世界樹の迷宮X
「ぼ〜くは可愛いルノワール〜♪ 宇宙の宝〜♪ 全世界の奇跡〜♪」
ソプラノ歌手もひっくり返ってしまうような美声が奏でるのは、子供が作ったような稚拙な歌詞。自身の可憐さを単純明快に表現した歌はマギニアの路地裏に響き、反響して消えていきます。
彼女の名はルノワール。マギニアではその名を知らない者はいないと謳われている超有名ギルド「クアドラ」に所属するヒーロー。桃色の髪は長くて瞳は緑色、腰には派手でもなければそこまで地味でもない剣を下げています。街中なので盾は持ってないようです。
昔はバードだったりダンサーだったりフェンサーだったりと、冒険者の経験も豊富な、どこにでもいるような女の子です。
「この世の〜生命体〜ぜ〜んぶ〜♪ 僕を〜可愛いと〜称えろ〜♪ 特にあのオッドアイ悪魔野郎とか! 意味わかんないアイツマジ意味わかんなくない!(台詞)」
即興の痛々しいソングを披露している最中、後ろから誰かが走ってきました。歌に夢中の彼女は全く気付いていません。
薄汚れたローブを頭からすっぽり被っているせいで前方への注意が疎かになっていたようです。
「なぜなら〜♪ うわ?」
背中からの衝突により歌は一時中断、ルノワールは前によろめきローブの人物は後ろにひっくり返って尻餅をつきました。
「とっとと……えっなに? 宇宙一可愛い僕に弟子入りでもしたいの?」
ぶつかった背中をさすりながら振り向くと、ローブの人物は急いで起き上がってルノワールの背中にくっついてきました。
「んんっ? どしたの? 僕があまりにも可愛いから一目惚れとかしちゃった? そういうのはちょっと困」
「たすけて……」
「はい?」
ローブの人物が顔を上げ、ルノワールの瞳が今にも泣きそうな黒色の瞳を映しました。
「助けて!」
悲痛な声を上げたその人物は、少女でした。
十代前半から半ばといったところでしょうか。フードの奥から見える黒髪は長いようですが、長く手入れされていないためボサボサになっています。
柔らかそうな肌は薄汚れ、ローブの裾から出ている手もボロボロで、何本かの指には血が染みた包帯が雑に巻かれていました。指のところが破けている安っぽい布の靴を履いて、靴下はありません。
「…………」
これはただ事ではない。
己の可愛さのことばかり考えているルノワールでも、この少女が抱えている問題の数々を察することができました。
問題のある者を関わりを持てば、少なからず自分もその問題に巻き込まれるでしょう。確実に、そうでしょう。
賢く生きるのであれば、厄介事を持ってきた人物は見捨てるか他人に押し付けるべきでしょう。トラブルなく生きることが一番健康的で健全で安全ですから。
ルノワールは大人です、今年で二十二歳になった立派な大人。大人であれば厄介ごとに関わることが愚行で、それを退けることが最善だと理解しています。しているものです。
しかし、
「うん! いいよ! 僕が助けてあげようじゃないか!」
あっさり引き受けたのは彼女がヒーローではなく。困っている人は基本的に助けるをモットーにしているルノワールだからでしょう。
迷いなく引き受けてくれるとは思わなかったのか、少女は口を開けてぽかん、としています。次の言葉が出てこないのでしょう。
「それで、どうしたんだい? めちゃくちゃボロボロだけど」
「あ、え、そ、その……あの……」
「いたぞ!」
怒声に少女の体がビクリと震え、ルノワールの服を掴む力がより一層強くなります。
やはりただ事ではない。顔を上げたルノワールが見たのは軍服を着た男が三人。明らかにマギニアの人間ではありませんし、冒険者にも見えません。
「おやおや? 僕の可愛さに誘われてやって来たの?」
「そこの女! 姫様を返してもらおうか!」
「ひめ?」
はて? と首を傾げます。確かに自分は可愛いけれど別に姫ではありません。どこぞかの貴族の養子ですし現在絶賛家出中です。
つまり、姫と呼ばれているのはこの少女ということになります。
「君が姫?」
問い掛けますが返事はありません。体を震わせながら、ルノワールにしがみつくだけです。
「とてもボロボロで可哀想な格好をしているけど、お姫様なの?」
少女は答えませんが、代わりに大柄の、リーダー格のような風貌の男が答えます。
「そうだ。このお方は某国の王女だ。我々は賊に襲われて逃げて来た王女を救出しに来た」
「賊に?」
「姫様はお忍び旅行中に賊に誘拐されたのだ。姫様を救出するために交戦している最中に脱出されていた」
「ほんほん」
「賊は既に片付けた。我々は姫様を王国に連れて帰る任務がある、君は何もしなくていい」
「そうなの?」
ルノワールは男たちではなく、少女に向けて声をかけましたが、
「…………」
返事は無言でした。震えは止まりませんし、顔色も悪くなる一向にあります。
「お迎えが来た割には、ずっと怯えているように見えるなぁ」
「姫様の様子を見ても分かるだろう? 相当酷い目に遭っていたのだ。一刻も早く応急に戻って迅速なアフターケアをしなければならない」
「そーう? 僕としては君たちが現れてからかなーり怯えるようになったように見えるけどなぁ?」
ねえ? と少女に問いかけても返事はありません。
「……」
「ええい! 我々は忙しいのだ! すべこべ言ってないで姫様を返せ!」
隣に居た痩せ型の男が足早に近づき、少女に手を伸ばし、
「ひっ!」
悲鳴が上がった刹那、ルノワールはくるりと回って痩せ型の男から少女を遠去けました。
そして、腰から剣を素早く抜き、刃先を痩せ型の男の喉元に向けてます。
「貴様……」
「人が嫌がることをしない。ウチのギルド最年少六歳児双子ちゃんでも分かることなんだどなぁ?」
