全国ヒーロー協会

 クアドラが蛙と戦う様を低い壁の上から眺める影が二つ。
「ぜぇぜぇ……やっと追いついた……瘴気の毒が抜けるまで時間がかかったな」
「……」
 全国ヒーロー協会のエクトルと、相棒のプリュスでした。
 家宝の剣を杖代わりにして、足を引きずりながらもなんとか歩く様子からして、体内に廻った猛毒の瘴気が全て抜けていない様子。
「…………」
 プリュスはポケットからテリアカβを取り出し、それをエクトルの前に差し出して飲むことを勧めてきますが、
「いや、いいよ、大丈夫だ。正義は猛毒如きで倒れたりしないからな!」
「……」
 表情を一切変えず、プリュスはテリアカβを戻しました。
「クアドラはもう戦闘に入っているみたいだね」
 広場で戦うクアドラ一行を観察するエクトルの目に映るのは、

「ムギー! 飛ぶな跳ねるなはしゃぐな鳴くなー! 宇宙一可愛い僕の攻撃が受けられないって言うのかー!」
「巨体の分際ですばしっこいなアイツは……!」
「攻撃が当たらなければ盲目にも毒にもさせられないからな。これではいつものペースが掴めない」
「何回かに一回はあのジャンピング竜巻攻撃してくるしさあ! もうアイツ嫌い! 早く倒して唐揚げにして!」
「そうしたいのは山々だが、こうも跳ね回っていては狙いが定めにくい」
「それを定めるのがレンジャーの仕事でしょー!」
「ふむ、それを言われてしまっては反論ができんな」
「話してないでこっちに集中しろお前ら! って、アイツの動きが止ま…………ぶっ」
「わーお、お熱いディープな舌攻め」
「丈夫そうな舌だな。調理するのも良さそうだが、アレなら武器の素材になりそうだ」
「関心して観察してんじゃねーよ!! ベタついて気持ち悪ぃんだよこっちは!!」

 見ての通り苦戦中でした。現在は跳ね回る足を止めた蛙が長い舌でメンバーたちを舐め回し、妨害工作に勤しんでいるところ。
「メディックの少女とナイトシーカーの青年がいないな……やられたとは思えないし、きっとなんらかの事情があってパーティを分担させているのだろう」
「……」
「なかなか手こずっている様子……よし、加勢しに行くか!」
「……」
 プリュス無言。エクトルを見ています。
「べべっ、別に! 漁夫の利を狙ってるとかそんな卑怯なことはないぞ!? 俺が持ちかけた勝負でもしも死者が出てしまったら目覚めが悪いからな!」
「………………」
「……その、意味のわからない生き物を見るようなキツイ目つきは、やめないか?」
「…………」
 プリュスは始終無言でした。





