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冒険者の休日

 探索のない休日の朝のことでした。
「アオー! ねえねえアオ!」
 ノックもせずに男性陣が使う部屋に突入してきたのは宇宙一可愛いヒーロー、ルノワール。
 いつものヒーローの服装ですが胸当てとマントだけ外したラフな格好で、桃色の長い髪をなびかせながら飛び込んできたその様は樹海で見た大イノシシを彷彿させます。
「ちょっとアオ! 宇宙一可愛い僕が来たのに挨拶の一つもないのかい? ねえねえねえねえ!」
 闖入してきた挙句に大声で騒ぐものですから、机に向かってペンを走らせていたアオの額に青筋が浮かび上がるのも当然と言えるでしょう。ちなみに彼、無地の半袖シャツに膝までの短パンの私服です、休日なので。
「うっるさいなお前! 司令部に出す地図を写してんだから妨害してくんな!」
 振り向いて怒声を上げますが、五年の付き合いで彼の怒りなどすっかり慣れてしまっているルノワールは一切怯むことなく、彼の元までホップステップスキップでやって来ます。
「あのさぁ〜さっきさぁ〜イイモノを見つけたんだよねぇ〜」
「あん? 金でも拾ったか」
「違う違う、公園で遊んでた子供から貰ったんだよー飴玉一個と交換して」
 子供相手に何やってんだと言いかけた矢先、彼女が差し出してきたモノを見て言葉を止めます。
「……葉っぱ?」
「フツーの葉っぱだけどね? こうくるりと」
 そう言ってひっくり返すと、そこにはぬめぬめした小さな生き物……ナメクジが二匹、葉っぱの上を這っている姿が見えました。
「何でいきなりナメクジなんて出すんだ」
「僕って可愛いじゃん?」
「接続語の使い方を調べてから出直して来い」
「僕って可愛いからふと閃いちゃったワケよ。第十三迷宮のあのナメクジが苦手なギンが、こんな魔物ですらないフツーのナメクジを怖がるのかなって」
「ああ……」
 仏頂面無愛想天然誠実真面目レンジャー兼元スナイパーのギン、樹海の魔物を美味しく食べる方法を常に吟味し、どんな時でも慌てず騒がずブレず、弓による攻撃だけでなく瘴気で魔物を弱体化させる補佐的立場も担っている彼は探索においてとても頼りになる存在です。天然思考回路のせいで、時々会話できなくなるのが玉に傷。
 弱点らしい弱点がなさそう……と、言うよりも無いと断言できそうな雰囲気の青年ですが、第十三迷宮地下四階でナメクジのようなFOEと遭遇した際に大のナメクジ嫌いだということが発覚したのはつい先日のこと。ギルドの中でも付き合いの長いヒイロだけが知っていた驚きの事実でした。
 第五迷宮や第九迷宮でも似たようなナメクジの魔物はいましたが、それを悟らせないように必死に振舞ってきた意地に感心どころか呆れを覚えていたのは、彼に無限大の好意を向けられているアオなワケで。
「なるほどな」
 静かに納得したアオは書きかけの地図の横にペンを置くと席を立ち、
「たまには面白い案件を持って帰ってくるよな、お前は」
 ルノワール命名、通称悪の大魔王スマイルを浮かべたのでした。





 湖の貴婦人亭のカウンターは、宿の玄関を開けたすぐ正面にあります。
 宿の受付はその宿の顔とも呼ばれており、受付をする人物の印象で宿の経営が決まるとも言われています。座って部屋や鍵の管理をしたり、冒険者たちの荷物を預かったりするだけの簡単な仕事に見えますが、実際は重要かつ奥が深い仕事でもあるのです。
 そして、この宿の顔と言える少女はカウンターに伏し、頭の上にふてぶてしい顔の猫を乗せてピクリとも動かず、宿の受付の仕事を全うする気があるようには見えません。嫌々仕事をしているためこうなっているのですが、これでは怒鳴られても文句は言えないでしょう。
 そんなやる気のない受付がいるカウンター横に今、大人一人が抱える程の大きさの木箱が置かれ、夢の世界に入る直前だった少女の体がビクリと震えます。現実に帰ってきた音でした。
「ヴィヴィアン、これはここに置いておけばいいか?」
「んあぁ……あ、そだね……あとは業者の人が勝手に持って行ってくれるはず、だか……ら……」
「そうか」
 銀髪金眼の青年ギンは受付の少女ヴィヴィアンに確認だけ取ると、再び眠ってしまった少女を叱咤せず、頭の上に乗ったままの猫を撫でました。
「マーリンさんはいつも大人しいな」
「にゃあ」
 ふてぶてしい顔の猫、マーリンは小さく鳴くと彼の愛撫を抵抗もせずに受け入れます。すぐ下の少女の寝息が聞こえてきましたが、爪を立てて叩き起こそうとする気配はなさそうです。
 そんな、午前の穏やかな時間が流れた時、
「おーいギンー」
「む?」
