世界樹の迷宮X

「スオウさん、クレナイさんは……」
「買い物してくるって出て行ったわよ」
 ロビーの待合スペースにあるテーブルとソファーを占領し、タロットカードを広げていたスオウはカヤに一瞥もくれずに答えました。
 それだけの返事で花が咲いたような笑顔を浮かべたカヤは小さく会釈して、
「わかりました! ありがとうございます」
 嬉しそうに謝礼を述べると、カウンター側の廊下へと足を進めました。





 ギルド「キャンバス」の女たちが宿泊している宿は男子禁制、女性だけが利用できるシステム。無断で立ち入った男にはしかるべき処置が下されます。
 メンバーの半分以上が異性を快く思っていないキャンバスにとってこの宿はとても都合が良いのですが、いくつか不便な点があります。
 その一つがお風呂でした。
 一階ロビーのカウンター側の廊下、その奥にはキッチンとお手洗いと並んでお風呂場がありますが、そこは大人二人が入れる広さしかない湯船とシャワーが一つあるだけ、宿の風呂場としてはとても狭い。ついでに脱衣所も狭い。
 なので宿泊客のほとんどはマギニアの大入浴場に足を運びます。場所は湖の貴婦人亭の裏手。混浴はありませんがとても広い湯船では伸び伸びとお湯に浸かって疲れを取ることができる為、マギニア内では人気スポットの一つです。
 だからカヤもそちらへ行けば良いのですが、彼女は深刻な男性恐怖症。できる限り異性との接触を避けるために狭い風呂を使うしかないのです。男性恐怖症を克服したいとは思っていても、風呂場は一番無防備になりそうな場所だからという理由で積極的に避けています。混浴はないのに。
 ただし、彼女が宿の風呂を利用するにあたって問題点が一つ。
 その問題点は言うまでもなくクレナイというショーグンの存在です。
 黙っていれば美人、女の子大好きなレズ、暴走気質、男嫌い、ワガママ、言動が子供……特徴を言い出したらキリがないのでこの辺りで打ち止めにしておきますが、とにかく問題行動が多い彼女に性的な意味で好かれてしまっているカヤが一番懸念していることが、クレナイが浴場に乗り込んでくる危険性です。
 まだ一度もその禁忌を犯してはないものの、一番無防備な状態で対峙してしまえばどうなるか……想像しただけで背筋が凍りつく思いをしたため、宿にいる誰かにクレナイの所在を確認してから風呂場へ向かうことが日課になっていました。
 キャンバスのメンバーだけでなく、同じ宿に宿泊している女冒険者たちにも協力してもらっていますが「付き合ってるんだから別にいいんじゃないの?」という意見も少しづつ出てきています。未だ誤解は解けないままでした。
 訂正が面倒……というワケではなく、この手の噂を完全に信じ切ってしまった人間の誤解を解くのは相当骨が折れる作業ですし、物的証拠を突き付けない限りは何を言っても無駄だとカヤは知っています。経験談ですから。
 なので誤解は誤解させておくことにして……そもそも今はそんなことを考えず、カヤは入浴場のドアノブに掛かっている「空き」と書かれたプレートをひっくり返して「使用中」にすると、脱衣所に中に入りました。
 大人四人がギリギリ入れるスペースしかない脱衣所、入って正面には入浴場に続く扉があって、右側には腰の高さ辺りの位置の壁に板を設置している棚があります。その上に空っぽのカゴが二つ。
 反対側には洗面台があり、掃除したてなのか鏡には汚れ一つありません。
 服を脱いで肌着も脱いでサラシも外して、それらを綺麗に畳んでから左側の籠に入れ、乾いた白いタオルを一枚持って浴室の扉を開ければ白い湯気が、

