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巡る樹海は敵だらけ

 通信機が鳴り始めたのでスイッチを入れると、相手の通信機と繋がります。
「もしもし! シエナだぞ! つーしんきを使わせてもらったシエナだぞ! 終わり!」
『終わらないでー?』
 満足げに発言した後にごく自然な流れで通信を切ろうとしたので止められました。
 手のひらサイズ四角い箱からアオニの声が聞こえてきます。シエナはこの不可思議な現象を前に目をキラキラさせながら、彼女との会話を続けることにしました。
「ごめんフカちゃん、リーダーにつーしんきを使っていいぞって言われてもう満足しちまった」
『そっかあ。あれだけキッパリ断られてたのによく許可が降りたね』
「今はリーダーたちがそれどころじゃねーからな! だからフカちゃんから連絡がきたら相手しろって任されたぜ!」
『あれ? 取り込み中だったの? また後で連絡した方がいい?』
「俺は暇だからだいじょーぶだぞ! それよりフカちゃんたちこそ何かあったんじゃね?」
『うん、ちょっと手が離せなかったんだ。ナメクジ大量発生の原因の一部を突き止めたからね!』
「そうなのか!? 何があったんだ!?」
『卵見つけたの』
「ナメクジの卵?」
『そうそう』
「じゃあ俺たちも見たぞ!」
『ほえっ?』
「なんかなー壁の隙間からちびナメクジがいっぱい出てるのが気になるからみんなで調査したんだ。そしたらナメクジの卵がたくさんあって、おまけにでっかいナメクジがいたんだ! FOEよりでっけーぞ!」
『わお』
 通信機の向こうから「ギンちゃん生きてるかな……」と声がしました。
『そのでかでかナメクジはどうしたの?』
「みんなでやっつけた! 卵は魔物の生態を調べるためにってちょっとだけ持って帰るってことになって、残りはぜーんぶ燃やしたぞ!」
『そっか、無事に終わってよかったよ』
「フカちゃんたちは?」
『さっき言ったナメクジの卵と、FOEの死体を見つけたよ』
「死体?」
『うん。クロたちが言ってたけど、大量の卵を産むには相当な体力がいるから、雄を食べて産卵に必要なエネルギーでも貯めてたのかなって。そのあたりの詳しいことは学者さんに調べてもらわないとわからないけどね』
「大変だったんだなー」
『そうでもないよーお姉ちゃんとコンもいたからスムーズに燃やせたし、卵の見た目とかFOEの死体がややグロでカリブがずっと顔色を悪くしてたぐらいだもん。問題ナッシング』
 通信機から「ぐらいってレベルじゃないからね……」と恨み節が聞こえてきましたが、シエナはスルーを貫きました。
『火を消し終わったら一旦帰るつもりなんだけど、そっちはまだ時間かかりそう?』
「そーだなー。卵は燃やし尽くしたしちびナメクジも片付けたし火はるーちゃんが凍砕斬で鎮火させたし……でも……」
『ん? どうしたの?』
 シエナは続きを説明せず通信機を口元から離すと、そっと明後日の方向へ向けます。
 彼女が見ている場面はアオニたちには届きませんが、声だけは明確に拾うことができるため、

「この役立たず男が、いい加減に私の前から消えろ」
「誰のお陰で巨大ナメクジを撃破できたと思っている」
「ビビリまくっていたクセによくそんな口が叩けたものだな」
「貴様こそ私が手を貸さなかったらナメクジの毒液に対抗できず永遠に役立たずだっただろう? 人の汚点を指摘する前に自身の汚点を治そうとは思わないか? ああ……思わないか、人の粗ばかり探す女だからな」
「人の粗ばかり探すのは貴様も同じだろう性悪男」
「性悪は貴様だろうが」
「は?」
「は?」

 またまだ口喧嘩は終わりそうにありませんが、アオニたちに現状を把握してもらうにはこれだけで十分でしょう、シエナはそっと通信機を口元に戻すと、
「ギンちゃんキンちゃんが喧嘩してるから時間かかりそう!」
『おっけー了解、一足先にマギニアに戻ってるからアオたちにもそう伝えてー』
「ほいほーい」
 軽い返事を交わした後、通信を切りました。



