巡る樹海は敵だらけ

 快適ではない狭い通路を進み、しばらくすると壁の向こう側の部屋に出ることができました。
 迷宮の主が巣食う部屋ほどの広さはあるでしょうか、その上に薄暗いた向こう側の壁までは見えず、遺跡の至る所にある低い壁もない、殺風景という印象が強い場所です。特徴と言えば若干湿度が高いところでしょうか。
「やっぱりここもナメクジまみれだったねぇ」
「そうだな」
 先行して進んでいたアオとルノワール。アオは鎌、ルノワールは剣でナメクジたちを蹴散らしており、周囲にはひっくり返って動かなくなったナメクジたちの死体が散乱していました。
「う……」
 まともにナメクジを見ていられないギン、小さな呻き声を上げてからヒイロの背中に引っ込んでしまいました。
 ニヤニヤしつつその様子を心底楽しそうに眺めているのは紛れもなくキンですが、少しでも口を開けるとギンに対する嫌味や罵倒や侮辱等々が飛び出してまた叱られてしまうかもしれないので、言葉を発するのを我慢しています。口元がぴくぴくしているのですごく我慢しているのでしょう。
 シラハナがとても呆れ果てているとも知らず。
「キンさん……」
「あれは何だー!?」
 突如シエナが大声を上げて部屋の奥を指し、全員が声に釣られてそちらに目を向けます。
 そこにあったのは……無数の透明な塊でした。
「むむ……?」
 目を凝らしてよく見ると、それは小さな粒の集合体のようで、粒の中には白い何かが入っています。
 それが何なのか検討もつかず全員が首を傾げていると、透明な塊の一部がもぞもぞと動き始めました。
「おんや?」
 最初に気づいたルノワールが声を上げると同時に、粒の中の白いモノがぐねぐね動いて必死にもがき始めます。
 すると、粒に亀裂が入った次の瞬間には音もなくそれは割れ、白いモノは外の世界に這い出てきます。
 あの、小さなナメクジの魔物が。
「おわあああああああああああ!?」
 ルノワールが絶叫すると同時に塊から一斉にナメクジの魔物が出てきます。ゆっくりとした動きで、世界とのファーストコンタクトを果たしていました。産んでくれてありがとう。
「もしかして……アレ、ナメクジの卵……?」
 シラハナの言う通りでした。ここに放置されてある透明な塊、その全てがあのナメクジの卵と見て間違い無いでしょう。
「ここで産まれたナメクジたちがあの隙間とか色々な場所を通って遺跡に出てきたのか……それも大量に」
「大量発生の理由はこれだったんだねぇ」
 静かに状況分析するアオとルノワールの二人、ルノワールは剣を抜いて透明な塊たちを睨んでいます。その刀身は赤色に輝きを放っていました。
「とりあえず燃やしちゃおっか! これで僕の可愛さの功績がまた一つ産まれるからねぇ!」
「是非ともそうしてくれ」
 即座に返したギン、もう現状を直視できないのかヒイロの背中に隠れたままです。フレイムアローで応戦する気力もありません。
「これだけ卵があるってことは、それを産んだ母親がいる筈だが」
なんてアオが懸念しますが、
「それを探すのはあの卵を潰してからでもいいんじゃないかな? ナメクジの数を減らせば衛兵さんや他の冒険者たちが活動しやすくなるんだし、その分問題解決までの道のりが短くなるって!」
 シラハナは明るくポジティブな意見。
部屋は広いものの、他の部屋や階層に続く道があるとは言い切れない状況でナメクジたちに囲まれたくはありません。弱いとはいえ向こうは数があるのでたった七人の冒険者では処理が追いつかず、疲弊したところを攻められ全滅……も、ありえない話ではないのですから。
「……ま、そうだな。ルノワールとキンで卵を燃やしてくれ、俺も起動符を使って援護する。他の連中はちびナメクジが襲ってこないように警戒してくれ」
 ギルマスらしく的確に指示をするアオ。そしてそれぞれ頷くギン以外のメンバーたち。
 いつもならギンに瘴気で補助を頼むところですが、ナメクジの卵なんて彼にとっては地獄を具現化した物と称しても変わりがないでしょう。よって使えないと判断。
 他メンバーもスルーが妥当と判断しているので何も言いません。完全にお荷物状態のはずですが。
「上に、何かいるぞ……」
 顔を伏せたままでも従来の野生の勘は健在だったらしく、何かの気配を感じとった彼は弱々しい声で警告したのです。
「は?」
 真っ先に見上げたのはアオでした。
 同時に、何かが落ちてきます。
 それなりの巨体を持つモノが冒険者たちの前の床に大きな影を作り、徐々に大きくなっていき……。

 べちゃぁ。

 と、粘着性のある物体が硬い地面に落ちたような不快な音が発生し、それは冒険者たちを見下しました。
 巨大な、ナメクジの魔物が。


「きぃやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 静寂な遺跡に不釣り合いな悲鳴が響きました。誰が叫んだといえばヒイロです。彼以外に誰がいるというのでしょうか。
 小さいナメクジのような、さほど危険でもない魔物であれば怯えなかった彼でしたが、明らかに規格外、化物クラス大きさの魔物であれば悲鳴の一つや二つは出てしまうもの。クアドラではよくある光景です。
