世界樹の迷宮X
その集落では年に一度、一番強い剣士を決める祭りが行われていました。
村民であれば病気等の特別な事情がない限り参加しなければならないその祭りは、年で一番盛り上がる行事と称しても過言ではなく、わざわざ遠い国から祭りの様子を見にくるもの好きな観光客もいるほど。
祭りとは言え遊びではありません、村一番の剣士を選ぶ大切な行事。大人も子供も手を抜かず、本気で挑み勝利を勝ち取ろうとする様は、彼らが常に掲げている「魔」を滅ぼす使命に向ける熱意が伺えます。
そして、今年の優勝者は……既に決まっていました。
「というワケで、今年も未成人の部での優勝はサザミさんところのカラスバじゃな。これで五年連続かの」
「三年です、村長」
やんわり訂正すれば村長と呼ばれた老人は明るく笑って誤魔化したので、カラスバも釣られて苦笑い。
その視界の端で首を振っている青年は時期村長。耄碌してきた父親に呆れ果てている様が伺えました。
「ははは……」
「にいちゃん!」
明るく可愛らしい声にカラスバは瞬時に振り向きます。あまりに早すぎてちょっと風が起こりました。
後ろから駆けて来る女の子のような男の子、腰には刀ではなく木刀を指している見習い剣士。
カラスバの前で止まった少年は少し息を切らしていましたが、金色の瞳は溢れんばかりに輝いており、誰よりも尊敬している兄を見上げていました。
「にいちゃんおめでとう! すごいすごい!」
興奮冷めないまま祝福すれば、明るい紫色の髪の上に掌がそっと置かれます。
「ああ……リンドウが応援してくれたから、今年も優勝できた。ありがとう」
「うん!」
頭の上を撫でられ、少年はこれ以上にない幸せな感覚に包まれます。村で一番強い兄、世界で一番強い兄、そんな強くてカッコいい兄の弟でいられることが誇りであり喜びなのです。
すると、様子を見ていた他の子供たちも寄ってきまして、
「リンドウくんのおにいちゃんすごいすごい!」
「カッコよかった!」
「すげーつよいんだな!」
「えへん!」
自慢の兄が褒められて自分のことのように嬉しくなった弟、得意げに胸を張りました。
「ねえねえ! カラスバっていちばんつよいんでしょ! ぼくにもケイコつけてほしいなー!」
子供の内の一人が言ったことで、他の子供たちも口々に、
「えーずるい! オレもケイコしてほしいー!」
「わたしもー!」
「ぼくもぼくもぼくも!」
一斉に近付いてきて稽古してほしいの大騒ぎ。強い者に惹かれやすい彼ら一族の宿命ではあるものの、一度に多くの子供を相手にすることに慣れていないカラスバは動揺するばかりです。
「えっ、ええっ、ええと……」
ちらりと周りを見ますが、大人たちは大変微笑ましい光景を眺めているといった様子で助けてくれる気配はありませんね。自身の両親含む。
「ええ……」
困りました。元々物静かで強く言えない性格、落ち着かせようにも興奮冷めやまぬ子供たちひとりひとりを相手にするにはとても骨が折れそうです。
逃げようにも子供たちに囲まれて逃走不可能。誰でもいいから助けてほしいという本音をどう表現すればいいのか……。
すると、
「ダメー!」
弟が叫びながらカラスバと子供たちの間に割って入ってきたのです。ちょっと半泣きになって。
「にいちゃんにケイコをしてもらうのはオレだもん! オレだけなんだもん!」
「り、リンドウ……」
困り果てたカラスバを助けに入ったというよりも、兄が取られそうになったのが嫌で割り込んできた様子です。それでも感動する兄、だってブラコン。
「えーおとうとだからってそれはズルイぞー!」
「ずるいー」
「ズルくない! ズルくないんだからな! にいちゃんはだれにもわたさないんだからなー!」
そのまま足にしがみついてくる姿がなんとまあ可愛らしいことか。
兄は、どこまでも素直で可愛い弟を慰めるように頭を撫でたのでした。
そんな美しい記憶からかれこれ十数年後の現在、マギニアにて。
「話しかけてくんなクソ野郎、このまま一時間息止めて死ね」
「…………」
出会い頭、最愛の弟こんな罵倒をぶつけられたカラスバはショックのあまり言葉を忘れました。
「キキョウ〜偶然とはいえお帰りって言って貰ったんだからそこは素直に“ただいま”って返さなきゃでしょ?」
罵倒を飛ばした弟の後ろからひょっこり現れた頭巾の少女、クアドラ第二パーティのリーダー、ソードマンのアオニ。彼氏と付き合って三年目に突入したリア充です。
続いてそのお相手の青年、元ルーンマスターで現ゾディアックのクロも、
「そうですよ。貴方たち兄弟がカラスバの一方的なブラコンという不憫な関係だとしても私はどうでも良いですが、フカ子がとても心を痛めているのです。嘘でもある程度の関係を保ってください」
彼女……というよりも女の子のことを第一に考える自称紳士がぴしゃりと言いますが、この兄弟の問題については無関心という本音がだだ漏れのため、説得力がありません。
外野が煩くなってきたためキキョウは渋々振り向いて、
「絶対に嫌だ。嘘でも仲良くするとか俺にとっては罰ゲームどころか拷問だからなそれ」
「そこまで言わなくても……」
恐る恐る反論するカラスバでしたが、
「あ゛?」
「……」
睨まれて萎縮してしまいました。
「仔犬くんは嫌だ嫌だと言っても手を出さない辺り、まだ温情があるよね」
一行の最後尾にいたプリンスのカリブ。彼の言う「仔犬くん」とはキキョウのことを指します。ナギットに着いて回る姿が子犬に見えたことから生まれた渾名です。
明らかにキキョウにかけた言葉ですが、その視線は肩を落としているカラスバに向けられています。同情するわけでもなく、ただ眺めているだけでした。
「だって斬りかかったらナギットさんに叱られるし」
「仔犬くん的にはご褒美なんじゃないの?」
「怒られて嬉しいとかそういう性癖じゃないから」
「えっ? 仔犬くんってアホ金髪に殴られることに性的興奮を感じて止まないんじゃないの? いつも公開SMプレイを見せつけられてるって思ってたのに違うって言うのかい? じゃあなんで得もないのに殴られているの? 馬鹿だから?」
「途中からストレートな罵倒になるのなんで?」
「叱られるのが嫌なら俺が怒るようなことばっかしてんじゃねぇよ」
後ろから叱りつけるキツイ声の主こそ、キキョウが敬愛する未来の主人、聖騎士のナギットです。
「カラスバさんを虐めてるとまたシエナに怒られるぞ」
「今はいないから大丈夫ッス!」
「誰も後で告げ口しないとは一言も言ってねぇからな」
「すんませんッス!」
即座に九十度の綺麗なお辞儀が炸裂しました。
この場にはいませんがクアドラ唯一のメディック、シエナは兄弟は仲良くするべきだと日ごろから豪語しており、キキョウがカラスバを冷たく罵倒したり攻撃しようとすると、すぐさま制止したりぷりぷり怒ったりするのです。
