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世界樹の迷宮X

 海都、アーモロード。
 難攻不落、奇想天外、魑魅魍魎が跋扈すると謳われていた世界樹の迷宮があった、海に面する広大な王国の名です。
 かつては世界樹の迷宮踏破を夢見て、冒険者ギルドの門を叩き迷宮に挑んだ冒険者が数多くいたそうですが……十年以上前、あるギルドが最下層に巣食っていた魔と呼ばれる存在を討伐し、迷宮の完全踏破が為されました。
 世界樹の迷宮完全踏破の噂は瞬く間に広がり冒険者の数は激減、アーモロードは終わりなのではないかと誰もが囁いたそうです。
 しかし、この国から冒険者は消えませんでした。
 踏破されてもなお、人々は海都を訪れ、冒険者となり、世界樹の迷宮に挑むのですから。
 それは、まだ見ぬ未知なるものを求めてか、はたまた心踊る冒険を求めてか、あるいは一攫千金を狙った猛者が後を絶たないからか……かつての賑わいは無くなったにせよ、海都には今日も多くの冒険者が訪れ、彼らは皆、真っ白な地図を持って迷宮に足を踏み入れるのです。










 青年は愕然としていました。愕然とするしかありませんでした。
 浮浪者も滅多に近づかない狭い路地裏、月明かりも届かず自身の手元もよく見えない暗闇。
「な、なんで……仕事……ないんです……?」
 青年が、金魚のように口を何度もぱくぱくさせながらやっと発した言葉はそれだけで、後は震えながら男の返答を待つばかり。誰がどうやって見ても動揺していると見て分かります。
 そんな情けない様子に目もくれず、男は小さくため息をつき、
「アジトの場所が騎士団の連中にバレそうになって、急遽引越しすることになったんだ。とてもじゃないけど仕事なんかしている暇はねぇ。しばらくは臨時休業ってこった」
「えええ……って! それってボスたちがピンチってことですよね!? 戻らなくていいんですか!?」
「戻ったところで俺たちに何ができるって言うんだよ。ボス曰く、一年経っても音沙汰がなかったら諦めろだとさ」
「そ、そんな……まだボスにちゃんと恩返しできてないのに……」
「今更後悔したっておせーよ。俺は近隣の街で待機しとく、ボスから連絡があったら伝えに来るからお前もしばらくここで待機しとけ」
「……」
「どうしてもここから出るって言うならちゃんと俺に声をかけてからにしろよ。じゃあな」
 男は淡々とそれを伝えると足早に路地裏から去ってしまい、人混みの中に消えてしまいました。
「…………」
 路地裏には、呆然と立ち尽くしたままの青年だけが取り残されました。





 青年の名はセキ。
 百八十センチ近い高身長で痩せ型、夜闇には不釣り合いな真っ赤なコートを羽織っていて、白髪は腰まで長く伸ばしていました。目の色は灰色。
 彼は人を殺してお金を稼ぐ仕事をしています。
 このような仕事をする人間は基本的に暗殺者と呼ばれます。
 三年程前は最果ての地、タルシスで冒険者として世界樹の迷宮に挑んでいました。うっかり踏破もしてしまいました。
 しかし、今はタルシスから遠く離れた海都アーモロードで待機命令が出されてしまいました。
 暗殺者という肩書きさえ隠すことができればタルシスの英雄として不自由なく暮らせたかもしれないというのに、それを理解しながらも旅に出たのは止むを得ない理由があったからです。

 全ての始まりは、命よりも大切にしていた少女が姿を消してしまったことでした。

 ボスの友人の子だという少女は、冒険者の親友と再会するために冒険者となることを望んでいました。
 当然少女の両親は大反対、だったら家出してやると即座に決めた少女は貴族の地位と身分を捨て、ダンサーとしてタルシスの地へ向かうことにしたのです。溜め込んだお小遣い全てを使い、セキを護衛として雇って。
 契約で成り立っていた関係でしたが、セキは少女を、少女はセキのことが大好きになっていました。まるで本当の兄妹のように仲が良く、いつでもどこでも一緒にいました。
 なのに、少女は消えてしまったのです。まるで魔法のように、突然。
 ルーンマスターの仲間が「いなくなってしまったのは古代の魔術がどうたらこうたら〜」と説明してくれましたが、セキは半分も理解できませんでした。
 ルーンマスター曰く、アスラーガという地に少女はしばらく滞在、ようやくタルシスに戻れるという状況になったところでまた行方が分からなくなってしまったそうです。
 ずっと少女の帰りを待ち続けていたセキは行動することにしました。タルシスに残るという仲間たちに伝言を託し、自分の足で各国や地域を周ると決めたのです。
 いなくなった少女と再会する日を夢見て。





