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巡る樹海は敵だらけ

 レムリア、第十三迷宮。
 太陽が空の頂点に達する時間帯にも関わらず人間の姿はありません。
 昼も夜も薄暗さに包まれているこの迷宮はレムリアの世界樹のお膝元にあり、迷宮の主ヨルムンガンドが討伐された後でも、言葉で表現しにくい異様な空気は歴戦の冒険者でも足が竦んでしまうほど。
 この迷宮の地下四階に、縄張り意識の強いFOEが生息していました。
 自身の縄張りに侵入者が立ち入ると毒液を吐き出し外敵を追い払う性質を持っていますが、動きは鈍いため回避は容易、好んで人間を襲うこともなければ毒液の対策もとりやすいため、あまり危険視されていない魔物です。
 今日も変わらず見回りを続け、自身のテリトリーを犯すモノがいないか探している最中、

 その背後から、引きずるような音がしました。

 ずるり……ずるりと、気味の悪い粘着質な音も混じって、ゆっくり近づいていきます。
 聴覚が鈍いのか、元々備わっていないのか、魔物は背後からの刺客に気付きません。
 異変を察知したのは巨大な生き物の影が自身にかかった時でした。
 気付いた時には手遅れで、その生き物は魔物に覆いかぶさり、全体重をかけて抑えつけます。
 なんとか逃れようと暴れる魔物ですが、巨大な生き物はそれを許しません。
 魔物を完全に抑えつけたところで長い首を降ろすと……そのまま、捕食を始めました。
 肉を引きちぎる不気味な音が繰り返され、しばらく経った頃には魔物は徐々に動かなくなっていき……やがて、完全に動きを止めてしまいました。
 騒音が一つ消え、巨大な生き物の周りからまた、這いずる不気味な音が響くのです……。










 冒険者が平和を守った世界に今日も朝がやってきました。
 朝昼夕食は湖の貴婦人亭一階にある食堂で食べられます、注文制なので急に飲み会のお誘いを受けても安心ですね。
 食堂とはいえ学校や寮といった施設ほどの広さはなく、長方形のテーブルと椅子のセットが四つ。大人一人が通っても狭さを感じない間隔で設置されており、その奥には調理スペースが備わっています。許可さえ取れば冒険者たちが利用することもできるとか。
 東西南北各国から訪れた冒険者たちのニーズに合わせるため、朝食は和食か洋食か選択できるようになっているのも、宿を管理しているヴィヴィアンの両親の優しさです。
 レムリアで見つかった樹海も二十を越え、探索は終盤に差し掛かっています。
 最初は千を超えたと言われる冒険者たちも樹海で散ったり、恐れをなして逃げ出したりと数を減らし……その煽りを受け、湖の貴婦人亭に停泊しているギルドはクアドラだけになってしまいました。
 現在、第十四迷宮を率先して探索しているギルドは彼らぐらいなもので、今日も昨日と同じく第十四迷宮の探索へ赴くため、まずは朝ご飯を食べて……。

「今日は予定を変更して第十三迷宮に行くぞ」
 食後のコーヒーを飲んでいたアオが唐突にこんなことを言い出したのです。
「え?」
 バターをたっぷり塗ったトーストを口に運ぶ直前だったルノワールが口を開けたまま固まり、
「へ?」
 野菜スープの入った熱々マグカップを触る寸前だったヒイロが手を止め、
「む?」
 白米の付け合わせのたくあんを箸で掴んだギンが首を傾げ、
「ぐぅ」
 洋食朝ご飯を前にしつつ、未だ意識は夢の中のシエナが寝言をぼやいたのでした。
 アオはとても落ち着いた様子でコーヒーをもう一口飲んでから詳細を語ります。
「第十三迷宮に魔物が大量発生したが衛兵だけじゃ対処しきれないみたいでな。冒険者たちに魔物退治と大量発生の原因を究明して欲しいそうだ」
「それで俺たちに白羽の矢が立ったと……」
「他の冒険者にも声はかかっている、俺たちだけじゃない」
「なんだ違うのか。宇宙一可愛い僕を頼って司令部が協力を要請どころか懇願してきたのだと思っていたよ」
「ぐう」
 皆が話す中、シエナはまだ眠りの世界から戻って来てないため、アオはコーヒーを置いてからその頭を思い切りひっぱたきました。
「んにゃあ!?」
 少女の悲痛な叫びが響きますが、朝食を前に寝てしまうことが悪いため誰も庇いません。
「今日の仕事の内容は理解した。それで、大量発生している魔物は一体なんだ?」
 淡々とギンが訪ねると、魔物の話題になったことでヒイロが顔を青くさせますが無視します。
 そして、アオから衝撃のセリフ。