恐ろしさで表現するとナギットの方が百倍上ですが、シエナはたった十三歳の少女。小さな女の子相手に強気に言い返せませんし力で屈服させようなんてもっての他、第一パーティの大人たちの手で人知れず闇に葬られてしまうことでしょう。
という事情から、キキョウはシエナに叱れることがナギットに怒鳴り散らされる次に苦手なのでした。
「……いや、俺に謝る前にカラスバさんに謝れよ」
「それは無理な相談ッスね」
顔を上げて淡々と言い返し、ナギットが呆れて息を吐きますが気にしないことにしました。
「とにかく! ナギットさんやアオニたちに何をどう言われようが俺はコイツと仲良しこよしする気は全っっっっくないッスから、そこんとこヨロシクッス!」
「よろしくできねぇし」
「仔犬くんも無駄に強情だねえ」
「知らん! 以上! 終わり! 解散! 撤退! 閉廷!」
強引に会話を終わせると、くるりと踵を返して歩き始めました。苛立ちを隠せないのかわざと強く足音を立てながら。
「…………」
その背中を無言で見つめるカラスバ。一言も喋らないものの、その心境は今にも死にそうな表情から手にとるようにわかりますね。
「元気出してね」
「そうですよ。キキョウはツンギレデレですから、いつか小数点以下の確率でデレが現れますよ」
「……そう、だな……」
アオニとクロが慰めていますが、クロの言葉は慰めとして成立するのでしょうか。ナギットはそれだけが気がかりです。
すると、
「あれ!? アナタ、ギルド“ロイヤルハンターズ”のブシドーじゃない!?」
凛とした綺麗な声が響き、真っ先にカラスバが振り向きました。
その視線の先に立っているのは、オレンジ色のコートに長ズボンと露出の少ない格好の女性。髪は金色で背はアオニより高く、右腕には星術機を取り付けていることから、ゾディアックであることが伺えます。
人懐っこい笑顔を浮かべながら駆けてくる女性、カリブとナギットとアオニが一斉にカラスバを見て、無言で彼女との関係を尋ねていますが、
「初めまして美しいお方。私はクロと申します、装備からして貴女も星術を扱うのでしょうか?」
自称紳士、カラスバと女性の間に立ち塞がると小さく頭を下げて挨拶。さわやかな笑顔も付けて。
「え、ああ……そうよ? 昔はアルケミストだったけど……」
「やはりそうでしたか、私もこういった身なりですがゾディアックでして……こうして同職なのも何かの縁……いや、運命と呼称しましょうか」
「は、はあ?」
「ああ……私はなんて幸運なのでしょうか、こんなにも美しいゾディアックの方と出会うことができるなんて、きっと世界一の幸せ者かもしれませんね」
「ど、どうも?」
「ここで巡り合ったのも何かの縁、少しお茶でもし」
刹那、アオニの飛び膝蹴りがクロの側頭部に炸裂しました。
身長約百八十五センチ以上の男の頭部に身長約百五十五センチ強の女の子が膝を当てて来たのですから、ソードマン特有の非常に高い身体能力が窺えますね。
「みゅぎょう」
奇怪な悲鳴を上げて横に吹っ飛んだ自称紳士。その勢いのまま石畳の地面を転がれば、通行人が悲鳴を上げて避けていきます。
二十回程度転がって道のど真ん中で止まり、うつ伏せの状態のまま動かなくなってしまいました。
『…………』
絶句する女性、ついでにカラスバも。ナギットとカリブは見慣れた光景なので冷めた目でクロを眺めるだけ。
「ごめんね〜カラスバに用事があったのにウチの彼氏が邪魔しちゃって〜」
彼氏を蹴り飛ばした張本人はニコニコしながら女性に謝罪するも、今の一瞬で彼女の恐ろしさというか身体能力の高さを思い知った女性は顔を引きつらせていまして、
「い、いいのいいの! 気にしてないから! 大丈夫……って、彼氏さんだったの……?」
「うん。アタシという美人で可愛くてつよーい至高の彼女がいながら他の女に目移りしてすぐさま口説きに入る顔のいい男が彼氏なの」
淡々と言い切ったアオニでしたが「至高の彼女……?」と、ナギットだけでなくカリブも首を傾げています。普段は仲が悪いのにこういう時ばかり気が合うのは宿命でしょうね。
「文句があるなら一字以下で言って。それを破ったらクロと同じ目に遭わす」
睨まれたのですぐに目を逸らしました。自分の命は大切ですもの。
「なんという濃いメンツ……それよりブシドーさん、カラスバだっけ? 本当に久しぶりね!」
「ええ……まあ……」
気を取り直して笑顔を向ける女性にカラスバは戸惑いながらも頷きました。
そして、背後からのアオニの視線に気付くとゆっくり振り向きまして、
「前のギルドのギルドマスター……王女の友人だ。時々宿に泊まりに来るほど仲が良くて、他のメンバーとも少なからず交流があった」
「なーるほどねえ、アタシはてっきりカラスバの彼女かと思ったよ。だからクロの頭蓋骨を破壊しない程度に蹴り飛ばしたんだけど」
「人骨にダメージが入ったにしてはあり得ない音を立ててなかったか……?」
アオニは目を逸らしました。
向こうではカリブがこっそりクロに巫術:反魂を使い、人体の損傷により体外に飛び出した魂を呼び戻す作業を行なっています。
ネクタルを使っても蘇生は可能ですが、薬剤投与はお金がかかるため節約しているのです。金にうるさいギルマスがネチネチ言うので。
さて、アオニに「彼女」とか言われた女性はちょっと照れ臭そうに頬をかきつつ、
「いや……その、メンバーのほとんどはマギニアから離れていったって聞いてたけど、アナタは残っていたのね。もう別のギルドに入ったの?」
「ああ……彼女と同じギルドに所属することになった」
「かなり濃いメンツが揃っているみたいだけど大丈夫? アナタって全然主張しないタイプだから存在忘れられたりしてない?」
「…………」
できることなら「そんなことはない」と否定したかったことでしょう。アオニたち第二パーティならまだしも第一パーティの問題児……もといギルマス中心のメンバーに意味もなく連れ出されてしまった出来事が脳裏を過り、発言する意志を失ってしまいました。
扱いが雑にも程があるけど時々頼ってくれるから文句もつけにくいワケで。
「苦労しているのね……」
複雑な状況と心境は知らないものの、雰囲気から彼の苦労が伺えた女性は同情の視線を送り、
「そうだね。ギルドの中でもかなり苦労している内に入るよ」
アオニがそれに同調しました。
ちなみに、女性が考えている「苦労」とはギルドのことですが、アオニが考える「苦労」とは彼の弟のことを指します。見えないところで噛み合っていません。
「そうだ。久しぶりに会ったのも何かの縁だしちょっとお話しない? さっき探索が終わって暇してたところなの」
女性から唐突に飛び出すお誘いの言葉。カラスバは驚いたのか目を丸くさせていますがアオニはニヤリとほくそ笑み、
「いいんじゃない? アタシたちはこれから探索後の事後処理とかで忙しいから、カラスバとおねーさんだけで行ってきたらさ?」
なんて言って二人きりにさせようとしています。ニヤニヤを止めずに。
「えっ? そ、それは……」
