全国ヒーロー協会
レムリアの世界樹の迷宮を怒涛の勢いで踏破している頭のおかしい冒険者がいる。
大半の冒険者がそのフレーズを聞いただけで「クアドラ」という文字を思い浮かべることでしょう。
第五迷宮を踏破し第三の大陸へ続く樹海磁軸を発見、続いて見つかった第六迷宮も難なく踏破、現在は第七迷宮の探索を始めたばかり。
現時点で第七迷宮を探索している冒険者は指折り数える程しかおらず、未知の樹海の開拓はほぼクアドラ任せとなってしまっている状況。レムリアの秘宝に近いているため司令部としては嬉しいことですが、相手はあの金の亡者、またいくらか搾り取られると財政を管理する人間は頭を抱えているとか……なんとか。
クワシルの酒場。
マギニアに点在している酒場の一つで冒険者たちの憩いの場。主にクエストの受注、冒険者同士の情報交換、料理や酒で腹を満たす……等々が行われています。
ギルド「クアドラ」は基本的にこの酒場を利用しています。
有名ギルド御用達ともなればそれに便乗する冒険者が出てくるのが世の常、とにかく有名になりたい者は有名人の真似をしたがるモノで日に日に利用客は増える一方、店は嬉しい悲鳴を上げているとか。
なお、そんな事情などつゆ知らず「最近人が多くなってきたなあ」程度にしか思っていないクアドラのメンバー、本日はメディックのシエナを除いた第一パーティの面々がテーブル席に揃っていまして、
「全国ヒーロー協会ぃ?」
クアドラのヒーロー、ルノワールが半信半疑といった口調でヒイロに尋ねました。
今日も今日とて第七迷宮の探索に勤しみ、特に問題らしい問題も起こらずに探索を終えてマギニアに帰還したのは良いものの、蝙蝠のFOEに追われ続けたせいで帰宅が遅くなってしまい、街に辿り着くと同時にシエナが熟睡開始、子供らしい安らかな寝顔を浮かべたまま石畳の上に倒れました。
仕方ないので熟睡少女を宿に戻して寝かせてから、大人たちは腹ごしらえのため酒場に赴いたというワケです。
「最近できたギルドみたいなんだけど、ヒーローしか入れないギルドなんだって」
「その特殊ギルドがどうかしたのか」
お冷やを飲むアオ、全く興味が無さそうに見えますが注文した料理が来るまでは聞いてやろうという姿勢。要するに暇つぶしです。
隣のギンは遠くを見て静かに話を聞いている……というワケではなく、お腹が空きすぎて無心になっているだけです。哀れに思ったルノワールが目の前にそっと小袋に入った豆菓子を置きました。
「ほら、俺がシエナを宿に連れて帰っている間にみんなは素材を売りにネイピア商会に行ったでしょ? 用事が終わって店の前でみんなを待っている間にチラシを貰って……」
チラシ? なんてアオとルノワールがそれぞれ反対方向に首を傾げると、ヒイロは目の前に紙を一枚置き、二人が読みやすいように向きを変えました。ギンが豆菓子を食べ終わりました。
手書きのチラシには、こんなことが書かれています。
【急募! 全国ヒーロー協会に加入しよう!】
☆最近マギニアに正義が不足しているとは思わないか? 不足していると思ったヒーローのキミ! 圧倒的正義不足に立ち向かおう!
Q:加入条件は?
A:ヒーローであれば外見経歴年齢性別は問いません。
Q:ギルドの兼用は可能ですか?
A:大変申し訳ありませんが兼用はお断りしています。
Q:採集しかしたくないけど大丈夫?
A:ヒーローであればスキル振りや装備品は何でも問題ありません、御自由にどうぞ。
Q:主にどういった活動をするの?
A:マギニアの正義を強めるための活動です。
☆ギルド加入希望者は冒険者ギルド、ヒーローのエクトルまでご連絡ください。
『なにこれ』
「俺も分からない」
読み終えたアオとルノワールが真顔で尋ね、ヒイロは力なく首を振りました。
「正義を強める活動ってなに? そこの悪魔を倒すの?」
ルノワールが指す「そこの悪魔」とはクアドラのギルドマスターのこと。名前を言うまでもないので割愛。
「意味のわからん上に金にもならない目的のために倒されてたまるか」
「お金になるならいいの?!」
「いいわけないだろ」
静かに叱咤されたヒイロ、脛を蹴られて小さな悲鳴を上げましたが、周囲の騒音に紛れてすぐに消えてしまいました。
豆菓子のお陰で話を聞く余裕ができたギンは、チラシを持ってしばらく眺めていましたが、
「樹海探索がメインではないということだな」
自分なりに答えを出してテーブルの上に戻しました。
「それ、冒険者を名乗る意味があるの? 宇宙一可愛い僕に憧れたって理由もあるんじゃない?」
「それはない」
「あ?」
悪友が即座に否定しルノワールややキレするも、アオは落ち着いてお冷やを飲み干しまして、
「金稼ぎや力をつけるための修行目的の冒険者もいるからそういう類の人種だろ……俺たちには全く関係ない話だ」
淡々と言い切ったので話は終了。ヒイロは無言でチラシを手に持つと四つに折りたたんでからコートのポケットに戻しました。チラシとしての役割は終えてしまったのでメモ用紙として再利用するつもりです。
「ルノワール、豆菓子は」
「もうちょっとで君の手羽先が来るんだから我慢しなよ」
「む……」
腹ペコのギンがほんの少し頭を下げた時、
「ねえねえそこの彼女たち〜? そんな辛気臭そうな男じゃなくってぇ、俺たちと飲まない?」
とても調子の良さそうな声と同時に一行の視界に出現したのは冒険者らしき男たち五人組。相当飲んでいるのかほぼ全員顔を赤くさせていますし、何人かは酒瓶を片手に持っていました。
「そんなヤツより俺らと一緒に行こうぜぇ? 悪いようにはしないからさぁ?」
「楽しくお喋りするだけだって〜、そこのヒョロイのよりはイイって!」
「そうそう! 朝まで、ね!」
