逃げ出しました。女性だけを受け入れてくれる里に匿ってもらうために」
「それって、クレナイさんが故郷と呼んでいる場所……ですか?」
「ええ……しかし、逃げる道中に父と兄に見つかりそうになって、母は自分が囮になるからクレナイは先に行って里で助けを呼んできてと懇願しましたが……断りました。母を置いてはいけない、逃げる時は一緒が良いと何度も……」
「…………でも、クレナイさんはお母様と別れた……」
「普段は押しに弱い母が絶対に折れなかったところが効いたのでしょう。母を置いてひとりで逃げ、やっとのことで里に辿り着いた私は門兵さんに事情を説明すると、その人はすぐに仲間を数人集めて迅速に対応してくれました。私は一刻も早く母の無事を確認したくて、門兵さんたちを連れて元来た道を引き返し、辿り着いた先で……母の死体を見つけました」
「……」
「すぐ近くには茫然と立ち尽くす父と兄がいたので、きっと殺すつもりは全くなかったのでしょう。たまたま殴り倒した先に大きな石があって、転倒した母が強く頭を打って死んでしまうなんて、夢にも思わなかったのでしょう」
「……」
「私は急いで母の元まで駆け寄り、無我夢中で呼びました。呼び続けても母は応えてくれません、あんなに暖かい人だったのに体はすっかり冷たくなっていて……理解してしまった。この人は二度と私を呼んでくれない、笑顔も見せてくれない、優しく抱きしめてくれないと」
「……」
「あの時、駄々を捏ねて母の言うことを聞かなかったらあの方は死なずに済んだ。私が素直な良い子だったから母は殺され、この世で最も醜い男たちがのうのうと生きることになってしまった。私のせいで母は殺された。私の愚かさも奴らの醜さも何もかもが嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で……身が裂けそうな思いをして……」
「……クレナイさんは男の人に対して敵意を向けるようになったんですね」
「元々存在していた生理的嫌悪感が進化して殺意に変わっただけですわ。男なんて生きている価値も存在も必要ない滅ぼすに値するゴミ以下のカス以下ですの。里の方々は私の想いを尊重してくださり“男を殺したいならまず強くならないと!”と剣術を学ばせてくれました。村長様の娘さんに稽古してもらう特別待遇でしたのよ?」
「な……なる、ほど……」
「これは後に聞いた話ですが、父は門兵さんに身柄を確保され、近隣の街に投獄された後に獄中死。兄は非行に走った子供の更生施設に入れられたと聞きましたがその後は知りませんわ。生きてるのか死んでるのかもわかりませんし興味もありません、できれば死んでいた方が嬉しいですけど」
 そこまで言い、一息つきます。
「同じだから分かり合える、同じだからより愛しい、同じだから痛みを理解できる、同じだから互いの傷を癒せる……言葉よりも先に本能的にそれを察知し、同じモノとして貴女を守ってあげたいと思った……だから、カヤちゃんと最初に出会った時に“一目惚れ”したのでしょう。それが、私の恋の始まり」
 悲劇的な過去を抱えているとは思えない、素敵な笑顔をカヤに向けました。
 母親が亡くなったことを「私のせい」と断言し、自分のものと似た罪悪感を抱えている人間が、花が咲いたような可愛らしい笑顔を浮かべているのです。
 カヤにとってそれは、何よりも驚くことでして。
「どうして……クレナイさんは、笑っていられるんですか、とても幸せそうに」
「お母様は生前に“クレナイの笑った顔が一番好きよ”って仰っていましたから。それに、いつまでも死に囚われていては、天国で見守ってくれているお母様に申し訳ありませんもの」
 淡々と答えた後に「とはいえこれは師の教えですけど」なんて付け足しました。
「だからクレナイさんは、あの子を殺してしまったことをずっと引きずっている私が、放っておけなかったんですね」
「そうかもしれませんわね。けど、今日明日で乗り越えて行こうとは言いませんわ、傷がかさぶたになり、痛みの跡が消えるまで時間がかかりますから……心の傷ならなおさらですわ。一年二年五年十年以上かかってしまうかもしれません」
「そう、です……よね……まだ、一年しか経っていませんし……」
 彼女みたいに過去の罪にケリをつけて、心から笑えるようになるまでどれほど時間がかかるでしょうか。楽しいと思うことがある度に自分は喜びを享受しても良い人間ではないと胸の痛みを覚えてしまう……針で刺されるような痛みに、死ぬまで耐え続けるしかないと思っていたのに。
 