煽るように言い、剣を持っていない左手で少女の手首を掴みました。何があっても離さないと心の中で誓って。
三人の男の中で一言も発していない無口な男が腰から銃を抜き、銃口をルノワールに向けますが、
「待て」
リーダー格の男に制され、渋々銃を下ろしました。
「すまない、私の部下は少々短気なものでな。できることならできるだけ手荒な真似をせずに姫様の身柄を確保したかったのだ」
「それで、ポケットに入っている金貨をいくつかチラつかせて僕を買収するつもりかい?」
リーダー格の男の表情が曇りました。
「残念だったねえ、僕はそこらにいる一般冒険者と違ってお金には困ってないし、お金のために冒険していないから、金貨をいくら積まれてもこの子は渡さないよ。僕の悪友なら“金貨1000枚持ってこい、話はそれからだ”って言って巻き上げていくけどねぇ」
冗談なのか本気なのか男たち判別はできません。それでも「えげつねえ……」と痩せ型の男はぼやきました。
「ここでこのお方を庇ったところで、貴様には何の得もないぞ」
「僕はこうしたいからこうしているだけだもん。そこに損も得もないよ」
堂々と断言したルノワール。彼女の持つ剣の刀身が青色の輝きを放ち始めます。
「人殺しはしたくないから死なない程度に痛めつけるってことでいいよねぇ?」
「貴様は冒険者だろう! こんな所で冒険者でもない一般人に刃を向けてもいいと思っているのか!」
剣を向けらたまま動けなくなっている痩せ型の男が睨みつけますが、
「冒険者じゃないけど君たちが一般人じゃないってことは丸分かりだし、いざとなったら“この女の子が悪漢たちに暴行されかけていたから助けただけなんですぅ!”って言えば、マギニアの衛兵たちは簡単に信じてくれるよ。ペルセフォネ姫を救った英雄ギルドの僕と、マギニアの住民でもないキミたちのどっちを信じるかぐらいわかるでしょ? それに騒ぎを大きくされるのは困るんじゃないのかなぁ?」
全て図星だったのか、痩せ型の男は黙ってしまいました。
これは勝機だと確信したルノワールがニヤリと、悪人のような笑みを浮かべますが、
「姫様! 姫様は本当にこれで良いとお思いになられているのでしょうか!」
突然、リーダー格の男が叫び始めました。
「ここで逃げるのなら大いに結構! しかし、貴女様の身勝手な行為のせいでどれだけの人間が迷惑被るか! 国の存亡を左右するか、理解していないハズはない!」
「っ……!」
「おっ? おっ? おおっ?」
ルノワールが困惑している間にも、リーダー格の男は続けます。
「貴女がこの身を捧げることで多くの民が救われるのです! 民だけではない、王宮の人間や国王や王妃も! 貴女が頑張らなければ誰が頑張ると言うのか!」
「…………」
「えっと……どゆこと?」
一応事情は把握しておきたいルノワール、恐る恐る少女に問いかけると、
「私……は……隣国の国王に嫁ぎ……ました」
「嫁いだの? 僕より年下なのにすごいねぇ」
「私が生まれたのは……滅びに直面している国を救うため、隣国に嫁ぐため……そうしなければ私の国に支援はしない……と……脅されて……」
「んんっ?」
「私は……奴隷……みたいなもの……です……国王の加虐心を満たすための……存在……」
「加虐……」
「もう……こんなの嫌……嫌……自由に生きたい……何にも囚われずに……自由に……私は……」
「……」
少女の言葉は、頬を伝う涙のせいかこれ以上続かなくなりました。
つまりは「そういうこと」でしょう。
国王の加虐心を満たす。王女とは思えないほどボロボロの身なりになった少女、指に巻かれた包帯から滲んでいる血の跡。ローブの下の体は今、どうなっているのか。
少女の「嫁入り」が何を意味し、何が行われているのか……ルノワールでも、分かりました。
「貴女に自由などありません! 貴女はあのお方に飼われなければ我々国民は皆死ぬ! 貴女が殺すようなものですよ! 一国の姫君として生まれた貴女は民のために命を捧げなければならないのです! 何故それが分からない!」
「ちょっとちょっと! それじゃあ国民のためならお姫様は死んでいいってこと!? 見殺しにしても許されるってこと!? 折角この世に生まれて、宇宙一可愛い僕と出会うっていう大義を果たしたって言うのに! 生まれてから死ぬまでずっと国民のために奉仕しろってこと!? お姫様なのに!?」
「姫だからだ。王家に生まれたからには国民のために生き、国民のために死ぬ。それが王族の義務であり責任なのだ」
「なんだってぇ! それじゃあいいように利用される奴隷と代わりないじゃないか! そんなの酷いよ非常識だよ鬼の所業だよウチの悪友といい勝負だよ!」
「黙れ! 何も知らないただの冒険者に我々の事情をとやかく言われたくない!」
リーダー格の男が素早く銃を抜きました。そして、痩せ型の男を横に突き飛ばすと、驚愕するルノワールに銃口を向けます。
「!」
撃ちました。発砲音が路地裏の壁に反響します。
剣で防ぐほど高等な技術を持っていません。とっさに判断したのは、思い切り体を横に倒して少女と共に倒れ、弾丸を回避すること。
「ぐっ!」
一度攻撃を回避することはできました。しかし、冷たい地面に倒れた状態で二発目が来てしまえば、回避も防御もできないでしょう。
「馬鹿な女め!」
リーダー格の男が二発目を撃つため、引き金に力を加えようとした時―――
体が動かなくなりました。
「え……?」
それは本当に突然、さっきまで当たり前のように動いていた体の動きがぴたりと止まり、自由が全く効きません。
「な、な、んだ、これ……は……」
戸惑うリーダー格の男の手から銃が離れ、地面に叩きつけられました。
「こ、これ……なに……」
「……うご……かない」