「ナメクジ」

 ルノワール、ヒイロ、シエナの視線は一斉に彼へと向けられます。この中で唯一和食を食べていた、ナメクジが苦手な彼に。
 彼は、注目の的になると同時に箸を置いて椅子から跳び退きます。慌てて飛び出したたせいで椅子をひっくり返してしまい、食堂に騒音を響かせました。
 音が止む前に銀髪金眼の女……ではなく男は、空席のテーブルの下に潜り込んでしまいます。その姿は、雷鳴に驚いてカウンター下に隠れてしまったマーリンを彷彿させました。
「あー大丈夫ですー大丈夫なんで気にしないでくださーい。うんホント、大丈夫大丈夫」
 音に驚いて様子を見に来たヴィヴィアンの母親をルノワールがやんわり説得しキッチンに戻ってもらったところで、アオは話を再開します。
「ナメクジたちは地下四階に留まっているそうだが、凄まじい勢いで増殖しているらしくてな。放置しておくと第十三迷宮がナメクジで溢れてしまう可能性があると司令部は判断した……だから早急にナメクジ駆除と原因究明の依頼が来たんだ……昨日の、深夜に」
 言葉の最後だけ妙に強く発言していました。
 安眠妨害をとても嫌う彼のことです、きっと深夜の来訪がストレスになったんだろうなぁ……と、ルノワールは思いました。思うだけです。
「クアドラは俺とアオニたちの二つのパーティで行くことになった。司令部からの許可は出ているから問題ないらしい」
 通常、ひとつのギルドにつき冒険者は五人までしか樹海に入れません。六人以上のパーティで樹海に挑むには特別な許可が必要です。以前カリスを鍛える名目で共に第四迷宮を探索した時も、ギルドから特別な許可を得てから樹海に入っていました。
 今回のように迷宮内で起こった事件を早急に解決するために腕の立つ冒険者を多く派遣する必要があると判断した際、司令部が特別な許可を出すことはマギニアではよくあることでした。
「フカちゃんたちは?」
 思ったことを素直に訪ねたシエナはその開けたままの口で、コケイチゴジャムを塗ったトーストを一口。
「俺たちより先に準備して先に飯食って先に樹海に行った。やけに張り切ってな」
「そりゃあアオと共闘できるんだったら喜んでドアを破壊して行くでしょ〜あの子は」
「まあそうだな」
 アオとルノワールの会話を聞き流すヒイロの脳裏には、第二パーティの部屋のドアノブが完全に破壊されてしまった光景が過ぎりました。はしゃぎすぎるにも程があると思いました、思うだけです。
「そこで、ナメクジ関係の依頼だからギンは留守番して、代わりにレマンかシロに来てもらおうかと」
『呼んだ!?』
 まるで話を聞いていたようなタイミングでガンナーの少年とファーマーの少女が食堂に飛び込んできました。二人の表情は期待と夢と希望に満ち溢れていますが、
「お呼びではない」
 返答を受けた途端、瞳の輝きは完全に失われてしまい。
「しゅん……」
「なの……」
 見事に「がっかり」を表現し、食堂からとぼとぼ出て行ったのでした。
「アオの話聞いてたでしょ? 君の嫌いなナメクジがたくさんいるんだから無理して行く必要ないじゃん」
 ルノワールが呆れるような声を上げていましたが、ギンは四つん這いになったまま辺りの様子を伺うように出て来ると、
「嫌だ。行く」
 たったそれだけ答え、視線でアオに訴えかけました。
 コーヒーを飲んでくつろぐギルマスは彼の姿を見ようともしませんが。
「……お前はやめておいた方がい」
「行く」
 即答でした。最後まで言わせないまま即答しました。
「…………」
 アオ、苦い顔。
 決してコーヒーが苦いからではなく、意地でもついて行こうとする彼をどう扱うべきか、必死に頭を動かして考えているからです。ヒイロもおろおろしています。
「第十三迷宮でナメクジ型FOEと遭遇するまでナメクジ嫌いを隠していたヤツが、今更ナメクジどうこうぐらいで探索を拒否しないよねぇ」
 男たちと違ってさっさと諦めたルノワールはトーストにかじりつきます。焼きたてトーストの熱でじんわり溶けたマーガリンの風味ともっちもち食感のパンがベストマッチ、夢中で食べれる美味しさでした。
 悪友がさっさと諦めてしまったので、
「はあ……説き伏せる方がめんどくさいなこれは……もう勝手にしやがれ、自己責任だぞ」
 アオは深いため息をつき、ルノワール同様に諦めることにしました。
「わかった」
 それでもテーブルから出てこないギンが満足げに返事をしますが、ヒイロは朝食も忘れてオロオロするばかり。
「え、ええ……いいのかなぁ……」
「知らん」
 冷たく言い放ったアオはコーヒーを飲み干したのでした。