 恐怖のあまり背中にしがみついていたギンを引き離して抱きつく形となりましたが、ナメクジに苦手と恐怖を抱いている人間が身の丈以上のナメクジと対峙してしまえば……どうなってしまうのかは想像に難くありません。
「…………」
「ギンちゃん気絶してね!? 大丈夫か!?」
 大丈夫だったら気絶していません。その場に立ち尽くし、ゼンマイの切れた玩具のように固まっていて、キンが必死に笑いを堪えているところです。
「アイツ今日マジで使えないな!」
「宿に縛りつけてでも置いて行くべきだったねぇ」
 絶賛絶叫中のヒイロでさえも魔物を前に気絶したことはなかったというのに。今日のギンはヒイロよりもダメダメのダメという結論が出ました。
「そんなことより魔物だよ魔物! アタシ、あんなの見たことないよ?!」
 シラハナの声で一気に現実に引き戻され、降ってきた魔物を睨みます。
 姿形は鰾膠の散禍塔に酷似していますが大きさが異常でした。一回りどころか二回りも巨大で色は鮮やかな桃色がほとんど、それにグレーが混じっています。
 へらべったい動体から伸びている首は長く、頭部から飛び出す触覚は長すぎるのか重力に負けて垂れ下がっています。
 長い触覚の周りを円で囲むように生えている短い触覚がまるで王冠のように見え、このナメクジの異質さを物語っていました。
「ヤバそう」
 巨大な魔物と対峙してもシエナはたったこれだけ。素直な感想を述べると同時に巨大ナメクジはゆったりとした動作で首を後ろに引き、ぴたりと止まりました。
「んあ?」
「馬鹿!」
 魔物を見上げていた少女の襟首を問答無用で掴んだのはアオで、強い力で引っ張られたせいで首を軽く絞められる形となり「ぐえ」とぐもった声が反射的に出ました。
 場から離れた次の瞬間、ナメクジが頭突きを繰り出し床と衝突。魔物は相当な石頭の持ち主らしく、柔らかそうな頭部が地面にめり込んでいました。
「やっべ……」
「戦闘中にボサっとするな!」
「ごめんリーダー! 俺は後ろでギンちゃんたち見とくから後はシクヨロだぜ!」
 戦闘能力ほぼ皆無の少女が前線に出た所で足を引っ張るだけ。戦闘になればメディックはメディックらしく後方に引っ込み、怪我をした仲間たちの治療に集中するのが基本的な仕事になります。
 だからシエナはアオが手を離してすぐに駆け出し、立ち尽くしているギンと怯えるヒイロの元に向かうのでした。
「ごめんねぇ〜ウチの野郎共が軒並み使えなくて〜」
「気にするな。いざとなれば肉壁ぐらいにはなるだろう」
 わざと聞こえる声量で煽るような謝罪を繰り出すルノワール、応えるキンも口元が緩みまくっていますが、首を上げるナメクジを見てすぐに気持ちを切り替えます。
「それで、アレはどう対処するつもりだ?」
「ショックスパークを連発して黒焦げにするかな。物理が通りにくい分、属性は通りやすいからねぇ」
 ナメクジのぬめりのある体は物理攻撃による衝撃を和らげてしまう為、あれらと戦闘する場合は星術やショックスパークや凍砕斬などの属性を含んだ攻撃を主に使い、対処して行くのが一般的です。
 ヒーローのスキルであるショックスパークは、物理に耐性を持っているほど後に発生する雷撃の効果が大きくなる性質を持っています。よってナメクジ系の魔物とショックスパークの相性は最高、基本的にショックスパークだけを使っておけば勝てるので、難しく考える必要がないから楽だとルノワールは言います。
「だから僕はひたすらショックスパークを使ってキンは砲剣の準備ができ次第ドライブを撃っていく。他メンバーはナメクジの足止めや僕たちの補助に集中……っていうのが僕の提案だけど、そこんとこどーよ?」
 ほくそ笑みながら振り向いた視線の先には、鎌の柄を握り締めるアオの姿。瘴気の兵装を掛け直し、万全の状態で戦闘準備を整えた彼は二人の間で足を止めました。
「特に問題はないな。ギンはともかくヒイロには働いてもらわないといけないから、シエナが説得と叱咤をしている。もうすぐこっちに来るだろう」
「ナメクジは確か、一部の状態異常が無効だったはずだ。ナイトシーカーやリーパーは戦いにくくないか?」
「確かにそうだが全ての状態異常が通らないとは限らん。あのクソデカナメクジがどんな耐性を持っているか分からないから、戦いつつ調べていくしかないがな」
「解析グラスも忘れちゃったもんねぇ、第十三迷宮は調べ尽くしたから持っていくだけ無駄だろうって言ったどっかの誰かさんのせいで……イテ」
 脛を軽く蹴られたのでこの話は一時中断されました。
「あんな巨大な魔物がいるって分かってたらそれ相応の準備はしたっつーの、だから今ある装備や道具でなんとかするしかないんだ。いちいち揚げ足を取ってんじゃねーよ」
「ぶーぶー」
「文句言うな魔物の餌にするぞ」
 長い首をゆらゆら揺らしながら一行を見下すナメクジを睨み、飛び出す機会を伺います。
「巨大だから動きが鈍い。一度攻撃を仕掛けた後に隙ができるハズだからその隙に叩く」
「こういう相手ってめちゃくちゃタフか攻撃した隙を埋めるための不意打ちみたいな手段を使ってくるって相場が決まってるけど?」
「だから最大限の警戒を怠るな。お前たちは貴重なダメージソースだから無理は……」
「たいへんたいへーん!」