なんて絡んでいる相手が某有名ギルドのクアドラだと分かっているのかいないのか……真意は不明ですが下心だけは百点満点だというのは誰もが分かりますし、それを証拠に周囲の女性冒険者が怪訝な顔。「またやってるよアイツら……」という囁きも聞こえますし、常習犯なのでしょう。
「俺、酷い言われよう……」
おまけにヒイロが落ち込み始めました。
「うっわ、典型的なヤツだねぇコレ」
ベッタベタな言い回しと絡み方だったのでルノワールが呆れを通り越して感心していますが、
「ほっとけそんなヤツら。酒の席で話の種を探しているだけの暇人だ」
いつも通り冷静なアオは突き放すどころか、人によっては逆鱗に触れそうな台詞を吐きました。
ちなみに、この時点で彼の頭の中にある可能性が浮かび上がりますが、これ以上行動を起こさないのであれば無視することに越したことはありません。こっちも探索で疲れていますし明日も探索があります、余計な体力は使いたくないのです。
しかし、こういった迷惑な人間は誰かに反応してもらうことに一番の喜びを感じるタイプが多いので、
「そう固いこと言うなって〜探索大変なんだろ? たまにはハメぐらい外そうぜ? なっ?」
最初に声をかけてきた男がアオの肩に手を回したのです。
「むっ」
「お待ち」
ギンが文句を言おうとしましたがルノワールが制止。続いて、人差し指を口元に当てて静かにと合図されたので、渋々黙ることに。
「…………」
その間にもアオが青色と赤色の目を鋭くさせて男を睨んでいますが、相手は怯みません。
「睨んじゃヤーよ? 悪いようにはしない! ちょっと飲んで外をお散歩するだけ! それだけだからネッ? そこのヒーローの彼女やレンジャーの彼女も一緒に!」
「やだよ」
言う時でなくても言う女の返事は即答でした。ギンは黙ったまま。
そして、アオは男を睨み付けたまま、ドスの効いた低い声で尋ねます。
「お前……俺を女だと思っているんじゃないだろうな……」
と。
「えっいや、思ってるもなにも女の子でしょ? ぶっちゃけこの中じゃ一番美じ」
男は最後まで話すことができませんでした。
理由は単純明快とっても簡単。
アオの拳が男の顔面ど真ん中に直撃したからです。
「へぶっ」
当然後ろにひっくり返る男。その拍子に酒瓶が手から離れて宙に飛び、カウンター端の席で一人飲んでいたレンジャーの後頭部に激突、椅子から転げ落ちましたが誰の目に留まることはありませんでした。
騒音により酒場にいた全ての人間が会話や食事、配給や調理を止めてアオたちのテーブルに視線を注ぎます。これにより夜の酒場に相応しくない静寂が生まれ、言葉にできない緊張感が走り抜けました。
仲間が一人倒されたことにより、さっきまで調子の良かった仲間たちが一同に目つきを鋭くさせ、椅子から立ち上がった仇に罵詈雑言の嵐をぶつけようとした寸前、
「ふん」
アオは、ヒールのかかとで男の太ももを思い切り踏みつけました。
「ギャアアア!?」
急所を潰されなかっただけマシですが痛いものは痛い。一切躊躇なく行った制裁は彼の仲間に恐怖を植え付けるには十分な迫力があったらしく、全員口を閉じてしまいます。
「誰が女だ年中発情期××××野郎、ちょっと順調に活動している冒険者だからって皆がお前の相手をするって思ったら大間違いなんだよ。釣れそうな女を見つける前に人を見る目を養いやがれ」
公共の場で発してはならない汚い言葉が飛び出しましたが、今は日付が変わる直前ぐらいの時間帯なので問題ないでしょう、きっと。
「周りの反応を見るに、しょっちゅう酒場でナンパしてるなお前ら。俺としてはお前らがナンパしていい目を見ようが失敗して大恥をかこうが関係ないが、ここは有名ギルドらしく周囲の期待に応えてやるのも悪くはない……なぁ?」
最後の一言は男に対してではなく、周囲の人々……主に女性冒険者に向けれていたので答えは当然、
『殺れ』
どれだけ女性から恨みを買っていたのでしょうかこの男。
期待通りの展開にニヤリと邪悪な笑みを浮かべるギルマス、怯えて動けない男を見下すと、
「反対意見が出ないなら話は早い。この場にいる全員が黙っていれば済むことだ……なに、現世の出来事に想いを馳せる時間は欲しいだろうから、時間をかけてゆっくり息の根を止めてやることにするか」
「うわーすごーいアオってばやっさしーいさっすがーところで僕の剣使う?」
「使う」
即答したのは人が密集している場所で鎌を振るいたくなかったからです。厄介なことにこの極悪人は基本的な常識力は身につけている様子。矛盾を感じたそこのアナタ、正しいです。
悪友から有り難く剣を頂戴し、鞘も抜かずに柄を握り締め、
「飲食店だから血を流す訳にはいかないな……ということで第一ラウンドは殴打オンリー。出血しても体内だけで済むから誰にも迷惑はかからないぞ。人に迷惑をかけてばかりのお前が最期には誰にも迷惑をかけることなく人生を終える……か。美しい終着点だなあ?」
目前でニヤつきながら語る男がリーパーではなく悪魔か化け物の類に見えていることでしょう、もはや悲鳴を発することすら忘れてしまい怯え切った男、あまりの恐ろしさに涙を流し何度も首を振っています。樹海の魔物よりも恐ろしいモノを呼び覚ましてしまったことを後悔しても全て、手遅れ。
「最初はどこから潰す? 手か? 足か? 子孫繁栄の手段でもいいぞ? 周りがより一層喜ぶこと間違いなしだからな……あ、お捻りとか貰えるかもしれないから子種撲滅から先に行くか」
男、とっさに振り返って仲間に助けを求めますがすぐに目を逸らされてしまいました。大切なものが壊れる音がした。
「いけいけアオー鬼とか悪の大魔王とか鬼畜とか悪魔とかの通り名は伊達じゃないってことを証明してやってー。最初に宇宙一可愛い僕に声をけなかった腹いせにもなるんだしー」
私怨しかないルノワールがのんびり応援した刹那、我に返ったヒイロが悲鳴を上げながら仲裁に入ったことで公開処刑は強制終了となりました。