 第十三迷宮。世界樹ノ迷宮。
 世界を平和にする秘宝と謳われていた世界蛇、ヨルムンガンドが封じられていた遺跡。
 今は主を失った影響で辺りに漂っていた瘴気も無くなり、遺跡は静けさを取り戻していた……はずでした。

 ナメクジの魔物大量発生により、階段前には衛兵たちが急遽設置したベース基地ができていました。
 基地と言ったも迷宮内のため大掛かりなモノは作れず、頑丈なテントを張っているだけの簡素なモノです。
 周囲には篝火をいくつか焚き、魔物避けの鈴を鳴らして魔物の進行を防いでいますが、増え続ける魔物に耐えきれず基地が崩壊してしまうのは時間の問題でしょう。
「おい! B地点の火が弱くなってきてるぞ! 誰でもいいから枝をくべろ!」
「冒険者に配るメディカが全然足りません!」
「もうすぐ増援が来るからそれまで我慢しろと伝えておけ!」
「衛兵が糸を千エンで売りさばいてるって苦情が来てるんだけど!」
「それは我々を騙った詐欺師だから早急に捕まえろ! 冒険者たちの注意喚起もしておくんだぞ!」
「イテテ……足をくじいた……」
「どうしたんだお前! まさかあの魔物に……?」
「いや……天井から落ちてきたナメクジにビックリして低い壁から落ちた……」
『ドジ!!』
 司令部から派遣されてきた衛兵たちは慌ただしく駆け回りながら周辺の見回りや冒険者のサポートなど、各自の仕事に勤め休む暇もなさそうです。
 基地のど真ん中、下り階段を背にしたアオたち一行は既に到着していたアオニたち第二パーティと合流していました。
「遅かったね! 準備に手間取ってた?! まあアタシたちに任せといてもいいんだけどね! いいんだけどね!」
 アオたちと協力してクエストに挑むことがとにかく楽しみだったのか、アオニは期待の眼差しを向けて腕をぶんぶん回しています。
 その後ろではアオニと真逆のテンションの男たちがいますが、気にかけもしません。
「休日だと思ってたのに早朝から叩き起こされて迷宮に放り込まれた俺らの気持ちわかる?」
 キキョウの苦情はないものとして扱われました。
「早速だが、俺たちは四階の西、アオニたちは東を探索してナメクジの殲滅及び増殖原因の究明を行う。衛兵や他のギルドの冒険者も来ているそうだから、なるべく協力してやる方針で行くぞ」
「おっけおっけ」
「さりげなく壮大に上から目線で物を言う態度は嫌いではありませんよ、ええ」
 頷くアオニの横で、クロが本心なのか嫌味なのか判断に迷う感想を述べたところで、
「その方針で異論はないけどさ……」
 と、若干歯切れの悪そうなナギットが横目で見たのは、
「…………ナメクジ……」
 やや顔を青くさせ、ヒイロの後ろにぴったり張り付いて離れようとしないギンの姿でした。
「なんでギンちゃん来ちゃったんだよ」
 ナギットに変わって最後まで疑問を言葉にしたのはキキョウ、彼だけでなく第二パーティのメンバー全員も同じ思いだったので皆がうんうんと頷き、ナメクジ嫌いの男を凝視しますが、
「アオたちだけに任せられない」
 迷いなき瞳ではっきり答えるも、赤いコートを掴む手の力を緩めることはありません。
「赤い人に張り付いたまま言ってもね……どうして同行させたの?」
「ギンちゃん頑固だもん」
 カリブの疑問に答えたシエナの言葉に「そんなことはない」と返すギンでしたが、ギルドメンバー全員から白い目を向けられるだけで終わりました。
 この状況で一番頭痛を覚えているのがアオですが、できることと言えば深いため息をつくことぐらいなもので、
「このバカのことは気にするな……とにかく、向こうは頼んだぞ」
「わ、わかった……あっそうだ、これ持って行って」
 アオニが渡してきたのは金属でできた長方形の箱でした。
 箱の半分以上を締める丸いスピーカー、その下には四角いボタンが三つ並んでいて、頂点には短いアンテナが付いているこれを、アオは見た覚えがありました。
「これは……ダンジョンの通信機か」
「同じ迷宮で同じ階層を探索するなら連絡が取れる方が便利でしょ? いざって時には応援だって呼べるし」
「確かにな。わざわざオーベルフェから持って来ていたのか?」
「ううん、キキョウの上司さんがまとめ買いしていたから、それを安価で買い取っただけ」
 淡々と答えたアオニでしたが用途が限られているであろう機械を大量に購入する理由がわかりません。アオは聞き流しているようですが。
「ちょっと、仔犬くんの上司さんは何を始めようとしているのさ」
「オリーブさんはミステリアスなお方だから」
 曖昧な返事を投げたキキョウの視線はカリブではなく、遺跡の天井を眺めていました。
 ナギットが「ミステリアスって言葉で説明できる行動じゃねぇよ……」とぼやいていますが無視されます。
 すると、シエナはてこてこ歩いてアオニの近くまでやって来ると、スカートの裾をぐいぐい引っ張り存在をアピール。
「フカちゃんフカちゃん」
「どうしたの?」
「そのつーしんきって何だ?」
 世界樹のダンジョンを知らない者として当然の疑問が出たので、アオニは自分の通信機を持つと素直に答えてくれます。
「ダンジョン内で遠く離れた仲間とやりとりするための機械だよ。うっかり罠を踏んでパーティとはぐれちゃった時とか、 DOEっていう凶悪な魔物を退治する時に他の仲間と連携をとる時に使うんだー」
「へー! それを使うとお話できるってことか! 俺も使ってみたい!」
「それはアオと交渉してねー」
 十秒後、アオと交渉しに向かったシエナが見事に断られ、しょぼくれながらアオニの元に戻ってきたのでした。