 ―――私も、貴女のように笑ってもいいのでしょうか。

「貴女の全てを知り、同じモノだと分かった今、私がやるべきことはひとつ、貴女を辱めた男を始末すること、貴女が抱える罪の意識や後悔の重みを少しでも軽くするために助力すること……ですわ」
「それ、ひとつじゃなくてふたつですよね?」
「あら? なんのことでしょう?」
 どうやら、騎士団を殺ることが当然であると頭の中に刻まれてしまったようです。いくら止めても聞かない……と言うよりも止められるハズがないので黙っておくことにしました。
 しました、が。
「本当に無茶をするなら止めま、す、け……ど……」
 突如恐ろしいことを思い出し、カヤは目に見えて歯切れの悪くなり、そのついでに小刻みに震え始めます。雨は降り続いているとは言え気温はそこまで落ちていないというのに。
「カヤちゃん?」
 クレナイは首を傾げ、みるみる青くなっていくカヤを見つめます。
「あ、あ、あの……わ、私……以前にとても失礼なことを言いませんでしたか……?」
「はて、失礼なこととは?」
「クレナイさんが男嫌いになった理由なんてきっと、大したことないって……」
 明確に思い出してしまいます。クレナイが「カヤちゃんと一緒にお風呂に入りたい!」という野望を果たすために風呂場に待ち伏せし、仕方なく一緒に入浴することになったあの事件。
 なお、規制が入るようなことは起こってないのであしからず。
 理解できない情熱と、意味不明な思考回路に呆れ果てた末、こんな子供みたいなおちゃらけて苦労なんて知らなさそうな気楽な大人が、全人類から男性だけ滅殺する勢いで恨み敵意と殺意を露わにしているけど、きっと他人からすれば大事にするほどでもない些細な理由だと思って「大したことない」と口走ってしまったのです。
 しかし、実際は違っていました。誰が聞いても男が嫌いになって仕方がないだろうと納得する理由がありました。それも肉親の死を経ての、壮絶な過去。
 ああ、どうしてあの時あんなことを言ってしまったんだろう。クレナイの言動にストレスを感じていたにしてももっと別の言い方があったじゃないか、侮辱もいいところだし許されなくて当たり前の以下省略。
 罪悪感と羞恥心に襲われ、いっそここで殺してくれないかと懇願しようかとまで思い詰めていましたが、クレナイの返事はとてもあっさりしていました。
「そんなことを気にしてらしたんですの? 私は何とも思ってませんわよ? あの時のことは自分の中では納得できていますし、カヤちゃんのことと比べたら全然なんともありませんわ」
 軽々しく言うものですからカヤはすぐさま立ち上がり、
「人の不幸は比べるものではありませんから!」
 慌てながらも否定すれば、クレナイは目を丸くさせて「まあ」と軽く返すだけ。
 大きく息を吐きつつ、もう一度その場に腰を下ろします。もちろん正座で。
「その、えっと……ごめんなさいクレナイさん……とにかくすぐに、何かお詫びをしないと……」
 自分が情けなくて仕方がなくて相手の目を見れず、乾いた地面に視線を落とし、膝の上で掌を強く握り締めました……が、
「そんな!? カヤちゃんってば本気ですの!?」
 とても驚いた声が響き、嫌な予感が脳裏を過った次の瞬間、
「私がカヤちゃんに何かをして欲しいだなんて! そんな素敵な提案をされてしまったら! カヤちゃんがびっくりするようなあーんなことやこーんなことを頼んでしまうかもしれませんよ!? それでもよろしくて!?」
 びっくりするほどいつものクレナイでした。彼女の言う「あーんなこと」や「こーんなこと」にはきっと、二人きりの場でしか言えないような際どく、己の欲望が詰め込まれている単語が含まれていることでしょう。
 いつもなら、顔を真っ赤にして怒り「クレナイさんにそんなことを言ったのが間違いでした!」と拗ねるところ。
 しかし、今日はなぜか怒りがこみ上げてきません。それどころか、
「……いいですよ」
 ぽつりと出てきた肯定。
「………………エっ?」
 うっかり裏返った声。
 クレナイの手の甲にカヤの手がそっと、重なりました。
「クレナイさんになら……なに、されても……」
「……………………」
 絶句。
 現実世界の出来事が受け止めきれなくなってしまいキャパオーバーしたのでしょうか、遠くを眺めたまま動かなくなりました。
「クレナイさんが私を拒絶しなかったように、私も、クレナイさんのこと、拒みませんから……絶対に」
 ぽつりぽつりと出てくる気持ちはクレナイに届いてない様子でした。意識が飛んでいっているので。
 いつの間にか降り続いていた雨は止んでいて、水溜りで跳ねていた波紋も無くなりました。黒く分厚い雲が移動していき、隙間から薄い青色の空が少しずつ見え始めています。
 自分たちの世界でいっぱいいっぱいの彼女たちは雨が上がったことに気づいていませんが。
「……あれ?」
 反応が一切ないため違和感に気づいたカヤ、ふと顔を上げると放心状態のクレナイが見えたので、
「えっと、あれ? クレナイさん……? クレナイさん?」
「はぁぁっ!?」
 呼びかけにより意識が返ってきました。
「大丈夫ですか……? 一瞬、意識がないように見えましたけど……?」
「いえいえいえ問題ありませんわ。ちょっと現実の出来事と夢の中の出来事の区別がつなくなって頭の中の処理が追いつかなくなっただけなのでこれは夢か幻か」
「現実ですよ!?」
 そこまで大袈裟なリアクションをとるものかと悩みましたが、今までのことを考えるとパニックを起こしてしまうのも仕方ないでしょう。叶わぬ恋だと思っていたでしょうし。
「ま、まぁ……クレナイさんがそう受け取ってしまうぐらいに冷たい態度をとってしまった私にも問題があるワケですし……? 非があるのは私ですから……」
 再び自分を責めて顔を伏せた時、乗せていた手を取られ強く握られました。
「わっ!?」
 驚いて声を上げれば、カヤの手を引き寄せ自分の胸の前に持ってくるクレナイがいます。
 悪戯好きの子供のような笑みを浮かべて、
「何をしても拒まないんでしょう、カヤちゃん?」
「そ、そうですけど……あれ? 聞いてたんですかさっきの!?」
「私がカヤちゃんの愛の言葉を聞き漏らすワケありませんわ」
「なあっ?! へ、え、ま、そ、そう、で、すけど……」
「あっ、でもそれじゃあ“拒まないから何をしてもいいんでしょ?”という脅しになってしまいますわ……こんなのは私が求めた愛の形ではありませんし……困りましたわね……?」
 どうしましょう? なんて戯けながら聞く前に、カヤは、

