世界樹の迷宮X
世界樹の迷宮で有名なエトリアの地から南西に、広く豊かな土地を誇る王国がありました。
王政もしっかりしていて隣国との関係も良好、国内外で目立った問題も見られず、経済もとても安定している平和な国です。
王城麓の城下町は綺麗すぎず汚すぎず、税金はほんの少し高いものの子供の教育費は国が全額負担するシステムのため子育てもしやすいことで有名、近隣の国から子育てのためにわざわざ移住してくる人もいるほどでした。
街行く人々も皆が笑顔、幸せな暮らしが約束されている素晴らしい国。
しかし、平和という光が強ければ強いほど、そこから生まれる闇も濃くなるものです。
王城があるのは城壁を超え、長い坂を登った先にある広い高台のてっぺんです。その一段下には王国一栄えている城下町があり、王国の住民のおよそ六割以上がここで暮しています。
残り四割は城下町よりも下、長い坂の麓、昼間でも薄暗さが目立つ王国の最下層の街に身を寄せていました。
秩序も平和もあったものじゃないこの街の住民は、浮浪者やならず者、身寄りのない子供ばかり。
明日も命が続く保証はどこにもない中、生きることに喰らいつきながら必死に暮らしていました。
最下層の街で一番高い場所に店を構える物好きな雑貨屋がありました。
穏やかそうな主人とその妻、複数の従業員で経営している店ですが、本当の顔は暗殺業だけでなく非道的な行いの数々を行い、人身売買以外は何でもやるヤバイ組織。裏社会ではかなり有名で、知らない者はいないほど。
店の二階、主人と妻の寝室の窓から見える景色は最下層の街が一望できます。
ここは昼間でも薄暗いことからお世辞にも良い景色とは言えませんが、夜になるとぽつりぽつりと灯り始める頼りない光を眺めることが、主人の一番好きな時間でもありました。
癖も強い髪も黒、音が出ない特殊加工がされている服も黒、目の色も黒、黒くないのは皮膚だけの上から下まで黒色にまみれた男が組織のボスです。本名は不明、部下や妻からは「ボス」と呼ばれています。
「もうスグ、ルノワールの誕生日だネ」
窓の側でお気に入りの景色を眺めながら妻に語りかけました。少し変な片言でした。
男の妻は長い金髪で左目に眼帯をかけ、薄い青色のワンピースを着ている美しい女性です。裏の仕事に出る時は動きやすい刺激的な格好に着替えますが、今日は一日中ボスの元で事務作業に追われていたため私服でした。
「そうですね」
微笑みながら答えた女性はボスの側まで寄り添いました。
「去年はウサギのぬいぐるみをあげたらすごく喜んデくれたケド……アイツに“可愛いぬいぐるみを貰ってよかったね“って言われたラ“僕よりこんな布の塊が可愛いのかー!”ッテ癇癪を起こした挙句、クローゼットの奥ニぬいぐるみを仕舞い込んデ二度と触らなくなったんダッテ……」
「今年は慎重にプレゼントを選ばないといけませんね、アナタ」
「ソダネ……」
苦い思い出が蘇ったことでほんの少しだけ項垂れてしまいます。女性が気を利かせて「お茶を淹れてきますね」と、優しく語りかけた時でした。
「コラ! 待てよクソガキ!」
廊下に繋がるドアの向こうから青年の怒声が響きます。続いて、ドタバタと暴れながら階段を駆け上って行く慌ただしい音。
ボスが顔を上げ、女性が首を傾げると、ドアが勢いよく開き、人間が飛び込んできました。
その人間を簡潔に説明するとしたら、この街の住民らしいボロボロの身なりをしている少年……でしょうか。
歳は十代中頃ぐらい、育ち盛りの子供とは思えないほど痩せこけており、顔を伏せているせいで表情はよくわかりません。
銀髪……というよりも白髪に近い髪は短く、哀れみを覚えてしまうほどボサボサで汚れています。キチンと手入れをすれば、日の光を反射して美しく輝くかもしれないのに勿体無いと、ボスはぼんやり考えました。
服は穴の空いたシャツと汚れた短いズボンだけ、細い素足は冷たい地面を駆けてきたのかボロボロで、爪もいくつか割れています。店で余った靴を譲ってあげようと女性はのんびり考えました。
少年とボスと女性。三人が部屋で言葉も出さずに止まっていると、怒鳴り声の主であろう青年が続いて飛び込んできます。
「す、すみませんボス! このガキがいきなり入ってきて……!」
見張りを任されていた立場だというのに知らない少年の侵入を許してしまったのです。どんなお叱りが待っているかと顔を青くさせていますが、
「いいよイイヨ〜全然気にしてないもン」
「次からは気をつけてくれれば良いですよ」
「奥様まで……しかし……!」
「あの」
ボスと青年の間に割り込むように、少年は声を上げました。
二人の会話が止まると顔を上げて、言います。
「人の……殺し方を……教えて、ください……」
酷く震えた声で懇願しました。
灰色の瞳は目は真っ赤に充血しており、顔は涙の跡でぐちゃぐちゃ、笑っているのか泣いているのかよくわかりません。
「お前」
青年が何か言いかけようとすると、ボスは人差し指を口元に当てて、彼をすぐに黙らせました。
「どうシテ、人を殺したいッテ思ったんだイ?」
優しく語りかけるように、決して責めることなく問いかけた途端、少年はその場で崩れ落ちました。
女性が駆け寄ろうとするのも制止し、ボスは言葉の続きを待ちます。
「……大切な家族……妹が……理不尽な理由で、親に……殺された……奪われた……俺には、もう、あの子しか……いなかった、のに……あの子だけが、俺の……全てだったのに……なんで……なんで、なんで……」
少年の身に何が起こったのか、男には想像出来てしまいました。
このロクデナシばかりの街では、大切な家族が理不尽な理由で殺されてしまうことなど毎日のようにあります。
彼はこの町でよくあることをその身に受けてしまった、とても可哀想な少年なのでしょう。
少年の心境が、胸が苦しくなるほど理解できました。
「……ソウ」
男は少年の頭にそっと手を乗せます。思っていたよりもごわごわした髪質でした。
「辛かったネ」
その短い一言がとても響いたのでしょう。少年の緊張の糸がぷつりと切れたのか、ボロボロと涙を流し始めました。
「うっ……ううぅ……ううえぇ……ゔあぇあぉ……」
「すごい嗚咽ダネ」
「落ち着いたカイ?」
「……はい。ありがとう……ございま、す」
優しく語りかける男と目を合わせようとせず、少年は答えました。
部屋で泣き崩れてしまった少年を連れた先は、一階にあるキッチンです。
流し台と釜戸のある調理スペース、四人がけの木製テーブル、小さな食器棚があるごく普通のキッチン。簡素なモノばかりですが、これだけでもこの街だと贅沢な部類に入ってしまうとか。
ちなみに、見張りをしていた青年には仕事に戻るように言っておいた為、この場にはいません。
「……すみません、何も言わずに勝手に来たのに、お茶まで出してもらって……」
「いいんですよ。誰かにお茶を淹れることが私の趣味みたいなものですから」
微笑み返してくれた女性を見てほんの少し照れ臭くなってしまったのか、少年は慌てて目を逸らすと紅茶を一口飲み、落ち着きを取り戻しました。
「それデ、人の殺し方を知りたいッテ?」
「……はい」
少年は静かに肯定しました。
ボスも妻に淹れてもらった紅茶を一口だけ飲み、カップを置くと話を続けます。
「人を殺す方法なんてトッテモ簡単ダヨ。ナイフを心臓に刺ス、レンガで頭を殴ル、高所から突き落とス、水の張った桶に頭を突っ込ませたまま押さえつケル……難しく考えナクてモこれぐらいは出て来るヨ?」
「それは、そうですけど……」
「ああ、ゴメンネ。君が知りたいのは人の殺し方じゃなくテ、復讐のやり方なんジャないのカナ?」
「……」
言い当てられてしまって動揺したのか、少年は黙ってしまいました。
「大切な人が殺されたのナラ復讐のヒトツやフタツぐらいしたくなるヨネ〜ワカルワカル。この手の依頼はよく受けてルから慣れてるンダ〜」
「あ、いや、その俺は……自分で……」
「ウンウン。だからキミは僕の組織に入りなサイ」
「はい…………へ? 組織に入る?」
話の流れが唐突に変わったものですから、思わず聞き返してしまいました。
「いくら僕が優しくて頼りにナッテとってもダンディなおじさまでもネ、何も知らない一般人に人の殺し方ヤ復讐のやり方をホイホイって教えなイヨ。キミの目的を果たすタメに僕かラノ教えを乞うナラ、組織に入ることが絶対条件ダ。そのつもりで来たんじゃないのかイ?」
「いや、その……代金をお支払いして……でも俺、ほとんどお金がないから働いて返そうかなって……」
「それはダメダネ。自分が苦労して習得した技術をお金だけで簡単に教えルなんて僕のプライドが許さないモン。教わりたいならマズは僕と対等な立場にならないとネ」
「……」
「さて、どうするんだイ? 組織に入って復讐の方法を得るカ、このまま尻尾を巻いて帰って何もできない無力な自分を呪い続けるカ……」