 アーモロードの夜の街道。
 建物や街灯の灯りが耐えることなく輝き、人々の話し声や音、冒険者の街としての賑わいは少なくなったものの、失われることなくずっと続いている、海都に住む誰もが見慣れた光景です。
 人混みの流れに逆らいながら、重い足取りで帰路につくセキは、誰にも聞き取れそうにない小さな声で独り言。
「どうしよう……ごめんね……どうしよう……ギンに何て言おう……ごめん……」
 か細い声で旅の同行人への謝罪を呟いていました。
 今までの収入源のほとんどはボスからの暗殺依頼でした。伝書鳩を通して依頼を受け、それをこなすことによって報酬が伝書鳩によって送られて来るシステムです。
 何故伝書鳩なのか、どうやって依頼を達成したと把握しているのか、その全てが謎に包まれていますが、セキにとってはこれが当たり前となっているので疑問は全く抱いていません。
 しかし今、組織の拠点が特定されそうになっているという窮地によって収入源が完全に絶たれてしまいました。
 旅の途中で売れそうな物を採取したり、商人の護衛や魔物退治で収入を得てはいるものの、食料に宿代、護身用の武器のメンテナンス等々……旅は何かとお金がかかります。
 先を急がなければならない旅だというのに、組織が原因で足止めされてしまうのは責任感の強いセキにとって心苦しいことに他なりません。一人旅ではなく二人旅ですから。
「うう……お金が無くなりそうだしアーモロードから動けないしどうしよう……いっそのことギンだけでも先に行ってもらうとか……でもあの子は世界レベルの天然記念者だから長時間一人にさせるのは不安すぎて俺が落ち着かない……」
「セキ」
 前から名前を呼ばれた途端、反射的に背筋が伸びます。
 人混みの流れに乗って、正面から小走りでやってきたのは少女でした。
 女性にしては少々背は高く、銀色の長い髪は青紫色のリボンで結われてポニーテール風にまとめられています。金色の瞳は鋭く尖ってはいますが相手に対して敵意は向けていません。
 タルシスではスナイパーと呼ばれるラフな格好はこの南国では少々暑苦しいかもしれませんが、ナイトシーカーの密着性の高い暗殺者専用装束を着込んでいるセキよりはまだ涼しいと言えるでしょう。
「ギン……迎えに来てくれたの……?」
「ああ。どうしても報告したいことがあってな」
 銀髪金眼の美少女から発せられる低音に通りすがりの人々はギョッとして彼女……ではなく彼を二度見。自分の耳がおかしくなってしまったのかと頭を抱える者もいます。
 青年の名前はギン。タルシスで同じギルドに所属していた友人でセキの旅の同行者でもあります。彼も、いなくなってしまった大切な人を探していました。
 彼が喋る度に何も知らない人が動揺する光景に慣れきってしまっているセキは何も言いません。ギンに至っては周りの反応に気付いてすらいませんでした。
「ふむ……元気がないな? またすれ違い様に難癖をつけられたり、二階から植木鉢が落ちてきたり、深い水溜りに足を突っ込んでブーツを水浸しにしたのか?」
「今日は昨日みたいな不幸なアクシデントの連鎖はなかったよ……そう何度もあったらこっちの身も持たないから」
 セキ自身の運の悪さによって引き起こってしまうトラブルの数々も、人を殺して生計を立ているのと同じぐらい普通の出来事となってしまっているため、落ち込みはするけどそこまで悲観的にはなりませんし、本人がこんな調子なのでギンもあまり心配はしていません。本人が大丈夫だと言っているのだから大丈夫なのだろうという認識です。
「ふむ、それもそうか」
「それで……何なの? 報告したいことって」
「聞いてくれ。今日は人助けをした」
「人助け? どんな?」
 組織のことはギンの話を聞いてからでもいいか……なんて軽く考えていたセキでしたが。
「娘が病気で死にそうだが金がなくて治療費が払えない、君がお金を貸してくれさえすれば手術することができる、手術さえできれば娘の命は救われるんだと助けを請われた」
「へえ……」
「だから全財産譲った」
「………………」
 セキ、絶句、硬直、思考停止。
「今頃、彼の娘は手術を受けている頃だろう。ずっと寝たきりだった娘が明日の朝には元気に走り回れるようになるそうだ、うむ、良いことをした」
「…………………………」
「安心しろセキ、宿は前払い制だから今はお金が無くてもちゃんと泊まれるし朝食の用意もある。お金も明日の夕方には返してくれるそうだから心配するな」
「………………………………………………」
「ところで、組織の先輩に会いに行っていたんだろう? 先日仕事を失敗したから叱られたのか? 私の言葉では何の慰めにもならないと思うが……あまり落ち込んでばかりだと心が持たないからあまり気に病むな。今日がダメなら明日頑張れば良いのだからそこまで……」
「あああああああああああああああああああああ!!」
 突然頭を抱えて絶叫した青年の奇行により道行く人々は不審な目つきを向けますが、関わりたくないので足早に去っていきます。大きな国なので色々な人がいるから、彼もそういった変わった人だろうという認識でしょう。
「セキ? どうした? 頭が痛いのか?」
 諸悪の根源は首を傾げ、無表情のまま訪ねていました。