蛇足ですが、遠くから様子を見ているだけだった店主のクワシル曰く「だってギルマスくんの邪魔をしちゃったら僕が処刑されちゃうでしょ〜? 命は大事にしないとね〜?」とのこと。この店は店主から改善していく必要がありそうです。
時は流れ……第三の大陸、飛泉ノ水島の探索は佳境を迎えていました。
海の一族との対立が激化し秘宝争奪戦の真っ只中、ペルセフォネ姫が体調不良で公の場に出られないという問題を抱えながらもミュラーや衛兵たちは第三の霊堂への進軍を開始。それと並行して海の一族、航海王女エンリーカを始めとした精鋭たちも霊堂へ入ったとのこと。
もはやお互いは一触即発といった状況、人々の間では海の一族との戦争が起こるんじゃないのかと囁かれる始末。
もしも戦争が始まったとしても冒険者たちの出る幕ではありませんが、無関係とも言い切れないでしょう。
そんな内情など知っても知らず、クアドラ一行の第九迷宮探索は順調に進んでいました。
多少のトラブルはあったりますが、命があるだけありがたいと思わなければなりません。気を抜けば一瞬で命を失う樹海ですから。
時刻は夕方、キリがいい所で探索を切り上げることにして糸で帰還したクアドラ第一パーティは、道中で退治した魔物の素材を売り払い新たな武具を開発してもらうため、ネイピア商会に足を運んでいました。
アオとネイピアが熾烈な値引き交渉を続けている中、ルノワールとシエナは守銭奴同士の真剣勝負が終わるまでの間、暇つぶしも兼ねて店の商品を見て回っていまして、
「るーちゃんるーちゃん! このすなとーるって何だ?」
薬品の棚から興味を引く品を発見したシエナは目を輝かせながらそれを持つとルノワールに見せてきました。
「僕の宇宙一の可愛さを向上させるモノはないか」と吟味していたルノワールは、少女の手にある薬を見てすぐに答えます。
「ストナードだよ。飲むと肉体が一時的に強化されて打たれ強くなるお薬だね」
「そーなんだ!」
「あっ、そっか……あのギルドは最前線にパラディンがいたからあんまり使ったことないんだっけ」
「そうだな! 強化するお薬って言ったら、とーちゃんはよくブレイバンド漬けにしてたって! 浴びるほど飲んでたしウォッカで割るとウマイらしいぞ! 俺もお酒が飲める歳になったら試してみたい!」
「肉体強化剤を酒で割るんじゃあないよ」
シエナの父親とルノワールはかつて、同じギルドに所属し、エトリアとハイラガードの世界樹を踏破した冒険者仲間でしたが。古い記憶の中にあるあの男は自分の娘にアホなことを教えるような人間だったでしょうか。やたら面白いお兄さんだったということしか覚えないため判断できません。
そしてその娘、なかなかお目にかかれない薬を興味深そうにじっと見ていたので、ルノワールは優しく忠告。
「ほら、アオはそういうのは絶対いらないって言うに決まってるんだから、ちゃんと棚に戻しておくんだよ」
クアドラ第一パーティにパラディンはおらず、サブクラスがパラディンのルノワールもパーティを守る術を習得していませんが、ギルマスの方針からしてそういったモノは不要だというのは長い付き合いの中でよく分かっています。理由が出費が嵩むからだということも。
「へーい」
素直に聞き入れたシエナがストナードを元の場所に戻した時、
「あっ! ヒーローさん!」
「んえぇ?」
名前でなくて職業名を呼ばれても反応するのが冒険者。ルノワールも例に漏れず変な声を出しつつ振り向くと、背後に立っている男の子の姿を視界に捉えました。
恐らくシエナとほぼ同年代、シャツと半ズボンだけというラフな格好からして冒険者ではなく、マギニア在住の少年でしょう。
彼はさっきのシエナと同じぐらい目をキラキラさせながら、ルノワールに羨望の眼差しを送っていました。
「なに? 君、僕が全宇宙を凌駕する可愛さだからそれに惹かれて来ちゃったの?」
「違います!」
「は?」
即座に大きく否定された結果、ルノワールの目付きがとても鋭くなりましたが、少年は全く怯みません。悪いと思ってないのでしょうか。
「ボクはこの前のお礼が言いたくて!」
「お礼?」
はて。ルノワールは首を傾げます。だってこの少年とは初対面、現時刻をもって初めて出会った一般人ですからお礼を言われる筋合いは全くありませんが。
「僕が僕の気付かない内に僕の可愛さで少年を救ったっていうのならわかるけど?」
「え?」
「るーちゃん、コイツ知り合いかー?」
「いんや初対面」
「え?」
今度は男の子が首を傾げる番でした。互いの間に疑問と疑問が生じ、会話が一旦止まりますが男の子は続けて、
「だ、だってこの前、畑を荒らしていたハエみたいな魔物を退治してくれたんじゃ……?」
「えー? いやー? ぜんぜん? 知らないけど?」
「お前人違いしてるんじゃねーの?」
「え? え? えっ?」
さっきから全く話が噛み合っておらずお互いに疑問だけが積もるばかり。最初の威勢の良さはどこへいったのか、男の子は更に続けます。
「だって、お姉さんってヒーローですよね……ヒーローさんって全国ヒーロー協会の人じゃないんですか?」
『全国ヒーロー協会ぃ?』
聞き慣れない単語にルノワールとシエナは同じ方向に首を傾げました。
しかし、自称宇宙一可愛いヒーローは何かピンとくるものがあったらしく。
「全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会……僕は宇宙一可愛い……」
「?」
「あー思い出した! ヒーローしか入れない奇特なギルドだってだいぶ前に聞いたことあるなぁ!」
宇宙一可愛い記憶力と自称していることもあって、頭の片隅に残っていたようです。なお、このフレーズで納得できる人は相当クアドラに慣れてきているということですね、大丈夫ですか?