 物理的に舐められ、飛んだり跳ねたりして攻撃を避けられ、更には竜巻を起こして強風の攻撃。
 第六迷宮で見かけたカマイタチという魔物が引き起こす風は、まるで刃物のように肉を引き裂いていましたが、蛙の脚力で生まれる風は殺傷性はほとんどなく、ただひたすら強い向かい風に襲われます。
 一見するとカマイタチの風が殺傷能力が高いと感じられます。しかし、強風で吹き飛ばされて壁や床に叩きつけられたら打撲だけでは済まないので、こちらの風も相当危険。打ち所が悪ければ即死も免れませんからね。
 時折使ってくる舌による妨害も侮れません。どうやらあの唾液には微量の毒が含まれているようで、その影響で肉体反応が鈍ってしまいます。つまり、ただでさえ当たらない攻撃が全く当たらないということ。
「だー! もう腹立つー! ミラクルエッジぶっぱしていい!?」
 ミラージュソードに凍砕斬にショックスパークと得意技も何度使っても一発もヒットしないのですから、そろそろルノワールの堪忍袋の尾が切れそうです。持っている剣が七色に光り始めました。
「馬鹿か! ミラクルエッジを使ったところでトドメにもなんねーよ! 無駄撃ち禁止!」
「だってだってだってさぁ!」
 文句は言いつつも剣の光は収まったのでアオの制止には従った様子。
 蛙は相変わらず巨体に似合わない俊敏さで飛び跳ねています。地面に着地する度に地鳴りのような音が響き、森の奥の鳥たちが騒ぎ立てていました。
 着地の瞬間、蛙の足に矢が突き刺さりますが全く応えていません。それどころか、もう一飛びすると矢は抜けてしまい、カランと音を立てて地面に落ちました。
「ふむ、足の筋肉は非常に強硬のようだな。矢が深くまで刺さらない」
「さっき蛙に舐められて唾液まみれになったせいもあるんじゃないのぉ?」
「否定できないな」
 何事もすんなり肯定するレンジャーがすんなり認めますが、それで状況が変化する訳でもありません。ピンチ継続中。
「このままだと、いつまで経っても勝負が着かないどころか、こっちが消耗して追い詰められるな……」
「一旦逃げる? ヒイロとシエナと合流してから改めて対策を練って突っ込もうよ」
「私もそれが良いと思うが……勝負はどうする? アオの瘴気で足止めしたとは言え、ここで撤退すれば先に蛙を討伐される可能性が高くなるが」
「帰る前にもう一度瘴気で動けなくすれば時間は稼げるだろ」
「それはあんまりじゃあないか!?」
 否定したのはクアドラのメンバーではありません。低い壁の上から高らかに叫ぶ男の声。
 これによりアオの顔が若干引きつります。きっと「もう復活したのかあの邪魔者……」とでも思っているのでしょう、長年の悪友であるルノワールには分かります。
「はーっ、はははははは! 加勢しに来たぞクアドラ!」
 高らかに笑うエクトルは笑いながら壁から飛び降りるではありませんか。
 低い壁と称しているとはいえここは地面から三メートルほど離れているので、基本的には蔦を使って上り下りします。飛び降りる行為は怪我を伴う可能性があるので非常に危険ですから。
 しかし、ヒーローは恐れません。後ろで相棒が蔦を使って低い壁から降りていますが気付きません。
「華麗に着地!」
 見事に言葉で表現してくれました。確かに美しい着地ですし足を痛めた様子もなければ強がる素振りもゼロです。自称とはいえヒーローは体の頑丈さも普通の人間より異なって、
「邪魔!!」
 同時にアオの飛び蹴りが炸裂、これを業界用語で「着地狩り」と呼びます。
 蛙のように飛び跳ねる獲物が地面に着地する場所を予測し、矢や弾丸を撃つことで着地した瞬間に獲物を仕留めることができる技です。今のは完全に体術でしたがさておいて。
「ごへぁ」
 醜い悲鳴を上げたエクトルは横に吹き飛び、そのまま前方にひっくり返って動かなくなりました。
「……」
 相棒の情けない姿を見たプリュスがまた無言で拍手。本当は嫌いなんじゃないですかね彼のこと。
「何しに出てきやがった」
「邪魔するなら帰ってよねぇ」
 吐き捨てるように言うアオとルノワールですが、
「い、いや……邪魔じゃなくて加勢というか……妨害してるのはそっちじゃない……か……?」
 倒れたままのエクトルが反論しても二人は無視。
「揉めている場合ではないぞ、蛙が遠くまで行ってしまった。何か仕掛けてくるのかもしれない」
 騒ぎの最中にも蛙から目を離さなかったギンが、遠くで待機している蛙を睨んだまま言いました。
「ホントだいつの間にあんなところに」
「遊び足りなくて飽きたんだろうな……」
 ぽつりとエクトルがぼやいた刹那、アオは蛙ではなく這いつくばったままの彼を睨みます。
「……遊びだと?」
「ああ……あの蛙は外敵である人間を殺すというよりも、人間で遊ぶ感覚で襲いかかってくる魔物だと知り合いの学者が言っていた……しばらく遊んで飽きたらさっさと離れる、そういう奴だと……」
「つまり、僕たちは手応えがないから……飽きられた?」
「恐らくは……まあでも逃げるなら今がチャンス……」
 そう言ってエクトルが顔を上げた時、彼の視界に飛び込んできたモノは。