 部屋に戻ったセキは早々にベッドに潜り、毛布に包まったまま動かなくなってしまいました。
 毛布越しからギンの心配していそうな声が聞こえますが、今は相手をしている余裕なんてありません。

「どうしようどうしようどうしよう! まさかこんな所でギンの天然爆弾が炸裂するなんてぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!! どうして少しの間なら大丈夫って思っちゃったんだよ俺の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁぁぁぁ!!」

 言葉には決して出せない、セキの悲痛な心の叫び。
 彼はまだギンが全財産騙し取られたことについて教えていません。普通なら少し考えてみればわかることかもしれませんが、少々鈍くて天然のケもあるギンのことです。人から教わらなければ一生気付くことはないでしょう。
 ですが、セキは詐欺について教えるつもりはありません。ギンが百パーセントの善意で行ったことを責め、叱りつけるのも気が引けますし、最大の問題は騙された事ではなく、一文無しになってしまった事ですから。

「今日はどうにかなるにしても明日からどうしよう! お金ない! 武器を売り飛ばせば多少のお金にはなると思うけど大事な商売道具を失うのはマズイ! 今はよくても後々に絶対響いて来るから無理! 仕事復帰できなくなっちゃう! 隣街にいる先輩に頼るべき……いや、先輩だって仕事が無くなってお金のことで悩んでるハズだから頼るワケにも……」