 作戦会議している最中に後方から大声が響きます。言うまでもなくシラハナの声で、両手を振りながら後ろを指しています。
「ナメクジが来てる!」
 彼女の言うナメクジとは小さいナメクジたちのこと。ボスの危機を察知したのか、通ってきた隙間から大量のナメクジたちが這い出てきたのです。
「ほらー! もうお約束の展開になったー!」
「うるさい。そっちはシラハナに任せる、ヒイロにもごねないで働けと言っておけ。殴り飛ばしても構わん」
「アタシが殴ったら小一時間は夢の中だよ!?」
 この抗議は無視されました。それでもいいとでも思っているのでしょうか。
「一度攻撃してきた割には何もしてこないねぇ? もう一回あの頭突きをしてくれたら助かるんだけど」
「わからん……始めて見る魔物だからな。何をしてくるにしても一旦回避に専念しろ。避けた瞬間に一斉に攻撃に移れ」
「ああ、任せておけ……?」
 違和感に気付いた時、ナメクジの首の動きがぴたりと止まりました。
 何かしてくる。本能的に察した次の瞬間には、ナメクジは口から桃色の液体を吐き出していたのです。
「退け!」
 誰が叫んだか判断するよりも先に、三人は一斉に飛び退いて距離を取って回避。
 FOEである鰾膠の散禍塔は自身の周囲に液体を吐き出し、縄張りに近づいた侵入者を排除しようとする習性を持っていますが、この魔物も同様に長い首を動かしながら自分の周りに液体を撒き散らしていきます。
 その量は鰾膠の散禍塔の比ではありません。あっという間に辺り一面が桃色の液体に染まり、気持ち悪いバリケードを完成させてしまいました。
「うっそじゃん! あんな気持ち悪いのがあったら近づいて攻撃できないよ!」
「あれを踏み越えてナメクジに接近……は、得策ではないか……」
 ぼやくキンの脳裏にギンを踏み台にしてナメクジを仕留める案が浮かび上がりました。
 気絶している奴を持って行き、あの気色悪い水溜りに放ってから踏みつけてナメクジに接近。そして渾身のドライブを打ち込めば勝てる。そして奴は死ぬ。
「よし」
「何が“よし”だ馬鹿」
 思考が読まれていたのかアオに鋭いツッコミを入られててしまいます。キンは若干不満そうにアオを見やりますが、彼はいつも通りクールな青年のままです。
「ああされたんじゃ近付くことはできないが、遠くからの攻撃は可能だ。幸いにも向こうから攻撃はここまで届かないから……」
「あ」
 巨大ナメクジはいつの間にか首を大きく後ろに引いています。ゆったりとしたスピード、シエナに頭突きを使った時と全く同じ動作で。
 弾かれたように首が前方に振られた途端、黄色と茶色を混ぜたような黄土色の液体を飛ばしてきたのです。
「ひゃあ!」
 弾丸を彷彿させるスピードにとっさの判断ができず、ルノワールが悲鳴を上げました。
 塊はアオたちの頭上を通り、後方のヒイロたちのやや横を通り、最終的に壁に衝突。何かが溶けて蒸発するような聞きたくない音が響きます。
「もしやあれが遠距離攻撃手段……?」
「次弾装填は早くないようだがな」
 アオの視線の先には、ゆったりとした動作で首を戻すナメクジの姿がありました。
「攻撃が強力な分、巨体のせいで動きが鈍くなってしまう。それを補うためにも自分の周囲に毒液を吐いて接近しにくい状況を作ってから、あの酸の砲撃を放つといったところか……面倒臭い相手だな」
「接近できないだけで攻撃手段は限られてきちゃうもんねぇ」
 緊迫した状況にも関わらずルノワールは軽い口調。まるで状況を楽しんでいるかのよう。
 緊張感のないヒーローを睨みつつも、キンは砲剣を握り直し、
「前方は巨大ナメクジ、後方は小ナメクジ……シラハナたちが抑えてくれているがどう見ても消耗戦だ。向こうに分があるだろう」
「そうだな」
「……糸で一旦マギニアに戻り、パーティを立て直してからもう一度来るという考えはないのか? 荷物整理もしたいだろう?」
 「荷物」というフレーズを妙に強く発音していましたが、誰もそこには触れませんでした。
 彼女は更に続けて、
「現状は不利としか思えない状況だ。ここは一度離脱してマギニア司令部に魔物の存在を報告し、改めてミッションを発令してもらった方が良い。ミッションさえ出れば他の冒険者や衛兵のサポートも今よりもっと多く受けられる。そうすればあの魔物を確実に仕留めることができるはずだ」
 極めて冷静な判断です。まだまともに動ける状況であれば離脱も容易、決して悪くない提案でしょう。
 が。
「あのナメクジの繁殖率は尋常じゃない。一晩で四階の魔物のほとんとが姿を消したんだ。なのにミッション発令やサポートを悠長に待っていたら、その間に第十三迷宮がナメクジに呑まれる」
「それはちょっと嫌だねぇ。世界樹ノ迷宮が蛞蝓ノ迷宮になっちゃうよ」
 アオとルノワールの二人に「撤退」の二文字はないようです。
 巨大ナメクジの魔物を睨んでいるものの、口元は緩んでおり、まるで状況を楽しんでいるようにも見えました。
「なっ……!?」
「それに、他の冒険者が介入したら報酬が減るかもしれないだろう」
「それが最大の動機か!!」
「大丈夫だよ、諦めなかったらなんとかなるって。それにコイツの金にかける執着は時に人間の力を凌駕するんだからさ、安心して背中を任せてよ」
「どこをどう安心すればいいんだ……」