「そうです! それです!」
話がようやく繋がったことで男の子は喜びの声を上げますが、
「ごめんねー、僕はそのギルドに所属してない宇宙一可愛いヒーローなんだー」
続けて笑顔で否定されてしまい、男の子はがっくりと肩を落とします。
「そ、そうだったんですか……ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいよ〜どれもこれも全部僕が宇宙一可愛いのがいけないんだからねぇ、可愛いって本当に罪……どうして僕が可愛いかって言うと」
「冒険者に用事があるなら冒険者ギルドに行ってみたらいいと思うぞー」
自分の可愛さについて熱く語る寸前にシエナが助け舟、男の子の背中を押しながらそう言う意図はわかりますね「早くここから逃げろ」という意味です。
「えっ? あっ、うん! ありがとう!」
戸惑いながらも男の子はそのまま駆け出し、店から出てしまいました。もう見えません。
「あれっ? なんで話の途中で帰るの? どして?」
「るーちゃんの話って長いんだもん」
「そうかなぁ?」
「そうだぞー」
「そっかぁ」
あっさり納得してくれました。己の可愛さを否定さえされなければ驚くほど素直です。
「しっかし、さっきの子は明らかに冒険者じゃなかったねぇ」
「冒険者じゃないのに冒険者の店に来るのってすげー度胸だな!」
「そなの?」
「前に友達になった子が言ってた。冒険者の施設ってとっても気になるけど迫力っつーか雰囲気が独特だから一般人には敷居が高いんだって!」
「へぇ〜そういうものかぁ。僕ってば人生の三分の二ぐらいを冒険者として過ごしているからよくわかんないや」
「そっかー」
納得しているような口ぶりですが視線は遠くを見ています。冒険者として長く生きていると普通の感覚が無くなってしまう恐怖を思い知った瞬間でした。
すると、
「ねえ、これはどう? イイ感じじゃない?」
「そうかなぁ? こっちでもいいと思うけどー?」
店の奥でアクセサリーを見ていた女冒険者二人組の声が聞こえてきました。
「私はこれがいい! なんか毒も防げるらしいよ? アンタしょっちゅう魔物から毒を貰ってるんだから着けときなさいよ」
「えぇ〜そういう時のための巫術でしょ〜? そんな品性のないピアスよりこっちのお守りの方がいいわ!」
「もうちょっと実用性を大事にしなさいよぉ」
「実用性ばっかり見てたらゴツいのばっかりなって華がなくなるもの。可愛さの消失は女の子にとっての死よ!」
「アタシ巫術の研究にしかキョーミないからわかんない」
「全くもぉ。あー本当にこのお守り……イイわ……! おねだりして買っちゃおうかしら」
「また出たよ。ギルドマスターが甘いからってねぇ……だいたいそれのどこがイイわけ?」
「わからない? なんと言ってもこのデザインがとーっても可愛いん」
「僕の方が八万四千九百三十二倍可愛い!!!!」
怒声を上げながら鬼の形相で向かっていったヒーローがいました。ルノワールと言いました。
その後、こんな石ころなんかよりも自分が可愛いという持論を延々と話し続けるのですが、あまりの迫力に女冒険者たちが半泣きになっても止まりません。相手の心情よりも自分が可愛いということがルノワールにとって何よりも重要なことなのです。
「…………」
こうなってしまってはただのメディックのシエナでは止められません。真っ先にアオかヒイロに助けを求めるべきかとも思いましたが、ギルマスは値引き合戦の真っ只中なので近寄ることすら許されず、ヒイロは彼が無茶をしないように見張りに徹しているため助力は得られないことでしょう。
「どうしよ」
「シエナ」
困り果てている中で背後から呼ばれ、すぐに振り向くと頼りになりそうな青年がいました。
「ギンちゃん!」
「ルノワールはどうしたんだ? 一緒に店内を見て回ると言ってなかったか?」
「んーとえーと……」
ちらりと見ると、さっきまで一方的な持論を繰り広げていたルノワールと被害者たちの姿がないではありませんか。
「あれれ?」
「どうした?」
「るーちゃんいなくなっちゃった」
「そうか」
淡々と答えるだけで良いのかと疑問でしたが、それよりも興味を引くモノがあったので真っ先に言葉にします。
「その袋どうしたんだ? 買ったのかー?」
それは、彼の右手に握られている革製の袋でした。とても丈夫そうで、木の枝にひっかけても簡単に破れないことでしょう。
「ああ、魔物の肉を得るために魔物の死体をそのまま持ち帰っていたが、あまり良くなかったらしい。湖の貴婦人亭に苦情が入ったそうだ」
「そうだったのか?!」
「ヴィヴィアンからの情報だから確かなハズだ。対策として血が漏れないような分厚い皮の袋を買った。次からはこれに魔物の死体を入れてマギニアに持ち帰るつもりだ」
「ご飯のため?」
「そうだな」
「へぇ〜!」
仲良しこよしのシエナと会話していても表情筋の一つも動かさない仏頂面でしたが、声色は普段よりほんの少し柔らかいことから、少女との会話を楽しんでいるのでしょう。
「今度はどんな魔物を持って帰って料理するんだ?」
「スレイプニルを狙っている。馬肉はほぼ未開拓だからな……今からどうするか試行錯誤している最中なんだ」
「そっかー! ギンちゃんの料理はいつも美味しいからすっげー楽しみだなー!」
「そうか」
にこやかに会話していますが彼らは知りません。クレーム内容が「魔物の死骸を宿に持ち込むことが生理的に無理というかあり得ない。調理して食べる行為も理解できない」ということを。
なお、ルノワールに絡まれていた女性冒険者たちは仲間に助けられるまで延々と逃げ続けていたらしく、後にヒイロが土下座する勢いで謝罪しに行ったそうな。
大半の冒険者がそのフレーズを聞いただけで「クアドラ」という文字を思い浮かべることでしょう。
