ギルド小話まとめ
気がつくと真っ白い部屋の中にいました。
白い壁に白い床、天井にからぶら下がっている電球の色も白という、もはや狂気的に白が好きな人物がデザインしたのではないかと思わせるほど白い部屋に閉じ込められた冒険者が2人。
1人はナイトシーカーの青年で名前はヒイロ。もう1人はレンジャーのギン。
彼らはマギニアでも一二を争う有名ギルド「クアドラ」のエースメンバーであり、付き合いも長い友人同士です。
「ここはどこだ?」
「わからない……」
今まさに自身に起こっている異常事態に対しても、すぐにパニック状態に陥らなかったのは不幸中の幸いでしょうか、2人は冷静に自分たちの記憶を遡り、ゆっくりと整理していきます。
それらを簡潔にまとめると。
昨日は朝から探索を行い空が夕闇に染まった頃に切り上げて、糸を使って宿に戻りました。相変わらず魔物の強烈な攻撃を受けてヒイロが何度も倒れていましたがいつもの光景です。
マギニアに戻り、手にした素材をネイピア商会で売り払ってから足りなくなった薬品等を補充。今日はネイピアとアオの壮絶な値引き合戦はなかったとか。
その後はクワシルの酒場に寄らずに湖の貴婦人亭に戻り、次の探索の準備を進めたり食事をとって休息したりと平和な夜の時間を過ごし、明日に備えて就寝しました。
そして、夜明けと共に目を覚ましたらまたいつものように探索……となるハズだったのですが、今日はいつもより少し……どころかかなり様子が違いました。
「困ったことになったな。出口がない」
「うん。部屋……みたいだけど、扉もなければ窓もないもんねここ」
「このままではいずれ部屋の酸素が無くなり、窒息死してしまう可能性も考えられる。一刻も早く外に出る手段を考えないとな」
「やめてよ怖いこと言うの……」
顔を青くさせたヒイロを見てギンは“すまない”と、あまり感情のこもってなさそうな声で謝罪をしてから壁や床をぺたぺた触り始めます。何をしているのかさっぱり分からないヒイロはぽかんとしたまま彼の行動を見守るだけ。
ひとしきり壁や床を触り終えたギンは手の埃を静かに払いながらヒイロを見据えて、
「風の流れが全く無い」
「確認してたんだね……でも、どうしてこんな……」
「明らかに人の手による犯行と見て間違いないだろうが、何故私たちを陥れてようとしているのだろうか?意図が全く掴めない」
腕を組んで考えてはみるもののこれといって明確な答えが出るといった事はなく、頭の中でぐるぐる回るばかり。
ヒイロも一応考えてはいますが、ギン同様答えは出ずに確信のない予想ばかり飛び出します。
「うーん、精鋭ギルドを妬んでの犯行とかどこかで恨みを買っていてその報復とかあるいは……俺の仕事関係とか」
「ふむ、その可能性もあるな」
「ごめん!」
突然、大声で謝罪したかと思えばヒイロはギンの目の前で土下座。いつも樹海内で情けない悲鳴を上げている彼が今日はより一層情けなく見えてしまいます。
しかしギン、表情を一切変えずに首を傾げてキョトンとするばかり。
「む?どうしてヒイロが謝罪するんだ?」
「だってだって!俺の仕事関係でどこかしらから恨まれて君に迷惑をかけちゃってるんでしょ!?俺だけの問題なのに!無関係な君まで巻き込んで!」
「別に気にしていないが」
「気にしよう!?」
本気と本音でそう答えるギンが気を使って言っていないとヒイロは知っています。だからこそ顔を上げての絶叫でした。
「そんなに気に病むな、お前1人でこんな場所に閉じ込められていたら恐らく我を忘れてパニック状態に陥るだろう?冷静さを失えば生存率はぐっと下がる。なら、私も一緒に巻き込まれて正解じゃないか」
「そう言われると否定できないけど……だけどもし君に何かあったらアオやシエナに顔向けできないよぉ俺……」
「最悪の可能性を考えるのは後だぞ。一応手がかりはある」
「本当!?」
