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世界樹の迷宮X

 マギニアに夏が到来しました。
 一年において太陽が一番絶好調な季節。元気すぎて照らしている人々を度々体調不良に陥れたりしていますが、大自然が人に配慮するワケがないため理不尽な横暴は続くのです。
 気温が今年最高値を記録しても冒険者のやることは変わりませんしマギニアの街並みのいつも通りです。さすがに気温が高すぎるため外に出ている人は少ないようですが、夕方になって少し気温が落ち着けば外を出歩く人も増えるでしょう。
 ヨルムンガンドを倒したことで知らぬ者などいなくなった有名ギルドのクアドラは、今日を探索休業日にしているため、お出かけしたりデートしたり宿でだらけたりしているワケで。
「…………あつい」
「…………うるさい」
 夏の暑さのせいか湖の貴婦人亭ロビーにはカウンターでうなされながら眠っているヴィヴィアンだけでなく、テーブルに伏しているルノワールとアオがぼやくだけで他は誰もいません。二人とも、いつもの服装ではなくシャツと丈の短いズボンという、涼しさを求めたスタイルです。
 彼らも特にやることもなく、部屋でだらけているのも暑いためロビーに避難してきたのですが、窓を全開にしても自然の風の出入りはゼロ、蒸すような暑さに襲われている真っ最中でした。
「蒸し暑くなったぐらいで僕の可愛さは揺らがないけど……僕の可愛さのせいで太陽が超絶最高潮になってこの暑さを生み出しているというのなら……世界の定めだよ……」
「お前のせいなら謝罪しろよ……」
「やだよ……癪に触るじゃん……」
「もう喋るな……」
 いつもは大声で言い合っている二人も暑さのせいですっかり参っており、会話の内容はともかく気迫ゼロ。今にも溶けてしまいそうです。
 かれこれ数十分もずっと伏せたままだったのでいい加減腕が疲れてきたアオ、ゆるゆると頭を上げて気付きます。
「そういや……今日は珍しくポニーテールにしてるんだな」
「今気付くそれ……? 暑すぎてこのままじゃ僕の可愛さに関わる……って嘆いてたらギンに結んでもらったんだよ……」
「同じ髪型のワケだな……」
 暑さのせいで会話を継続する気になれず、それ以上の感想は言わないでおくと、宿の玄関が鈴の音を響かせながら開きます。
「うわー暑さでやられてるー」
 帰って早々に伏してる二人を見て、声を上げた男はキキョウでした。この猛暑でもいつものブシドースタイルですね、女モノの。
「キキョウかーこんな猛暑の中で外を出歩いてるなんてすごいねー頭大丈夫―?」
「褒めるのか貶すのか決めてから話かけてくんね? つーかまずは顔を上げね?」
 苦情によりルノワールはしぶしぶ顔を上げてちゃんとキキョウを見ます、どこか虚ろな目で。
「それで何してたの……?」
「マーリンを探してた。猫って涼しい場所を見つけるのが得意だから避暑スポットを知ってるかなーって思っ」
 話の途中ですがアオとルノワールは椅子を蹴って立ち上がりました。
「わおぉ! 避暑を欲する熱い想いがヤベェな!? 探索する時でもそんな迫力してなかったじゃん!?」 
「コノヨノ、ヒショ、ボクノ、モノ」
「ヒショヲ、ヨコセ」
 緑の瞳と赤と青の瞳が真夏の太陽を彷彿させる程ギラギラしています。長い冒険者生活の中でも二人のこんな姿を見るのは初めてでした。
「欲の化身みたいじゃん!? てか今から出て行っても無駄だぞ!? マーリン見つからなかったから!」
 そして静かに着席しました。
「使えないヤツめ……」
「ストレートな罵倒じゃん」
 メンタルが強靭なキキョウはアオのオブラートに包まれない暴言には屈しません。猛暑でもいつも通りだなぁと感想を抱きながら、二人をぼんやり眺めるだけです。
「涼しくなりたいんだったら奈落ノ霊堂でも行ってこい。俺は面倒だから行かんが」
「んー、確かに奈落ノ霊堂は涼しいっちゃ涼しいけどよ……」
 キキョウはめんどくさそうに頭を掻いて渋い顔。
 奈落ノ霊堂は世界樹の麓にあるレムリア最後の迷宮、凶悪で凶暴な魔物が跋扈している危険な地であるため、避暑地に使えるかといえば微妙なところです。
 すると、ルノワールは首を傾げて些細な疑問。
「なんであんなに涼しいんだろうねあの迷宮、日の光があまり入ってこないからかな?」
「それだけじゃないような気ぃすっけどなぁ」
「え」
 ルノワールとキキョウの会話を遮るように声を上げたのはアオでした。彼にしては珍しいちょっと気の抜けた声で、まるで「なんで?」と悪気なく訪ねるような。
 二人は一斉に彼を見ます。目を丸くさせてギルマスの悪魔を見ます。
 静かに注がれる視線から目を逸らした彼は、ロビーの薄茶色の壁を眺めながら、
「そうか……お前たちは……ああ、そうだな、わからなかったな……」
 静かに、意味ありげな言葉をぼやいたのでした。
「えっなに!? ちょ、ちょっとアオ!? 本当に何の話!?」
「まってまて! 奈落ノ霊堂に何が! 何が存在して何の悪事を働いているんだ!? 教えろ! 教えろギルマスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」
「なんのことだろうなー」
 棒読みの手本のような棒読みが炸裂しました。更に、
「召喚されてない死霊なんてみたことないからなー」
「召喚されてない死霊って何だよ!? つーか死霊って何だよ!!」
「そうめんができたぞ」
 食堂に続く廊下から顔を出したのはいつもの服装のギン、熱気のこもりやすい厨房にいたのでしょうか、上から下まで汗でびっしょりです。
「ナイスタイミングだぞギン」
「ギンちゃん空気読んで!」
「どっちなんだ?」