「やっほ〜カヤちゃ〜ん♡」

 扉を閉めました。
 だって湯船に何かいる。
 というか、お風呂に入っているなら長い赤毛をまとめてほしいところ、マナー違反ですから。
「ちょっとカヤちゃん!? 出会って早々挨拶も無しにドアを閉めてしまうなんて酷いですわ!?」
 現実をどう受け止めていいか迷っている間に赤毛桃瞳のショーグン、クレナイがドアを開けて来てしまいました。お風呂なので当然全裸。
「うひゃあ!?」
 誰だって心の片隅に若干の苦手意識を持つ女性が迫ってきたら悲鳴ぐらい出ますし、おまけに何一つ纏っていない裸、全裸、すっぽんぽん。迫力が違います。
 慌ててタオルを広げて正面だけ隠したカヤですが、体を洗うためのタオルなのでせいぜい胸元から太ももの付け根辺りまでを隠すので精一杯です。ギリギリ隠したいところだけ隠しました。
「なな、ななっ、なんでクレナイさんがここにいるんですか!? スオウさんはさっき出て行ったって……!」
「ええ。確かにさっき出て行きましたわ、それは紛れもない事実……スオウちゃんは嘘をついていません」
「だったらどうして……!?」
「出て行ったと見せかけて宿の裏口からコッソリ侵入しましたの! 後はカヤちゃんが来るまで湯船に浸かりながら待機していましたわ! 一緒にお風呂に入るために!」
 そんな手間までかけて風呂に入りたいのかこの女は……カヤは呆れつつ、一歩退くと振り向き様にダッシュを、
「させませんわ!」
 出来ませんでした。肩を掴まれてしまったので。
「わっ!?」
「折角ここまでこぎつけたんですもの、絶対に逃がしませんわよ!」
「えええっ!? い、いや、イヤなんですけどぉ!」
 同性同士でお風呂に入るならまだしも、相手は自分を性的な意味で見てきている人間です。同性愛に偏見のないカヤですが「そういう目」で見られていると分かっている以上、一番無防備な状態を晒して一緒にいるのは無理です、常識的に。
 しかし、逃げようにも肩を掴む力は半端ではなく身動きひとつ取れません。自身も盾を使っての攻防戦が得意なので腕力に自信はある方ですが、前衛で刀を振るい、魔物をなぎ倒している人間の力も馬鹿にできませんね。
 足を踏ん張って無駄な抵抗を続けている最中、クレナイは涼しげな表情を浮かべたまま語りかけます。
「大丈夫ですわよカヤちゃん、私はこう見えてとても誠実な人間ですの。いくらカヤちゃんのことが大好きだと言っても、交際前の相手に手を出すなんて言語道断、天地がひっくり返ってもありないのでご心配なく」
「すみません、一切信じられません」
 カヤもそこまでお人好しではないのでクレナイの言葉を信じず、肩を掴まれている手首を掴みますが、
「でも! 今日を逃せばきっとカヤちゃんは宿の皆さんに協力を依頼して私とお風呂でバッタリ☆ なんて事故を起こさないように努めるでしょう!? つまり、ここで諦めたらこのチャンスを二度と掴めなくなってしまうということ!」
「努力と必死さは認めますけど! だからって性的な意味で好意を持っている人間と裸の付き合いなんてできませんからね! 付き合ってもないのに!」
 そのままクレナイの手を離そうと力を込めるも微動だにしません。まるで接着剤でくっついたのかのよう。
「つ、強い……」
「でしたらこうしましょう、カヤちゃん」
 涼しい顔をしたまま、クレナイは提案。
「私がアナタにおかしな真似をしてしまったらその時は……私は自らの責任を負うためにギルドから脱退しますわ」
「……え」
 そんな誓いを立ててまで、一緒に入浴したいらしいですね。カヤ、脱帽。
「ギルドも抜けますし、二度とカヤちゃんにもお会いしません。私の初恋を全て諦めますわ……それなら、良いでしょう?」