残り二人の男も同様の症状が出たのか、痩せ型の男は地面に這いつくばったまま痙攣を繰り返し、無口な男は膝から崩れ落ちるてしまいました。
「なんだ……なん、だ……なにが、起こって……」
リーダー格の男もその場に崩れ落ち、うつ伏せ状態で倒れてしまいます。
意識こそははっきりしているものの、まるで体が自分のものではなくなってしまったような、全く別の体に取り憑かれているような錯覚を覚え、加えて吐き気や目眩、頭痛まで始まります。
「こ……れは……い、ったい」
次に見たのは、周囲に漂う赤黒い瘴気でした。
まるでひとつの生き物のように彼らの周りをゆっくり巡るそれは、酷く美しくも醜くも見えてしまいます。未知なる恐怖によりますます顔が青くなっていきました。
「ひ、ぃ……?」
頭の中はすっかり混乱していました。自分たちは恐ろしい化け物の逆鱗に触れてしまったのか、まさか目の前の女の力なのか、レムリアにいるという魔物が現れ、自分たちを喰おうとしているのか……。
多くの疑念が頭を過り、己の死期を悟った刹那、
「また厄介ごとに首を突っ込んでいるのか、お前は」
這いつくばる男たちの後ろから、リーパーの女……ではなく、男が現れました。
紫に近い黒い髪に、赤と青のオッドアイの彼こそクアドラのギルドマスター、名前はアオ。最近では「瘴気ノ魔女」と呼ばれることが多くなってしまった青年で、ルノワールの悪友でもあります。
赤黒い瘴気を纏う彼を見た途端、ルノワールの表情はパッと明るいモノに変わりました。
「首を突っ込んでないもーん、飛び込んできたから可愛く包み込んであげただけだもーん」
「屁理屈ばっかり言いやがって……」
呆れるようにぼやいた後、彼女と一緒に倒れていた少女に目をやります。
ボロボロの格好、恐怖に怯える様、お節介にも程があるルノワールと行動を共にしている……。
アオは全てを理解しました。また無償で知らない人を助けようとしていると、瞬時に悟ったのです。
「それで、どうするんだよソイツは」
答えは聞かなくても分かっていますが。
ルノワールは少女と一緒に立ち上がり、剣を鞘に収めてちょっと乱れた髪を整えてから答えます。
「もちろん連れて帰るよ。保護したんだから最後まで面倒見なきゃ、とりあえず宿まで持って帰ってボスのおじ様に相談してみるつもり」
「そうか、ならさっさと離れるぞ」
「おっけー」
瘴気が薄くなったことを確認してから、ルノワールは少女の手を引いて男たちを踏みつけながら通りすぎていきます。目指す先は路地裏の外です。
「…………」
アオは男たちを見下してから、リーダー格の男に軽く蹴りを入れてから踵を返します。蹴る意味は特にありません、蹴りたかったから蹴っただけです。
「ま、待て……貴様ら……」
「あん?」
「なに?」
一応素直に聞いてやる二人、呻きながらも必死に声を上げるリーダー格の男は続いて言います。
「もし、この方がいなくなれば婚約は白紙に戻る……つまり、国への支援は無くなり、今度こそ国が滅ぶことになる……」
「ほう」
「多くの国民が露頭に迷い、死に絶えていくだろう……主人のことだ、国に攻め込んで残っているモノを全て略奪するかもしれないな……そしたら、もっと酷い最期になることだろう……」
「うん」
「このお方の動向一つで国の存続が決まるのだ……それでも、貴様たちはこのお方を連れて行くのか……」
ルノワールはちらりと、横目で少女を見やります。
俯いているため表情は見えませんが、震えている様子を見ると、リーダー格の男の言葉は口から出まかせではないでしょう。
ルノワールは次にアオを見ます。彼は表情一つ変えずにリーダー格の男を見下していました。
アオとルノワール、悪友同士の目が合うと、小さく頷いてからこう言うのです。
『そんなこと知るか』
「…………は?」
リーダー格の男は唖然として、二人の冒険者を見上げていました。
驚愕しているのは少女も同じなのでしょう。非常に驚いたように目を見開きながら、二人を交互に見ています。
「お前たちの国が滅ぼうが滅ばないが、俺の人生においては何の影響もない。影響のないようなモノを気にかけると本気で思っているのか?」
「知らない人を百人助けるよりも知ってる友達一人を助けるってもんでしょ?」
「い、いや……えっと、それだと多くの人が死ぬ……」
「お姫様を人柱にしないと助からないんだったらいっそのこと、一回滅んじゃった方がいいんじゃないのぉ?」
「そうだな。俺たちには全く関係ないからな、滅んでもいいだろ」
「な……」
絶句したリーダー格の男を無視し、さっさと行こうとした時です。
「あの国には!」
痩せ型の男が突然叫び出しました。全身痺れて動けないのに、痛む体に鞭を打って。
「あの国には俺の女房と子供がいるんだ! 国が滅べば女房も子供も死ぬんだ! だから俺たちは全てを捨ててでも、媚び諂うしかないんだぞ……!」
「あっそ」
悲痛な叫びもアオには全く通じません。冷たくあしらわれて終わりましたが。
「お前……自分の家族が人質に取られているようなものなんだぞ! 何故そこまで冷酷になれる、そこまで残酷になれる……! 人の心がないのか……」
「はあ?」
足を止めて振り向きいた赤色の瞳が、痩せ型の男を睨んでいました。
「家族のためだと思考を放棄し、すがることでしか救いの術を見つけられないお前に、どうして俺が罵倒されないといけないんだ。自分の家族や大切な人を助けたかったら自分で行動しろ、自分のことぐらい自分でどうにかしろ。お前がやっていることはな、無力な自分を認めたくなくて俺たちに八つ当たりしているだけだ」
「…………」
「見ず知らずの男の家族よりも、腐れ縁の悪友の友達を助ける方がまだ気分いいっつーの」
誰も反論しなくなりました。