第五迷宮を踏破し第三の大陸へ続く樹海磁軸を発見、続いて見つかった第六迷宮も難なく踏破、現在は第七迷宮の探索を始めたばかり。
現時点で第七迷宮を探索している冒険者は指折り数える程しかおらず、未知の樹海の開拓はほぼクアドラ任せとなってしまっている状況。レムリアの秘宝に近いているため司令部としては嬉しいことですが、相手はあの金の亡者、またいくらか搾り取られると財政を管理する人間は頭を抱えているとか……なんとか。
クワシルの酒場。
マギニアに点在している酒場の一つで冒険者たちの憩いの場。主にクエストの受注、冒険者同士の情報交換、料理や酒で腹を満たす……等々が行われています。
ギルド「クアドラ」は基本的にこの酒場を利用しています。
有名ギルド御用達ともなればそれに便乗する冒険者が出てくるのが世の常、とにかく有名になりたい者は有名人の真似をしたがるモノで日に日に利用客は増える一方、店は嬉しい悲鳴を上げているとか。
なお、そんな事情などつゆ知らず「最近人が多くなってきたなあ」程度にしか思っていないクアドラのメンバー、本日はメディックのシエナを除いた第一パーティの面々がテーブル席に揃っていまして、
「全国ヒーロー協会ぃ?」
クアドラのヒーロー、ルノワールが半信半疑といった口調でヒイロに尋ねました。
今日も今日とて第七迷宮の探索に勤しみ、特に問題らしい問題も起こらずに探索を終えてマギニアに帰還したのは良いものの、蝙蝠のFOEに追われ続けたせいで帰宅が遅くなってしまい、街に辿り着くと同時にシエナが熟睡開始、子供らしい安らかな寝顔を浮かべたまま石畳の上に倒れました。
仕方ないので熟睡少女を宿に戻して寝かせてから、大人たちは腹ごしらえのため酒場に赴いたというワケです。
「最近できたギルドみたいなんだけど、ヒーローしか入れないギルドなんだって」
「その特殊ギルドがどうかしたのか」
お冷やを飲むアオ、全く興味が無さそうに見えますが注文した料理が来るまでは聞いてやろうという姿勢。要するに暇つぶしです。
隣のギンは遠くを見て静かに話を聞いている……というワケではなく、お腹が空きすぎて無心になっているだけです。哀れに思ったルノワールが目の前にそっと小袋に入った豆菓子を置きました。
「ほら、俺がシエナを宿に連れて帰っている間にみんなは素材を売りにネイピア商会に行ったでしょ? 用事が終わって店の前でみんなを待っている間にチラシを貰って……」
チラシ? なんてアオとルノワールがそれぞれ反対方向に首を傾げると、ヒイロは目の前に紙を一枚置き、二人が読みやすいように向きを変えました。ギンが豆菓子を食べ終わりました。
手書きのチラシには、こんなことが書かれています。
【急募! 全国ヒーロー協会に加入しよう!】
☆最近マギニアに正義が不足しているとは思わないか? 不足していると思ったヒーローのキミ! 圧倒的正義不足に立ち向かおう!
Q:加入条件は?
A:ヒーローであれば外見経歴年齢性別は問いません。
Q:ギルドの兼用は可能ですか?
A:大変申し訳ありませんが兼用はお断りしています。
Q:採集しかしたくないけど大丈夫?
A:ヒーローであればスキル振りや装備品は何でも問題ありません、御自由にどうぞ。
Q:主にどういった活動をするの?
A:マギニアの正義を強めるための活動です。
☆ギルド加入希望者は冒険者ギルド、ヒーローのエクトルまでご連絡ください。
『なにこれ』
「俺も分からない」
読み終えたアオとルノワールが真顔で尋ね、ヒイロは力なく首を振りました。
「正義を強める活動ってなに? そこの悪魔を倒すの?」
ルノワールが指す「そこの悪魔」とはクアドラのギルドマスターのこと。名前を言うまでもないので割愛。
「意味のわからん上に金にもならない目的のために倒されてたまるか」
「お金になるならいいの?!」
「いいわけないだろ」
静かに叱咤されたヒイロ、脛を蹴られて小さな悲鳴を上げましたが、周囲の騒音に紛れてすぐに消えてしまいました。
豆菓子のお陰で話を聞く余裕ができたギンは、チラシを持ってしばらく眺めていましたが、
「樹海探索がメインではないということだな」
自分なりに答えを出してテーブルの上に戻しました。
「それ、冒険者を名乗る意味があるの? 宇宙一可愛い僕に憧れたって理由もあるんじゃない?」
「それはない」
「あ?」
悪友が即座に否定しルノワールややキレするも、アオは落ち着いてお冷やを飲み干しまして、
「金稼ぎや力をつけるための修行目的の冒険者もいるからそういう類の人種だろ……俺たちには全く関係ない話だ」
淡々と言い切ったので話は終了。ヒイロは無言でチラシを手に持つと四つに折りたたんでからコートのポケットに戻しました。チラシとしての役割は終えてしまったのでメモ用紙として再利用するつもりです。
「ルノワール、豆菓子は」
「もうちょっとで君の手羽先が来るんだから我慢しなよ」
「む……」
腹ペコのギンがほんの少し頭を下げた時、
「ねえねえそこの彼女たち〜? そんな辛気臭そうな男じゃなくってぇ、俺たちと飲まない?」
とても調子の良さそうな声と同時に一行の視界に出現したのは冒険者らしき男たち五人組。相当飲んでいるのかほぼ全員顔を赤くさせていますし、何人かは酒瓶を片手に持っていました。
「そんなヤツより俺らと一緒に行こうぜぇ? 悪いようにはしないからさぁ?」
「楽しくお喋りするだけだって〜、そこのヒョロイのよりはイイって!」
「そうそう! 朝まで、ね!」
なんて絡んでいる相手が某有名ギルドのクアドラだと分かっているのかいないのか……真意は不明ですが下心だけは百点満点だというのは誰もが分かりますし、それを証拠に周囲の女性冒険者が怪訝な顔。「またやってるよアイツら……」という囁きも聞こえますし、常習犯なのでしょう。