その一言だけでヒイロはパッと、花が咲いたような笑顔を浮かべました。やはり持つべきものは常に冷静沈着な頼りに友人なんだなぁ……なんて、心の底から安堵。
彼とは対照的に仏頂面のギンは、ズボンのポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出します。
「それは?」
「気が付いたら入っていた。ズボンに紙を入れた覚えはないから不思議だったのだが……恐らく、私たちをここに閉じ込めた者からのメッセージだろう」
「ウッソ!?何て書いてあるの!?脅迫文とか!?」
「“ここから出たければ相手と性行為しろ”とだけある。新聞や雑誌の文字を切り抜いて作ったコラージュで」
「………………」
ヒイロは言葉を失いました。
人間、心底驚いた時には言葉を失うモノだと聞いたことがあります。魔物に怯え、驚き、悲鳴をあげる自分の性分からは無縁だろうと思っていたのですが意外や意外、その俗説も自分に適応するのだと一瞬だけ関心してしまいました。
「この白ばかりの部屋にどうしてベッドだけが置いてあるのかと不思議ではあったのだが……なるほど、性行為をするためにわざわざ設置してくれたということか、親切だな」
「……いや、待って、ちょっと待って?」
「どうした?」
とんでもない事実を突きつけられてもギンは冷静、動揺する素振りすら見せずに首を傾げてキョトンとしています。
「あの、えっと、えっとね?その紙に書いてた性行為って……その、あの、うーんと」
「セックスのことか」
「ちょっと待ってぇぇぇぇぇ!?」
突然立ち上がったヒイロはギンの肩を掴み、前後にガックガク振ります。ギンは特に抵抗することもなくされるがままで、
「どうしたんだ?」
なんていつもと同じ声色で尋ねるものですからヒイロの動揺が促進されるワケでして。
「いやいやいやいやいや!?どうしたもこうしたもないよ!?俺とギンがここでセ……しないと出れないってコト!?」
「紙に書いてある通りならな」
「無理だよぉぉぉぉ!なんで!?どうして!どうしてこうなっちゃったのぉ!?」
「落ち着け」
静かに叱られたところでヒイロの手が止まり、ギンは自由の身になりました。
乱れてしまった髪を整える彼とは真逆に、ヒイロはその場に崩れ落ちるとベッドの上に上半身だけ預けて泣き始めるのでした。
「うっうっ……俺が撒いたかもしれない種のせいでこんな……こんな……」
「同性との性行為に抵抗を感じてしまう気持ちはあまり理解できないが、手がかりがこれしかない以上はその通りにするしかないだろう」
「あ……そこは分からないんだね……」
「そうだな」
異性への劣情よりも先に同性への劣情を覚えてしまった彼は正直者であり、残酷でした。
「抵抗ってのもあるけどさぁ……俺が一番気にしてるのは君のことだよ……」
「私?何故だ?」
「だってアオに申し訳ないもん……」
「ああ」
今まで微塵も考えてなかったようなリアクションと声色に、ヒイロはとっさに振り向いて、
「“ああ”じゃないよ!?両片想いというかほぼほぼ両想いの君たちの間に俺が割り込んでくるような感じになっちゃうじゃない!俺は嫌だよ!2人の仲を引き裂く間男みたいな役割になるの!」
「気を遣ってくれているのはありがたいが、一度だけの過ちとして処理するしかないだろう。モタモタしていると酸欠状態に陥ることもあり得る空間だ、助けを待つ余裕も他の方法を試す時間もないぞ」
「ううう……」
後ろめたい気持ちは強いですがギンの言うことも最もです。あまり時間は残されてない今、やれることは1つだけ。抱くか抱かれるか。
言葉を失って再び顔を伏せてしまった頭に、ギンはそっと手を置いて、
「自分よりも私に気を遣ってくれるお前の気持ちは嬉しかったぞ」
「ギン……」