 不意に名前を呼ばれたので振り向けば、宿の二階に続く階段を駆け足で降りてくる女の子の姿が見えました。彼女の名はルノワールで、その後ろにはアオもいます。
 はて? と、首を傾げている間にルノワールはギンの目の前で足を止めました。
「ねえねえギン、ちょっとだけいいかな?」
「どうしたんだ?」
「ちょーっとこれを見てほしくってねぇ」
「これ?」
 唐突に葉っぱを一枚突き出され、ますます首を傾げてしまいます。その様子をマーリンが横目で睨んでいますが誰も気にしていません。
「ふむ……ただの葉っぱに見えるが」
「こうくるりと」
 ギンの視界に飛び込んできたのはひっくり返した葉っぱの上、透明な足跡を残しながらのんびり這っているナメクジたちでした。
「っ!?」
「ほら、僕って宇宙一可愛いからちょっと疑問に思っちゃったワケよ、第十三迷宮のナメクジが大の苦手なギンがノーマルなナメクジも大丈夫かどうかって」
 なんて言っていますがそれは純粋な疑問というよりもちょっとした悪意も入り混じった……言葉を悪くすれば彼に対して嫌がらせを行っていると自覚している顔です。単純に表現するとニヤニヤしているとも言いますね。
 アオもルノワールと同じような表情を浮かべて腕を組みながらその横に立つと、罪もないナメクジたちを指して、
「で? どうなんだ?」
 全て分かっていて尋ねているのですからタチが悪い。
 こんな子供じみた嫌がらせをするこの二人がタルシス、アスラーガ、アイオリスの英雄であるなど誰が信じるでしょうか。少なくともマーリンは信じないでしょう。
「…………」
 嫌がらせを一身に受けるギンはナメクジを凝視し硬直、顔色は一気に青白く染まって額には汗が浮かび始めており、言葉を一つも発することなく黙り込んでしまいました。
「迷宮内とほぼ同じリアクションだねぇ」
「ノーマルでもダメだったか」
 まさに予想通りのリアクション。つまりは面白味も無いありふれた反応だったという事で、二人は顔を見合わせると残念そうに息を吐きました。一体何を期待していたのでしょうか。
 マーリンが横目で睨み続けていますがその視線に気づくことなく、ルノワールが突き出した手を引っ込めた時でした。
「……いや、そこまで無理というコトも……ない」
「嘘つけ」
 アオの厳しくストレートな言葉に、ルノワールは同意するように頷けば、
「顔色は悪いし汗はめちゃ出てるしいつも以上に無口になっちゃってるし。君にとってノーマルなナメクジも迷宮にいるでっかいナメクジも一緒ってコトが分かっただけで僕たちは十分だよ?」
「同じではない」
 淡々と発せられた否定にルノワールもアオも目を丸くさせ、静かに続きを聞きます。
「大きさが違いすぎる上に人間に危害を与えるか与えないかの違いもある。見た目のおぞましさは同等と称すべきものだがそれ以外が異なっている。事実、迷宮のモノよりこちらの小さなナメクジの方がまだ愛嬌があ」
「僕の方が百万倍可愛い!」
 ルノワールの天に届きそうな絶叫で宿全体は震え、窓ガラスは振動し、花瓶の中の水は大きく波立ち、屋根で休んでいた鳥たちは一斉に飛び立ちました。
 それでもヴィヴィアンは起きずに寝息を立てたままで、マーリンもルノワールを鬱陶しそうに睨んではいますが鳴き声は上げませんし毛も逆立てずに大人しくしています。奥の調理場で昼食の準備作業しているヴィヴィアンの両親たちもロビーに戻って来ることもありません。いたって平和な宿のひと時が過ぎていくだけです。
 誰一人として慌てないのは、自称宇宙一可愛いルノワールが自分以外の誰かが「可愛い」と言われると、脊髄反射のごとく反応してキレるのを皆知っているからです。少なくともこの宿に泊まっている冒険者とそこで働いている人々は。
 宿の外にいる通行人たちが突如発せられた地の底まで届きそうな絶叫に驚いていますが、自分よりもナメクジが可愛いと言われて憤慨しているヒーローにとってそんなことは些細な問題にもならないのです。
「安心しろ。愛嬌があると言ったがその可愛らしさはランク付けにするととても低いモノだ。お前には全然負けるぞ」
「ならよし」
 一切動じなかったギンのフォローにより数秒前の怒りは消え失せ、あっさり許されました。
「で、何の話だっけ?」
「鶏以下の鳥頭かお前は」
「……もう、いいのか?」
 静かに尋ねるギンの表情は変わりませんが、かすかに震える声色で分かります。一刻も早くルノワールの手にあるナメクジ付きの葉っぱをどこかにやって欲しいと訴えていると。
 長年の付き合いか愛の力故か、彼の心境を察したアオはルノワールから素早く葉っぱをひったくると、ナメクジがいる面を表にしてぐいぐい近づけます。
「う」
「こっちの方のナメクジがマシなら、これぐらい近づけても平気だよなぁ?」