「俺、酷い言われよう……」
おまけにヒイロが落ち込み始めました。
「うっわ、典型的なヤツだねぇコレ」
ベッタベタな言い回しと絡み方だったのでルノワールが呆れを通り越して感心していますが、
「ほっとけそんなヤツら。酒の席で話の種を探しているだけの暇人だ」
いつも通り冷静なアオは突き放すどころか、人によっては逆鱗に触れそうな台詞を吐きました。
ちなみに、この時点で彼の頭の中にある可能性が浮かび上がりますが、これ以上行動を起こさないのであれば無視することに越したことはありません。こっちも探索で疲れていますし明日も探索があります、余計な体力は使いたくないのです。
しかし、こういった迷惑な人間は誰かに反応してもらうことに一番の喜びを感じるタイプが多いので、
「そう固いこと言うなって〜探索大変なんだろ? たまにはハメぐらい外そうぜ? なっ?」
最初に声をかけてきた男がアオの肩に手を回したのです。
「むっ」
「お待ち」
ギンが文句を言おうとしましたがルノワールが制止。続いて、人差し指を口元に当てて静かにと合図されたので、渋々黙ることに。
「…………」
その間にもアオが青色と赤色の目を鋭くさせて男を睨んでいますが、相手は怯みません。
「睨んじゃヤーよ? 悪いようにはしない! ちょっと飲んで外をお散歩するだけ! それだけだからネッ? そこのヒーローの彼女やレンジャーの彼女も一緒に!」
「やだよ」
言う時でなくても言う女の返事は即答でした。ギンは黙ったまま。
そして、アオは男を睨み付けたまま、ドスの効いた低い声で尋ねます。
「お前……俺を女だと思っているんじゃないだろうな……」
と。
「えっいや、思ってるもなにも女の子でしょ? ぶっちゃけこの中じゃ一番美じ」
男は最後まで話すことができませんでした。
理由は単純明快とっても簡単。
アオの拳が男の顔面ど真ん中に直撃したからです。
「へぶっ」
当然後ろにひっくり返る男。その拍子に酒瓶が手から離れて宙に飛び、カウンター端の席で一人飲んでいたレンジャーの後頭部に激突、椅子から転げ落ちましたが誰の目に留まることはありませんでした。
騒音により酒場にいた全ての人間が会話や食事、配給や調理を止めてアオたちのテーブルに視線を注ぎます。これにより夜の酒場に相応しくない静寂が生まれ、言葉にできない緊張感が走り抜けました。
仲間が一人倒されたことにより、さっきまで調子の良かった仲間たちが一同に目つきを鋭くさせ、椅子から立ち上がった仇に罵詈雑言の嵐をぶつけようとした寸前、
「ふん」
アオは、ヒールのかかとで男の太ももを思い切り踏みつけました。
「ギャアアア!?」
急所を潰されなかっただけマシですが痛いものは痛い。一切躊躇なく行った制裁は彼の仲間に恐怖を植え付けるには十分な迫力があったらしく、全員口を閉じてしまいます。
「誰が女だ年中発情期××××野郎、ちょっと順調に活動している冒険者だからって皆がお前の相手をするって思ったら大間違いなんだよ。釣れそうな女を見つける前に人を見る目を養いやがれ」
公共の場で発してはならない汚い言葉が飛び出しましたが、今は日付が変わる直前ぐらいの時間帯なので問題ないでしょう、きっと。
「周りの反応を見るに、しょっちゅう酒場でナンパしてるなお前ら。俺としてはお前らがナンパしていい目を見ようが失敗して大恥をかこうが関係ないが、ここは有名ギルドらしく周囲の期待に応えてやるのも悪くはない……なぁ?」
最後の一言は男に対してではなく、周囲の人々……主に女性冒険者に向けれていたので答えは当然、
『殺れ』
どれだけ女性から恨みを買っていたのでしょうかこの男。
期待通りの展開にニヤリと邪悪な笑みを浮かべるギルマス、怯えて動けない男を見下すと、
「反対意見が出ないなら話は早い。この場にいる全員が黙っていれば済むことだ……なに、現世の出来事に想いを馳せる時間は欲しいだろうから、時間をかけてゆっくり息の根を止めてやることにするか」
「うわーすごーいアオってばやっさしーいさっすがーところで僕の剣使う?」
「使う」
即答したのは人が密集している場所で鎌を振るいたくなかったからです。厄介なことにこの極悪人は基本的な常識力は身につけている様子。矛盾を感じたそこのアナタ、正しいです。
悪友から有り難く剣を頂戴し、鞘も抜かずに柄を握り締め、
「飲食店だから血を流す訳にはいかないな……ということで第一ラウンドは殴打オンリー。出血しても体内だけで済むから誰にも迷惑はかからないぞ。人に迷惑をかけてばかりのお前が最期には誰にも迷惑をかけることなく人生を終える……か。美しい終着点だなあ?」
目前でニヤつきながら語る男がリーパーではなく悪魔か化け物の類に見えていることでしょう、もはや悲鳴を発することすら忘れてしまい怯え切った男、あまりの恐ろしさに涙を流し何度も首を振っています。樹海の魔物よりも恐ろしいモノを呼び覚ましてしまったことを後悔しても全て、手遅れ。
「最初はどこから潰す? 手か? 足か? 子孫繁栄の手段でもいいぞ? 周りがより一層喜ぶこと間違いなしだからな……あ、お捻りとか貰えるかもしれないから子種撲滅から先に行くか」
男、とっさに振り返って仲間に助けを求めますがすぐに目を逸らされてしまいました。大切なものが壊れる音がした。
「いけいけアオー鬼とか悪の大魔王とか鬼畜とか悪魔とかの通り名は伊達じゃないってことを証明してやってー。最初に宇宙一可愛い僕に声をけなかった腹いせにもなるんだしー」
私怨しかないルノワールがのんびり応援した刹那、我に返ったヒイロが悲鳴を上げながら仲裁に入ったことで公開処刑は強制終了となりました。