顔を上げたヒイロの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしましたが、ギンは嫌な顔1つせずそっとハンカチを渡すのでした。
「ごめん、ありがとう……」
「気にするな。拭いたらやることを始めてしまおう」
「アッハイ」
あくまで事務的に言うものですからどうしても気が抜けてしまいます。どんな物事も淡々とこなす彼らしいと言えば彼らしいですが、こうも感情の起伏が少ないと付き合いの長いヒイロでも心配になります。
「でも……君の場合は、仕方ないよね……」
「何がだ?」
「ううん、何でもないよ」
首を傾けるギンの疑問には答えず、ヒイロはハンカチで顔を拭いてから“後で洗って返すから”と言って、自分のズボンのポケットにしまい込みました。
「よし、なら始めるか」
まるで簡単な作業でも始めるかのように切り出した彼は、ぽかんとしているヒイロをベッドに押し倒します。
「え」
すぐに状況を理解できなかったヒイロ、間抜けな声を出すと同時に背中からベッドの上に着地して、スプリングで少しだけ体が跳ねます。
そして、顔の横に付かれたギンの右手が視界の端に見えた途端に我に返りました。
「え、へ?え?」
「どうした?」
目を白黒させているヒイロの様子が気になったのか、ギンが淡々と尋ねると、
「いや、あの、その?あれ?俺が下……なの?」
「そうだが」
「……なんで?」
「お前が私を抱く自信があるのか?」
「…………………………ないです」
同性はもちろん異性とも経験がない彼にその質問は残酷でした。思わず顔を覆ってしまうものの、ギンはその手を静かに退けて、
「そう不安な顔をするな。私だってアオ以外とは経験がないが何とかなるだろう」
「う、うん?そういう意味じゃなくてね?あの、えっと」
「む?ハッキリ言ってもらわないと分からないが?」
「いやぁ……男としてこうやってヤられる側になるって、そこそこ屈辱と言いますか良い気分じゃないといいますか複雑と言いますか……」
「そうなのか?」
「そうなの……」
今までに置かれた環境が特殊なギンは、男としての性で悩むヒイロの気持ちを理解することができません。
それはヒイロ自身もよくも分かっていますし、こうしてギンが首を傾げてしまうのも、仕方がないと受け入れてはいますが。
「君にはアオがいるから別にいいのかな……」
「む?」
「何でもないよ、もう煮るなり焼くなり好きにしていいから」
「私は人肉を食べる趣味も興味もないのだが」
「知ってる……」
この若干ズレている返答にもすっかり慣れてしまいました。ごくごく普通の人ならこのやりとりだけで多少なりのストレスを感じてしまったり激昂していたのかもしれません。
しかし、彼の相手をしているのはヒイロです。自分のことは二の次で他人の心配ばかりするお人好し、過去の出来事のせいで人として大切なある感情だけがすっぽり抜け落ちてしまっていますが、それを除けばお節介の良人なのでギンの言動ぐらいで怒ったりしないのです。
「もういいよ、君の好きなタイミングで始めていいからさ」
「分かった。しばらく目を閉じている間に終わらせるから安心してくれ」
「うん……」
もう大人しくしてされるがまま、彼に抱かれるしかない。
覚悟を決めたヒイロはギュッと目を閉じ、心の中でアオに何度も謝罪の言葉を繰り返します。
暗闇の中でシーツが擦れ合う音がいやに耳につき、彼の手が腰に触れて息を飲んで、
ぴんぽーん♪
突然、部屋に響いたチャイムのような明るい音で、官能的に染まりつつあった意識が一気に引き戻されました。
「む?」
「へ?」
ギンが顔を上げ、ヒイロが目を開けて、白い部屋を再び見回します。
よく見なくても分かります。ベッドの正面、さっきまで壁だった場所にいつの間にか、高さ2メートル、幅80センチほどの長方形の穴が空いていることを。
『…………』
出口です。お疲れ様でした。