 身を乗り出してキスをしました。

 ほんの少しだけ勢いが強くて、唇同士がくっつくと言うよりもぶつかったような、事故みたいな色気のないキスでしたが。
「…………カヤちゃ」
「脅しとかじゃないんです」
 喋れるようになるまでの距離まで離れ、大切の人の顔がすぐ近くにありました。
 人生のどん底にいたような絶望に染まった表情はそこにはありません。見えるのは、強い意志と決意でしょうか。
「自分よりも私のことを大切に想ってくれる、いつも私だけに愛を振りまいて、好きだってずっと言い続けてくれる……クレナイさんが、私の両手がもげたら自分の両手を代わりに使って欲しいって本気で言うぐらい、私を愛してくれているって……わかったんです」
「は、い」
「ちょっと言動が子供すぎたり後先考えずに暴走する点が問題ですけど」
「それはカヤちゃんを想っての行動力の爆発……いわば愛の行動! 一種の求愛行動ですわ!」
「でもダメですから……まあ、えっと、とにかく、そんな人を好きにならないワケがないじゃないですか」
「じゃあ……?」
 期待に満ちた桃色の瞳は揺れていました。嬉しい、だけど本当にそうなのか、この恋は実るのか、そんな不安が。
 彼女の不安を全て払拭するために、カヤは、
「……私の」