それを見届けててから、アオは路地裏の外を目指して歩き始めます。
「…………」
「さあさあ、僕たちも行こうか」
「……はい」
表情の暗い少女はルノワールに手を引かれ、その後に続くのでした。
「瘴気出さなかったね、偉いね」
「うっせ」
「じゃあよろしくね、ボスのおじ様」
「任せテ、他ならぬ君の頼みだからネ」
マギニアから南に出た場所にある海岸は、小さな船着場になっていました。
レムリアは嵐に隔たれた秘島で、船や飛行船で辿り着くのは困難とされていましたが、最近はそれらがほとんど消え、多くの船がレムリアまで行き来するできるようになっています。嵐が消滅した理由はまだ分かっておらず、専門家の間では「レムリアの封印が解けたからじゃないのか」と唱える者もいるとか、いないとか。
ルノワールが「ボスのおじ様」と呼んだ黒づくめの男性の傍らには、あの少女がいました。
長かった髪は短く切り揃えられていて、ごく普通の街の娘が着ているような質素なワンピースを身に付けて、白い手袋をはめていました。
「あの……私って、どこかの街に売られるんでしょうか……?」
「売らナイヨ!? ウチは人身売買だけはやってないカラネ!?」
「えっ“だけは”って……?」
男は少女から目を逸らしました。もはや肯定みたいなものでした。
「それじゃあ元気でね! これからが大変かもしれないけど、僕は応援してるよ! 友達だもん!」
笑顔で右手を差し出すルノワールが次に見たのは、少女の寂しげな表情でした。
「うん?」
ハテ、晴れて自由の身となったというのにどうして悲しそうな顔をしているのか理解できません。
彼女の疑問に答えるように、少女は口を開きます。
「その……本当にこれでよかったのかなって……思ってしまって」
「どしてどして? 念願の自由だよ? もう一人で寂しく泣かなくてもいいんだよ?」
「だけどやっぱり……私の身勝手のせいで、多くの人が不幸になるって思うと……」
ルノワールは面食らったような様子で、差し出した右手を下ろしました。
「あのさあ、これは君の人生なんだよ? 人生の主役はいつだって自分だ、他の連中なんて所詮主役を引き立ててくれる脇役に過ぎないワケじゃん。そんな脇役の連中に気を使ってどうするのさ」
「脇役って……そ、それじゃあ自分を育ててくれた親や友達も脇役ってことになりますよね? そんな人たちのことも足蹴にするんですか……?」
「しないよ」
「え」
少女、キョトン。
「自分にとってとても有益なことをしてくれる人、つまりは友好的に接してくれる人はめちゃくちゃ大切にしなくちゃいけないけどさ、君の身内も周りの人たちも君のことなんて二の次だったじゃないか。あの三人のおっさんたちだって君が嫌だって言っても聞く耳持たなかったじゃん、つまりは人生の敵だ。敵に同情してどうするのさ」
「……」
「君の両親も国の人たちも君を犠牲にして自分が助かろうとしていた自己中心的な連中ばっかりじゃないか。そんなの奴らにお姫様としての責任云々って言われたところで、誰かが君の人生の責任を取ってくれるかい? 君が犠牲になるなら自分もなるぜ! って身を差し出してくれる人はいたかい?」
「いない、です」
「でしょー? そんな悪徳国民等々に同情するだけ時間と人生の無駄! パパーっと忘れて自分のことだけ考えていればいいんだよ、もっとワガママに生きればいい! 僕みたいにね!」
「それはちょっと嫌です」
「え」
ストレートな拒絶によりルノワール一時停止。
「でも……ワガママに生きるって、難しいかもしれませんね。私はずっと、自分が存在しているのは誰かのためであって、自分のために自分のことをするってことが、できなかったのですから」
「分からないんだったらこれから学んでいけばいいじゃん。僕の友達だって最近人生で初めて彼氏ができたけど、今まで彼氏なんてできたことがなかったから、どう振る舞えばいいのかとか恋人同士になってどう接すればいいのか四苦八苦してて、人に相談しながら勉強と経験を積んでるんだよねぇ。だからさ、今からワガママな生き方を知ることも決して遅いってことはないよ」
「そうなんですか……恋人、かあ……」
「学び始めは失敗だっていっぱいあると思うよ、その友達なんて人前で彼氏とスキンシップをしているところを見られるのが嫌で接触を制限してたら、彼氏が我慢できなくなちゃって僕の目の前で突然キスとか始めちゃったこととかあったもん」
「わあ……」
少女たちの話を黙って聞く男は、その「友達」はクアドラのギルドマスターのことなんだろうと察しましたが、言わないでおきました。
「国と国民を捨て、普通の人間として生きることにした私が、普通に恋愛をして普通に結婚して普通に家族を作ることが……できるのでしょうか?」
「できるかどうかはわからないよ。僕は宇宙一可愛いけど何でも知ってる神様の類じゃないからねぇ」
ルノワールは少女の手を握って自分の前まで持っていきました。
「わっ?」
「だけど“そうなりたい、そうしたい”って気持ちを曲げなかったらきっとできるよ。可愛さを武器にして世渡りするのは僕の得意技だからさ、君もこれを特技にすることを許可してあげよう!」
「えっ、あっ、いらないです……」
「いいっていいって、持ってけドロボー!」
「泥棒さんじゃありません!?」
少女と男を乗せた船が、地平線に向かって遠ざかっていきます。
船着場に佇むルノワールは、視界から船が完全に見えなくなるまでずっとそこにいました。
「頑張ってね……僕はいつまでも応援してるよ、だって友達だもん」
「そうだな。友達を大切にすることは良いことだよな」
鬼の形相でぱきぱきと指を鳴らすギルドマスターが後ろで待機していると知らず。
2019.12.3