 再び心の叫びが炸裂する中、
「セキ。どこか痛いのなら言ってくれ、薬ぐらいは貰えるハズだ」
 頭上からずっと声をかけてくれるギンの声で我に返り、心の叫びを止めました。
「……いや、どこも痛くないから、大丈夫ダヨ? 先輩に叱られてちょっと落ち込んでるだけ、だから……」
「それならいいが」
「あとね、ギン。人助けをするのはいいけどお金をいっぱい使うんだったらあらかじめ俺に相談してからにしてほしかったなぁ……ほら、このお金は君だけのものじゃなくて俺と君が旅をするために使うものなんだから。独り占めはよくないでしょ?」
「しまった……セキの言う通りだったな……すまない、私としたことが……」
「いいよ……次から気を付ければいいだけの話なんだから……」
 次があるかどうか果たして分かりませんが。
 それらの言葉をぐっと堪えて、セキは毛布の中に入ったまま、伝えるべきことを伝えることにしました。
「あのさ……ギンに色々言いたいことがあるんだけど……」
「腹痛の薬か?」
「違うよ……俺が仕事を受けている組織があるでしょ? そこがね、今ちょっとしたピンチみたいなんだ」
「ぴんち?」
「うん。アジトの場所が暴かれそうになってるから急遽引越ししなくちゃいけなくなったみたい。だから組織は今、仕事に手を付けられなくなったからしばらく仕事の依頼が来ない。おまけにアーモロードの待機命令も出ちゃったからさ、ギンだけでもアーモロードから出て……」
「しばらくアーモロードに滞在するのか、わかった」
「旅を……ってええええええ!?」
 物分かりが早すぎて驚愕、毛布を跳ね退け飛び起きました。
 起きてすぐ見えたのはベッドの横で仁王立ちするギンの仏頂面。セキを心配しているようには全く見えませんが、これが彼のいつもの表情です。
「何故、そこまで驚く?」
「いいや驚きますよ!? だって君は一日でも早くアオに会いたいんでしょ!? だったらこんな所で足止めを喰らっている場合じゃないでしょ!? この街にはいないってハッキリ分かったんだし、次の街を目指すべきじゃないの!?」
「その点についてはお前も同じだろう? だったら私も一緒に残る」
「ま、まあそうだけど……? でも、長くても一年は待たなくちゃいけなくなるんだよ? 本当にいいの?」
「いい」
 即答です。誰が聞いても即答です。一切迷いのない返答にセキは愕然。
「どうして……?」
「お前が立ち止まるなら私も立ち止まる。それだけだ」
「だからどうして立ち止まれるの?!」
「タルシスから苦楽を共にし、旅を続けてきた友人を置いて行けない。それに……アーモロードには個人的に興味がある」
 淡々と言い切った彼の言葉は真剣そのもの、目を逸らすことなく自身を真っ直ぐ見つめていました。
 彼の誠実さに向き合うためにも、セキはまずベッドの上に正座することから始めます。背筋がしっかり伸びている、美しい正座でした。
「興味……って?」
「言葉通りの意味だが」
 キョトンとして首を傾げているので慌てて訂正します。
「ああいやそうじゃなかったね、ごめんね。どうしてアーモロードに興味を持ったの?」
「姉の思い出の地だからだ」
「姉」
 思わず繰り返してしまったセキに続き、ギンは小さく頷いて、
「私を救い、私のために家族に立ち向かい、無知だった私に多くのことを教えてくれた偉大な人だ。あの人は昔、アーモロードの世界樹に挑んだことがあってな、よくその話を聞かせてくれたんだ」
「なるほど……」
 納得したようにぼやいたものの、引っかかる部分はありました。救うとか家族に立ち向かうとか。
 しかし、小心者の彼は疑問をぶつけられず、そっと飲み込んでしまうのでした。
「だから、私に気を遣わなくても大丈夫だ。共にアーモロードに滞在しよう」
 思い悩むセキの心境など知らずに淡々と断言。頑固な彼のことです、ここで説得したところで首を縦に振ることはないでしょう。
「そこまで言うなら分かったよ……じゃあ、しばらくは宿生活になるからお金を貯めないといけないね」
「明日には金を返してもらえるが、一年滞在するとなると今の所持金だけでは心許ないな。働いて稼ぐしかないか」
 たぶん、恐らく、絶対、返ってこないよ、お金。
 そう言いたくてたまらなかったセキでしたが、口に出そうとすると心が痛くなってしまい、勇気が出ませんでした。自分はなんて情けない男なのか、自己嫌悪から俯いてしまいますが、
「そうと決まれば、早速働き口を探しに行こう」
 ギンは突然そんな宣言。現在夜の九時を回ろうとしていますが、彼に時間は関係ないようです。
「ええっ!? 今から!?」
「善は急げ、思い立ったが吉日と言う。動ける内に動いておかないと後悔するぞ」
 驚愕しているセキなど気に留めません。ギンは迷いない足取りでずんずん進んで部屋から出てしまいました。
「待って! 急ぎすぎだって君は! ああ待って待って!」
 急いでベッドから降りたセキは、椅子の背もたれにかけてあった赤いコートを羽織ると、駆け足でギンの後に続くのでした。