白い部屋から脱出できた頃にはマギニアの街はすっかり夕闇に染まり、冷たい空気が風になって肌に当たり、カラスが寂しそうに鳴いていました。
どうやら丸一日行方不明になっていたらしい2人は宿に帰るなり盛大に心配され、何があったのかとか大丈夫だったのかとか怪我はなかったのかとかどこに行ってたんだとか怒涛の質問攻めに遭うも、ギンが1つずつ丁寧に、性行為の件については触れずに答えていきました。なぜかヒイロは無言でした。
一番心配していたシエナは顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにさせて大号泣。ギンにしがみついて離れなかったとか。
「ふむ、さすがに半日以上も行方不明になれば心配されるものか」
「当たり前だ馬鹿!」
泣き続けるシエナの頭を撫でるギンの感心した声に、すかさずアオの怒声が飛びました。
少女と同じかそれ以上心配していたのでしょうが、面倒くさい性格故にそれを表に出すことはありませんでした。
「……」
そんな賑やかな情景から離れるように、フラフラと宿の出入り口のドアへと向かうヒイロをルノワールが見つけました。
「どこに行くんだい?」
「ちょっと犯人を探してみるよ……どういう意図があってあんなことをしたのか、どうしてあのタイミングで出してくれたのか、徹底的に聞き出してくる……たぶん今日は帰らない……」
まるで三日三晩不眠不休で働いた労働者のような低い声色と負のオーラを身に纏い、他のメンバーが止めるのも聞かずに外へ出てしまいました。
「あ……えっと、気をつけてね……?」
彼の言葉の意味が何一つサッパリ理解できなかったルノワール、目をぱちくりさせてその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
後日、ギルドからある冒険者の名前が消滅したそうですが、とてもよくある話なので特に話題にはならなかったといいます。
2018.12.24
白い壁に白い床、天井にからぶら下がっている電球の色も白という、もはや狂気的に白が好きな人物がデザインしたのではないかと思わせるほど白い部屋に閉じ込められた冒険者が2人。
1人はナイトシーカーの青年で名前はヒイロ。もう1人はレンジャーのギン。
彼らはマギニアでも一二を争う有名ギルド「クアドラ」のエースメンバーであり、付き合いも長い友人同士です。
「ここはどこだ?」
「わからない……」
今まさに自身に起こっている異常事態に対しても、すぐにパニック状態に陥らなかったのは不幸中の幸いでしょうか、2人は冷静に自分たちの記憶を遡り、ゆっくりと整理していきます。
それらを簡潔にまとめると。
昨日は朝から探索を行い空が夕闇に染まった頃に切り上げて、糸を使って宿に戻りました。相変わらず魔物の強烈な攻撃を受けてヒイロが何度も倒れていましたがいつもの光景です。
マギニアに戻り、手にした素材をネイピア商会で売り払ってから足りなくなった薬品等を補充。今日はネイピアとアオの壮絶な値引き合戦はなかったとか。
その後はクワシルの酒場に寄らずに湖の貴婦人亭に戻り、次の探索の準備を進めたり食事をとって休息したりと平和な夜の時間を過ごし、明日に備えて就寝しました。
そして、夜明けと共に目を覚ましたらまたいつものように探索……となるハズだったのですが、今日はいつもより少し……どころかかなり様子が違いました。
「困ったことになったな。出口がない」
「うん。部屋……みたいだけど、扉もなければ窓もないもんねここ」
「このままではいずれ部屋の酸素が無くなり、窒息死してしまう可能性も考えられる。一刻も早く外に出る手段を考えないとな」
「やめてよ怖いこと言うの……」
顔を青くさせたヒイロを見てギンは“すまない”と、あまり感情のこもってなさそうな声で謝罪をしてから壁や床をぺたぺた触り始めます。何をしているのかさっぱり分からないヒイロはぽかんとしたまま彼の行動を見守るだけ。