 盛り塩を買いに行くと豪語したキキョウが再び外出してしまったため、湖の貴婦人亭一階の食堂にはアオとルノワールとギンの三人だけが集まっていました。なお、汗だくだったギンは強制的に着替えさえられて半袖シャツと短パン姿になっています。
 ここの食堂は宿泊客だけでなく、腹を満たしに来た冒険者やマギニアの住民の憩いの場にもなっているのですが、猛暑が原因なのかアオたち三人以外は誰もおらず、そこそこ広い食堂中央の長テーブルに集まってそうめんをすくい、おつゆ入り小鉢に移してすする姿はなんともシュールでした。
 目の前にアオとギンが並んで座る当たり前の光景を眺めながら、ルノワールは言い始めます。
「そうめん多くない? 僕たち三人だけじゃ食べきれないよこれ」
「そう思ってヴィヴィアンにもお裾分けしておいた。まだ寝ていたからカウンターに置いたぞ」
「ついでに菊の花も添えておいた」
「アオの隠しきれなかった悪意が滲み出てるじゃないか」
 その頃、何も知らない冒険者がカウンターで爆睡しているヴィヴィアンを発見し、自分は霊が見えると錯覚してパニックを起こしていますが割愛。
「食堂はまだ涼しいね、日当たりが悪いからかな?」
「冬場はクソ寒いけどな」
「シエナたちはまだ帰ってきていないのか?」
「そういや遅いねぇ。もうお昼時なんだしもうすぐお腹を空かせて帰ってくると思うけど」
「このクソみたいに暑い中、どうしてアイツらは全力で遊びに行けるんだろうな……」
「そりゃあ体力ゲージが制限無しに増大し続ける元気なお子様だからだよ。僕も若い時はそうだったなぁ……親友と一緒に翠緑ノ樹海で昆虫採集してたっけ……はさみカブトとかね」
「それは昆虫採集っつー枠に収まるのか」
「はさみカブトは甲羅焼きにすると美味だぞ」
「もう既に食ってやがる」
「実は意外でもないけどねぇ」
「そうなのか?」
「あとギンはおつゆにすりおろし生姜を入れすぎだと僕は思う」
「そうか?」
「アホみたいな量のネギも入れやがって……薬味の味しかしないだろそれ」
「美味だが?」
「魔物食が多すぎて味覚がちょっとやばい方向に進化してるんじゃない?」
「成長は良いことだ」
「話が通じねぇ……」
「安定の天然だったねぇ」
「ふむ……しかし、暑い時はそうめんが良いとヒイロから教わったが、麺だけでは物足りないな。次からは肉を入れみるか……ロース、ロースがいいな。分厚いモノがいい」
「お肉が食べたいなら素直にそう言いなよ。僕は遠慮しとくけど」
「何故だ? 夏バテ防止にもなって良い案だと思ったのだが」
「お前の好きなロース肉とそうめんとの相性が最悪なんだっつーの、分かれよ」
「む?」
『汚れなき眼を向けるな』
「ふむ?」
「……ところで、さっきからセミの声がうるさくな」