 再び出てきた夜のアーモロード。
 街の大通りを行き交う人は多いまま、談笑に花を咲かさるグループもいれば、独り言を呟きながら歩く人、樹海帰りの冒険者の一団など、色々な事情を抱えた人たちが歩いていました。
 宿の正面、玄関から外に出て立ち尽くしているギンは、面白いのか面白くないのか楽しいのか楽しくないのか分からない仏頂面でそれを眺め、観察に勤しんでいました。
「…………」
「ああよかったぁ、追いついた……」
 慌てて追いかけていたセキがやっと合流、追いつくと同時にギンは振り向き、自分より背の高い男を見上げるように視線を向け、
「セキ、勢い余って外に出たのはいいが、仕事はどうやって探すんだ?」
 首を傾げながら世間知らずなトンチキ台詞を繰り出しました。
「あああ……やっぱりノープランだったんだね……」
 二年間行動を共にして分かりましたが、どうも彼は勢いだけで行動する節があります。お金を騙し取られたことも、切羽詰まった演技に騙されて即決し、金を渡したことでしょう。
 常日頃からそれを直して欲しいと切望しているものの、セキは人に厳しく言える性格ではないため叱りつけた試しがなく、改善の兆しがないのが悩み。
「それで、どうしたらいい?」
 本気で困っているかもしれない様子の彼に、セキは優しく提案します。
「自分の得意なこととか、できることが活用できる仕事がいいから、そういうのを探してみたらいいんじゃないかな」
「できることや得意なことか……狩りは得意だが、それを仕事に活かせるのか?」
「うーん……アーモロードは港町だから活用しにくいかも……」
 海に面した海都、周囲に山や森はなく見渡す限りの海海海……森で狩りをしながら育ってきたギンにとって、その特技を活かせる仕事を見つけることはやや難しいでしょう。
「ふむ……いきなり行き詰まってしまったな」
 なんて悩むギンとは違って就職活動経験のあるセキ、ここは歳上のお兄ちゃんらしく頼れるところを見せてあげようと、ちょっとだけ張り切って、
「誰にでもできそうな仕事から探していった方がいいよ。日雇いの仕事をハシゴしてもいいかもね、俺も今の仕事を始める前はそれで……」
 そこまで言いかけて気付きます、さっきまで隣に立っていた青年の姿が影も形もないことに。
「あれっ!?」
 驚愕しつつ周囲を見回すと、宿正面の路地の手前で、大柄の男と会話しているギンを見つけました。
「ウチの店で働いたら一日にこれだけ貰えるんだぜ?」
「これは……なかなかの大金だな。何故これだけ稼ぐことができるんだ?」
「ウチは金払いのいい客ばっかりだから、従業員の給料もそれだけ跳ね上がるってことなんだよ〜」
「そういうカラクリか……それで、一体どんなことをすればいいんだ? 私でもできそうな仕事か?」
「できるできる! 誰だってできる簡単な仕事だから心配しなくても大丈夫! じゃあちょっと入社試験とかやっちゃう?」
「試験?」
「なぁに、簡単な試験だよ。ちょっとここを抜けたところにホテ」
 ニヤつきながら男がそこまで言った刹那、セキはすごい勢いと形相でギンの元まで早足で駆け寄り、男との間に割って入ると。
「すみません結構です!!」
 それだけ叫んでギンの右手を握って踵を返すと、男に反論の隙を与える前に走り出しました。
「セキ?」
 彼が何故、こんなにも突拍子のない行動するのか理解できないギンはきょとんとするも、手首を掴まれてしまっているので離れられず、無抵抗のまま一緒に走ります。
 無我夢中で夜のアーモロードを駆けるセキは、大通りを抜けました。
 建物と建物の間にある薄暗い道を一直線に駆け抜け、眠っていた野良猫と叩き起こしました。苦情とも言える鳴き声が後方から響きますが振り返りませんでした。
 夜も更けて人通りが少なくなった道を走り、店じまいを始める店を横目に、ある建物に飛び込みました。
 正面入り口で帰宅準備をしていた男に向かい、セキは叫びます。
「すみません! ギルドを立ち上げたいんですけど!!」