ソプラノ歌手もひっくり返ってしまうような美声が奏でるのは、子供が作ったような稚拙な歌詞。自身の可憐さを単純明快に表現した歌はマギニアの路地裏に響き、反響して消えていきます。
彼女の名はルノワール。マギニアではその名を知らない者はいないと謳われている超有名ギルド「クアドラ」に所属するヒーロー。桃色の髪は長くて瞳は緑色、腰には派手でもなければそこまで地味でもない剣を下げています。街中なので盾は持ってないようです。
昔はバードだったりダンサーだったりフェンサーだったりと、冒険者の経験も豊富な、どこにでもいるような女の子です。
「この世の〜生命体〜ぜ〜んぶ〜♪ 僕を〜可愛いと〜称えろ〜♪ 特にあのオッドアイ悪魔野郎とか! 意味わかんないアイツマジ意味わかんなくない!(台詞)」
即興の痛々しいソングを披露している最中、後ろから誰かが走ってきました。歌に夢中の彼女は全く気付いていません。
薄汚れたローブを頭からすっぽり被っているせいで前方への注意が疎かになっていたようです。
「なぜなら〜♪ うわ?」
背中からの衝突により歌は一時中断、ルノワールは前によろめきローブの人物は後ろにひっくり返って尻餅をつきました。
「とっとと……えっなに? 宇宙一可愛い僕に弟子入りでもしたいの?」
ぶつかった背中をさすりながら振り向くと、ローブの人物は急いで起き上がってルノワールの背中にくっついてきました。
「んんっ? どしたの? 僕があまりにも可愛いから一目惚れとかしちゃった? そういうのはちょっと困」
「たすけて……」
「はい?」
ローブの人物が顔を上げ、ルノワールの瞳が今にも泣きそうな黒色の瞳を映しました。
「助けて!」
悲痛な声を上げたその人物は、少女でした。
十代前半から半ばといったところでしょうか。フードの奥から見える黒髪は長いようですが、長く手入れされていないためボサボサになっています。
柔らかそうな肌は薄汚れ、ローブの裾から出ている手もボロボロで、何本かの指には血が染みた包帯が雑に巻かれていました。指のところが破けている安っぽい布の靴を履いて、靴下はありません。
「…………」
これはただ事ではない。
己の可愛さのことばかり考えているルノワールでも、この少女が抱えている問題の数々を察することができました。
問題のある者を関わりを持てば、少なからず自分もその問題に巻き込まれるでしょう。確実に、そうでしょう。
賢く生きるのであれば、厄介事を持ってきた人物は見捨てるか他人に押し付けるべきでしょう。トラブルなく生きることが一番健康的で健全で安全ですから。
ルノワールは大人です、今年で二十二歳になった立派な大人。大人であれば厄介ごとに関わることが愚行で、それを退けることが最善だと理解しています。しているものです。
しかし、
「うん! いいよ! 僕が助けてあげようじゃないか!」
あっさり引き受けたのは彼女がヒーローではなく。困っている人は基本的に助けるをモットーにしているルノワールだからでしょう。
迷いなく引き受けてくれるとは思わなかったのか、少女は口を開けてぽかん、としています。次の言葉が出てこないのでしょう。
「それで、どうしたんだい? めちゃくちゃボロボロだけど」
「あ、え、そ、その……あの……」
「いたぞ!」
怒声に少女の体がビクリと震え、ルノワールの服を掴む力がより一層強くなります。
やはりただ事ではない。顔を上げたルノワールが見たのは軍服を着た男が三人。明らかにマギニアの人間ではありませんし、冒険者にも見えません。
「おやおや? 僕の可愛さに誘われてやって来たの?」
「そこの女! 姫様を返してもらおうか!」
「ひめ?」
はて? と首を傾げます。確かに自分は可愛いけれど別に姫ではありません。どこぞかの貴族の養子ですし現在絶賛家出中です。
つまり、姫と呼ばれているのはこの少女ということになります。
「君が姫?」
問い掛けますが返事はありません。体を震わせながら、ルノワールにしがみつくだけです。
「とてもボロボロで可哀想な格好をしているけど、お姫様なの?」
少女は答えませんが、代わりに大柄の、リーダー格のような風貌の男が答えます。
「そうだ。このお方は某国の王女だ。我々は賊に襲われて逃げて来た王女を救出しに来た」
「賊に?」
「姫様はお忍び旅行中に賊に誘拐されたのだ。姫様を救出するために交戦している最中に脱出されていた」
「ほんほん」
「賊は既に片付けた。我々は姫様を王国に連れて帰る任務がある、君は何もしなくていい」
「そうなの?」
ルノワールは男たちではなく、少女に向けて声をかけましたが、
「…………」
返事は無言でした。震えは止まりませんし、顔色も悪くなる一向にあります。
「お迎えが来た割には、ずっと怯えているように見えるなぁ」
「姫様の様子を見ても分かるだろう? 相当酷い目に遭っていたのだ。一刻も早く応急に戻って迅速なアフターケアをしなければならない」
「そーう? 僕としては君たちが現れてからかなーり怯えるようになったように見えるけどなぁ?」
ねえ? と少女に問いかけても返事はありません。
「……」
「ええい! 我々は忙しいのだ! すべこべ言ってないで姫様を返せ!」
隣に居た痩せ型の男が足早に近づき、少女に手を伸ばし、
「ひっ!」
悲鳴が上がった刹那、ルノワールはくるりと回って痩せ型の男から少女を遠去けました。
そして、腰から剣を素早く抜き、刃先を痩せ型の男の喉元に向けてます。
「貴様……」
「人が嫌がることをしない。ウチのギルド最年少六歳児双子ちゃんでも分かることなんだどなぁ?」
煽るように言い、剣を持っていない左手で少女の手首を掴みました。何があっても離さないと心の中で誓って。