 結論から言うと、カヤはクレナイとの入浴を同意しました。
 このまま逃してくれないでしょうし、風呂場で喚き散らされるのも迷惑がかかります。
 そして何より、こんな人間に惚れ込んでしまって……と、ほんの少しだけ可哀想に思えてしまったから。
「どうしてそこまでして私と一緒にお風呂に入りたいんですか貴女は……」
「カヤちゃんのことが大好きですもの♡」
 湯船の中で落胆するカヤと、それをニコニコしながら宝物を見つめるように眺めるクレナイはいつも以上に上機嫌でした。
 カヤの要望により、彼女の赤色の長い髪はさっき体を隠すために使ったタオルでまとめました。よって普段は見えないうなじが露出していますが、全く興味がないので特に意味はありません。
「はあ……」
 重いため息を吐き出すカヤは、横目でクレナイを見ます。
 とても柔らかそうでしなやかな体は汚れや傷の一つもなく、白い肌はお湯で火照りほんのり赤く染まり、腕は常に二本の体を振るっているとは思えないほど細くて綺麗で。
 周囲から「女性らしい」と呼ばれる人間は彼女のような人のことを指すと思ってしまいました。
「……私とは大違い」
「何がですの?」
 無意識のうちに言葉を漏らしてしまったようです。
 クレナイが首を傾げたことで始めて自分の失態に気付き、慌てて目を逸らし、
「貴女みたいな……同性から見ても綺麗な人だと思えるような女性は、私みたいな女性らしさの欠片もない人よりも、もっともっと可愛らしい人を好きになった方が良いと……思うんですけど」
 言葉を続けるに連れて虚しさが加速していくのはどうしてでしょうか。
 この複雑な感情は決して、自分を諦めて欲しいと遠回しに要求していることがどこか寂しく感じてしまう……なんてことはないと、断言したいと、強く願ったカヤでした。
 進言したところで簡単に頷くような女性ではないことぐらいイヤというほど分かっているので。
「何を仰っていますカヤちゃん。カヤちゃんだってカヤちゃんなりの美しさがありますわよ」
「いやいや?! 全然ありませんよそんなの! 美人の“び”の字もないでしょう!」
「ありますわよ」
 強く否定されても間髪入れずに断言してきた顔を見てしまいました。
 そこには、口元を緩ませ愛おしそうに横顔を覗き込んでいる姿があって、その色気にドキリと心臓が高鳴ってしまう原因が全く分かりません。
「確かに、カヤちゃんは世間一般的に言う美しさや可愛さからは遠い場所にいることでしょう。しかし、カヤちゃんには騎士としての美しさがあるではありませんの」
「へ……騎士と、して……?」
 そんな風に言われたの騎士になって始めてで、まるで頭部を強く殴られたような衝撃を覚え、頭がクラクラしてしまいます。
 彼女は自分が予測も出来ないような、まず誰からも言われることのない言葉ばかりかけてくる……それの何が楽しくて何が嬉しいのでしょうか。
 理解に苦しみます。
「騎士……パラディンは誰かを守ることを誇りとしているのでしょう? それが騎士として最もあるべき姿だと」
「は、はい……そうですけど……」
「二刀流でどうしても防御が疎かになってしまう私、方陣を張る間に隙ができてしまうスオウちゃん、ご飯のことになると周りが見えなくなってしまうワカバちゃん、回避に特化する故に防御面を全く考慮していないコキ。そんな私たちが厳しい樹海の中で生きて帰って来れるのは、カヤちゃんが守ってくれているからですのよ?」