「ぐ……」
 再び吹き出す冷たい汗。ニヤリとほくそ笑むアオも彼にとっては非常に愛らしいモノですが、今は悪魔という肩書きに相応しい程の邪悪さを感じてしまい、喜ぶ余裕もありません。
「アオ〜やっぱり例の件で怒ってるの〜? ヒイロにもギンにも悪気はないんだからネチネチしなくてもいーじゃん」
「怒ってない」
 ルノワールに見向きもせず断言したアオですが、言葉の中に怒りが混じっていることは誰が聞いても明白でした。
 事の発端は第十三迷宮地下四階でギンのナメクジ嫌いが発覚した直後のこと、ナメクジを視界に入れたくないギンは、自分よりも少し背の高いヒイロの陰に隠れてその場をやり過ごしたのです。
 ギンにとってはナメクジを確実に視界に入れないための画期的な方法でしたが、彼に特別な想いを抱いているアオにとってはその行為が不快だったらしく最近やや不機嫌気味。この事件で一番可哀想なのは何もしていないのに巻き込まれているヒイロでしょうが、本筋とは関係ないので割愛。
 側から見れば面倒臭い以外の何物でもないいじめっ子といじめられっ子の構図を眺めるルノワールは、飽き飽きしながらため息を吐き、
「僕が小さい頃に同じクラスだったいじめっ子が同級生の女の子をいじめてたんだけどさぁ、目に余る行為だったから制裁として階段から突き飛ばしたんだよね。その後に分かったんだけど、いじめっ子の男の子はいじめてた女の子のことが好きだったみたいでさぁ〜今の君ってそのいじめっ子と同じ……」
「装備剥いで枯レ森の一階に放置するぞ」
「じゃあギン! あのでっかいナメクジよりマシならこのフツーのナメクジを触ってみよう!」
 かつての枯レ森の悲劇が脳裏に過ぎった彼女の抵抗は終わり、アオの地味な嫌がらせに便乗してしまうのです。
「マシなら少しぐらい触れるんじゃないのか?」
「い、いや……接触は……」
「ちょっとでも愛嬌があるなら触ることぐらいできるでしょ?」
 ニヤリとほくそ笑むルノワールは完全に敵に回りました。カウンター横にあるロビーには珍しく無人で、この横暴を止める者は誰もいないのです。
「ぐ……」
 再び自分にとって不利な状況に陥ってしまったギンは後ずさりするしかありませんが、一歩下がるごとにアオとルノワールが一歩進むシステムのため、互いの距離に変化はありません。
 ゆっくりと後退してもすぐにカウンターにぶつかってしまい退路は消滅します。ナメクジに対する静かな恐怖のあまり、一目散に逃げ出すという選択肢すら思い浮かばないのでしょう。
「触ったらすぐに石鹸で手洗いすればいいだけの話なんだから大丈夫大丈夫!」
「殻のないカタツムリだと思えばいいだろ。お前、カタツムリは平気なんだし」
 遠慮容赦は無く確信的な悪意は存在する悪友コンビは徐々にナメクジを近づけ、同時進行でギンの顔色がみるみる青色に染まっていきます。
「………………」
 沈黙した青年の額に浮かび上がった汗が頬を伝い、雫になって落ち、木製の床を微かに湿らせた時、
 ギンとアオの間に丸い影が割り込んできました。
「え」
 影が何なのか認識する前に、それは爪を立てアオの顔面に鋭い一閃、薄い皮膚が裂けて右頬の肉が削げる痛みが走り、鮮血が宙に飛び散ります。
 瘴気の兵装で身を守ってなかった彼にとってはクリティカルヒットに相当するダメージを受けてしまいましたが、悲鳴も上げずにフラついただけで倒れません。
 影はそれを見切っていたのか彼の胸元を踏み台にして跳躍。そこそこの重みと奇襲による驚愕が重なった結果、彼は後ろにひっくり返り、ナメクジが乗っている葉っぱを放り投げてしまいました。
 瞬きする間に起こった出来事が頭の中でうまく処理しきれず、硬直して完全無防備だったルノワールが黒い塊から喰らったのは……パンチでした。
「のごぉ」
 左の頬から脳にダイレクトに伝わる重い衝撃。それは、今まで数多の魔物と対峙し、前線で攻撃を受け止めてきた経験を持ってしても比較することのできないほど力強い拳。
 防御もしないで不意に喰らってしまった彼女が耐えられる道理はなく、アオと同様に後ろにからひっくり返ってしまったのでした。
『…………』
 倒れてしまったルノワールは動きません。お隣で静かに倒れたままの悪友も同様で、一瞬の内に悪友コンビは地に落ちたのでした。
「おお……」
 危機が去って立ち尽くすギンはその足元で、一仕事終わった手を舐める影を見つめました。
「助かったぞ、マーリンさん」
「にゃあ」
 短く低い声で鳴いた猫はまるで「礼はいらねぇぜ」と言っているように聞こえたギンなのでした。


2019.5.6
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