ひとしきり壁や床を触り終えたギンは手の埃を静かに払いながらヒイロを見据えて、
「風の流れが全く無い」
「確認してたんだね……でも、どうしてこんな……」
「明らかに人の手による犯行と見て間違いないだろうが、何故私たちを陥れてようとしているのだろうか?意図が全く掴めない」
腕を組んで考えてはみるもののこれといって明確な答えが出るといった事はなく、頭の中でぐるぐる回るばかり。
ヒイロも一応考えてはいますが、ギン同様答えは出ずに確信のない予想ばかり飛び出します。
「うーん、精鋭ギルドを妬んでの犯行とかどこかで恨みを買っていてその報復とかあるいは……俺の仕事関係とか」
「ふむ、その可能性もあるな」
「ごめん!」
突然、大声で謝罪したかと思えばヒイロはギンの目の前で土下座。いつも樹海内で情けない悲鳴を上げている彼が今日はより一層情けなく見えてしまいます。
しかしギン、表情を一切変えずに首を傾げてキョトンとするばかり。
「む?どうしてヒイロが謝罪するんだ?」
「だってだって!俺の仕事関係でどこかしらから恨まれて君に迷惑をかけちゃってるんでしょ!?俺だけの問題なのに!無関係な君まで巻き込んで!」
「別に気にしていないが」
「気にしよう!?」
本気と本音でそう答えるギンが気を使って言っていないとヒイロは知っています。だからこそ顔を上げての絶叫でした。
「そんなに気に病むな、お前1人でこんな場所に閉じ込められていたら恐らく我を忘れてパニック状態に陥るだろう?冷静さを失えば生存率はぐっと下がる。なら、私も一緒に巻き込まれて正解じゃないか」
「そう言われると否定できないけど……だけどもし君に何かあったらアオやシエナに顔向けできないよぉ俺……」
「最悪の可能性を考えるのは後だぞ。一応手がかりはある」
「本当!?」
その一言だけでヒイロはパッと、花が咲いたような笑顔を浮かべました。やはり持つべきものは常に冷静沈着な頼りに友人なんだなぁ……なんて、心の底から安堵。
彼とは対照的に仏頂面のギンは、ズボンのポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出します。
「それは?」
「気が付いたら入っていた。ズボンに紙を入れた覚えはないから不思議だったのだが……恐らく、私たちをここに閉じ込めた者からのメッセージだろう」
「ウッソ!?何て書いてあるの!?脅迫文とか!?」
「“ここから出たければ相手と性行為しろ”とだけある。新聞や雑誌の文字を切り抜いて作ったコラージュで」
「………………」
ヒイロは言葉を失いました。
人間、心底驚いた時には言葉を失うモノだと聞いたことがあります。魔物に怯え、驚き、悲鳴をあげる自分の性分からは無縁だろうと思っていたのですが意外や意外、その俗説も自分に適応するのだと一瞬だけ関心してしまいました。
「この白ばかりの部屋にどうしてベッドだけが置いてあるのかと不思議ではあったのだが……なるほど、性行為をするためにわざわざ設置してくれたということか、親切だな」
「……いや、待って、ちょっと待って?」
「どうした?」
とんでもない事実を突きつけられてもギンは冷静、動揺する素振りすら見せずに首を傾げてキョトンとしています。
「あの、えっと、えっとね?その紙に書いてた性行為って……その、あの、うーんと」
「セックスのことか」
「ちょっと待ってぇぇぇぇぇ!?」
突然立ち上がったヒイロはギンの肩を掴み、前後にガックガク振ります。ギンは特に抵抗することもなくされるがままで、
「どうしたんだ?」
なんていつもと同じ声色で尋ねるものですからヒイロの動揺が促進されるワケでして。
「いやいやいやいやいや!?どうしたもこうしたもないよ!?俺とギンがここでセ……しないと出れないってコト!?」