「あの〜……まーだ終わらないのかなぁ?」


 甘い雰囲気は外からの疑問符により一瞬でぶち壊されました。
 即座に振り向くカヤとクレナイ。二人とも目が必死なのは甘い時間を第三者に見られていた羞恥と、声の主が明らかに女の子だったから。
 洞穴の入り口に立っているのはヒーローの女の子でした。
 桃色の長い髪にヒーローの専用装飾品であるヘアバンドのような髪飾り、幾多の魔物と激戦を続けてきたであろう年季の入った鎧を着ていますが、腰に下げた剣と左手に着けた小さな盾はおろしたてなのかピカピカで、新米なのか熟練なのか見ただけでは判断に苦しむような、ちょっぴり不思議な装備をしています。
 ヒーローは自信に満ち溢れている緑色の双眸で二人を見ると、胸を張りまして、
「よーし終わった! やっぱり僕の宇宙一の可愛さは生まれたてホヤホヤのカップルさんも魅了してしまうってことだねぇ!」
「え」
「君たちの仲間に助けを求められちゃったんだよ。仲間が崖から落ちて行方がわからなくなったから捜索に協力して欲しいってね。赤毛のショーグンさんと茶髪のパラディンさんでしょ? キャンバスって名前のギルドの」
「そ」
「やっぱりねぇ! 僕の宇宙一可愛い目に狂いはなかった! 今日はさぁ、やーっとできた新品の盾と剣の性能を確かめたくて小迷宮でちょっとだけウォーミングアップしてそれから迷宮に向かう予定だったんだけど、ウチのギルマスが報酬に釣られちゃって結局一日ずっと小迷宮の探索をすることになったんだよ。まあ武器の性能は飽きるほど試せたし、ウチのレンジャーの新しい瘴気スキルの実験もできたからプラマイゼロって感じだから気にしないでね!」
「は」
 なんでしょう、この連射銃のように喋り続けるヒーローは。話に入る隙がなくてさっきから一文字しか言えません、クレナイに至っては圧倒されっぱなしで言葉も出ない様子。
「というワケで……もういーよー。女子同士の密会を覗かなかったウチの紳士的な野郎共プラス幼女〜」
『はーい』
 洞穴の外、雨の滴が目立つ茂みの影から四人分の声がしましたが、クレナイの笑顔は完全に消えてしまったのでした。