少年は、膝の上に置いたままの掌を握り締めました。
自分に課せられた選択肢は二つ。
入ってしまったら最期、どんな汚れ仕事でも平気で行う裏社会に足を踏み入れる。
あるいは全てを諦め、黙ってこの街から去り、何もかも忘れてしまう。
後者を選び新しい場所に旅立てば、無駄に消費されるだけの自分の人生がやり直せるかもしれないとも、思いましたが。
「…………リア……」
最期に見た妹の姿を頭の中に蘇らせました。
仕事に行く自分を見送ってくれたあの笑顔。どんなに生活が苦しくても、父が酒に溺れ母がヒステリーに陥っても、一度も泣き言を言わなかった強くて優しい最愛の妹。
きっと、本当はとても辛かったのだろう、兄を困らせたくなくてずっとずっと我慢していたハズ。
年頃なのに可愛い洋服一つ買ってあげられなかった、友達も作れなかった、大好きだった絵も描けなくなった。
何もかもを犠牲にし、一人で家を守ってきた努力も報われず、私利私欲のために殺された。
両親に殺された。
奴らが殺した。
幸せになるべきだった娘を殺して今ものうのうと生きている事実が許せない。
「……ボス、さん」
「ボスでイイヨ」
「俺、組織に入ります……入らせてください、お願い……します」
「そうと決まれバ!」と、満面の笑みを浮かべたボスに手を引かれ、少年は最下層の街の外、城壁まで連れて行かれました。
夜中に街を疾走してやってきましたのは良いものの、ここはただの壁なので何もありません。城下町に続く坂もここより遥か先の北の方角にあります。
月明かりが届いているお陰で、持ち出してきたカンテラの灯りが無くても手元がよく見えました。
「あの、その、何を……?」
「組織に入るには試験をしなイトいけないんダ。その会場に行くヨ」
「か、会場……? でもここはただの城壁ですよ……?」
「イイカライイカラ」
訳もわからず立ち尽くす少年の横で、ボスは石造りの城壁に触れ、
「ええト……確かこの辺リだったカナ……本当に分かりにくくて困っちゃうヨネェ」
誰かに向けているような独り言を炸裂させながら、石の一つ一つを触り続けて。
「アッタアッタ」
嬉しそうに声を上げ、自分の腰の位置辺りにある石材に触れると、石が奥に押し込まれたのです。
「えっ!?」
少年が驚愕している中、ボスは彼にも聞こえないほど小さな声で何かを呟くと、すぐ隣の壁が横にスライドして内部に引っ込み、大人一人分は通れる穴が出現しました。
「えええええ!?」
「そーだよネー最初はみーんな驚くんだよネーワカルワカルー」
サアサア入って、と促された少年はカンテラを持ったまま、恐る恐る足を進めるしかできませんでした。
「あれは城壁内に入レル隠し扉ダヨ。特定の場所にある石を押し込みながら月の合言葉を言うト、内部でソレを確認している人が扉を開けテくれるシステムなんダ」
「知らなかった……何でそんな仕掛けが?」
「これから行く場所ガ死者の国だからダヨ」
「…………へぇっ?」
永遠に続きそうな階段を下り、会話を交わしてしばらく経つと、行き止まりに到達しました。
「モシモーシ、ボスでース」
壁をノックしながら呼びかけると、また壁が横にスライドし、先に進めるようになりました。
「出口ダヨ」
ボスが先に行き、少年が後続して階段を下りきると……。
「わあ……」
辿り着いた先は巨大な地下空間でした。
天井は暗闇に包まれて見えないほど高く、正面に見えるのは巨大な壁と頑丈な鉄格子で作られた門。側には詰所でしょうか、小さな建物があります。
壁に設置されている松明は日の光が届かない地下空間の貴重な灯りとして、その役目を果たしていました。
門の左右で立っているのは王国兵士の鎧を着た男性二人で、彼らはボスの顔を見るなりパッと表情を明るくさせると、
「ボスさん!」
「ボスさん! お疲れ様です!」
決して持ち場を離れることなく敬礼、ボスは返事をするようににこやかに手を振り、
「お疲れ様。遅くまで見張りご苦労様ダネ」
「いやいや! ボスさんの苦労に比べたら私たちなんて!」
「ただの見張りと巡回とはイエ、ここでの仕事は時に命を落とすことだってある危険なものなんダ。それを毎日しっかりこなしてイル君たちの方ガよっぽど苦労しているシ、とても立派ダヨ」
『ボスさん……!』
二人の兵士が感動する中、片方が少年の存在に気付きます。
「ってあれ、ボスさん、あの子って……?」
「そうダッタ。今日は彼の入団テストのために来たンダ」
「なるほど! いつものアレですね! 準備をするので待っていてください!」
少年に気付いた方の兵士が踵を返し、駆け足で詰所の中に入っていきました。
「いつもは全然真面目に仕事しないクセに……ボスさんが来るとすぐこれだ」
「慕ってくれルのは嬉しいんダケドネ〜」
「ねえ?」
残った兵士とボスが世間話に花を咲かせる直前、少年は小声でボスを呼び止めます。
「あ、あの……ここって……?」
訳もわからず目を白黒させる少年が不安げに見上げてくると、ボスはクスリと笑い、
「大昔、この国は地下に都市を築き上げた大帝国だったラシイ、でも天変地異とか色々な不運な出来事が重なった結果、人々は外に出テ、大地に土と石を積み上げて国を再建させたンダ」
「あ……それ、歴史の教科書で読んだ覚えがあります。でも、残っていたなんて……」
「ビックリだよネ〜光の届かない巨大な空洞の中に街がまるごと残っているトカ誰も思ってないヨ〜」
兵士が無言で頷いています。彼もかつては地下に街があると思ってなかった人間だったので。
「人々が地上に移り住んだ後、ここは街ごと放置されてたケドそれを国の偉い人たちが再利用しテ、今は死刑囚たちの収容所みたいな場所になってイル。裁判で死刑宣告サレタ囚人は皆ここに放り込まれルンダ」
「そうだったんですか!? 人知れずに処刑されているんだと思ってました……」
「死ぬまでここに閉じ込めるカラ処刑されたと言っても過言じゃないヨ。彼らは社会的に死んだコトになっているカラ生かしておく必要もないンダケド、それはちょっと可哀想ダカラ週に一度、町の各所テキトーな場所に食料をテキトーな量を置いているんダッテ。囚人たちは毎日食料の奪い合いをするために殺し合いを続けているトカ」
「へ、へえ……死者の国ってそういうことですか……」
「そして! ここの囚人たちを見張る私たちはかつては王城でエリート兵として詰めていた!」
黙って話を聞いていた兵士が突然身の上話を始め、あまりの迫力に少年が一歩引いています。
「だが、ちょっとした手違いでこんな暗い場所での仕事を強要されて」
「不祥事を起こして左遷されたところヲ僕が慰めてアゲタってワケだネ」
話が長くなりそうだったので省略されてしまい、兵士はガックリと項垂れてしまいました。
「…………はあぁ」
この数時間の内、色々なことが起こりすぎてしまい、少年はもう何が何やら分からなくなっています。
妹を殺されたから人殺しをしている組織に来て復讐の手段を得ようとしていたのに、何がどうして国の死刑囚の事情を見る羽目になってしまったのか。
彼の心境を読み取ってくれたのか、ボスは小さな子供に語りかけるような優しい声で、
「色々なことが起こって大変だと思うケド……今は、これから僕が言うことダケを頭に入れテ行動するんだヨ」
少年の手にナイフを握らせました。鞘に収まっていない、剥き出しの状態の。
「へっ?」
「いいかイ? 今から君はこの門の奥へ行っテ、そのナイフで人間を殺してくるンダ。それが試験ダヨ」
「ふえっ?」
「誰でもイイんダヨ。あの中にいるのは死刑囚、つまりは“死んでしまった人間”ダカラ殺してしまっても罪には問われナイ。そのナイフには獰猛な獣も一滴で悶え死ぬ程の猛毒が仕込まれてあるカラ、うっかり触れナイように注意するんだヨ」
「は、は、はい?」
「時間は君が門の奥に行ってカラ三時間きっかり。それを過ぎても戻って来ないト探しに行かなきゃいけなくなるカラ気を付けテ。はいこれ時計ネ」
反対の手に懐中時計を握らされました。
「もしも囚人たちにナイフを奪われたりしても心配しなくてイイヨ。ここのルールでは囚人が兵士たちに危害を加えるヨウナ武器を所持した瞬間、即刻死刑執行して良い決まりなんダ。そレニ、ナイフに塗られている毒は三時間から四時間程度で自然乾燥するカラ、ナイフを手にした囚人が片っ端から毒殺無双! ナンテ悲劇が起こる可能性は極めて低イ。絶対にそんなことはナイって言い切れナイかラ、ナイフは無くさないように細心の注意を払うンダヨ?」
「…………」
少年呆然。
「行っておいで×××××クン。この試験をクリアできたラ君は晴れて我が組織の一員になレル……頑張ってネ、死なない程度ニ」
少年を門の奥へ送った後、三時間という長い時間を消化するため、ボスは詰所で兵士とボードゲームを行い暇を潰していました。