 迷宮内は一言で表すなら地獄絵図でした。
 ベースキャンプから離れて一分もしない内に目に付いたのは、遺跡の至る所に張り付いたナメクジの魔物。
 第五迷宮や第九迷宮で見たような大型犬ほどのナメクジではなく、子供が遊びで使うボール程度のサイズしかない小さなナメクジばかり。
 近くに冒険者たちが来ているにも関わらずのんびりしており、足元の床や低い壁だけではなく天井にもいくつか張り付いていて、ぬめりのある液体を引きながら徘徊を続けています。
「どこもかしかもナメクジだらけだねぇ」
 ぼやくルノワールは剣を鞘に納めたまま、目の前の壁を這っているナメクジを殴り飛ばして遥か彼方へと葬りました。
「あんまり手応えがないなぁ。ショックスパークで一掃しちゃう?」
 今度は足元のナメクジを蹴って提案するも、アオは答えずに鎌を振りました。
 目前で小さな群れを作っていたナメクジたちは、その一振りで吹き飛ばされ周囲の壁に衝突、べちゃべちゃと気味の悪い音を奏でました。
「一振りするだけで倒せるようなヤツらにショックスパークまで使う必要はないだろ。今はなるべく温存しておけ」
「おっけー」
 素直に聞き入れたルノワールは剣の鞘でナメクジを殴り飛ばす作業を再開するのでした。
 後続するシエナとヒイロは不思議そうに周囲を見回していて、
「でっけぇナメクジが全然いねぇなあ」
「本当だね……俺としてはありがたいんだけど」
 第十三迷宮の地下四階には鰾膠の散禍塔と呼ばれる巨大なナメクジFOEが鎮座し、酸を吐いて冒険者たちの行く手を阻んでいるのですが……その姿はありません。
 目前の異常に気づいたルノワールもアオが持っている地図を横から覗き込み、
「ここはナメクジポイントだったよねぇ? 誰かが退治しちゃったのかな?」
「積極的に冒険者を襲わないタイプのFOEだから、討伐対象になることは少なかったんだがな……まさかとは思うが、ちびナメクジ大量発生現象と何か関係が……?」
「ありそうなんだよねぇ」
「あっ!」
 突然大声を上げたのはシエナでした。迷宮で過度な大声は魔物を引き寄せる要因となるため厳禁だと言うのに、
「なんだシエナ、また何か見つけたのか」
 口調は冷静ですが言葉の節々にストレスの片鱗が見えます。
 ヒイロが少しおろおろし始めましたが、シエナは全く気付くことなく部屋の隅を指します。
「魔物がいる!」
 そこで固まっているのは第十三迷宮に生息しているタヌキとネコの魔物、いつもなら冒険者を見かけた瞬間には襲いかかってくるというのに、
「きゅぅう……」
「にゃあ……」
 小刻みに震えている二匹の鳴き声には覇気がありませんでした。
「怯えているねぇ、どうしちゃったんだろ」
 ルノワールは試しに剣の鞘をネコの魔物に近づけてみますが、警戒もせずに震えるばかり。頬をぐいぐいと押してみますが払い除けようともしません。
「抵抗する気ゼロじゃん」
「るーちゃんいじめちゃダメだぞー?」
「……ここに来るまでにナメクジ以外の魔物って、見たっけ……?」
 ぽつりと放ったヒイロの言葉で一同はハッとします。
「確かに今日はナメクジしか見ていないな……ナメクジが急激に数を増やしすぎて他の魔物が姿を消した……とかか?」
「人間の手の届かない場所まで隠れちゃったのかもねぇ」
「あるいはとっくに全滅したかな……俺はありがたいんだけど、迷宮の食物連鎖や環境的には大問題になりそう……」
 憶測が飛び交う中、シエナは怯える魔物たちのそばでしゃがんで彼らとほぼ同じ視線になっており、