「ま、まあそれが私の仕事ですし……というか、私なんてそれぐらいしか」
 できない。と、最後まで伝える前に、
「それはカヤちゃんにしかできないことですの。騎士の役目を全うし、皆を守るために立ち回る姿はとても美しいですわ」
 キッパリと断言し、微笑みを向け、何もかもを肯定してくれました。
 いつ以来でしょうか、女としてではなく騎士としての在り方を認めてもらえたのは。 
 彼女は、自分が本当に欲しい言葉だけを選んでくれる。
 たまらなく嬉しくなって顔に熱が上っていきます。でも、それを湯船に浸かって体温が上がっているせいだと無理矢理決めつけ、とっさに下を向いてしまいました。
「あ、あ、あ……当たり前の事をしているだけですよ?」
 照れているのがバレてないかと心配でたまりませんが、それを尋ねてしまえば墓穴を掘るのと同じことなので言いません。
「カヤちゃんにとっては当たり前でも、私たちにとっては当たり前でも何でもありませんの。私たちを守ってくれるカヤちゃんを美しいと感じたのですから、素直に受け入れておきなさい……でも」
「でも?」
 次は何が飛び出して来るのか予測できずカヤはつい身構えてしまいます。
 風呂場で見る彼女はどこか魅惑的だし自分をベタベタに褒める上に、いつものように押しの強いアタックをしてこないせいで調子が狂い続けているからでしょう。対応に困り続けていました。
「仕方ないことだと理解していますが……カヤちゃんの綺麗な肌が傷ついてしまうのは心苦しいことですわ……」
「……あぁ……」
 なるほど……なんて他人事のように納得し、左腕をお湯から出しました。
 いつもは左手で盾を持っているため、武器を持つ右手よりも筋肉がついていて固い腕。ムキムキというほどではないものの、女性の腕とは言いにくいぐらいには強く、たくましく育ってしまっています。
 騎士としての過酷さを物語っている腕の傷の数々。
 擦り傷や切り傷よりも打撲の跡やかさぶたの跡などが多く目立っていました。
「体力には自信があったんですけど、やっぱり騎士の訓練って過酷で……慣れないことの連続で怪我が絶えなかったんですよ。これらは私の未熟さの証ですから、クレナイさんが悲しむことはありませんよ」
「…………」
「あれ?」
 次はどんな否定文が来るのかと思いきや、クレナイは黙っています。カヤにとって喋らないクレナイなんて不気味でしかありません。
「カヤちゃんの苦労は分かります……分かります……けど」
「けど……なんです?」
「……首の……」
 そこまで言いかけて言葉を止めてしまいました。
 最後まで言われなくても彼女が何に対して憂いているか、分かります。
「……気にしなくていいのに」
 血染めのにより正気を失ったクレナイに付けられた首の傷に触れました。
 傷は塞がったものの多少の跡は残ってしまった為、これが目に触れる度にあの日の夜のことを思い出してしまいます。
 忌まわしい記憶が呼び起こされた夜を。
「ねえ、カヤちゃん。一体いつになったら私は貴女に傷つけた償いをさせてもらえますの? ずっとずーっと待っていますのに」
 そう言われても……なんてカヤは苦い顔。
 本気で反省して贖罪を望んでいるのですから「二度と近寄ってこないでくさい」と言ってしまえば、永遠にカヤの前から姿を消しそうな勢いです。何かしらの行動を制限することだって可能でしょう。
 だからこそずっと悩んで、答えを出せずにいました。