 もはや呆れ果てて反論する気も起こりません。タルシスで冒険を共にした時はこんな雰囲気だったか……と、かつての光景を思い出そうとしましたが、どうにも不鮮明な光景ばかりが出てきてしまいます。今が強烈すぎるせいでしょう。
「まあまあ、不安な気持ちは分かるけど大丈夫だよなんとかなる。今までだってそうだったもん」
「だろうな……大丈夫じゃなかったら、お前たちは樹海で土に還っているからな……」
「そうそう!」
 絶望的な状態にも関わらずルノワールの笑顔は眩しいぐらい明るくて、魔物に囲まれている状況をほんの一瞬だけ忘れさせてくれました。
「……そこまで言うなら手を貸すが、本当に危険な状態になったら撤退しろ」
「分かってる」
 短く答えたアオは瓶をナメクジに向かって投げました。
 とはいえ距離があるためナメクジまでには届かず、近くの桃色の毒液に着弾。ガラスが弾けて中の紫色の気体が周囲に散布され、上へと昇っていきます。
 この気体が自身にとって有害であると判断したのか、ナメクジは首を大きく逸らして避けていました。
「少し苦しみはするが、決定打には至らないか……」
「えっ、今投げたのなに?」
「混乱の香」
「お香!? ってか混乱ってアイツに効くの!?」
「ほんの少し苦しむ様子が見えた。混乱させるまでには至らなかったが、混乱が無効という可能性はないだろう」
「な、なるほど……調べるってそういう……」
 多少強引なやり方でしたが有効だと分かっただけでも十分でしょう、キンはやや顔を引きつらせていましたが。
 恐れを抱かず己の欲のままに果敢に魔物に挑む姿だけは、タルシスで死戦を潜り抜けたあの頃と全く変わりませんが、ここまで自分勝手な連中だったでしょうか。かつての自分に自問自答を繰り返したい気分です。
「こんな連中だったか……ん?」
 ふと視線を向けた先、桃色の毒沼がじわじわと波を引くように無くなっていく光景が目に止まりました。
「もう蒸発しているのか!?」
「えっあっホントだ! これなら近づけるね!」
 思い立ったらすぐ行動。ルノワールが剣を握り直した刹那、
 魔物は毒沼が完全に無くなる前に、周りに毒液を吐き出したのです。
「なあい!」
「気発は早いから頻繁に毒液を撒き散らす……か」
「これ宇宙一可愛い僕からの提案なんだけど、アオニたちに応援を頼めないの? 向こうならクロもいるし」
「さっきから通信機を試しているが全く繋がらん」
 一瞬、ルノワールの顔が青ざめますが、
「……向こうも取り込み中なんだろう」
「あっうん! そうだよね!」
 すぐにいつもの明るい調子を取り戻し、ナメクジを見据えた次の瞬間、
「ねえ! ねえ! こっちどうしよう! ねえどうしよう! どうしたらいいのどうしよう! ねえ!」
 遠くからヒイロの悲鳴が響いてきました。小さいナメクジを蹴散らす最中の必死の叫びでしょう。
 振り向いて見ると涙目になりながらナイフを投げてる姿があります。平常心なんてとっくの昔に失っているハズですが、ナイフ捌きは驚くほど的確で、一発も外すことなくナメクジたちの頭部にヒットしています。
「パニックになってもちゃんと仕事をこなす姿は僕も見習いたいなって思うよ」
「根っからの仕事人だからな……アイツ」
「パニックに陥るぐらいなら連れてくるべきではないと思うが……」
「ちょっと!! 感想をぼやいてないで手伝ってよお! もう限界なんだってばあ!」
 珍しく褒められているというのにヒイロ本人は必死の為この絶叫です。彼はいつもこうして損な選択ばかりとってしまう。そういう生き様です。
「わかったわかった、少しちびナメクジ退治に手を回すから文句を言うな……って、ギンはどうした?」
 さっきまでみっともなく気を失っていた彼の姿がありません。
 てっきりヒイロにしがみついたままだと思っていたアオは、表面上は冷静に、でも内心は少し慌てて視線で捜索するも姿形はなく。
「ギンちゃんだったらいい感じの隙間に入れたぞー!」
 嫌な予感が過ぎる前に、遠くからシエナの明るい声。
 見れば少女の言葉通り、壁が崩れたことによってできた隙間に体の右半分だけを押し込まれて三角座りしているギンがいて、まるで無理矢理詰め込まれた荷物のようでした。
「…………」
 恋人の情けない姿にアオはノーコメント。虚無を見ていました。
 その悪友のルノワール。いつもならここで煽りまくってアオの怒りを買うところでしたが、
「とりあえず大きいナメクジは一旦放置して、ヒイロたちを手伝おっか」
 さすがに可哀想だと思ったのかスルーという無難な選択を取ることにして、後方に駆け出します。
「……そうだな」
 キンもギンに触れません。生気を失った宿敵に喧嘩を売ったところで何も返って来ませんからね、それはとてもつまらないし面白くもない。



「るーちゃーん! ナメクジがいっぱいいすぎて種だけじゃ全然追いつけねーよー!」
 ヒイロたちと共に小さいナメクジ退治を手伝う最中のシエナ。彼女のサブクラスはファーマーのため、撒いたらすぐに芽が出て魔物を足止めする不思議な種を持っており、手当たり次第に散らしていました。
 今日も袋がパンパンになるほど持ってきていたのですが、その袋ももう中身がほとんどない状態で、ナメクジに対抗する手段が断たれるのは時間の問題です。