彼女たちの意図が読めたのか静かに慌てるカラスバ、助けを乞うようにナギットを見ますが、彼は「それぐらい自分からちゃんと断ってください」とテレパシーを送るだけで助けません。届いているかは別として。
さっきから会話に全く参加していないのは、知らない女性が登場したせいで話に入るタイミングが全く掴めないでいるから。忘れがちですが彼、極度の人見知りです。
「あれ? 用事でもあった?」
「いや……用はない、が……」
「じゃあ決まり!」
ポンと軽く手を叩いた女性はほんの少しだけはしゃぎながら、カラスバの左腕に抱きついてきました。
「ほほう?」
「わあ」
「……」
ニヤけるアオニ、大胆だなあとぼんやり思うカリブ、無言で明後日の方向を眺めるナギット。それぞれ別のリアクションで女性の行動を見ていました。
「最近いい感じのカフェを見つけたの! お値段もお手頃なんだけどそれだけじゃなくて、メニューもとっても豊富でどれも美味しいんだから! 特に生クリームとアイスとフルーツをふんだんに盛り付けた色彩豊かなパフェが有名なんですって!」
生唾を飲み込む音がします。甘党のアオニから。涎のおまけつき。
「い、いや……俺は甘いものはそこまで……」
「大丈夫、普通の軽食もあるから!」
退路が見つかりません。女性は動揺するカラスバの腕をぐいぐい引っ張り連れ出そうとしています。
「パフェ……パフェかあ、いいなあパフェ……フレークの入ったやつもいいけどアタシの好みは底にスポンジケーキが敷き詰められてるやつで、パフェのてっぺんに乗ってる生クリームをある程度残した状態を保ってスポンジケーキに到達したらクリームにスポンジを絡ませて食べるのが良いんだよね……フルーツのシロップが染み込んでいればなおよし。なかったら自分でかけるけど」
涎を垂らしながら、誰にも聞かれていないのにこだわりを口走る辺り少々腹ペコのようです。用事が終わったら酒場でスイーツというスイーツを頼むか、クロを連れて買い食いに走るかのどちからになるでしょう。
「どっちでもいいけどね。というか、クリームにスポンジじゃなくてスポンジにクリームじゃないの?」
「あのねカリブ。スポンジとの合体を心待ちにしていたであろうクリームが長い時を経て運命の再会を果たした瞬間、アタシは劇的再会をした二人の仲人のような存在になるの! 大切な瞬間を心待ちにしていたスポンジが自らクリームに絡まりたいという欲を! 愛を! 情熱を! アタシは無視できるだろうか否できない! だったらクリームがスポンジにまみれようがスポンジがクリームにまみれる未来が生まれてようがアタシは全てを肯定し何もかもを優しく包み込み!」
「つまりどっちでもいいってことじゃん」
話の序盤ぐらいから意味が分からなかったので適当に聞き流した、その時、
カラスバが横に吹っ飛びました。
突然真横に吹き飛び、雑貨店の横に重ねてあった木箱と衝突して悲鳴と絶叫と埃を生み出すという、奇想天外な光景を目の当たりにすることになりました。
彼はバッキバキに破壊された箱の中央でひっくり返ったまま動きません。箱の中にあった果実が地面に散乱し、野次馬がこっそりに盗んでいく光景がありました。
『……え?』
アオニとカリブ、とっさに横を見ると立ち尽くしている例の女性がいます。目の前で起こった出来事が理解できていないのか、まるで夢や幻を見ているように吹っ飛んだカラスバを眺めて呆然。更には、
「やりすぎだぞ、キキョウ」
動揺することなく言い放ったナギットの声に応えるように、
「断れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大きすぎて星ごと振動していそうなほどの声が、女性の後ろから発せられました。
女性は振り向き、アオニは唖然とし、カリブはぽかん。ナギットは何も言わずにカラスバが突っ込んだ店の中に入っていきました。
怒声を飛ばす騒ぎの中心核は……言うまでもなくキキョウでして、
「な〜〜〜に流されようとしてんだよテメーはよ! 行きたくないなら行きたくないってハッキリ断ればいいだろクソ! 嘘でもいいから用事があるとか言えばいいじゃねえかボケ! そういうのは相手にも失礼になるんだってわかんねえのかカス!」
語尾に汚い言葉が付くタイプの珍しい罵倒が女の子のような男から飛び出します。口は悪いものの言ってることはそれなりにマトモでした。
暴言をぶつけられ続けるカラスバ、吹っ飛んで木箱にぶつかったことで大ダメージを負ったハズですが、奇跡的に意識はあるらしく、手足をピクピクさせてまして、
「そ……れは……その……言い出すタイミングが……なくて……」
「単にテメェがいくじなしのヘタレの奥手のクソってだけだろうがクソ野郎!」
温厚な兄、反論不可能。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも頑丈な体がそれを許しません。
「テメェがいつまで経ってもそんなんだからギルマスたちに舐められんだろ、んでもって三竜退治に駆り出されるだけの都合の良い奴でしかねーんだよ。いつまで都合の良い男でいる気だ? あ? 一生か? 一生ってか、一生そのままかテメェ」
「やめてあげなよう」
ヒートアップし続ける後ろでカリブがやんわり制止に入るも、限りなく棒読みに近い棒読み。
彼が珍しく仲間を思いやるような行為に走ったのは、隣のアオニがそろそろ仲裁に入るべきかと手をパキパキと鳴らし始めたからです。心の底から信頼していないとは言っても、苦楽を乗り越えたギルドメンバーの無惨な死体はあんまり見たくありませんからね、ちょっと気に入ってるし。
「ま、まあ落ち着いて……元はと言えば無理に誘った私のせいなんだから、彼を虐めるのはよくないわ……」
見ていられなくなったのか女性がやんわり止めに入り、キキョウの後ろから声をかけて、
「あん?」
振り向き様に睨まれてしまい、その迫力に一瞬怯むも、
「ってあら……? もしかして、アナタが噂の弟クンだったりするの?」
見事に言い当てられ、瞬時に顔が引きつります。事実ですがそれを肯定したくないのです、ツンギレデレだから。
「そ、う゛……いや、身内じゃなくて赤の他人でコイツとはなんら関係ねえ女装がライフワークの趣味特技ナギットさんの一般人でありんす……」
多少どころかかなり無理のある誤魔化しに女性はきょとんとするしかできませんが、
「仔犬くん、軌道修正したのに動揺して修正しきれてないよ?」
「趣味特技がナギットってなに? 彼をどうしたいの?」
遠くから冷めた目を向ける仲間たちの声が刺さりますが、ここは痛みを耐えることで凌ぎます。
「他人? 噂では弟クンって見た目はすっごい美人だけど、実は女装している上に口は若干悪いわ主人(仮)のことばかり考えていて、もう手がつけられないぐらいの暴れん坊って聞いたことあるけど?」
情報が一人歩きしているような言い草ですが女性は本気らしく、不思議そうに首を傾げてます。