 彼女が本気で自分を愛して大胆な行動に走っている、それはとても活き活きしていて楽しそうにも思えます。
 誰かを想って行動する。当たり前のことで当たり前でもないこと。彼女の生きがいの一つ。
 それを抑制することは、あまりにも可哀想でした。

「私の身を犠牲にしろと言うのであれば喜んで受け入れますわ。足一本だろうが腕一本だろうが内臓一つだろうが差し出すつもりですのよ? 私のハジメテをお譲りしても構いませんわ」
「そこまでしろとか言いませんから! というか、ハジメテって何ですか……?」
「まあ♡ カヤちゃんったら私にそこまで言わせますの? 私のハジメテはその名の通り、夜に親しいお方と致す濡れごとの」
「ギャー!」
 自分で聞いて自分で悲鳴を上げてしまいました。なんて情けないのか。
「もうっ♡ カヤちゃんのうっかりさんっ♡ それぐらい分かってたクセに♡」
「ちゃんと言われなかったら分からないことだってありますからね!!」
 湯船の縁を殴って怒りの表現。この赤毛の女をセクハラで訴えてやろうかとも思いましたが、話が拗れる予感がしたので我慢。
 歯をギリギリ鳴らしてこれ以上怒りをぶつけることを我慢していますが、ふと、新たな疑問が浮かび上がります。
「って、待ってくださいクレナイさん。まさか、未経験なんですか……?」
 男女共々……と言いそうになって堪えます。ここで彼女の大嫌いな男の話題を出すと怖い目に遭いそうなので。
「意外でしたの? こう見えても自分の最初の相手は心から愛した人だと決めていますの。里にいた時は親しい人と軽く致したことはありますが」
「軽く致したって何ですか……?」
「聞きたいですの?」
「結構です!!」
 少し油断するだけでそういう話題に持って来られそうです。こういう下世話な話題はとても苦手なので正直やめてほしいところですが、自分が間違った発言をしなければいいことだと思い出し、力なく首を横に振るのでした。
 疲れを取りに風呂に来ているというのに、癒されるどころから蓄積され続けていますね、この赤毛女のせいで。
 これ以上話を続けていると疲れすぎて明日に影響が出そうです。ニコニコしているクレナイを尻目にカヤは腰を上げました。
「もう上がりますの?」
「……体を洗うだけです」
「お背中お流ししましょうか?」
「絶対にやめてください!!」
 薄々気付いていましたが、自分からいかなくても許可さえ貰えれば接触して良いと思っているようですねこの女。自分から勝手に触らなければ問題ないのは事実ですし、何よりも裸の付き合いを許してしまったのは自分です。
「まあ残念。カヤちゃんのことだからきっと許可して頂けると思ってましたのに」
「この状況に至るまでの経緯を考えて、私がそれを許可するって本気で思ってます……?」
「小数点以下の可能性がある限り私は絶対に諦めませんわ。好きな人のお背中をお流しするのってちょっとした夢ですもの」