三人の男の中で一言も発していない無口な男が腰から銃を抜き、銃口をルノワールに向けますが、
「待て」
リーダー格の男に制され、渋々銃を下ろしました。
「すまない、私の部下は少々短気なものでな。できることならできるだけ手荒な真似をせずに姫様の身柄を確保したかったのだ」
「それで、ポケットに入っている金貨をいくつかチラつかせて僕を買収するつもりかい?」
リーダー格の男の表情が曇りました。
「残念だったねえ、僕はそこらにいる一般冒険者と違ってお金には困ってないし、お金のために冒険していないから、金貨をいくら積まれてもこの子は渡さないよ。僕の悪友なら“金貨1000枚持ってこい、話はそれからだ”って言って巻き上げていくけどねぇ」
冗談なのか本気なのか男たち判別はできません。それでも「えげつねえ……」と痩せ型の男はぼやきました。
「ここでこのお方を庇ったところで、貴様には何の得もないぞ」
「僕はこうしたいからこうしているだけだもん。そこに損も得もないよ」
堂々と断言したルノワール。彼女の持つ剣の刀身が青色の輝きを放ち始めます。
「人殺しはしたくないから死なない程度に痛めつけるってことでいいよねぇ?」
「貴様は冒険者だろう! こんな所で冒険者でもない一般人に刃を向けてもいいと思っているのか!」
剣を向けらたまま動けなくなっている痩せ型の男が睨みつけますが、
「冒険者じゃないけど君たちが一般人じゃないってことは丸分かりだし、いざとなったら“この女の子が悪漢たちに暴行されかけていたから助けただけなんですぅ!”って言えば、マギニアの衛兵たちは簡単に信じてくれるよ。ペルセフォネ姫を救った英雄ギルドの僕と、マギニアの住民でもないキミたちのどっちを信じるかぐらいわかるでしょ? それに騒ぎを大きくされるのは困るんじゃないのかなぁ?」
全て図星だったのか、痩せ型の男は黙ってしまいました。
これは勝機だと確信したルノワールがニヤリと、悪人のような笑みを浮かべますが、
「姫様! 姫様は本当にこれで良いとお思いになられているのでしょうか!」
突然、リーダー格の男が叫び始めました。
「ここで逃げるのなら大いに結構! しかし、貴女様の身勝手な行為のせいでどれだけの人間が迷惑被るか! 国の存亡を左右するか、理解していないハズはない!」
「っ……!」
「おっ? おっ? おおっ?」
ルノワールが困惑している間にも、リーダー格の男は続けます。
「貴女がこの身を捧げることで多くの民が救われるのです! 民だけではない、王宮の人間や国王や王妃も! 貴女が頑張らなければ誰が頑張ると言うのか!」
「…………」
「えっと……どゆこと?」
一応事情は把握しておきたいルノワール、恐る恐る少女に問いかけると、
「私……は……隣国の国王に嫁ぎ……ました」
「嫁いだの? 僕より年下なのにすごいねぇ」
「私が生まれたのは……滅びに直面している国を救うため、隣国に嫁ぐため……そうしなければ私の国に支援はしない……と……脅されて……」
「んんっ?」
「私は……奴隷……みたいなもの……です……国王の加虐心を満たすための……存在……」
「加虐……」
「もう……こんなの嫌……嫌……自由に生きたい……何にも囚われずに……自由に……私は……」
「……」
少女の言葉は、頬を伝う涙のせいかこれ以上続かなくなりました。
つまりは「そういうこと」でしょう。
国王の加虐心を満たす。王女とは思えないほどボロボロの身なりになった少女、指に巻かれた包帯から滲んでいる血の跡。ローブの下の体は今、どうなっているのか。
少女の「嫁入り」が何を意味し、何が行われているのか……ルノワールでも、分かりました。
「貴女に自由などありません! 貴女はあのお方に飼われなければ我々国民は皆死ぬ! 貴女が殺すようなものですよ! 一国の姫君として生まれた貴女は民のために命を捧げなければならないのです! 何故それが分からない!」
「ちょっとちょっと! それじゃあ国民のためならお姫様は死んでいいってこと!? 見殺しにしても許されるってこと!? 折角この世に生まれて、宇宙一可愛い僕と出会うっていう大義を果たしたって言うのに! 生まれてから死ぬまでずっと国民のために奉仕しろってこと!? お姫様なのに!?」
「姫だからだ。王家に生まれたからには国民のために生き、国民のために死ぬ。それが王族の義務であり責任なのだ」
「なんだってぇ! それじゃあいいように利用される奴隷と代わりないじゃないか! そんなの酷いよ非常識だよ鬼の所業だよウチの悪友といい勝負だよ!」
「黙れ! 何も知らないただの冒険者に我々の事情をとやかく言われたくない!」
リーダー格の男が素早く銃を抜きました。そして、痩せ型の男を横に突き飛ばすと、驚愕するルノワールに銃口を向けます。
「!」
撃ちました。発砲音が路地裏の壁に反響します。
剣で防ぐほど高等な技術を持っていません。とっさに判断したのは、思い切り体を横に倒して少女と共に倒れ、弾丸を回避すること。
「ぐっ!」
一度攻撃を回避することはできました。しかし、冷たい地面に倒れた状態で二発目が来てしまえば、回避も防御もできないでしょう。
「馬鹿な女め!」
リーダー格の男が二発目を撃つため、引き金に力を加えようとした時―――
体が動かなくなりました。
「え……?」
それは本当に突然、さっきまで当たり前のように動いていた体の動きがぴたりと止まり、自由が全く効きません。
「な、な、んだ、これ……は……」
戸惑うリーダー格の男の手から銃が離れ、地面に叩きつけられました。
「こ、これ……なに……」
「……うご……かない」
残り二人の男も同様の症状が出たのか、痩せ型の男は地面に這いつくばったまま痙攣を繰り返し、無口な男は膝から崩れ落ちるてしまいました。