蛇足ですが、遠くから様子を見ているだけだった店主のクワシル曰く「だってギルマスくんの邪魔をしちゃったら僕が処刑されちゃうでしょ〜? 命は大事にしないとね〜?」とのこと。この店は店主から改善していく必要がありそうです。
時は流れ……第三の大陸、飛泉ノ水島の探索は佳境を迎えていました。
海の一族との対立が激化し秘宝争奪戦の真っ只中、ペルセフォネ姫が体調不良で公の場に出られないという問題を抱えながらもミュラーや衛兵たちは第三の霊堂への進軍を開始。それと並行して海の一族、航海王女エンリーカを始めとした精鋭たちも霊堂へ入ったとのこと。
もはやお互いは一触即発といった状況、人々の間では海の一族との戦争が起こるんじゃないのかと囁かれる始末。
もしも戦争が始まったとしても冒険者たちの出る幕ではありませんが、無関係とも言い切れないでしょう。
そんな内情など知っても知らず、クアドラ一行の第九迷宮探索は順調に進んでいました。
多少のトラブルはあったりますが、命があるだけありがたいと思わなければなりません。気を抜けば一瞬で命を失う樹海ですから。
時刻は夕方、キリがいい所で探索を切り上げることにして糸で帰還したクアドラ第一パーティは、道中で退治した魔物の素材を売り払い新たな武具を開発してもらうため、ネイピア商会に足を運んでいました。
アオとネイピアが熾烈な値引き交渉を続けている中、ルノワールとシエナは守銭奴同士の真剣勝負が終わるまでの間、暇つぶしも兼ねて店の商品を見て回っていまして、
「るーちゃんるーちゃん! このすなとーるって何だ?」
薬品の棚から興味を引く品を発見したシエナは目を輝かせながらそれを持つとルノワールに見せてきました。
「僕の宇宙一の可愛さを向上させるモノはないか」と吟味していたルノワールは、少女の手にある薬を見てすぐに答えます。
「ストナードだよ。飲むと肉体が一時的に強化されて打たれ強くなるお薬だね」
「そーなんだ!」
「あっ、そっか……あのギルドは最前線にパラディンがいたからあんまり使ったことないんだっけ」
「そうだな! 強化するお薬って言ったら、とーちゃんはよくブレイバンド漬けにしてたって! 浴びるほど飲んでたしウォッカで割るとウマイらしいぞ! 俺もお酒が飲める歳になったら試してみたい!」
「肉体強化剤を酒で割るんじゃあないよ」
シエナの父親とルノワールはかつて、同じギルドに所属し、エトリアとハイラガードの世界樹を踏破した冒険者仲間でしたが。古い記憶の中にあるあの男は自分の娘にアホなことを教えるような人間だったでしょうか。やたら面白いお兄さんだったということしか覚えないため判断できません。
そしてその娘、なかなかお目にかかれない薬を興味深そうにじっと見ていたので、ルノワールは優しく忠告。
「ほら、アオはそういうのは絶対いらないって言うに決まってるんだから、ちゃんと棚に戻しておくんだよ」
クアドラ第一パーティにパラディンはおらず、サブクラスがパラディンのルノワールもパーティを守る術を習得していませんが、ギルマスの方針からしてそういったモノは不要だというのは長い付き合いの中でよく分かっています。理由が出費が嵩むからだということも。
「へーい」
素直に聞き入れたシエナがストナードを元の場所に戻した時、
「あっ! ヒーローさん!」
「んえぇ?」
名前でなくて職業名を呼ばれても反応するのが冒険者。ルノワールも例に漏れず変な声を出しつつ振り向くと、背後に立っている男の子の姿を視界に捉えました。
恐らくシエナとほぼ同年代、シャツと半ズボンだけというラフな格好からして冒険者ではなく、マギニア在住の少年でしょう。
彼はさっきのシエナと同じぐらい目をキラキラさせながら、ルノワールに羨望の眼差しを送っていました。
「なに? 君、僕が全宇宙を凌駕する可愛さだからそれに惹かれて来ちゃったの?」
「違います!」
「は?」
即座に大きく否定された結果、ルノワールの目付きがとても鋭くなりましたが、少年は全く怯みません。悪いと思ってないのでしょうか。
「ボクはこの前のお礼が言いたくて!」
「お礼?」
はて。ルノワールは首を傾げます。だってこの少年とは初対面、現時刻をもって初めて出会った一般人ですからお礼を言われる筋合いは全くありませんが。
「僕が僕の気付かない内に僕の可愛さで少年を救ったっていうのならわかるけど?」
「え?」
「るーちゃん、コイツ知り合いかー?」
「いんや初対面」
「え?」
今度は男の子が首を傾げる番でした。互いの間に疑問と疑問が生じ、会話が一旦止まりますが男の子は続けて、
「だ、だってこの前、畑を荒らしていたハエみたいな魔物を退治してくれたんじゃ……?」
「えー? いやー? ぜんぜん? 知らないけど?」
「お前人違いしてるんじゃねーの?」
「え? え? えっ?」
さっきから全く話が噛み合っておらずお互いに疑問だけが積もるばかり。最初の威勢の良さはどこへいったのか、男の子は更に続けます。
「だって、お姉さんってヒーローですよね……ヒーローさんって全国ヒーロー協会の人じゃないんですか?」
『全国ヒーロー協会ぃ?』
聞き慣れない単語にルノワールとシエナは同じ方向に首を傾げました。
しかし、自称宇宙一可愛いヒーローは何かピンとくるものがあったらしく。
「全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会全国ヒーロー協会……僕は宇宙一可愛い……」
「?」
「あー思い出した! ヒーローしか入れない奇特なギルドだってだいぶ前に聞いたことあるなぁ!」
宇宙一可愛い記憶力と自称していることもあって、頭の片隅に残っていたようです。なお、このフレーズで納得できる人は相当クアドラに慣れてきているということですね、大丈夫ですか?