 ―――夢ねえ、へえ夢。

 疲れすぎて他人事のように聞き流してしまいました。こんなおちゃらけた残念な美人にも夢の一つぐらいあるものなんですね、自分より年上なのに。
 隣の熱い視線は無視して湯船から出ます。
 風呂椅子が並んで置いてあって、タイルの壁には湯気で曇った鏡が二枚、その下にはお湯の出る蛇口がそれぞれ二つ、それら間に備え付けの洗髪剤と石鹸が置いてあります。
 カヤは迷わず湯船から遠い位置の風呂椅子に座って石鹸を手に取って体を洗い始めると、
「……クレナイさんは私のことが好きだから、私と一緒にいるだけでどんなことでも楽しいんでしょうね……」
「カヤちゃんには楽しいことはないんですの?」
「ありませんよ」
 淡々と言い切り、体を洗い始めます。
「そうですの? 私はいつもの探索でも楽しいと感じますけど?」
「樹海には仕事で来ていますからね。それに、油断すれば命を落とす危険な場所なんですよ? 楽しめる余裕なんてないでしょう?」
「あらあら、真面目なカヤちゃんらしい理由ですわね」
 嬉しそうに受け入れています。てっきり即座に否定されるかと思っていましたが。
「それでも探索以外でも楽しみってありませんの? 美味しいご飯を食べたり、趣味をしたり……」
「ありませんね。嫌ってことはないんですけど、楽しんじゃいけないって思っているので」
「まあ。騎士様って私が思っている以上に大変ですのね。私はカヤちゃんがいるだけで毎日がハッピーラッキーなんですけど……」
 それはもう心から楽しむというか、本当に愛しい相手に向ける声。
 顔を見るのも嫌になってきました、行動一つ一つを細く汲み取られて「好き」だの「可愛い」だの自分には相応しくない甘い言葉をかけられて、また調子を狂わされるのも嫌になるので。
「フフ、体をしっかり洗うカヤちゃんを眺めているのも楽しいですのよ?」
「そうですか、へえそうですか」
「とんでもなく棒読みですわねえ」
 このお気楽な人を見ていると、自分とは全く別の世界から来たんだと改めて実感します。
 男社会の騎士と違って彼女は女性しかいない集落からわざわざマギニアまでやってきた物好きな人。真逆の環境で育った人物です、考え方が異なっているのも当然でしょう。
 ただ……見た目は綺麗な人なのに中身がまるっきり残念な彼女を見ていると、思うことがありました。
「クレナイさんのことですから、男の人を嫌いになった理由も大したことなさそうですね」
 きっと女の子が好きな反動で男嫌いになったんだろう……なんて、考えていたことが勝手に口から出てきてしまうと、
「……そうですわね。きっと、カヤちゃんに比べれば大したことないでしょう」
「えっ?」
 驚いた拍子に手を止めました。
 自分のことを誰かに話した覚えはないのに、どうして彼女は知ったような口ぶりで納得しているのか。
「言わずとも分かりますわ。カヤちゃんがマギニアに至るまで、どれだけ辛く苦しい想いを経験してきているかぐらい。きっとそれは、カヤちゃんの男嫌いを形成するほどの出来事だったことも」
「な、な、なんで……?」
 見ないと誓っていたのに彼女を見てしまいます。自信満々な表情からして、当てずっぽうだったり鎌をかけたとうことはなさそうでした。
「私はいつもカヤちゃんを見ていますもの、それぐらい分かりますわ。でもご安心ください、それ以上のことは知りませんし詮索するつもりもありません。謙虚な女性は無理強いをしないものですから」
「お風呂に押しかけてきたクセに謙虚はないかと」
「それはそれ、別の問題ですわ」
 結局自分の都合で言っているだけで、カヤはため息を吐きました。
 石鹸を元の位置に戻して風呂桶を蛇口の下に持ってくると、お湯を貯めていきます。
「カヤちゃんは自分にも人にも厳しくてとっても真面目な女の子。きっと、自分のことに自信がない、自分が嫌いだと強く思っていることでしょう」
「……」
「でも、私はカヤちゃんが何をしても、何を行なっても、どんな過去があったとしても……貴女のことを嫌いになれませんわ。安心してくださいまし」
 水栓をひねってお湯を止めると、蛇口には大きな滴が残り、すぐにお湯を溜めた桶に落ちます。
 お互いに言葉を発しない静寂な環境下では、水滴が落ちたかすかな音も響いてしまい、嫌に大きく聞こえてしまいました。
 この居心地の悪い静けさが嫌で、カヤは言葉を続けるのです。
「どうして突然そんなことを」
「カヤちゃんって時々“嫌われたらどうしよう”ってとても不安な表情をすることがありますの。それが、私の中でちょっぴり引っかかってしまって」
「そ、そ、そ、っ!? そんなこと思ってませんにょ!?」
 慌てて否定したせいでちょっと噛みました。クレナイは相変わらずニコニコしていますが。
 気持ちを落ち着けるため、桶に溜めたお湯を頭から被って、石鹸の泡と一緒に動揺も全て洗い流します。
「動揺するカヤちゃんも可愛いですわ〜」
「……あっそうですか」
 人の気も知らないで呑気なものですね。カヤは更に続けて、
「まさか、そこまで言えるってことは……私のことが好きになった理由がわかったんですか?」
 カヤの人生最大の謎、どうしてクレナイは自分に惚れてしまったのか。
 クレナイ本人曰く一目惚れに近いと言っていましたが、一目あったその日からがあったとしても、それには絶対に何かしらの理由があるはず。物事にはどんなことにも理由がある、だったら一目惚れの理由だって無いことはない。
 ここまで強く肯定し「嫌いになれない」とまで断言しているのですから、そろそろ明確な理由が判明してもいいはずですが。
「いいえ、まだわかりませんわ」
 首を振って否定され、カヤ愕然。
「何故、カヤちゃんに一目惚れしてしまったのかはサッパリですけど……それでも、一つだけ確かなことがありますわ」
 どうして彼女は自分でも理解できていないことを信じて暴走できるのでしょうか。ますますわからなくなって深いため息を吐き、俯いた拍子に薄桃色のタイルを見ました。オーナーの趣味で風呂場のタイルは全てこの色です。