『ただいま!!』

 会話の最中、元気の塊が直接殴りかかってくるような挨拶が響いたため、すぐに食堂の出入り口に目をやる三人。
 挨拶の主はシエナ、レマン、カナリー、ミモザのクアドラお子様軍団の四人。シエナは白いワンピース姿ですが、レマンたち兄妹はノースリーブのシャツに半ズボンという動きやすい格好で、全員お揃いの麦わら帽子までかぶっています。
 今朝早くから遊びに行ったきりでしたがようやく帰って来たようで、
「セミいっぱいとった!!」
 麦わら帽子の下から満面の笑みを浮かべるシエナの手には、竹を編んで作った手作り虫籠。そして、その中にはいっぱいに詰められたセミたちがおり、虫が生理的に苦手な人間が見てしまえばパニックを起こしてしまうことでしょう。
『どわぁ!?』
 虫が苦手でなくても悲鳴をあげる三人の大人。これだけでもおぞましい光景かもしれませんが、加えてセミたちによる最後の抵抗という名の鳴き声が繰り出されており。食堂はあっという間にセミの大合唱に包まれます。
 その騒音ミンミンたるやもはミーンミンミや耳を塞ぎたくなジジジジジジジジるほど、どうして子供たジリジリジリジリちはこの中でミミミミミミミミミミも笑顔を浮かべられるジーッジージジジジジリのか、大人にミジミジジミミミジイリミンミジジジミージーは心底理解できなジジリミミミンミンンミンリジジジリジリリジーッミーミーミーンジジミーピーキージリミい光景でした。
 うるさいですね。
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ!! 何で持って帰ってきたんだお前ら!!」
「自慢したかったからな!!」
「シエナってすごいんですよ!! セミを見つけるのが上手なんです!!」
 セミの大合唱の中での叱咤と自慢は人間による絶叫によって繰り広げられます。宿から営業妨害だとクレームが入ってもおかしくないレベルです。
「自慢したくなってもそのままの状態で持って帰らないでしょ! ホント子供って加減を知らないんだから!」
「みんみん!」
「ミンミン!」
 ルノワールの叫びも汗だくではしゃくカナリーとミモザの耳には届いていません。飛び跳ねながらセミの鳴き真似をして遊ぶばかりで、さっきから落ち着きがありません。
「セミは炙ると美味だぞ」
 ぼそりと呟いたギンの言葉はセミの鳴き声にかき消され、誰にも届きませんでした。