キキョウは肯定せずに黙り込んでしまったので、ここでアオニが助け舟。
「あのねおねーさん、彼はただ反抗期なだけなんだよ。思春期の娘が授業参観に来たお父さんを指されても“アイツ親じゃないし!”って否定するのと一緒」
「妙にリアルな例えだけど実体験?」
「うん」
「残酷だねー」
遠い目をするカリブ、会ったこともない赤の他人ですが可哀想だと思っているのです。きっと。
どうでもいい会話の最中、女性は何かに気付いたらしく手を軽く叩きまして、
「そっか! 弟クンはお兄ちゃんが取られそうになったのがイヤだったから八つ当たりしちゃったのね!」
「は!?!?!!?!?!?!!?」
キキョウ絶叫。誰がどう聞いても逆ギレしているような汚い声ですが女性は全く怯みません。
「兄弟は多いからそういうのなんとなく分かるの。そっかそっか、事情も知らずに勝手なコトをしてゴメンね、弟クン」
「だから!! 違う!! 俺は!! コイツが!! 嫌いな!! だけ!! あと!! 弟!! 違う!!」
単語ごとに区切って強調しますがただ煩いだけ。道ゆく人々があまりの騒音に耳を塞いでいる光景が見えて、アオニがぽきぽきと指を鳴らし始めました。
「十五年以上も離れ離れになっててやっと再会できて、長い間ずっと一緒にいられなくて寂しかったのよね? 今はいい歳だし照れ臭いのも分かるけど、あんまり照れ隠ししちゃダメよ?」
「だーかーらーちーがーうーってー!!!」
女性の誤解は留まるところを知りません、カリブはそろそろ他人のフリをしたくなってきましたが、この後ネイピア商会で杖を新調してもらう約束をしてあるので逃げるに逃げられず、この羞恥に耐えるしかありません。
騒ぎを聞きつけ衛兵がやって来るのも時間の問題かと囁かれた時、ナギットが店から出てきました。
「あっ! ナギットさん!」
趣味特技がナギットだと豪語していたこともあり、すぐさま彼に気付いたキキョウは金色の瞳を輝かせますが、
「カラスバさん大丈夫ですか?」
「…………大丈夫だ……」
今にも力尽きそうな弱々しい声ではあるものの、なんとか意識を保っているカラスバを木箱から引っ張り出すナギットの姿を見て、快晴だった表情は一気に曇りました。
その間に見ているだけだった通行人もちらほらと手を貸してくれ、程なくしてカラスバの救出に成功。とりあえず地面の上に寝かせる形にしてひとまず置くことに。
「アオニ、悪ィけどカラスバさんのこと頼むわ」
「おっけー」
現時点で最も信頼できる相手に託した後、キキョウへ一直線に向かっていきます。
「酷いッスよナギットさん! なんであんな奴を助けちゃうんスかー!」
「…………」
「ナギットさんが優しいのは俺だって理解してるッスよ? でもこれは俺とあのクソ野郎の問題だから手出し無用でお願いしたいッス」
「…………」
「そうだ、ちょっとこの女の説得に協力してもらっていいッスか? どうも変な誤解してるみたいで聞かないんスよー」
「…………」
「ね」
刹那、
キキョウが視界に捉えたのは、下方からやって来る拳でした。
五感が鋭く身体能力も高く攻撃は回避するものがモットーのブシドーである彼ですが、大好きな人の鉄拳だけは、自身が足封じになってしまったように回避ができなくなってしまい。
「ぶへらぁ」
重騎士パラディンの重さと硬さの如く重く固い拳は顎にクリティカルヒット。あまりの振動に脳が揺れ、数秒前の出来事が頭の外に吹っ飛びそうになってまた戻ってきました。
女装男子は宙に舞います。上へ上へと吹っ飛びます。目測ですが地上三メートル程は飛び上がったことでしょう。上昇点が最高値に達した時、頭を下に向けて地上に向けて落下を始めます。
「ごは」
見事頭頂部から着地に成功、うつ伏せに倒れてしまいました。
これだけでも頭部へのダメージの深刻さが伺えますが、これでもアルクライト家の使用人、この程度のダメージで瀕死になるなら使用人どころかいざという時の肉壁にもならないと彼の上司談。
「お、ごが……頭が、弾けた……」
呂律も回っていますし息もあります、問題はなさそうです。
「人様の店のモノをぶっ壊しといて知らん顔してんじゃねーよ」
とても落ち着いた口調でしたが声色からして激怒しているのは明白。人見知りなのに人前で幼馴染兼使用人を殴り倒すことについては全く抵抗がないので、ついでに側頭部に軽く蹴りも入れておきました。
「す、すみません……ッス、ナギットさん……」
遅めの謝罪が出たところで、ナギットは動けない彼の上着の襟首を掴み、
「すみません。今からコイツと一緒に店の方に謝罪しなければいけないので……これで失礼します」
口をあんぐり開けたままの女性にそう告げると、キキョウを助け起こすような真似はせず、うつ伏せに倒れたまま軽く持ち上げ店の方へ向かいます。足と手がずるずると引きずられていますが全く気にしません。
「ったく、お前が何かしでかす度に俺が苦労するっていい加減わかれよな……」
周りの視線など気にせずぶつぶつ文句を言いながら、店の中に入ってしまったのでした。
「はーいじゃあ解散だよー、みんな自分の生活に戻ってねーすぐにねー」
アオニの声と共に様子を見ていた野次馬たちが何事もなかったかのように足を進め、それぞれ散っていきます。この騒ぎの間、アオニたち一行は通行人たちに一定の距離を保ったまま囲まれていたので。
「…………」
「おねーさんもごめんね、変な騒ぎに巻き込んじゃって」
「んっ? あ、ああいいの?! 私が原因みたいなところあるから……」
慌てる女性、軽率な言動のせいでこの騒ぎを起こしてしまったのです。どうお詫びすればいいか必死に考えているところですが。
「気にしなくていいよ、アタシたちってだいたいいつもこんな感じだもん。ねっ?」
「ソウダネー」
遠い目をして返すカリブは明らかに棒読みでした。
「それじゃあアタシたちもそろそろ行こっか」
ぐったり倒れたままのカラスバを軽々と持ち上げ肩に担ぐアオニ。明らかにアンバランスな光景ですが、パワーバランス的には正しい光景だということぐらい、通行人たち全員が把握しています。
「おねーさんも縁があったらまたどこかで会おうね」
「え、ええ……そうね……」
引き気味の女性に軽く会釈してから、アオニは踵を返してまずは宿に向かいます。カリブは無言のままそれについて行き、早くネイピア商会に行ってくれないかな……と、ぼんやり思うのでした。
「……よかった……」
「何が? 吹っ飛ばされたのが?」
「り、キキョウは……根の部分は昔と全く変わってなかったんだな……と……」
「お兄さん頭の中オメデタすぎでしょ」
「本人がそう感じてるならそれでいいと思うよアタシは。ポジティブに考えてこ!」
「……」
「ふーん……ところで、自分の彼氏は放置したままでいいの?」
「その内勝手に戻ってくるからへーきへーき」
倒れたまま放置され続けているクロの扱いはこれまで以上に雑だったとか。
