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冒険者の休日

 ペルセフォネ姫が迷宮に消えて数日経ったものの、目立った騒ぎは起こらず一応平和なマギニアの午後。
 湖の貴婦人亭の前で立ち尽くしている青年がいました。
「…………」
 マギニアではそこそこ有名かもしれないギルドに所属している、カラスバという名のブシドーです。性格は物静か、温厚、ブラコン。
 探索時は両手で刀を振るっているたくましい腕は、今は茶色い包みを抱えています。
「…………」
 彼に声をかける者はおらず、通り過ぎる人々は横目でチラチラと視線を向けるだけ。
 この宿の前にいるということはクアドラ関係者か……? という小声が時々耳に入りますが、その通りなので異論はありません。
 彼がこの場で石像のように固まっているのは、しっかりとした理由があります。
 所属している某ギルドは昨日、第十三迷宮の一部区域で大量発生したウサギの魔物を討伐し、その亡骸を持ち帰るクエストを受け、特に苦労もなく達成しました。
 そこまでは良かったのですが、彼らが想定してなかった点は二つ。
 一つはクエストの追加報酬が倒したウサギたちの肉だということ。
 もう一つはギルマスの王女がウサギの肉が大嫌いだということ。
 クエストを依頼したのが樹海料理を研究している料理人で、お世話になったお礼にという好意で余った肉をくれたのですが、王女は発狂絶叫の大惨事。
 散々わめき散らした挙句「一秒でも早く処分して!」とのご命令が出され、ギルドメンバーたちは手分けして知り合いたちにウサギ肉を配ることになり、カラスバは唯一の身内である弟のキキョウがいるギルド、クアドラにお裾分けすることにしたのです。
 キキョウには猛烈に嫌われていますがそれ以外のメンバーたちからは好印象を持たれています。特にシエナとレマンの仲良しコンビからは常に羨望の眼差しを向けられており、それがかつての弟の姿を重ねてしまって若干の罪悪感を覚えたりもしますが。
「……よし」
 いつまでも立ち尽くしている訳にはいきません。弟に会うのは若干気まずくもありますが、元気にしている顔を見るだけでもいいか……と、軽い気持ちでドアを開ければ、
「あ?」
 鋭い目つきで睨みを効かせる弟が立っていました。
「…………えっと」
「何しに来た」
「……これを、届けに……」
「は?」
「お……お裾分けで……」
「あん? 何で」
「ええと……王女が」
「俺の前で長々と喋ってんじゃねーよ」
「…………」
 この世で一番理不尽だと思った瞬間でした。
 そんな中、どす黒いオーラで実の兄を出迎えているキキョウの背中を見るメンバーが二人。
「ねえナギットーシエナとレマンはどうしたの?」
「始まり島でピクニックしてくるってよ……ほら、王手」
「あららータイミングが悪かったんだねカラスバも……ってかこれアタシまた詰み? ショーギって難しいな……なんでナギットってこんなに強いの?」
「お前の手が読みやすいんだっつーの」
 探索が無くて暇だったアオニとナギットです。アオニはいつもの装備から胸当てを外しているだけのラフな格好で、ナギットは鎧を脱いで長袖シャツに長ズボンという普通の私服姿。
 二人はヴィヴィアンが爆睡するカウンター横のロビーで、ショウギと呼ばれる東方の駒遊びをしてのんびり過ごしている最中でした。
 キキョウが一方的に敵意を向け、カラスバがひたすら困惑し続けている様を見せつけられていますが、アオニもナギットも助け舟を出す気はなく、兄弟のことは兄弟で解決しろ方針。本気で止めるのはキキョウが刀を抜いた時だけです。
 「兄弟は仲良くするべきだ!」と常に訴えているシエナがいれば、兄に敵意を向け続けているキキョウを止めることができますが、心優しい少女はこの場にいません。自体の収束の見込みは薄いでしょう。
 とは言ったものの、宿の入り口をいつまでも占領するのは良くありません。頭を抱え始めたアオニが諦めてたら止めに入るべきかとナギットが考え始めた時でした。