「怖がらなくて大丈夫だぞ! 俺たちがナメクジをどうにかしてやるからな!」
 なんて激励を飛ばしていました。人間の言葉が通じるかはわかりませんが彼女にとって通じるか通じないかは問題ではなく、肝心なのはやる気と意識。
「……考えてばかりいても仕方がないか。俺たちの仕事は原因究明とナメクジの駆除だ……幸いナメクジは人間に興味も敵意もないから対処し易い上に、粘液の毒も大したことはなさそうだ。だから問題は――――」
 アオ、ヒイロのコートの中に隠れてしまっているギンを見てしまい言葉が止まりました。
「さっきから隠れたまま出てこないよ……」
 盾にされることに慣れてしまったのか、ヒイロは遠い目をしたまま彼を追い出すつもりはない様子。しかし、周囲の視線がとても痛い。
 かつて防御しないまままともに喰らった大いなる蟲獣からの落雷より痛いので、とりあえず彼に問いかけます。
「ギン……小さいナメクジなら大丈夫なんじゃなかったの?」
 ぶちももなめくじ等の通常サイズのナメクジならギリギリ対峙できていたことは覚えていますが、コートの裏で小さく震える青年は、
「……量が……想像を……超えて……」
 か細い声で答えるだけが精一杯だったのか、これ以降は何も言わなくなりました。
 いつもの探索では果敢に魔物に挑み、時にはパーティのサポートに徹して持てる力の限りを尽くす、あの勇ましさはどこへ行ってしまったのか。
「怯えて出てこない気持ちは分からなくもないよ、僕だってちょっと引いてるもんこれ」
 少し蹴散らしたとは言え、数歩先の床や壁には無数のナメクジが徘徊している光景が広がっています。苦手でなくても近くことを躊躇うレベルの量、ギンが耐えられるはずもありません。
「確かにな……あのナメクジ、色はあのFOEと同じだが大きさはまるで違うし、ヒレもなければ首……もないか。まるで普通のナメクジが巨大化したようにも……」
「実況しないでくれないか……」
 ギンが小さく訴えると、アオは言葉を止めました。
 いつもは人の言うことなんて全く聞かないのにここは素直に従うなんて、やっぱり恋人の弱っているところをあまり見たくないのかな……なんて安心したヒイロでしたが、
「……ルノワール」
 アオは小声で悪友の名を呼び、彼女は無言で応じてそそくさとヒイロの後ろに回ります。
 きょとんとする彼を尻目に二人はコートをめくると、ギンの耳元で、
「鎌越しで触った感触はぶよぶよしていて非常に柔らかかったな……ナメクジはほとんど水分みたいなものだから、奴らが這う度にナメクジ特有の粘液がぬっちゃぬちゃと気味の悪い音を奏でていたぞ……」
「床とか天井とか、重力を無視してそこらじゅうを這い回ってるから、もう遺跡の至る場所がぬるぬるぬめぬめだらけのべちゃべちゃ天国だったねぇ〜」
 ナメクジ嫌いが一番聞きたくなかってであろう情報をダイレクトに伝えました。
「やめ……やめ……」
 前方にはヒイロ後方にはナメクジ、左右にはアオとルノワールという四面基礎状態では動くこともままならず、今まで聞いたことのないほど怯えきった声を出し、精一杯を拒絶するだけです。
「いじわるしちゃダメだぞ!?」
「やめなよ人の弱点に漬け込むの!」
 シエナとヒイロに怒鳴られたので渋々やめました。
「相手の弱点を突くのは基本だろうが」
「その姿勢を貫くのは魔物退治の時だけにしてよ!」
「鬱憤が溜まってるならヒイロで発散しなきゃいけないって言いたい気持ちはわかるよ」
「言いたくもないしそんな気持ちになったこともないんだけど!?」