白と黒のチェック柄の台に白と黒の駒を十六個並べ、互いに少しずつ駒を進めて相手の駒を奪う遊び、一般的にはチェスと言います。
「しっかしボスさんも酷ですねえ、あんなヒョロヒョロのガキに暗殺者の試験をさせるなんて」
黒い駒を動かしながら喋る兵士は、真っ先にボスを見つけて手を振ってくれた彼です。もう片方の兵士とのじゃんけんという死闘の末、ボスとチェスをするという名誉ある役割に選ばれました。
「そうかナァ。僕は彼のために自分が最低限出来るコトをしてあげたダケだと思ってるケド」
白い駒を動かしボスは馬の形をした駒を使って、頭頂部が丸い黒の駒を奪いました。
「きっと、奴らに嬲り殺しにされて終わりですよ?」
「大丈夫ダイジョウブ、僕が大丈夫だっテ断言しているんだモノ、きっと彼は無事に帰って来るヨ」
「その根拠の無い自信って一体どこから出て来てるんですか?」
「サア? どこから出て来てるか分からないから根拠がないんだヨ」
「はは……そうでしたね…………しっかしどうしよこれ」
話し込んでいる最中に黒い王様の駒が白の駒たちに囲まれていました。負け確定です。
兵士が唸り、ボスがニコニコしながら無様な姿を眺めていると、
「ボスさん! ボスさん! 大変です!」
真剣勝負に負けた方の兵士が血相を変えて詰所に飛び込んできました。
明らかに兵士はボスに向けて話していますが、チェスをしていた方の兵士が先に睨み、
「なんだよお前。今から第三回戦を始めるんだからもうちょっと待てよ」
「ちげーよ馬鹿はすっこんでろ! それよりボスさん! あの少年が帰って来たんですよ!」
「エッ?」
驚いたボスはポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開けて時間を確認。
「まだ残り一時間モアル……?」
「ははーん? さーては人殺しが怖くなってビビって帰ってきたクチだな? たまーにそういう奴いますよねーボスさん」
ニヤつく兵士ですが、ボスは無言で懐中時計を睨むばかりで相手をしてくれません。
「……ボスさん?」
まさか失言してしまったのだろうか。莫大な不安に襲われた兵士が顔を青くさせますが、ボスは気にも止めません。
「あの少年は門の外に出して待たせてます……けど、すみません……俺、もう、ぶっちゃけ見たくないんです……おえ」
吐き気を覚えたから横になりたいと訴えた兵士を詰所で休ませることにして、ボスと、チェスをしていた兵士は外に出ました。
左遷させられてこんな場所の警備を任された身であるとはいえ、彼だって兵士の端くれ。人間の死体は何度も見てきたハズですし。そういった場面を見る覚悟ぐらいあるでしょう。
だというのにあの腑抜け具合、この国の兵士の質も落ちたということでしょうか。ボスは内心ガッカリしていましたが、
その懸念はすぐに吹き飛びました。
「ボス、ただ今戻りました」
深々と頭を下げた少年は怪我をしている様子もなくとても落ち着いていて、そのまま顔を上げました。
彼の後ろには人間の死体が並べて置いてあります。
その数は四つ。首や腹に致命傷を負って殺された者もいれば、腹や胸を引き裂かれて殺された者もいて、腹の中身が見えてしまっていました。兵士の体調不良はそれが原因でしょう。
ここの死刑囚は体の露出している場所に焼印される決まりで、死体全てにはその模様が見られるため、間違って一般の人を殺したということはなさそうです。
「……おかえリ×××××クン」
「はい」
少年は、白髪の一部をほんのり真っ赤に染め、安っぽいボロボロの衣服も半分以上が赤く汚れています。背中とお尻なんて元の生地の色すらありません。実は赤い服だったと錯覚するほど。
ボスの妻から貰った布製の靴は、表面のおよそ半分以上が赤く滲んでいて、後ろには赤い靴跡が見れます。
将来上司になるかもしれない人の前に立つから少しでも身なりを整えようと、頬についた血を左手で拭っていますが、その手も血がベッタリついているせいで、擦ったところに赤い線ができてしまいました。
「すみません。本当は、いくつか死体を置いてからまた戻るつもりだったんですけど、兵士さんに門の外に出ろって怒鳴られてしまって、結局これだけしか……」
「そんなにいっぱい殺すつもりだったのカイ?」
「人数の指示はなかったので、多い方がいいかと……」
「……ナルホド。別に数は関係ないヨ」
「そうだったんですか……」
時間を無駄にしてしまいましたね、なんて苦笑いする少年ですが、ボスの後ろにいる兵士が無残な最後を遂げた死体を見て顔を青くさせていました。
「ううっ……」
「それジャア、君の仕事の成果を聞かせてもらおうカ」
「成果を?」
「どうやって殺したトカ、どんなところが大変だったトカ……まあ、要するに感想文みたいなものダヨ。これも試験の内に入るからなるべく明確に教えてネ」
「わ、わ、わかりました」
少し慌てながら、少年は語り始めます。
「まず最初は一番左端にいる男の人です。お腹が空いていたのか無防備に道の真ん中をフラフラしていたので、後ろからコッソリ近づいて背中を刺しました。ナイフの毒が本当に効くのか少し不安だったんですけど、すぐに倒れて痙攣して口から泡を吐いたら動かなくなったのでちゃんと毒は効いているみたいで安心しました。あまり苦労はしなかったです」
「ウン」
「二人目は真ん中の少し体格の良い男の人です。道端で女の人を襲おうとしていたので“これはチャンスだ!”って思って後ろから腰を刺しました。でも、その人が丈夫なのか一度刺したせいで毒が剥がれてしまったのか、苦しみはするんですけど全然死ななくて……殴られそうになったんですけど動きは遅かったので簡単に回避できました。避けた拍子に男の人を倒して、そのままお腹にナイフを刺したんです。筋肉質だし刃物が通るか不安だったんですけどうまくいきましたね。適当にお腹を裂いていったらいつの間にか死んでいました」
「ウン」
「三人目は右端のお爺さんです。石の上に座り込んで動かなかったので死んでいるのかなって近付いたら、突然顔を上げたのでビックリしました。俺が何も聞いてないのに自分のことを話し始める変な人で……簡潔にまとめると、自分はもう五十年以上ここにいて、生きる希望も死ぬ勇気もないから殺して欲しいって頼まれたので殺しました。心臓にナイフを刺すだけで呆気なかったです」
「ウン」
「最後はお爺さんと体格の良い男の人の間にいる女の人です。俺がお爺さんを殺したところを見ていたみたいで、目があうとすごい悲鳴を上げて逃げ始めたのでなんとなく追いかけました。すぐに袋小路に追い込めたから殺そうとしたんですけど、突然何かを歌い始めたんです。聞いたことのあるメロディだったので少しだけ聞き入っていたら、それは聖歌だと分かりました。妹が歌っていたのでよく覚えています。純粋に神様を信じている人が死刑になるほどの罪を犯すこともあるんだなあって思いながら殺しました。刺しても刺しても逃げようとするので取り押さえたんですけど、それがとても大変でした」
「ウン」
「い、以上……です……けど……」
「ン?」
報告は淡々と行っていたというのに、突然歯切れが悪くなってボスは首を傾げました。
「実は……この人たちを殺す時に、自分の手で奴らを殺すことになったら、どうすればより苦しめることができるのか、自分なりに考えた方がいいかなって色々試していたんです……すみません」
「…………」
「や、やっぱりダメですよね、不合格ですよね……?」
不安を隠せない少年は、少年なりに一生懸命やってきたことでしょう。
しかし、努力を重ねたってそれが絶対に報われることはない現実を彼は知っています。妹を失った今だってそうですもの。
「…………×××××くン」
ボスが静かに名を呼び、少年は肩を震わせました。
きっと怒られる、威勢だけが良くて実力は全くないと見捨てられる。
そんな大きな不安に襲われ、ギュッと目を閉じた次の瞬間、
ボスは両手を胸元に持ってくると、
「ブラボー! ワンダフル! ビューティフル! エクセレント!!」
拍手喝采大絶叫。
愕然とする兵士を尻目に少年の右肩を優しく叩き、彼の体の震えを止めました。
「すごいよキミ! 本当にスゴイ! 僕が求めていた人材そのモノダ! 僕は感動していル! 文句なしで合格だヨ!」
「へえぇぇっ!?」
喝采からの合格発表に少年驚愕。告げられた直後で信じられないのか目を白黒させながら、
「え、そ、そうなんですか? 俺なんて全然……まだまだダメかもって……」
「そんなことナイ。胸を張って良いんだヨ。顔色一つ変えずにここまでの殺しをヤッテのけることは才能ダ。誰にもできるコトじゃなイ」
「そう、ですかね?」
「ソレじゃあ尋ねるケド、君はこの四人を殺していく時に何か感じなかったカイ?」
「なにかを……感じる?」
「例えば人を殺してしまッタ罪悪感、こんな結末を迎えて可哀想ダナァという同情、人殺したーのしーっていう快楽、トカ」