 アオとルノワールが鬼の形相での叱りつけた結果、セミたちは宿の玄関先で一斉リリース。再び自由を得たセミたちは一斉に飛び立ち、短い生を謳歌する旅に出たのでした。
 ……が。ロビー中でのセミの鳴き声はまだ鳴り止みません。音量が大幅ダウンしたのは事実ですが。
「やっぱりセミがうるさいな……宿に何匹が入り込んだんじゃないのか?」
「えーやだーやめてー」
「セミは炙ると美味」
「申し訳ありません」
 アオたちの後ろで急に声を上げたのはミズ、アーモロード深都出身の防衛型アンドロ。最近はお子様軍団のお目付役という役割を担っていますが、遊ばれているだけだという噂。
 謝罪のセリフとは裏腹に、全く申し訳なさそうな無愛想にも取れる表情の彼女は伊達眼鏡のフレームに触れ、位置を調整してからぺこりと頭を下げたので、一同は振り返って視線を向けました。
「先程、外出先でシエナ様たちにロケット頭突きのレクリエーションを渇望されてしまい、ご期待に添えることはできたのですが、胴体パーツと頭部パーツが離れている最中にセミの一匹が胴体に潜入してしまい、必死になって逃れようとしている様子なのであります」
『それかぁぁぁぁぁ!!』
 アオとルノワールの絶叫。ギンは顔色を変えることなくミズの右腕パーツを取って強制的に腕封じ状態にさせてから、胴体と繋がっている腕に耳を傾けます。
「ふむ……確かに内部からより鮮明にセミの鳴き声がするな。胴体パーツ内は問題ないのか?」
「羽虫一匹が迷い込んだところで不具合を起こすほど軟弱な胴体ではないのでござる」
「そっか、ギンはアモロにいた頃からミズとの付き合いがあるんだっけ! ミズからセミを取り出せないの?」
「そういえば……!」
 ルノワールの明るい声でアオは気づきます。
 ギンはヒイロと共にマギニアに乗り込む一年ほど前から海都アーモロードに滞在し、その中でミズと出会い一緒に行動していた時期があるのです。本編とは関係ないので詳細はカットさせていただきます。
 ミズにとってはマスターの片割れでもあるギンは、静かに首を振り、
「前に一度ヒイロと共にミズの分解をしたことがあるが、戻し方が分からず一晩中四苦八苦してな。結局アンドロの専門店の世話になっていくらかの金を無駄に消費してしまった……素人が手を出すのはやめたほうがいい」
「うんわかった。どうして分解したの?」
「アーモロードの第三迷宮は溶岩地帯でな。ミズの胴体に肉や野菜を詰めておけば探索が終わった頃に蒸し焼き料理が完成している算段だった」
「アンドロを調理器具にしてんじゃねぇ」
 食に対しては並々ならぬ情熱を持つギンらしいアイディアですが、呆れ果てたアオはもはやため息すら出ません。
「もういい……ミズはネイピア商会に行って定期メンテついでにセミを取り出してもらえ。時期的に丁度良いだろ」
「了解致しましたでナマステ」
「何がどうしてそんな喋り方になるんだ」
 彼女の会話能力に不具合があって口調が安定しないのはいつものことなので、クアドラメンバー全員は常にスルーしているのですがこれは初めて聞きました。ルノワールはツッコミ放棄をして天井を眺めています。
 パーツ回収し右腕を治してから、ミズは一礼すると宿の玄関を開けて外に出ました。メンテのために。
 そして、
「セミみんな返したぞ!」
 騒がしさ代表のお子様軍団が入れ違いで戻ってきました。筆頭はシエナです。
「全部を野生に帰すなんて寂しいですよ、一匹ぐらい宿で飼ってもいいじゃないですかー」
 続いて不満そうなレマンが文句をぼやきますが、アオの目つきは一層鋭くなり、
「アイオリスの冒険者はな……セミを恨み妬み嫉み呪い殺意を抱きながら探索してたんだぞ……」
「ヒイィ……!」
 あまりの迫力に後ずさり、ロビーの隅っこに避難。雨に濡れた子猫のようにガタガタと震え始めたので、モミザがすかさず慰めに行きました。
 同じく元アイオリスの冒険者だったルノワールも、腕を組んで何度も頷き、
「痺れゼミ警報ゼミアシュラゼミ……アイオリスを代表する嫌われバグ三組だよ」
「みんみんわるいの?」
「みんみん悪い。僕らは縛り手段を持ってなかったから条件素材もめんどくさかったし……」
「わるいんだぁ」
 アオとルノワール、アイオリスの世界樹を踏破した冒険者の苦悩を知らないカナリーは大きく口を開け、関心したように話を聞いていたのでした。
 ロビー内がセミとは別の騒音に包まれると、ただでさえ暑さで寝苦しそうにしているヴィヴィアンがうなされ始め、文句を垂れつつ起きる直前、
「昼食のそうめんはできているぞ」
『食べる!!』
 ギンの一声でちびっ子たちは元気なお返事。おいしいそうめんを食べるために一斉に廊下に出ようとしますが、それよりも先に前に出たアオに遮られてしまいます。
「食べるのは着替えて汗を流してからだ。じゃないと食堂の敷居は跨がせん」
『えー!!』
 遠慮も配慮も知らない子供の文句文句の大合唱が出るのも当然でしたが、アオの背後から赤黒い瘴気がチラリと見えた途端に四人はぴしりと背筋を伸ばし、
『お風呂行くー!』
 踵を返し、まずは着替えを取りに行くために階段を駆け上り、それぞれの部屋へ散って行ったのでした。
「子供相手にも容赦しないよねぇ」
「ほっとけ」
 ルノワールの悪態にも吐き捨てるように答え、食堂に戻ろうとした矢先、
「リーダー! テーブルのバスケットの中身は捨てるなよー!」
 二階からシエナの声が響いたのでした。
「……バスケット?」
 アオだけでなくルノワールとギンもロビーのテーブルに目をやると、そうめんができる前は確かになかったバスケットが置いてあると気付きます。
 お弁当を詰めてピクニックに持って行く時に使う、蓋つきの籠バスケットが。
「なにこれ?」
 早速疑問を行動に移すルノワール、お子様軍団の許可も取らずに蓋を開けると即座に悲鳴をあげます。
「わおっ!?」
「これはセミの抜け殻だな」
 横から覗き込んできたギンの言葉通り、中に入っているのは大量のセミの抜け殻です。中身が無くなったことで乾いてパリパリになった薄茶色の殻たちが籠バスケットの中にぎっしり詰まっていました。
 抜け殻自体は珍しいモノでもありませんが、ここまで大量にあると虫が苦手でなくても多少の嫌悪感は抱いてしまうもので、顔を引きつらせるルノワールがその一つを摘み上げてまじまじ見ていると、アオもすぐ側まで寄って来ます。
「アイツらセミ採りしながら抜け殻採集もやってたのか……こんなモノ、夏の終わりに地面にバラ撒いて踏みしめながら季節の終わりを実感する時にしか使わないだろ」
「なにその特殊すぎる使用法、誰だいそんな捻くれた後始末してたの」
「ガキの頃の俺」
「君のその歪んだ性格って幼少期から基盤が固まっていたの?」
 そこはノーコメントを貫いたと言います。
「セミの抜け殻は食べられないがどうするんだ?」
「潰すしか用途がないからな……アイツらは何のつもりでここまで集めて……」
 食いしん坊レンジャーの言葉の意味を深く考えず、アオも抜け殻の一つをつまみ上げます。
 無数の抜け殻の中に晒されたせいで右の腕が折れてしまっており、空虚を見つめる瞳もより悲しげに見えてしまいます。
「…………抜け殻……」
 ぽつりとぼやいた刹那、何かが脳裏をよぎったのか、
『閃いた!!』
 アオとルノワールは顔を見合わせて目を輝かせ、ギンは首を傾げたのでした。