2020.4.5
村民であれば病気等の特別な事情がない限り参加しなければならないその祭りは、年で一番盛り上がる行事と称しても過言ではなく、わざわざ遠い国から祭りの様子を見にくるもの好きな観光客もいるほど。
祭りとは言え遊びではありません、村一番の剣士を選ぶ大切な行事。大人も子供も手を抜かず、本気で挑み勝利を勝ち取ろうとする様は、彼らが常に掲げている「魔」を滅ぼす使命に向ける熱意が伺えます。
そして、今年の優勝者は……既に決まっていました。
「というワケで、今年も未成人の部での優勝はサザミさんところのカラスバじゃな。これで五年連続かの」
「三年です、村長」
やんわり訂正すれば村長と呼ばれた老人は明るく笑って誤魔化したので、カラスバも釣られて苦笑い。
その視界の端で首を振っている青年は時期村長。耄碌してきた父親に呆れ果てている様が伺えました。
「ははは……」
「にいちゃん!」
明るく可愛らしい声にカラスバは瞬時に振り向きます。あまりに早すぎてちょっと風が起こりました。
後ろから駆けて来る女の子のような男の子、腰には刀ではなく木刀を指している見習い剣士。
カラスバの前で止まった少年は少し息を切らしていましたが、金色の瞳は溢れんばかりに輝いており、誰よりも尊敬している兄を見上げていました。
「にいちゃんおめでとう! すごいすごい!」
興奮冷めないまま祝福すれば、明るい紫色の髪の上に掌がそっと置かれます。
「ああ……リンドウが応援してくれたから、今年も優勝できた。ありがとう」
「うん!」
頭の上を撫でられ、少年はこれ以上にない幸せな感覚に包まれます。村で一番強い兄、世界で一番強い兄、そんな強くてカッコいい兄の弟でいられることが誇りであり喜びなのです。
すると、様子を見ていた他の子供たちも寄ってきまして、
「リンドウくんのおにいちゃんすごいすごい!」
「カッコよかった!」
「すげーつよいんだな!」
「えへん!」
自慢の兄が褒められて自分のことのように嬉しくなった弟、得意げに胸を張りました。
「ねえねえ! カラスバっていちばんつよいんでしょ! ぼくにもケイコつけてほしいなー!」
子供の内の一人が言ったことで、他の子供たちも口々に、
「えーずるい! オレもケイコしてほしいー!」
「わたしもー!」
「ぼくもぼくもぼくも!」
一斉に近付いてきて稽古してほしいの大騒ぎ。強い者に惹かれやすい彼ら一族の宿命ではあるものの、一度に多くの子供を相手にすることに慣れていないカラスバは動揺するばかりです。
「えっ、ええっ、ええと……」
ちらりと周りを見ますが、大人たちは大変微笑ましい光景を眺めているといった様子で助けてくれる気配はありませんね。自身の両親含む。
「ええ……」
困りました。元々物静かで強く言えない性格、落ち着かせようにも興奮冷めやまぬ子供たちひとりひとりを相手にするにはとても骨が折れそうです。
逃げようにも子供たちに囲まれて逃走不可能。誰でもいいから助けてほしいという本音をどう表現すればいいのか……。
すると、
「ダメー!」
弟が叫びながらカラスバと子供たちの間に割って入ってきたのです。ちょっと半泣きになって。
「にいちゃんにケイコをしてもらうのはオレだもん! オレだけなんだもん!」
「り、リンドウ……」
困り果てたカラスバを助けに入ったというよりも、兄が取られそうになったのが嫌で割り込んできた様子です。それでも感動する兄、だってブラコン。
「えーおとうとだからってそれはズルイぞー!」
「ずるいー」
「ズルくない! ズルくないんだからな! にいちゃんはだれにもわたさないんだからなー!」
そのまま足にしがみついてくる姿がなんとまあ可愛らしいことか。
兄は、どこまでも素直で可愛い弟を慰めるように頭を撫でたのでした。
そんな美しい記憶からかれこれ十数年後の現在、マギニアにて。
「話しかけてくんなクソ野郎、このまま一時間息止めて死ね」
「…………」
出会い頭、最愛の弟こんな罵倒をぶつけられたカラスバはショックのあまり言葉を忘れました。
「キキョウ〜偶然とはいえお帰りって言って貰ったんだからそこは素直に“ただいま”って返さなきゃでしょ?」
罵倒を飛ばした弟の後ろからひょっこり現れた頭巾の少女、クアドラ第二パーティのリーダー、ソードマンのアオニ。彼氏と付き合って三年目に突入したリア充です。
続いてそのお相手の青年、元ルーンマスターで現ゾディアックのクロも、
「そうですよ。貴方たち兄弟がカラスバの一方的なブラコンという不憫な関係だとしても私はどうでも良いですが、フカ子がとても心を痛めているのです。嘘でもある程度の関係を保ってください」
彼女……というよりも女の子のことを第一に考える自称紳士がぴしゃりと言いますが、この兄弟の問題については無関心という本音がだだ漏れのため、説得力がありません。
外野が煩くなってきたためキキョウは渋々振り向いて、
「絶対に嫌だ。嘘でも仲良くするとか俺にとっては罰ゲームどころか拷問だからなそれ」
「そこまで言わなくても……」
恐る恐る反論するカラスバでしたが、
「あ゛?」
「……」
睨まれて萎縮してしまいました。
「仔犬くんは嫌だ嫌だと言っても手を出さない辺り、まだ温情があるよね」
一行の最後尾にいたプリンスのカリブ。彼の言う「仔犬くん」とはキキョウのことを指します。ナギットに着いて回る姿が子犬に見えたことから生まれた渾名です。
明らかにキキョウにかけた言葉ですが、その視線は肩を落としているカラスバに向けられています。同情するわけでもなく、ただ眺めているだけでした。
「だって斬りかかったらナギットさんに叱られるし」
「仔犬くん的にはご褒美なんじゃないの?」
「怒られて嬉しいとかそういう性癖じゃないから」
「えっ? 仔犬くんってアホ金髪に殴られることに性的興奮を感じて止まないんじゃないの? いつも公開SMプレイを見せつけられてるって思ってたのに違うって言うのかい? じゃあなんで得もないのに殴られているの? 馬鹿だから?」
「途中からストレートな罵倒になるのなんで?」
「叱られるのが嫌なら俺が怒るようなことばっかしてんじゃねぇよ」
後ろから叱りつけるキツイ声の主こそ、キキョウが敬愛する未来の主人、聖騎士のナギットです。
「カラスバさんを虐めてるとまたシエナに怒られるぞ」
「今はいないから大丈夫ッス!」
「誰も後で告げ口しないとは一言も言ってねぇからな」
「すんませんッス!」
即座に九十度の綺麗なお辞儀が炸裂しました。
この場にはいませんがクアドラ唯一のメディック、シエナは兄弟は仲良くするべきだと日ごろから豪語しており、キキョウがカラスバを冷たく罵倒したり攻撃しようとすると、すぐさま制止したりぷりぷり怒ったりするのです。
恐ろしさで表現するとナギットの方が百倍上ですが、シエナはたった十三歳の少女。小さな女の子相手に強気に言い返せませんし力で屈服させようなんてもっての他、第一パーティの大人たちの手で人知れず闇に葬られてしまうことでしょう。