「いいえ全然」
真顔で即答した少年を見て兵士はかなり引きました。
「この殺し方なら、奴らがあの子を殺した苦しみを理解してくれるかな……っていう疑問? 不安? みたいな気持ちはありましたけど……他は別に……?」
「何も思わなかったのハ、ここの人たちを殺しても罪に問われないから……カナ?」
「それも、ないと……思います。だってここの人たちの中には、本当に死刑宣告を受けた囚人なのかな? って疑問に思う人もいたから……」
文末を濁しつつ、少年は女性の死体に目を向けました。ただ見ているだけでした。
「それだヨ、ソレ。僕が理想している人材はそういう子ナンダ」
「ど、どうしてですか……?」
「人が人を殺す……同族に手をかけるってことは生き物として最大級の禁忌ダ。ある程度の道徳教育を受けている人間なラ誰もが理解していることでもアル。僕たちの仕事ハ、人間として生きる中デ最も罪深いコトをほぼ毎日行ウ。罪を罪と理解する中デをれを実行し、続けていル内ニ心のどこかデ罪の意識が生まレ、蓄積されていくモノサ」
「はい」
「最初はほんの少しの意識でも、時を重ねて蓄積させていけケバ……いつかキット崩壊シ、その人はダメになってしまウ。僕はネ、この業界に足を突っ込んで随分経つ中、そういっタ理由デ壊れてしまった人、破滅してしまった人を何人も見てキタ」
「……」
「だから君ノ人を殺しても何も感じないコトハ、この業界においては素晴らしい才能ナンダヨ。だからもっと自信を持っテ?」
「…………ぐすぅ」
「ナンデ?」
褒めていたというのに、少年は突然鼻声になって泣き始めてしまったではありませんか。
ナイフを持った右腕で涙と鼻水を拭うも、どちらの液体も止まりそうにありません。
「俺、俺……大人の人に、褒めてもらったのっでぇ……ばじめでで……うれじぐで……」
「……ソッカ」
ボスはそっと、少年の頭を撫でます。まるで子供をあやすように。
「とても厳シイ環境で生きてきたんだネ……ヨシヨシ」
「はい……ゔぁい゛ぃ……」
始めて大人に褒められて嬉しいのか、ようやく心から安堵できる状況になれた開放感からか、少年の涙と鼻水は止まりません。袖が水分でびしゃびしゃになります。
「今は思う存分泣くとイイヨ。誰も咎めヤしないんだかラ…………それじゃあ、いつも通り死体の片付けよろしくね」
「は、はい……」
突然話題を振られて動揺する兵士。
四人も殺したのに平然としていた子供が褒められただけで泣くという、なんとも納得できな異様な状況に引き笑いを浮かべるばかり。
「イツモイツモ悪いネ。今度の報酬ニハ色を付けておくヨ、妻に美味しい差し入れを持って行かせるカラ」
「どうも……ありがとうございます。ボスさん」
泣き続ける少年を慰めながら、二人は階段を上っていくのでした。
「それじゃア確認だけド、君は妹を殺された復讐ヲしたいんだヨネ?」
「はい」
「具体的にはドウしたいんダイ? 無様に死んで欲しいトカ、永遠に苦痛を味合わせてやりたいトカ」
「どう……なんでしょう。俺は、妹が受けた苦しみの何百倍も辛く、苦しんでくれればそれでいいかも……って、考えてます」
「ソレじゃあすぐに殺スのは無しダネ。殺しちゃったラそれで終わリだモノ。長く苦しめることが目的ナラ殺す以外で苦しめるベキダ」
「殺す以外で?」
「ウン。逃げたくてモ絶対に逃げられなくテ、体を傷つけることなく、心にだけゆっくりとナイフを突き刺すよウナ、ジワジワと命を削っていくような苦しみを与えるんダヨ」
「い、生かしておくってこと、ですよね? 本当にそれで、いいんですか……?」
「あのネ、殺すだけが全てじゃナインダ。本当に残酷なのは手足を切り落としてかラ心臓を貫くことじゃナクテ、地獄のような環境で生き続けることダヨ」
「…………」
「帰って休んダラすぐに計画しよウ。さあ×××××クン、一緒に頑張っていこウネ!」
「……はい。あの、ボス……下っ端の俺がこんなことを言うのもおこがましいかもしれませんが……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「なんダイ? 君はもう僕の可愛い部下なんだカラ、遠慮しなくていいんダヨ」
「本当ですか!? じゃあ、その、実は……」
「ただいま帰りました。すみません、一週間も家を開けてしまって」
「はい……実は、新しい仕事を見つけたんですよ。住み込みで働くことになったので、毎日は家に帰れそうにないんです」
「その仕事は今までの仕事が馬鹿馬鹿しく思えるぐらい良い稼ぎを得られます。今日、初めてその報酬を頂きました」
「……ええ、一日の働きでコレです。これだけあれば毎日贅沢できますし、美味しいお酒も買えます、新しい家具を買ったり、お金を溜めればもっと良い場所に引っ越しもできます」
「……ところで、この前のお金は……」
「…………なるほど、そうか、そうですか、もう残ってないんですね……あんなにあったのに……あの子の………………」
「……はい、わかりました、ちゃんと続けていくので安心してください」
「そうだ、ついでにこれも置いておきますね」
「…………………………」
「え? なにって、死体ですよ、今日殺した人の、人間の死体です」
「言い忘れてました、俺の仕事は暗殺者なんですよ、俗に言う人殺しです」
「どうして? だってこの仕事をするだけで沢山お金がもらえるんですよ? アナタたちがあれほど欲しがっていたお金が一度にたくさん貰えるんですよ? 良かったじゃないですか、毎日これだけお金が貰えたら数年で大金持ちに戻れるかもしれません、万々歳でしょう?」
「お金さえあれば何でも良いんじゃないですかお金さえあれば誰も傷つけずに済むじゃないですかアンタたちがお金に目が眩んで自分の娘を殺人ショーとかいう狂ったところに売り飛ばした結果リアが殺されることもなかったじゃないですか俺の生きる意味が奪われることもなかったじゃないですか」
「仕方がない? 何が? どうして? ここでの暮らしが危険なことぐらいアンタたちだって知ってますよね? だから俺はあの子を働きに出したくなかったんですよ? 家を守るようにって言い聞かせたのは俺です。今でもその判断は間違ってなかったと思ってます。あの子のことを何もしないグズだと言う前にアンタたちがお金を稼ぐ努力をすればよかったのに」
「どうして、謝るんですか?」
「大丈夫ですよ、アンタが騙されて何もかも失って城下からこんな薄汚い場所に落とされたことを責めるつもりは一切ありません。でも、家が没落したのとアンタが何もせずに酒に逃げたことって、何か、関係、あります?」
「落ちるところまで落ちた現実と向き合えばこんなことにならずに済んだって理解しました? はい、手遅れですね、残念」
「そうだ。実は、確認しに行ったんですよ」
「何って、リアが本当に殺されてしまったか、です」
「もしかしたら生きているかもしれないって気持ちが心のどこかにありました。俺が勝手に死んだって思い込んでいただけで、何かの奇跡が起きて、あの狂った殺人ショーから逃げ出していたかもしれないって」
「そんな希望を抱き、上司に頼んでショーの関係者に話を聞いたんですけど、現実は甘くなかったです」
「遺体はありません。観客の中には殺された子供の肉体の一部を持ち帰る人がいて、いつも高額で買い取られるそうです。俺には全く理解できませんでした。取り返すとなると城下町の一等地で豪邸をいくつか建てるぐらいの値段になるとのことで、諦めるしかありませんでした」
「……リアはね、最初、頭を何度も殴られたそうです」
「頭から血を流して、意識を失う直前の朦朧としている時に取り押さえられ、右腕と左足を切断されました。治療行為でもなんでもない、ただの道楽を目的としたショーですからね、生きたまま切り落とされたそうです」
「叫び悶え苦しんでも誰も助けてくれない。周りの人は笑いながら見ているだけ。それはそれは絶望的な状況の中、死なない程度の苦しみを何度も味あわされたそうです」
「耳を塞ぐな、聞けよ」
「歯を折られ、顔面を殴られ、残っている手足の骨を折り、ほとんどの爪を剥がし、道具を使って強姦、焼きゴテで適当な皮膚を焼き、杭で左目を潰し、腹を切り裂かれて、最後に、観客一人一人が好きにお腹の中を傷つけたり、臓器を取り出せる催しがあるみたいで……その時にはもう、死んでいたそうです」
「……人間のやることじゃない」
「……………………」
「今更、後悔してもあの子は返ってきませんよ。アンタたちが殺したんですからね」
「渡すものは渡したし、報告も終わったので俺は職場に戻ります」
「そうだ、俺が暗殺者になったのはアンタたちを殺すためじゃなくて、お金をいっぱい稼ぐためだから。親孝行な息子を持てて幸せだね。それから……これは上司にもお願いしたことだけど」
「二度とその名前で呼ぶな」
2020.3.4