「そうです! それです!」
話がようやく繋がったことで男の子は喜びの声を上げますが、
「ごめんねー、僕はそのギルドに所属してない宇宙一可愛いヒーローなんだー」
続けて笑顔で否定されてしまい、男の子はがっくりと肩を落とします。
「そ、そうだったんですか……ごめんなさい……」
「謝らなくてもいいよ〜どれもこれも全部僕が宇宙一可愛いのがいけないんだからねぇ、可愛いって本当に罪……どうして僕が可愛いかって言うと」
「冒険者に用事があるなら冒険者ギルドに行ってみたらいいと思うぞー」
自分の可愛さについて熱く語る寸前にシエナが助け舟、男の子の背中を押しながらそう言う意図はわかりますね「早くここから逃げろ」という意味です。
「えっ? あっ、うん! ありがとう!」
戸惑いながらも男の子はそのまま駆け出し、店から出てしまいました。もう見えません。
「あれっ? なんで話の途中で帰るの? どして?」
「るーちゃんの話って長いんだもん」
「そうかなぁ?」
「そうだぞー」
「そっかぁ」
あっさり納得してくれました。己の可愛さを否定さえされなければ驚くほど素直です。
「しっかし、さっきの子は明らかに冒険者じゃなかったねぇ」
「冒険者じゃないのに冒険者の店に来るのってすげー度胸だな!」
「そなの?」
「前に友達になった子が言ってた。冒険者の施設ってとっても気になるけど迫力っつーか雰囲気が独特だから一般人には敷居が高いんだって!」
「へぇ〜そういうものかぁ。僕ってば人生の三分の二ぐらいを冒険者として過ごしているからよくわかんないや」
「そっかー」
納得しているような口ぶりですが視線は遠くを見ています。冒険者として長く生きていると普通の感覚が無くなってしまう恐怖を思い知った瞬間でした。
すると、
「ねえ、これはどう? イイ感じじゃない?」
「そうかなぁ? こっちでもいいと思うけどー?」
店の奥でアクセサリーを見ていた女冒険者二人組の声が聞こえてきました。
「私はこれがいい! なんか毒も防げるらしいよ? アンタしょっちゅう魔物から毒を貰ってるんだから着けときなさいよ」
「えぇ〜そういう時のための巫術でしょ〜? そんな品性のないピアスよりこっちのお守りの方がいいわ!」
「もうちょっと実用性を大事にしなさいよぉ」
「実用性ばっかり見てたらゴツいのばっかりなって華がなくなるもの。可愛さの消失は女の子にとっての死よ!」
「アタシ巫術の研究にしかキョーミないからわかんない」
「全くもぉ。あー本当にこのお守り……イイわ……! おねだりして買っちゃおうかしら」
「また出たよ。ギルドマスターが甘いからってねぇ……だいたいそれのどこがイイわけ?」
「わからない? なんと言ってもこのデザインがとーっても可愛いん」
「僕の方が八万四千九百三十二倍可愛い!!!!」
怒声を上げながら鬼の形相で向かっていったヒーローがいました。ルノワールと言いました。
その後、こんな石ころなんかよりも自分が可愛いという持論を延々と話し続けるのですが、あまりの迫力に女冒険者たちが半泣きになっても止まりません。相手の心情よりも自分が可愛いということがルノワールにとって何よりも重要なことなのです。
「…………」
こうなってしまってはただのメディックのシエナでは止められません。真っ先にアオかヒイロに助けを求めるべきかとも思いましたが、ギルマスは値引き合戦の真っ只中なので近寄ることすら許されず、ヒイロは彼が無茶をしないように見張りに徹しているため助力は得られないことでしょう。
「どうしよ」
「シエナ」
困り果てている中で背後から呼ばれ、すぐに振り向くと頼りになりそうな青年がいました。
「ギンちゃん!」
「ルノワールはどうしたんだ? 一緒に店内を見て回ると言ってなかったか?」
「んーとえーと……」
ちらりと見ると、さっきまで一方的な持論を繰り広げていたルノワールと被害者たちの姿がないではありませんか。
「あれれ?」
「どうした?」
「るーちゃんいなくなっちゃった」
「そうか」
淡々と答えるだけで良いのかと疑問でしたが、それよりも興味を引くモノがあったので真っ先に言葉にします。
「その袋どうしたんだ? 買ったのかー?」
それは、彼の右手に握られている革製の袋でした。とても丈夫そうで、木の枝にひっかけても簡単に破れないことでしょう。
「ああ、魔物の肉を得るために魔物の死体をそのまま持ち帰っていたが、あまり良くなかったらしい。湖の貴婦人亭に苦情が入ったそうだ」
「そうだったのか?!」
「ヴィヴィアンからの情報だから確かなハズだ。対策として血が漏れないような分厚い皮の袋を買った。次からはこれに魔物の死体を入れてマギニアに持ち帰るつもりだ」
「ご飯のため?」
「そうだな」
「へぇ〜!」
仲良しこよしのシエナと会話していても表情筋の一つも動かさない仏頂面でしたが、声色は普段よりほんの少し柔らかいことから、少女との会話を楽しんでいるのでしょう。
「今度はどんな魔物を持って帰って料理するんだ?」
「スレイプニルを狙っている。馬肉はほぼ未開拓だからな……今からどうするか試行錯誤している最中なんだ」
「そっかー! ギンちゃんの料理はいつも美味しいからすっげー楽しみだなー!」
「そうか」
にこやかに会話していますが彼らは知りません。クレーム内容が「魔物の死骸を宿に持ち込むことが生理的に無理というかあり得ない。調理して食べる行為も理解できない」ということを。
なお、ルノワールに絡まれていた女性冒険者たちは仲間に助けられるまで延々と逃げ続けていたらしく、後にヒイロが土下座する勢いで謝罪しに行ったそうな。
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