 救援に現れたギルドの名はクアドラ。数多くの迷宮を踏破した功績が認められ、マギニアでその名を知らぬ者はいない有名ギルド。ギルドマスターは鬼だの悪魔だの、金さえ積めば大抵のことはやってくれるだの、魔物の生き血を啜っているだの、言葉の通じないチンピラがツレにいるだの、悪い噂が多いことがたまに傷。
 カヤたちを救出し、キャンバスのメンバーと合流した一行は街に帰還。怪我人もいますし空も赤みを帯びてきているための、少し早い帰宅。
 街に戻り、クアドラと一旦別れたキャンバスはまず、怪我をした仲間のケアを行います。
 具体的に言うと、冒険者ギルドに併設されている病院に叩き込むこと。
 嫌がるクレナイと怖がるカヤを無理矢理連れ込んで、男性の医者に「男を快く思っていないから二人きりになるような状況は避けてくれ、特に赤毛の女とは」と釘を刺してから、湖の貴婦人亭とう宿に向かいます。
 クアドラが利用している宿らしく、前もって場所は聞いているので迷子になることはなく到着しました。
「夜分に失礼する」
 玄関の扉を開ければクアドラの面々はロビー寛いでいましたが、訪問者により視線を一斉に向けます。
 ギルドマスターとヒーローの女の子はテーブルに付いて談笑していた様子、ナイトシーカーはその側で立ったまま話を聞いていたのでしょう、迷宮内で一緒にいたレンジャーは不在。
 そして、奥の階段からバタバタと騒がしい足音を奏でながら降りてきたのは、かつてほんの少しだけ親睦を深めたメディックの少女、シエナ。
「こーちゃん!」
 コキを見るなりパッと明るい笑顔を浮かべたので、手を振って簡潔に挨拶を済ませてから、
「すまない、手続きとクレナイを取り扱う際の注意事項を事細かく並べていたら遅くなってしまった」
 いつもの砕けた口調ではなく真面目に取り繕うコキ。後ろにはワカバとスオウが付いており、初めて足を踏み入れる宿を興味深く観察していました。
「ねこ」
「ねえ、あそこの受付っぽいところで寝てる奴、なに?」
「湖の貴婦人亭の受付、ヴィヴィアンと飼い猫のマーリンだよ」
「は? 受付? あの見るからに働く気がなさそうなヤ」
 きつい言葉を飛ばす前に、説明してくれた青年の顔を見てギョッとしました。
「……なんでそんなにボロボロなのよ」
 なぜか顔面傷だらけ、頬にはガーゼが当てられ額には包帯が巻かれており痛々しい姿をした怪我人がそこにいました。
 彼は目を伏せつつ、
「君たちのお仲間さんが事あるごとに抜刀して斬りかかろうとしてくるから必死で抵抗してて……」
 知らぬ内に悲劇は起こっていました。スオウは「あっそう」と言いたげな顔でノーコメントですが、コキは額を抑えて大きなため息を吐くしかありません。
「やっぱりか……」
「斬られることはなかったんだけど避けた拍子に濡れた地面で足を滑らせちゃって、顔から地面に着地しちゃったからそれでボロボロに……」
 とても痛かったのでしょう、それを思い出して顔を覆ってしまいました。スオウ、相変わらずノーコメント。
「ヒイロの自爆芸は今に始まったことじゃないから無視して構わん」
「芸じゃないけど?! 好きでボロボロになったことは一度もないからね!?」
 ギルドマスターの冷たい言葉にヒイロと呼ばれたナイトシーカー、半泣きになって絶叫。シエナがそっと慰める奇妙な光景が広がります。
 それらを全て無視したギルドマスターでありリーパーのかのじ……ではなく彼は、席から立ち上がり、コキの前に立ちました。
「遅くなったことは気にしてないからいい、それで? あの二人の容体はどうだったんだ?」
「クレナイは魔物に攻撃された際に助骨ヒビが入っていたぐらいで命に別状は無し。カヤは落下の衝撃で顔をすりむいたのと軽い打撲程度で大きな怪我はない」
「そうか」
 淡々と答えた彼はどこかホッとしたようにも見え、すかさずニヤつくヒーローが横から入ります。
「あれれぇ? なんでちょっと嬉しそうなのぉ〜?」
「せっかく助けたのに後々に死なれたら俺たちの責任にされるだろ。そうなったら意味のないタダ働きをしたことになって、本当に時間を無駄にしただけになる。それは俺のポリシーに反するからな。その可能性が潰れてホッとしているだけだ」
「あっそう」
 途端に興味を失ったのか淡白な返答。目の前で堂々と言われてコキの顔が若干引きつっています。
「……さすが有名ギルド、己の利益を最優先で考える自己主義的姿勢は嫌いじゃないな」
「褒めても何も出んぞ」
「え、今の褒め言葉だったの?」
 呆れるヒーローに何も返しませんが、ずっと黙っていたままだったワカバがてくてくと彼女の隣に立ちまして、
「どしたの?」
 背と胸のでかい女に圧倒されることなく首を傾げると、
「カヤとクレナイがたすかったの、あなたのおかげ、ありがと」
 深々と頭を下げてお礼を述べるものですから、彼女は途端に得意げに胸を張り、
「まあね! 宇宙一可愛い僕だもん! どいたまどいたま!」
「?」
 言葉の意味はわからなかったものの、ちゃんと伝わっているので良いことにしました。
 その直後に「この僕がどれほどまでに可愛いか、そして宇宙一という究極の可愛さに君臨した栄光の道があって……」と相手が持論で勝手に盛り上がりつつありますが、
「……それで、報酬を渡したいのだが」
 見て見ぬ振りをしつつ話の起動を修正しました。
「いつもゴミ見たいな持ち合わせしかないクセに払えるの?」
「外野うるさい」
 いちいち口を挟んでくるスオウに一喝。
「緊急で出された依頼だから報酬は後日でも構わないぞ、多少の期限は付けるが」
 更にはリーパーの彼も同情してくれたのか恩恵まで与えてくれます。ボソリと「俺も支払いで苦労したし……」とか言っていたような気がしますが、きっと気のせいでしょう。
 コキは静かに首を横に振ると、
「いや。ここで納めておきたい。大事な仲間の命を救ってくれた感謝をここで伝えたいからな」
「ほう」
 腕を組んで短く返した彼は心なしかワクワクしているように見えますね、本当に現金な男です。
 もちろんコキもそう思っていますが口にすることはなく、テーブルの上に小さな皮袋をそっと起きました。
「以前クエストの報酬で頂いた貴重な薬品だ。金銭を提示できなくて申し訳ないが」
「内訳は」
「ソーマプライムが二個とアムリタが一個だ」
「どうも」
 短く礼を述べてから即回収しました。早いです。
「いいの? 市場にもあんまり出回ってない貴重な薬なのに」
「クレナイとカヤの命に比べたら安いもんよ。マジでヤバくなった時に売るつもり取っておいたヤツだし」
「さいで」
 どんなに高級で貴重な薬品でも、このギルドにとっては家計を支える礎にしかならないと改めて気付かされたスオウは何も返しません。すごく呆れた顔でコキを見るだけに留めました。
「これで第八迷宮の探索も捗るってものだ」
 ギルドマスターの彼はご満悦。すると一通り話し終えて満足したのか、ヒーローの彼女が戻ってきて、
「よかったねぇアオ。で? それはいつ使うの?」
「は? こんな高そうな薬を易々と使えるワケないだろ、馬鹿かお前」
「いつもそうやって大事にとっておいて倉庫の肥やしにするじゃないか〜も〜」
 後ろから聞こえる会話を耳にして、どこもかしこも大体同じことをとするんだと思ってしまったスオウでした。