『あ゛ぁ?』

 ガラの悪い冒険者も素足で逃げ出してしまいそうなほどの目力で蛙を睨む、アオとルノワールの横顔でした。
「……んん?」
 一瞬で気配というか、二人の間を流れる空気が変わったことぐらいエクトルのような中途半端な冒険者にも分かります。
 視線の先に佇む蛙は舌を出しゲロゲロと楽しそうに鳴いていて、まるで自分に追いつけない人間を小馬鹿にしているようなようにも見えました。
 これが、あの二人の逆鱗に触れたということでしょう。
「あの両生類め……」
「ちぃと痛い目ぇ見ないとわっかんないみたいだねぇ……」
 もはやエクトルなど眼中にありません。ルノワールは剣を握り直し、アオは周囲に瘴気を漂わせます。
 普通の瘴気とは少し違う、赤色の混じった黒い瘴気を。
「少し濃度を上げる。お前は気にする必要はないと思うがな」
「おけおけ、二度とやれないかもしれないって思って、出し惜しみせずにやるよ」
「なるほど」
 納得したのはアオではなくギン。彼はぽかんとしているプリュスに向けて、
「急いで離れるぞ、なるべく遠くへ」
 必要最低限の指示だけ出しました。
 普通であれば理由を尋ねるものですが、プリュスは無言で頷いて納得したと態度で表明。倒れたままのエクトルのマントを掴み、有無を言わさず引きずり始めました。
「え、あ、ちょ、ちょっと!? プリュスはともかく俺にはちゃんと説明してほしいんだけどどどどどどどどああああ!?」
 プリュス問答無用。相棒の顔面が石畳の地面にこすれて皮膚が切れようが鼻がぶつかって鼻血が出ようが気にしません。生きて逃れたらそれで良し。
「私たちは離脱してヒイロたちと合流を図る」
「任せた」
 それだけ言い残してギンも離れて行きました。プリュスたちの後を追って。
 集まっていた人間がそれぞれ散っていきますが蛙は横目で見るだけで追いかけようとはしません。
「…………」
「どこを見ているクソ蛙」
 迫る足音に反応し視線を正面に戻すと、大鎌を持つリーパーがゆっくりと向かってきていました。
 青と赤のオッドアイだった瞳を、どちらも赤色に染めて。
 おぞましくも美しく見える、赤黒い瘴気を纏わせて。
 蛙の前で、足を止めました。
「こっちは命がけで戦っていてお前は遊び気分だと? 魔物の分際で。人間はお前の遊び道具じゃねえんだよ」
 コツン。と、鎌の柄で軽く地面を叩くと、赤黒い瘴気が周囲に広がり、部屋のほとんどを包み込みます。
「お前みたいな頑丈な魔物にはこれぐらい瘴気を濃くしないと、あまり効果が出ないからな」
 魔物に人間の言葉は理解できません。しかし、この瘴気を出す人間が自身にとって非常に危険な存在であることは、生存本能がけたたましく警鐘を鳴らすお陰で理解できてしまいます。
 コイツは危険だ。逃なければ殺されてしまう。直感した魔物の次の行動と言えば、そのほとんどが逃走するものでしょう。
 蛙も例に漏れず、足に力を入れて飛び立とうとして……その場に崩れ落ちてしまいました。
「今のは……一旦飛び上がって逃げようとしたんじゃないか?」
 ニヤリと笑う彼は鬼か悪魔か。それとも別の「何か」か。
 蛙が震えます、背筋が凍るような錯覚に陥ります。元々強大な力を持って産まれた身、天敵なんて存在しませんしこれからもそのはずでした。
 しかし、目前にいる「何か」は、自分の力では絶対に勝てない天敵と称しても過言ではない。
 自慢の足が使えないとなった以上、頼れるのは長く粘り気のある舌ですが、それも体を右にずらすだけで楽々回避されます。
「よっ」
 アオは蛙の背に飛び乗ると、鎌を振り、桃色の背中を斬りつけました。
「ぎゅお!?」
 悲鳴にも似た醜い鳴き声が響き、血が跳ね、足元が赤色の液体で汚れました。
「本来、傷があろうが無かろうが瘴気の毒が体に廻る速さは全く変わらないが……」
 じわじわと、周囲の瘴気が濃くなり、蛙が痙攣を始めます。
「傷口から瘴気を直接流し込まれたらそこからどんどん腐っていくんだ……体の内側から肉体が朽ちていく痛みは相当なモノらしいぞ? 人間だったら五分と耐えられないが……強靭な魔物、それこそ人間をオモチャ程度にしか思っていない魔物だったらどれぐらい持つだろう……な?」
 邪悪な笑みを浮かべ、ヒールのかかとで傷口を踏みつけながら瘴気を流せば、彼の言葉通り壮絶な痛みが蛙の身に襲いかかります。
 もはや逃げる力も叫ぶ力も残っていない蛙は小さく汚い声で鳴きながら、死に向かっていく時間を感じるのみ。
 鬼の所業と称しても過言ではない嫌がらせのような攻撃により、その声も徐々に消えていきました。
「FOEに指定されただけのことはあるな、並の人間や魔物なら致死量の瘴気を浴びてもギリギリ生きている……無駄にタフだからか? まあ、どっちでもいいけどよ」
 ニヤつく人間の足元で、蛙は痙攣しながら口から体液を吐き出し続け、いつ死んでもおかしくない状態。このまま瘴気を流し続けていれば事切れてしまうのは明白、何もしなくても死にそうです。
「さて……そろそろいいだろうな……ルノワール」
 ふと、瘴気でまともに見えない空を見上げ、相棒の名を呼ぶと、
「おうけぃ」
 瀕死の蛙の正面、赤黒い瘴気の向こうから光が生まれました。
 赤橙黄緑青藍紫の七色に輝く光は周囲に漂う瘴気だけを打ち払い、黒い世界の中に眩しすぎる閃光を生み出すと、
「前置きが長いんだよねぇ、全くもう」
 輝く剣を構えるヒーローが呆れながら笑っている姿が現われました。
 そして、
「輝け剣! 悦べ魂! 僕は宇宙一可愛いヒーロールノワール! 正義がなんだか知らないけど僕が可愛いければ後のことはとてもどうでもいい! だから! この光剣の輝きに焼かれて汚れた魂と肉体を浄化して、僕の可愛さを未来永劫感謝感激崇拝することだね!」
 七色に輝く剣を掲げると、光がより一層強くなりました。
 目を閉じるほどの輝きは、剣を振るうと同時に弾け、
 遺跡に閃光と爆音を生み出し、世界をほんの少しだけ揺らしました。