 名差しで呼ばれたルノワール、真っ直ぐにシエナに向かいます。
「宇宙一可愛い僕が来たからにはもう大丈夫だよ! どりゃあ!」
 気合いの入った掛け声と共に金色に輝く剣を振るい、シエナに飛びかかろうとしていたナメクジを切り倒します。ぬめりのある肉体が横に二分されました。
 水気のある音を立てて地に落ちた刹那、正面に落雷が発生。
 雷は小さいナメクジたちに広がります、密集していたのもあり次々と通電し光の海が完成。それは少女たちを鮮明に照らしてくれたので、
『イェイ!』
 光をバックに勝利のブイサインを決めるのでした。何も解決していないのに。
「ふざけているがちびナメクジのほとんどを倒せたからよしとするか」
「真面目に戦っていないのにキッチリ仕事をこなしているのが妙に腹が立つな……」
 アオがぼやきキンが下唇を噛んでいます。
「…………」
 恩人の複雑な表情にシラハナは何も言わず、ショックスパークの放電を免れた小さいナメクジを黙々と殴り飛ばす作業に戻りました。
「ありがとう……本当にありがとう……やっぱりルノワールは頼りになるね……」
「でしょでしょ〜? もーっと褒めてもいいんだよぉ?」
 ヒイロに褒められ調子に乗ったのか彼ではなくアオを見て自分を指すヒーロー、何を求めているのか誰だって分かります、シエナだって分かるので手招きして何かを促していますが、
「……さて、邪魔者はほとんど片付いたがこの様子だとちびナメクジの増援が来るのは時間の問題だろう」
 無視です。このギルマス、ルノワールが視線の先にいるにも関わらず無視しました。
「あ?」
 目前であからさまにキレていても無視。
「おっけー。こっちもほとんど片付いたよ〜」
「ご苦労巨乳……じゃなくてシラハナ」
「全部言い終わる前に訂正して欲しかったね。別にいいけど」
 本当に気にしていない素振りだったのでこれ以上セクハラ発言について言及することはなく、シラハナは話を戻します。
「蹴散らしたのはいいけど、あたしたちが通ってきた隙間からまだナメクジが来てる。大きい方をどうにかしないと本当にマズイかも」
「全くそうだ……」
 何かを察したアオが振り向いた先、巨大ナメクジが首を大きく仰け反っている姿が見えました。
「また酸の砲撃が来るぞ!」
 同時に発射された酸の塊はルノワールとシエナに向けて飛んでいきます。
「うおぉ!?」 
 猛スピードで飛ぶ塊に退避が間に合いそうになく、シエナはルノワールの腰にしがみついてしまいますが、
「はいはい問題ナシ!」
 ルノワールが握っていた剣はさっきとは一変して、刀身が赤く輝いていました。
 塊が十メートル圏内に入った瞬間、大きく振って地面に叩きつけると、目前で爆発が発生。
 小規模な爆発だったので塊を燃やし尽くすことはできませんが、勢いによって軌道を逸らすことはできます。直線に飛んできた塊は爆風に煽られて斜め上に登っていき、ルノワールたちの頭上スレスレを通過してから壁にぶつかりました。
「よーしセーフ」
「やばかったなるーちゃん……」
「援護支援のないレジメントレイブじゃあどうも威力がねぇ……何回もやるのもしんどいから確実じゃないよ」
「問題ない。一発で決めればいいだけの話だ」
 巨大ナメクジが首の位置を戻している間にアオは続けます。
「突破口としては、あの毒液が気化した瞬間を狙って禍乱の鎌で混乱させ、その隙にドライブとレジメントレイブで仕留める……といった具合だな。ついでにヒイロのシャドウバイトにも頼るか」
「ついでって言わないで! 頑張るから! 怖いけど頑張るからぁ!」
 ヒイロが泣いていますが虐められるのはいつものことです。
「確かに混乱が一番妥当かも。魔物を行動不能にさせるには眠らせるか石化させるか麻痺させるかだけど、ナメクジに麻痺は効かないだろうし、僕たちは魔物を睡眠や石化させる手段を持ち合わせてないもんねぇ」
「あの、俺、魔物を眠らせることできるんだけど……ナイフ投げて……」
 ナイトシーカーであるヒイロは神経毒を塗ったナイフを使い、魔物に様々な状態異常を付属することが可能ですが、
「お前は勢い余ってナイフを二本投げる癖があるだろう、それで前に睡眠を妨害されたからな……却下だ」
「あい……」
 問答無用で却下されてしまい、ガックリと項垂れてしまいました。
 誰が見ても落ち込んでいる青年の頭を撫でるシラハナは、
「あれ? ヒイロってサブクラスがシノビなんだよね? シノビって距離に関係なく魔物を混乱させる術があるんじゃなかったっけ?」
「俺の技術レベルが低いせいでまだちゃんと習得できてないの……」
「あららー」
 本人が原因なら仕方ありません。可哀想になってきたのでこの話をやめることにしました。
 巨大ナメクジは再び自身の周りに毒液を吐いています。
「瘴気の兵装を纏っているとはいえ、お前の足でも奴が毒液を吐くまでに間に合うのか?」
「五分五分だな。毒液が蒸発を始めた瞬間を狙って駆けたとしても、巨大ナメクジが毒液バリケードを張るスピードは巨体に似合わず速い……そこで提案だ」
「提案?」
 キンの疑問には答えず、アオは壁に出来ている亀裂の元へ向かいます。ギンが無理矢理押し込まれているあの場所です。