「紙に書いてある通りならな」
「無理だよぉぉぉぉ!なんで!?どうして!どうしてこうなっちゃったのぉ!?」
「落ち着け」
静かに叱られたところでヒイロの手が止まり、ギンは自由の身になりました。
乱れてしまった髪を整える彼とは真逆に、ヒイロはその場に崩れ落ちるとベッドの上に上半身だけ預けて泣き始めるのでした。
「うっうっ……俺が撒いたかもしれない種のせいでこんな……こんな……」
「同性との性行為に抵抗を感じてしまう気持ちはあまり理解できないが、手がかりがこれしかない以上はその通りにするしかないだろう」
「あ……そこは分からないんだね……」
「そうだな」
異性への劣情よりも先に同性への劣情を覚えてしまった彼は正直者であり、残酷でした。
「抵抗ってのもあるけどさぁ……俺が一番気にしてるのは君のことだよ……」
「私?何故だ?」
「だってアオに申し訳ないもん……」
「ああ」
今まで微塵も考えてなかったようなリアクションと声色に、ヒイロはとっさに振り向いて、
「“ああ”じゃないよ!?両片想いというかほぼほぼ両想いの君たちの間に俺が割り込んでくるような感じになっちゃうじゃない!俺は嫌だよ!2人の仲を引き裂く間男みたいな役割になるの!」
「気を遣ってくれているのはありがたいが、一度だけの過ちとして処理するしかないだろう。モタモタしていると酸欠状態に陥ることもあり得る空間だ、助けを待つ余裕も他の方法を試す時間もないぞ」
「ううう……」
後ろめたい気持ちは強いですがギンの言うことも最もです。あまり時間は残されてない今、やれることは1つだけ。抱くか抱かれるか。
言葉を失って再び顔を伏せてしまった頭に、ギンはそっと手を置いて、
「自分よりも私に気を遣ってくれるお前の気持ちは嬉しかったぞ」
「ギン……」
顔を上げたヒイロの顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになってしましたが、ギンは嫌な顔1つせずそっとハンカチを渡すのでした。
「ごめん、ありがとう……」
「気にするな。拭いたらやることを始めてしまおう」
「アッハイ」
あくまで事務的に言うものですからどうしても気が抜けてしまいます。どんな物事も淡々とこなす彼らしいと言えば彼らしいですが、こうも感情の起伏が少ないと付き合いの長いヒイロでも心配になります。
「でも……君の場合は、仕方ないよね……」
「何がだ?」
「ううん、何でもないよ」
首を傾けるギンの疑問には答えず、ヒイロはハンカチで顔を拭いてから“後で洗って返すから”と言って、自分のズボンのポケットにしまい込みました。
「よし、なら始めるか」
まるで簡単な作業でも始めるかのように切り出した彼は、ぽかんとしているヒイロをベッドに押し倒します。
「え」
すぐに状況を理解できなかったヒイロ、間抜けな声を出すと同時に背中からベッドの上に着地して、スプリングで少しだけ体が跳ねます。
そして、顔の横に付かれたギンの右手が視界の端に見えた途端に我に返りました。
「え、へ?え?」
「どうした?」
目を白黒させているヒイロの様子が気になったのか、ギンが淡々と尋ねると、
「いや、あの、その?あれ?俺が下……なの?」
「そうだが」
「……なんで?」
「お前が私を抱く自信があるのか?」
「…………………………ないです」
同性はもちろん異性とも経験がない彼にその質問は残酷でした。思わず顔を覆ってしまうものの、ギンはその手を静かに退けて、
「そう不安な顔をするな。私だってアオ以外とは経験がないが何とかなるだろう」
「う、うん?そういう意味じゃなくてね?あの、えっと」
「む?ハッキリ言ってもらわないと分からないが?」
「いやぁ……男としてこうやってヤられる側になるって、そこそこ屈辱と言いますか良い気分じゃないといいますか複雑と言いますか……」
「そうなのか?」