「あっ! いたいた! アオールノワールーこっちだよー」
 いつもの見慣れた顔を見つけたヒイロは、大きく手を振って存在を伝えます。
「ヒイロだ! おーいおーい」
 すぐに返すルノワールも手を振り返事をして、お隣のアオはいつも通り静かなまま歩いています。赤色だった瞳はいつものオッドアイに戻っていました。
 ヒイロの横には何食わぬ顔をしているギンとプリュスが並んで立っていて、その足元にはボロボロになったヒーローの青年が転がっています。ピクりとも動きません。
「……なんだコレ、死んだのか?」
「縁起でもないこと言わないの。気を失っているだけだから」
「そんなことよりシエナは大丈夫だったの?」
 足元で転がっている自称ヒーローよりも心配なのはウチの大事なメディック。
 叱る気にもなれませんし心配する気持ちも当然のことなので、ヒイロはすぐに答えます。
「木の枝に引っかかってて無事だったよ。気絶してるけど大きな怪我はしてないみたい……ほら」
 そう言いつつおんぶしているシエナを見せると、アオもルノワールもホッと一息。
「念のため、ちゃんとした医者に診てもらうか」
「どこか変なところを打ってたりしたら大変だもんねぇ、これ以上オツムが弱くなったら手が付けられないよ」
 会話を途中で止めてしまったアオの心境を訳すとこうなります「お前が言える道理はねーだろ」
「オイコラ、もういっぺんハートでシャウトしてみろ」
 恐ろしい地獄耳の持ち主であるルノワールはしっかり聞き取っていましたが、アオは無視の姿勢を貫いたそうな。
 最年少メディックの安否が確認できてようやく心から安心できたのか、いつもの調子が戻った二人。
 それを苦笑いしつつ見ていたヒイロは尋ねます。
「遠くで見てたけど、さっきの合体技ってトンデモナイ破壊力だったね。どうして今まで使わなかったの?」
 質問に対するアオからの答えは「あっちを見ろ」というジェスチャーのみ。
 何を意味しているのか分からず、ヒイロは首を傾げながら木々の間からさっきの広場を見て、
「うわっ……」
 生理的嫌悪感が発生した声が反射的に溢れました。
 石畳が敷き詰められ、低い壁や浮遊移動する石があった広間はその影も形もありません。
 地面は掘り返されクレーターが広がり、低い壁や普通の壁の半分は崩落、少し触れるだけで完全に崩れ落ちてしまいそう。
 クレーターの中心にはあの蛙の魔物……が、います。真っ黒で平らになっているヤツこそが、さっきまでFOEとしてクアドラと戦っていたモノです。
「周囲の損害がすごいし魔物の素材も取れたもんじゃないんだよ。だから探索には向かないんだ」
「ミラクルエッジで浄化したがまだ結構な量の瘴気が残っている。当分の間あそこには魔物どころか生き物一匹も近付かないだろうな」
「乱用すると生態系を壊すことになりかねないからねぇ。いくら僕が宇宙一可愛いとはいえ、星の自然は僕だけのモノじゃないし、程々にしておかないと」
「俺の瘴気で蛙と周囲の植物や地盤を腐らせて脆くさせるから、ただのミラクルエッジ一発でも人間百人ぐらいを跡形もなく消しとばす威力になる。その結果が自然災害の跡のような人災だ」
「うんうん。久しぶりにやったけどいつも威力にビビるんだよねぇ“僕たちはなんてモノを生み出してしまったんだろう……”って」
「人類社会を破壊する兵器を生み出したみたいなトーンで言うなよ。間違ってはいないが」
「でしょー? マギニア入りする前に一旦試し撃ちした時よりも威力上がってる感じがしたんだけど、なんか
コツでも掴んじゃってる?」
「コツなんてあってないようなモノだ。お前の攻撃力が無駄に上がっただけだろ」
「むぅ、無駄って言わないでよーちょっとー」
「世間話の雰囲気で人智を超えた話をしないでもらえます……?」
 ヒイロの顔色がどんどん悪くなっていくため、この話は一旦終えることにし、