という事情から、キキョウはシエナに叱れることがナギットに怒鳴り散らされる次に苦手なのでした。
「……いや、俺に謝る前にカラスバさんに謝れよ」
「それは無理な相談ッスね」
顔を上げて淡々と言い返し、ナギットが呆れて息を吐きますが気にしないことにしました。
「とにかく! ナギットさんやアオニたちに何をどう言われようが俺はコイツと仲良しこよしする気は全っっっっくないッスから、そこんとこヨロシクッス!」
「よろしくできねぇし」
「仔犬くんも無駄に強情だねえ」
「知らん! 以上! 終わり! 解散! 撤退! 閉廷!」
強引に会話を終わせると、くるりと踵を返して歩き始めました。苛立ちを隠せないのかわざと強く足音を立てながら。
「…………」
その背中を無言で見つめるカラスバ。一言も喋らないものの、その心境は今にも死にそうな表情から手にとるようにわかりますね。
「元気出してね」
「そうですよ。キキョウはツンギレデレですから、いつか小数点以下の確率でデレが現れますよ」
「……そう、だな……」
アオニとクロが慰めていますが、クロの言葉は慰めとして成立するのでしょうか。ナギットはそれだけが気がかりです。
すると、
「あれ!? アナタ、ギルド“ロイヤルハンターズ”のブシドーじゃない!?」
凛とした綺麗な声が響き、真っ先にカラスバが振り向きました。
その視線の先に立っているのは、オレンジ色のコートに長ズボンと露出の少ない格好の女性。髪は金色で背はアオニより高く、右腕には星術機を取り付けていることから、ゾディアックであることが伺えます。
人懐っこい笑顔を浮かべながら駆けてくる女性、カリブとナギットとアオニが一斉にカラスバを見て、無言で彼女との関係を尋ねていますが、
「初めまして美しいお方。私はクロと申します、装備からして貴女も星術を扱うのでしょうか?」
自称紳士、カラスバと女性の間に立ち塞がると小さく頭を下げて挨拶。さわやかな笑顔も付けて。
「え、ああ……そうよ? 昔はアルケミストだったけど……」
「やはりそうでしたか、私もこういった身なりですがゾディアックでして……こうして同職なのも何かの縁……いや、運命と呼称しましょうか」
「は、はあ?」
「ああ……私はなんて幸運なのでしょうか、こんなにも美しいゾディアックの方と出会うことができるなんて、きっと世界一の幸せ者かもしれませんね」
「ど、どうも?」
「ここで巡り合ったのも何かの縁、少しお茶でもし」
刹那、アオニの飛び膝蹴りがクロの側頭部に炸裂しました。
身長約百八十五センチ以上の男の頭部に身長約百五十五センチ強の女の子が膝を当てて来たのですから、ソードマン特有の非常に高い身体能力が窺えますね。
「みゅぎょう」
奇怪な悲鳴を上げて横に吹っ飛んだ自称紳士。その勢いのまま石畳の地面を転がれば、通行人が悲鳴を上げて避けていきます。
二十回程度転がって道のど真ん中で止まり、うつ伏せの状態のまま動かなくなってしまいました。
『…………』
絶句する女性、ついでにカラスバも。ナギットとカリブは見慣れた光景なので冷めた目でクロを眺めるだけ。
「ごめんね〜カラスバに用事があったのにウチの彼氏が邪魔しちゃって〜」
彼氏を蹴り飛ばした張本人はニコニコしながら女性に謝罪するも、今の一瞬で彼女の恐ろしさというか身体能力の高さを思い知った女性は顔を引きつらせていまして、
「い、いいのいいの! 気にしてないから! 大丈夫……って、彼氏さんだったの……?」
「うん。アタシという美人で可愛くてつよーい至高の彼女がいながら他の女に目移りしてすぐさま口説きに入る顔のいい男が彼氏なの」
淡々と言い切ったアオニでしたが「至高の彼女……?」と、ナギットだけでなくカリブも首を傾げています。普段は仲が悪いのにこういう時ばかり気が合うのは宿命でしょうね。
「文句があるなら一字以下で言って。それを破ったらクロと同じ目に遭わす」
睨まれたのですぐに目を逸らしました。自分の命は大切ですもの。
「なんという濃いメンツ……それよりブシドーさん、カラスバだっけ? 本当に久しぶりね!」
「ええ……まあ……」
気を取り直して笑顔を向ける女性にカラスバは戸惑いながらも頷きました。
そして、背後からのアオニの視線に気付くとゆっくり振り向きまして、
「前のギルドのギルドマスター……王女の友人だ。時々宿に泊まりに来るほど仲が良くて、他のメンバーとも少なからず交流があった」
「なーるほどねえ、アタシはてっきりカラスバの彼女かと思ったよ。だからクロの頭蓋骨を破壊しない程度に蹴り飛ばしたんだけど」
「人骨にダメージが入ったにしてはあり得ない音を立ててなかったか……?」
アオニは目を逸らしました。
向こうではカリブがこっそりクロに巫術:反魂を使い、人体の損傷により体外に飛び出した魂を呼び戻す作業を行なっています。
ネクタルを使っても蘇生は可能ですが、薬剤投与はお金がかかるため節約しているのです。金にうるさいギルマスがネチネチ言うので。
さて、アオニに「彼女」とか言われた女性はちょっと照れ臭そうに頬をかきつつ、
「いや……その、メンバーのほとんどはマギニアから離れていったって聞いてたけど、アナタは残っていたのね。もう別のギルドに入ったの?」
「ああ……彼女と同じギルドに所属することになった」
「かなり濃いメンツが揃っているみたいだけど大丈夫? アナタって全然主張しないタイプだから存在忘れられたりしてない?」
「…………」
できることなら「そんなことはない」と否定したかったことでしょう。アオニたち第二パーティならまだしも第一パーティの問題児……もといギルマス中心のメンバーに意味もなく連れ出されてしまった出来事が脳裏を過り、発言する意志を失ってしまいました。
扱いが雑にも程があるけど時々頼ってくれるから文句もつけにくいワケで。
「苦労しているのね……」
複雑な状況と心境は知らないものの、雰囲気から彼の苦労が伺えた女性は同情の視線を送り、
「そうだね。ギルドの中でもかなり苦労している内に入るよ」
アオニがそれに同調しました。
ちなみに、女性が考えている「苦労」とはギルドのことですが、アオニが考える「苦労」とは彼の弟のことを指します。見えないところで噛み合っていません。
「そうだ。久しぶりに会ったのも何かの縁だしちょっとお話しない? さっき探索が終わって暇してたところなの」
女性から唐突に飛び出すお誘いの言葉。カラスバは驚いたのか目を丸くさせていますがアオニはニヤリとほくそ笑み、
「いいんじゃない? アタシたちはこれから探索後の事後処理とかで忙しいから、カラスバとおねーさんだけで行ってきたらさ?」
なんて言って二人きりにさせようとしています。ニヤニヤを止めずに。
「えっ? そ、それは……」