「なんだ……なん、だ……なにが、起こって……」
リーダー格の男もその場に崩れ落ち、うつ伏せ状態で倒れてしまいます。
意識こそははっきりしているものの、まるで体が自分のものではなくなってしまったような、全く別の体に取り憑かれているような錯覚を覚え、加えて吐き気や目眩、頭痛まで始まります。
「こ……れは……い、ったい」
次に見たのは、周囲に漂う赤黒い瘴気でした。
まるでひとつの生き物のように彼らの周りをゆっくり巡るそれは、酷く美しくも醜くも見えてしまいます。未知なる恐怖によりますます顔が青くなっていきました。
「ひ、ぃ……?」
頭の中はすっかり混乱していました。自分たちは恐ろしい化け物の逆鱗に触れてしまったのか、まさか目の前の女の力なのか、レムリアにいるという魔物が現れ、自分たちを喰おうとしているのか……。
多くの疑念が頭を過り、己の死期を悟った刹那、
「また厄介ごとに首を突っ込んでいるのか、お前は」
這いつくばる男たちの後ろから、リーパーの女……ではなく、男が現れました。
紫に近い黒い髪に、赤と青のオッドアイの彼こそクアドラのギルドマスター、名前はアオ。最近では「瘴気ノ魔女」と呼ばれることが多くなってしまった青年で、ルノワールの悪友でもあります。
赤黒い瘴気を纏う彼を見た途端、ルノワールの表情はパッと明るいモノに変わりました。
「首を突っ込んでないもーん、飛び込んできたから可愛く包み込んであげただけだもーん」
「屁理屈ばっかり言いやがって……」
呆れるようにぼやいた後、彼女と一緒に倒れていた少女に目をやります。
ボロボロの格好、恐怖に怯える様、お節介にも程があるルノワールと行動を共にしている……。
アオは全てを理解しました。また無償で知らない人を助けようとしていると、瞬時に悟ったのです。
「それで、どうするんだよソイツは」
答えは聞かなくても分かっていますが。
ルノワールは少女と一緒に立ち上がり、剣を鞘に収めてちょっと乱れた髪を整えてから答えます。
「もちろん連れて帰るよ。保護したんだから最後まで面倒見なきゃ、とりあえず宿まで持って帰ってボスのおじ様に相談してみるつもり」
「そうか、ならさっさと離れるぞ」
「おっけー」
瘴気が薄くなったことを確認してから、ルノワールは少女の手を引いて男たちを踏みつけながら通りすぎていきます。目指す先は路地裏の外です。
「…………」
アオは男たちを見下してから、リーダー格の男に軽く蹴りを入れてから踵を返します。蹴る意味は特にありません、蹴りたかったから蹴っただけです。
「ま、待て……貴様ら……」
「あん?」
「なに?」
一応素直に聞いてやる二人、呻きながらも必死に声を上げるリーダー格の男は続いて言います。
「もし、この方がいなくなれば婚約は白紙に戻る……つまり、国への支援は無くなり、今度こそ国が滅ぶことになる……」
「ほう」
「多くの国民が露頭に迷い、死に絶えていくだろう……主人のことだ、国に攻め込んで残っているモノを全て略奪するかもしれないな……そしたら、もっと酷い最期になることだろう……」
「うん」
「このお方の動向一つで国の存続が決まるのだ……それでも、貴様たちはこのお方を連れて行くのか……」
ルノワールはちらりと、横目で少女を見やります。
俯いているため表情は見えませんが、震えている様子を見ると、リーダー格の男の言葉は口から出まかせではないでしょう。
ルノワールは次にアオを見ます。彼は表情一つ変えずにリーダー格の男を見下していました。
アオとルノワール、悪友同士の目が合うと、小さく頷いてからこう言うのです。
『そんなこと知るか』
「…………は?」
リーダー格の男は唖然として、二人の冒険者を見上げていました。
驚愕しているのは少女も同じなのでしょう。非常に驚いたように目を見開きながら、二人を交互に見ています。
「お前たちの国が滅ぼうが滅ばないが、俺の人生においては何の影響もない。影響のないようなモノを気にかけると本気で思っているのか?」
「知らない人を百人助けるよりも知ってる友達一人を助けるってもんでしょ?」
「い、いや……えっと、それだと多くの人が死ぬ……」
「お姫様を人柱にしないと助からないんだったらいっそのこと、一回滅んじゃった方がいいんじゃないのぉ?」
「そうだな。俺たちには全く関係ないからな、滅んでもいいだろ」
「な……」
絶句したリーダー格の男を無視し、さっさと行こうとした時です。
「あの国には!」
痩せ型の男が突然叫び出しました。全身痺れて動けないのに、痛む体に鞭を打って。
「あの国には俺の女房と子供がいるんだ! 国が滅べば女房も子供も死ぬんだ! だから俺たちは全てを捨ててでも、媚び諂うしかないんだぞ……!」
「あっそ」
悲痛な叫びもアオには全く通じません。冷たくあしらわれて終わりましたが。
「お前……自分の家族が人質に取られているようなものなんだぞ! 何故そこまで冷酷になれる、そこまで残酷になれる……! 人の心がないのか……」
「はあ?」
足を止めて振り向きいた赤色の瞳が、痩せ型の男を睨んでいました。
「家族のためだと思考を放棄し、すがることでしか救いの術を見つけられないお前に、どうして俺が罵倒されないといけないんだ。自分の家族や大切な人を助けたかったら自分で行動しろ、自分のことぐらい自分でどうにかしろ。お前がやっていることはな、無力な自分を認めたくなくて俺たちに八つ当たりしているだけだ」
「…………」
「見ず知らずの男の家族よりも、腐れ縁の悪友の友達を助ける方がまだ気分いいっつーの」
誰も反論しなくなりました。
それを見届けててから、アオは路地裏の外を目指して歩き始めます。
「…………」
「さあさあ、僕たちも行こうか」