「なるほど…………これが、マギニア一と謳われるギルドの実力ということね」

 少女の声がして、一同は固まります。
 シエナやルノワールのような元気の塊のような声ではなく、とても落ち着いている透き通った綺麗な声、となれば……。
「あら。人間だから喋るモノでしょ?」
 黒髪ツインテールの少女、プリュスが小首を傾げて喋っていました。
『仰る通りで!』



「改めましてプリュスよ。全国ヒーロー協会リーダーエクトルの相棒的ポジションだけど正直辞めたいと思っているぴっちぴちの現役十八歳、よろしく」
「あ、はい……ドウモ?」
 尋ねる前に全て答えてくれたプリュス。さっきまでの無口っぷりが嘘のように喋るのでヒイロが困惑しています。
 続いてルノワールが、
「なんでいきなり会話を始めてくれたの? 君も人見知りのケがあるの?」
「人見知りはしないわ。ただコイツが見ているところで喋りたくないなーってだけ」
 言いつつ蹴る「コイツ」とは間違いなくエクトルのことでしょう。他に該当者がいません。
「力関係がよくわかる構図だな」
 関心しているギンですが助けようとはしません。だって「助けて」って言われてないもの。
「……で、喋り始めたってことは俺たちに何か言いたいことでもあ」
「色々あるわよ」
 アオの質問にプリュスは食い気味で返し、さらに続けます。
「私は感動したの。司令部から強い信頼を寄せられる凄腕ギルドの実力を間近から見ることができて……あんな奴のアホみたいな勝負も快く引き受けてくれる器の広さも含めて、尊敬に値するわ」
 突然のベタ褒め。褒められたり尊敬されれば誰だって嫌な気分はしません。アオは鼻を鳴らして得意げで、ルノワールも隣で一緒に胸を張っています。とっても単純です。
「やっぱり冒険者たるもの、心の広さだけではなく凶悪な魔物を倒す強さを持っている人間が相応しいわ。今回の一件でよーくわかった、コイツは心は広いけど弱っちいから見てられないのよ」
「全くもってそう言えるな」
「うんうん。宇宙一可愛い僕でもわかるよ」
 容赦ないアオとルノワールは納得し、ヒイロは本当にエクトルが気の毒に見えてきた中、プリュスは「それに……」と続けまして、
「私の祖父が言っていたわ“誰にも達成できない偉業というモノは普通の人間には絶対にできない、人を超えたナニカの領域だ。皆ができることじゃない、だから何もできない平凡な自分を恨むことなかれ”……と」
 さっきまで嬉しそうだったアオの表情が一瞬で険しくなり、ルノワールが息を呑みます。
「気に障ったのならごめんなさい。貶すつもりは全くないの。アナタたちのような強さと才能がなければ迷宮踏破やペルセフォネ王女を救出するなんて夢のまた夢だって改めて思い知らされたってだけ。私たちのような平凡な冒険者の力の無さがハッキリわかっただけよ」
「……まあ、別にいいけどよ」
「そう……」
 視線を落とすプリュス、落ち込んでいるかと思いきや、その足はまだしっかりとエクトルの腹を蹴っています。八つ当たりと捉えられても仕方ない光景でした。
「どうどう落ち着いて……これで彼も懲りたと思うし、もうイジワルしないであげてね?」
「……」
 ヒイロの制止にすごく不満そうですが、とりあえず蹴る行為は止めてくれました。
 哀れにも見える同業者をルノワールは横目で眺めつつ、
「にしてもこの人……マギニアの平和を守るって執念がすごかったよねぇ、国に恩があるの?」
「ないわよ」
『え?』
 ルノワールの質問に間髪入れず返答し、一同が首を傾げる事態。
「マギニアに恩があるんじゃない、むしろコイツが勝手に恩を売ってるだけ。それで救われている人もいくらかいるからいいんだけど……」
「ふむ? どういうことだ?」
「忘れられたくないのよ。誰にも」