 ―――元々、理解に苦しむ言動ばかりして皆を困らせているような人だから、これぐらいが丁度良いかもしれませんね……。
 
 そう思った矢先、クレナイが湯船から上がる水音がして肩が震えます。
 変なことをしたらギルド脱退するという約束があるため、湯船から出てしまえば絶対に近づいてこないと安心していたというのに、想定外の行動を取られて動けなくなりました。
 と同時に「クレナイさんが想定内の行動をとることがあったか」と自問自答し「なかった」という答えが瞬時に飛び出しました。彼女はいつも人の思考の斜め上を生きる女です。
 ひたひたと歩み寄る音が近づくにつれ、桶で殴って動きを止めた隙に逃げるかと暴力的な思考が脳裏にチラつきますが、決心に至る前に足音が止まりました。
 そして、

「愛してますわ、カヤちゃん」

 それは、まるで、鳥のさえずりのように、小さく愛らしい声で。
 カヤだけに送る特別な告白を囁いて、

「――――っ!?」

 囁かれた少女は声にも悲鳴にもならない言葉がこぼれそうになり、慌てて口元を押さえました。

 こんなにも心臓が跳ねるように鼓動したのはいつぶりだったか。
 いや、久しぶりとかじゃない。
 たぶん、きっと、初めて。
 体が熱い、全部熱い、お風呂だから体が火照っているんじゃない、体の芯が勝手に熱くなってしまい、勝手に体温が上がっていく。
 顔を上げたところで曇ったガラスが映るだけ、でも、彼女がすぐさま横から覗き込んできそうな気がして、一ミリも頭が上がらない。ずっとタイルばかり見ている。
 この気持ちはなに? 嬉しい? えっ嬉しい? いや違う絶対違う戸惑っているだけ、また彼女に調子を狂わされているだけ。
 だった今まで散々好きとか可愛いとか言われてた……はず。
 でも「愛している」なんて告白されたのは初めて。
 初めてだから動揺しているだけだ。きっとそう。
 だって私は、そんなこと、言われる資格はない。
 愛されていいわけないのに。

「わ、わ、わわわ、私はもう上がりますね!」
 弾かれたように立ち上がると、クレナイに視線を向けることなく風呂の外に飛び出してしまいました。
 後ろから寂しげな声が聞こえても、両手で耳を塞いで音を入れなければ問題ありません。
 脱衣所で泡が少し残った体を拭いて下着を履いて服を着て、髪も乾かさずに出て行くのとクレナイが脱衣所に入ったのがほぼ同時。
 女冒険者と談笑に花を咲かせていたスオウの横を走り過ぎ、階段を一段飛ばしで登って二階へ駆け上り、自分の部屋に飛び込みました。
 音を立てて扉を閉めるとすぐさま闖入者を防ぐための鍵をかけ、早足でベッドの側まで来るとその上に倒れます。
 ベッドのスプリングに反発されて体が跳ねますが、気にせずにシーツに顔を埋めてしまいました。火照った体がシーツに冷やされてとても気持ち良い……ですが。
「……なんで、私、そんな、なんで……」
 シーツの隙間から溢れるぐもった声は、誰に向けられることもない独り言。
 ずっと鼓動が治まらない、体の火照りも。
「わからない……」
 何もかも理解が追いつかず、カヤは一晩中頭を悩ませるしかありませんでした。
 蛇足ですが、あのまま寝落ちしてしまい翌朝には髪が大変なことになっていたそうです。



 理由はわからないけど、私なんかを好きになってくれた人へ。
 どうか、好きになった理由に気付くことなく。
 私のことを忘れてほしい。


2020.3.16
12/14ページ