「……はい」
表情の暗い少女はルノワールに手を引かれ、その後に続くのでした。
「瘴気出さなかったね、偉いね」
「うっせ」
「じゃあよろしくね、ボスのおじ様」
「任せテ、他ならぬ君の頼みだからネ」
マギニアから南に出た場所にある海岸は、小さな船着場になっていました。
レムリアは嵐に隔たれた秘島で、船や飛行船で辿り着くのは困難とされていましたが、最近はそれらがほとんど消え、多くの船がレムリアまで行き来するできるようになっています。嵐が消滅した理由はまだ分かっておらず、専門家の間では「レムリアの封印が解けたからじゃないのか」と唱える者もいるとか、いないとか。
ルノワールが「ボスのおじ様」と呼んだ黒づくめの男性の傍らには、あの少女がいました。
長かった髪は短く切り揃えられていて、ごく普通の街の娘が着ているような質素なワンピースを身に付けて、白い手袋をはめていました。
「あの……私って、どこかの街に売られるんでしょうか……?」
「売らナイヨ!? ウチは人身売買だけはやってないカラネ!?」
「えっ“だけは”って……?」
男は少女から目を逸らしました。もはや肯定みたいなものでした。
「それじゃあ元気でね! これからが大変かもしれないけど、僕は応援してるよ! 友達だもん!」
笑顔で右手を差し出すルノワールが次に見たのは、少女の寂しげな表情でした。
「うん?」
ハテ、晴れて自由の身となったというのにどうして悲しそうな顔をしているのか理解できません。
彼女の疑問に答えるように、少女は口を開きます。
「その……本当にこれでよかったのかなって……思ってしまって」
「どしてどして? 念願の自由だよ? もう一人で寂しく泣かなくてもいいんだよ?」
「だけどやっぱり……私の身勝手のせいで、多くの人が不幸になるって思うと……」
ルノワールは面食らったような様子で、差し出した右手を下ろしました。
「あのさあ、これは君の人生なんだよ? 人生の主役はいつだって自分だ、他の連中なんて所詮主役を引き立ててくれる脇役に過ぎないワケじゃん。そんな脇役の連中に気を使ってどうするのさ」
「脇役って……そ、それじゃあ自分を育ててくれた親や友達も脇役ってことになりますよね? そんな人たちのことも足蹴にするんですか……?」
「しないよ」
「え」
少女、キョトン。
「自分にとってとても有益なことをしてくれる人、つまりは友好的に接してくれる人はめちゃくちゃ大切にしなくちゃいけないけどさ、君の身内も周りの人たちも君のことなんて二の次だったじゃないか。あの三人のおっさんたちだって君が嫌だって言っても聞く耳持たなかったじゃん、つまりは人生の敵だ。敵に同情してどうするのさ」
「……」
「君の両親も国の人たちも君を犠牲にして自分が助かろうとしていた自己中心的な連中ばっかりじゃないか。そんなの奴らにお姫様としての責任云々って言われたところで、誰かが君の人生の責任を取ってくれるかい? 君が犠牲になるなら自分もなるぜ! って身を差し出してくれる人はいたかい?」
「いない、です」
「でしょー? そんな悪徳国民等々に同情するだけ時間と人生の無駄! パパーっと忘れて自分のことだけ考えていればいいんだよ、もっとワガママに生きればいい! 僕みたいにね!」
「それはちょっと嫌です」
「え」
ストレートな拒絶によりルノワール一時停止。
「でも……ワガママに生きるって、難しいかもしれませんね。私はずっと、自分が存在しているのは誰かのためであって、自分のために自分のことをするってことが、できなかったのですから」
「分からないんだったらこれから学んでいけばいいじゃん。僕の友達だって最近人生で初めて彼氏ができたけど、今まで彼氏なんてできたことがなかったから、どう振る舞えばいいのかとか恋人同士になってどう接すればいいのか四苦八苦してて、人に相談しながら勉強と経験を積んでるんだよねぇ。だからさ、今からワガママな生き方を知ることも決して遅いってことはないよ」
「そうなんですか……恋人、かあ……」
「学び始めは失敗だっていっぱいあると思うよ、その友達なんて人前で彼氏とスキンシップをしているところを見られるのが嫌で接触を制限してたら、彼氏が我慢できなくなちゃって僕の目の前で突然キスとか始めちゃったこととかあったもん」
「わあ……」
少女たちの話を黙って聞く男は、その「友達」はクアドラのギルドマスターのことなんだろうと察しましたが、言わないでおきました。
「国と国民を捨て、普通の人間として生きることにした私が、普通に恋愛をして普通に結婚して普通に家族を作ることが……できるのでしょうか?」
「できるかどうかはわからないよ。僕は宇宙一可愛いけど何でも知ってる神様の類じゃないからねぇ」
ルノワールは少女の手を握って自分の前まで持っていきました。
「わっ?」
「だけど“そうなりたい、そうしたい”って気持ちを曲げなかったらきっとできるよ。可愛さを武器にして世渡りするのは僕の得意技だからさ、君もこれを特技にすることを許可してあげよう!」
「えっ、あっ、いらないです……」
「いいっていいって、持ってけドロボー!」
「泥棒さんじゃありません!?」
少女と男を乗せた船が、地平線に向かって遠ざかっていきます。
船着場に佇むルノワールは、視界から船が完全に見えなくなるまでずっとそこにいました。
「頑張ってね……僕はいつまでも応援してるよ、だって友達だもん」
「そうだな。友達を大切にすることは良いことだよな」
鬼の形相でぱきぱきと指を鳴らすギルドマスターが後ろで待機していると知らず。
2019.12.3
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