 翌朝。
 日が上り切る前に目覚めた二人は、宿で出発の準備を進めていました。
「まさか、あれほど嫌がっていた冒険者にまたなるとはな」
 袴の紐をきつく締めながら、ギンは淡々と言いました。
「俺たち二人が一番慣れている仕事だと思ったからね……」
 忍装束に身を包んだセキの言葉には覇気が無く、今にも消えてしまいそうでした。
 昨夜、勢い余ってギルドを立ち上げたまではよかったものの、タルシスで極めに極めたナイトシーカーやスナイパーの技術はアーモロードでは認められておらず、別クラスへの転職を命じられてしまいました。
 冒険者ギルドでは、その国によってクラスの種類が定められています。理由は多々あるそうですが、セキもギンもそれらに全く興味はなかった為、理由を聞かないまま指示に従うことにしたのです。
 悩むことなくセキはシノビ、ギンはショーグンに転職し、二人は晴れてアーモロード認可の冒険者になったのでした。
「でも、ギンがショーグンに転職したのはビックリしちゃったなあ」
「そうか? 弓ほどでもないが刀の扱いは得意な方だが」
「……そういえば、たまにキイロから刀を借りてキンと喧嘩してたね……」
「ああ」
 短く肯定したギンはショーグンの軽装姿に着替えた後、長い髪を後頭部でまとめてポニーテールにし、赤色のリボンで結びました。
 これで、誰がどう見ても立派なショーグンです。鋭い剣技を繰り出し、時には味方を鼓舞しパーティの士気を高める働きもする、海都では人気のクラスです……が。
「…………やっぱり女の子モノなんだね」
「何がだ?」
 首を傾げるギンの姿は、どこからどう見ても女性でした。一言も喋らなければ誤魔化せてしまえそうです。
「好きな装備を買って良いよとは言ったけど……どうしても女の子モノを着ないと気が済まないんだね」
「女?」
 本気で分かってない彼は自覚もなくそれを選んで購入したのでしょう。軽く嗜むべきか悩みましたが、女装するのも自覚があるとないとでは違いますし、そもそも個人の趣味に口出しするのは大人としてよくない。
「いや、なんでもないよ……気にしないでね」
 疑問を抱く眼差しから逃げるように目を逸らしたセキ、彼の白い髪は宿の窓から溢れる朝日を反射し、輝いていました。
 それは、毛先が肩に付くほど短い髪でした。
「いち早く装備代を調達したかったとはいえ、髪を売ってしまうとはな」
「あーうん、いいんだよ別に。どうせまた勝手に伸びてくるんだからさ」
 一文無しでは装備も購入できない、しかし愛用していた武器を売るわけにもいかず苦肉の策として自身の髪をまとめて売りに出したのです。白髪は珍しいと高値で引き取ってもらえました。
 あとはアーモロードでは有名な武具店「ネイピア商会」という店で基本的な装備だけ購入、残りは全て薬代に回し、またもやほぼ一文無しになってしまったので、今日はまず宿代を稼がなければいけません。
「髪を売って資金にするなら、私の髪でもよかったのではないのか?」
「いやいや、元はと言えば俺の問題なんだから君が自分を犠牲にする必要はないよ。それに、その綺麗な髪を売ってしまうのは勿体無いからね」
「……」
 ギンの返答は無言でした。何を思っているのか全く分からない仏頂面でセキを見ていて、その表情は怒っているのか悲しんでいるのか面白いと思っているのかも分かりません。
 長い間行動を共にしているので慣れてはいますが、ここまでじっと見つめられてしまうと居心地の悪さが優ってしまい、セキはやや身を引きます。
「あ、えっと? どっ……どうしたの?」
「……いや、姉と同じ事を言うのだなと思ってな」
 淡々と答えたギンは腰に刀を差します。お金の都合上一本しか購入できませんでしたが本人は気にしていない様子。
「お、同じことって……何を?」
「私の髪は綺麗だから粗末に扱うのは勿体ないとよく言われた。ちゃんと手入れしておけと」
「ああ……」
 少しだけホッとしたセキ。てっきり怒らせてしまったのではないかと不安だったので。
 付き合いが長いとは言え彼の怒りのツボがよく分かりません、喜ぶ要素はいくつか心当たりがありますが、未だに永遠の敵であるキンが関係していること以外で、怒る場面を見たことがないのです。
「どうかしたのか?」
「ううん、何でも。お互い身支度は済んだし、そろそろ樹海に行こっか……」
「著しく士気が下がったな」
「うん……」
 生活資金のため仕方がないとはいえ、またあの恐ろしい魔物が跋扈する迷宮に足を踏み入れなければならないのです。タルシスで一年ほど冒険者をしていたセキですが、魔物には慣れそうもなく、本当に元冒険者なのか疑問を抱くほどのビビリ腰です。今もちょっと泣きそう。
 一緒になって怯えてくれたあの少女も、鬼か悪魔が提案するような戦略でメンバーを引っ張ってくれたギルドマスターも、幾度もなく励ましてくれたルーンマスターも、その他諸々のメンバーもいません。いるのは、天然仏頂面世間知らず元スナイパーのギンだけ。
 野宿時は自主的に食料を調達したり火を付けたり火の番をしてくれたりととても頼りになってくれてはいたものの、国や街に入って人間の社会に入るとまるでダメです。世間知らず故か騙されやすいせいか、セキがひいひい悲鳴をあげながら奔走することもしばしば。昨日だってそう。
 そんな彼と二人きりの冒険。
 生活の不安と頼れる彼がいる安心感の間でセキの心はゴロゴロと揺れ動き続け、気持ちは安定しません。慣れるまで時間がかかるでしょう。
 泣き言は言ってられません。今は自分にできることを精一杯頑張るしかないのですから。
「じゃあ……行こっか」
「ああ」
 こうして、不安だらけのアーモロードの冒険者生活の幕が上がりました。





 猫の魔物に噛みつかれて気を失ったセキがギンに引きずられて宿に戻ったのは、その一時間後のことです。


2019.11.28
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