 私がマギニアに来る前、エクトルはとあるギルドの特攻隊長として前線に出ていたの。
 そのギルドは実力者揃いの精鋭ギルドと呼ばれていて、クアドラよりも先に迷宮の探索に入っていた期待の新星だったそうよ。
 ある日、エクトルたちがいつものように迷宮探索に出ていると、少し手強そうな魔物と遭遇したわ。
 放置しておくと後続の冒険者たちに多大な影響が出るとギルドのリーダーは判断し、討伐することになった。
 エクトルは残像を駆使して敵を撹乱し、攻撃することが得意なヒーローで、その日も残像を駆使して戦っていたわ。
 残像を出すと同時に魔物が放った雷が落ちて……残像と一緒にそれを喰らってしまった。打ち所が悪くてそこで気絶してしまったみたい。
 そして、目を覚ました時、仲間と魔物の姿はなかった。
 戦闘の痕跡はあったけどそれ以外は何もない。
 冒険者であれば誰だって最悪の事態を想像するわ、アイツも例に漏れずそうだった。
 だから誓ったのよ、生き残った自分が仲間たちの最期を伝えなければならないと。
 怪我も全快していない状態で迷宮の奥深くにひとりぼっち。魔物に見つかれば命はないと、神経を張りながら、必死に迷宮を進んだそうよ。
 日が落ちて暗くなると魔物が活発になるから、息を殺して夜明けを待ちつつ……日が上りきった頃にマギニアに到着したわ。ボロボロになりながらも帰還に成功したの。
 命がけで帰ってきたエクトルが最初に聞いた言葉が、