「…………」
 この騒ぎの最中、彼はずっと静寂を保っていました。呼吸は最低限に止め、顔を伏せ、ミリ単位で動かず、まるで置物のように存在感を隠し、現実から逃避を続けています。
 さすがにここまで弱り果てるとは思ってなかったものの、ギンの同行を許した自分と無力化した彼に呆れて大きなため息をついてから、
「おい」
 腰辺りを軽く蹴ってみますが反応がありません。
「……おい、コラ」
 威力は強めずに蹴る回数を増やしてみますがやはり反応はなく。ここまで何もないとストレスが急成長してしまいます。
「お前なあ!」
 怒鳴った直後に気付きます。この男、黙ったままかと思っていたら小声で何かを延々と呟いていると。
「あん?」
 極限状態のハズだというのに何を……と、気になったので耳を傾けて、

「その玖拾伍……第六迷宮の移動する床に搭乗した際、隙を見て空中に落としてからの落下死……この時、地下一階や地下二階の場合下層の床に落下して命を取り留める可能性が考えられる為、下層の状況を見て落下させる場所を判断する必要がある……あるいは下層への階段が見つかっていない地下三階で行うべき…………その玖拾陸……第十迷宮の氷塊をぶつけて殺す……目玉のFOEを一撃で葬ることができる威力を持つ氷塊である故に、人間を一人殺すことは容易だろう……問題は的をいかに動かなくして確実に氷塊を当てるかだが……その点はまだ思案中……」

 九十七個目の思案が出たところで聞き耳を立てるのをやめました。
 巨大ナメクジが再び酸の塊を発射しました。ヒイロのすぐ横に着弾し、情けない悲鳴が響きます。
「……コイツ……キン殺害計画を練ることで崩壊しそうな精神を保っていやがる……」
 今まで彼の良いところも悪いところもアホなところもバカなところも散々見てきたアオでもどん引き。たぶん付き合ってなくても引いてます。好きになってなくても引いていたでしょう。
 そこまで殺したいと願うのならさっさと殺せば良いものの……とは言わないでおくとして、アオはギンの頭を思い切り引っ叩きました。
「ぶっ!?」
 頭上からの奇襲に変な声が出てしまい、同時に夢と現実の狭間から戻ってきました。
「な、なんだ……もう朝か……やけにベッドが硬い上にアオがいない……」
「まだ日を跨いでない、今は昼前だしここは迷宮でナメクジ天国でベッドの上じゃねぇよ」
「なんだそこにいたのか……夢で天まで届きそうなほど巨大なナメクジを見てな。全く酷い悪夢だった」
「現実を見ろ」
 ギンの頭を掴み、巨大ナメクジがいる方へと無理矢理向かせ、現実を再確認させれば。
「っ……!?」
 ご覧の通り彼の顔がみるみる青くなります。まるで染め物のよう。
「あの魔物は一定周期で自分の周りに毒液を撒き散らして俺たちを接近させない。毒液の気化は早いが失くなる前に新しい毒液を吐いて自身のバリケードを保つ習性がある」
「そ、そうか……夢の中で誰かがそんなことを言っていたような気がするが……」
「紛れもない現実だボケ。あのクソデカナメクジに攻撃を仕掛けるためには接近する必要があるが、それには奴が正常に行動するのを防がないと難しい。だから混乱させたいところだが……生憎、混乱させる手段が俺の禍乱の鎌しかない」
「混乱の香は」
「さっき使い切った」
「そうか……」
「ここを乗り切る方法は一つ。お前のサジタリウスの矢だ」
「……え?」
 いつもは素直にアオの指示に従っていたギンでしたが、今は本気か冗談か確認するような口ぶりで静かに言葉を発しました。
 巨大ナメクジは再び自身の周りに毒液を撒き散らし、バリケードの補強を行なっています。
「毒液が引き始めた時に矢が落ちてくるよう発射のタイミングを調整するぐらいできるだろ。矢が直撃した隙に俺が接近して禍乱の鎌を使って混乱させる。以上」
「……私は……あのナメクジは少し……」
 歯切れの悪いギン。倒すべき敵から目を背け、あろうことか現実から逃げ出そうとしていた自分にアオたちと共に戦う資格はない……そう言いたいのでしょう。
 しかし、このギルマスは鬼か悪魔を具現化したような性格の人間なので、彼のプライドなど全く知りませんし尊重もしてくれません。
「少しどころかメチャクチャ苦手なんだろ、知ってるっつーのアホ」
「…………」
「キンを前にして無駄に意地を張って引くに引けなくなって最後まで荷物として終わるのならそれでいい。一旦帰ってパーティ編成を見直してお前の代わりにシロかレマンでも連れて行って改めて挑めばいいだけの話だからな。でもな、そうなったら俺は一生このことを言い続けるぞ、お前の最大の汚点として死ぬまで言う、何が何と言われようが絶対にやめない。泣きついても知らん」
「…………」
「お前だって俺たちの足を引っ張りたくてここまで来たんじゃないだろ? 何もできない荷物になるために同行したんじゃない。役に立ちたい、一緒に戦いたいからトラウマと向き合って、自分の心と体に鞭を打って来たんだろうが」
「…………」
「プライドだけは無駄に高いんだからなお前は……だが、踏ん張り続ける選択をしたなら文句言わずに敵に立ち向かえ、そして俺の役に立て。馬鹿」
 遠くから「あんまり人のこと言えないような気がするなぁ」とか聞こえてきましたが、アオは声の主を睨んで無言の威嚇をするだけに留めました。