 この二人、鬼です。
 ヒイロの悲痛な叫びと訴えが永遠と続くばかりで事態の解決は見込めません。最年少冒険者が白い目で見ていました。
「…………」
 無言の最中に続いた説得の末、ようやくギンから離れたアオとルノワールの表情は少しばかりの不満が見られます。
「元々無理してナメクジ退治に同行したギンが悪いんだからいいじゃん」
「ギンが悪いってことは否定しないけど、やっていいことと悪いことがあるの」
 頬を膨らませるルノワールにもぴしゃりと言い放ったヒイロ、ついでに「アオもだよ」と念を押して言っておきました。
 当然、返事はないようなもので、
「これで痛いほど理解できただろ? お前がここを探索するのは不可能だってな」
「……」
「もうマギニアに帰れ。シエナ、糸」
「ほいへい」
 シエナは肩掛けカバンに手を突っ込むとそこからアリアドネの糸を一本取り出し、ヒイロのコートに隠れたままのギンに右手に無理矢理握らせました。
「…………」
 すっかり青ざめてしまっているギンは恨めしそうに糸を眺めていますが、
「ほら、まだ取り返しのつく段階なんだから帰った帰った。君が無理をしすぎるとこっちが心配するんだからさぁ」
「ここで帰っても誰も責めたりしないから……ね?」
「ギンちゃん、意地を張って強がることはカッコいいことでもなんでもねーぞ。むしろ、超カッコ悪いぞ」
 仲間たちに口々に言われてしまい愕然とするしかありません。
「カッコ悪い……」
「シエナの言葉が一番効いてんじゃねーか」
 隣でアオが叱りますが、彼にとってはカッコ悪いと言われてしまった方が重要らしく、ようやくヒイロのコートから出てきました。
「そこまで言われたら仕方ない……」
「仕方がないとかじゃなくて最初から来るべきじゃなかったんだよ」
 ルノワールの一言にギン、反論不可能。
「しかし、私が戻ってしまうと戦力面に問題が……」
「何かあったらアオニたちを呼ぶからお前は何も気にかけるな」
 アオの言葉にギン、またもや反論不可能。
「………………なら、本当に帰る……」
『帰れ』
 一片の慈悲もない悪友二人。ヒイロとシエナも無言で首を振っているので庇ってはくれないでしょう。
 いつも通り感情の変化が読み取れない仏頂面のまま、アリアドネの糸を―――

「あれっ!? クアドラのみんなだ!」

 突如響いた明るい声で動きが止まりました。
 ギンだけでなく他の四人も声の方向へ目を向けると、低い壁の上に立っている二人組が目に留まります。
「やっほー!」
 迷宮内だと言うのにタンクトップとズボンという軽装姿の少女、セスタスのシラハナが声の主のようです。
 白色に薄い桃色の混じったツインテールがチャームポイントだと言い張っていますが、一番目を引くのは胸部の巨大な山々だと思われます。
 彼女は右手を何度も振りながら存在感をアピールしており、シエナが元気よく返していました。
「ハナちゃんやっほー!」
 お気楽なメディックとは違い、アオたち四人はシラハナの隣に立つ、重装備の女騎士に目を向けていました。
 数年前、タルシスで冒険者として名を馳せていた時、暴走する皇子を止めるために立ち上がり、ギルドに加入した金髪碧眼の帝国騎士。
 驚異的な火力を放つ砲剣で何度も窮地を乗り越えてくれたかつての仲間、インペリアルのキンを。
「…………」
 彼女は無言でクアドラ一行を睨みつけていました。
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