「えっ? なんで生きてるの?!」

 だった。



「あの時、魔物の放った雷によってエクトル本体は気を失って、残像は石化してしまったの。そして、ギルドのメンバーは石化した方のエクトルを本物だと誤解して持ち帰ってしまった……間違いだと気付いたのはマギニアに帰った直後のことだったそうよ」
 話を終え、一息ついたプリュスが次に見た光景は、
「ぶわっっは、あっはは、どわはははははははは!!」
 床に寝転がって爆笑しているルノワールの姿でした。
「ざ、残像と間違えられて放置……放置って……ダッサ、ダッッッッッサ……!」
 左手で腹を抱え、右手で地面を何度も叩きながらひぃひぃ笑っていて、その後ろには、
「残像……誤解……持ち帰り……っ、くっく……アホ……」
 ギンの肩をバシバシ叩きながら、声を殺して爆笑しているアオがいました。普段は冷静沈着な彼がここまで笑うのは非常に珍しいことです。
「ふむ、アオが楽しそうで何よりだ」
 叩かれている本人は全く動じていませんでした。
「ちなみに、ギルドメンバーは仲間を樹海に置き去りにした自戒の念に耐えきれず、ギルドを解散してしまったそうよ」
「そ、そうだったの……」
 顔を引きつらせるヒイロ。笑う二人と動じない一人の反応にやや引き気味。
 ゲラゲラ笑い続ける悪魔たちの笑い声が背後から聞こえてもプリュスは全くブレず、
「アイツ、七人兄弟の真ん中で親になかなか構って貰えなかったから存在認識欲求が強かったけど、あの一件でそれに拍車がかかったの。だからマギニアまで迎えにきた私を無理矢理自分のギルドに入れて、自称マギニアの正義のヒーローを名乗っていたわ……ヒーローになれば忘れられない、忘れられなければ置いていかれないから」
「へえ……」
 さっきから「マギニアまで迎えに来た」とか「エクトルが見ているところで喋りたくない」とか、気になる単語ばかりが流れてきますが、それらひとつずつにツッコミを入れることがどうしてもできませんでした。他人が気軽に触れちゃいけないような、そんな雰囲気があったので。
 疑問をいくつも残している自覚はないのか、プリュスはため息を吐き、
「だからと言っても冒険者として第一線で頑張っているアナタたちの探索を妨害していい理由はないわ……本当にごめんなさい」
 丁寧にお辞儀をした後、エクトルの腰にある剣を外すと、
「これはお詫びの印……そして、蛙討伐勝負の報酬よ」
 そう言ってヒイロに差し出したのです。
「え、ええっ……? でも」
「ご苦労」
 動揺するヒイロよそにアオが横から割り込んで剣をひったくりました。早いですね。
「すっかり忘れていたけど勝負だったんだよねぇ、これ」
「蛙の素材と唐揚げの材料が取れなかったのは悔しいが、これで全部チャラだな」
「え」
 蛙が料理できると意気込んでいたギンが声を漏らしますが、
「これを売り飛ばした金で蛙の肉を買ってやるから拗ねるな」
「拗ねてない」
 早めに返答したのできっと図星でしょう。感情表現は下手でもこういうところはわかりやすいのです。
「実を言うと、アイツはかなり前の段階からアナタたちに目をつけていたの」
「……はい?」
「マギニアでも有数の腕利き冒険者、凶悪な魔物をいくつも屠ってきて司令部からの信頼も厚い……でも、良い噂より圧倒的に悪い噂が多かったから、もしかするとマギニアを内部から侵食しようとする悪かもしれない! ってアホな考えのまま聞かなくて、今回みたいなアホをやらかしたの」
「その発想には概ね賛成できる……」
「ミッションを肩代わりすればマギニアのヒーローになりたいって欲も満たせるし、クアドラとの勝負に勝ったって名実があれば更に目立って忘れられることもないから願ったり叶ったりなのよ」
「なるほど……」
 チラリと横目でアオたちを見れば、この剣を売り飛ばして得た利益で何をするか早速相談しています。武器を新調したり新しい家具を買ったり蛙の肉とか馬の肉とか……。
「人様の大事な剣を売り飛ばして私服を肥やそうとしているんだもん、邪悪なギルドだって呼ばれても仕方ないね……」
「そこまでは言ってないわよ?」
 この後、地獄耳を持つギルマスの重い一撃がヒイロの側頭部に炸裂するのは言うまでもありません。









 あの後、これ以上の探索は困難だと判断しクアドラと全国ヒーロー協会、二組のギルドはマギニアに帰還しました。
「今回の一件で懲りたと思うから、これを機会に冒険者を辞めるように説得してみるわ。ギルドのメンバーも全然増えそうにないし」
 プリュスはそう言い残し、相棒兼幼馴染の彼を引きずりながら去ってしまいました。きっと二度と会うことはないでしょう。
 アオとルノワールがやらかした大部屋のクレーターについては「魔物を倒すために必要な処置だった」と司令部に言い訳すると何の疑いも持たれずに納得されたので問題なし。赤黒い瘴気の影響は残っているためしばらく立ち入り禁止区域になったそうです。
 