 言いたいことを全て言い終えてスッキリしたのか、手を離すとさっさと離れていきます。一度たりとも振り向きません。あとは自分でどうにかしやがれスタンスです。
「アオ…………」
 取り残されたギンは、去っていく彼の背中に向けて手を伸ばそうとしましたが、
「…………」
 今の自分にすがる資格はない。
 手を下ろし、首を振り、覚悟を決めます。
「…………わかった」

 アオは私を信じて託したんだ。
 だから私はその信頼に応えなければならない。
 彼の友で仲間で恋人である私に課せられた、責任と義務だから。

 ギンは立ち上がりました。ほんの少しの間しか蹲っていなかったというのに、数時間ぶりに地に足を付けたような気になります。
 武器を持ち、巨大ナメクジを見据え、一秒でも早く逃げ出したい衝動を抑え、矢をつがえました。向こうでキンがとても面白くなさそうな顔をしていますが無視。
 かなり無理しているとはいえ、一時的に復活した彼を真っ先に祝福するのはルノワールです。
「おっけおっけ! さすがギンだよ男前だねぇ! でもタイミングとか大丈夫なの?」
「問題ない、今のアオとのやりとりの合間に把握した」
「できる男だねぇ」
「約十秒後に発射する。万が一妨害されないように小さなナメクジの駆除を頼む」
「おっけー!」
 話している最中に壁の隙間から漏れ出してきたナメクジたちをショックスパークで一掃。稲光が走り、魔物が蒸発していきました。
 ギンはその光景を一瞬たりとも確認せず、天に向かって矢を撃ちました。
「よし」
「ついでに混乱が入りやすいように虚弱の瘴気も撒け。できる範囲でいい」
「了解した」
 ここぞとばかりに酷使するアオです。お前がやれよと言いたいところですが彼は諸事情により虚弱の瘴気は使えません。
 他のメンバーがショックスパークから逃れて倒しきれなかった小さいナメクジを駆除している間、ヒイロの絶叫が再び響きます。
「アオはちょっとぐらいギンに気を使ってあげてよ! 今だって相当無理してるんだよ! メチャクチャ顔色が悪いのに!」
「できる範囲で良いって言っただろ」
「でもでもでもでもぉ!」
「ヒイロ」
 呼び止めたのはギンでした。
「なに!?」
「気が散る」
「ごめん!」
 素直に叱られたので素直に返したのでした。
「それより、もうすぐサジタリウスの矢が落ちてくるから準備を頼む」
「よし。行くぞルノワール、キンも後続して来てくれ。あとヒイロも」
「ほーい」
「分かった」
「忘れられなくてよかったあ!」
 アオを先導にルノワールとキンとヒイロが続きます。キンがギンの横を通り過ぎる一秒の間、互いが憎悪の篭った目で睨み合っていましたが、相手を罵倒している時間はないので今は黙ってやりすごします。
 突然、複数の人間たちがこちらに向かって来ていると察知した巨大ナメクジは首を後ろに傾け始めます。いつもよりも早いタイミングでした。
「また酸砲撃か!」
「ルノワール!」
「やっと宇宙一可愛い僕を頼ってくれたねぇ!」
 一気に加速してアオたちの前に飛び出したヒーロー。その剣は赤色に輝き、高温を発していました。
 巨大ナメクジから酸の塊が発射されます。今度の狙いも的確で、ルノワールに向かって一直線です。
「この宇宙一可愛い僕を倒したかったらもっと捻った戦法で来ることだね!」
「酸の塊を飛ばすのはいいが上空のサジタリウスの矢に当てるなよ」
「注文が多いなあ!」
 悪態をつきつつも剣を振るい、爆炎を呼び出します。
 酸の塊は彼女たちとは反対方向……つまりは巨大ナメクジへ向けて飛んでいきました。
 巨体な上に動きの鈍い魔物が跳ね返ってきた塊を回避できる道理がなく、そのまま首に激突。
 塊の毒素は効かないにしてもその質量と速度による衝撃は重く、軟体生物の柔らかい首はくの字に曲がり、魔物は悲鳴すら上げられません。
「ナイス僕!」
 自画自賛と同時に、バリケードとして巻かれた毒液が徐々に引いていきます。
 魔物がその微妙な変化に気付き、口から桃色の毒液が垂れ始めますが、その頭上に光るモノがありました。
 遺跡の天井近くまで登っていった光は魔物の頭上で軌道を変え、一直線に落ちていきます。
「来た」
 雷のように落ちた光の正体はサジタリウスの矢。
 矢は音もなく魔物の頭部に着弾。頭部に当たったことで肉体における機能の全てが鈍り、脳震盪を起こしたように首をクラクラと不気味に揺らしました。
「上出来だ!」
 地面を強く蹴ったアオ、スタンを起こした魔物の懐に飛び込む背には、黒い羽が肩方だけ生えています、部屋に入る前にも見た、彼の瘴気の兵装です。
 戦闘時になると必ず纏っているこの兵装は身体能力を上昇させることができるため、巨大な鎌を持ったまま一時的に人間離れした速度で動くことが可能になるのです。
 いつの間にか彼の周りには自身の瘴気だけでなく、巨大ナメクジの周りに漂う赤黒い瘴気もありました。ギンが使った虚弱の瘴気でしょう。
 石畳の床を蹴って、飛び上がります。
 へらべったい胴体を悠々と超えて、
「運が無かったな」
 ナメクジの長い首に鎌の斬撃を一度だけ。
 瘴気を纏った鎌の一閃は傷口に毒を注ぎ、生き物の肉体を犯します。