「ねーねーねーねー、いい加減それぐらいにして帰ろうよー罵倒したところでお互いが死ぬことはないんだからさぁ〜」
 その場にしゃがんでそんなことをぼやくルノワールは、終わる気配のない口喧嘩を飽き飽きしながら見ていました。
 彼女の傍らには巨大ナメクジの長い触覚の片方だけが無造作に転がされています。火ダルマになったナメクジから唯一回収できた、もしかすると売れるかもしれない素材です。
「死ね、性悪男」
「貴様が死ね、極悪女」
 プライドが高く無駄に大人気ない大人に呆れた視線を向けたところで、この犬猿の仲が口論を自重するワケがありません。ナメクジという脅威が去った今、不毛な言い争いは繰り返され終わりのない戦いが続くだけ。
「おーいおーい、天然記念物と堅物記念物やーい」
 ルノワールはめげずに言葉を投げかけますが、憎敵しか眼中にない二人は反応してくれません。頭の中にあるのは一刻も早く目前の敵を消す方法、それに尽きます。
「こりゃあ息が合うのか合わないのか判断に困るねぇ……」
「まだ終わらないのか」
 彼女の横に立つギルマスが一人、アオです。
 彼は巨大ナメクジが絶命したのを確認してからこの大部屋に宝箱の一つでもないかと探していましたが、武器以外の持ち物はないため収穫はなかったようですね。
「お帰りー火事場泥棒ご苦労様〜」
「何が火事場泥棒だ人聞きの悪い。俺はこの部屋の地図を描いてだけだ」
「でも物色はしたんでしょ?」
「しない理由があると思っているのか?」
「……ナイネ」
 金のためなら手段は選ばない。それがクアドラのギルドマスターです。
「で? アイツらはまだ喧嘩してんのか」
「今は口喧嘩に落ち着いているけどね。迷宮内でよかったよ」
「ヒイロたちの卵回収作業もそろそろ終わるから、帰還準備をしたいんだがな」
「ヒートアップしたままの二人を連れて帰れる?」
「いっそここに置いて帰るか」
「恋人にあるまじき発言だって自覚あるよね?」
 目を逸らされました。自覚はあるようなのでルノワールは内心ホッとします。
 すると、向こうからバタバタと駆けてくる騒がしい音。
「リーダーるーちゃん! フカちゃんから連絡きたぞ!」
 通信機が使えて大満足のシエナ、大変眩しい笑顔でアオにそれを返しました。
「ご苦労。アオニは何か言ってたか?」
「そろそろマギニアに帰るってー」
「じゃあこっちもそろそろ帰るか」
「あの二人どうするのさぁ」
「そうだな……」
 自身の瘴気はサブリーパーのギンにやや効きにくいため使えません。例え瘴気でキンだけ行動不能にしても、それに気を良くしたギンが彼女を更に挑発し、言い争いが止むどころか更なる混沌に包まれて収拾不可能になることでしょう。
 彼がその気になればあの瘴気で相手の意識を失わせることはできますが、そこまでの瘴気を人間に使いたくありません。調整を間違えると大変なことになるので。
「鈍足」
「愚鈍」
「愚者」
「悪魔」
「アオ、呼ばれているぞ」
「縛り上げて地下五階のFOEの住処に放置すっぞお前ら」
 思わぬとばっちりにアオは舌打ちし、ルノワールは吹き出し、シエナは冷めた表情を浮かべていました。
「やはり貴様と行動を共にするべきじゃなかったな! さっきからずっと苛々してもう我慢できん!」
「堪え性のない女め。腹わたが煮えくり返りそうなのは私も同じだが、相手への殺意を抑える程度の忍耐は持ち合わせている」
「その自分の方が確実に上だと断言しているような態度に腹が立つんだ! ナメクジに怯え続けていた腰抜けに言われる筋合いは無い!」
「知らんな。自身の無力さに気付かず、私に当たり散らすだけの女が吠えたところで何とも思わん」
「ナメクジにビビってたのは事実じゃないのぉ?」
 横槍を入れてきたルノワールのとてもとても冷静な指摘は無視されました。
 終わりようのない口論にアオはため息をついて額を抑え、シエナは飽きてきたのか足元の石を蹴って遊び始めました。
「つまんねーの……」
 何か目を引くぐらい面白いモノでも転がっていればギンとキンの気を反らせるのに……と、ぼんやり思いつつも天井を見上げ、
「……あ」