王政もしっかりしていて隣国との関係も良好、国内外で目立った問題も見られず、経済もとても安定している平和な国です。
王城麓の城下町は綺麗すぎず汚すぎず、税金はほんの少し高いものの子供の教育費は国が全額負担するシステムのため子育てもしやすいことで有名、近隣の国から子育てのためにわざわざ移住してくる人もいるほどでした。
街行く人々も皆が笑顔、幸せな暮らしが約束されている素晴らしい国。
しかし、平和という光が強ければ強いほど、そこから生まれる闇も濃くなるものです。
王城があるのは城壁を超え、長い坂を登った先にある広い高台のてっぺんです。その一段下には王国一栄えている城下町があり、王国の住民のおよそ六割以上がここで暮しています。
残り四割は城下町よりも下、長い坂の麓、昼間でも薄暗さが目立つ王国の最下層の街に身を寄せていました。
秩序も平和もあったものじゃないこの街の住民は、浮浪者やならず者、身寄りのない子供ばかり。
明日も命が続く保証はどこにもない中、生きることに喰らいつきながら必死に暮らしていました。
最下層の街で一番高い場所に店を構える物好きな雑貨屋がありました。
穏やかそうな主人とその妻、複数の従業員で経営している店ですが、本当の顔は暗殺業だけでなく非道的な行いの数々を行い、人身売買以外は何でもやるヤバイ組織。裏社会ではかなり有名で、知らない者はいないほど。
店の二階、主人と妻の寝室の窓から見える景色は最下層の街が一望できます。
ここは昼間でも薄暗いことからお世辞にも良い景色とは言えませんが、夜になるとぽつりぽつりと灯り始める頼りない光を眺めることが、主人の一番好きな時間でもありました。
癖も強い髪も黒、音が出ない特殊加工がされている服も黒、目の色も黒、黒くないのは皮膚だけの上から下まで黒色にまみれた男が組織のボスです。本名は不明、部下や妻からは「ボス」と呼ばれています。
「もうスグ、ルノワールの誕生日だネ」
窓の側でお気に入りの景色を眺めながら妻に語りかけました。少し変な片言でした。
男の妻は長い金髪で左目に眼帯をかけ、薄い青色のワンピースを着ている美しい女性です。裏の仕事に出る時は動きやすい刺激的な格好に着替えますが、今日は一日中ボスの元で事務作業に追われていたため私服でした。
「そうですね」
微笑みながら答えた女性はボスの側まで寄り添いました。
「去年はウサギのぬいぐるみをあげたらすごく喜んデくれたケド……アイツに“可愛いぬいぐるみを貰ってよかったね“って言われたラ“僕よりこんな布の塊が可愛いのかー!”ッテ癇癪を起こした挙句、クローゼットの奥ニぬいぐるみを仕舞い込んデ二度と触らなくなったんダッテ……」
「今年は慎重にプレゼントを選ばないといけませんね、アナタ」
「ソダネ……」
苦い思い出が蘇ったことでほんの少しだけ項垂れてしまいます。女性が気を利かせて「お茶を淹れてきますね」と、優しく語りかけた時でした。
「コラ! 待てよクソガキ!」
廊下に繋がるドアの向こうから青年の怒声が響きます。続いて、ドタバタと暴れながら階段を駆け上って行く慌ただしい音。
ボスが顔を上げ、女性が首を傾げると、ドアが勢いよく開き、人間が飛び込んできました。
その人間を簡潔に説明するとしたら、この街の住民らしいボロボロの身なりをしている少年……でしょうか。
歳は十代中頃ぐらい、育ち盛りの子供とは思えないほど痩せこけており、顔を伏せているせいで表情はよくわかりません。
銀髪……というよりも白髪に近い髪は短く、哀れみを覚えてしまうほどボサボサで汚れています。キチンと手入れをすれば、日の光を反射して美しく輝くかもしれないのに勿体無いと、ボスはぼんやり考えました。
服は穴の空いたシャツと汚れた短いズボンだけ、細い素足は冷たい地面を駆けてきたのかボロボロで、爪もいくつか割れています。店で余った靴を譲ってあげようと女性はのんびり考えました。
少年とボスと女性。三人が部屋で言葉も出さずに止まっていると、怒鳴り声の主であろう青年が続いて飛び込んできます。
「す、すみませんボス! このガキがいきなり入ってきて……!」
見張りを任されていた立場だというのに知らない少年の侵入を許してしまったのです。どんなお叱りが待っているかと顔を青くさせていますが、
「いいよイイヨ〜全然気にしてないもン」
「次からは気をつけてくれれば良いですよ」
「奥様まで……しかし……!」
「あの」
ボスと青年の間に割り込むように、少年は声を上げました。
二人の会話が止まると顔を上げて、言います。
「人の……殺し方を……教えて、ください……」
酷く震えた声で懇願しました。
灰色の瞳は目は真っ赤に充血しており、顔は涙の跡でぐちゃぐちゃ、笑っているのか泣いているのかよくわかりません。
「お前」
青年が何か言いかけようとすると、ボスは人差し指を口元に当てて、彼をすぐに黙らせました。
「どうシテ、人を殺したいッテ思ったんだイ?」
優しく語りかけるように、決して責めることなく問いかけた途端、少年はその場で崩れ落ちました。
女性が駆け寄ろうとするのも制止し、ボスは言葉の続きを待ちます。
「……大切な家族……妹が……理不尽な理由で、親に……殺された……奪われた……俺には、もう、あの子しか……いなかった、のに……あの子だけが、俺の……全てだったのに……なんで……なんで、なんで……」
少年の身に何が起こったのか、男には想像出来てしまいました。
このロクデナシばかりの街では、大切な家族が理不尽な理由で殺されてしまうことなど毎日のようにあります。
彼はこの町でよくあることをその身に受けてしまった、とても可哀想な少年なのでしょう。
少年の心境が、胸が苦しくなるほど理解できました。
「……ソウ」
男は少年の頭にそっと手を乗せます。思っていたよりもごわごわした髪質でした。
「辛かったネ」
その短い一言がとても響いたのでしょう。少年の緊張の糸がぷつりと切れたのか、ボロボロと涙を流し始めました。
「うっ……ううぅ……ううえぇ……ゔあぇあぉ……」
「すごい嗚咽ダネ」
「落ち着いたカイ?」
「……はい。ありがとう……ございま、す」
優しく語りかける男と目を合わせようとせず、少年は答えました。
部屋で泣き崩れてしまった少年を連れた先は、一階にあるキッチンです。
流し台と釜戸のある調理スペース、四人がけの木製テーブル、小さな食器棚があるごく普通のキッチン。簡素なモノばかりですが、これだけでもこの街だと贅沢な部類に入ってしまうとか。
ちなみに、見張りをしていた青年には仕事に戻るように言っておいた為、この場にはいません。
「……すみません、何も言わずに勝手に来たのに、お茶まで出してもらって……」
「いいんですよ。誰かにお茶を淹れることが私の趣味みたいなものですから」
微笑み返してくれた女性を見てほんの少し照れ臭くなってしまったのか、少年は慌てて目を逸らすと紅茶を一口飲み、落ち着きを取り戻しました。
「それデ、人の殺し方を知りたいッテ?」
「……はい」
少年は静かに肯定しました。
ボスも妻に淹れてもらった紅茶を一口だけ飲み、カップを置くと話を続けます。
「人を殺す方法なんてトッテモ簡単ダヨ。ナイフを心臓に刺ス、レンガで頭を殴ル、高所から突き落とス、水の張った桶に頭を突っ込ませたまま押さえつケル……難しく考えナクてモこれぐらいは出て来るヨ?」
「それは、そうですけど……」
「ああ、ゴメンネ。君が知りたいのは人の殺し方じゃなくテ、復讐のやり方なんジャないのカナ?」
「……」
言い当てられてしまって動揺したのか、少年は黙ってしまいました。
「大切な人が殺されたのナラ復讐のヒトツやフタツぐらいしたくなるヨネ〜ワカルワカル。この手の依頼はよく受けてルから慣れてるンダ〜」
「あ、いや、その俺は……自分で……」
「ウンウン。だからキミは僕の組織に入りなサイ」
「はい…………へ? 組織に入る?」
話の流れが唐突に変わったものですから、思わず聞き返してしまいました。
「いくら僕が優しくて頼りにナッテとってもダンディなおじさまでもネ、何も知らない一般人に人の殺し方ヤ復讐のやり方をホイホイって教えなイヨ。キミの目的を果たすタメに僕かラノ教えを乞うナラ、組織に入ることが絶対条件ダ。そのつもりで来たんじゃないのかイ?」
「いや、その……代金をお支払いして……でも俺、ほとんどお金がないから働いて返そうかなって……」
「それはダメダネ。自分が苦労して習得した技術をお金だけで簡単に教えルなんて僕のプライドが許さないモン。教わりたいならマズは僕と対等な立場にならないとネ」
「……」
「さて、どうするんだイ? 組織に入って復讐の方法を得るカ、このまま尻尾を巻いて帰って何もできない無力な自分を呪い続けるカ……」
少年は、膝の上に置いたままの掌を握り締めました。
自分に課せられた選択肢は二つ。