「そうなの……」
今までに置かれた環境が特殊なギンは、男としての性で悩むヒイロの気持ちを理解することができません。
それはヒイロ自身もよくも分かっていますし、こうしてギンが首を傾げてしまうのも、仕方がないと受け入れてはいますが。
「君にはアオがいるから別にいいのかな……」
「む?」
「何でもないよ、もう煮るなり焼くなり好きにしていいから」
「私は人肉を食べる趣味も興味もないのだが」
「知ってる……」
この若干ズレている返答にもすっかり慣れてしまいました。ごくごく普通の人ならこのやりとりだけで多少なりのストレスを感じてしまったり激昂していたのかもしれません。
しかし、彼の相手をしているのはヒイロです。自分のことは二の次で他人の心配ばかりするお人好し、過去の出来事のせいで人として大切なある感情だけがすっぽり抜け落ちてしまっていますが、それを除けばお節介の良人なのでギンの言動ぐらいで怒ったりしないのです。
「もういいよ、君の好きなタイミングで始めていいからさ」
「分かった。しばらく目を閉じている間に終わらせるから安心してくれ」
「うん……」
もう大人しくしてされるがまま、彼に抱かれるしかない。
覚悟を決めたヒイロはギュッと目を閉じ、心の中でアオに何度も謝罪の言葉を繰り返します。
暗闇の中でシーツが擦れ合う音がいやに耳につき、彼の手が腰に触れて息を飲んで、
ぴんぽーん♪
突然、部屋に響いたチャイムのような明るい音で、官能的に染まりつつあった意識が一気に引き戻されました。
「む?」
「へ?」
ギンが顔を上げ、ヒイロが目を開けて、白い部屋を再び見回します。
よく見なくても分かります。ベッドの正面、さっきまで壁だった場所にいつの間にか、高さ2メートル、幅80センチほどの長方形の穴が空いていることを。
『…………』
出口です。お疲れ様でした。
白い部屋から脱出できた頃にはマギニアの街はすっかり夕闇に染まり、冷たい空気が風になって肌に当たり、カラスが寂しそうに鳴いていました。
どうやら丸一日行方不明になっていたらしい2人は宿に帰るなり盛大に心配され、何があったのかとか大丈夫だったのかとか怪我はなかったのかとかどこに行ってたんだとか怒涛の質問攻めに遭うも、ギンが1つずつ丁寧に、性行為の件については触れずに答えていきました。なぜかヒイロは無言でした。
一番心配していたシエナは顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにさせて大号泣。ギンにしがみついて離れなかったとか。
「ふむ、さすがに半日以上も行方不明になれば心配されるものか」
「当たり前だ馬鹿!」
泣き続けるシエナの頭を撫でるギンの感心した声に、すかさずアオの怒声が飛びました。
少女と同じかそれ以上心配していたのでしょうが、面倒くさい性格故にそれを表に出すことはありませんでした。
「……」
そんな賑やかな情景から離れるように、フラフラと宿の出入り口のドアへと向かうヒイロをルノワールが見つけました。
「どこに行くんだい?」
「ちょっと犯人を探してみるよ……どういう意図があってあんなことをしたのか、どうしてあのタイミングで出してくれたのか、徹底的に聞き出してくる……たぶん今日は帰らない……」
まるで三日三晩不眠不休で働いた労働者のような低い声色と負のオーラを身に纏い、他のメンバーが止めるのも聞かずに外へ出てしまいました。
「あ……えっと、気をつけてね……?」
彼の言葉の意味が何一つサッパリ理解できなかったルノワール、目をぱちくりさせてその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
後日、ギルドからある冒険者の名前が消滅したそうですが、とてもよくある話なので特に話題にはならなかったといいます。
2018.12.24