 夕方のことです。
「あー……疲れた~……先輩こき使いすぎだよぉ……」
 今日はフルタイムで組織のお仕事をしていたヒイロが、フラフラになりながらも男子部屋に帰って来るなり、目を丸くします。
「あれっ? カラスバいたの?」
「あ、ああ……」
 部屋の奥に佇んでいたのはブシドーの青年カラスバ、キキョウの兄、温厚、物静か、ブラコン。
 彼は元々別のギルドに所属していたのですが、ギルドマスターのお国の事情でギルドが解散したのをきっかけにクアドラに所属することになり、今は男子部屋に身を寄せながら探索に助力しています。
 そんなカラスバは、何故かばつの悪そうにヒイロから目を逸らすと、
「……すまない、俺の力ではどうすることも……できなかった」
 それだけ言って横を通り過ぎ、部屋から出てしまいました。
「えっ……なんで……謝られたの……?」
 呆然とする彼。当然の反応です。
 首を傾げるも、仕事の疲労もあったのであまり気にしないことにして、商売道具の剣を自分のベッドの横に立てかけ、脇にあるテーブルに短剣も置いて片付けを終わらせてから、大きく背伸び。
「晩御飯まで時間あるし、ちょっと寝よ~っと」
 着替えとか諸々が億劫だったため、そのままベッドにお腹からダイブ。洗濯さらたシーツが優しく彼を包

 ぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱきぱき

 む前に、固くて乾いたものが一斉に割れる音が耳元で響きました。近くで聞いたからわかります、これはシーツの下から発生したものだと……。





 湖の貴婦人亭ロビーではカリブがカウンターで寝ているマーリンを撫でていました。その横で眠っているヴィヴィアンには見向きもしないで。
 他人を信用しないタイプの彼でも動物に対しては心を開くようで、穏やかな表情を浮かべながら、ふさふさでふかふかの頭を撫でています。
 すると、階段から足音が、どたばたと騒音を奏でながら駆け下りてくるのが聞こえてくるではありませんか。
 途端に彼はマーリンから手を離し、両手で耳を塞ぎました。完全に耳を塞がずにこれから響くであろう絶叫による鼓膜のダメージを緩和するために。
 そして、想定通りのことが起こります。
「ねえカリブ! アオとルノワールとギン知らない!?」
 階段を降り切ってロビーに飛び込んですぐに叫んだヒイロの声に驚いたマーリンは逃走、カリブの静かなる癒しタイムは終わりを迎えました。
 ため息をつくカリブは知っています、ヒイロが叫ぶ理由を。きゃいきゃい言いながら仕込んでいた様をドアの隙間から見てどん引きしたのは記憶に新しいからです。だからちゃんと答えてやります。
「手持ち花火買いに行く~ってお子様軍団を引き連れてネイピア商会に買い物に行ったよ」
「逃げ足だけは早いんだからもうっ!!」
 罪もない壁を平手打ちで殴り、悔しさを精一杯表現しますが彼の人柄からなる柔らかな声色のせいで迫力は無く、情けない男が情けない様を晒している虚しい光景が現れるだけでした。
「……よく、君のベッドにセミの抜け殻を仕込んだのがあの三人だって分かったよね」
「こんなイタズラをするのはアオとルノワールしかいないもん! ギンはどうせあの二人に色々吹き込まれて変に納得してるに決まってるんだから! 付き合い長いから分かるもん!」
「へぇ」
 自分から質問したというのに心底興味ないような相槌しか打てませんでした。
 更に、今度は宿の玄関が勢いよく開いた刹那、
「お塩買えなかった!! カリブ!! お祓いして!!!」
 ヒイロよりも大声で叫ぶ男が飛び込んできました。キキョウという男でした。
 さっきよりも冷ややかな視線を向けたカリブは、淡々とこう言います。
「専門外」










「さっき玄関が開く前にすごい音したけど、何があったの?」
「玄関前にクソ野郎がいたからトドメ刺した!!」
「えっそれ仔犬くんのお兄さん? 生きてるの?」
「死んだ!!!」
 生きてます。
 玄関前で突き飛ばされ、ぬるい温度になった石畳の上にうつ伏せになって転がってしまっていますが、生きています。


2019.7.27
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