 周囲に漂う虚弱の瘴気は肉体と精神の異常の耐性を大幅に減らすことができるため、混乱の毒素によって魔物の正気を失わせることは容易でした。
「よし」
 この頃には撒き散らされていた毒液も完全に蒸発しており、元の石畳の床が顔を出していたのでそこに着地、アオはナメクジから離れました。
 巨大ナメクジは首を激しく振りまわし、奇声を上げながら暴れ始めます。混乱付与に成功したのです。
「後は任せたぞ」
 言い終わる前に他のメンバーは動いていました。
 まず、魔物の死角に回り込んでいたヒイロが背後から胴体を切り込みます。
 緑色の鮮血が飛び散り、剣と服を濡らしました。
 すかさず片方の短剣でもう一度、切ります。軟体生物特有の柔らかい体に深い傷を負わすことはできませんが、鎌よりも鋭い斬撃は魔物に深手を負わせるには十分です。
 確実に攻撃が入った直後、ヒイロは魔物から離れていました。痛みと混乱で暴れ続ける魔物の首やヒレに当たらないように注意しつつバックステップを取り、
「やっぱぱっぱぱっぱぱぱりあんまり効いてななななんなないよよよよよよ」
 とんでもない勢いで下がっていきました。もう小さくなっています。
「情けない声を出すな!」
「ごめん!」
 キンに怒鳴られ即座に謝罪しました。早かったですね。
 次に動いた……というよりも既に動いていたのはキン、彼女は魔物の正面の足元まで迫っていました。
 起動した砲剣は複数の歯車が高速回転するような機械音を騒々しく響かせていて、その柄を両手で強く握り締め、高く掲げたのです。
「失せろ!」
 雄叫びと共に振り下ろした瞬間、彼女の正面が爆炎に包まれました。
 フレイムドライブの火薬瓶が空気と砲剣の油に反応して大爆発を起こし、魔物に炎属性の高エネルギーをダイレクトにぶつける技です。詳しく説明すると長くなるので割愛。
 物理は効きにくい反面、属性を含む攻撃には非常に弱い為見た目以上のダメージが望めることでしょう。叫び声のような雄叫びは悲鳴か、はたまた混乱で発狂しているからか。
 炎に包まれた魔物が長い首を振り回して暴れ続けます。あまりにも激しく振り回すため、風が起こり、卵から生まれたばかりの小さなナメクジが吹き飛ばされていきました。
「決定打には至らないか……!」
 恨めしくぼやく一瞬の隙が命取り。
 気付いた時には魔物の長い首がすぐ横にまで接近していたのです。
「しまっ!?」
 オーバーヒートで刀身を真っ赤にさせた砲剣で防ぐ時間もありません。このままあの巨大な頭部に弾かれ、遺跡の壁か天井に衝突する一寸先の未来が脳裏に過り、
「危ない!」
 後ろから、弾丸のように飛び込んできた少女の声。
 勢いをつけたその拳はナメクジの首を上へ殴り飛ばし、弾かれたように天井へと伸びていきました。
「シラハナ!?」
「キンさんには指一本触れさせないんだから! ねっ?」
 右手親指を立ててウィンク、危機が上空に去ったことでキンはホッと息をついて、
「助かった。今はすぐにここを離れるぞ」
「えっ、どうして?」
 目を丸くさせるシラハナに上を見るよう指示すると、彼女は口をぽかんと開けたまま見上げました。
 そこにあったのは、
「弾けろ正義! 燃えよ剣! 宇宙一可愛い僕の素敵無敵超絶最強な秘技を喰らうことを感謝しながら蒸発して亡き者になれえ!」
 ナメクジの真上まで飛び上がっていたルノワールの姿。
 剣を振り上げ急降下していく姿は強大な敵に立ち向かっていく本物のヒーローのようでした。
「トドメぇ!」
 剣がナメクジの頭上に刺さった刹那、大爆発が起こりました。
 フレイムドライブの爆発の比ではありません。巨大な魔物を一瞬で焼き尽くすほどの爆発の勢い、地上で待機していたメンバーが踏ん張って耐えなければ吹き飛ばされてしまうでしょう。
「火力強すぎだ馬鹿!」
「高威力技の後のレジメントレイブは本当に強いね! お兄ちゃんいつもビックリしてる!」
 アオとヒイロが叫ぶ後ろで、小さいナメクジが悲鳴もなく吹き飛んでいきました。続いて聞こえてくるべしゃべしゃとした着地音。
 爆風が止んだ時、奇怪な悲鳴を上げた魔物はとうとう火ダルマと化します。巨体がメラメラと燃え上がっているのです。
 ゆっくりと垂らした首は地に落ち、二度と動くことはなくなりました。桃と灰の皮膚がドロドロと溶け始めていきます、まるで塩をかけられたナメクジのように。
 第十三迷宮をナメクジに溢れさせようとしていた魔物は絶命したのは確かでした。
 従来であれば今から魔物の死体を漁って、素材として売却できそうな部位を拝借するのが冒険者の役目ですが……それよりも。
「おい……ルノワールは……」
 顔を青くするキンとシラハナ、彼女たちの脳裏を過っているのはあの大爆発でしょうか。
 普通であればルノワールの命はないと誰もが思うでしょう。
 ―――普通であれば。

「さあ! この宇宙一可愛くてつよーい僕を褒め称えて崇めて尊敬して可愛いと言うことだね!」

 クアドラは普通ではないので、傷一つない姿のルノワールが燃え続けているナメクジの死体を背にして現れ、高らかに声を上げたのでした。
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