「それは何だ?」
 突然、キキョウとカラスバの間に飛び込んできた低い声。
 兄弟だけでなくアオニとナギットの視線を一斉に向けられた青年の名はギン、右手には白い紙袋が握られており、その中央には店の名前が判子されてます。
 音もない登場によって一瞬だけ静寂が流れましたが、キキョウによって沈黙は破られます。
「お帰りギンちゃん。今からクソカラスバを追い出すんだから割り込んで来るなよな」
「カラスバは届け物があって来たんだろう? なぜ拒む?」
「それは……ってか何で知ってんの? もしかして最初から聞いてた?」
「カラスバが宿に入った後に続いていたが」
「うっわ、俺としたことが大嫌いなクソカラスバを追い出すことに夢中でギンちゃんに気付いてなかった……」
 気配に敏感なプライドが少しだけ傷付きましたが、目の前で堂々と「追い出す」や「大嫌い」と発言されたカラスバの方がその倍は傷ついています。
 ピリピリしている親友を前にしても、ギンは不思議そうに首を傾げているだけでして、
「お裾分けと言っていたが……それなら受け取るべきではないのか?」
「そう……だけど」
 正論です。カラスバが嫌いなだけで噛み付いていたキキョウは反論できず、口を閉ざしてしまったのでした。
 完全沈黙したところで、ギンはカラスバに向き直ると小さく頭を下げ、
「キキョウは態度が悪いが一切の悪意はないんだ、許してやってほしい」
「それは理解しているから大丈夫だ。これを渡したらすぐに帰るよ」
「なら良かった。ところで、それは……?」
「ラクライウサギの肉だ。ウチのギルドでは……ちょっと処理できなくてね」
「肉だと?」
 一切の変化も見込めない仏頂面のままですが、瞳が奥が輝いているように見えました。
「ウサギの肉か……煮込んでもいいしそのまま焼いても美味だな。すき焼きにするのも良いぞ」
「そうか……」
 曖昧な返答をするカラスバはソワソワして落ち着きがありません。それもそもはず、すぐ隣でキキョウが鬼の形相で睨みを効かせているから。まるで、今にも噛み付いて来そうな狂犬を彷彿させます。
「せっかく貰ったのだから今夜はすき焼きを作ろう。カラスバも食べていかないか?」
「誘いは嬉しいが……その」
「おうおうおうおう、渡すもん渡したらとっとと帰れや。何の権限があって長期滞在してんだよアアン?」
 丁重に断ろうとした直前に堪忍袋の尾が切れたのでしょうか、キキョウがガラの悪い冒険者のごとく悪質な絡み方で迫ります。
「……キキョウ」
「ギンちゃんは黙ってろ! 俺がコイツの顔を見てるだけでイライラするって分かってるだろ!」
「理解している」
「だったら余計なことは言わないでウサギのすき焼きの準備しといてくれよ! 後で手伝うから!」
「それは有り難いな」
 キキョウが一方的に怒声を飛ばすも、ギンは無表情かつ冷静に受け止めているだけ。
 なお、すっかり板挟みになってしまったカラスバは言葉も発さず狼狽えており、今すぐここから逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、温厚な性格のせいで場を放っておくこともできません。
 留まり続けたところで何もできない無力なブシドーという事実に変化はないと、彼自身が一番理解していますが。
「だったら俺のことはほっといてくれよ! すぐにコイツぶっ飛ばして終わらせるから!」
「ぶっ飛ばすのは良くないと思うが……その前に、キキョウ」
「だから何だよ!」
 刀の柄を握った青年の破滅は唐突に訪れました。
 音もなく現れたそれは気配に敏感なキキョウに気付かれる前に、脛に重い衝撃を与えたのです。
 防御は捨てて回避するもの。という戦闘スタイルの彼は、魔物の攻撃を回避し損ねてモロに喰らってしまい美しい花畑と幅の広い川の光景を何度も見てきた経験がありますが、この衝撃は美しい場所に連れて行ってもらえないレベルの激痛です。現実の苦しみを骨の髄まで染み込ませたのでした。
「ごっ」