入ってしまったら最期、どんな汚れ仕事でも平気で行う裏社会に足を踏み入れる。
あるいは全てを諦め、黙ってこの街から去り、何もかも忘れてしまう。
後者を選び新しい場所に旅立てば、無駄に消費されるだけの自分の人生がやり直せるかもしれないとも、思いましたが。
「…………リア……」
最期に見た妹の姿を頭の中に蘇らせました。
仕事に行く自分を見送ってくれたあの笑顔。どんなに生活が苦しくても、父が酒に溺れ母がヒステリーに陥っても、一度も泣き言を言わなかった強くて優しい最愛の妹。
きっと、本当はとても辛かったのだろう、兄を困らせたくなくてずっとずっと我慢していたハズ。
年頃なのに可愛い洋服一つ買ってあげられなかった、友達も作れなかった、大好きだった絵も描けなくなった。
何もかもを犠牲にし、一人で家を守ってきた努力も報われず、私利私欲のために殺された。
両親に殺された。
奴らが殺した。
幸せになるべきだった娘を殺して今ものうのうと生きている事実が許せない。
「……ボス、さん」
「ボスでイイヨ」
「俺、組織に入ります……入らせてください、お願い……します」
「そうと決まれバ!」と、満面の笑みを浮かべたボスに手を引かれ、少年は最下層の街の外、城壁まで連れて行かれました。
夜中に街を疾走してやってきましたのは良いものの、ここはただの壁なので何もありません。城下町に続く坂もここより遥か先の北の方角にあります。
月明かりが届いているお陰で、持ち出してきたカンテラの灯りが無くても手元がよく見えました。
「あの、その、何を……?」
「組織に入るには試験をしなイトいけないんダ。その会場に行くヨ」
「か、会場……? でもここはただの城壁ですよ……?」
「イイカライイカラ」
訳もわからず立ち尽くす少年の横で、ボスは石造りの城壁に触れ、
「ええト……確かこの辺リだったカナ……本当に分かりにくくて困っちゃうヨネェ」
誰かに向けているような独り言を炸裂させながら、石の一つ一つを触り続けて。
「アッタアッタ」
嬉しそうに声を上げ、自分の腰の位置辺りにある石材に触れると、石が奥に押し込まれたのです。
「えっ!?」
少年が驚愕している中、ボスは彼にも聞こえないほど小さな声で何かを呟くと、すぐ隣の壁が横にスライドして内部に引っ込み、大人一人分は通れる穴が出現しました。
「えええええ!?」
「そーだよネー最初はみーんな驚くんだよネーワカルワカルー」
サアサア入って、と促された少年はカンテラを持ったまま、恐る恐る足を進めるしかできませんでした。
「あれは城壁内に入レル隠し扉ダヨ。特定の場所にある石を押し込みながら月の合言葉を言うト、内部でソレを確認している人が扉を開けテくれるシステムなんダ」
「知らなかった……何でそんな仕掛けが?」
「これから行く場所ガ死者の国だからダヨ」
「…………へぇっ?」
永遠に続きそうな階段を下り、会話を交わしてしばらく経つと、行き止まりに到達しました。
「モシモーシ、ボスでース」
壁をノックしながら呼びかけると、また壁が横にスライドし、先に進めるようになりました。
「出口ダヨ」
ボスが先に行き、少年が後続して階段を下りきると……。
「わあ……」
辿り着いた先は巨大な地下空間でした。
天井は暗闇に包まれて見えないほど高く、正面に見えるのは巨大な壁と頑丈な鉄格子で作られた門。側には詰所でしょうか、小さな建物があります。
壁に設置されている松明は日の光が届かない地下空間の貴重な灯りとして、その役目を果たしていました。
門の左右で立っているのは王国兵士の鎧を着た男性二人で、彼らはボスの顔を見るなりパッと表情を明るくさせると、
「ボスさん!」
「ボスさん! お疲れ様です!」
決して持ち場を離れることなく敬礼、ボスは返事をするようににこやかに手を振り、
「お疲れ様。遅くまで見張りご苦労様ダネ」
「いやいや! ボスさんの苦労に比べたら私たちなんて!」
「ただの見張りと巡回とはイエ、ここでの仕事は時に命を落とすことだってある危険なものなんダ。それを毎日しっかりこなしてイル君たちの方ガよっぽど苦労しているシ、とても立派ダヨ」
『ボスさん……!』
二人の兵士が感動する中、片方が少年の存在に気付きます。
「ってあれ、ボスさん、あの子って……?」
「そうダッタ。今日は彼の入団テストのために来たンダ」
「なるほど! いつものアレですね! 準備をするので待っていてください!」
少年に気付いた方の兵士が踵を返し、駆け足で詰所の中に入っていきました。
「いつもは全然真面目に仕事しないクセに……ボスさんが来るとすぐこれだ」
「慕ってくれルのは嬉しいんダケドネ〜」
「ねえ?」
残った兵士とボスが世間話に花を咲かせる直前、少年は小声でボスを呼び止めます。
「あ、あの……ここって……?」
訳もわからず目を白黒させる少年が不安げに見上げてくると、ボスはクスリと笑い、
「大昔、この国は地下に都市を築き上げた大帝国だったラシイ、でも天変地異とか色々な不運な出来事が重なった結果、人々は外に出テ、大地に土と石を積み上げて国を再建させたンダ」
「あ……それ、歴史の教科書で読んだ覚えがあります。でも、残っていたなんて……」
「ビックリだよネ〜光の届かない巨大な空洞の中に街がまるごと残っているトカ誰も思ってないヨ〜」
兵士が無言で頷いています。彼もかつては地下に街があると思ってなかった人間だったので。
「人々が地上に移り住んだ後、ここは街ごと放置されてたケドそれを国の偉い人たちが再利用しテ、今は死刑囚たちの収容所みたいな場所になってイル。裁判で死刑宣告サレタ囚人は皆ここに放り込まれルンダ」
「そうだったんですか!? 人知れずに処刑されているんだと思ってました……」
「死ぬまでここに閉じ込めるカラ処刑されたと言っても過言じゃないヨ。彼らは社会的に死んだコトになっているカラ生かしておく必要もないンダケド、それはちょっと可哀想ダカラ週に一度、町の各所テキトーな場所に食料をテキトーな量を置いているんダッテ。囚人たちは毎日食料の奪い合いをするために殺し合いを続けているトカ」
「へ、へえ……死者の国ってそういうことですか……」
「そして! ここの囚人たちを見張る私たちはかつては王城でエリート兵として詰めていた!」
黙って話を聞いていた兵士が突然身の上話を始め、あまりの迫力に少年が一歩引いています。
「だが、ちょっとした手違いでこんな暗い場所での仕事を強要されて」
「不祥事を起こして左遷されたところヲ僕が慰めてアゲタってワケだネ」
話が長くなりそうだったので省略されてしまい、兵士はガックリと項垂れてしまいました。
「…………はあぁ」
この数時間の内、色々なことが起こりすぎてしまい、少年はもう何が何やら分からなくなっています。
妹を殺されたから人殺しをしている組織に来て復讐の手段を得ようとしていたのに、何がどうして国の死刑囚の事情を見る羽目になってしまったのか。
彼の心境を読み取ってくれたのか、ボスは小さな子供に語りかけるような優しい声で、
「色々なことが起こって大変だと思うケド……今は、これから僕が言うことダケを頭に入れテ行動するんだヨ」
少年の手にナイフを握らせました。鞘に収まっていない、剥き出しの状態の。
「へっ?」
「いいかイ? 今から君はこの門の奥へ行っテ、そのナイフで人間を殺してくるンダ。それが試験ダヨ」
「ふえっ?」
「誰でもイイんダヨ。あの中にいるのは死刑囚、つまりは“死んでしまった人間”ダカラ殺してしまっても罪には問われナイ。そのナイフには獰猛な獣も一滴で悶え死ぬ程の猛毒が仕込まれてあるカラ、うっかり触れナイように注意するんだヨ」
「は、は、はい?」
「時間は君が門の奥に行ってカラ三時間きっかり。それを過ぎても戻って来ないト探しに行かなきゃいけなくなるカラ気を付けテ。はいこれ時計ネ」
反対の手に懐中時計を握らされました。
「もしも囚人たちにナイフを奪われたりしても心配しなくてイイヨ。ここのルールでは囚人が兵士たちに危害を加えるヨウナ武器を所持した瞬間、即刻死刑執行して良い決まりなんダ。そレニ、ナイフに塗られている毒は三時間から四時間程度で自然乾燥するカラ、ナイフを手にした囚人が片っ端から毒殺無双! ナンテ悲劇が起こる可能性は極めて低イ。絶対にそんなことはナイって言い切れナイかラ、ナイフは無くさないように細心の注意を払うンダヨ?」
「…………」
少年呆然。
「行っておいで×××××クン。この試験をクリアできたラ君は晴れて我が組織の一員になレル……頑張ってネ、死なない程度ニ」
少年を門の奥へ送った後、三時間という長い時間を消化するため、ボスは詰所で兵士とボードゲームを行い暇を潰していました。
白と黒のチェック柄の台に白と黒の駒を十六個並べ、互いに少しずつ駒を進めて相手の駒を奪う遊び、一般的にはチェスと言います。