 音もなく落下していたそれは人間に対して警戒心や敵意を抱いてなかった故に、気配に敏感なギンでも気付かなかったのでしょう。
 シエナが声を上げようとした刹那、アオが素早く彼女の口元を抑えました。それは「余計なことをするな」という彼なりの無言の忠告。
 ルノワールもそれに気付きました。それでも声を荒げることなく、黙って事の顛末を見守ることを徹底します。
 これがあの二人の口論を止めるため、一番手取り早い方法だと判断したから。
 しかし、

「う、上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」

 響き渡るヒイロの絶叫。
 上という言葉に反応したギンとキンは真上を見て「小さなナメクジの魔物が二匹、こちらに向かって落下してくる」という事実を脳に届け終えたと同時に、

 ナメクジはそれぞれの顔面に着地を果たしました。

 その瞬間を皆が見ていました。
 息を飲むヒイロ。
 ぽかんとするシラハナ。
 目を丸くするシエナ。
 ノーリアクションのアオとルノワール……。
 誰もが言葉を出せないまま立ち尽くす中の静寂が終わりを告げたのは、ギンとキンが悲鳴も出さないまま後ろに倒れてしまった瞬間、
「ギンー! キンー! 死んじゃダメェェェェェェェ!!」
 二十代の青年が出して良いとは思えない高音の悲鳴を上げたヒイロが真っ先に二人の元へ駆けて行きます。目にも留まらぬ速さで、ナイトシーカーの素早さが存分に活かされていました。
「大丈夫だぞひーちゃん! ちびナメクジの毒で死ぬことはねーし万が一目に入っても失明はしないはずだ! だから慌てちゃダメだぞ! 医療の現場で慌てるのが一番いけないんだぞ!」
「ごめん! 今日の俺って謝ってばっか!」
 アオから解放されたシエナも怒鳴りながら駆けて現場は騒然。ちびナメクジ以外の魔物の気配がしないのは不幸中の幸いでしょう。いれば物音に気付いてすぐに襲ってきますから。
 その後ろでアオたちと合流したシラハナは、キンを心配する素振りを見せずに小さく頭を下げまして、
「色々とごめんね、キンさんいつもはここまで大人気ない人じゃないんだけど」
「知っているからいい。脇目も振らずに喧嘩ばかりしていたからこうなるんだ、いい薬だよアイツらには」
「そーそー、シラハナが責任を負っているような顔をしなくてもいいんだって! それより、ナメクジの卵は回収できたのかい?」
 ルノワールに指摘されると、シラハナ右手に持つ大きめの皮袋を二人にぐいっと近づけます。
「当然バッチリだよ! これだけあれば十分ってぐらい詰め込んできた! この卵の殻って丈夫でちょっと小突いたぐらいじゃ破れないみたいだから、この状態でも大丈夫そう」
「袋の中で孵化する前に帰るか」
「だねぇ。あー疲れた疲れたー」
「あたしもー」
 びっくりするほど冷静な三人は、ナメクジを顔面で受け止めた二人の解毒作業が終わるのを確認してからアリアドネの糸を使い、全員でマギニアに帰還しました。










 こうして、マギニア司令部を震撼させた、第十三迷宮ナメクジ大量発生事件はクアドラと帝国騎士たちの活躍により無事に解決、多額の報酬金を受け取りギルドマスターは大喜びです。
 誰もが気になる巨大ナメクジ発生の原因や、小さいナメクジの生態調査は魔物の生態を研究する学者たちのお仕事なので、後の仕事は彼らに任せることになります。
 あれほど大量にいた魔物も原因さえ断ってしまえば勢いはあっという間に衰え、衛兵や冒険者たちの頑張りにより日を跨ぐ頃には鎮静化に成功。数日後にはナメクジ以外の魔物が闊歩する、いつもの迷宮の光景が戻ってきたのでした。
 しかし、一つの問題を解決すれば新たな問題が発生するのは世の中の摂理でして。
「ねえ、シラハナちゃん。キンちゃんが駐屯所前の花壇に塩を撒いているんだけど……何かあったの?」
「キミドリたちの知らないところでナメクジがトラウマになっちゃったの」
「あらまあ……」
 この一件によりギンとキンの犬猿の仲二人に「苦手なナメクジのことで互いを罵らない」という暗黙のルールが完成したのでした。


2020.1.19
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