 それから三日経って。
「勝負だクアドラ!!」
 酒場で声高々にエクトルは叫びました。
『………………』
 テーブル席で昼食を取っていたクアドラ第一パーティのメンバーたちを指して。
 アオはすぐさま、エクトルの後ろに立っているプリュスに視線を向けます。黒髪の彼女を睨む目は「説得したんじゃなかったのか」と文句だけ込められていました。
 無言の少女は首を横に振るだけだったので試みは失敗してしまったのでしょう。でなければ白昼堂々勝負を仕掛けてくるワケがない。
「どうした? まさか俺が武器を失っただけで戦意喪失し、二度と関わらないとでも思ったか!? マギニアの平和はまだ取り戻していないから俺が諦める理由はないぞ!」
「僕たちが何か言う前に全部が答え出ちゃったねぇ」
 呆れつつもルノワールはナポリタンを口に運びます。ケチャップソースとパスタの絡み合いが絶妙で絶品で、クワシルではなく若きバイトが腕を振るって作った一品なんだとか。
「武器はどうしたんだー? リーダーがネイちゃんに高額で売りつけてたけどー?」
 オムライスを口に運ぶシエナの脳裏には、一エンでも安く引き取りたいネイピアと、一エンでも高く売り付けたいアオの猛烈な交渉光景が焼きついていました。
「貯金はあったからそれで新調したよ。前の武器よりも性能は落ちてしまったが、ヒーローに二言はないから後悔はしていない。でも、知らない間に抜き取らなくても後で言ってくれたら素直に引き渡したというのに」
 クアドラ全員がプリュスを見ますが彼女は目を逸らして知らん顔。
「……まあいい。勝負を挑むのは勝手だが、俺の瘴気であっさりダウンするお前が喧嘩を売ってきたところで勝負にもならないだろうが」
「まーた嘲笑われたいのぉ?」
「策もなく挑むのは勇気でも何でもないが?」
「やめといた方がいいと思うぞー?」
 まるでエクトルの敗北が決定されているような言い方ですがまるでその通りです。周囲の客なんて「アレに喧嘩売るとか馬鹿じゃん……馬鹿か……」と哀れみの目で見つめています。ヒイロ含む。 
「今日はあの危ない瘴気の対策をしてきたから大丈夫だ! 絶対倒れないって保証はないが、前みたいにあっさりやられたりはしない!」
「あっそ」
 心底面倒臭いのでアオはテキトーな返事しかしません。コーヒーを飲みつつ、どうあしらってやろうか考えて、
「その前に謝罪したい! 以前、君の性別を間違ってしまった件について!」
 コーヒーカップの取っ手にヒビが入りました。
「知らなかったとはいえ、人の性別を間違ってしまうなんて失礼だからね! それで君が傷ついてしまったのなら俺の罪は計り知れない! クアドラは悪かもしれないが、例え悪だとしても無闇に傷つけても良い理由はない!」
「…………」
「しかし周りも失礼だな。よりによって男の子のことを“魔女”と呼ぶなんて。確かに君は身長が控え目で体つきもやや華奢で声もそこまで低くなくて男性らしさがあまりないかもしれないが、だからと言って女の子扱いするのは非礼にも程があると思う」
「…………」
「安心してくれ、ヒーローは同じ間違いは二度としない。一度の間違いから学んだからもう大丈夫だ、外見だけじゃやや信じられないけど君だって男」
 アオが席から立ち上がりました。コーヒーはまだ残っています。
「あれ、なんでコーヒーを残してるんだ? 出されたものは絶対に全部飲む食うのがリーダーのもごご」
 ルノワールに口を塞がれ、シエナの疑問は中途半端な所で止まってしまいました。
 皆が黙って見守る中、アオは黙って酒場から出て行くので、
「ん? なんだなんだ? 早速勝負をするのか? 俺としては全くもって構わないが、このままでは君が丸越しだ、それは正義のヒーロー的にとてもよろしくないのだが?」
 疑念と心配を抱えつつ、エクトルがそれに続いて外に出た刹那、

 どごぉ。

 地響きに近い音が店の外で響き、その五秒後にアオが戻って来ました。静かな入店でした。
 椅子を引いてどかっと、やや勢いをつけて座ると、テーブルに両肘をついて重いため息を一つ。
「めんどくせーのに目ぇ付けられた……」
「一撃殴って済むんだったらそれでいーじゃん」
 ニヤニヤ笑うルノワールが鬱陶しくて仕方ありませんが、今はもう暴言を吐く気力もないので無視することにしました。
「アオ、その、エクトルはどうしたの……?」
「店の前で頭を叩き付けて地面とオトモダチにさせた」
「ぎゃあ!」
 大変だあ! と、ヒイロは悲鳴を上げながら慌てて外に出て行きました。今日も彼はギルドの問題行為の事後処理に走るのです。
「モノ好きな奴め……」
「ヒイロは年下の世話を焼くことを趣味にしているからねぇ」
「しなくても良い苦労を勝手にしているだけだろ……アイツは」
「ふむ? しなくても良いことをすることに喜びを感じているということか?」
「どうしてそう思うのぉ?」
「趣味は自分の好きなことをする行為だろう? つまりヒイロはしなくても良い苦労を好んで行っているということか?」
「あーもうそれでいい。お前がそう思ってるならそれでいい」
「そうか。アオがそう言うのなら間違いないのだろう」
「みんな本当に迷惑かけてる自覚あるんだよなー?」
 ギルド最年少女が白い目で見ていますが、誰も気にしなかったそうな。



 なお、クワシルの店の前でアオに伸され、うつ伏せに倒れてしまったエクトルといえば。
「し、しまった……瘴気対策はしたけど……武力行使への対抗策は全く練ってなかった……」
 と、言い残して気を失ってしまいまして。
「……三日前に蹴られたクセに」
 吐き捨てるようにぼやいたプリュスは彼の頭を軽く蹴っ飛ばしたのでした。


2020.5.7
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