 冒険者により賑わい発展を続けるマギニアの夜。
 喧騒の音に包まれる街とは違い、防音設備の整っている病院内は静まり返っていました。
 カヤは個室にひとりきり、ベッドの上で膝を抱えて座っています。
「……はあ」
 容体を見てくれるという医者が男性だったので、それは嫌だと珍しくダタをこねてしまったのですが「大人しくしてないと男が密集している場所で置き去りにする」とコキに脅されてしまい、半泣きになりつつ言うことを聞くしかなく。
 怯えてワカバにしがみついたまま診察を受け、色々と言われたものの男が怖くて仕方がないため話を覚えていませんが……一日だけ入院しなさいと命じられた事だけは覚えています。
 コキたちは自分たちを救ってくれたクアドラというギルドに報酬を支払うため病院から去ってしまい、カヤとクレナイは残されました。
 いつものようにヤバイ女との二人きりという状況を避けるためにと気遣われたのか、それぞれ別々の部屋。
 いつもなら、このひとりの時間の有り難さを噛み締めているところですが、今は少しだけ寂しさを感じ取ってしまうわけで。
「……結局、続き、言えなかったな……」
 清潔感のある白い天井を見ながらぽつりとぼやきました。
 すごく良い場面ですごく空気の読めない闖入者が現れすごく大切なことを伝えられなかったのです。胸の中でモヤモヤしたものが渦巻いています。
 あの時は勢いのまま言えましたが、時間を置いた今はもう改めても言えないような気がしていました。
「ああもう私ってばタイミングが悪いなあ……もう二度と言えないよあんなの……」
「何が言えないんですの?」
「どひゃあ!?」
 聞き覚えしかない声が不意に発生するものですから、色気のない悲鳴が飛び出してしまいました。
 とっさに見れば、ベッドの横に立っているクレナイがいまして、
「もうっ! クレナイさん! 安静にしてなきゃダメじゃないですか! 骨にヒビが入ってるんでしょう!?」
「私をカヤちゃんから物理的に引き離すなんて不可能ですもの〜多少の痛みは我慢できますわ」
「我慢とかそういう問題じゃなくて! 普通に心配しますから!」
「……」
 きょとん。として黙ってしまったクレナイ、また驚いているのかと思いきや、
「そうですか」
 そのままベッドサイドに腰掛け、自分の部屋に戻らない意思を態度で表現してくれました。
「って、居座るつもりですか……」
「当然でしょう? 晴れてカヤちゃんと想いが通じ合いましたから、一分一秒でも多く貴女との時間を過ごさなくてはいけませんもの」
「そんな使命感に駆られなくても」
「失う時は一瞬ですから」
 そう言われてしまえば反論できる理由はなく、目を伏せてしまいます。
「……ずるいですよ」
「ふふ、私は二度と“いい子”にはならないと誓いましたから。いい子じゃないからイジワルしちゃいますの」
「ひどい人ですね」
 ため息を交えても「はい」と返されてしまい、呆れてため息も出ません。
 強く言って追い返せないのは惚れた弱みかあるいは……いや、きっとそうなのでしょう。
「で、続きとは何ですか? それを聞かないと私、気になって夜しか眠れなくなってしまいますわ」
「十分な睡眠時間は取れると思うので言わなくていいですか」
「ダメです」
 ぴしゃりと強く断言されてしまい逃げ場はないと確信しました。さっきの独り言を聞かれた時点で諦めるしかありませんが。
 大きくため息を吐いた後、顔を上げて、
「クレナイさん、前に償いがしたいとか言ったじゃないですか」
「ようやく私に償いをさせてくれるつもりになりましたの?」
「ええまあ……なんというか、償いというかお願い、ですけど……」
「お願いって?」
 ほんの少しだけワクワクしながら、ご褒美を待つ子供用に無邪気に待ちます。ずっと望んでいた償いを。
 カヤ本人がそれを「償い」だと思っていないことは百も承知で。
 
「私のこと、ずっと、愛し続けてくれませんか?」





 彼女と愛を育むことを許してください。
 もう、ひとりぼっちで歩き続けることはできないから。
 私は彼女と二人で、一緒に別のものを背負いながら生きていく。
 あなたの分まで。


2020.7.28
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