「しっかしボスさんも酷ですねえ、あんなヒョロヒョロのガキに暗殺者の試験をさせるなんて」
黒い駒を動かしながら喋る兵士は、真っ先にボスを見つけて手を振ってくれた彼です。もう片方の兵士とのじゃんけんという死闘の末、ボスとチェスをするという名誉ある役割に選ばれました。
「そうかナァ。僕は彼のために自分が最低限出来るコトをしてあげたダケだと思ってるケド」
白い駒を動かしボスは馬の形をした駒を使って、頭頂部が丸い黒の駒を奪いました。
「きっと、奴らに嬲り殺しにされて終わりですよ?」
「大丈夫ダイジョウブ、僕が大丈夫だっテ断言しているんだモノ、きっと彼は無事に帰って来るヨ」
「その根拠の無い自信って一体どこから出て来てるんですか?」
「サア? どこから出て来てるか分からないから根拠がないんだヨ」
「はは……そうでしたね…………しっかしどうしよこれ」
話し込んでいる最中に黒い王様の駒が白の駒たちに囲まれていました。負け確定です。
兵士が唸り、ボスがニコニコしながら無様な姿を眺めていると、
「ボスさん! ボスさん! 大変です!」
真剣勝負に負けた方の兵士が血相を変えて詰所に飛び込んできました。
明らかに兵士はボスに向けて話していますが、チェスをしていた方の兵士が先に睨み、
「なんだよお前。今から第三回戦を始めるんだからもうちょっと待てよ」
「ちげーよ馬鹿はすっこんでろ! それよりボスさん! あの少年が帰って来たんですよ!」
「エッ?」
驚いたボスはポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開けて時間を確認。
「まだ残り一時間モアル……?」
「ははーん? さーては人殺しが怖くなってビビって帰ってきたクチだな? たまーにそういう奴いますよねーボスさん」
ニヤつく兵士ですが、ボスは無言で懐中時計を睨むばかりで相手をしてくれません。
「……ボスさん?」
まさか失言してしまったのだろうか。莫大な不安に襲われた兵士が顔を青くさせますが、ボスは気にも止めません。
「あの少年は門の外に出して待たせてます……けど、すみません……俺、もう、ぶっちゃけ見たくないんです……おえ」
吐き気を覚えたから横になりたいと訴えた兵士を詰所で休ませることにして、ボスと、チェスをしていた兵士は外に出ました。
左遷させられてこんな場所の警備を任された身であるとはいえ、彼だって兵士の端くれ。人間の死体は何度も見てきたハズですし。そういった場面を見る覚悟ぐらいあるでしょう。
だというのにあの腑抜け具合、この国の兵士の質も落ちたということでしょうか。ボスは内心ガッカリしていましたが、
その懸念はすぐに吹き飛びました。
「ボス、ただ今戻りました」
深々と頭を下げた少年は怪我をしている様子もなくとても落ち着いていて、そのまま顔を上げました。
彼の後ろには人間の死体が並べて置いてあります。
その数は四つ。首や腹に致命傷を負って殺された者もいれば、腹や胸を引き裂かれて殺された者もいて、腹の中身が見えてしまっていました。兵士の体調不良はそれが原因でしょう。
ここの死刑囚は体の露出している場所に焼印される決まりで、死体全てにはその模様が見られるため、間違って一般の人を殺したということはなさそうです。
「……おかえリ×××××クン」
「はい」
少年は、白髪の一部をほんのり真っ赤に染め、安っぽいボロボロの衣服も半分以上が赤く汚れています。背中とお尻なんて元の生地の色すらありません。実は赤い服だったと錯覚するほど。
ボスの妻から貰った布製の靴は、表面のおよそ半分以上が赤く滲んでいて、後ろには赤い靴跡が見れます。
将来上司になるかもしれない人の前に立つから少しでも身なりを整えようと、頬についた血を左手で拭っていますが、その手も血がベッタリついているせいで、擦ったところに赤い線ができてしまいました。
「すみません。本当は、いくつか死体を置いてからまた戻るつもりだったんですけど、兵士さんに門の外に出ろって怒鳴られてしまって、結局これだけしか……」
「そんなにいっぱい殺すつもりだったのカイ?」
「人数の指示はなかったので、多い方がいいかと……」
「……ナルホド。別に数は関係ないヨ」
「そうだったんですか……」
時間を無駄にしてしまいましたね、なんて苦笑いする少年ですが、ボスの後ろにいる兵士が無残な最後を遂げた死体を見て顔を青くさせていました。
「ううっ……」
「それジャア、君の仕事の成果を聞かせてもらおうカ」
「成果を?」
「どうやって殺したトカ、どんなところが大変だったトカ……まあ、要するに感想文みたいなものダヨ。これも試験の内に入るからなるべく明確に教えてネ」
「わ、わ、わかりました」
少し慌てながら、少年は語り始めます。
「まず最初は一番左端にいる男の人です。お腹が空いていたのか無防備に道の真ん中をフラフラしていたので、後ろからコッソリ近づいて背中を刺しました。ナイフの毒が本当に効くのか少し不安だったんですけど、すぐに倒れて痙攣して口から泡を吐いたら動かなくなったのでちゃんと毒は効いているみたいで安心しました。あまり苦労はしなかったです」
「ウン」
「二人目は真ん中の少し体格の良い男の人です。道端で女の人を襲おうとしていたので“これはチャンスだ!”って思って後ろから腰を刺しました。でも、その人が丈夫なのか一度刺したせいで毒が剥がれてしまったのか、苦しみはするんですけど全然死ななくて……殴られそうになったんですけど動きは遅かったので簡単に回避できました。避けた拍子に男の人を倒して、そのままお腹にナイフを刺したんです。筋肉質だし刃物が通るか不安だったんですけどうまくいきましたね。適当にお腹を裂いていったらいつの間にか死んでいました」
「ウン」
「三人目は右端のお爺さんです。石の上に座り込んで動かなかったので死んでいるのかなって近付いたら、突然顔を上げたのでビックリしました。俺が何も聞いてないのに自分のことを話し始める変な人で……簡潔にまとめると、自分はもう五十年以上ここにいて、生きる希望も死ぬ勇気もないから殺して欲しいって頼まれたので殺しました。心臓にナイフを刺すだけで呆気なかったです」
「ウン」
「最後はお爺さんと体格の良い男の人の間にいる女の人です。俺がお爺さんを殺したところを見ていたみたいで、目があうとすごい悲鳴を上げて逃げ始めたのでなんとなく追いかけました。すぐに袋小路に追い込めたから殺そうとしたんですけど、突然何かを歌い始めたんです。聞いたことのあるメロディだったので少しだけ聞き入っていたら、それは聖歌だと分かりました。妹が歌っていたのでよく覚えています。純粋に神様を信じている人が死刑になるほどの罪を犯すこともあるんだなあって思いながら殺しました。刺しても刺しても逃げようとするので取り押さえたんですけど、それがとても大変でした」
「ウン」
「い、以上……です……けど……」
「ン?」
報告は淡々と行っていたというのに、突然歯切れが悪くなってボスは首を傾げました。
「実は……この人たちを殺す時に、自分の手で奴らを殺すことになったら、どうすればより苦しめることができるのか、自分なりに考えた方がいいかなって色々試していたんです……すみません」
「…………」
「や、やっぱりダメですよね、不合格ですよね……?」
不安を隠せない少年は、少年なりに一生懸命やってきたことでしょう。
しかし、努力を重ねたってそれが絶対に報われることはない現実を彼は知っています。妹を失った今だってそうですもの。
「…………×××××くン」
ボスが静かに名を呼び、少年は肩を震わせました。
きっと怒られる、威勢だけが良くて実力は全くないと見捨てられる。
そんな大きな不安に襲われ、ギュッと目を閉じた次の瞬間、
ボスは両手を胸元に持ってくると、
「ブラボー! ワンダフル! ビューティフル! エクセレント!!」
拍手喝采大絶叫。
愕然とする兵士を尻目に少年の右肩を優しく叩き、彼の体の震えを止めました。
「すごいよキミ! 本当にスゴイ! 僕が求めていた人材そのモノダ! 僕は感動していル! 文句なしで合格だヨ!」
「へえぇぇっ!?」
喝采からの合格発表に少年驚愕。告げられた直後で信じられないのか目を白黒させながら、
「え、そ、そうなんですか? 俺なんて全然……まだまだダメかもって……」
「そんなことナイ。胸を張って良いんだヨ。顔色一つ変えずにここまでの殺しをヤッテのけることは才能ダ。誰にもできるコトじゃなイ」
「そう、ですかね?」
「ソレじゃあ尋ねるケド、君はこの四人を殺していく時に何か感じなかったカイ?」
「なにかを……感じる?」
「例えば人を殺してしまッタ罪悪感、こんな結末を迎えて可哀想ダナァという同情、人殺したーのしーっていう快楽、トカ」
「いいえ全然」
真顔で即答した少年を見て兵士はかなり引きました。