彼女たちの意図が読めたのか静かに慌てるカラスバ、助けを乞うようにナギットを見ますが、彼は「それぐらい自分からちゃんと断ってください」とテレパシーを送るだけで助けません。届いているかは別として。
さっきから会話に全く参加していないのは、知らない女性が登場したせいで話に入るタイミングが全く掴めないでいるから。忘れがちですが彼、極度の人見知りです。
「あれ? 用事でもあった?」
「いや……用はない、が……」
「じゃあ決まり!」
ポンと軽く手を叩いた女性はほんの少しだけはしゃぎながら、カラスバの左腕に抱きついてきました。
「ほほう?」
「わあ」
「……」
ニヤけるアオニ、大胆だなあとぼんやり思うカリブ、無言で明後日の方向を眺めるナギット。それぞれ別のリアクションで女性の行動を見ていました。
「最近いい感じのカフェを見つけたの! お値段もお手頃なんだけどそれだけじゃなくて、メニューもとっても豊富でどれも美味しいんだから! 特に生クリームとアイスとフルーツをふんだんに盛り付けた色彩豊かなパフェが有名なんですって!」
生唾を飲み込む音がします。甘党のアオニから。涎のおまけつき。
「い、いや……俺は甘いものはそこまで……」
「大丈夫、普通の軽食もあるから!」
退路が見つかりません。女性は動揺するカラスバの腕をぐいぐい引っ張り連れ出そうとしています。
「パフェ……パフェかあ、いいなあパフェ……フレークの入ったやつもいいけどアタシの好みは底にスポンジケーキが敷き詰められてるやつで、パフェのてっぺんに乗ってる生クリームをある程度残した状態を保ってスポンジケーキに到達したらクリームにスポンジを絡ませて食べるのが良いんだよね……フルーツのシロップが染み込んでいればなおよし。なかったら自分でかけるけど」
涎を垂らしながら、誰にも聞かれていないのにこだわりを口走る辺り少々腹ペコのようです。用事が終わったら酒場でスイーツというスイーツを頼むか、クロを連れて買い食いに走るかのどちからになるでしょう。
「どっちでもいいけどね。というか、クリームにスポンジじゃなくてスポンジにクリームじゃないの?」
「あのねカリブ。スポンジとの合体を心待ちにしていたであろうクリームが長い時を経て運命の再会を果たした瞬間、アタシは劇的再会をした二人の仲人のような存在になるの! 大切な瞬間を心待ちにしていたスポンジが自らクリームに絡まりたいという欲を! 愛を! 情熱を! アタシは無視できるだろうか否できない! だったらクリームがスポンジにまみれようがスポンジがクリームにまみれる未来が生まれてようがアタシは全てを肯定し何もかもを優しく包み込み!」
「つまりどっちでもいいってことじゃん」
話の序盤ぐらいから意味が分からなかったので適当に聞き流した、その時、
カラスバが横に吹っ飛びました。
突然真横に吹き飛び、雑貨店の横に重ねてあった木箱と衝突して悲鳴と絶叫と埃を生み出すという、奇想天外な光景を目の当たりにすることになりました。
彼はバッキバキに破壊された箱の中央でひっくり返ったまま動きません。箱の中にあった果実が地面に散乱し、野次馬がこっそりに盗んでいく光景がありました。
『……え?』
アオニとカリブ、とっさに横を見ると立ち尽くしている例の女性がいます。目の前で起こった出来事が理解できていないのか、まるで夢や幻を見ているように吹っ飛んだカラスバを眺めて呆然。更には、
「やりすぎだぞ、キキョウ」
動揺することなく言い放ったナギットの声に応えるように、
「断れよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
大きすぎて星ごと振動していそうなほどの声が、女性の後ろから発せられました。
女性は振り向き、アオニは唖然とし、カリブはぽかん。ナギットは何も言わずにカラスバが突っ込んだ店の中に入っていきました。
怒声を飛ばす騒ぎの中心核は……言うまでもなくキキョウでして、
「な〜〜〜に流されようとしてんだよテメーはよ! 行きたくないなら行きたくないってハッキリ断ればいいだろクソ! 嘘でもいいから用事があるとか言えばいいじゃねえかボケ! そういうのは相手にも失礼になるんだってわかんねえのかカス!」
語尾に汚い言葉が付くタイプの珍しい罵倒が女の子のような男から飛び出します。口は悪いものの言ってることはそれなりにマトモでした。
暴言をぶつけられ続けるカラスバ、吹っ飛んで木箱にぶつかったことで大ダメージを負ったハズですが、奇跡的に意識はあるらしく、手足をピクピクさせてまして、
「そ……れは……その……言い出すタイミングが……なくて……」
「単にテメェがいくじなしのヘタレの奥手のクソってだけだろうがクソ野郎!」
温厚な兄、反論不可能。いっそこのまま気を失ってしまいたいと願うも頑丈な体がそれを許しません。
「テメェがいつまで経ってもそんなんだからギルマスたちに舐められんだろ、んでもって三竜退治に駆り出されるだけの都合の良い奴でしかねーんだよ。いつまで都合の良い男でいる気だ? あ? 一生か? 一生ってか、一生そのままかテメェ」
「やめてあげなよう」
ヒートアップし続ける後ろでカリブがやんわり制止に入るも、限りなく棒読みに近い棒読み。
彼が珍しく仲間を思いやるような行為に走ったのは、隣のアオニがそろそろ仲裁に入るべきかと手をパキパキと鳴らし始めたからです。心の底から信頼していないとは言っても、苦楽を乗り越えたギルドメンバーの無惨な死体はあんまり見たくありませんからね、ちょっと気に入ってるし。
「ま、まあ落ち着いて……元はと言えば無理に誘った私のせいなんだから、彼を虐めるのはよくないわ……」
見ていられなくなったのか女性がやんわり止めに入り、キキョウの後ろから声をかけて、
「あん?」
振り向き様に睨まれてしまい、その迫力に一瞬怯むも、
「ってあら……? もしかして、アナタが噂の弟クンだったりするの?」
見事に言い当てられ、瞬時に顔が引きつります。事実ですがそれを肯定したくないのです、ツンギレデレだから。
「そ、う゛……いや、身内じゃなくて赤の他人でコイツとはなんら関係ねえ女装がライフワークの趣味特技ナギットさんの一般人でありんす……」
多少どころかかなり無理のある誤魔化しに女性はきょとんとするしかできませんが、
「仔犬くん、軌道修正したのに動揺して修正しきれてないよ?」
「趣味特技がナギットってなに? 彼をどうしたいの?」
遠くから冷めた目を向ける仲間たちの声が刺さりますが、ここは痛みを耐えることで凌ぎます。
「他人? 噂では弟クンって見た目はすっごい美人だけど、実は女装している上に口は若干悪いわ主人(仮)のことばかり考えていて、もう手がつけられないぐらいの暴れん坊って聞いたことあるけど?」
情報が一人歩きしているような言い草ですが女性は本気らしく、不思議そうに首を傾げてます。
キキョウは肯定せずに黙り込んでしまったので、ここでアオニが助け舟。