 女性のよう……いえ、完全に女性に見える外見からは不釣り合いの低く濁った声が口から漏れ出し、その場で跪いてしまうと痛む場所を抑えます。
「ぬごご……じゅ、樹海で味わった覚えのない衝撃と痛み……これが弁慶の泣き所ってやつか……」
「大丈夫か……?」
「うるせぇ死ね……」
 心配するカラスバにも容赦しません。
 一人の青年が崩れ落ちた瞬間を目の当たりにしたのはギンやカラスバだけではなく、ショウギの駒を片付け始めたアオニとナギットもそうでして、
「ねえナギット、べんけーの泣き所ってなに?」
「弁慶って名前の屈強な武将でも蹴られたら痛みのあまりに泣き出してしまうって逸話から、東方の国では足の脛をそう呼んでいるらしいぞ」
「へぇ〜」
 感心するような声を出したアオニは納得した後、キキョウを労わろうとはせずに駒の片付けを再開するのでした。
「宿の入り口前で騒ぐとマーリンさんの怒りを喰らうことになるぞ」
 雑学を聞き流したギンは冷静沈着のままそう言うと、踵を返してカウンターへと戻っていく猫の後ろ姿を眺めたのでした。
「ま、さか……俺の弁慶の鳴き所を襲ったのって……」
「マーリンさんだな」
 カウンターに登った猫は、伏せて眠っているヴィヴィアンの横に腰を降ろしてあくびをひとつ。一仕事終わった戦士のようでした。
「ふむ、まるで歴戦の勇者だな」
 ギンはカウンターまで来ると持っていた白い紙袋の開け、中に手を入れます。
 取り出したのは丸い形をした背の低い缶で、塗装されてない金色の蓋を開けると、中に見えるのは魚型のクッキーです。
 それを掌に乗せるとマーリンの前に差し出し、
「朝の礼だ、受け取ってほしい」
「!」
 クッキーを見た途端マーリンの目の色が変わり、すぐに食べ始めました。
 熱心に食べ続ける姿が気になったのか、カラスバはそれを指して尋ねます。
「……これは?」
「雑貨屋で購入した猫専用のクッキーだ。マーリンさんは湖の貴婦人亭の秩序を守る守護猫だと知ってな、今朝助けられた礼もあるから何か送ることにしたんだ」
「にゃあ」
 クッキーを食べてご満悦な様子のマーリン。守護猫とか気になるフレーズがありましたが小心者のカラスバは疑問を口にすることができずに黙ってしまうのでした。
 更に、
「よーしよしよしよし、マーリンはいい子だね〜」
「ウチの馬鹿が迷惑かけてすまねぇなぁマーリン」
「にゃ」
 いつの間にかカウンターまで来ていたアオニとナギットの二人組が、マーリンを褒めまくると同時に頭や背中を撫でます。
 人間に好意を持って良くしてもらっていると理解しているのか、マーリンは満足そうにゴロゴロ鳴いて愛撫を受け入れていました。
「……ん?」
「いつも爆睡してるヴィヴィアンの面倒を見るだけじゃなくて、厄介事を猫パンチで解決する! なーんてできた猫ちゃんなんだろう! クロに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ〜」
「いいか? またアイツが暴れ出したりしたら遠慮せずにぶん殴っておけよ? なぁに、何があっても俺が許すから全力でやれ」
「な、ナギットさん……弁慶の泣き所に致命傷を負った俺への慰めはないんスか……?」
「ねーよボケ」
「ガッカリ……」
 口で「ガッカリ」と言う人間も珍しいですね。それを最後にキキョウの口は完全に閉ざされ、カラスバが無言でオロオロする構図が完成したのでした。
 そして、ギンはアオニに声をかけます。
「アオニ」
「んん? どうしたのギン。深刻そーな顔しちゃって」
「この猫はマーリンさん……だな?」
「うん? マーリンって名前の猫じゃん? 今更何を言ってるの?」
「“マーリンさん”という名前じゃないのか……?」
『………………』
 天然の塊のような発言にどう返していいのか誰も分からず、湖の貴婦人亭は不気味なまでに静けさに包まれたそうな。


2019.5.6
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