「この殺し方なら、奴らがあの子を殺した苦しみを理解してくれるかな……っていう疑問? 不安? みたいな気持ちはありましたけど……他は別に……?」
「何も思わなかったのハ、ここの人たちを殺しても罪に問われないから……カナ?」
「それも、ないと……思います。だってここの人たちの中には、本当に死刑宣告を受けた囚人なのかな? って疑問に思う人もいたから……」
文末を濁しつつ、少年は女性の死体に目を向けました。ただ見ているだけでした。
「それだヨ、ソレ。僕が理想している人材はそういう子ナンダ」
「ど、どうしてですか……?」
「人が人を殺す……同族に手をかけるってことは生き物として最大級の禁忌ダ。ある程度の道徳教育を受けている人間なラ誰もが理解していることでもアル。僕たちの仕事ハ、人間として生きる中デ最も罪深いコトをほぼ毎日行ウ。罪を罪と理解する中デをれを実行し、続けていル内ニ心のどこかデ罪の意識が生まレ、蓄積されていくモノサ」
「はい」
「最初はほんの少しの意識でも、時を重ねて蓄積させていけケバ……いつかキット崩壊シ、その人はダメになってしまウ。僕はネ、この業界に足を突っ込んで随分経つ中、そういっタ理由デ壊れてしまった人、破滅してしまった人を何人も見てキタ」
「……」
「だから君ノ人を殺しても何も感じないコトハ、この業界においては素晴らしい才能ナンダヨ。だからもっと自信を持っテ?」
「…………ぐすぅ」
「ナンデ?」
褒めていたというのに、少年は突然鼻声になって泣き始めてしまったではありませんか。
ナイフを持った右腕で涙と鼻水を拭うも、どちらの液体も止まりそうにありません。
「俺、俺……大人の人に、褒めてもらったのっでぇ……ばじめでで……うれじぐで……」
「……ソッカ」
ボスはそっと、少年の頭を撫でます。まるで子供をあやすように。
「とても厳シイ環境で生きてきたんだネ……ヨシヨシ」
「はい……ゔぁい゛ぃ……」
始めて大人に褒められて嬉しいのか、ようやく心から安堵できる状況になれた開放感からか、少年の涙と鼻水は止まりません。袖が水分でびしゃびしゃになります。
「今は思う存分泣くとイイヨ。誰も咎めヤしないんだかラ…………それじゃあ、いつも通り死体の片付けよろしくね」
「は、はい……」
突然話題を振られて動揺する兵士。
四人も殺したのに平然としていた子供が褒められただけで泣くという、なんとも納得できな異様な状況に引き笑いを浮かべるばかり。
「イツモイツモ悪いネ。今度の報酬ニハ色を付けておくヨ、妻に美味しい差し入れを持って行かせるカラ」
「どうも……ありがとうございます。ボスさん」
泣き続ける少年を慰めながら、二人は階段を上っていくのでした。
「それじゃア確認だけド、君は妹を殺された復讐ヲしたいんだヨネ?」
「はい」
「具体的にはドウしたいんダイ? 無様に死んで欲しいトカ、永遠に苦痛を味合わせてやりたいトカ」
「どう……なんでしょう。俺は、妹が受けた苦しみの何百倍も辛く、苦しんでくれればそれでいいかも……って、考えてます」
「ソレじゃあすぐに殺スのは無しダネ。殺しちゃったラそれで終わリだモノ。長く苦しめることが目的ナラ殺す以外で苦しめるベキダ」
「殺す以外で?」
「ウン。逃げたくてモ絶対に逃げられなくテ、体を傷つけることなく、心にだけゆっくりとナイフを突き刺すよウナ、ジワジワと命を削っていくような苦しみを与えるんダヨ」
「い、生かしておくってこと、ですよね? 本当にそれで、いいんですか……?」
「あのネ、殺すだけが全てじゃナインダ。本当に残酷なのは手足を切り落としてかラ心臓を貫くことじゃナクテ、地獄のような環境で生き続けることダヨ」
「…………」
「帰って休んダラすぐに計画しよウ。さあ×××××クン、一緒に頑張っていこウネ!」
「……はい。あの、ボス……下っ端の俺がこんなことを言うのもおこがましいかもしれませんが……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「なんダイ? 君はもう僕の可愛い部下なんだカラ、遠慮しなくていいんダヨ」
「本当ですか!? じゃあ、その、実は……」
「ただいま帰りました。すみません、一週間も家を開けてしまって」
「はい……実は、新しい仕事を見つけたんですよ。住み込みで働くことになったので、毎日は家に帰れそうにないんです」
「その仕事は今までの仕事が馬鹿馬鹿しく思えるぐらい良い稼ぎを得られます。今日、初めてその報酬を頂きました」
「……ええ、一日の働きでコレです。これだけあれば毎日贅沢できますし、美味しいお酒も買えます、新しい家具を買ったり、お金を溜めればもっと良い場所に引っ越しもできます」
「……ところで、この前のお金は……」
「…………なるほど、そうか、そうですか、もう残ってないんですね……あんなにあったのに……あの子の………………」
「……はい、わかりました、ちゃんと続けていくので安心してください」
「そうだ、ついでにこれも置いておきますね」
「…………………………」
「え? なにって、死体ですよ、今日殺した人の、人間の死体です」
「言い忘れてました、俺の仕事は暗殺者なんですよ、俗に言う人殺しです」
「どうして? だってこの仕事をするだけで沢山お金がもらえるんですよ? アナタたちがあれほど欲しがっていたお金が一度にたくさん貰えるんですよ? 良かったじゃないですか、毎日これだけお金が貰えたら数年で大金持ちに戻れるかもしれません、万々歳でしょう?」
「お金さえあれば何でも良いんじゃないですかお金さえあれば誰も傷つけずに済むじゃないですかアンタたちがお金に目が眩んで自分の娘を殺人ショーとかいう狂ったところに売り飛ばした結果リアが殺されることもなかったじゃないですか俺の生きる意味が奪われることもなかったじゃないですか」
「仕方がない? 何が? どうして? ここでの暮らしが危険なことぐらいアンタたちだって知ってますよね? だから俺はあの子を働きに出したくなかったんですよ? 家を守るようにって言い聞かせたのは俺です。今でもその判断は間違ってなかったと思ってます。あの子のことを何もしないグズだと言う前にアンタたちがお金を稼ぐ努力をすればよかったのに」
「どうして、謝るんですか?」
「大丈夫ですよ、アンタが騙されて何もかも失って城下からこんな薄汚い場所に落とされたことを責めるつもりは一切ありません。でも、家が没落したのとアンタが何もせずに酒に逃げたことって、何か、関係、あります?」
「落ちるところまで落ちた現実と向き合えばこんなことにならずに済んだって理解しました? はい、手遅れですね、残念」
「そうだ。実は、確認しに行ったんですよ」
「何って、リアが本当に殺されてしまったか、です」
「もしかしたら生きているかもしれないって気持ちが心のどこかにありました。俺が勝手に死んだって思い込んでいただけで、何かの奇跡が起きて、あの狂った殺人ショーから逃げ出していたかもしれないって」
「そんな希望を抱き、上司に頼んでショーの関係者に話を聞いたんですけど、現実は甘くなかったです」
「遺体はありません。観客の中には殺された子供の肉体の一部を持ち帰る人がいて、いつも高額で買い取られるそうです。俺には全く理解できませんでした。取り返すとなると城下町の一等地で豪邸をいくつか建てるぐらいの値段になるとのことで、諦めるしかありませんでした」
「……リアはね、最初、頭を何度も殴られたそうです」
「頭から血を流して、意識を失う直前の朦朧としている時に取り押さえられ、右腕と左足を切断されました。治療行為でもなんでもない、ただの道楽を目的としたショーですからね、生きたまま切り落とされたそうです」
「叫び悶え苦しんでも誰も助けてくれない。周りの人は笑いながら見ているだけ。それはそれは絶望的な状況の中、死なない程度の苦しみを何度も味あわされたそうです」
「耳を塞ぐな、聞けよ」
「歯を折られ、顔面を殴られ、残っている手足の骨を折り、ほとんどの爪を剥がし、道具を使って強姦、焼きゴテで適当な皮膚を焼き、杭で左目を潰し、腹を切り裂かれて、最後に、観客一人一人が好きにお腹の中を傷つけたり、臓器を取り出せる催しがあるみたいで……その時にはもう、死んでいたそうです」
「……人間のやることじゃない」
「……………………」
「今更、後悔してもあの子は返ってきませんよ。アンタたちが殺したんですからね」
「渡すものは渡したし、報告も終わったので俺は職場に戻ります」
「そうだ、俺が暗殺者になったのはアンタたちを殺すためじゃなくて、お金をいっぱい稼ぐためだから。親孝行な息子を持てて幸せだね。それから……これは上司にもお願いしたことだけど」
「二度とその名前で呼ぶな」
2020.3.4
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