「あのねおねーさん、彼はただ反抗期なだけなんだよ。思春期の娘が授業参観に来たお父さんを指されても“アイツ親じゃないし!”って否定するのと一緒」
「妙にリアルな例えだけど実体験?」
「うん」
「残酷だねー」
遠い目をするカリブ、会ったこともない赤の他人ですが可哀想だと思っているのです。きっと。
どうでもいい会話の最中、女性は何かに気付いたらしく手を軽く叩きまして、
「そっか! 弟クンはお兄ちゃんが取られそうになったのがイヤだったから八つ当たりしちゃったのね!」
「は!?!?!!?!?!?!!?」
キキョウ絶叫。誰がどう聞いても逆ギレしているような汚い声ですが女性は全く怯みません。
「兄弟は多いからそういうのなんとなく分かるの。そっかそっか、事情も知らずに勝手なコトをしてゴメンね、弟クン」
「だから!! 違う!! 俺は!! コイツが!! 嫌いな!! だけ!! あと!! 弟!! 違う!!」
単語ごとに区切って強調しますがただ煩いだけ。道ゆく人々があまりの騒音に耳を塞いでいる光景が見えて、アオニがぽきぽきと指を鳴らし始めました。
「十五年以上も離れ離れになっててやっと再会できて、長い間ずっと一緒にいられなくて寂しかったのよね? 今はいい歳だし照れ臭いのも分かるけど、あんまり照れ隠ししちゃダメよ?」
「だーかーらーちーがーうーってー!!!」
女性の誤解は留まるところを知りません、カリブはそろそろ他人のフリをしたくなってきましたが、この後ネイピア商会で杖を新調してもらう約束をしてあるので逃げるに逃げられず、この羞恥に耐えるしかありません。
騒ぎを聞きつけ衛兵がやって来るのも時間の問題かと囁かれた時、ナギットが店から出てきました。
「あっ! ナギットさん!」
趣味特技がナギットだと豪語していたこともあり、すぐさま彼に気付いたキキョウは金色の瞳を輝かせますが、
「カラスバさん大丈夫ですか?」
「…………大丈夫だ……」
今にも力尽きそうな弱々しい声ではあるものの、なんとか意識を保っているカラスバを木箱から引っ張り出すナギットの姿を見て、快晴だった表情は一気に曇りました。
その間に見ているだけだった通行人もちらほらと手を貸してくれ、程なくしてカラスバの救出に成功。とりあえず地面の上に寝かせる形にしてひとまず置くことに。
「アオニ、悪ィけどカラスバさんのこと頼むわ」
「おっけー」
現時点で最も信頼できる相手に託した後、キキョウへ一直線に向かっていきます。
「酷いッスよナギットさん! なんであんな奴を助けちゃうんスかー!」
「…………」
「ナギットさんが優しいのは俺だって理解してるッスよ? でもこれは俺とあのクソ野郎の問題だから手出し無用でお願いしたいッス」
「…………」
「そうだ、ちょっとこの女の説得に協力してもらっていいッスか? どうも変な誤解してるみたいで聞かないんスよー」
「…………」
「ね」
刹那、
キキョウが視界に捉えたのは、下方からやって来る拳でした。
五感が鋭く身体能力も高く攻撃は回避するものがモットーのブシドーである彼ですが、大好きな人の鉄拳だけは、自身が足封じになってしまったように回避ができなくなってしまい。
「ぶへらぁ」
重騎士パラディンの重さと硬さの如く重く固い拳は顎にクリティカルヒット。あまりの振動に脳が揺れ、数秒前の出来事が頭の外に吹っ飛びそうになってまた戻ってきました。
女装男子は宙に舞います。上へ上へと吹っ飛びます。目測ですが地上三メートル程は飛び上がったことでしょう。上昇点が最高値に達した時、頭を下に向けて地上に向けて落下を始めます。
「ごは」
見事頭頂部から着地に成功、うつ伏せに倒れてしまいました。
これだけでも頭部へのダメージの深刻さが伺えますが、これでもアルクライト家の使用人、この程度のダメージで瀕死になるなら使用人どころかいざという時の肉壁にもならないと彼の上司談。
「お、ごが……頭が、弾けた……」
呂律も回っていますし息もあります、問題はなさそうです。
「人様の店のモノをぶっ壊しといて知らん顔してんじゃねーよ」
とても落ち着いた口調でしたが声色からして激怒しているのは明白。人見知りなのに人前で幼馴染兼使用人を殴り倒すことについては全く抵抗がないので、ついでに側頭部に軽く蹴りも入れておきました。
「す、すみません……ッス、ナギットさん……」
遅めの謝罪が出たところで、ナギットは動けない彼の上着の襟首を掴み、
「すみません。今からコイツと一緒に店の方に謝罪しなければいけないので……これで失礼します」
口をあんぐり開けたままの女性にそう告げると、キキョウを助け起こすような真似はせず、うつ伏せに倒れたまま軽く持ち上げ店の方へ向かいます。足と手がずるずると引きずられていますが全く気にしません。
「ったく、お前が何かしでかす度に俺が苦労するっていい加減わかれよな……」
周りの視線など気にせずぶつぶつ文句を言いながら、店の中に入ってしまったのでした。
「はーいじゃあ解散だよー、みんな自分の生活に戻ってねーすぐにねー」
アオニの声と共に様子を見ていた野次馬たちが何事もなかったかのように足を進め、それぞれ散っていきます。この騒ぎの間、アオニたち一行は通行人たちに一定の距離を保ったまま囲まれていたので。
「…………」
「おねーさんもごめんね、変な騒ぎに巻き込んじゃって」
「んっ? あ、ああいいの?! 私が原因みたいなところあるから……」
慌てる女性、軽率な言動のせいでこの騒ぎを起こしてしまったのです。どうお詫びすればいいか必死に考えているところですが。
「気にしなくていいよ、アタシたちってだいたいいつもこんな感じだもん。ねっ?」
「ソウダネー」
遠い目をして返すカリブは明らかに棒読みでした。
「それじゃあアタシたちもそろそろ行こっか」
ぐったり倒れたままのカラスバを軽々と持ち上げ肩に担ぐアオニ。明らかにアンバランスな光景ですが、パワーバランス的には正しい光景だということぐらい、通行人たち全員が把握しています。
「おねーさんも縁があったらまたどこかで会おうね」
「え、ええ……そうね……」
引き気味の女性に軽く会釈してから、アオニは踵を返してまずは宿に向かいます。カリブは無言のままそれについて行き、早くネイピア商会に行ってくれないかな……と、ぼんやり思うのでした。
「……よかった……」
「何が? 吹っ飛ばされたのが?」
「り、キキョウは……根の部分は昔と全く変わってなかったんだな……と……」
「お兄さん頭の中オメデタすぎでしょ」
「本人がそう感じてるならそれでいいと思うよアタシは。ポジティブに考えてこ!」
「……」
「ふーん……ところで、自分の彼氏は放置したままでいいの?」
「その内勝手に戻ってくるからへーきへーき」
倒れたまま放置され続けているクロの扱いはこれまで以上に雑だったとか。
2020.4.5
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